ディナーショー?


私には、芸能界の知人は一人もいませんが、亡き父が懇意にしていただいた芸人さんを、二人だけ知っております。お一人は、『Wヤング』の名で有名な平川さんで、もう一人が、『けいちゃん』と呼んでいる不思議な芸人です。平川さんは、中田軍治氏とのコンビで昭和40年代には日本を代表する漫才師だった方で、ご存知の方は多いと思いますが、今回紹介したいのは、「けいちゃん」です。彼が、このたび、芸能生活40周年記念のイベントを帝国ホテルで開催することになりましたので、この場を借りて少し紹介させていただきます。私(51歳)と同世代以上の方は、ご存知と思いますが、かつて関西に若井はんじ・けんじという名コンビがいました。
『「頭の先まで、ピ〜コ!!ピコ!!」や「ゴメ〜ンネ」』が持ちギャグで、あのダイビングクイズの司会者と言えば、わかりやすいでしょうか。男前なのがけんじで、そうでない方?がはんじです。そのはんじの最後の?弟子が『けいじ』氏です。



実は、詳しいデータを彼から聞いていないので、いい加減な情報ですが、コンビ結成は昭和44年12月。つまり、今年の12月で40年となるのです。本人は、時代を先取りしすぎていて売れなかった?、時代が自分たちに追い付いていなかったから売れなかったと言ってますが、当時としても珍しく書生スタイルでデビューしたようです。私が知り合って以降は、寄席にもテレビにも殆ど出ていないと思うので、過去の足跡を少し紹介しますと、

多分これは、トップホットシアターで行われたコマモダン寄席のプログラムでしょうか。最後にコマ新喜劇とあるのは、吉本新喜劇に対抗して行われたものだと思います。出演者を見ると、トリに近いほうは、いとし・こいし、はんじ・けんじ、ホットブラザーズ、Wけんじなどですが、若手の方を見ると、田渕岩夫、こづえ・みどりに並んで、えいじ・けいじとあります。

これは、「なにわ寄席大会」という名のテレビ公開放送のプログラムです。司会は鶴光で、若井ぼん・はやとで始まり、トリは、あの『やすし・きよし』です。何故か国宝、米朝さんも出ています。えいじ・けいじは、師匠はんじ・けんじの後というプレッシャーのかかるタイミングでの出演だったようです。
 漫才が出来て、ピンでしゃべれて、一流の司会者でもあり、芝居も出来る彼が、その真面目な性格や人としての筋を重んじる性格が災いして、所謂金になる仕事とは縁薄い芸能生活を送ること40年。確か、25周年の時に多くの業界関係者が、彼がどのようにして生きてきたのか不思議だ・・・と言っておられたようですが、たぶん、彼の真面目で、人としての道を踏み外さない性格を知る人たちが、陰ながら彼をサポートし続けてきたのだと思います。私生活には触れませんが、親としても非常に立派であったと証言させていただき、40周年の祝辞とします。
 このブログを読まれている、一般の方、医学関係者、製薬・医療機器関連の方、イベントの司会、結婚披露宴の司会、ゴルフコンペ打ち上げの司会など、司会にお悩みの節は、『若井けいじ』師匠を推薦します。いい仕事することをお約束します。
私に連絡いただければ、仲介させていただきます?