横浜逍遙亭

2018/02/04 (日)

Facebookのこと

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Facebookに登録したのが2009年頃らしいのだが、それ以来、まれにアプリを開いてみることはあっても、ほとんどまったくと言ってよいほど能動的には使っていなかった。つまり、コメントしたり、「いいね!」を付けたりなどしないで、単に最近どんな投稿があるかをしばし眺めるということを月に1度、半年に1度するといったぐらいことしかしない。だから、つい最近、5年も6年も前に「お誕生日おめでとう!」というコメントを何人かの方々からいだだいていながら、なしのつぶてでなんにもしていなかったことを発見したくらいである。ひどい。

Facebookは知り合い向けお知らせメディアだから、私のように別にお知らせも、知らせたいニュースもほとんどない人間には向いていない。それはそれで、既存の枠組みを面白おかしく活用するような才覚があれば話は別だが、そういった才能からは最も遠いところにいるので能動的に食指は動かない。それにFacebookは、そもそもあれやこれやお節介がすぎる。誰とかの誕生日だとか、フォロワーが何人になって友達の輪が広がっただとか、知り合いの知り合いにこんな人がいるだとか、なんだとか、かんだとか、だからどうしたと言いたくなる一方向の知恵を授けたがる。こんな奴が生身の人間で隣にいたら、到底我慢ができないだろう。うるさい! できるものならドロップキックをお見舞いしたいぐらいだ。できないけど。

しかし、世の中のメインストリームはFacebookとInstagramなので、そういったところにしか出入りしていない知り合いに向けて「生きてるよ!」と言う代わりに、Facebookに向けて仕事絡みのトピックを書いてみることにした。更新は1か月に一度あれば御の字。「お友達の輪を広げましょ!」という動機はもとよりないので、面白おかしい内容はほとんどないはず。それぐらいの意気込みなので、続くかどうかは分からないが、おかげで人の投稿をよく見るようになった。週に2,3日以上はFacebookを覗いている。友人たちの身辺雑記を読むのはとても楽しいが、やはりFacebookの枠組みはどこかしっくりこない。

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2018/01/15 (月)

ジョン・アダムスの『アブソリュート・ジェスト』は面白い

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1月27日(土)と28日(日)の2日、NHK交響楽団が、アメリカの作曲家であるジョン・アダムスの『アブソリュート・ジェスト』を演奏する。2015年3月にウィーンを旅行した時に、ちょうど作曲者のジョン・アダムス本人がウィーン交響楽団に客演をしていて、この曲のウィーンでの初演を指揮したのに立ち会えた。とても面白く、よくできた曲なので、現代音楽が好きな方はお聴きになってみては如何だろう。生でなくても、Eテレの『N響アワー』でもそのうち放送されるはずだ。

『アブソリュート・ジェスト』は日本語にすると『冗談の極み』といったことになるだろうか。ベートーヴェンの第9や、弦楽四重奏曲の第13番、『大フーガ』などのメロディを巧みに用いてというべきか、それらの曲を換骨奪胎してというべきか、オーケストラのために仕上げた現代曲である。

曲は大した長さではなく、たしか一楽章ものだったというぐらいの記憶しかもうないのだが、オーケストラの前に弦楽四重奏を座らせ、ベートーヴェンのメロディの断片を用いた「冗談」が繰り広げられる。何が冗談なのか、聴く人が聴けば即座に紐解けるのかもしれないが、正直なところ言葉の本当の意味はよく分からなかった。私が聴いたウィーンのコンツェルトハウスでのコンサートでは、ジョン・アダムスが演奏前にマイクを持ち、「私のドイツ語はほんとに片言程度で」などと言いながら、澱みなく自作の解説をしていたのだが、肝心な部分は語学力の欠如で残念ながらついていけなかったので、「冗談」は未だに謎である。たぶん、N響のコンサートに行けば、パンフレットに解説があるだろうし、『N響アワー』でも教えてくれるだろうから、3年ぶりの謎解きを楽しみに待つことにする。

楽聖ベートーヴェンの、シリアスなメロディを換骨奪胎すること自体が、クラシックの作曲家にとっては「冗談」以外の何物でもないのかもしれず、実際、曲想はベートーヴェンのメロディがそれと分かるように活用されつつ、素っ頓狂な和声で包まれたり、へんな転調をしたり、といったところは、たしかにシリアスな曲には聴こえることはないし、そのへんてこりんさ加減が実に面白い、ということは間違いない。「冗談」って、そういうものなのかどうか、そこは謎の極みではある。

指揮はピーター・ウンジャンである。それ誰だっけ、そんな指揮者いたっけと思ったら、かつて東京クァルテットで第一バイオリンを弾いていたピーター・ウンジャンさんなのだ。腕の故障で演奏家を辞めたと聞いていたが、N響に呼ばれるほどの指揮者になっていたとは知らなんだ。これもまたどんな演奏をするのか興味深い。

ベートーヴェンが好きで、現代音楽が好きだという変わり者のあなたには格好の楽しみになるはずだし、ベートーヴェンはそれほどでなくても、現代音楽が好きというあなたにも一聴の価値はある。ジョン・アダムスはオペラ『中国のニクソン』で最初に記憶にとどめた人が多いのではないかと思うが、今年、ベルリン・フィルがレジデンスコンポーザーに選ぶほどの人気作家になっているわけだし。ただし、あの巨大なNHKホールで、弦楽四重奏とオーケストラを組み合わせた作品が精妙に聴こえるかどうかは保証の限りではない。サントリーホールやタケミツホールならよかったのにと思う。そして、カップリングする後半の曲目がホルストの『惑星』で、これがお嫌いでなければ申し分ないのだが、個人的には『惑星』なんか聴きたくないよと思ってしまうので、放送でよしとすることにする。いずれにせよ、またあの変な曲を聴けるのが楽しみである。

EmmausEmmaus 2018/01/17 10:48 ははあ。東京カルテットね。いいですね。でベートーベン。一部はだめでもどういう訳か弦楽四重奏はきけるし、後期もたのしめます。でも、最近は何でも御座れになりつつあります。ホルスト。いんじゃないんですか。

taknakayamataknakayama 2018/01/17 11:41 弦楽四重奏は有名な団体の演奏を録音で聴くのがせいぜいなのですが、たまたま東京クァルテットはニューヨークに住んだ4年間の間にせっせと聴きに行くことができました。当時の第一バイオリンは原田幸一郎さん、ウンジャンさんが辞めた後の、次の人とその次の人で、団体としての全盛期は過ぎていましたし、すでに当時はシャキシャキ、ガッツリ型のクァルテットがもてはやされていましたので、東京クァルテットの温かい音楽作りは、オールドファッションの風情がありました。

EmmausEmmaus 2018/01/17 19:15 原田さんの東京SQは今でも良いですね。ええとガッツリ型って、あのアルバン・ベルクSQのことでしょうか?それともジュリアードSQ。意外と生は聴けますよ。LPやCDではやっぱり疲れてしまいますわw。でもウィーンコンツェトハウスもそんなに今からするとLPでも良い音とは言えません。特にハイドンあたりは。ちなみにスメタナSQが弦楽四重奏の原点です。
長々ごめんなさい。

taknakayamataknakayama 2018/01/17 19:55 ガッツリじゃ分からないですね(笑)。アルバンベルクもそうですけど、タカーチSQだとか、エマーソンSQだとか、アグレッシブな演奏をする人たちの演奏に比べて、東京SQはもっと品がよかったと思います。そんな意味で書きました。
アルバンベルクは、私の中では弦楽四重奏のカラヤンといった位置づけです。ですので、好き嫌いはやはり出ます。

EmmausEmmaus 2018/01/17 21:37 今からすれば、アグレッシブな時代だったでしょう。時計の振り子ですか。あの当時ははじめにラサールSQが発端でした。 中山さんの言われる「品」というのが分かるようで分からないです。w。でも、僕の言葉で言い換えれば、東京SQにはセンスというものがあり好きでした。←同じことかもしれませんw。かつてのラジカルな古楽器系も含めて、すっかり保守化の時代ですね。

EmmausEmmaus 2018/01/18 05:53 おはようございます。確かに言えることは、あの当時(アグレシッブな時代)は音楽を楽しみ味わうというはなかったですね。わたしなどはしまいには前衛というだけで毛嫌いしましたが。でもわたしも音楽を最近楽しみ味わうようになり始めました。嗜むということでしょうか。中山さん、これからもどうかよろしくお願いしますWw。

taknakayamataknakayama 2018/01/18 11:32 おはようございます。実は私はアルバン・ベルクもタカーチも嫌いというわけでもありません。ラサールだとか、スメタナだとかに比べると、実にゴージャスでこってりとしていて、という音楽ですが、それもそれで面白いですし、コンツェルト・ムジクスの人たちがやっているモザイクSQなど、正反対のスタイルの演奏もよく聴きます。
この分野に限っては、演奏様式への思い入れはあまりないのです。その方が幸せになれるかもしれません。交響曲は、その正反対で、多くの曲にへんな刷り込みが成立していて困ったものです。

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2018/01/09 (火)

宮田大チェロリサイタル

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昨日はミューザ川崎で宮田大さんのチェロを聴いた。

チェロのリサイタルを聴くのは生れてはじめてのこと。弦楽器のリサイタル自体、これまで一度も行ったことがない。自分自身に対して「どうした風の吹き回し⁈」と言いたくなる選択なのだが、ちゃんと理由はあって、数年前に宮田大を一度聴いてびっくりしたことがあったのだ。

記録を見ると2013年11月だが、上岡敏之指揮するところの読響がラーンキの独奏でブラームスのピアノ協奏曲第2番をやった。第3楽章でチェロの独奏がピアノに絡むのが印象的な曲だが、その独奏があまりに素晴らしく、ラーンキのピアノを食ってしまうというほどに光っていた。その時は、「日本のオケもトップ奏者になると、あんなにうまいんだね」などと連れと話しながらサントリーホールを後にしたのだが、そのソロが宮田大だと知ったのは、コンサート後数日経ってからのことだ。たしか、誰かのブログにその事実が書いてあったのを読んだのだと思う。

小澤征爾と水戸室内管弦楽団が宮田大とハイドンのチェロ協奏曲第1番を演奏するドキュメンタリーを見ていたので、その存在は知らないではなかったが、本物をそれと知らずに聴いたインパクトはかなり強く、あれが小澤さんが「宮田大ちゃんでーす」とオーケストラに紹介していた人物かと、その美音と精妙な歌いまわしが記憶に残った。いつかはリサイタルを聴いてみたいと思った。

今回のリサイタルは、いつも出掛けるミューザ川崎だったが、去年、アンジェラ・ヒューイットがコンサートを開いたときにほとんど空っぽだった3階席までが、ぎっしりと埋まったのに驚いた。舞台映えする30台のリサイタルだから女性ファンが多いだろうという想像は当たったが、思いのほかその年齢層は高かった。若い女性は宮田大ちゃん知らないのか。いずれにせよ、中年以降のおじさんばっかりのブルックナーのコンサートなどとは同じクラシック音楽といっても別世界である。

曲目もベートーヴェンの『魔笛の主題による7つの変奏曲』を除くと、ファリャ、ピアソラ、カサド、カスプーチンと、個人的にはまったく聴かない作曲家ばかりで、演奏者ご本人が冒頭にマイク片手に述べた通り、お正月明けのライトなコンサートというノリだったが、何を弾いても聴衆を楽しませる音楽性とテクニックは、こちらのお正月気分にもぴったりと重なって、楽しい2時間となった。

ただし、3曲演奏されたアンコールの中の1曲が久石譲だったのには「あれえー」と思ったことではあったが。

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2018/01/08 (月)

明けましておめでとうございます。

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星野仙一が亡くなったなあ。急なことで、やはりびっくりした。暑苦しい熱血オヤジでキャラ的には嫌いなタイプの代表だったが、阪神や楽天で結果をきちんと残し、ファンからはとても慕われて、多くの人に強い印象を残した大した人生だったことには間違いないだろう。

そして、同じ病気の者としては、ご苦労様でしたという他はない。70歳で亡くなるのは早すぎるという声が聞こえるが、ああいう立場の人なら、最高の医療機関がやれることをすべてやったうえでのことだろうから、長くも短くもない。天命ということだと思う。あっぱれな70年の人生。

正月早々訃報を取り上げるとは思わなんだが、人がいなくなることがますます身近に感じられるようになる。そういうことらしい。

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2017/12/20 (水)

偶然に生きているのは楽しい

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今年の終わりに心をよぎるのは、生れてくるのも、死ぬのも、偶然と言ってよい出来事だなあという感慨。偶然に生まれてくる、という理解の仕方は同意を示してくれる方が多いだろうが、偶然に死ぬという考え方は分かりにくいと思うので、偶然に今日を生きていると言い換えてもよい。ちょうど1年前に偶然にひとつの健康診断を受けることになり、そこで病気が見つかるという偶然がなければ、たぶん私は今頃偶然にこの世から退出していた。

病気には理由があるとしても、時間を遡っても決して対処ができないであろう事象をいくらあれこれ考えても詮方ない。この先の人生だってそうで、死が必然だとすれば、同時にそれがいつ来るのかは後付でしか語れないとすれば、10年後に生きていることも、1年後に生きていることも、明日生きていることも偶然と考えるしかない。そう考えると、偶然に生きていることの有難みは身に染みて、なんだかうれしくなり、必然である死も偶然だと言ってみたくなる。

おかげさまで、今はとても元気です。もちろん、体力は病気の前のようにとはいかない部分があるとしても、気持ちはとてもハッピーです。

hidekisegawahidekisegawa 2018/01/04 09:34 中山さん
あけましておめでとうございます。
年末に送ろうと思っていて忘れてしまっていたのですが、お会いしてちょうど10年が経ったのですね。なんか感無量で嬉しいです。
本年もよろしくお願いします。
http://d.hatena.ne.jp/segawabiki/20071230

taknakayamataknakayama 2018/01/04 15:43 瀬川さん、明けましておめでとうございます。
10年ですか! 信じられないですね。なんだか、いつまでも昨日の出来事のように感じられます。
今年もどうかよろしくお願いします。

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