啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2011-11-29

[] かにかくに渋民村は恋しかり 郷愁の歌人・啄木 /長崎

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[ナンテンのツリー]


はがき随筆 /長崎

  • 石川啄木は郷愁の歌人です。「石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなしみ/消ゆる時なし」と、勤務先の校長や住民達との対立によって岩手県渋民村を追い出されます。しかし逆に「かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」と、恋慕の情は募るのです。
  • ……今年の3月11日以降、新たな故郷喪失が出現しました。大津波によって住居やその年月まで破壊され、また、原発事故によって放射線被ばくから避難せざるをえなくなりました。

【活水女子大教授・詩人 田中俊廣】

(2011-11-29 毎日新聞> 地域ニュース > 長崎)

2011-11-28

[] 「2011 盛岡大会」<その 1 > 講演 熊坂義裕 1/2 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[盛岡駅]


国際啄木学会「2011年度 盛岡大会」

  2011年11月5日(土)〜6日(日)

  盛岡大学短期大学部 (岩手県岩手郡滝沢村)


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[盛岡大学正門 案内看板]


<その 1 >

講演

  熊坂義裕「東日本大震災のこと 〜宮古市と啄木にも触れながら〜」

   ・盛岡大学栄養科学部長・前宮古市長


  • 私は医者になってから今まで550通の死亡診断書を書いている。
  • 2011年3月11日、私は岩手県宮古市にある医院で診療していた。大震災による津波で、医院の100m先から海岸までの建物は流されるか水に浸かった。医院の建物は流されなかった。翌朝から院長と共に診療をして 1か月で延べ 3,000人を診た。
  • 津波災害時の特徴として今回のトリアージ(治療優先順位)は、黒(死亡群)か、緑(保留群すなわち軽傷)で、赤(最優先治療群)や黄色(待機的治療群)はほとんどいなかった。逃げて元気な人か死んだ人ということ。
  • 宮古市では 540人位亡くなった。チリ地震津波では、4,850人位亡くなっている。明治 29年、啄木が新聞で見たであろう三陸大津波で、田老地区では住民の 9割にあたる 1,900人位亡くなっている。過去に学び、日本では最も進んでいるといわれる 10mの防潮堤を造ったが、今回津波がそれを越えた。地震の震度に関係なく津波はくる。
  • 震災後の写真は、原爆直後の広島市と同じ光景。国、県の対応は非常に遅かった。市の対応は市長含めみんな自分のことだからと必死になっている。

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  • 岩手県沿岸医療施設 130カ所位のうち 60カ所以上が被災した。宮古市は病院 4カ所が全部残ったので診療に役立った。インスリン等の薬剤は通信が不安定ななかで、3月16日に大変な努力により届いた。電話もガソリンもないという状況で、歩いて避難所に行き、「インスリンあります」と紙を張って歩いた。
  • 「お薬手帳」を持って逃げた人は医師にかかったとき非常に役立った。
  • 宮古市の場合、仮設住宅への入居はコミュニティごとに移動し、抽選はできるだけしないことにしている。これは大事なことだ。
  • 今後、問題なのは心のケア。仕事がない、家族がない、希望がないという状態の被災者は、どこに相談したらいいかわからない。そこで無料相談窓口「寄り添いホットライン」をつくった。せっかく助かった命を失わせてはならないと決意した。

(「講演」つづく)

2011-11-25

[] 石川啄木と「相馬屋製」原稿用紙

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[相馬屋製の復刻版原稿用紙]


「相馬屋製」原稿用紙の復刻版

  • 東京・神楽坂の老舗文房具店・相馬屋源四郎商店が、明治中期に生まれた「相馬屋製」原稿用紙の復刻版を製作した。
  • 「相馬屋製」原稿用紙は、夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥… といった名だたる文豪たちに愛用され、現在もなお、多くの作家たちが好んで使用している。

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[屋号の刻印]

始めの写真の左下にある刻印を拡大した。瓢箪の図柄の中にくずし字で「相馬屋」とある。


  • 「啄木の人生最後の自由な外出」となった相馬屋行きで求めた原稿用紙に、「『悲しき玩具』冒頭二首を書きこんだ」。
  • 「明治中期復刻モデル」は相馬屋製原稿用紙の初期型になるそうだ。これは、啄木が明治の終わりに買った原稿用紙とは様式が異なるが、瓢箪の屋号は『悲しき玩具』冒頭二首の原稿と酷似しており、取り寄せた原稿用紙にふれると、感慨深いものがあった。

「啄木が相馬屋を訪ねた日」柳澤有一郎

   国際啄木学会会報 第29号(2011年10月)

「啄木の息」の相馬屋

相馬屋の原稿用紙特集

2011-11-24

[] 「啄木はドストエフスキー的だ」ダニー・ラフェリエールさん

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[サルトリイバラ]


『吾輩は日本作家である』のダニー・ラフェリエールさん来日

  • 「今晩、私は日本作家になりました」。こうユーモラスに語るのは、ハイチ出身でカナダ・ケベック州在住のフランス語作家、ダニー・ラフェリエールさんだ。祖国帰郷をテーマにした代表作『帰還の謎』と、30万人以上の死者を出した昨年のハイチ地震の体験記『ハイチ震災日記』という初邦訳書2冊が藤原書店から刊行されたのに合わせて来日した。
  • 会話の中にはさまざまな作家が出てくる。特に、ロシアの偉大な小説家2人を挙げてこう語った。「客観的な風景を描く芭蕉を(レフ)トルストイ的だとすると、(歌人で詩人の)石川啄木はドストエフスキー的です。泣き虫で、情感豊か」。(磨井慎吾)

(2011-11-24 産経ニュース)

2011-11-23

[] そこにこそ石川啄木という人物の輝きを見る ローマ字日記

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[燃え上がれ]


赤裸々な“石川啄木”の姿

「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」

  • 稀代の歌人・石川啄木(1886-1912)によるこの短歌は、『一握の砂』に収められた一篇だ。誰しも一度は見聞きしたことがあるだろう。だが、彼がどんな人物だったかを知る人は意外と少ないのではないだろうか。
  • そんな石川啄木という人物に触れることができる一冊がある。『啄木・ローマ字日記』(岩波書店/刊)だ。岩波書店から文庫版が1977年に出版されている。
  • 献身的にわが身を支えてくれる親友の金田一京助を扱き下ろす。妻から生活費の催促をされ、会社から前借りした金で女を買ってしまう。書かなければならない原稿をそっちのけにして、何をするでもなく電車に揺られ続ける。会社をサボる。……等々。
  • だが、そこにこそ石川啄木という人物の輝きを見ることもできる。(ライター/石橋遊)

(2011-11-23 新刊 JP ニュース)

2011-11-22

[][] 『ひとりたび一年生』啄木が気に入っていた へんてこな狛犬

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[『ひとりたび一年生』花巻温泉編]


《作品に登場する啄木》

  『ひとりたび一年生』

    たかぎなおこ メディアファクトリー


(P.061)

そしてそのあと石川啄木が気に入っていたへんてこな

狛犬があるという神社に行ってみることにしました

けっこう遠くて少し迷った


「あった… ここだ……」

ちょっとした山の上にある


こうしてはるばる見に行った狛犬は


ほんとうにへんてこで

愛らしくて

「わはははっ かわい〜♥」


そこからは盛岡の街が一望できて…

「啄木もこうやって眺めたのかなぁ〜」

今回の旅のいい締めくくりとなりました

2011-11-21

[] 啄木の真似をしてみる君への手紙 学生短歌

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[カエデ]


国際啄木学会2011年

  盛岡大会記念学生短歌大会審査結果


  • 応募総数 572首

【最優秀賞】

 ローマ字で日記を書いた啄木の真似をしてみる君への手紙

   中学校3年 神奈川県

【優秀賞】

 たく木の本を読んでるお母さん秋に合うって言っていました

   小学校3年 青森県

 「行ってきます」握手のたびに弱くなる節くれだった父の手のひら

   大学3年 東京都

【入選】

 紅の校庭にふたつ影伸びて十七歳の夏終わりゆく

   高校3年 愛知県

 啄木が天才詩人と言われてるわけは短い人生にもある

   小学校4年 岩手県

 このまちを出てゆくことに決めたから大きくなると約束するよ

   大学2年 東京都


くわしくは… 国際啄木学会HP

2011-11-20

[] 鴎外・漱石・啄木ほかの作家作品を展示 文京

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[ムラサキシキブ]


文豪が愛した坂の街・文京で特別展 文学作品との関わりなど紹介

  • 武蔵野台地の東端に位置する文京区には、名前がある坂道だけでも115カ所以上ある。それらを写真や絵画、切絵図、文学などで紹介する特別展「坂道ぶんきょう展」が、文京区本郷の文京ふるさと歴史館で開かれている。
  • 同館の東条幸太郎学芸員は「石川啄木や森鴎外らが創作意欲をかきたてられるほど、坂道にはドラマがある。名前の由来や歴史を知れば街歩きも楽しくなる」と話す。

(2011-11-20 東京新聞)

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文京ふるさと歴史館 「坂道・ぶんきょう展」

○ 会期 2011年10月22日(土)〜12月4日(日)

○ 開館時間 午前10時〜午後5時

第1章 台地と谷がおりなす町 文京  

第2章 絵と写真で見る文京の坂道

第3章 地図・絵図・地誌で見る文京の坂道

第4章 文学作品に見る文京の坂道

   鴎外・漱石・啄木・荷風ほかゆかりの作家の作品展示


  • 文京ふるさと歴史館
    • 東京都文京区本郷4-9-29
    • TEL 03-3818-7221

2011-11-17

[] 石川啄木 著(P.90〜91)今は亡き姉の恋人のおとうとと

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[バラ]


煙 一


(P.90)


   今は亡き姉の恋人のおとうとと

   なかよくせしを

   かなしと思ふ


   夏休み果ててそのまま

   かへり来ぬ

   若き英語の教師もありき



<ルビ>来ぬ=こぬ。


(P.91)


   ストライキ思ひ出でても

   今は早や吾が血躍らず

   ひそかに淋し


   盛岡の中学校の

   露台の

   欄干に最一度我を倚らしめ


<ルビ>早や=はや。吾が血=わがち。躍らず=をどらず。露台=バルコン。欄干=てすり。最一度=もいちど。倚らしめ=よらしめ。


《つぶやき》

「盛岡の中学校の」の歌。

倚るところ、倚れるところ、倚ってもガッシリと支えてくれるところに我を置きたい。心の中に心棒のようなものを持っていたい。啄木にとっての倚るところは、盛岡中学校の露台であったのだろうか。

2011-11-16

[] 石川啄木が詠んだズーズー弁はもはや、上野駅では聞くことができない

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[バラ]


ちばみなと研究所:房総半島を探求する

千葉県柏市限定「パンザマスト」って何?

  • 「パンザマストが鳴ったら、家に帰ってね」「言わなくてもわかっているよ。パンザマストだね」。
  • 「パンザマスト……いったい何なんだ」。調べてみると、母親たちの願いが込められた「新方言」という意外な姿が浮かんできた。【研究員・橋本利昭】
  • まずは居住する柏市の市役所に出かけた。「それは児童の帰宅を促す柏市限定のアナウンスの呼び名なんです。夕方に防災無線で流されるメロディーですよ」。

  • 東日本大震災で被災地の子どもが都会の子どもと変わらぬ言葉でテレビのインタビューに答えているのを見ると、東北出身の研究員は「地方の味わいのある方言が失われている」と、つい嘆いてしまうが、これも井上史雄教授(明海大 社会言語学)に言わせれば「必然の動き」。人間の集団が密になると、無意識に相手の言葉に合わせるもので、共通語化は、テレビより対面コミュニケーションの影響が大きいというのだ。文章語と違い、口から耳に伝わる言葉はまさに生き物。
  • 「ふるさとの訛(なま)りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」。石川啄木が詠んだ東北のズーズー弁はもはや、上野駅では聞くことができない。その代わりに新方言の中に、太古のロマンに思いをはせるヒントがあるということか。身近な言葉に耳をすませ、その糸口を見いだすことの面白みに気付かされた研究員だった。

<千葉県で使用される主な新方言>

 アオナジミ(アザ)=県北部の中学生の間で広がる

 イッショー(いいでしょう)=新日鉄君津から、北海道方言が伝わった

 ウザイ(気持ち悪い)=県東海岸では高校生の7割使用の報告

 ウチンチ(自分の家)=千葉、埼玉、神奈川の子どもが使用する新方言

(2011-11-16 毎日新聞>地域ニュース>千葉)

2011-11-15

[] 「手が白く 且つ大なりき…」尾崎行雄と石川啄木

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[ハマナス]


11月15日付け照明灯

  • 「憲政の神様」と呼ばれる尾崎行雄(咢堂)の人柄を偲ばせる逸話を、「尾崎行雄を全国に発信する会」の初代会長を務めた大塚喜一さんが自著で紹介している。(「咢堂 尾崎行雄ものがたり」つくい書房)
  • 手が白く/且(か)つ大(だい)なりき/非凡なる人といはるる男に会ひしに―。石川啄木の歌集「一握の砂」にある。歌に詠まれた「男」について「高村光太郎のことではないか、という話が伝わったこともあるようだが、(中略)やはり咢堂をうたったものであろう」、と。
  • 東京市長だった尾崎は前触れもなく訪れた無名の啄木に多忙にもかかわらず面会した。啄木は初の詩集に尾崎氏に献ず、と記すほど私淑していたという。尾崎はそれでも後年、自伝で「なぜもう少し親切に待遇しなかったか」と悔やんだ。大塚さんは「咢堂の人間味あふれる話である」と書いた。

(2011-11-15 神奈川新聞>照明灯)

2011-11-12

[] 尾崎豊さんの「遺書」と石川啄木

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[ハマナス]


十五の心

  • 二十六歳の若さで亡くなった歌手尾崎豊さんの「遺書」が月刊誌に掲載された。
  • 先日、インターネットで、尾崎さんの死後見つかったノートに歌人の石川啄木の歌が1首記されていたことを知った。また石川啄木記念館(盛岡市)では啄木没後90年にあたる2003年度の啄木祭で、尾崎さんの曲に啄木の短歌をほうふつさせる詞があることから、「啄木と尾崎豊〜時代を駆け抜けた青春〜」と題したイベントを企画したことも。

 「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」(石川啄木)

 「誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に
 自由になれた気がした15の夜」(『15の夜』 作詞尾崎豊)

  • 自由、青春、愛…。明治と昭和の違いはあっても、学校や大人に縛られる息苦しさを嫌う若者の心を、二人は歌い、同じ二十六年間の短い生涯を終えた。
  • 時代は変わって東日本大震災のあったことしの15歳は、どんな思いで毎日を過ごしているのだろう。「震災前よりいい町にしたい」「地域の役に立ちたい」−。子どもたちが、けなげに話すのをよくテレビで見た。そんな子どもの心を決して傷付けたり裏切ってはならないと思う。(47NEWS編集部 黒川美加)

(2011-11-11 47NEWS>日めくり)

2011-11-11

[] 大規模災害協定締結 文京区・盛岡市

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[イタヤカエデ]


啄木で結ぶ 文京区・盛岡市

  • 東日本大震災を受け、歌人・石川啄木の出身地・盛岡市と、死去した終焉の地・東京都文京区が10日、「『石川啄木ゆかりの地』災害時における相互応援に関する協定」を結んだ。
  • 文京区は今回の震災で、釜石市に延べ約450人の職員を派遣したこともあり、盛岡市に協定の締結を提案。
  • 谷藤裕明市長は「盛岡市も長時間の停電や断水、交通マヒなどを経験した。こうした経験も伝えながら、いざという時に協力できる関係を築きたい」と話した。
  • 来年は啄木没後100周年にあたることから、今回締結した協定を文化交流を含んだ協定に進化させる予定という。

(2011-11-10 産経ニュース、2011-11-11 読売新聞)

2011-11-09

[] 啄木の交友録(30)「街もりおか」

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[「啄木の交友録」コピーと11月号表紙]


月刊誌「街もりおか」

啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏

  2011年11月号(No.527)

30. 富田 砕花

富田 砕花(本名・戒治郎 明治23年 盛岡市仁王小路生まれ)は、明治41年に与謝野鉄幹・晶子が主宰する東京新詩社に入り「明星」に短歌を発表、啄木との交友が始まる。啄木日記、明治44年7月3日には「土岐君来る。富田君曰く『握りしめたる拳に卓をたたくものここにあり』十一時まで語る」。慢性腹膜炎で自宅療養していた啄木の病床で、夜遅くまで話し合っていたことが彷彿とされる。

砕花は短歌から出発し詩作に転じ、大正詩壇における民衆詩派の詩人として脚光を浴びた。

2011-11-08

[] 釧路「市民と学ぶ啄木講座」11/14

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[秋のエノコログサ ときどき タンポポ]


第 4 回「市民と学ぶ啄木講座」

  • 2011年11月14日(月)13:00〜14:00
  • 会場  港文館 北海道釧路市大町2丁目1−12
  • 講師  北畠立朴氏(釧路啄木会会長)
  • 受講料 400円(飲み物・資料代)
    • お問い合わせ 港文館 0154-42-5584

2011-11-07

[][] 再来年、釧路で啄木学会 2013/9/7~8

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[マユミ]


国際啄木学会、2013年 釧路で

  • 国内外の石川啄木研究者で構成する国際啄木学会は第 24 回大会を釧路で 2013 年 9 月 7、8 の両日に開催することを内定した。釧路大会を支えることになる釧路啄木会は、市内の啄木ゆかりの地を巡るツアーを行い参加者をもてなす計画だ。(村岡健一)
  • 釧路啄木会(北畠立朴会長)は 2 日間の参加者を延べ 500 人と見込み、歓迎策として啄木の歌碑巡りなどを検討している。
  • また、例年 9 月第 1 週の週末に行われる「釧路大漁どんぱく」の第 10 回大会と日程が重なることが想定される。北畠会長は「学会参加者には、花火大会などでにぎやかな釧路を見て、味覚も一緒に楽しんでもらいたい」と話している。

(2011-11-05 北海道新聞)

[] 啄木通し心の復興を 国際学会盛岡大会

  • 国際啄木学会(会長・望月善次盛岡大学長)の2011盛岡大会は最終日の 6 日、滝沢村の盛岡大短期大学部でパネルディスカッションなどを行った。盛岡市出身の歌人・詩人石川啄木を通して、精神的な意味からの震災復興を探った。
  • シンポジウムは「新しき明日、新しき啄木」がテーマ。参加者は「新しき明日の来るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど−」などの作品や創作姿勢について考察。「壁が強固なほど意志が強くなる」「議論よりも実行」「地方から振興を進めなければならない」など、東日本大震災後の現在に通じる視点を読み取った。
  • ミニ講演では、インド・デリー大准教授でインド啄木学会(あこがれの会)会長のウニタ・サチダナンドさんが活動報告。インドの詩人たちが被災者にささげる詩集を作ったことなどを紹介した。
  • 次回大会は来年 5 月に台湾で開かれる。

(2011-11-07 岩手日報)

2011-11-06

[] 啄木に学ぶ 国際啄木学会

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[クコ]


困難克服、啄木に学ぶ 国際学会盛岡大会

  • 国際啄木学会(会長・望月善次盛岡大学長)の 2011 盛岡大会は 5 日、滝沢村の盛岡大短期大学部で始まった。「新しき明日、新しき啄木」をテーマに、石川啄木の研究成果を披露した。
  • 特別講演で、前宮古市長の盛岡大栄養科学部教授熊坂義裕さんは被災地の実情を報告。啄木に影響を与えた宮古市出身の新聞記者小国露堂らを紹介した。
  • 台北駐日経済文化代表処台北文化センター所長で、台湾啄木学会会長の林水福さんは台湾での啄木研究について「翻訳作品が多く、民衆に広がっている大江健三郎や村上春樹と比べて、啄木を扱う研究者は多い」と紹介。
  • 6 日は学生短歌大会の表彰が行われた。全国から 572 首が寄せられ、 12 人の作品が表彰された。最優秀賞は神奈川県の中学生の短歌、”ローマ字で日記を書いた啄木の 真似をしてみる 君への手紙”。

(2011-11-06 岩手日報、2011-11-06 テレビ岩手)

2011-11-04

[] 「新しき明日、新しき啄木」あすから国際啄木学会 11/5~6

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[ツリバナマユミ]


啄木に復興の精神を見る あすから盛岡で国際学会

今年度の国際啄木学会盛岡大会は 5 、6 日、滝沢村の盛岡大学短大で開かれる。今回は「新しき明日、新しき啄木」をテーマに、啄木の文学に復興の精神を見いだそうとする。同学会は 4 月から盛岡大学の望月善次学長が会長、明治大学の池田功教授が副会長。

大会について同学会事務局長の森義真氏に聞いた。

  • 今回のテーマは。
    • 啄木の短歌にある「新しき明日」がテーマ。東日本大震災を見据えたうえで啄木研究を見直す。
  • 海外からはどのような研究者が来るのか。啄木は今は何カ国語に訳されているのか。
    • 台湾啄木学会会長の林水福さん、インド啄木学会会長ウニタ・サチダナンドさんが講演。インドのジョージ教授、ロシアのアイーダさんが参加する。翻訳は正確に把握してはいないが 20 は超す。
  • 海外から今回の震災についての話は。
    • インドでは「 9・11 」にインドの啄木学会のあこがれの会が主催し、東日本大震災の復興を支援しようという集いが開かれた。
  • 時代の危機や天災を啄木はどう捉えていたか。
    • 啄木は明治 33 年に三陸海岸を旅行している。明治 29 年の明治三陸大津波の 4 年後でまだ傷跡はあったと思う。災害では函館大火を日記に書き残している。みんなを元気づけるため渋民の盆踊りを踊ったということを日記に書いている。

(2011-11-04 盛岡タイムス)

 

[] 啄木が結ぶ 盛岡市と東京・文京区

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[ムラサキシキブ]


啄木の縁で災害協定 盛岡市と東京・文京区

  • 盛岡市は、同市出身の歌人石川啄木の終焉の地、東京都文京区と災害時相互応援協定を結ぶ。啄木の縁でつながる同区から震災後に申し入れがあった。協定調印式は 10 日、成沢広修区長らが出席して盛岡市役所で行われる。
  • 協定内容 大規模災害時の応援救助、復旧活動に必要な職員派遣、飲料水、食料や生活必需品のほか、供給に必要な資機材の提供−など。盛岡市が単独自治体と同様の協定を結ぶのは初めて。
  • 文京区と盛岡市は啄木の縁で交流を深めており、2007 年度から同区で「啄木学級・文の京講座」を開講。
  • 来年は啄木の没後 100 年に当たり、同区でも記念行事が企画されている。

(2011-11-03 岩手日報)

2011-11-03

[] 啄木ゆかりの地に記念碑を 釧路

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[アンネ・フランクのバラ]


啄木記念碑、建立期成会の発会式 釧路

  • 石川啄木が釧路で一番初めに訪れた土地に記念碑を建て、新たな観光名所にしようと活動を進めている「石川啄木記念碑建立期成会」の発会式が 1 日、生涯学習センターで開かれた。
  • 釧路啄木会の北畠立朴会長が「啄木が最初に泊まった場所には何も残っていない。碑を建てることで、泊まった事実を将来に残したい」と趣旨を説明。
  • 市民から建立費用 150 万円を募り、啄木没後 100 年となる 2012 年 1 月 21 日に除幕式を行う。
    • 募金の問い合わせ 港文館(電)0154 - 42 - 5584

(2011-11-03 釧路新聞、北海道新聞)

2011-11-01

[][] 『約束の冬』「啄木の歌碑? 観に行きたいとは思わないわ」

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[シロミノコムラサキ]


《作品に登場する啄木》

  『約束の冬』上・下

   宮本輝 文藝春秋


(下巻  P.140)

「裏切り者ってのは、血判状に名をつらねたやつのなかから出るのよ」

小巻は言って、自分の軽自動車のドアをあけ、

「さあ、これから小樽の街の観光スポットをひととおり案内するわね。まず小樽運河。入ってみたいお店があったら、ここに入ってみたいって遠慮なく言ってね」

と微笑み、石川啄木の歌碑が小樽の花園公園のなかにあるが、観たいかと訊いた。

「歌碑? わざわざ観に行きたいとは思わないわねェ。どんな歌が刻まれてるの?」

「──こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」

小巻はきっとその歌が好きなのであろうと留美子は思いながら、助手席に乗った。

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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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