啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2011-12-30

[][] 国際啄木学会・東京支部会 明治大学 1/29

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[パンパスグラス]


第56回 国際啄木学会・東京支部会

  • 2012年1月29日(日)15:00~17:30
  • 明治大学・駿河台校舎 研究棟 4 階 第 3 会議室

 ○ 会議 15:00~

 ○ 研究発表 15:30~

  ・森 義真    <「啄木の交友録・盛岡篇」を語る>

  ・柳澤有一郎 「新詩社同人推挙問題」

 ○ 懇親会 17:45~


☆ 初めての方のご参加も歓迎 ☆

 

[][] 啄木短歌の魅力 -公開講座 1/28

  • 2012年1月28日(土) 9:30〜11:30
  • 佐野短期大学 (栃木県佐野市高萩町1297)

 「啄木短歌の魅力」 〈講師〉大室 精一

昨年度に続き『一握の砂』『悲しき玩具』の名歌を鑑賞します。本年度のテーマは「ふるさと」です。啄木のふるさとの歌と言えば「ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」が有名ですが、それらの歌を「一家離散」の運命にあった啄木の人生と重ね合わせて考えてみましょう。


 ☆ 佐野市は「佐野厄よけ大師」「佐野ラーメン」で有名

 ☆ 「佐野厄よけ大師」内の田中正造墓の前には啄木の歌碑あり

2011-12-28

[] 「2011 盛岡大会」<その 8 > パネル・ディスカッション 1/4 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》

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[パネル・ディスカッション開始]


<その 8 >

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パネル・ディスカッション

  テーマ「新しき明日、新しき啄木」


・コーディネーター:望月 善次

・パネリスト:池田 功、西連寺 成子、田口 道昭、森 義真

・指定討論者:太田 登、近藤 典彦(書面参加)


◎「新しき明日の来るを…」(『悲しき玩具』29)の解釈

《池田 功》

新しき明日の来るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど──

啄木のこの歌を読むと、韓国の詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩を思い出す。「明日はないーー幼な心が訊く」(原文ハングル伊吹郷訳)

明日 明日 と言うので/訊いたら/夜 眠りにつき 夜明けがきて/明日という 新しき日を探していたぼくは/眠りから醒めて見ると/その時は明日ではなく/今日だった//はらからよ!/明日はないのに/……」

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[発言する池田功氏]

このふたりに共通することは、明日が期待できない閉塞した厳しい状況の中においてでさえ、明日を期待する。つまり厳しい状況は壁であり、壁が高ければ高いほど、自由への望みや明日に対する期待は大きくなる。啄木の願った明日は大きな意味での世界の一新だったと思う。平凡な日常を送っている我々は、この歌をよむと喝を入れられる。

3・11の絶望的な困難から脱するとき、この歌に接して何か救われる思いがするのではないだろうか。


◎ 啄木の詩は如何なる「明日」を拓き得るか〜「呼子と口笛」にも触れながら〜

《西連寺 成子》

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[発言する西連寺成子氏]

啄木の「呼子と口笛」の詩には力がある。三つの詩を選んでみた。

「はてしなき議論の後」には、「若き婦人」が出てくる。印象的なイメージがあり、その場の雰囲気をあらわす一番大きな力を持っている。「激論」には「K]という女性が出てくる。五時間にわたる激論の最後にこの女性が出てくることによって、革命のある一場面が強く印象づけられる。「古びたる鞄をあけて」には、「若き女」が出てくる。

自分が経験しないことでも、ことばの意味だけではなくことばのイメージが湧き、体験したような感情を持つ。そんな力がこの詩にはある。


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[岩手日報の啄木学会記事 2011-11-06付]


《近藤 典彦(書面参加)》

読者なしには啄木詩といえども、「明日」を拓くことはできない。われわれ研究者には啄木の読者を創り出す任務がある。

啄木没後すぐから圧倒的多数の青少年によって愛読された啄木短歌は、1985年頃以後の青少年には読まれなくなった。2008年、「蟹工船」ブームが来て、誰からともなく「つぎは啄木だ」と言われたが……。就職氷河期がはじまり、非正規雇用労働者が増大し、青年たちは文字通り時代閉塞の現状下にもがいている。

では、啄木はもう青年に読まれないかというと、否、と思う。啄木の作品は時代閉塞の現状との真正面からの対決の産物である。時代閉塞状況が進むと若い世代は親のすねを囓ることも出来なくなる。いやでも閉塞状況と正面から向き合い、社会と時代を直視することになるだろう。そのとき啄木がふたたび青年たちのものとなる、と思う。啄木は古いのではなく、あまりに新しいのだ。


(パネル・ディスカッションつづく)

2011-12-27

[] 「啄木・雪あかりの町・くしろ」短歌入選作品

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[カンザクラ]


釧路時代の啄木をしのぶ短歌


  • 釧路新聞社が1月の「第9回啄木・雪あかりの町・くしろ」に向けて募集した短歌の入選作品が決まった。
  • 天位は釧路市の渡礼子さんの作品「年古(ふ)りし 啄木の歌碑 雪積みて 百年憶ふ 雪の白さに」。

(2011-12-27 釧路新聞)

2011-12-26

[] 「2011 盛岡大会」<その 7 > 国際ミニ講演<II> ウニタ・サチダナンド 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》

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[会場・盛岡大学短期大学部 C 校舎]


<その 7 >

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国際ミニ講演<II>

  ウニタ・サチダナンド(デリー大学准教授、インド啄木学会会長)


「『あこがれの会』(インド啄木学会)の活動状況 〜東日本大震災復興支援企画にも触れて〜」

  • 東日本大震災が襲った東北に、私はひとりでもいいから応援に来たいと思った。今回、啄木の故郷盛岡で大会があり、啄木に招かれてインドから来たことを本当に嬉しく思う。
  • 日本は3月に学校が終わり、銀行も3月に年度末があり、みんな4月から始まる。インドは7月に大学が始まり、銀行は4月に始まり、とバラバラ。一人一人の人間も、ことばもバラバラで苦労している。
  • 私は以前、日本の短編小説の翻訳をやっていた。インドの日本文化への関心はほんの最近生まれてきた。文学に関してはこのことが特にはっきり言える。この10年ほどの間に、日本の小説を中心とした日本文学の代表的作家の作品が日本語から直接インドのことばに翻訳された。それより前は英語から翻訳していた。やはり英語からの翻訳は不十分なものであった。
  • 2005年、望月善次先生に会い「啄木の詩はとても簡単ですよ」と言われた。そこで「あこがれの会」(インド啄木学会)をつくった。会をつくった理由は、インドの文学者は日本文学にあこがれていたこと、啄木の最初の詩集は『あこがれ』(1905年)であり、2005年は『あこがれ』発行100年だった。この会で私は詩に親しみをもち、詩から離れることはできなくなった。

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[講演するウニタ・サチダナンド氏]


  • 「あこがれの会」では、いろいろなワークショップをした。2005年に石川啄木の詩をヒンディー語に訳して朗読した。それがインドの詩人が自ら啄木の詩をヒンディー語にした最初のことだった。それからたくさんのワークショップをしてきた。
  • 2008年にインドで国際啄木学会が開かれた。日本の研究者とインドの研究者や学生、詩人たちも参加した。
  • 2010年9月、インドと日本の心を詩歌で伝えようとインド・日本詩を翻訳するワークショップが行われた。この大会からウニタサチダナンド・望月善次 共著『石川啄木の短歌:インドの色』(翻訳)という本が出た。
  • 2011年3月11日、日本の津波と地震の衝撃で世界は悲しみに沈んだ。インドの詩人達は「詩をつくって日本に伝えよう」ということで本を出版し、売り上げの中から募金した。インドの詩人たちも日本の復興を応援していることを皆さんに伝えたい。

(パネル・ディスカッションにつづく)

2011-12-23

[] 「2011 盛岡大会」<その 6 > 記念短歌大会表彰式 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》

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[盛岡大学から見る岩手山]


<その 6 >

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盛岡大会記念短歌大会表彰式

  審査結果  応募総数 572首

  • 最優秀賞

 ローマ字で日記を書いた啄木の真似をしてみる君への手紙

   越田 健介 中学 3年 神奈川県

  • 優秀賞

 たく木の本を読んでるお母さん秋に合うって言っていました

   長野 朗大 小学 3年 青森県

 「行ってきます」握手のたびに弱くなる節くれだった父の手のひら

   谷川 紅緒 大学 3年 東京都

  • 入選

 紅の校庭にふたつ影伸びて十七歳の夏終わりゆく

   鈴木 加成太 高校 3年 愛知県

 啄木が天才詩人と言われてるわけは短い人生にもある

   五十嵐 翔 小学 4年 岩手県

 このまちを出てゆくことに決めたから大きくなると約束するよ

   牧原 礼佳 大学 2年 東京都


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[未来に羽ばたけ]


  • 選者賞

<今野寿美賞>

 啄木のほんとの名前知ってるよはじめという名のおわりの末っ子

   東山 瑠々花 小学 4年 岩手県

<三枝昂之賞>

 啄木の顔はとってもかわいいの今ならジャニーズきっと入れる

   高峯 亜美 小学 4年 岩手県

<文屋亮賞>

 立ち止まり周りを見れば海広く 自分のなやみ くだらないもの

   内田 嶺夢 小学 6年 岩手県

<松平盟子賞>

 キラキラと かがやく川は さけの里 いってらっしゃい おかえりなさい

   古舘 歩乃佳 小学 4年 岩手県

<望月善次賞>

 新しき今日/新しき靴を履き/新しき我少し演じる

   工藤 玲音 高校 2年 岩手県


  • 学校賞

 岩手県紫波町立古館小学校


  • スピーチ

《最優秀者 越田健介》

受賞できるとは思っていなかったのでびっくりした。小学6年生の受験勉強で使われ始めた短歌で初めてトライしたら最優秀賞でうれしかった。

《選者 三枝昂之》

お読みになるとわかるように、レベルが高い。啄木の歌の作り方そのものの歌もある。とても頼もしい。これを機会に短歌を作り続けて日本の伝統を新しくしていってほしい。


(国際ミニ講演<II>につづく)

2011-12-22

[] 「新 啄木かるた」募集

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[トベラ]


あなたの選んだ歌が新しい「啄木かるた」に

・石川啄木没後百年を記念して、新たに「啄木かるた」を作成する。

・毎年2月と7月に行う啄木かるた大会で使用する。

・大会競技としてよりふさわしい歌、読み手が区切りやすい歌などの観点で、皆さんの応募を基に石川啄木記念館・函館市文学館が監修し、新たに百首を選ぶ。


  • あなたの大好きな啄木の歌を、ぜひお寄せください。
    • 募集期間 2012年1月4日(水)~2月29日(水)必着
    • 応募方法 歌集『一握の砂』・『悲しき玩具』の中から、お好きな歌2首と名前、住所、電話番号をご記入の上、下記あて先まで電子メール、郵送またはファクスでご応募ください。(啄木かるた作成企画用フォームあり)
    • 石川啄木記念館 「啄木かるた作成係」
      • 〒028-4132 盛岡市玉山区渋民字渋民 9
      • TEL:019-683-2315  FAX:019-683-3119
  • 石川啄木没後百年記念事業実行委員会企画

2011-12-21

[] 「ふるさとの訛なつかし」 故郷を慕う啄木

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[富士山]


憂楽帳:故郷喪失

  • 「故郷喪失」というと太宰治や石川啄木が思い浮かぶ。東京での苦闘をへた太宰は、36歳の時、久しぶりに津軽へ帰る。懐かしい乳母ら故郷の人々の温かさにつかのまの心の平安を得る。名作「津軽」の誕生だ。「ふるさとの訛(なまり)なつかし」と故郷を慕う啄木の歌も有名である。
  • 福島原発周辺では「累積線量」「帰還困難区域」など殺伐とした言葉が飛び交う。太宰や啄木のような文学は生まれようがない。喜びや悲しみの感情は「シーベルト」の単位で計測できないのだから。【米本浩二】

(2011-12-20 毎日新聞>西部夕刊)

 

[] 紀伊国屋演劇賞 三谷幸喜「ろくでなし啄木」個人賞

贈呈式 東京・新宿の紀伊国屋ホール 1/31

  • 団体賞
    • 株式会社パルコ
  • 個人賞
    • 飯沼慧(「にもかかわらずドン・キホーテ」の演技)
    • 橋爪功(「ゴドーを待ちながら」「ウエアハウスcircle」の演技)
    • 三谷幸喜(「ろくでなし啄木」「国民の映画」「ベッジ・パードン」の作・演出)
    • 中津留章仁(「黄色い叫び」「背水の孤島」の作・演出)
    • 中谷美紀(「猟銃」の演技)

(2011-12-20、21 朝日新聞、日経新聞、毎日新聞、ほか)

2011-12-20

[] 「2011 盛岡大会」<その 5 > 国際ミニ講演<I> 林水福 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[北上川の夜]


<その 5 >

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国際ミニ講演<I>

  林水福(台北駐日経済文化代表処・台北文化センター長、台湾啄木学会会長)


「台日文化交流の現状 〜啄木、遠藤周作にも触れながら〜」

  • 私の肩書きは、台北駐日経済文化代表処(大使館にあたる機構)台北文化センター長。文化センターの主な仕事は、日本であまり知られておらず・人気もないが質の高い・価値のある台湾文化を日本に紹介することである。
  • 日本と台湾の文化交流としては、いくつかのイベントを行っている。今年6月には、「孫文と日本の友人たち」展を開催した。梅屋庄吉夫婦(「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す。」と巨額の資金を孫文の革命のために提供し、孫文が日本に亡命した際も梅屋家にかくまった)、南方熊楠、大隈重信、犬養毅といった日本の友人たちの資料を台北駐日経済文化代表処公邸で展示した。
  • 日本と台湾との関係は、「国境を超えた友情が今につながっている」という言葉そのものだと言える。エピソードとして、日本交流協会の台北事務所で、台湾人に日台関係の調査をした。質問の一つに「自分の国を除いて、一番好きな国はどこ?」の結果、日本が1番だった。台湾は永遠に日本人のやさしさを忘れない。
  • 日本人にとって台湾文学はなじみが薄い。台湾の小説や現代詩には日本語訳されたものもあるが、量は多くない。文化センターでは早稲田大学、思潮社と協力し、「台湾文学講座」を開催している。
  • 文化の違いの面では、日本人は何でも早くから企画を始め、きちんと進めていく。5年先のスケジュールを組んでいたりする。台湾では早くても2年先くらい。台湾はフレキシブルで物事を進めるスピードが速いとも考えられる。これが文化の違いだと思う。

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[講演する林水福氏]

  • 遠藤周作の作品の翻訳状況について話したい。私は1986年、遠藤周作の『母なるもの』『影法師』を翻訳、出版した。そのころ、台湾で遠藤氏のことを知っている人は多くなかった。1990年、遠藤氏はすべての作品の、台湾での翻訳出版権を私に譲与してくれた。現在、台湾で遠藤周作といえば林水福が連想され、『深い河』(24刷、42,500 冊印刷された)が連想される。
  • 原作を読んだほうがいいという人もいるが、直接原作を読める人は多くない。翻訳は絶対に必要だ。

  • 私の現在の仕事の一つには、いかに台湾文学を日本に紹介するか、いかに啄木文学を異郷の地台湾で花開かせ、実らせるかがある。来年の大会は、台湾開催が決定された。啄木文学を伝えるには実によいチャンスとなる

(盛岡大会記念短歌大会表彰式につづく)

2011-12-19

[] テレビ放送 “石川啄木と尾崎豊” BS朝日 12/25

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[七色の紅葉]


十五歳の原点〜啄木・尾崎 空を求めた天才詩人〜

  • 2011年12月25日(日)16時00分〜17時00分
  • BS朝日テレビ

大人と子どもの間で揺れる15歳を歌にした、石川啄木と尾崎豊。それぞれの時代の転換期でもがきながら、思いを「歌」に託した二人。彼らが伝えたかったメッセージとは…?

ナビゲーターの川嶋あいが二人にゆかりのある土地を訪ね歩き、残された作品や証言者の言葉から、「未来」に向かうメッセージを探す。

  • 出演者 川嶋あい、須藤晃、山本玲子、尾崎健一(他)
  • ナレーション 佐々木蔵之介
  • 音楽 「15の夜」「卒業」「forget me not」「I love you」
  • 制作 岩手朝日テレビ

 

[] 震災・原発すぐ反応〈回顧2011・演劇〉

  • 東日本大震災は演劇に多大な影響を与えた。多くの公演が一時休演や中止に追い込まれたばかりではない。映画などに比べて、制作が“身軽な”メディアである利点を生かし、震災と原発事故に触発された舞台もまた多数作られた。
  • 劇作家の活躍も目立った。と言ってもその筆頭は昨年没した井上ひさし。こまつ座が「化粧」(鵜山仁演出)、「父と暮せば」(同)、「日本人のへそ」(栗山民也演出)、「キネマの天地」(同)を再演。蜷川幸雄演出の「たいこどんどん」では中村橋之助が優男を、新国立劇場「雨」(栗山演出)では市川亀治郎が自己を失う男を好演した。段田安則演出「泣き虫なまいき石川啄木」など、多くは新演出によるもので、笑いとペーソスのドラマに新たな命が吹き込まれた。この流れは来年も続きそうだ。

(2011-12-17 朝日新聞>エンタメ)

2011-12-18

[] 国際啄木学会「台北大会」5/10~13

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[メタセコイアの紅葉]


国際啄木学会2012年度 台北大会

  • 日程 2012年5月10日(木)〜13日(日)
  • 会場 「台湾」国立台湾大学(台北市)

  5月10日(木) 日本出発 → 台北へ

   11日(金) 実地研究

   12日(土) 台北大会(会場:「台湾」国立台湾大学)

   13日(日) 台北出発 → 日本へ

国際啄木学会HP

 

[] 「啄木の終焉」講座 函館 1/17

第6回文学の夕べ「啄木の終焉」

  • 2012年1月17日(火) 18:30〜19:30
  • 会場 函館市文学館
  • 講師 森 武(函館市文学館館長)

.....しかし、おいそれとお言葉にあまへたとて、 困つた事には、私には何日それに対して酬いる事が 出来るかといふ目算が立たないのです。......(石川啄木 明治45年1月9日 朝日新聞学芸部長 杉村広太郎宛書簡)

26歳と2ヶ月にも満たない人生を、啄木は、 もがき苦しみながらひたすら明日を見つめて駆け 抜けて行きました。

逃れる見通しの立たない 貧困と病魔の中で書かれた終焉間近の手紙は、 啄木がいかに魅力的な人間となっていたかを示しています。

  • 参加費 無料
  • 申し込み 函館市文学館 TEL 0138-22-9014
  • 主催 函館市文学館

[] 石川啄木連続講座 函館 2/4~3/24

第1回〜第3回

  • 2012年2月4日(土) 3月3日(土) 3月24日(土) 14:00〜
  • 講師 櫻井健治氏(日本近代文学会会員)
  • 会場 函館市文学館

2011-12-17

[] 「日本人は何を考えて来たか」NHK教育テレビ 1/29

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[プレゼント]


「日本人は何を考えて来たか」

    ―非戦と平等を求めて(12回シリーズの4回目)

  • NHK教育テレビ(2ch)
  • 2012年1月29日(日)22:00 ~ 23:30
  • 対談「大逆事件」について

 平出 洸(平出修研究会主宰・国際啄木学会監事)

 クリスチーヌ・レヴィ(日仏会館研究員・早稲田大学ジェンダー研究所客員研究員)

 

[] 石川啄木の汽車の歌 短歌一口講座 汽車

初めての俳句・短歌

  • 今回の「耳を澄まして」では、石川啄木の歌が取り上げられていた。
  • 明治41年(1908年)1月、満21歳の啄木はそれまで勤めていた小樽の新聞社を退社し、単身、釧路に向かう。

  忘れ来し煙草を思ふ

  ゆけどゆけど

  山なほ遠き雪の野の汽車

  • 北海道の野を走る列車に揺られながら、駅に忘れてきたタバコを思い出す。そのタバコは別れてきた小樽の思い出が詰まっているのだろう。真冬の北海道の原野を車窓に見つめる啄木のあてどない心情がよく出ている歌。

  さいはての駅に下り立ち

  雪あかり

  さびしき町にあゆみ入りにき

  • 釧路に到着したときの印象を描いた。到着は夜だったのだろう。闇をほんのり照らす雪明りを見ながら、啄木は遠いところまでやってきてしまったという感慨に囚われる。
  • 啄木の3行書きの短歌は、今もなお、多くの人々に愛されている。20代の若者らしい、孤独感と感傷が100年後の私たちの心にもダイレクトに伝わってくる。(大辻 隆弘)

(2011-12-17 日本経済新聞>アート&エンタ>初めての俳句・短歌)


 

[] 啄木に続け 牧水・短歌甲子園 12/24


  • 歌人・若山牧水の出身地、日向市は24日、高校生が感性と表現力を競う「牧水・短歌甲子園」を初めて開催する。
  • 「短歌甲子園」は石川啄木が育った盛岡市ですでに開かれているが、日向市は「牧水と啄木は親友同士。盛岡市と一緒に高校生の短歌熱を盛り上げたい」と意気込んでいる。
盛岡市の「短歌甲子園」は、地域おこしなどをめざして2006年に誕生。
  • 同様の大会を開くことになった日向市は、事前に盛岡市に相談し、「大会名のアタマに『牧水』をつける」ことで、了承をもらったという。
牧水は1912(明治45)年、歌人仲間ではただ1人、啄木の死を家族とともに看取るなど深い親交があった。(大畠正吾)

(2011-12-17 朝日新聞>マイタウン>宮崎)

2011-12-16

[] 碑が語る石川啄木〜拓本 12/14〜1/27

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[もうすぐ]


  もりおか啄木・賢治青春館

  第52回企画展・石川啄木没後百年記念事業プレ企画

「碑(いしぶみ)が語る石川啄木〜拓本シリーズその2」


   やはらかに柳あをめる

   北上の岸辺目に見ゆ

   泣けとごとくに    石川啄木


来年迎える啄木没後100年を前に、文学碑拓本研究家の澤尻弘志氏(盛岡市在住)が全国から採った拓本約30点を展示。歌碑の拓本の美しさから、啄木の歌の心に触れてみてはいかがでしょう。


  • 2011年12月14日(水)〜2012年1月27日(金)
  • 会場 もりおか啄木・賢治青春館2階展示ホール

      盛岡市中ノ橋通1丁目1−25

      (TEL&FAX 019−604−8900)

2011-12-10

[] 「2011 盛岡大会」<その 4 > 研究発表 山田武秋 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[さんさ踊りの和紙人形 盛岡駅]


<その 4 >

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研究発表

  山田武秋「津波と砂と石川啄木 〜『一握の砂』巻頭十首と「地湧の菩薩」〜」


○ 啄木と法華経

  • 3.11大震災における被災者の立派な様子が報道されたことに対し、世界中から賞賛の声が上がった。これを聴いて私は法華経の「地湧(じゆう)の菩薩」を思い出した。末法の世の中にあって法華経を信じていれば地面が割れて中からガンジス川の砂の数に等しい菩薩が湧いてくるというもの。ひょっとしたら今度の津波で起こったことはこういうことではないのか。多くの人が力を合わせ、世界中からも募金が寄せられた。みんなの中にある菩薩の心が掘り起こされたのではないかと思った。
  • 啄木はこの話「地湧の菩薩」を知っていた。高山樗牛の文芸時評「日蓮上人とは如何なる人ぞ」の文章を17歳の啄木は一生懸命読んでいた。日記のなかにも、友人に対し「法華経よみ玉へ…」、と書いている。

『法華経』(「(従地湧(じゅうじゆう)出品(しゅつほん)第十五」)

わが娑婆世界に六万恒河沙の菩薩あり、彼等わが滅後において、よくこの経を護持し、読誦し、弘通せんと。梵音十万に徹し、三千ことごとく震い響く。このとき大千世界の国土、皆震裂して無量千万億の菩薩・同時に地中より湧き出しぬ。……

  • 啄木にとっての「砂」は決して無機質で「いのちなき」ものではなかった。「地湧の菩薩」で無数の菩薩に喩えられたごとく啄木にとって「砂」は聖なるいのちそのものであったとも指摘できよう。

○ なぜ、「死と再生」のドラマとされる巻頭「砂 10 首」の最後が「大といふ字」だったのか

  大といふ字を百あまり

  砂に書き

  死ぬことをやめて帰り来れり


  • 「大といふ字」の出典は、「典座教訓(てんぞきょうくん)」(寺の賄い方の作法や心得を説いたもの)に求められる。

「典座教訓」道元禅師

 所謂大心とは其の心を大山に、その心を大海にし、偏無く黨無きの心なり。・・・大の字を書すべし、大の字を知るべし、大の字を學すべし。

  • 大心とは、「三心」すなわち「喜心」「老心」「大心」の一つで、この世に生を享けたことを感謝する「喜心」、親のような慈しみの心である「老心」、大山のように高く、大海のように広く深い心「大心」。啄木の「大といふ字」は、「大心」の「大」が意識にあって書いたのではないか。
  • 啄木と道元の接点についてみてみると、啄木が法華経に親しんでいた事実はあっても、「典座教訓」との直接の関連は読み取れない。しかし、「典座教訓」から題材を拾った法話を父などから聞かされていた可能性は高い。その証拠が啄木の『一握の砂』の「大といふ字」であるといえるのではないか。

  見しこともなく名も知らぬ一茎の草を見出でて涙とまらず(『悲しき玩具 直筆ノート』石川啄木)

  • この歌に出てくる「一茎の草」すなわち「一茎草(いっきょうそう)は、「典座教訓」の有名な一説に出ている。啄木のなかではどこかで「典座教訓」とつながっているのでは…と思っている。

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[発表する山田武秋氏]


○ 『一握の砂』というタイトルとアショーカ王の物語

  いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ

  しつとりと/なみだを吸へる砂の玉/なみだは重きものにしあるかな

  • これらの歌も「典座教訓」と関係があると思っている。

事を慕ひ道に耽るの跡、沙を握りて寶と為すも猶その験有り。「典座教訓」

  • 「沙(すな)を握りて寶(たから)と為す」はアショーカ王の話に基づいている。托鉢をしていた釈尊に、何ももっていなかった子どもが砂で握った煎餅を差し上げた。その功徳で子どもはアショーカ王として生まれかわった、という話。
  • 小説家になりたい啄木が、一生懸命ことばを紡いでも結実しない。煎餅にならない。いのちないもののようにさらさらと指のあいだから落ちてしまう。その絶望を歌に托したのが「いのちなき砂の…」の歌ではないか。啄木にとって砂というものは命なきものではなく生あるものであると思う。だからわざわざ「いのちなき砂」とあらわした。
  • 啄木の涙を吸った砂が「玉」に変わった。「玉」は悟りそのものを現す。一粒のなみだを流す心さえあれば、そのなみだが「玉」となって奇蹟を導いてくれる。
  • 啄木は「大といふ字を百あまり砂に書き」つけることにより死ぬことをやめてあらたな明日へ歩み出した。だからこそ、多くの人が啄木の歌に希望の光を見て力をもらい続けているのではないか。

  • 啄木が「一握の砂」という言葉に托して伝えたかったメッセージとは、どんな絶望の中にあっても、たった一粒のなみだを流す心さえ残っていれば、人は救われ、立ち上がり、生きていけるということではなかったのか。そういうメッセージが込められていたからこそ「一握の砂」というタイトルにこだわり、繰り返し使い続けたのではないだろうか。

(国際ミニ講演<I>につづく)

2011-12-09

[][] 石川啄木『呼子と口笛』を読む 仙台文学館 2/18

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[イチョウ]


特別展「文学と格差社会」仙台文学館

  • 開催期間 :2012年1月21日(土)〜2012年3月20日(火)

日本近代文学史においては、「貧困」とそこに生きる人々を描いた作品が数多く残されています。本展は、樋口一葉から中上健次まで、貧困や社会の底辺を描いた作家たちを取り上げ、近代文学の百余年を「格差社会」という視点から俯瞰します。また文学が描いた社会の真実と様々な問題が、現代日本の現実とどのように繋がっているのかをもとらえ返すものとします。

会期中のイベント

1 文学講座「東北とプロレタリア文学」

  2012年1月29日(日)講師 高橋秀晴(秋田県立大学教授)

2 対談「文学は社会をどう描いてきたか」

  2012年2月12日(日)川村湊(文芸評論家)・佐伯一麦(作家)

3 文学講座「小林多喜二『蟹工船』と世界」

  2012年2月26日(日)講師;島村輝(フェリス女学院教授)

4 展示室リーディング

  • 〈樋口一葉『にごりえ』を読む〉

  2012年1月21日(土) 出演;渡辺祥子(フリーアナウンサー・朗読家)

  • 〈石川啄木『呼子と口笛』を読む〉

  2012年2月18日(土) 出演;館林敦士(俳優)17:15〜18:00


@ 申込みお問い合わせ先

 仙台文学館 電話 022−271-3020 仙台市青葉区北根2-7-1

2011-12-08

[][] 石川啄木 望郷と流離の人生と短歌 12/24-1/28

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[錦を纏った東京スカイツリー]


成人趣味教養講座「東北の文学・歴史を学ぼう」

  • 場所 東京都東大和市 中央公民館
  • 各回 午後2時〜4時
  • 内容

  1 2011年12月24日 柳田國男と『遠野物語』

  2 2012年 1月 7日  石川啄木 望郷と流離の人生と短歌

  3 2012年 1月 14日 東北の風土と文化の源流〜三内丸山から平泉へ〜

  4 2012年 1月 21日 環日本海交易の展開〜十三湊の繁栄と北前船〜

  5 2012年 1月 28日 近代の東北〜白河以北は一山百文?〜

  • 講師 

  文学編(1・2) 池田功氏(明治大学教授)

  歴史編(3・4・5) 池享氏(一橋大学大学院教授)

  • 申込み 12月10日(土)まで
  • 問い合わせ

   中央公民館 東京都東大和市中央3-926

   電話:042-564-2451  ファックス:042-563-5934

2011-12-07

[][] 釧路の啄木歌碑

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[巨大梨 五円玉と比べる]


啄木没後100年で来年イベント 釧路

  • 11月に釧路啄木会(北畠立朴会長)を母体に「石川啄木記念碑建立期成会」(春日井茂会長)が発足した。
  • 市内27番目の歌碑は鋳物製で高さ1.6メートル、幅20センチの六角柱。
  • 建立費用は約150万円。市民や企業から寄付金を募り、現在、その約半分が集まった。建立除幕式は、1月21日午前11時から建立場所で行われる。
  • 漂泊の歌人が釧路に滞在したのはわずか76日間だが、釧路を題材にした作品や日記は多く、今も多くの人に読み継がれている。

(2011-12-05 釧路新聞)

2011-12-06

[] 「2011 盛岡大会」<その 3 > 研究発表 田山泰三 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[ホットひといき 書籍・飲物・食べ物など]


<その 3 >

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研究発表

  田山泰三「藤澤黄鵠の生涯と思想 ── 啄木「藤沢といふ代議士を〜」に関する考察」


   藤澤といふ代議士を

   弟のごとく思ひて、

   泣いてやりしかな。

  • 石川啄木『悲しき玩具』の中のこの歌に関して現在の知見を紹介する。研究は現在進行形である。昨年、私も編集に参加して関西大学出版部から『泊園書院歴史資料集 ─ 泊園書院資料集成 1 ─ 』が出版された。そこに啄木の話も載っている。

『明治四十四年当用日記』石川啄木

二月十七日 曇

南北朝事件で昨日質問演説をする筈だつた藤澤元造といふ代議士が、突然辞表を出し、不得要領な告別演説をして行方不明になつた。新聞の記事は新聞の憎むべき迫害の殆ど何処まで及ぶかを想像するに難からしめた。


  • 藤澤黄鵠(元造)は、明治7年、藤澤南岳の長子として大阪に生まれる。黄鵠は、啄木より12歳上。明治22年、上京し、共立学校(今の開成高校)に入学する。明治32年と34年に清国へ留学する。明治36年、29歳で家督を継ぎ、私塾「泊園書院」院主となり学問と思想を継承する。明治41年、第十回衆議院総選挙で大阪府郡部区選出で当選する。
  • 明治44年2月4日、南北朝正閏問題に関する質問書を提出し、2月16日に議員辞職する。
  • 大正5年頃から大阪府立高等医学校(今の大阪府立大学医学部)にて教えるようになったが、大正9年、引退。大正13年、死去。享年51。

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[発表する田山泰三氏]


  • 大正3年、藤澤黄鵠の主要著作『洗酲餘禄』(せんせいよろく)発行。伊予に遊んだときの紀行。

大正3年11月27日の項(友人から南北朝問題で辞職したことについて聴かれたことに対し)、黄鵠は孔子の言葉から応える。

孔子曰く『言必ず信、行必ず果。かうかう然(かう=「石」偏に「巠」)として小人なるかな』と。 

  • この意味は、いったん言ったことは必ず実行しようとし、一度やりかけたことは必ず成し遂げようとする。硬い石がぶつかるようなコツコツした融通の利かない人も立派な人で、強者(つわもの)といえる。
  • この言葉に黄鵠は自らのことを例えている。
  • 泊園書院・黄鵠ゆかりの人に日柳三舟(くさなぎさんしゅう 1839-1903)がいる。泊園書院に学び大阪師範学校長に就任する。「浪華文會」を主宰し漢詩誌『海内詩媒』を発行する。同誌には与謝野寛も作品を寄せた。日柳三舟 → 与謝野寛 → 石川啄木というラインをみると、啄木と漢学者という人のつながりが考えられる……、というのが目下の仮説である。
  • 黄鵠の父・藤澤南岳と森鴎外は仲が良かった。鴎外の日記に南岳が何回も登場する。このつながりは見過ごすことは出来ない。

  • 今年は、「大逆事件」・「辛亥革命」・「一握の砂」から100年というメモリアルイヤーである。啄木および彼をめぐる人たちに関する一冊の本を残したいと思っている。

(研究発表つづく)

2011-12-05

[][] 「啄木・雪あかりの町・くしろ」1/21

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[酣]


来年 1 月啄木没後100年イベント/釧路

  • 釧路ゆかりの歌人、石川啄木が来年没後100年を迎えることを記念して、市民団体が、来釧した 1月21日に合わせたイベントの準備を進めている。
  • 啄木が釧路に降り立ち、最初に宿泊した場所に新たな歌碑が立つ。
  • 啄木が歩いた道をアイスキャンドルで照らす「啄木・雪あかりの町・くしろ」も行われる。

(2011-12-05 釧路新聞)

2011-12-02

[] 「2011 盛岡大会」<その 2 > 講演 熊坂義裕 2/2 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[開運橋から見る北上川と岩手山]


<その 2 >

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講演

  熊坂義裕「東日本大震災のこと 〜宮古市と啄木にも触れながら〜」

   ・盛岡大学栄養科学部長・前宮古市長


(つづき)

  • 啄木(明治19年生まれ)が高等小学校のとき、三陸大津波(明治29年)が起きた。啄木が津波について書き残したものはないと思われるが、非常に天才な彼だからいろいろなことを考えたのではないか。明治34年、啄木が冨田先生や友人とともに訪れた高田松原の松は、今回被害にあってなくなってしまった。
  • 啄木が明治41年に滞在した釧路の76日間は、彼にとって幸せなときであり釧路市民にとっても誇りである。石碑も全国一くらいの数がある。釧路市は本当に啄木を大事にしている。岩手の人はもっと啄木を大事にしないと…。今はまだ足りない。
  • 明治41年4月6日、啄木は上京途中、宮古に6時間ほど寄った。啄木最後の岩手の地が宮古だったことは宮古の人たちも嬉しい。

啄木の日記「明治41年4月6日」

起きて見れば、雨が波のしぶきと共に甲板を洗うて居る。灰色の濃霧が眼界を閉ぢて、海は灰色の波を挙げて居る。船は灰色の波にもまれて、木の葉の如く太平洋の中に漂うて居る。

十時頃瓦斯が晴れた。午后二時十分宮古港に入る。すぐ上陸して入浴、梅の蕾を見て驚く。梅許りではない、四方の山に松や杉、これは北海道で見られぬ景色だ。菊池君の手紙を先きに届けて置いて道又金吾氏(医師)を訪ふ。御馳走になつたり、富田先生の消息を聞いたりして夕刻辞す。街は古風な、沈んだ、黴の生えた様[な]空気に充ちて、料理屋と遊女屋が軒を並べて居る。街上を行くものは大抵白粉を厚く塗つた抜衣紋の女である。鎮痛膏をこめかみに貼つた女の家でウドンを喰ふ。唯二間だけの隣の一間では、十一許りの女の児が三味線を習つて居た。芸者にするかと問へば、“何になりやんすだかす。”

夜九時抜錨。同室の鰊取の親方の気焔を聞く。

  • 方丈記でも徒然草でも残ったものはみな文章がすばらしい。啄木は文章の天才だから書いたものが残った。

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[講演する熊坂義裕氏]


  • 節子の家出と大逆事件が啄木に与えた二つの大きな出来事だった。
  • 宮古出身の新聞記者・小國露堂は啄木の8歳上。啄木に社会主義を教え、目覚めさせた人物では露堂がナンバーワンだと思う。露堂に影響されて啄木は大逆事件のあの行動になったのではないか。
  • 啄木は本当に有名な人とつきあいがある。与謝野晶子とか森鴎外とか。なぜ付き合ったかというと、才能があったから。彼の才能をみんな認めたのだと思う。
  • 私は藤沢周平が大好きで彼の作品はほとんど読んでいる。藤沢周平は渋民に来たりして「啄木のことを書きたい」と言っていた。啄木と藤沢周平は相通じるところがある。
  • 啄木の残したものは、我々が明日を生きる勇気を与えてくれると感ずる。

(研究発表につづく)

2011-12-01

[] 啄木がこんなにも優れた散文を遺していた…三浦哲郎

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[ノブドウ]


芥川賞作家 三浦哲郎

  作風と文学への旅 33


○ 随筆「啄木のローマ字日記」

  • <この≪ローマ字日記≫を初めて読んで、啄木がこんなにも優れた散文(ローマ字もまた散文の一つに数えられるならばだが)を日記というひそやかな形で遺していたことに驚く> と同時に≪一握の砂≫や≪呼子と口笛≫と比べても <遜色ない代表作ではないかと思うようになった> と本音を吐露する。
  • それまで書き渋りがちだった文がローマ字を使うことでよどみない、伸び伸びと生気に満ち <肌理のこまやかな文章> になり <どんな恥ずかしいこと> や <汚らしいこと> でも平気でというより <むしろ新鮮な情熱をもって躊躇なく> 書けた。(吉田徳壽 前東奥日報社編集委員)

(2011-11-13 東奥日報)

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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。


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