横浜逍遙亭

2010/01/21 (木)

がんばること

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昭和30年代半ばに生まれた私が子供の頃は、私たちの親の世代、年長の世代がそうであったように、当然のように競争のなかに投げ込まれ、がんばって上を目指すことをよしとし、そのように生きてきました。それはがんばって、自分の能力を十分に発揮すれば、それによってご褒美があるという世の中だったからでした。端的にそれを示すのが、GDPとともに毎年伸びていく給与という現実でした。

でも、と思います。もしかしたら、と考えたりします。私がずっと無意識に信じていたのとはちがって、国民のがんばりがGDPを伸ばしていたわけではないのではないか。もちろん、それは真実である部分もあるでしょう。でも、ある部分では、その逆が真実であったということもあるのではないか。つまり、GDPの伸びが、給料の伸びが“がんばる私”に正当性を与えていたのではないかという意味です。どうでしょうか。

こんな風に一種の思考実験をしてみると、この時代に「がんばれ」ということの難しさがくっきりと照射されます。前回のエントリーで書いたとおり、私は受験生である自分の息子に向かって「がんばれ〜」などとポストモダンな掛け声をかけるのですが、いったい何のために「がんばれ」というのか。がんばることの正当性、妥当性はどこにあるのか。がんばることで給料が上がったり、物質生活が豊かになるとは限らない。いえ、彼や彼女に明らかに人とは異なる能力や才能がない限りは、がんばたって、そんなに結果は変わらないというのが多くの人々にとって現実です。そんな社会を私たちの子供らは生きています。

じゃ、がんばらなくっていいのか。そう問いかけてみると、思考はもう一回転し、物質主義とは違う、がんばることの意味が見えてくるのではないか。実に難しい時代に我々は生きています。もしかしたら、面白い時代なのかもしれません。

sattssatts 2010/01/21 22:54 中山さん、御無沙汰してまーす。
私の父は、私ら子供に「お前らはかわいそうだ…」と言います。仕事に打ち込んでも成果を与えられる訳ではないし、様々な企画や発案もコスト縮減の下に切り捨てられると…。でも、頑張ることで得られるものは、報酬や生活水準などの物質的なものではなく、人からの信頼と自己の成長なのではないか…と僕も思います。結局は自己満足なんですけどね(笑。

taknakayamataknakayama 2010/01/21 23:08 辻さん、こちらこそご無沙汰しています。
「自己満足」、いいですねえ。自分に対して心底満足できれば、他人が何を言おうが関係ないですよね。^^ どのように自分自身の満足を追求できるか。簡単ではないですよね。

babayuheibabayuhei 2010/01/22 03:09 (続きまして)ご無沙汰しています。ようやくネットに復帰しました。受験期でしばらく落ち着かないのですが、また以前のようにお会いしてお話しできればいいなぁと思っています。

僕は昔のことは分かりませんが、GDPの伸びというのは具体的に言えば、冷蔵庫だったり、洗濯機だったり、テレビだったり、エアコンだったりに現れるのでしょうか。そうした意味では、分かりやすくていい時代だなと羨ましくなります(それはそれで苦労はあったのだと思いますが・・・)。

今のようにがんばることの正当性がない時代には、人のモチベーションは上がりにくいのだと思います。道塾がやっていることは、若者に対してがんばることの意味を自らの生き方でもって示し、正当性の根拠を与えることだと思っています。がんばる対象は受験に限らなくてもいいと思うのですが、この時代において受験は多くの若者がぶつかる壁であり、それをうまく乗り越えることができれば(必ずしも第一志望に合格という意味ではなく)、その先の人生においても活かせる貴重な学びの場になると考えています。もうすこし拡大して言えば、孤独でありながら同時に親や友人の「支え」を感じてがんばる受験は、人生の縮図であるとも思います。

僕が若い子たちに馬鹿のひとつ覚えのように言っているのは、自分が大切だと思う時にがんばれれば、その後もがんばれるということです。そして、僕は身を懸けた「がんばる」という行為の中に、単純だけれども生きる本質があると思います。がんばることがなければ、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、その多くは失われてしまうのではないでしょうか。人生は結果ではなく、湧き上がってくる感情を味わう「過程」がすべてだと僕は考えています。だから人生を深く味わうためのキーワードは、その対象は何であれ、がんばることではないかと思っています。

そうした意味では、ごく個人的な考えですが、せっかくこの世に生を受けたのであれば、その限られた時間の中でできる限りたくさんのことを味わうためにがんばる意味はある、と僕は考えています。

現状では、多くの若者は「がんばり方」を知らないまま成長してしまいます。それは「がんばる方法」という意味でも、中山さんのおっしゃる「がんばる正当性」という意味でもそうだと思います。

もう一年以上前になりますが(懐かしいですね!)、あの頃「SMAP構想(Speak,Make,Attack,Pink!)」をお話ししたように、今もってそうした20代が増えることで、がんばることが正当化され、もう少しわくわくできる時代になるのではないのかなという想いは変わりません。

今は他者との競争のためにがんばる時代ではなく、己の人生を味わうためにがんばる時代なのだと思います。辻さん(ご無沙汰しています!)がおっしゃる通り「自己満足」だと思います。それが結果として他者の人生に役立つことになればと願うのが、凡人である僕にできる最大限のことだと考えています。

ふと思い出したので引用しますが、敬愛するスピノザは自己満足についてこのように語っていました。「まことに自己満足は我々の望みうる最高のものである」(スピノザ『エチカ(下)』p64 岩波文庫)。

豊かになって価値が多様化し、ありふれたモノのためには誰もがんばれなくなった時代だからこそ、たとえそれが自己満足であれ、がんばる正当性を様々な形で創造し、循環させていく必要性がある。そう信じて日々精進していきたいと思います。

(陰ながら、息子さんの合格をお祈りしています・・・!)

taknakayamataknakayama 2010/01/22 07:31 馬場さんのコメントに勇気が湧いてきた。素晴らしいメッセージをありがとう! 道塾で勉強している皆さん、教えている皆さんにがんばりの大いなる恵みがあるますよう。
やはり、こうした互いの思いの交換はブログの醍醐味です。

gintacatgintacat 2010/01/23 19:32 中山さん、辻さん、ご無沙汰してます。
そうか、馬場くんと中山さんはお知り合いだったのですね。馬場くん、また町家で会いましょう ;-)
さて、
今はまさに「物質主義とは違う、がんばることの意味」が大切な時代なのだと思います。むしと若い人のほうが、それに気付いている人が多いように、いつも学生たちと接していて、思います。
僕も、自分にとっての「物質主義とは違う、がんばることの意味」を考え続けていきたいと思います。

taknakayamataknakayama 2010/01/24 10:08 中西さん、こちらこそご無沙汰しています。「むしろ若い人のほうが、それに気付いている人が多いように、いつも学生たちと接していて、思います」というお言葉は、生きる上でのエールのように響きました。そうしたメッセージを交換しながら生きることは(のべつまくなしにそうする必要はありませんが)重要だとあらあめて感じます。馬場さんは(彼の持ち前の行動力ゆえにということですが)大切な、ブログの仲間の一人です。