ネットと文明 弟9部 善意と実利 2 - 究極の分業化

日経連載中の「ネットと文明」第9部の2回目(2/17)。

今回は、現在行方不明中のJim Grayの捜索の話にて利用されたメカニカルターク(Mehanical Turk)の紹介。

メカニカルターク(Mターク)は記事では次のように解説される。

 大捜索劇の舞台となったMタークは本来、テープ起こしや写真の内容判別など、コンピューターが苦手とする作業を登録者に紹介するサイトだ。「ソフトの働きの中に大量の人力作業の結果を取り込める仕組み」が捜索活動を支えた。
 「ネットにつながる大勢の人の脳を一つのコンピューターのように使う作業の進め方は、新しいフォードシステムといえる」
 国際大学グローバルコミュニケーションセンター主任研究員の鈴木健(31)はこう表現する。作業を細分化して仕上げるスタイルは、ベルトコンベヤーの分業で自動車を組み立てる作業になぞらえるからだ。

つまり、コンピュータシステムの一部として人間の力を組み込む。実はこれはバイニックソフトウェアと呼ばれる考えだ。Tim O'Reillyも昨年使っており、O'Reilly主催のEtech2006でも取り上げられたようである。ちなみに、簡単なTim O'Reillyによるバイオニックソフトウェアの説明の日本語訳もウェブ上で見ることができる。

記事では、実際のフォードシステムは作業者に破格の高い賃金を払ったが、メカニカルタークでは低賃金の仕事が主であり、労働の細分化が進みすぎることに不安はないのかと警鐘を鳴らす。

 「ネット+善意」で、個々の仕事や活動は究極の効率化を目指せる。だが、それは社会全体を豊かにするのか。「労働」、「ボランティア」という概念まで崩れはしないのか−。

最初にバイオニックソフトウェアという概念を聞いたときは、Wisdom of Crowdsによる情報の自然淘汰の成功とあいまって、コンピュータ処理で実現できないものをソーシャルな活動で埋め合わせることで、より完成度の高いネットワークシステムとなるのではないかと考えた。だが、善意だけでは解決できず、そこにビジネスが絡んでくるときには、この記事が指摘するような課題が顕在化するだろう。特に、メカニカルタークはマーケットプレースだ。ボーダレスのネット社会では、下手すると労働力を安価な地域に求めることにもなりかねない。ビジネスとしては、現在のオフショア開発と同じような考えであり問題ないのかもしれないが、ネットの新しいシステムのあり方として考える場合には、今までの「善意」で支えてきた概念との衝突は免れないかもしれない。

参考情報: