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2008-01-09

[] スザンヌが超可愛い 01:15  スザンヌが超可愛い - 力士の小躍り を含むブックマーク  スザンヌが超可愛い - 力士の小躍り のブックマークコメント

  

 正月番組など、スザンヌを見ない日はないぐらいにスザンヌは出ずっぱりだったわけだが、スザンヌ超可愛い。

 私は基本的に和顔が好きで、毛唐顔は好きではないし、リアディゾンなんてちっともとりたてて可愛いとすら思わないのだが、スザンヌは可愛い。超可愛い。

 ところが、写真だけ見ている分には、可愛いとは思うわけだけれども、それほどの魅力は感じない。

 私はこれを「莫迦力(バカりょく)」による破壊的なまでのイデの発動だと思っていたのだが、里田まいや木下優樹菜は、顔はそれなりに可愛いとは思っても腰は砕けないわけで、可愛い莫迦なら何でも良いというわけではない。大沢あかねなんかは、莫迦だし大っ嫌いだ。可愛いとすら思わない。

 なんかよくわからないけど、スザンヌは超可愛い。

  

 そんな話を、最愛の仔猫ちゃんにしたところ、その可愛い仔猫ちゃんは「スザンヌちゃんはいつもにこにこ笑ってるもんね」と答えた。

 そうか。それか。それは大きい。

  

 知り合いに太っていて不機嫌そうで目つきも悪い女性がいる。もちろんアダナは朝青龍だ。

 もう一人、太っている女性の知り合いがいる。

 こちらの女性は、常に機嫌よくニコニコ笑っていて、朝の挨拶もさわやかで、誰にでも気軽に笑顔で声をかける。

 しかし悲しいかな、こちらもデブでブスである。

  

 しかし、いくらデブでブスであるとはいえ、ニコニコされて好意を表している相手に対して敵愾心を持つことは難しい。

 そもそも、デブでブスだからという理由のみで敵愾心を持つこともない。

 私は、恋愛的な好意を持っていると誤解されないように注意しながら、その村上さんの「ニコニコ」を周囲の人にも褒め称えていた。

 周囲の人も「明るくて元気で良いよね」と言っていた。

  

 しばらくして、私が垂れ目の青山さんと話をしているところを、件の村上さんが元気に「おはよー」と明るく声をかけて通り過ぎていった。

 私はまたしても青山さんに「村上さんはいつも明るくニコニコしていて良いよね」という話をすると、青山さんは少し声を低くしてこう言った。

 「でも最近あの子、女性の間で評判が悪いんだよね」

 「えっ? なんで?」

 「仕事でミスとか多くてね」

 「そんなに多いの?」

 「多いというか、注意されても『気を付けます』って言って繰り返しててね」

 なるほど。そうなのか。

  

 なんか他の人にも話を聞いてみると、実際にミスは多いらしいが、そのチームのリーダーをしているお局的存在の本田さんが村上さんを嫌っていて、それでそのチームの中で不平不満が噴出しているらしい。

 本田のおばちゃんは、本当は松田というのだが仮に本田と書いているわけなのだが、本田のおばちゃんは、私も仲良くしているのだけれども、非常に陰湿なところがあって、しかも異常に他人を妬む人だ。

 誰か男性が、私も含むわけだが、誰であろうとも、他の女性のことを褒めると、あからさまに機嫌が悪くなり「はいはい、私じゃなくて他の人を褒めるんだね」と実際に声に出して不貞腐れる、いい歳こいた人妻のおばちゃんである。

 普段はそれほど害はないのだが、餓鬼のように拗ねて機嫌が悪くなるという極めて迷惑な習性があり、あからさまに機嫌が悪くなると、私以外の全ての人は近づかなくなるほど、困ったおばさんである。

 他人が褒められたりちやほやされたりすると機嫌が悪くなるわりには、別段その本田さん自身に特別な魅力があるわけでもなく、むしろその機嫌が悪くなる悪習を踏まえれば、明白に嫌な人なのだが、仕事の割り振りや勤務シフトまで実権を握るお局さんなので、上司も含めて腫れ物に触るような状態になっている。

  

 その本田さんが、デブでブスだけどいつも明るくしている村上さんを、仕事のミスが多いからと嫌っているのが、村上さんバッシングの原因だとわかった。

 実際にミスはあるようで、さらにはミスして注意された後も、明るく前向きにしているので、どうもそれがなおさらに本田さん機嫌を逆撫でしているらしい。ミスしたのに笑ってるのか、と。

 「なら、ミスしたら、ずっと股間に皺を寄せて険しい顔をしていれば次にミスしても許されるわけ? そりゃミスをしないに越したことはないけど、明るく前向きなのは批判されることじゃないでしょ」

 「笑っているならミスをしないで文句を言われないようにしないといけないということなんじゃない?」

 「笑うハードル高いなー。不機嫌そうに不満垂れ流してるほうが誰も得しないじゃん」  

  

 私は村上さん本人に「いつも明るく笑っていて凄いね」と声をかけてみた。

 柳原加奈子の、顔のパーツを全て不細工にした感じの村上さんは明るい声でこう答えた。

 「うん。悩みとか嫌なことも多いけど、他の人に暗い雰囲気で接するのもおかしいし、前向きに改善していくしかしょうがないもんね」

 私は、村上さんに「基本的に明るい人」という天然だと思っていたのだが、後付であれなんであれ、明るいのが意図的というか、意識的であったことにちょっと衝撃的であった。

  

 どんな非コミュの人でも知っているはずのことなのだが、人から好かれるにはまずどうしたらいいのか。

 それは、他者に対して好意的なスタンスで接することである。

 ところが、これが意外と難しい。というのも、それなりに疲れたりするので、継続する努力が必要であるということ。

 そしてそれよりも大きな第一の理由として、こちらから好意を示すとなると、それを拒絶されたときになかなか立ち直れない。

 嫌われてもいい、と思っておかないと、恐くて人付き合いができないのだ。

  

 非コミュの人間は多く「私は好かれようと思っていないから好かれなくてもいい。わかる人だけがわかってくれたらいい」というエクスキューズを用意している。

 ここには「私を嫌う人間は私の良さがわからない莫迦だ」という自分を守るための逃げ道が準備されている。

 逃げるのは楽だから、逃げたがる。

 楽を望む駄目な人間の良さなんてものは、何の根拠もないものだけれども、自分さえ騙せられれば充分なのだから、非コミュにとっては「私は好かれようとしていない」という情けないプライドの保ち方でも充分にそのちっぽけなプライドは守られる。

 どんなチンケなプライドでも、プライドを守るというのは、各個人には重要なことだから、それはそれなりに意義があり必要なことでもある。

 「何も知らないくせに」でも「私の良さもわからないほうが莫迦」でも「みんな表面に騙され過ぎ」でも、たとえ紛い物であってもプライドが守られるならば安いものである。まぁ、だからといってそのために他者を罵って貶めてというところまで行くと、精神を病んでいると思うし、有害であるのだが。

 加害性さえ持たなければ、プライドを無根拠に守る事だって必要な面もある。

  

 さて、私は心貧しく且つ豊かな人間なので、他者をルックスで評価する。

 朝青龍というさらに酷い比較対象があったから、村上さんの醸し出す好意を素直に受け入れられたわけなのだが、もしも朝青龍がいなければ、最初は「なにあいつデブでブサイクなのに笑ってんの?」というイメージを持ったかもしれない。だからブスは余計に笑わなくなり、さらにブスになっていく。これを専門的にはブススパイラルと呼ぶ。しかし、村上さんはそれでも笑顔でいる心を持っていた。

 いくらデブスでも、好意を持って接してくる対象に悪意をずっと継続するのは難しいわけで、いずれはこちらの対応も変わっただろうが、おそらく村上さんは、私以外の世界中の心無い人たちに、そのような対応を受けてきたものと思われる。

  

 好意を示した相手に拒絶される。

 これは大変に心が痛い。

 この心の痛みが嫌で非コミュになる臆病な人間が大勢いるのに、村上さんは、勇気を持って心を開き、その心を傷つけられてもなお、心を閉じることなく開いている。

 これは本当に凄いことだと思う。

  

 相手に好意を示して、それが受け入れられている人は幸せそうだが、どんな人でも、それで拒絶され心に傷を受けたことがあるのだ。

 「あの人は受け入れられるから良いよね」というやっかみからは、その幸せそうな人だって、拒絶されて心を痛めたり、空気を読み違えて辛い経験をしたりしたのを乗り越えて、なお、勇気を持って心を開いているのだという当たり前の知恵が抜け落ちている。

 「笑顔の背後には、それと同じ分だけの心の傷がある」と言ったのは、日系ブラジル人のカルロス・アオキ*1である。

 「自分がね、どういう人を好きになるかを考えればいいんだよ。好意を持って接してくる相手を好きになりやすいんだから。モテたかったら、慣れないと辛いかもしれないけど、他者に好意を持って接するといいんだよ。まずは笑顔だね。顔は笑ってチンコは勃てる。これだよ」と言ったのは、日系日本人平山翔太である。

  

 まぁ、ただ私は自分自身も弱者として、そのくだらない小さなちっぽけなプライドを守ろうとしてしまうこと自体を否定する気はない。

 「私は、自分が好かれたいと思った相手にだけ好かれれば良いんだ」

 そんな負け犬の逃げ道もちゃんと確保しておいて欲しいとは願わずにはいられないのだが、負け犬なら負け犬の美学として、勝者を称える、とまではいかないまでも、勝者には勝者なりの扱い、たとえば、気持ち良く振舞える、などの勝ち組にいい思いさせる程度の社交性ぐらいは持ち合わせようよ。それすらないのはあまりにも醜いじゃないか。私は美しい敗者は勝者に準ずるほどに称えたいぐらいだ。

 人間なんてね、好意を持った人があんまりにも幸せそうに笑っていると、それだけでそれを見ている人も幸せになってしまうもんなんですよ。

 勇気を持って先に好意を示す方が偉いに決まっているんだから。私は自分にその勇気がない分、それができる人を素直に尊敬する。

 喜びを他の誰かと分かり合う♪ それだけがこの世の中を熱くする!

  

 つまり、私が言いたいことは、スザンヌの笑顔は私の腰を砕けさせる。超可愛い。

 ということで、同じ理由で上地雄輔にも好感を持っています。

 いつも不平不満をブー垂れているイメージがある大沢あかねは超ウザい。*2

*1:来日三年目の自動車工場期間工

*2:よく知らないけど

とおりすがりとおりすがり 2008/01/10 14:56 スザンヌって、継父はともかくとして実父のことは決して話題にしないんだよね。名前の由来といい、何気に謎が多い。だからあの笑顔も、結構努力してのことだと思うんだ…

通りすがり2通りすがり2 2009/08/04 18:03 スザンヌの両親はスザンヌが4歳の時に離婚しており、別居期間を考えれば恐らく父親の顔は知らないでしょう。

実の父ですから興味が無いと言えば嘘になるでしょうけど、母親は再婚して幸せに暮らしているわけですので、(少なくても)マスコミの前で語ることを避けてるのだと思います。

なお、スザンヌは再婚時の保証人になってます。

2007-09-28

[] 愛する人に出会いたい 15:49  愛する人に出会いたい - 力士の小躍り を含むブックマーク  愛する人に出会いたい - 力士の小躍り のブックマークコメント

  

 合コンにまつわる話で、草さんがエントリをあげていて、それに対して翔太がエントリをあげている。

 草さんは『「愛」とか「恋」とか「尊敬」というのは、何かをするときに副次的に得られるものであり、それ自身を目指すものではない』という論旨で、翔太はそれに対して「本当は内心でみんなモテたいと思っているくせに、モテる努力して何が悪い。本当は自分だって少しはやっているくせに。音楽をやって小首傾げてるのは、少しはモテたいという理由もあるんだろ」と斬って捨てている。

「愛する人に愛されたい」という欲求に興味がない人がそれなりに、当たり前にいるだろうことは想像できる。

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20070917#1190037809

 この部分からは「いるというのなら名乗り出てみろ。ほらほら。いないだろ? みんなモテたいんだろ?」という嫌味な姿勢がうかがえる。

  

 残念ながら翔太の言うように「モテたい」という欲求はほとんどの現代日本人が持っているものであるし、その努力の方向性というのは、世間知で考えれば大体わかるものである。

 少なくとも、一流企業に就職するには、いい大学に入ることがかなり堅実な道であるという程度には、方向性は見えている。

 「いい大学に入ったからといって、確実に一流企業に入れるとは限らない」からといって、学業を疎かにするというのは、一流企業に就職したいという目的に対して、愚の骨頂である。

 確実ではないにしても、可能性があがることをするのが、理想論としては、明らかに正しい。

  

 「愛する人に愛されたい」からと、愛されるための努力をあらかじめしておくことは、当然のことと言える。

 「愛されるための努力」というのは、基本的には万人に好意を受けられるような振る舞いをしたり、ある程度特定の相手を絞られれば、その人が喜ぶことを想像し、その人にとって良いと思われることを誠実にすれば良い。

 一般に好感を持たれる振る舞いをしていれば、それはたいてい「愛されるための努力」と繋がっているものだ。

 草さんの言うように、スポーツや仕事や研究などに打ち込んでいる中から、副次的に「モテ」や「尊敬」というのが得られるという場合はもちろんあるけれども、逆に、「モテ」たいとか「尊敬」されたいという要求から、普段の生活に良い影響を与えることも、全く否定するものでもないし、むしろ素晴らしいことと言える。

 ストーカー被害というのもあるけれども、基本的には、他者から好意を受けることは喜ばしいことである。だから人から好かれたいと願う姿勢や心情は、大いに理解できる。それで何か弊害が生まれるならば、それは「嫉妬」が関与しているか、やり方が下手なのか、どちらかであって、原因はその動機にあるのではない。

  

 誤解のないように蛇足すると、言うまでも無く、「恋愛」とか「モテ」というのは、数あるうちの欲求のひとつに過ぎなくて、常にこれがトップのプライオリティを持つというものではありません。他の価値観を優先することなど、当たり前のこととしてざらですよ。

 こんなことを書くと、恋愛に夢を持つロマンティックな女の子には嫌悪されるので、モテたい人は言わないほうが吉です。

  

 で、その一方で私は、心情的には翔太よりも草さんに近い。

 それは自分がモテるための努力を放棄しているからという理由も大きいのだが、それよりも、恋愛に対するスタンスが翔太よりも草さんに近いからだろう。

 私は、原則「彼女を探す」とか「恋人を作りたい」とか「恋愛がしたい」とか「出会いが欲しい」と思わないからだ。

  

 「彼女を探す」としたら、デパートのおもちゃ売り場で迷子になってびーびー泣いているところを探すとか、警察に失踪届けを出すぐらいであって、未だ見知らぬ女性と恋人関係を作りたい、という希望は無い。

 カップルじゃないと入りにくい場所に入りたいという時以外、別に「恋人がいたらなぁ」とすら思わない淡白質な人間なので、「恋愛をしていたい」とか、そのための「出会いが欲しい」などとは、考えたことも無い。

 「この人と一緒にいたら幸せだろうな」とか「この人と一緒にいたら楽しそう」とか、この人と一緒にいたいと感じるときに、ようやく「この人」が欲しくなるのであって、敢えて「この人」を作りたいとは思わない。

  

 私がオフ会には参加しても、合コンにはでないのは、私が出会いを求めているのではなくて、会いたい人に会いたいからだ。オフ会の参加者に会いたい人がいたら参加する。誰が来るかはわからないけど出会いの可能性があるからと言われても参加しない。

 「会いたい人」を作りたいわけでも増やしたいわけでもない。

 すでに会いたいと思っている人に、会いたいと思うだけだ。

  

 しかし翔太は、合コンも愛する人に愛されたいからするという。

 もはやそれは「愛する人ができたときに愛されたい」という範疇を超えて、「愛する人を作りたい」という、私にとってみたら歪なところまで逝ってしまっている。

  

 「愛する人ができたときに愛されたい」という理由で、出会う前から、有利な状況を準備することは効率的で賢い判断だと思うが、積極的に「愛する人を作る」というのは、理解しがたい。

 私はどうしても「愛する人」は勝手にできてしまうもので、好きになっちゃったらしょうがないのであって、自分から積極的に作るものではない、という考えがあるからだ。

 少なくとも、「愛する人に愛されたい」というのと「出会いを増やして愛する人を作りたい」というのは、私には全く別次元の問題に思えるし、「出会い」を求める合コンが、「愛する人に愛されたい」という目的の範疇に入るとは到底思えない。

 「愛する人ができたら愛されたい」というのと「常に愛する人がいて愛されていたい」という欲求では、「愛する人に愛されたい」という意味合いが全く異なっているように思う。

  

 私が草さんの「出会い」を目的化してしまう「合コン」というシステムに嫌悪感を抱くのは当然のことという主張に賛同するのは、「愛する人」は積極的に作るものではなく、勝手に意とは別に愛してしまうものだという愛の神話にロマンを持っているからだろう。

 「愛する人に愛されたい」から合コンに行くという奴は、「恋人が欲しい」だけであって、「愛しているその人自身」が欲しいわけじゃないんだろ、という蔑視から、嫌悪感を抱くわけだ。

 好きな人を恋人に欲しいのであって、恋人が欲しいから出会いを求めるわけではないのだ。

 だから私は合コンに参加しようとも思わなければ、ナンパをしようとも思わない。

 恋愛するためにわざわざ出会わなくても、たまたま出会った中から、一緒にいたい人ができたならば、恋愛をすれば良い。

大野大野 2007/09/25 21:36 私も「愛する人に愛されたい」人ですが、「愛する人を作りたい」という気持ちは少しわかりますよ。若い頃にそう思ったことがあります。なんというか、愛情をもって抱きしめる対象が欲しいとか、ご飯を作っている時にこれを一緒に食べる相手が欲しいとか、ビデオを見ながら一緒にツッコミ入れたいとか、そういうささいな欲求からくるものです。

別に抱きしめるだけなら猫でもいいし、猫と一緒にご飯を食べてもいいんですけどね。かなりの部分、それでもいいです。しかしそれでは性欲が満たされない。猫に映画はわからないし。

結局、自分の中に誰か特定の人に向けたい愛情や性欲が潜在的にあって、無意識のうちにその対象となる人/関係を探しているといったことは、あったのではないかと思います。合コンに参加/非参加とは少し別の位相で、「愛する人を作りたい」「愛し合う関係が欲しい」という気持ちはどこかにあったです。「常に」ではないけどね。

takisawatakisawa 2007/09/25 23:47 あー、私は常に片思いででも、誰か一人を想定しているからかもしれませんね。
もちろん片思いですから「抱きしめる」ことはできませんが、そうしたいという対象が決まっていれば、誰でも良いから他の誰かが「欲しい」とはなかなかなりませんし。
話し相手は恋人ではなくても、家族であったり友達であったり三流私大卒のネットの知り合いでもいいわけです。

>別に抱きしめるだけなら猫でもいいし、猫と一緒にご飯を食べてもいいんですけどね。かなりの部分、それでもいいです。しかしそれでは性欲が満たされない。猫に映画はわからないし。

恋人がいたとしても、難しい話は子猫にはわからないわけで、DVDを観ての難しい感想は三流私大卒のネットの知り合いにでも話して、性欲はオナニーでもしますよ。

2007-09-27

[] 「非モテ」というのは「モテない」のか「モテたくない」のか? 15:49  「非モテ」というのは「モテない」のか「モテたくない」のか? - 力士の小躍り を含むブックマーク  「非モテ」というのは「モテない」のか「モテたくない」のか? - 力士の小躍り のブックマークコメント

  

 「非モテ」というのは、私はこれまで「モテたいのにモテない人」という意味で認識していた。

 しかし、こちらを見るとそうばかりでもなく「モテたいわけではない人」という立場がいくつか散見される。

 私は一切の努力がなくモテるのであればモテたいと思うし、多少の努力程度で済むのであればちょっとぐらいならしてみようかとも思う人間だ。

 ファッションに気を遣ったり、スキーやサーフィンを練習してまでモテたいとは思わないだけで、自然に勝手にモテるんであればモテたいし、実際のその境遇に満足している。

 しかし、自然に勝手に、あるいは、ちょっとした努力でモテるにもかかわらず、それでも「モテたいわけではない人」というのは存在するのだろうか?

 まぁ、酸っぱい葡萄にマヂになるなよ、という部分はあるのかもしれないけれども、こういう話こそマヂで話さないと面白くないと翔太も言うからマヂで言うけれども、私は女好きなので普通にモテたい。

  

 ここで言われている「優越感ゲーム」というのが、どういう意味なのかを推察して話をすると、松井に似てるとの評判があったらしいid:Masao_moteさんに特徴的な「モテから非モテが莫迦にされるなら、非モテからもモテを莫迦にする」というスタンスは、実効力としてはあまりに弱い。

 やはり羨ましいか羨ましくないか、というので優越感は決まる。

 「金持ちは心が汚い。貧乏人は心が清らかだ」「美人は冷たい。ブスは人の痛みがわかる」などと言ったところで、そんなことは慰めであって事実ではない。

 「私は心を綺麗にするために貧乏をやってます」なんてのは、変な宗教に入っているか、ちょっと頭のおかしい人である可能性が高いし、貧乏人が実際に大金を手に入れるチャンスがあれば金が欲しい人がほとんどだろう。

 ブスはブス同士では足を引っ張り合ったり、「あの子、ちょっと可愛いとか思っちゃって……」と、妬み僻み顰をフル動員して悪口を言ったりして、なんのことはない、自分の痛みは良くわかっているんだけどね、という場合が多い。そして心でつぶやく「あー、美人に生まれたかった」

  

 金持ちが貧乏人を羨む。美人がブスを羨む。モテが非モテを羨む。

 このようなことは基本的にない。

 二股とかをかける下劣な人間失格が修羅場を迎えて「あーぁ、モテるのも大変だよ。モテない奴は楽で良いよな」というのは、勝者の余裕で愚の極みである。死ねばいい。

 相手が羨んでもくれない以上、非モテ側からの実効性のある対応は二つしかない。

 モテを羨むか、最初から勝負に乗らないか。

  

 勝負に乗らないのは大変だ。

 モテる人間を見て、羨ましいと思っちゃった時点で、それは乗ってしまうことになる。乗ったら負けだ。

 いちゃついてるカップルを見ても、ほとんど気にもならないし、羨ましくもないし、自分とは無縁の世界の出来事だなと、解脱できたときに初めて勝負に乗らないと言える。

  

 あとは、「恋愛」のかたちを変容させるという根本的な手段しかないんじゃないかな。

nuffynuffy 2007/09/25 16:38 以前に毒男板の贅沢スレかどこかで
「最近は定期的に何かのホルモン?摂取をしてるので精力が全く無くなり、女性を見ても何も感じなくなった。お陰で毎日が平穏で充実してる」
と言う様なレスを見てちょっと感動してしまった事があります。羨ましいとか、俺も試したいとかは思わなかったけど。

takisawatakisawa 2007/09/25 23:38 「恋愛欲」というものがあるとして、それが「性欲」と完全にイコールだとは思えないんだけどなぁ。
逆に言えば、「人恋しさ」というのは「性欲」から来るというイメージも生まれそうで、ちょっと俄かには信じがたい部分もあるなぁ。
「承認欲求」とかもあるわけで、恋愛は性欲だけではないとしか思えないんだよね。