【スノードロップ】
第24回 立命館大公開講座「日本文化の奔流」
「歌を詠むことと読むこと」歌人 河野裕子さん
- 50年間、短歌を詠んできましたが、短歌という詩型の奥行きと深さが少しは分かりかけてきたような気がします。5,7,5,7,7というたった31文字の世界ですが、鋭く深く人のこころに入ってくるのはなぜなんでしょうね。
- 千数百年もの歴史を持つ詩型は世界でも類例を見ないと思います。どの新聞にも短歌や俳句の欄があって、誰でも投稿できますが、このような国民が皆詩人になれるということも、やはり世界中見渡しても無いのではないでしょうか。
- 短歌は作ることもだいじですが、先ず読めること。これがなかなかできないのですね。
- 馬鈴薯のあのうす紫の花に降っていた故郷の渋民村に降っていた雨を思い出すよ。都に降る雨を見ていると。そんな意味の歌なんですが。短歌は短いから、ことばを経済的に使ったり、省略したり、飛躍させたりして思いを伝えなければならないので、読みなれないと意味さえ分からないことがとても多いのです。
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり 河野裕子
- 近江は真夏でも、どこかしーんと暗くて静かだった。ああ、それは近江という風土が、たっぷりとした真水を、琵琶湖を抱いていたからなんだと気がつきました。そんな近江の地を「昏き器」と表現してみたのです。
(2010-02-26 読売新聞>関西発)