〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木没後100年--啄木人気の秘密と文学と思想(下)


[クレーン]


啄木没後100年 東北の詩魂と反問/下
  
対談・山折哲雄×三枝※之 時代閉塞に抱いた危機
    [注:三枝※之(さいぐさたかゆき)氏(※は「昴」の「卯」の左側が「工」]

石川啄木をめぐる宗教学者山折哲雄さんと歌人の三枝たか之さんの対談は、東日本大震災後の状況にも話が及んだ。また、詩人・評論家の吉本隆明さん、俳人の西村和子さんに、啄木文学の評価や魅力を論じてもらった。

  • 山折 『一握の砂』(1910年)の巻頭歌、<東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹(かに)とたはむる>は、第一に挙げるべき啄木の代表歌だと思ってきましたが、大震災で確信をもったのです。…人間はすさまじい自然の力で破壊を受けたが、最終的にはその自然によって再び慰められるしかない。日本列島に住む人々は何千年、何万年も、この自然の二面性と付き合い、戦い、敗れ、そして生き抜いてきたのだと感じました。その時、大伴家持や、源実朝釈迢空らの歌とともに、自然に浮かび上がってきたのが啄木の<東海の>の歌でした。
  • 三枝 <東海の小島の磯の……>というのはマクロな視点の中で自分を見つめている歌です。置かれた環境の中で、もがき苦しみつつ生きることを宿命と受け止めている感触がにじんでいます。震災後、新しい読み方が生まれる可能性のある歌ですね。…啄木が衝撃を受けた出来事に多数の社会主義者らが逮捕、処刑された大逆事件(1910年)があります。…そこで啄木は「時代閉塞の現状」という刺激的な評論を書くと同時に、事件の経緯を克明に記録しています。震災後の私たちが学んでおきたいのは、後世に伝えるには、論じることと、基礎資料を用意することの二つが必要だという点です。<人といふ人のこころに/一人づつ囚人がゐて/うめくかなしさ>(『一握の砂』)という歌には、事件に対する強い危機意識が表現されています。

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  • 近代の第一級詩人───詩人・評論家、吉本隆明さん

 やさしい言葉で、生活の中の隠れた心理や思想を的確に摘出したことが、今も啄木の人気が衰えない理由ではないでしょうか。
 <友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ>
 <こころよく/人を讃(ほ)めてみたくなりにけり/利己の心に倦(う)めるさびしさ>(いずれも『一握の砂』)
 こうした生活の中の細々した感情や社会の見方を歌った作品は、ほとんどが一級品です。歌人の中には異論もあるでしょうが、「詩人」という概念を包括的な意味で用いるなら、間違いなく第一級の詩人といえます。…これだけの表現ができる詩人はそんなに多くはいません。日本の近代の詩人では、高村光太郎萩原朔太郎斎藤茂吉らと並んで5本の指に入る一人だと思います。

  • 不思議な治癒力ある−−俳人・西村和子さん

 <君に似し姿を街に見る時の/こころ躍りを/あはれと思へ>(『一握の砂』)
 石川啄木のこの歌が、私を短詩型文学の入り口に誘(いざな)ってくれた。憧れの英語の先生の姿をひと目でも見かけるとその日は一日中幸せ、通学途中の電車の中で似た人を目にしただけでも胸が高鳴った。中学三年生だった。…あれから半世紀、短歌よりさらに短い俳句を表現手段に選んだが、どこでも作れて暗誦でき、いつでも味わえるという短詩型の魅力を最初に教えてくれたのは啄木だった。
 <頬(ほ)の寒き/流離の旅の人として/路(みち)問ふほどのこと言ひしのみ>(同)
 <眼(め)閉づれど、/心にうかぶ何もなし。/さびしくも、また、眼をあけるかな。>(『悲しき玩具』)
…その歌には不思議な治癒力があるのだ。青春時代に立ち戻って涙したあとに、生きる力が湧き上がって来るのにも似た、人生に疲弊した心を再生する力が。(寄稿)
(2012-01-05 毎日新聞>東京夕刊)