啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2011-10-31

[] 愁ひある少年の目に 啄木かるた:全国中学校総合文化祭

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[ハナゾノツクバネウツギ]


全国中学校文化連盟

第11回全国中学校総合文化祭 岩手大会

  イーハトーウ゛の大地に集う若き文化の継承者たち

   〜 つなげ未来へ友情の絆 〜

  • 啄木かるた

郷土の詩人、石川啄木に想いをはせて、盛岡市内の中学校美術部員と岩手地区の中学生が啄木の業績を絵と書で表現したかるた作品。

当時の郷土を色濃く再現していると思われる一作品を紹介。

2011-10-29

[][] 『スペース』石川啄木はほとんど無視されていますね

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[ユズリハ]


《作品に登場する啄木》

  『スペース』

   加納朋子 東京創元社


(P.85)

色々なところを見学していて思ったのですが、岩手では宮澤賢治がこれだけ大切にされているのに引き替え、石川啄木はほとんど無視されていますね。もちろん、歌碑くらいはあるんでしょうけど(見学コースには入っていなかったの)。ガイドさんのお話によると、実際、岩手県では啄木はあまり人気がないんだそうです。考えてみれば無理もないけどね。片や農民と共に苦しみ、その一生を農民に捧げた人と、「石をもて追わるるごとく」飛び出しちゃった人と。私はタイプ的には啄木だから、何だか同情してしまいました。

2011-10-28

[] 国際啄木学会 盛岡大会 11/5~6

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[フウセンカズラ]


11月 5 、6 日に盛岡大で大会 国際啄木学会

国際啄木学会(会長・望月善次盛岡大学長)の 2011 年度盛岡大会は 11 月 5 、6 の両日、滝沢村の盛岡大短期大学部で「新しき明日、新しき啄木」をテーマに開かれる。研究発表やパネルディスカッションなどを通して、震災後の生き方を視野に入れながら「啄木研究の明日」を考える。

  • 会員以外の一般参加も可能。無料。
  • 問い合わせ 国際啄木学会事務局長 森義真さん( 019 - 641 - 2462 )へ。

(2011-10-28 岩手日報


2011-10-27

[] 〜啄木・尾崎 空を求めた天才詩人〜

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[カキ]


岩手朝日テレビ開局 15 周年記念特別番組

「十五歳の原点 〜啄木・尾崎 空を求めた天才詩人〜

◎ 放送日 2011年10月25日(火)

(すでに終了。岩手朝日テレビの受信できる地域のみ)


◎ 番組内容

  • 1992年4月25日、26歳で亡くなった歌手・尾崎豊。尾崎と同じ26歳、道半ばにしてこの世を去った、一人の天才アーチストがいます。今年、没後 100 年を迎えた歌人・石川啄木。10 代から中央の文芸誌に作品を発表し、強烈なメッセージを発信し続けた歌人です。
  • ともに、大人と子どもの間で揺れる 15 歳を歌った2人。実は尾崎豊の手帳には、石川啄木の歌が書かれていたそうです。明治と昭和という時代の転換点でもがき続けながらも、自らのメッセージを「歌」にし続けた啄木と尾崎には、「学校中退」「 26 歳で亡くなる」など、奇妙な共通点も多いのです。

2011-10-25

[] 石川啄木 著(P.88〜89)城址の

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[マメガキ]


煙 一


(P.88)


   城址の

   石に腰掛け

   禁制の木の実をひとり味ひしこと


   その後に我を捨てし友も

   あの頃はともに書読み

   ともに遊びき


<ルビ>城址=しろあと。木の実=このみ。味ひ=あぢはひ。後=のち。書=ふみ。


(P.89)


   学校の図書庫の裏の秋の草

   黄なる花咲きし

   今も名知らず


   花散れば

   先づ人さきに白の服着て家出づる

   我にてありしか



<ルビ>図書庫=としよぐら。先づ=まづ。出づる=いづる。



《つぶやき》

「学校の図書庫の裏の秋の草」の歌。

「黄なる花」の名は何だろうとずっと気になっていた。探してみたら、「石川啄木必携」(注)の啄木歌集全歌評釈に、【「黄なる花」は「きれんげ」「こがねばな」と呼ばれる「都草」のことであろう。】と書いてあった。ネットで検索したところ、驚いたことに三つとも全然別の花がヒットした。

「きれんげ」は、キレンゲショウマの略らしく、花は下向きに咲いた蓮のようである。またレンゲツツジのこともキレンゲというらしい。とても華やかな雰囲気の花だ。

「こがねばな」は、シソ科のタツナミソウ属で花の色は濃い紫。

「都草」(みやこぐさ)は、マメ科でエンドウの花に似た爽やかな黄色である。

三つを見比べてみて、わたしの個人的な希望(?)では、「都草」がいいなと思った。


 (注)「別冊国文学No.11 石川啄木必携」岩城幸徳・編 學燈社 1981年11月

2011-10-24

[] 啄木、釧路で奔放な76日間

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[ススキ]


酒と女と借金と 啄木、釧路76日間

  • 駅は、出会いと別れ、喜びや悲しみが行き交う場所でもある。1901(明治34)年開業以来、多くの人が北海道の釧路駅を行き交った。来年没後100年を迎える歌人石川啄木も、そのひとりだった。
  • 1908年(明治41)1月21日夜。啄木は、今の場所から南西に数百メートルほどの場所にあった旧釧路駅のプラットホームに立った。明かりも少なく雪が舞う中、歩いて宿に向かう。

  さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき

 のちに啄木は歌集「一握の砂」で、釧路駅に着いたときの心象を、こう詠んでいる。

  • 滞在日数は、わずか76日。ただ、釧路啄木会の北畠立朴会長は「仕事に恋にと、啄木にとって釧路時代は充実した時であったはずです」と説明する。
  • 「さいはての駅」の街は、水産の街として勢いづき、釧路駅は道東の玄関口として表情を変えた。釧路は道東の要になると、紙面などで主張していた啄木。北畠会長は言う。「釧路駅の人混みをみたら、啄木は『俺の言った通りだろう』と言うでしょうね」(横山蔵利)

(2011-10-23 朝日新聞)

2011-10-22

[] 石川啄木 著(P.86〜87)晴れし空仰げばいつも

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[晴れし空仰げば]


煙 一


(P.86)


   晴れし空仰げばいつも

   口笛を吹きたくなりて

   吹きてあそびき


   夜寝ても口笛吹きぬ

   口笛は

   十五の我の歌にしありけり



(P.87)


   よく叱る師ありき

   髯の似たるより山羊と名づけて

   口真似もしき


   われと共に

   小鳥に石を投げて遊ぶ

   後備大尉の子もありしかな


<ルビ>後備大尉=こうびたいゐ。


《つぶやき》

「晴れし空仰げばいつも」と「夜寝ても口笛吹きぬ」の歌。

1969年の第1作「男はつらいよ」の中で、マドンナの光本幸子が「口笛は/幼き頃の我が友よ/吹きたくなれば吹きて遊びき」と、ほろ酔いでつぶやく。脚本家や監督に聞かないとはっきりはしないが、啄木の歌が頭のなかにあったのではないだろうか。

2011-10-21

[] しんとして幅廣き街の 秋の夜の… 石川啄木

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[ウメモドキ]


札幌・大通公園のとうきびワゴン危機 売り上げ低迷で

  • 札幌・大通公園の名物、トウモロコシ売りの「とうきびワゴン」が存続の危機になっている。売り上げが最盛期の7分の1に減ったためだ。来年の営業についてはワゴンを運営する札幌観光協会が検討する。
  • ワゴンの人気は焼きとうきび。しょうゆ味ベースのタレが焦げる香りに誘われ、観光客や買い物客が買い求める。
  • 「 しんとして幅廣(ひろ)き街の 秋の夜の 玉蜀黍(トウモロコシ)の焼くるにほひよ 」

  1907(明治40)年、歌人の石川啄木はこう詠んだ。

  • 大通公園のとうきび売りは明治時代後半に始まったとされる。
  • 担当者は「名物でも経営が成り立たないとダメ。今年の売り上げを検討し、来年春までに存廃を含めて経営をどうするか計画を練りたい」と話す。(古賀大己)

2011-10-20

[] 啄木碑来年1月に 釧路

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[ツリフネソウ]


来年1月に啄木碑建立

  啄木の第1日目宿泊記念

  • 来年1月21日に釧路市内では27基目となる啄木碑が建立される。啄木の釧路第1日目(明治41.1.21)の足跡を記念し、宿泊した浦見5丁目2番の地に建てるもので、碑文はその日の日記文。
  • 碑は高さ1.6mの6角形。ブロンズをはめ込んだ鋳物作り。

(2011-10-19 釧路新聞)

2011-10-19

[] 復刊「時代閉塞の現状/食うべき詩」石川啄木

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[オオカナダモ]


石川啄木大逆事件

  • 石川啄木の主要な評論を収めた「時代閉塞の現状/食うべき詩」が復刊された。
  • 詩歌や文学、時代や思想を論じた12編を収録。このうち「時代閉塞の現状」「所謂(いわゆる)今度の事」「暗い穴の中へ」「A LETTER FROM PRISON」の4編は、大逆事件のあとでつづられ、啄木の生前には発表されなかったものだ。

(2011-10-19 高知新聞)

 

2011-10-18

[][] 「泣き虫なまいき石川啄木」 苦悩の二重唱

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[カシ]


シス・カンパニー「泣き虫なまいき石川啄木」 作者井上ひさしとの苦悩の二重唱


  • SMAPの稲垣吾郎が主演するのが話題だが、それはさて、作者の井上ひさしが作品にことよせた深い祈りがなにより見どころとなる舞台だ。平田満が主演した1986年の初演は今思いかえしても重苦しいものだった。常のような挿入歌も音楽もなく、沈みこむ極貧の石川啄木の苦悩ばかりが大写しになる。数ある評伝劇のなかでも、これほど沈鬱な作は珍しいが、それもそのはず、これは作者の実人生の苦悩を濃厚に映す作だからだ。私小説ならぬ私戯曲なのである。
  • 井上ひさしは1983年、自作を上演する拠点として「こまつ座」という集団を旗揚げした。座長として切り盛りしたのは当時の夫人で、持ち前の活力で引っ張っていた。
  • だが「泣き虫なまいき石川啄木」を執筆したころ、彼女はこまつ座の舞台監督のもとへ走った。衝撃を受けた井上ひさしは睡眠薬を飲んで自殺未遂まで起こした。さっぱり原稿は書けないが、初日は迫る。恐ろしい修羅の日々の中で書いたのである。
  • 稲垣吾郎は端正なセリフを聴かせて健闘する。きまじめさを自然ににじませられるのは、恵まれた資質で、今回もよい経験になっただろう。
  • 井上ひさしの評伝劇は資料につぶさにあたり、その空白に作家的想像力を注ぎこむ。同じ啄木の芝居でも、先に上演された三谷幸喜の「ろくでなし啄木」とそこが違う。(編集委員 内田洋一)

 10月30日まで、東京・紀伊国屋サザンシアター。

(2011-10-18 日本経済新聞

2011-10-17

[] 啄木に憧れて同じ道を選んだ?

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[ミゾソバ]


<北の文人 立ち話 高山美香>

啄木との忘れ得ぬ一夜 寺島柾史

  • 根室が生んだ小説家、寺島柾史(政司)は、歴史から童話、科学まで幅広い作品を書いたすごい作家です。
  • 大工だった父の仕事を継ぐはずが、花咲小学校の文学青年教師の影響を受け文学に傾倒。13歳から詩作に励み、文学雑誌に詩と小説を投稿し北原白秋田山花袋に絶賛されました。
  • 寺島少年は石川啄木の大ファンでした。文芸誌「明星」に耽溺し、ファンレターを啄木に出して返事をもらったことも。啄木が釧路新聞の記者をしていると知り「一目でよいから」と14歳の時に啄木を訪ねました。啄木は芸者遊びにふけっていて第一印象は最悪でしたが、深夜に啄木の下宿で語りあった時の姿は憧れの人そのものだったそうです。
  • 寺島柾史が新聞記者になり作家の道を選んだ背景には、啄木への憧れがあったのではと思ってしまいます。寺島少年にとって釧路での一夜は忘れられぬ強烈なものになったのは間違いないでしょう。

 ◇寺島柾史(1893-1952)。代表作「鹿鳴館時代」「湖畔の随想」「孤島病」。

(2011-10-14 朝日新聞>マイタウン>北海道)

2011-10-15

[] 「啄木と旭川展」東京旭川会

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[ヤマラッキョウとハチ]


「啄木と旭川展」のミニパネル展

東京旭川会総会懇親会において「啄木と旭川展」のミニパネル展開催

  • 2011年10月22日(土)
  • 場所:ハイアット・リージェンシー東京 B1「クリスタルルーム」
  • 時間:18:00〜
  • 懇親会会費:10,000円

(東京旭川会=東京近郊に居住している旭川出身者及び旭川に縁のある方々の親睦団体)

 

◎「旭川に石川啄木の歌碑を建てる会」のページに啄木像のレプリカ

写真のページ

2011-10-14

[] <東北の空に 天使はうずくまる> 石川啄木賞受賞

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[ナギナタコウジュ]


10月14日【産経抄】

〈東北の空に 天使はうずくまる 「翼があっても奇跡は起きない」〉。盛岡市で今夏行われた「短歌甲子園」で、石川啄木賞を受賞した宮城県気仙沼高校3年生の作品だ。将来の展望を見いだせないまま空を仰ぐ被災者の姿が目に浮かぶ。なんと悲しい響きだろう。

(2011-10-14 産経新聞)

 

[] 泣き虫なまいき石川啄木段田安則井上ひさしの評伝劇 啄木らを「自分の形」で

  • 石川啄木の晩年を描いた井上ひさしの評伝劇「泣き虫なまいき石川啄木」で、演出と出演を兼ねる段田安則。「自分の思い描くものが形になっていく楽しさがある」とその醍醐味を語る。
  • 文学で名を成そうと上京した啄木が妻子と母親を呼び寄せる。新聞社の校正係として働く啄木の家庭は困窮を極め、いさかいが絶えない妻と母親の板挟みに悩む。「家族のことを大好きなんだけど、同時に『いなきゃいいのに』と思ってしまう感覚は平和な今の時代の家庭にも大なり小なりあるのでは」と指摘する。

(2011-10-13 毎日新聞>東京夕刊)

 

[] 2度目の演出 プレッシャーあり 舞台「泣き虫なまいき石川啄木」 段田安則さんインタビュー

  • 温厚な役柄から冷徹な悪役まで幅広い演技に定評のある俳優の段田安則が、井上ひさし作の「泣き虫なまいき石川啄木」で2度目の舞台演出を手がけている。
  • 主人公は不遇のまま早世した歌人、石川啄木稲垣吾郎)。本名の一(はじめ)で物語は進行する。一から「日記を焼き捨てろ」と遺言を託された妻の節子(貫地谷しほり)が、その日記を読み始める。赤貧や病魔、家族との確執に苦悩する一の本音が刻まれながらも、母のカツ(渡辺えり)、妹の光子(西尾まり)、親友の金田一京助鈴木浩介)、そして父の一禎(いってい、段田)との最後の3年間がユーモアを交えて描かれる。
  • 妻の浮気疑惑や嫁姑問題などが赤裸々につづられている。「井上さんの実生活が色濃く反映され、ちゃんと作品に昇華された啄木ができあがっているのは、さすがにものを描く人の力だなと思います」と称える。

(2011-10-12 産経ニュース)

2011-10-13

[] 啄木の交友録(24-29)「街もりおか」

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[「啄木の交友録」コピーと10月号表紙]


月刊誌「街もりおか」

啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏

  2011年5月号(No.521)〜10月号(No.526)

24. 原 抱琴(2011年5月)

抱琴(本名・達)は、当時第一次西園寺内閣の内務大臣を務めていた原敬の甥にあたる。中学5年生の時に、正岡子規の門下に入る。この頃、盛岡に来て後輩を指導して杜陵吟社を結成させた。啄木も杜陵吟社の同人だったが、啄木の俳句作品は生涯で10句しか残されていない。これは啄木をめぐる謎の一つである。明治35年10月23日、「杜陵吟社」原抱琴送別記念として撮影された総勢16名の写真の中央に、啄木は抱琴の隣に写っている。

25. 田村 叶(2011年6月)

盛岡中学入学時における啄木の保証人は、母方の親戚である米内謙次郎だったが、5年生の明治35年4月に、啄木の姉サダの夫である田村叶へ変更された。啄木が同居を始めた頃の田村家には、啄木より6歳年下の長女を筆頭に5人の子どもがいた。啄木を加え一家8人の生活は、経済的に極めて苦しかったことが容易に想像される。そうした中にありながらも啄木は、盛中での自由奔放な青春時代を謳歌していたことになる。

26. 小澤 恒一(2011年7月)

啄木と恒一は、盛岡中学での同級生で、3年から4年生にかけてユニオン会(ユニオンリーダー輪読)の仲間として親しく交流した。明治38年8月に恒一が啄木に宛てた絶交状の最後の一節は、「さらば友よ、今後は永久に汝の敵也」であったという。啄木はこの時、「小生の方より貴下に対して永久に絶交せんと決心致し居るものに候」と心に誓ったと記している。後年、恒一は早大教授となった。「学生からよく啄木のことについて話させられる」「何故にこうまで啄木が青年に好かれるのであろうか」とエッセイに綴っている。

27. 福士 神川(2011年8月)

啄木の作品が初めて岩手日報(以下日報)に掲載されたのは、明治34年の短歌6首だった。この時、啄木は満15歳にすぎなかった。これを含めて日報に載った盛岡中学時代の啄木の作品は短歌が合計7回全25首。評論が5篇全11回ある。すなわち、啄木文学の出発点として日報は、極めて重要な作品発表の場だった。啄木と日報との深い繋がりを考えると、盛中生の啄木作品掲載を認めた当時の日報主筆であった福士神川の存在の大きさに思い至る。

28. 板垣 玉代(2011年9月)

玉代は、盛岡高等小学校から盛岡女学校を通じて、啄木の妻となった堀合節子と同級生であり親友であった。新山小路付近に住む中学生や女学生が集まり、カルタやハイキングをして遊ぶ「新山グループ」があり、啄木や節子、玉代もその一員であった。「茨島の並木の街道を/われと行きし少女/才をたのみき」『一握の砂』。歌のモデルは玉代。啄木は後に、結句を「やすく暮せり」と変えた。財産家の小林家に嫁いだ玉代の暮らしを知る機会があったものと思われる。

29. 金子 定一(2011年10月)

定一は啄木の年上だが盛岡中学では2級下の後輩。校友会雑誌の委員を務めた際に啄木と知り合った。定一は「家事情の都合」により盛中を中退し、上京して神田の日本力行会(神田基督協会の附属事業として苦学生救済活動を繰り広げる団体)の寮で苦学しながら働いていた。啄木もその3カ月後に盛中を中退して文学で身を立てようと上京したが、病などで志を果たせず、定一を頼った。後に定一は、衆議院議員にも選出された。


   タウン誌「街もりおか」に連載中

2011-10-11

[][] 『うちにはムーちゃんが…』東海の小島の磯の白砂に

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[うちにはムーちゃんがいる]


《作品に登場する啄木》

  『うちにはムーちゃんがいる』

   照丘真弓 メディアファクトリー

    (コミックエッセイ)


(P.116)


ムーちゃんと岩手旅行に行ったのですが

時間がなくて石川啄木記念館に行けず


帰ってからなんとなく

石川啄木の歌集を買ってみた


私は小さい頃から

ものごとを心ゆくまで楽しめない

という癖があり


よく悶々と思い悩んでは母の枕元に行き

「楽しいコト考えなさ〜い」ほーら大丈夫

なんて言われていたけど


どうもうまくできない

迫り来る現実

形には残らない思い出

曖昧な未来


大勢の人たちとちっぽけな自分…


東海の小島の磯の白砂に

われ泣きぬれて

蟹とたはむる


「・・・」

くっ

2011-10-09

[][] だらしない啄木に光「泣き虫なまいき石川啄木」10/7-10/30

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[サワフタギ]


井上ひさし作「泣き虫なまいき石川啄木」を段田安則が演出

  • 「泣き虫なまいき石川啄木」(シス・カンパニー企画・制作)は、啄木が早世するまでの3年間を描いた評伝劇。「薄幸の歌人」というイメージとはひと味違った石川一(啄木の本名)の人間臭さにスポットを当てる。段田安則が演出・出演する。
  • 上京した一(稲垣吾郎)は、故郷から母(渡辺えり)、妻(貫地谷しほり)と子を呼び寄せるが、新聞社の校正係の仕事もさぼりがちで極貧にあえいでいる。親切にしてくれる親友・金田一(鈴木浩介)にも甘えっぱなし。そこへ、甲斐性のない父親(段田)までが転がり込んでくる。
  • 段田は「貧困生活の中で家族に振り回されながら、世間にも認められず、必死にもがいている姿に、正攻法でぶつかっていこうと思う」と語る。
  • 啄木は、ウソつきでだらしなく、一方で鼻持ちならないくらいの自惚れ屋として描かれているが、「理想と現実が一致しないのは、若い頃には誰にでもあること。家族の問題もいつの時代にもあり、今に通じる箇所がいっぱい見いだせる」と話す。

・前売り完売、当日券あり。

 

2011-10-07

[] 啄木学会 盛岡大会 バス時刻のお知らせ 11/5~11/6

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[マルバフジバカマ]


バス時刻のお知らせ

  国際啄木学会2011年度 盛岡大会

       *一般の方の参加歓迎*

会場 盛岡大学短期大学部

   岩手県岩手郡滝沢村字砂込808


◎11月5日(土)

岩手県北バス 盛岡駅東口 2番乗り場 沼宮内営業所 行き

往路

  • 役員 盛岡駅東口 11:17発 --- 盛岡大学前 11:45着
  • 一般 盛岡駅東口 12:17発 --- 盛岡大学前 12:46着
  • 予備 盛岡駅東口 13:17発 --- 盛岡大学前 13:45着

   -拡大理事会12:00〜              

   -開会挨拶 13:15〜


   -閉会挨拶 16:30〜

復路

   盛岡大学前 17:07発 --- 盛岡駅東口 17:35着


◎11月6日(日)

岩手県北バス 盛岡駅東口2番乗り場

盛岡駅東口 09:12発 --- 盛岡大学前 09:41着

   -盛岡大会記念短歌大会表彰式 10:00〜

   -国際ミニ講演<II> 10:30〜


   -閉会挨拶 15:00〜

実地研究

岩手県北バス

   盛岡大学前 15:45発 --- 石川啄木記念館前 15:53着

   石川啄木記念館前 16:59発 --- 盛岡駅東口 17:36着


直帰

   盛岡大学前 15:42発 --- 盛岡駅東口 16:11着

(バスは遅れが出る場合もあり)

2011-10-06

[] 「泣き虫なまいき石川啄木」節子を演じる貫地谷しほりさん

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[アザミ]


 <ひと インタビュー>

貫地谷しほりさん

井上ひさしさん作の舞台「泣き虫なまいき石川啄木」に挑戦する貫地谷しほりさんにインタビュー。逆境の中、女の意地を貫く啄木の妻・節子を演じる。


  • 啄木について感じたことは

「ろくでなし啄木」のほうは、啄木が周りを翻弄していますが、今回の「泣き虫なまいき石川啄木」は才能がないと悩んだり、妻に家出されて自殺を考えたり、やっかいな家族に翻弄されたりと結構情けない感じ。どちらも本当の啄木だと思うのですが……。

    • 自身が演じる妻・節子さんについては

一途で強くて度量の大きな女性です。おそらく啄木の浮気も知っていたはず。それでもなお夫の才能を信じて支え続けたわけですから。啄木にとっては妻であり、母のような存在だったのではないかと思いました。

    • 今回、啄木を演じるのは稲垣吾郎さんです

吾郎さんは吾郎色(笑)を醸し出していて、それが妙に啄木のイメージと合っていて、啄木ってきっとこんな感じなんだろうなと思わせてくれます。単に夭折の天才としてではなく、一人の生身の人間としての啄木を吾郎さんを通して感じ取ってもらえるはずです。(取材・文/井上理江)

(2011-10-05 朝日新聞>DO楽)

2011-10-05

[] You Tube 啄木の妻「節子星霜」

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[ヤマボウシ]


「啄木の妻 節子星霜」作家・演出家 山本卓氏からのメッセージ

You Tube(約8分 おすすめ)

概要

  • 啄木の本当の姿はまだまだ知られていない。
  • 啄木は始めのころは青春の感傷を歌にしていた。その後、大きな人間的成長を遂げる。それには節子の役割が大きい。日々の生活、子育て、家族を守るなどは節子が大きく支えていて、啄木は文学に目を向けるだけで生活をかえりみなかった。
  • 節子は啄木を理解し努力したが耐えられなくなり家出する。節子の家出を通じて啄木は生活人として生きてこなかったと初めて反省し、まじめに働き出す。家族を養うことで、働く人たちの生活にしみじみ感動し「はたらけど はたらけど猶」の歌がつくられる。

劇団 "波" 京都公演

  啄木の妻「節子星霜」

  • 2011年11月12日(土)18:30〜(開場 18:00)
  • 2011年11月13日(日)14:00〜(開場 13:30)
  • 会場 アトリエ劇研 京都市左京区下鴨塚本町1
  • 原作 山本 卓

2011-10-04

[] 今、手にとりたい歌集『一握の砂』CREA

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[ニラ]


雑誌: CREA 2011年9月号 文藝春秋

「大人のための読書入門」


○ 昭和の大作家の表名作&裏名作 (セレクト:湯川豊関川夏央

  • 『泣き虫なまいき石川啄木井上ひさし(裏名作)
    • 貧困、扶養義務、妻の浮気。啄木の早い晩年を、ユーモラスに描いた悲劇。「作家の私生活上の危機と重なった」

○ 本で旅する東北

  • 『一握の砂』・『悲しき玩具』石川啄木(新潮文庫)
    • 「ふるさとの訛りなつかし…」と上野駅で呟いた啄木の生まれは岩手県盛岡。平易な言葉と等身大の目線で詠まれた短歌はツイッターのよう。そのノスタルジックなセンスは現代人のナイーブさにも通じる。

○ 心震わせる詩の世界 (北村薫:編集)

「今、手にとりたい詩集・歌集10冊」

  • 『一握の砂』石川啄木朝日文庫
    • 復刻本ではないが、啄木が出した初版と同じ歌の配列でデザインされた、ひじょうに珍しい文庫本。歌の並び方まで、啄木が工夫していたことがわかると思う。この本のおもしろさは、誤植まで生かしているところ。難解な言葉には注釈もついているので、とても読みやすい。

2011-10-03

[] 石川啄木 著(P.84〜85)師も友も知らで責めにき

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[キンミズヒキ]


煙 一


(P.84)


   師も友も知らで責めにき

   謎に似る

   わが学業のおこたりの因


   教室の窓より遁げて

   ただ一人

   かの城址に寝に行きしかな


<ルビ>因=もと。遁げ=にげ。城址=しろあと。


(P.85)


   不来方のお城の草に寝ころびて

   空に吸はれし

   十五の心


   かなしみといはばいふべき

   物の味

   我の嘗めしはあまりに早かり


<ルビ>不来方=こずかた。


《つぶやき》

「不来方のお城の草に寝ころびて」の歌。

わたしの修学旅行は不来方城だった。あのころ気になる人がいた。その人を含む集団を目の隅で追いながら、わたしは友だちとふたり芝生に寝ころんでいた。光の色や風の匂いがいま浮かんでくる。

2011-10-01

[] 啄木が勤めた函館弥生小学校の今

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[ナンテン]


弥生小学校の今

石川啄木が代用教員を勤めたことのある弥生小学校の今を取材したブログ

(2011-09-30 函館ネプチューン物語)



  • 弥生小学校と啄木と智恵子
    • 啄木は、明治40年6月、函館の弥生尋常小学校で代用教員になった。そこには女学校を卒業し、訓導として赴任したばかりの18歳の智恵子がいた。
    • 啄木は智恵子に対して「真直ぐに立てる鹿の子百合」をイメージしていた。
    • 二度の語らいと数通の書簡のやりとり---それが彼らの関係のすべてであった。
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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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