啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

 | 

2012-02-29

[][] 「啄木と賢治 新しき「明日」に向けて」対談 4/14

f:id:takuboku_no_iki:20120229170952j:image

[赤煉瓦]


石川啄木没後100周年記念企画・対談

「啄木と賢治 新しき『明日』に向けて」

  • 2012年4月14日(土)13:30〜16:00
  • 会場 新宿農協会館(渋谷区代々木2-5-5 JR新宿南口より徒歩5分)

啄木と賢治の人生とその歴史的背景・宗教・自然・労働・新しき明日に向けて

  ○ 三上満さん:宮沢賢治研究家

  ○ 池田功さん:明治大学教授、啄木研究家

今年4月13日は石川啄木の百年目の命日。1886年生まれで26歳で死んだ啄木、そして10年後の1896年に生まれ37歳で没した宮沢賢治は、ともに岩手県が生んだ偉大な文学者であり、今も愛され続けている作家です。新しき「明日」に向けて生きた二人は、3.11を経験し、人間のあり方を問い直そうとしている今日の社会にも大きな示唆を与えてくれます。

  • 受講料 2.000円
    • たびせん・つなぐ&ムジカ 共催
    • 申し込み ムジカ音楽・教育・文化研究所 TEL 03-3356-5713

2012-02-28

[][] 『橋のない川』<その7>-終 啄木は、ふるさとの山はありがたきかな、と歌ったが…

f:id:takuboku_no_iki:20120228164625j:image

[大正ガラス]


《作品に登場する啄木》

  橋のない川

    住井すゑ 新潮社


(つづき)

<その7>

第五部

《落花の賦》

孝二たちは夕日にきらめく校舎の窓をうしろに、やがて大橋を西に越えた。

西の山なみ──金剛、葛城、二上、生駒は、きょうもその存在のままを空に対けている。誇張もなく、自負もなく、失意もなく──。

“ 啄木は、ふるさとの山はありがたきかな、と歌ったが、誰か、 “ 山になりたい、” と言いはしなかったろうか? ”

思いながら孝二は山を眺めた。

山を眺めながら孝二は歩いた。

常にも増して山は美しかった。

(『橋のない川』終)

2012-02-27

[][] 『橋のない川』<その6> かにかくに坂田の里は恋しかり 似非啄木

f:id:takuboku_no_iki:20120227165232j:image

[スダジイ]


《作品に登場する啄木》

  橋のない川

    住井すゑ 新潮社


(つづき)

<その6>

第三部

《影踏み》

孝二はおぼえている。

   新しき明日の来るを信ずといふ

   自分の言葉に

   嘘はなけれど──

歌集 “ 悲しき玩具 ” に収められている啄木の歌だ。

孝二もやはり新しい明日の到来を信じている。いや、明日を信じることだけが孝二の生甲斐なのだ。そんな孝二が、それを口にする時、いかにひっしなものが全身にわき立つことか。

(中略)

結局、如何に孝二たちが新しい明日の到来を信じたところで、他方にそれを望まぬ強大な力が存在する限り、実現は到底不可能なのだ。それをなおも信じるのは、 “ 歌は私の悲しい玩具である ” と啄木が言ったのと同様に、所詮エタにうまれたものの “ 悲しい玩具 ” なのではあるまいか?

孝二は更に記憶を辿ることが出来る。

   世におこなひがたき事のみ考へる

   われの頭よ!

   今年もしかるか

しかし啄木の考えた “ 世におこなひがたき事 ” よりも、孝二は自分の考えていることの方が、はるかに “ 世におこなわれがたい ” のではないかと思わないわけには行かない。

(中略)

そこ(兄誠太郎からのハガキ)には次のようにしるされていた。

   かにかくに坂田の里は恋しかり

   おもい出の葛城川(かわ)

   おもい出の蛽独楽(ばい)  似非啄木


   省境も国境もいわず降りしきる

   雪にいどみつ

   きょうも暮れゆく       一兵卒

(つづく)

2012-02-26

[][] 『橋のない川』<その5> そんな啄木のしあわせが羨ましかった…

f:id:takuboku_no_iki:20120226170343j:image

[狐の嫁入り]


《作品に登場する啄木》

  橋のない川

    住井すゑ 新潮社


(《海酸漿》つづき)

<その5>

孝二はふとんにうつ伏せた。孝二は思いきり泣きたかった。けれども啄木がその歌でうたっているように孝二には泣けない。孝二は、

   死ぬまでに一度会はむと

   言ひやらば

   君もかすかにうなづくらむか

そんな啄木のしあわせが羨ましかった。そして、そんなしあわせな啄木は、所詮遠い世界の人のように思われる。

(中略)

孝二は窓にもたれ、だまって二上山を見ていた。しかし瞳の底に動くのは、

   いのちなき砂のかなしさよ

   さらさらと

   握れば指のあひだより落つ

啄木がかなしんだその砂よりも、もっと呆気なく自分の指間をこぼれて落ちて行った映像だった。

(つづく)

2012-02-25

[] ことしの国際啄木学会は「台湾」 5/10~5/13

f:id:takuboku_no_iki:20120225171029j:image

[ひな祭り]


国際啄木学会 2012年 台北大会

  • 開催地 「台湾」国立台湾大学(台北市)
  • 期日 2012年5月10日(木)〜13日(日)
  • 日程 10日(木) 日本出発 → 台北へ

    11日(金) 実地踏査(平和記念館、故宮博物院、淡水方面など)

    12日(土) 大会(会場 国立台湾大学

    13日(日) 台北出発 → 日本へ


  • 大会プログラム(案)

09:00 開幕式

09:20 記念講演1、啄木詩歌の朗読会、記念講演2

12:15 昼食、校内施設見学

14:00 研究発表、総合討論

16:30 閉幕式

17:30 懇親会

 

2012-02-23

[] 啄木-生活者としてはろくでなし でも愛すべき人間

f:id:takuboku_no_iki:20120223173850j:image

[つるし飾り]


中央区観光協会オフィシャルブログ

  没後100年----石川啄木

「東海の小島の磯の白砂にわれ泣き濡れて蟹とたはむる」

「砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日」

などの歌で知らぬ人のない程有名な明治期の詩人・歌人の石川啄木は岩手県日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸」に曹洞宗住職の長男として明治19年(1886年)2月20日に誕生しました。昨年から「国際啄木学会」など関連イベントが始まっていますが、没後100年にあたる今年は縁の地の函館や釧路でもまた沢山の企画があるようです。

昨年上演された「ろくでなし啄木」でも生活者としてはろくでなしの、でも愛すべき人間として啄木が描かれていました。

朝日新聞時代に作った「京橋の滝山町の新聞社灯ともる頃のいそがしさかな」の石碑が朝日新聞社の跡地に立っています。「没後100年」毀誉褒貶甚だしい歌人の短い波乱の人生に思いを馳せてみるのもいかがでしょうか。因みに昨年の「国際啄木学会」のテーマは「新しき明日、新しき啄木」でした。

 

[] 「一握の砂」で給食メニュー

  • 石川啄木(1886-1912)の没後100年(4月13日)を前に22日、盛岡市内の小中学校計43校で、啄木の歌集「一握の砂」に収録された食べ物に関する短歌を基にした給食が出された。啄木はハイカラなものが好きで歌にもパンやハムが登場する。
  • 市栄養士会が考案した今年のメニューは、「新しきサラドの皿の 酢のかをり こころに沁(し)みてかなしき夕」からサラダ、「馬鈴薯(ばれいしょ)のうす紫の花に降る 雨を思へり 都の雨に」からジャガイモのスープなどだった。

(2012-02-22 テレビ岩手。2012-02-23 読売新聞、朝日新聞)

2012-02-22

[] 啄木スープ・ハムのチーズ焼き・サラド…啄木ゆかりの給食

f:id:takuboku_no_iki:20120222201306j:image

[ウメ]


「いただきます 2月」 盛岡市立桜城小学校

2012年2月22日(水)

  パン・啄木スープ・ハムのチーズ焼き・サラド・ハムやき・かりんとう・牛乳

◎ 盛岡の先人…「石川啄木」給食

  • 明治19年2月20日盛岡市玉山区渋民生まれ。詩集「あこがれ」「一握の砂」「悲しき玩具」などを残した詩人・歌人。
  • 〈今日の給食〉日常をうたった詩や短歌が多い啄木。身近な食べ物のうたもたくさん残されています。うたの中の食べ物から給食を作りました。
  • (一握の砂より)

  或る時のわれのこころを 焼きたての  麺麭(パン)に似たりと思ひけるかな

  ひとしきり静かになれる ゆふぐれの  厨(くりや)にのこるハムのにほいかな

  新しきサラドの皿の 酢のかをり  こころに沁みてかなしき夕(ゆふべ)

[] 潮流

  • 戦前のプロレタリア文学作家、日本共産党員だった小林多喜二が特高警察に捕まり虐殺されたのは1933年2月20日です。薄曇りの寒い日だったといいます。
  • 多喜二が4歳だった1907年末、一家は秋田から小樽に移住しました。当時、石川啄木もこの町で暮らしていました。新聞編集の仕事に挫折した後、社会主義に関する演説会に参加し、感動を日記にしるしています。
  • 「こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて死なむと思ふ」。小樽公園にある碑に刻まれた啄木の歌です。命がけでできる仕事を求める思いが痛いほどです。

(2012-02-20 しんぶん赤旗>潮流)

2012-02-20

[] 今日は啄木の誕生日

f:id:takuboku_no_iki:20120220044316j:image

[フクジュソウ 花言葉は「幸福・思い出」]


2012年2月20日

啄木の誕生日は1886年、明治19年の今日。

26年と53日を走り抜けた人だった。

啄木の生まれた1880年ころの平均寿命は37歳位、啄木が亡くなったころは44歳位だったらしい。乳幼児の死亡率が高かったから元気に育ったひとで計算すればずっと伸びるとは思うが、それにしても短い。ちなみに縄文時代は15歳位……!

2011年世界保健機関の発表によると、日本人の平均寿命は女性86歳、男性80歳、平均83歳で世界一。啄木のころに比べると約2倍の命をもらっている。

誕生日は、前年の1885年10月27日説もある。120年以上過ぎてみれば、啄木という人が生まれたことに感謝して、「生まれた日付なんてどっちでもいいかぁ」と不謹慎にも思う。

 

[] 札めがけ、真剣勝負 盛岡・玉山で啄木かるた大会

  • 啄木生誕祭「啄木かるた」大会は18日、盛岡市玉山区の市渋民文化会館で開かれ、市内の小中学生ら249人が石川啄木の歌を味わいながら、熱戦を繰り広げた。
  • 昨年北海道函館市で開かれた函館・盛岡啄木交流かるた大会で優勝したチーム「わんぱくASL」(函館市)も参加し、交流を深めた。
  • 同大会は、毎年2月20日の啄木の生誕日に合わせて開催し、今年で10回目。

(2012-02-19 岩手日報

2012-02-19

[][] 『橋のない川』<その4> 「畑中が石川啄木の歌集を持ってるの、知ってるけ?」

f:id:takuboku_no_iki:20120219053014j:image

[氷の花]


《作品に登場する啄木》

  橋のない川

    住井すゑ 新潮社


(つづき)

<その4>

《海酸漿》

貞夫と恒太郎は神功皇后を祀る社殿のうしろで弁当をひろげた。緑一色の耕地の中に点在する家々の白壁。四すじのたて縞のように盆地を走る葛城、曾我、飛鳥、寺川の流れ。その果てにかすむ、信貴、生駒の山なみ。小さな国、大和の姿。ふっと物悲しいような思いが貞夫の胸を走り過ぎた。

「里村君。畑中が石川啄木の歌集を持ってるの、知ってるけ?」

貞夫は箸をやすめて恒太郎の顔をのぞいた。

「へーえ。それは知らぬかったなア。畑中君はその歌集を買うたんけ。」

「いいや。大阪の兄さんに送ってもろたんや。

    " ふるさとの山に向ひて 言ふことなし

    ふるさとの山はありがたきかな "

わし、生駒山を見てたら、ひょっと思い出してン。」

「僕もその歌なら増山先生に聞かしてもろたことがある。先生も啄木の歌は大好きや。」

恒太郎は中学の受験準備のため、三学期に入ってから毎日曜、八木の増山先生の下宿に通っていたのだ。

「その歌集に、こういうのがあるネ。

    " 摩れあへる肩のひまより わづかにも

    見きといふさへ日記に残れり ''」

(つづく)

2012-02-18

[][] 愛好家も研究者も必読『復元 啄木新歌集』

f:id:takuboku_no_iki:20120218051313j:image

[ウメ]


「文庫日和」週刊読書人 2012年2月17日号)

石川啄木著・近藤典彦編『復元 啄木新歌集』(桜出版)

  啄木愛好家も、研究者も必読のテキスト

  • 啄木没後百年、「悲しき玩具」が生まれ変わり、幻の歌集「仕事の後」の復元が叶った! 
  • 本書は、従来「悲しき玩具」の名で知られている「一握の砂以後(四十三年十一月末より)」と、幻となった「仕事の後」、二つの歌集からなる。『悲しき玩具』は友人であった土岐哀果が啄木の死後に編集したもので、重要な問題点を含んでいる。このたびその諸問題を解説し、また解決して、新たなかたちで「悲しき玩具」が誕生した。
  • 「仕事の後」は啄木自身が死去する数年前からの歌をまとめた歌集だったが、版元・春陽堂に持ち込むも売れず。再編集しなおした第二次及び第三次「仕事の後」が「一握の砂」の原型となっているという。今回復元されたのは、再編集前の第一次「仕事の後」。

316ページ。1050円。桜出版 TEL.03-3269-3420

(2012-02-17 週刊読書人

新刊の案内 桜出版

2012-02-17

[][] 『橋のない川』<その3> 自分の思いどおりに歌うたら、それ、やっぱり歌け。

f:id:takuboku_no_iki:20120217043300j:image

[シードラゴン]


《作品に登場する啄木》

  橋のない川

    住井すゑ 新潮社


(つづき)

<その3>

ところで放課後、学級日誌を記入する孝二を、貞夫は今日も教室の片隅で待ち合わせていたが、

「孝やん、ここに、ええのがあるで。」と、歌集のとある頁をゆびさした。

「そうかて、それはどの歌もみなええやないけ。」

顔を上げずに孝二が言った。

「でも、これ特別や。お前はん、このままこの歌を貰とくとええワ。」

それがどういう肌合いの歌か孝二は見当がついた。貞夫が杉本まちえを心に含んで言っているのがわかるからだ。そして、やはり孝二の勘に狂いはなかった。貞夫は帰途につくなり、

   摩れあへる肩のひまより

   わづかにも見きといふさへ

   日記に残れり

と二度くりかえした。

(中略)

そんな孝二は、その夜、“ ゆふべの歌の本を読んできかしてんか " とふでに所望されるや、気軽に頁をあけて、

   砂山の砂に腹這ひ

   初恋の

   いたみを遠くおもひ出づる日

と、ふしをつけてよみ上げた。

(注:ふで=孝二の母)

(中略)

孝二は、こんどはささやくような低声で読んだ。

   はたらけど

   はたらけど猶わが生活楽にならざり

   ぢつと手を見る

(中略)

「でも孝二、これやったら歌や無うて、ほんまの話やないのけ。」

「うん、ほんまの話や。そのほんまの話を歌うてるさかい、これはほんまの歌や。」

「そうかえ。わいはまた、歌というのは花は美しいとよろこんだり、雲はふしぎやと感心したり、日本の国は立派やとほめたりするものやとばかし思うてたがな。」

「昔はそんなのがはやったけど、今はもう古うてあかぬワ。」

「そんなら孝二、文盲のわいが、自分の思いどおりに歌うたら、それ、やっぱり歌け。」

ぬいが言った。

「せやとも。もしお祖母んが草履編みのことを歌うたら、それ、ほんま物やで。」

「あははゝゝゝゝ。こら、えらい事になりよった。」

自分の口から歌がうまれるなどということは、ぬいには天に梯子を架ける類に思えて、爆笑でもせずには気がすまなかったのだ。しかし、“ じっと手を見る " 歌は、生き物のようにぬいの胸底でいきをしていた。ぬいは自分の両手を眺めた。両手は人並より大きく、うまれつき働くことが好きそうなかっこうだ。そして事実この両手は働きに働いた。だが、“ なおわがくらし、らくにならざり " で、ぬいは今も膝に重ねて両手を眺めるひまもない。

(つづく)

 

[] ひと晩に咲かせてみむと、/梅の鉢を火に焙(あぶ)りしが、

天声人語 2/17

  • 今年が没後100年の石川啄木に、梅を詠んだ、どこかおかしくて淋しい一首がある。〈ひと晩に咲かせてみむと、/梅の鉢を火に焙(あぶ)りしが、/咲かざりしかな。〉。3行書きだが、改行と読点をとばして読むと三十一文字(みそひともじ)のリズムになる。
  • 実際に試したのか空想かはおいて、にじむ屈折は、思うにまかせぬ人生の投影だろう。
  • 没後70年、与謝野晶子の詩「二月の街」はうたう。〈春よ春、/街に来てゐる春よ春、/横顔さへもなぜ見せぬ。/春よ春、/うす衣(ぎぬ)すらもはおらずに/二月の肌を惜むのか……〉
  • 寒気が流れ込み、週末はきびしく冷え込むという。だが、寒さの底で何かが兆している。ぴしり――と氷の割れる音に、耳を澄ます春よ早く来い。

(2012-02-17 朝日新聞>天声人語

2012-02-16

[][] 啄木の魅力をうたう コンサート 4/13

f:id:takuboku_no_iki:20120216171248j:image

[スイセン]


石川啄木没後100周年・「悲しき玩具」発刊百年

啄木の魅力をうたう小川邦美子コンサート

  啄木が没して100年、いろあせぬ歌の数々・・・

  短歌だけではなく詩の魅力もお楽しみ下さい。

  ショパン・エチュード、昴、ほうせんか、・・・

  様々に啄木を歌います。

  • 出演者 小川邦美子(ソプラノ)、金指修平(バリトン)、山田剛史(ピアノ)、三ツ木摩理(ヴァイオリン)、碓田のぼる(お話)
  • チケット価格 全席自由 ¥3,000
  • お問い合わせ ともしび音楽企画 Tel:03-3352-0231

記事

2012-02-15

[] 石川啄木の筆跡の「もりおか」--バス

f:id:takuboku_no_iki:20120215054021j:image

[1円玉と大イチゴ]


盛岡循環バス「でんでんむし」レトロに変身

  • 盛岡市内の循環バス「でんでんむし」に新デザインの車両が登場し、13日、JR盛岡駅前で出発式があった。
  • 「でんでんむし」7台のうち1台を、従来の白色から深緑色に変え、レトロ調のデザインにした。側面に盛岡さんさ踊りやチャグチャグ馬コなどの写真と石川啄木の筆跡の「もりおか」をあしらった。

(2012-02-14 朝日新聞>マイタウン>岩手)

2012-02-14

[][] 『橋のない川』<その2> 一人かくれて “一握の砂" の頁をくった

f:id:takuboku_no_iki:20120214052901j:image

[運搬船]


《作品に登場する啄木》

  橋のない川

    住井すゑ 新潮社


(つづき)

<その2>

貞夫もひととき一緒に笑っていたが、

「もう一つまねして作ったろか。“一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと” というのを、“一度でも我を小森と嘲りし 奴みな死ねと いのりてしこと” とするんや。どうや孝やん、こんなの、あかぬか。」

孝二は急にだまりこんだ。彼は梯子段をふみ外したように、身も心もがくんと来たのだ。啄木は単に頭を下げることにさえやり切れぬ卑屈さを感じて、怒りを爆発させている。それは異常に自分を高く保とうとする詩人的性格の然らしめるところにしても、人に頭を下げさせる人間は十分非難されるべきだし、時には憎悪や呪詛を買っても自業自得というべきではあるまいか。ところが自分たちは代代にわたって頭を土足で踏みつけられてきながら、なお人間としての怒りを爆発させることが出来ないでいるのだ。……孝二は卑怯者のそしりと、意気地なしの嘲りを背中一杯に浴びせられているようで肩が竦んだ。

(中略)

彼(孝二)は昼休み中も運動場の仲間から遠ざかり、一人かくれて “一握の砂" の頁をくった。

   わが抱く思想はすべて

   金なきに因するごとし

   秋の風吹く

ゆうべからしつこく心にまつわりつく一首だった。貞夫流に焼き直せば、

   わが抱く思想はすべて

   エタなるに因するごとし

   秋の風吹く

(つづく)

 

[] 「石川啄木没後100年 在りし日の啄木をしのぶ」

「いわてデスティネーションキャンペーン

  • DC特別企画として「駅からハイキング」DCコースを26コース設定します。いわての魅力を歩いて楽しめるコースをエリアごとに設定しております。
  • 期間設定コース 13コース 4月1日から6月30日

    • 盛岡駅「石川啄木没後100年 在りし日の啄木をしのぶ」

(2012-02-13 JRグループ

2012-02-13

[] われ見送りし妻の眉かな 石川啄木

f:id:takuboku_no_iki:20120213055224j:image

[ウメ]


命の歌を読む:雪の中で=東直子

今年の冬は例年より寒く、日本海側では大雪が続いている。生き物にとって、試練の季節である。雪の中の命を探りたい。

   子を負ひて

   雪の吹き入る停車場(ていしゃば)に

   われ見送りし妻の眉かな   石川啄木

東北に生まれ、若くして家長となった啄木は、生活苦の中にあった。雪の吹き込む寒い停車場に、仕事へと出かけていく夫を見送る妻と、その妻の不安な心持ちを、凍りついた眉に察する夫。厳しい気候の中で、お互いを思いやる気持ちが伝わる。母の背にひったりと負われた赤ん坊もまた、小さな身体で寒さをこらえている。(ひがし・なおこ=歌人)

(2012-02-12 毎日新聞>芸術・文化)

2012-02-11

[] 啄木終焉の地に石碑再建を -文京区小石川

f:id:takuboku_no_iki:20120211173753j:image

[要望書を手渡す大室精一東京支部長、佐藤勝理事、

飯坂慶一会員(撮影・山田武秋会員)]


f:id:takuboku_no_iki:20120211190724j:image

[在りし日の石碑 2000年5月 啄木の息管理者撮影]


啄木終焉の地の石碑再建要望書を提出

  • 国際啄木学会東京支部長らが、2月10日、文京区役所に「啄木終焉の地における石碑の再建等についての要望書」を提出した。(以下の要望書は要約したもの)

平成24年2月10日

文京区長 成澤 廣修 様

                    国際啄木学会東京支部長 大室精一


   啄木終焉の地における石碑の再建等についての要望書

  • 拝啓 日頃から文京区の文化財行政にご尽力されておられますことに敬意を表します。
  • 早速ですが、文京区小石川五丁目11−7に所在した、昭和42年建立の石碑(「都旧跡啄木終焉の地」)が撤去されたことで、その再建についての要望でございます。
  • ご存知のように東京都は所有者の宇津木さんが転居されたことで、文化財としての保存すべき土地がなくなり、石碑の再建はできないとの見解を示しています。
  • 石碑「啄木終焉の地」は多くの啄木の文献に紹介されており、啄木愛好者はその存在感に魅了されており、都が旧跡と指定したように歴史的価値を有するものであり、いまも多くの人が現地を訪れています。プレート表示だけでは実感できないものです。是非再考されて、その再建にご尽力いただきたく強く要望します。東京都によれば、石碑は保存されており修復可能ということでした。
  • その一環として、文京区史跡として指定されることも併せてご検討いただきたい。それは所有者が代わり、将来啄木終焉の地としての歴史的・文化的理解がなくなることも懸念されるからです。プレート表示も土地所有者の理解が得られなくなればどうなるか、この面でも我々が危惧していることをご理解いただきたいと思います。

◎ 2009年夏の終焉の地のようす

  啄木文学散歩「喜之床跡と石川啄木終焉の地」

2012-02-10

[][] 『橋のない川』<その1> 一握の砂、てなんやネ。

f:id:takuboku_no_iki:20120210171837j:image

[ミツマタ]


《作品に登場する啄木》

  橋のない川

    住井すゑ 新潮社


<その1>

第二部

《竹馬 一》

この手紙といっしょに送る歌集は、豊さんがくれたもので、作者の石川啄木という人も、幸徳秋水に心を傾けていた一人やそうです。こういう歌なら、お前はんにも気に入るやろと思います。

  (注:大阪で米屋の丁稚をしている兄誠太郎が弟孝二に送った手紙)


《竹馬 二》

「一握の砂、てなんやネ。」

「これや。」

待ってましたというように、孝二はふところから一冊の本を取り出した。

「歌集やな。誠やんが送ってくれたんけ。」

歩きながら貞夫は頁をめくる。

「そうや。昔の和歌とまるでちごうてるネ。」

なるほど、和歌は二行に書き分けるものだとの貞夫の常識に反してこれは三行書きである。

   東海の小島の磯の白砂に

   われ泣きぬれて

   蟹とたはむる

貞夫は声をあげて更に読んだ。

   頬につたふ

   なみだのごはず

   一握の砂を示しし人を忘れず


   大海にむかひて一人

   七八日

   泣きなむとすと家を出でにき

「こら、ええワ。乃木さんの辞世の歌より面白いで。」

(中略)

「孝やん、わしらも一つ、この歌をまねして作ってみよや。」

(中略)

   たはむれに母を背負ひて

   そのあまり重きに呆れ

   三歩あゆまず

おかしかった。全く、はらわたをえぐられるほど孝二はおかしかった。貞夫の母親は、十七貫はかかる体躯のの持主だった。

(つづく)

 

[][] 「仕事の後」復元 +「一握の砂以後」= 1冊に

  • 歌人石川啄木の没後100年に合わせ、旭川出身の啄木研究者の近藤典彦さんが、第1歌集「一握の砂」の原型といえる歌集「仕事の後(のち)」を復元した。
  • 「一握の砂」は1910年(明治43年)12月に東雲堂書店から刊行した。啄木はこれに先立つ8カ月前、別の出版社に歌集出版を売り込んだが、失敗。その後、歌を追加するなど再編集し、「一握の砂」が生まれた。この元になった幻の歌集が「仕事の後」で、近藤さんは歌稿ノートなどをもとに「仕事の後」を復元した。
  • 「悲しき玩具」は啄木の死後、友人の土岐哀果が、「一握の砂」刊行後に啄木がつくったノート歌集をもとに編集し、1912年6月刊行。以降、これが底本となったが、啄木の意図が崩れ、ルビ振りにも誤りが目立ったという。近藤さんはこうした点を修正し、歌集名も啄木が当初考えていた「一握の砂以後」に替えた。
  • 近藤さんは「啄木没後100年、『悲しき玩具』刊行100年の記念すべき年に、二つの新しい啄木の歌集を刊行できたことがうれしい」と話している。

○『復元 啄木新歌集』近藤典彦 編

  桜出版 文庫判1050円。桜出版 TEL.03-3269-3420.

(2012-02-07 北海道新聞

2012-02-08

[][] 再構成した「復元 啄木新歌集」(桜出版)

f:id:takuboku_no_iki:20120208205336j:image

[より高く]


啄木の2歌集を再構成 近藤さんが刊行

国際啄木学会元会長の近藤典彦さんが研究成果に基づいて啄木の歌集を再構成した「復元 啄木新歌集」(桜出版)が刊行された。

  • 「一握の砂以後(四十三年十一月末より)」と「仕事の後」の二つの歌集で構成。「一握の砂以後−」は、啄木の死後、友人の土岐哀果が編集した「悲しき玩具」の歌の順番を入れ替えた。「悲しき玩具」冒頭の「呼吸(いき)すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/■凩(こがらし)よりもさびしきその音!」(■は1字空け)など2首を制作順に合わせて末尾に移した。
  • 「仕事の後」は第1歌集「一握の砂」の第1次原型といえる「幻の歌集」。「一握の砂」刊行の8カ月ほど前に出版社に持ち込んだ225首。まとまった形で残っていないが、先行研究の成果から歌稿ノートの手がかりをもとに収録歌を復元し制作順にまとめた。
  • 近藤さんによる解説は97ページにわたる。「悲しき玩具」の編集の問題点や二つの歌集の成立過程などを詳しく紹介している。

 文庫判、316ページ。1050円。桜出版 TEL.03-3269-3420。

(2012-02-08 岩手日報

2012-02-07

[][] 『復元 啄木新歌集』啄木が再現VTRに !?

f:id:takuboku_no_iki:20120207160026j:image


『復元 啄木新歌集』を読む -「啄木の息」管理者

(啄木が)氷嚢の下から、どんよりした目を光らせて、いくたびもうなづいた。…「それで、原稿はすぐ渡さなくてもいゝのだろうな。訂さなくちやならないところもある。癒つたらおれが整理する」と言った。(土岐哀果『悲しき玩具』編集後記)

啄木は癒らず訂さず死んだ。

編者は啄木となり幻の歌集を編んだ。


  • たくさんの資料の中から歌の誕生した瞬間を解明する。

啄木自身の体調とのつきあい、妻・子・母・父・妹・同僚・友らとのあいだ、歌の世界・病院のこと…そして幸徳事件。縦糸も横糸も“編み込み模様”も、パズルのように組み合わせてくれる。

  「もう歌はやめよう!」と決断したとき。

  六月二六日午前二時は歌人石川啄木誕生の瞬間。

  一〇月二日から一〇月二六日までの間に、啄木の変身は完了。

  天才石川啄木が誕生。

  • また、ルビのひとつひとつ、「寝」と「寐」の使い分け等を啄木の意図したこと・意図したものを正確に求めて訂した。
  • 「あとがき」で、啄木の「白鳥の歌」二首(最後の歌)と谷村氏の「昴」について触れている。「(谷村新司氏は)…石川啄木を読みました。読んだと言うより食べました。そしてそのとき食べた糧が、曲や詩となって出てくるのです」と。

   呼吸(いき)すれば、

   胸の中(なか)にて鳴る音あり。

    凩よりもさびしきその音!

 

   眼閉づれど

   心にうかぶ何もなし。

    さびしくもまた眼をあけるかな

谷村新司さんは先月TV番組「EXILE魂」に出演し、「昴はわずか1時間半で完成した」と紹介していた。胃の腑に焼き付くような凄い糧を食べたから、それが凄まじい奔流となって詩となり曲となって生まれ出たのだろう。


  • いま、実際にみることのできない「その時」の啄木の立ち居振る舞い、あたりの様子、世間の風の匂いまでもが再現VTRを観るように描かれている。
  • この本を手にとると、挫折のなかから大災害のなかから立ち上がる希望の糧がきっと見つかる。

────────────────

『復元 啄木新歌集』近藤典彦 編

  一握の砂以後(四十三年十一月末より)

  仕事の後

  • 桜出版-文庫判 定価1,050円
  • 桜出版(TEL.03-3269-3420 FAX.03-3269-8480  E-mail sakuraco@leaf.ocn.ne.jp)

新刊の案内 桜出版HP

2012-02-06

[] 流された啄木歌碑を発見できたら『希望の石』としては…

f:id:takuboku_no_iki:20120206171026j:image

[記念硬貨「世界遺産平泉」中尊寺 金色堂毛越寺 曲水の宴]


岩手日報 風土計

  • 今年は歌人石川啄木の没後100年。盛岡市石川啄木記念館などは、新たにつくる「啄木かるた」に使う歌を公募している。
  • 啄木碑は石川啄木記念館が確認しているだけで全国に165 ほどある。与謝野晶子若山牧水に次いで多い。
  • 「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」。陸前高田市高田松原にあった歌碑。昨年 3月11日の大津波で流され、見つかっていない。
  • この碑の前にあった級友船越金五郎揮毫の歌碑も1960年 5月のチリ地震津波で流された。後に土砂の中から発見され、氷上神社境内に移設された。
  • 「歌碑を発見できたら『希望の石』としてはどうか。心豊かに生きるため、啄木の言葉を生かしてほしい」。石川啄木記念館の山本学芸員はこう願う。県内にも多くの歌碑がある。巡ってみるのも面白い。

(2012-02-06 岩手日報>風土計)

[] 啄木没後100年 再認識を…講演

  • 今年没後100年を迎えた函館ゆかりの歌人、石川啄木を再認識してもらう文学講座が4日、函館市文学館で開かれた。「石川啄木連続講座」の第1回目。
  • 啄木研究家の桜井健治さんが講師を務めた。最初に「一握の砂」を取り挙げ、啄木が上京していた1908(明治41)年以降に全ての歌が作られた。「都会生活の哀歓を詠んだリアルな歌、故郷の盛岡や北海道を思う望郷の歌に大別できる」と紹介した。1912(同45)年発刊の「悲しき玩具」については、「困窮していた生活や自分の病気など現実を見つめたものや、政治、社会に対する鋭い洞察が見られる。『一握の砂』のような叙情性は消えている」と説明した。
  • 同講座2回目は3月3日午後2時を予定している。

(2012-02-05 函館新聞社)

2012-02-05

[] 文京区ゆかりの文人銘菓募集 -鴎外・啄木・・

f:id:takuboku_no_iki:20120205155215j:image

[春は名のみの]


「文の京(ふみのみやこ)ゆかりの文人銘菓」を募集 東京都文京区

数多くの文学者を育んできたまち、文京区。その魅力を高め、観光振興に資することを目的に、区内の菓子製造・販売店に、区ゆかりの代表的な文人に関連した土産菓子の開発を支援。

(2012-01 文京区 報道発表資料)

2012-02-03

[] 特集-1「啄木と海」北海道新聞

f:id:takuboku_no_iki:20120204185317j:image

[いさりのりんご(盛岡市猪去(いさり))]


「啄木と海」

  命の鼓動 魂の叫び

歌人石川啄木の足跡を手繰っていくと、キーワードの一つとして海が浮かび上がってくる。海をめぐる不思議な縁から「啄木特集」をスタートさせたい。(編集委員 黒川伸一)

  • 啄木は釧路にいた1908年(明治41)、上京を決意。貨客船で宮古に上陸した。
  • 宮古は昨年の津波で、4700戸が全半壊、死者不明 640人。啄木が 6時間を過ごした鍬ヶ崎地区は壊滅的な被害を受けた。
  • 内陸育ちの啄木にとって、海は未知の存在だ。海らしい海を見たのは、1900年(明治33)、修学旅行で三陸海岸を訪れた時だった。その 4年前、明治三陸大津波がこの海岸を襲い、2万人以上の犠牲者を出していた。国際啄木学会の森 義真・事務局長は話す。「啄木はこの旅行後、津波で医師不足となり、県から釜石に派遣された医師でいとこの工藤大助宅に宿泊しており、大津波のことを聞かされたはず」

  大という字を百あまり/砂に書き/死ぬことをやめて帰り来れり   『一握の砂』

   

(2012-01-30 北海道新聞

2012-02-02

[][] 講演会『啄木と道元』まったく新しい啄木の作品世界が…4/14

f:id:takuboku_no_iki:20120202172507j:image

[からすなぜなくの]


*カウンセリング研究会【くりのみ】4月定例学習会*

《啄木没後100年記念講演会》『啄木と道元

曹洞宗寺院に生まれた啄木の詩歌には、仏教用語が多く見られるものの、その作品にどのような影響を及ぼしているか、具体的な研究はほとんどなされてきませんでした。今回、啄木と仏教、なかでも彼の代表的歌集『一握の砂』と道元禅師との具体的な照応関係を、これまで知られていなかった資料を提示しながら明らかにします。そこにはまったく新しい啄木の作品世界が広がっています。

  • 講師 山田武秋さん(桜出版編集主幹・国際啄木学会会員)
  • 日時 2012年4月14日(土) 午前10時〜11時55分
  • 会場 タワーホール船堀 東京都江戸川区船堀4丁目1-1(都営新宿線船堀駅前)  
  • 会費 1000円(大学生500円)
  • 申し込みなど、詳しいことは「くりのみブログ」へ

「くりのみブログ」

2012-02-01

[][] 啄木の歌を散りばめた、ある夫婦の絆 -公演- 4/6-8

f:id:takuboku_no_iki:20120201164316j:image

[ロウバイ]


東京ネジ カフェ公演

「石川のことはよく知らない」


  • 2012年4月6日 (金) 〜4月8日 (日)
  • 会場 空き地
  • 出演 佐々木香与子 佐々木富貴子 佐々木なふみ 他
  • 脚本 佐々木なふみ  演出 佐々木香与子

−−−わが泣くを をとめらきかば 病犬の 月に吠ゆるに 似たりといふらむ−−−

岩手の偉人をテーマに、カフェ公演用の小編として書き下ろした「〜のことはよく知らない」シリーズ。

その中でも、歌人・石川啄木の作品や人柄からインスパイアされた「石川のことはよく知らない」は、岩手の風景をバックに、40分の作品中に啄木の歌を散りばめた、ある夫婦の絆を描いた小編。

 

[] 道新で毎月 啄木特集

  • 北海道新聞では、「啄木没後100年」に合わせて、毎月最終月曜の朝刊文化面で「啄木特集」を掲載。
  • 一回目は1月30日、「啄木と海」。「一握の砂」の冒頭10首の紹介。
 | 
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |

カテゴリー


「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。


ページビュー
1289888