スダーン指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第8番

東京交響楽団は、かつて、そのむかしに一度だけ、おそらく秋山和慶の指揮でだったと思うが聴いたことがあり、しかし、聴いたことがありと書く以上の話題も思い当たらないほどに記憶に残らない音楽体験だったらしく、何を聴いて、どのような演奏だったのかまるで覚えてない。最近は、「記憶にございません」状態はますますひどく、したがって、30年近く前の視聴体験を覚えていないのは不思議でもなんでもないのだが、こと演奏家や団体に対しては、いったん感銘を受けたらとことん聴かないと気が済まないといった視聴をしていた頃のことだから、演奏にサムシングを感じなかったであろうことは間違いない。
その東京交響楽団を聴いたのは、音楽仲間のYさんにお誘いを受けたからというだけが理由で、僕を誘ってくれたYさんも特別の何かを期待していた訳ではなかっただろうと思う。Yさんは、ブルックナーなら僕が誘いに乗るのを計算しただろうし、たまには普段聴かないオケを俎上にのせて酒を呑むのも悪くはないという程度の関心はあったとしても、おそらくその程度のことだ。だから、11月27日の土曜日にサントリーホールで聴いたブルックナーの8番には、終演後、二人で顔を見合わせ心の底からの驚きを交換しあい、これまでまったくケアしていなかった楽団の力に笑顔で平身低頭となるしかなかった。

僕の素養では何がどうよかったのかをうまく語る自信はない。ともかくも、それは実にブルックナーらしいブルックナー。よい意味で中庸の、文句のないテンポ。プレイヤーの表現意図と質とは高い水準で統一されており、力強さと巧みさをあわせもっていた。日本のオケはいつからかブルックナーの演奏に慣れ、とくに8番においてはレパートリーのひとつとして優れた演奏をするようになっているということは、もしかしたら一般的に言えるのかもしれない。しかし、この夜の演奏は、途中から楽団のあれこれに注意を向けることを忘れさせる出来で、安心してこの曲の世界に没入する時間を与えてもらった。ブルックナーに関しては、残念ながら、そうではない演奏、そうではない楽団の方が多いことを考えると、この演奏は個人的な演奏体験史の中のひとつの事件だったような気がする。

ブログを書くことで何かを伝えたいことがあるとすれば、今日のメッセージは、このブログに来て頂いている音楽好きの方の中に東京交響楽団とスダーンの演奏を体験していない方がいたら、一度行ってみられては如何でしょう、ということになる。僕は日本のオケでここまで満足したのはいつのことと言いたくなるほどに満足したので、Yさんに頼んで同じ楽団がクラウス・ペーター・フロールという指揮者と来年2月にやるブルックナー交響曲第5番のチケットを購入してしまった。「よかった」「満足した」というブログの表現に善意の嘘や、同じ「満足」でも程度の差がまじる余地はあるかもしれないが、僕のように日本のオケを聴くのは年にせいぜい3度という者が、次のチケットを速攻で購入しましたという情報は、己の表現力の貧困を補って余りあるのではないかと思ったり。あらためて僕のような素人が音楽を語ることの難しさを考えたりもさせられる。