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タイムと純米酒と・・・ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-09-22 ライバル復活?

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雨の中、ライバルは、新兵器(マルマンのConductor)を携えてやってきた(これで何回目かなあ・・)。月1回の対決で、ここ数年毎月苦杯をなめ続けているライバル。イップスに悩まされ、奇跡のゴルフレッスンの動画を見たり、少し短めのドライバーを買ったり、ついには精神科領域の書物にも手を伸ばして克服を目指してきたが、セレブなのに、コスパには超うるさいライバルにしては、大枚数万円も払い、ドライバー・ユーティリティーを含むセットを購入し、雨の中真っ赤なジャガーに乗ってやってきた。しかも、いつでもどんな状況でも、ドライバーを振り回し、飛距離命だった彼が、ここは狭いからと、『ちんちくりん』のユーティリティーを持ってティーグラウンドに立っている。私の、口撃なんか物ともせず、ニンマリしながら・・・。そして確率の高いティショットを放つではないか。当然、ハンデ1個ずつ渡していることもあり、結構頑張ったのですが激戦となり、最終的に、ひとつ負けてしまった。ライバルとの定期戦も、もう15年以上続いている気がするが、ライバルはようやく長ーいトンネルの出口が見えた気になっている筈。秋に向けて戦いは激しいものになるかもしれない。


こんな寒い日にも、戦っているのです^^;

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2018-08-31

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初めて珈琲を飲んだのはもう50年以上前なのだろう。多分最初はネスカフェ?中村吉右衛門や遠藤周作のように、『違いのわかる』大人を目指したのかもしれない。高校生になってから、珈琲ショップ巡りをして、最終的にたどり着いたのは、心斎橋のMJB(エムゼービー?)だった(多分和田君の影響?)。当時は他に淀屋橋・上六?入れて3店舗あったのだが、今はすべて閉店してしまったようです。淀屋橋店だけは、長らく存在していたのですが、この時点で、ネット検索するとビックリ・・・。2017年11月30日に閉店となっていて、若干ショックを受けています。当時七色の珈琲といって、曜日によっておすすめの珈琲が決まっていた(多分少し安かった筈・・)。薄暗い店内で文庫本を読みながら、1杯の珈琲で何時間も粘ったのを覚えています。営業妨害少年だったのでしょうね。この名店も時代の流れには逆らえないのでしょう。スターバックスドトールにおされたのでしょうか。丁寧にドリップで淹れる老舗のショップの終焉はなんとも寂しいかぎりです。時の流れは、自分の長らく親しんできたものを押し流してしまい、目新しい見慣れぬ店や物に囲まれて、私もこの世から去っていくのだろうか・・・。

そんな暗い話を書こうとしたのではなく、少し前から新しい珈琲の世界を覗きつつあります。珈琲豆といえば、キリマンジャロモカ・ブラジル・・・・ブルーマウンテンなど産地というか生産国の名前で表されるのですが、よく考えたら、ものすごく大雑把な言い方で、どの品種の珈琲を、どの国の、どの農園で栽培して、どのように収穫して、処理され、選別されて輸出。焙煎して我々の手元に届くのか・・・と考えると、珈琲豆を単に産地の名前だけで呼ぶのは問題があるようです。世界各国で基準が異なるようですが、生産段階から精製過程にまで、品質管理がしっかり行われている、上質の珈琲豆をカッピングして基準を満たしたものを『スペシャルティコーヒー』と呼んでいるようです。まあ少なくとも、40年以上前に珈琲にハマった時には存在しなかった名称のようです。日本酒で言えば、何処のどんな種類の米で作られた酒かわからないものもあれば、琴浦町の杉山信一郎さんが丹精込めて作られた山田錦を、山根酒造場(蔵元:山根正紀、杜氏:前田一洋)で65%精米して7号酵母で醸した日置桜の『山滴る』のような・・・・成り立ちがわかっている酒をスペシャルティー◯◯と呼んでいるようです。 日本酒の場合は、だからといって値段が高くありませんが・・・。スペシャルティコーヒーは、オークションにかけられて、高い(妥当な?)値段をつけることで、発展途上国の支援にもなっているようです。


珈琲の品種

  • アラビカ種

 -・ティピカ、ブルボンゲイシャ等(原種)※生産量は少なく、木が大きくなり収穫しづらく、病気にも弱いですが、コーヒーの風味は良い

 -・カトゥーラ、カトゥアイ、ムンドノーボなど(ティピカやブルボンから突然変異や自然・人工交配で生まれた品種)

※世界で生産されているコーヒーは約1億3,000万袋で、アラビカ種が60%、カネフォラ種が40%の生産比率。豆の情報は https://www.specialty-coffee.jp/ から

収穫時期は産地によって異なり、

  1. 北半球の産地(10月〜3月頃)…中米、カリブ海、エチオピア、ベトナムなど。
  2. 南半球の産地(4月〜9月頃)…ブラジル、ペルーなど
  3. 赤道直下(年に2回)…コロンビア、インドネシア、タンザニア、ケニアなど

※同じ木でも、一斉に熟するわけではないようで、一度には収穫できず、熟したものから、ひとつずつ手摘みしているようです。

珈琲豆は、我々が手にすることができる生豆の外側には、外から果皮・果肉があり、その内側にはミューシレージというネバネバした部位があるらしい。この果皮・果肉・ミューシレージを取り除く作業方法にいつくかあり、同じ豆でも味が変わるそうです。

  1. 非水洗処理方法 (ナチュラル) 【収穫→コーヒーの実をそのまま乾燥→寝かせる→脱殻機にかける→生豆】 ※独特の香りや甘みがあるらしい。
  2. 水洗処理方式(ウォッシュド) 【収穫→果肉除去機(パルパー)で外皮と果肉を取り除く→ミューシレージを取り除く→乾燥させる→寝かせる→脱殻機にかける→生豆】 ※世界のほとんどの国ではこの生産処理が一般的で、比較的くせのない酸味のあるのが特長
  3. パルプドナチュラル(ハニープロセス) 【収穫→果肉除去機(パルパー)で外皮と果肉を取り除く→乾燥させる→寝かせる→脱殻機にかける→生豆】 ※1と2の中間。ミューシレージを残したまま乾燥工程へ。豆はミューシレージによって蜂蜜(ハニー)のようにベタベタしていて、この方法で作られる豆をハニーコーヒーと呼ぶ。ミューシレージの残存率によって、50%残存がイエローハニー。100%がレッドハニー。100%で糖度が高いものをブラックハニー。
  4. スマトラ式 【収穫→果肉除去機(パルパー)で外皮と果肉を取り除く→乾燥させる→半乾きの状態で脱穀→再び乾燥→生豆】 ※マンデリンはこの方法らしい。
  5. アナエロビコ(アナエロビック・ファーメンション) ※ミューシレージまみれにする?

・・・・

だんだん難しくなってきました。たかが珈琲ですが、されど 珈琲・・・

とあるショップのミャンマー産の豆は、これだけの情報が・・・

  • 国 名 / Country:ミャンマー / Myanmar
  • 地 域 / Region:シャン州ユアンガン / Ywar Ngan in Shan state
  • 標 高 / Altitude: 1,400 - 1,600m
  • 品 種 / Variety:カツーラ、カツアイ、サンラモン、s795 / Caturra, Catuai, San Ramon, s795
  • 精 製 / Process: ハニープロセス / Honey process
  • 焙 煎 / Roast level: 中煎 / Medium roast

一度、ハニープロセスのミャンマー産の豆を中煎りにして、いつものドリップで淹れてみようかな・・・^^;

2018-08-12 2018年夏のイベント

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よく考えたら、今年で開業して20年目なのだが、特に特別なイベントをすることもなく、いつものように、お盆休み前・恒例の夏のイベントを開催。新しい企画を行う発想力も気力もないので、マンネリのボーリング大会(14回目)と美味しい食事が絶対条件の食事会。

ボーリング大会は、昨年に引き続き桜橋ボウルにて。一人50肩で見学にまわりましたが、9名の壮絶な戦いが(^o^) 今回の優勝賞品は、若干中高年には厳しいかもしれませんが、立派なサシの入った分厚いロースのステーキ肉。1ゲームあたりHD最高70という、院長特別の計らいにより、客観的には凡ゲームの泥試合が、手に汗握る思わぬ接戦に・・・。結果、『カドマノメガミ』さんが、出場8回目にして、悲願の初優勝。おめでとうございます。楽しい2時間を過ごした後に、梅田から東西線で鴫野経由今里へ。何故、いつも、不便な場所の店ばかり選ぶのかと怒られそうですが、30分以上かけて、今里へ移動して、当院イベントとしては、初めての『大阪まんぷく堂』へ。還暦過ぎの私には若干量が多かったが、非常にハイレベルな料理に満足しました。日本酒の品揃えが、若干私の好みと違う部分もありましたが、十旭日・大七神亀・天の戸・・・あたりは問題なく美味しくいただけました。

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 開業して20年過ぎましたが、コツコツと努力を積み重ねる事が、医師としての最高のスタンスだと思ってますので、もうしばらく体力の続く間は、この調子で頑張ろうかな・・

2018-06-15 Kimpaiシステム?

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最近は、呑みにゆくより、家で呑む事が多いので、このシステムは非常に有用だ。

美味しいお酒を入手する手段は、十分なレベルに達しているのだが、酒の肴は、なかなかハイレベルとはいかない。ところが、あの天才料理人O氏が、美味しい料理や食材を作っては直販するという、馴染みのないシステムに遭遇してしまった。もともとフレンチのシェフらしいのだが、なんでもできる感じ。以前、とんでもない大衆居酒屋という名のスーパー居酒屋をされていたのだが、1000日ほど、銀座8丁目で高級料理屋をして大阪へ戻って来られたようです。

次は何かなあ・・・

2018-05-28 京関戦

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その昔、アメフトが面白いと感じ真剣に観ていた時期があった。昭和51・52年と、大阪ではなく、京都で浪人生活を満喫していた頃だ。場所的には、烏丸今出川・百万遍・銀閣寺あたり・・・。嫌でも、ほぼ毎日百万遍にあった京大のタテカンが目に入る。昭和51年京大は当時145連勝していた関学に勝って注目を集めた。昭和52年、『涙の日生球場』の名勝負が行われ、徐々に強くなった京大は、昭和57年関学に勝ち、昭和58年には甲子園ボウルで日大に勝ち、ライスボウルでレナウンに勝って日本一になった。その後徐々に興味は薄らいでいったが、当時は、毎日見るタテカンと京大が強いということの意外性が強かったから興味を惹いたのかもしれない。確か水野監督時代。体格の良さそうな高校生に目をつけて、家庭教師に京大生がついて、選手を集めているという噂もあった。戦略性の高いスポーツなので、頭のいい京大が強いのかなあとも感じていた。京大灰色ギャングスターズ関学が青いファイターズ、日大が真っ赤なフェニックス。いつも灰色応援していた・・・・

 そんなフェニックスの選手の悪質タックル。状況だけみていくと、とても純粋で正直な告白をしているとしか思えない宮川選手。どうみても、自己保身に走り、真実を語っていないとしか思えない、井上コーチと内田監督。宮川選手に同情するタックルを受けた側の奥野選手と父親。彼らの言動をみていると、真実は明らかだろう。

学生のクラブ活動とは思えないほと大きくなってしまったアメフト部の監督が、巨大な大学において、権力が異常に集中してしまった常務理事であったことが、今回事件の大きな原因のような気がする。宮川くんが、再び元気いっぱいタックルできる時期が来ることを祈っている。

2018-05-19 隠れキリシタン

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S坊J郎氏のメルマガで、すっきりした・・・。以後殆ど受け売り^^;

禁教令は秀吉も出しているが、より徹底されたのは江戸時代の慶長の禁教令(1612年)以降でしょうか。禁教の徹底に伴って、キリスト教徒は転向するか隠れキリシタンとなっていく。以後250年以上の長きにわたり、隠れキリシタンは、決して発見されることのないスタイルを身につけたのでしょう。そして、明治6年1873年)禁教令が廃止された後、隠れキリシタンの多くが洗礼を受けてキリスト教徒となった。この人達が潜伏キリシタンで、彼らが明治以降に作った数々の施設が世界遺産として認定されるようです。

ただ、ごく少数ですが、明治6年の禁教令廃止以降も、カソリックの洗礼を受けることなく、禁教令下で250年以上続けてきた信仰スタイルを現在でも維持している人たちいるらしいのです。本当にごく少数で、長崎に数百人ほどおられるようです。禁教令下のスタイルなので、全ての儀式が秘密裏に行われて、その全貌は明らかではありません。彼らこそ、日本遺産として認定したい気がする。

2018-02-18 母と二人で・・

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 その日は、カミさんが食事会でお出かけなので、老いた母と二人で晩御飯。以前は、子供を引き連れて、絶品焼鳥の『うづら屋』へよく行ったのだが、この店も無くなって数年。何処へ行こうかと悩んだ末、赤酢の鮨屋へ。淡路の奇跡的な鮨屋はまたもや予約がとれず、チョイスしたのは、京橋の すし処 広川

赤酢の鮨は合格点なのだが、酒のチョイスが・・・・惜しい・・。豊盃は吟醸香食事の邪魔で、九頭竜燗酒用らしいが酒の旨味が感じられず×××^^; 


結構高い鮨屋だが、母はいつまで覚えてるのだろうか・・

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2018-02-12 天ぷら

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久しぶりに美味しい天ぷら屋さんに出会った。まだ若いがストイックな感じのする店主で、美味しいだけじゃなく、居心地も良かった(ここが肝心)。最初にお椀が出てきて、間違ってるかもしれないが、利尻昆布とまぐろ節の出汁の中にクレソンと一緒に入っていたお肉は『ツキノワグマ』だった。エッと思ったのだが、この熊さんにノックアウトされた。本当に美味い。つかみは100%OK。この体験は、もう30年以上前に、赤坂の『楽亭』に入り、『石倉楫士』という凛とした料理人の立ち姿に圧倒された後、、付き出しとして出てきた『イカ塩辛』の美味さにノックアウトされた時と似た気分だ。30年以上前のイカの塩辛に匹敵するインパクトのツキノワグマだった。お酒のチョイスは若干問題あるものの、及第点。また行こう。

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2018-01-06 星野仙一氏逝去

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あまりここに記事を書かなくなって、たまに書くと訃報が多いのは残念ですが、またまた訃報です。星野仙一氏が亡くなりました。私の中の星野は、あくまで中日の星野ですが、彼が数年阪神の監督として、チームを再生させてくれた事は忘れられません。その時の感動の作文を追悼文として再掲載します。

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 世代によって違うと思いますが、昭和32年生まれの私は、初代ミスタータイガース藤村富美男を知りません。阪神タイガースに魅せられたのは、エースは村山、1番が吉田、4番は遠井か山内という時期でした。山内はいても、小山はもういなかったのです。昭和37年、39年と阪神は優勝しているのですが、哀しいかな、私にはこの記憶はゼロです。昭和39年という年は、小学校入学の年なんですが、この年は10月1日に東海道新幹線が開通し、10月10日には、東京オリンピックが開幕した年で、日本中がこの世紀のイベントに沸きかえり、阪神が優勝したことも、南海ホークスと日本シリーズを戦ったことも、そんなことどうでもよかったのかも・・。この日本シリーズも、オリンピックの開幕前に終わるように、ペナントレース終了翌日に開催する強行日程だったと聞いています。そして、私も、アベベと円谷、三宅兄弟の記憶があっても、阪神優勝の記憶はないのです。だってまだ、小学校1年だったのですから。

この後まもなく阪神ファンとなった私が優勝シーンを初めて見たのは、人より少し長い学生生活を終えて、医者になって2年目の、小倉のぼろアパートの1室でした。もうすっかり大人であった私は(?)、この時、テレビに映る大阪の愚かな阪神ファンの熱狂振りを冷ややかに眺めながら、ひとり静かに、祝杯をあげたものでした。江夏や田渕が達成できなかった光景に涙しながら・・・これが阪神ファン本来の正しい姿です。道頓堀に飛び込む連中は、阪神ファンではありませぬ。そしてまたまた18年もの歳月が流れました・・・

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その年の9月13日土曜、父親にすっかり洗脳された長男(?)を引き連れ(写真見る限り嬉しそうじゃない)、日帰り名古屋旅行(行き先はナゴヤドーム)を敢行し、悔し涙を流した私は、門真の女神のお導きで、二日後の正午には、9月中旬には似つかわしくない炎天下の3塁側アルプスにいました。

Xデイに備えて、準備は万端でした。春先からの首位独走のお陰で、入手困難となったチケットをなんとか獲得すべく、ヘソクリをつぎ込み、遂には、禁断のオークションにまで手を出し、3段構えで、チケットを押さえました。無類の強さで、快進撃を続ける阪神は、8月の中旬にも優勝する可能性があったのです。そこで、8月21日の大阪ドーム、8月30日甲子園を押さえ、そして最後の砦が9月13日ナゴヤドームでした。これで完璧や。絶対胴上げ見せたるからな、ついて来い・・・・・・・・。ところが、長男とナゴヤドームで見た阪神は、全く別のチームのようで、守ればエラー(あの金本が・・)、投げれば四球のオンパレード(藪が・・・)。 

(注:だから名古屋には行きたくなかったんや。だって高1の秋、残り試合2でマジック1となった阪神は、名古屋へ・・・。阪神の先発は江夏、中日は星野。あの時も阪神は、ガチガチのコチコチで、星野を打てんかったんや。忘れられん・・)  

流石に精魂尽き果て、胴上げを見るのは諦めていました。この頃、阪神戦のチケットは高騰し、オークションでは、1枚10万以上という、ばかばかしい値段がついてたもので・・・。そんな所に一通のメールが飛び込んできました。2日間以上徹夜で並んだ友人の友人である熱狂的阪神ファンのMT嬢からです。『チケットをゲットできるかもしれない・・・』というのです・・・・・よくは覚えていないのですが、気がつけば、目の前には、昨夜もエラーしまくった金本の姿がありました。名古屋で見た阪神ナインは、大差のついたペナントレースにも関わらず、完璧な金縛り状態で、打てない、守れない、走れないと、3拍子そろった伝統のスタイルを取り戻していたので、その日も、ベテラン阪神ファンである私は、あまり大きな期待をしないようにと自分に何度も言い聞かせながら、阪神電車に乗り込みました。ただ、2週間ぶりに訪れた甲子園は、優勝前夜のような異常な興奮状態にありました。躍る心を抑えつつ、MT嬢が確保してくれた席にたどりつきました。イエローシートやライトスタンドは何度も行きましたが、3塁側アルプスは初めてでした。でも、なかなかいい眺めです。ここ数日間、絶不調の金本に直接罵声がとどきそうな位置なのですから・・・。とりあえず、『今日はエラーすんなよ金本!』一声かけてやりました。

 そしてお昼過ぎに試合開始。予想通り打てない阪神。最近ノックアウトが風物詩的になった伊良ブーからヒットを重ねる広島。3回にはシーツにツーランを浴びてしまう(『この伊良ブー!とっととアメリカ帰れ』)。5回にやっと矢野が初ヒット。藤本がライトフライ、伊良ブーも不細工なバンドを成功させ、沖原のタイムリーで1点差。ところが6,7回とヒットなく、また嫌なムードが漂い始めました。そして、運命の8回、その嫌な雰囲気を振り払う、片岡の1発。さすが片岡。私は、彼が必ずやってくれると信じてました。本当です^^; 球場の雰囲気は一気に変わりました。もう甲子園は完全にお祭り状態です。9回表を安藤君がピシッと抑え、その裏、藤本・片岡と連続ヒットが出た時には、殆ど勝負はついていました。

星野が赤星に何か囁いています。その直後、赤星の打球がライトへ飛んだ瞬間、何がどうなったのか、しばし記憶が飛んでいます。まだ、優勝じゃないんだと、わかっている筈なんですが、この劇的なサヨナラ勝ちで、観客もナインも優勝したような大騒ぎです。マジックはこの時点でまだ1なのに・・・

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試合終了は、午後5時25分でした。ここから、2時間以上待ちました。でも、楽しい楽しい待ち時間です。関西医大眼科外来の2時間待ちとは違います。心うきうき、少しドキドキの2時間。当然、誰も帰りません。隣の高知から来たおじさんがラジオを聞いていて、ヤクルトが4点先行したと、絶望的な情報を提供してくれていたのですが、しばらくして、甲子園の大型ビジョンにヤクルト・横浜戦が映し出されたときは、何と、4−11と横浜が逆転しているのです。横浜いつもありがとう!どよめく5万3千人。ただ、横浜の事なので、ハラハラドキドキ、心配して見ておりましたが、2点とられたら、1点取り返し、6−12。いくら横浜でも、大丈夫やと皆が思い始めた、その時、3塁側アルプスから、ウエーブが始まりました。ノリの悪いグリーンシートで何回か止まったものの、やがてベンチに戻ってきた阪神ナインまで加わると、ウエーブは甲子園全体を巻き込み、何周も何周もまわりました。興奮してよく覚えてませんが、10周近く回ったでしょう。そしてウエーブが終わる頃、横浜戦は終盤を迎え、9回2死になると、大型ビジョンに向かって『あとひとり』コールです。ヤクルト最後の真中がショートゴロでアウトになった瞬間、全ナインがマウンドめがけて突進し、万歳万歳バンザイバンザイ・・・・そして、星野の胴上げ。夢にまで見たタイガース優勝決定シーンが目の前にあるのです。信じられません。子供のように、はしゃぎ回る阪神ナインを見ながら、この歓喜の渦の中にいる喜びを噛みしめていました。みんなに引きずりまわされ泥だらけの藤本、金網によじ登り警備員に怒られる赤星、ただ一人で、各スタンドに万歳を呼びかける桧山・・・・・ただ、喜びを爆発させる阪神の選手達が、妙に幼く子供っぽく映りました。そういえば、このシーンを見るのに40年もかかったのです。

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HANSHIN Tigers OFFICIAL FAN CLUB No 5004882 竹内正光

2017-11-08 中村鋭一氏 逝去

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昭和51年高校を卒業して、大阪を逃げ出し京都の予備校へ入った頃は、

こんな事件があり、歌がながれ、番組があった時代だった。ラジオが恋人だったこの時代、何故か『おはようパーソナリティ中村鋭一です』や『フレッシュ9時半!キダ・タローです』をともに聞いてから、百万遍にあった予備校の授業に出ていたこともあった^^; 懐かしい・・。物心付いた昭和39年頃から阪神ファンであった私には、中村鋭一氏は指導的立場だった。政治家になってから、若干違和感を感じていたが、ここ数年テレビで顔を見なくなり、何かあったに違いないとは思っていたが、残念だ。阪神球団から、何らかのコメントが欲しいなあ・・