2007/04/17 (火)
村上春樹の『グレート・ギャツビー』、そして後書き
読書 |
村上春樹訳『グレート・ギャツビー』を読んだ。村上さんはずっと以前から“『ギャッツビー』最高”と公言してきた人だ。本書の後書き「翻訳者として、小説家として−−訳者後書き」でやはりこう書いている。
もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。どれも僕の人生(読書家としての人生、作家としての人生)にとっては不可欠な小説だが、どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレート・ギャツビー』を選ぶ。
(p332)
この言に続いて、人から『ギャツビー』ってそんなにすごい小説なのと訊かれることがあるが、あれがすごくなかったらどこにすごい小説があるのか教えて欲しいと村上さんは駄目押しの支持を表明した上で、でもそういいたくなるのも分からないではないと譲歩する。何を言いたいのかと思いきや、やはり原文で読まない限り、あの文章の凄さは伝わらないというのである。それを分かった上での翻訳の試み、気合いが違うということを言いたいのだ。
というわけで自分の翻訳も、翻訳であることの限界を超えるものではないとしつつ、「しかし、それでも僕は一人の翻訳者として、一人の小説家として、『グレート・ギャツビー』という作品の根幹をなすいちばん大事な(原文では「いちばん大事な」に強調点)何かを、そのエッセンスのようなものを、少しでも有効に、少しでも正しく伝えることのできる翻訳の道筋を見いだすべく、精一杯努力をし誠意を尽くした。
(p336)
実際これはフィッツジェラルドというアメリカ人が書いた「THE GREAT GATSBY」という作品とは異なる、村上春樹の『グレート・ギャツビー』として読むべきものだろう。当代一の人気作家が、自分がもっとも愛する作品を精魂込めて翻訳したのだから、翻訳というものの性格上、そうなってしかるべきものだ。というわけで「翻訳者として、小説家として−−訳者後書き」なのである。
ここに至って「『ギャツビー』ってそんなにいいのか」とあらためて訊くのは野暮の骨頂であって、あらゆる文学作品は、あるいは人の文章というものは、村上春樹が『ギャッツビー』を慈しんだように読まれることを望んでいるのだ。そういうことなのだと思う。翻ってブログの世界のコメントやはてなブックマークを見ていると、そうした姿勢とは正反対の、書いた本人は悲しいだろうなと思うような文章に出会うことが少なくない。それはとても残念なことだ。
- 作者: スコットフィッツジェラルド,Francis Scott Fitzgerald,村上春樹
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