自信家ブルックナー

無人島にステレオ装置と電源装置一式と一枚のCDだけ持って行ってよいから何か選べ」と言われたらとても悩んだ末にけっきょくギブアップしそうな気がするが、「どれか一曲交響曲のCDを持っていってよい」ならば話は断然簡単になる。どの演奏を選ぶかは少し迷うかもしれないが、曲はブルックナー交響曲第8番ハ短調で決まりだ。


自作の交響曲10曲を残したブルックナー(1824−1896)が改訂魔だったことは、クラシックファン周知の事実だ。生涯を通じて自作に手を入れることを止めず、そのつけがまわって遺作であり大傑作である第9交響曲を最後の一楽章を残してあちらに逝ってしまったことに歯ぎしるするファンは多い。僕自身、「もし第9番が完成していたら」と夢想する一人ではある。


なぜ、ブルックナーはそれほどまでにいったん作り上げた自作に手を入れたがったのか。解説本で知るその理由には分かったようでもう一つ分からない部分がある。クラシックの解説本を読むと、ブルックナーは彼を支援していた指揮者のヘルマン・レーヴィなど、彼と親しい周囲の権威に作品を見せ意見をされるたびに思い悩んで作品をいじり回したように書かれている。とくに晩年の改訂はその傾向があったようだ。


他の歴史に名を残す音楽家と異なり、オーストリア西部のリンツを中心とした地域で音楽の基礎を身につけたブルックナーには、音楽文化的周縁で育った自身に対する自信の欠如がついてまわったとする見方がかなり一般的だが、門馬直美の『ブルックナー』を読むと、我々が一般解説書で知るそうした気弱なイメージとは少し違うブルックナーを感じることができる。


この人は当時並ぶ者のみつからないほどの驚異的なオルガンの名手であり、ウィーンでその道の権威だったゼヒターに師事した対位法の作曲技術については大きな自信を持っていた。当時、世間がブルックナーとライバル視されていたブラームスについて門馬の本では「なんぼのもんじゃい」と一蹴するようなブルックナーのコメントが紹介されていたりして、おっと驚かされる。ちょっと批判されるとくよくよと思い悩む意志薄弱の芸術家のイメージとはまったく異なるブルックナーの姿が歴史の霧の向こうに垣間見えるような気がする。


僕の想像はこうだ。たしかに周囲の忠告や批判は彼が改訂に精を出すきっかけにはなっただろうが、自分の仕事が程度が低いから改訂しようとしていたのではなく、彼は傑作をよりよいものとしようとしていた。彼は大いなる自信家であり、後世に自分の傑作を残すことにおいて一点の瑕疵も許したくはなかった。これは僕の白日夢のようなもので、正しいかどうかについては自信はまったくない。ただ、おじいちゃんになっても他人の目には明るい田舎者の風情が抜けなかったらしい彼に自信家、仕事の鬼としての内面を想像してみないと、作品の巨大さとその肖像との間に釣り合いが取れないような気がするのである。