〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木テーマの論考も -インドで日印文学交流セミナー


[ホトケノザ]


○ 日印文学交流セミナー
野口米次郎らと相関考察
   森義真さん(国際啄木学会事務局長)寄稿

  • セミナーはインド・ニューデリーにおいて、印日文学文化協会の主催で、3 月 3, 4 の両日に開かれた。インドのタゴール(生誕150年)とアギェーヤ(生誕100年)、日本の野口米次郎(没後65年)、それに没後100年の石川啄木の4人を顕彰し、その文学的相関を探るのが目的。
  • タゴールに続くノーベル文学賞の受賞が取りざたされた野口米次郎のセッションにおいて、望月善次さん(盛岡大学長、国際啄木学会会長)は「(石川啄木)詩談一則 <『東海より』を読みて> の意味─野口米次郎に触れながら─」を発表し、啄木の理解力と文章力、さらに英語力や詩歌への展望力、啄木の渡米熱などを指摘した。
  • 啄木のセッションでは、池田功さん(明治大教授、国際啄木学会副会長)が「石川啄木とインド、そしてタゴール」と題して「啄木のインドについての言及」「インドでの啄木の受容」に加えて、啄木とタゴールの共通点を考察した。自然・環境問題への視点、教育者としての視点、反権力への視点、国際性への視点などから、二人の類似性を分析した。
  • 特筆すべきは、デリー大大学院生6人による歌集「悲しき玩具」の歌の評釈であった。「家を出て五町ばかりは、/用のある人のごとくに/歩いてみたれど─」の歌については、啄木の生活にある空虚を表しているとした上で「これは世界の全部の人々に適用される、人間は『余計者』としての生活がいやである」と解釈。インドの学生としての感性による読み解きは新鮮で、熱のこもったものだった。

(2012-04-04 岩手日報>文化)
 

ふるさとの歌 啄木没後百年・1

○ もし石川啄木が長生きしていたら――。

  • 劇作家昆明男さんは啄木生誕111年の年に、そんな脚本を書いたことがある。その「長寿庵啄木」では、貧乏で早世であるはずの歌人が病気を克服。小説で成功し、晩年には宮中の歌会に呼ばれるほどになる。
  • 北上川と中津川が合流する盛岡市清水町で生まれ育った。〈やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに〉。知らず知らずのうちに啄木の歌が耳に入ってきた。
  • 演劇は役者とともにつくり上げる。だから、思い通りになることはない。「短歌はモノローグ(独白)、演劇はダイアローグ(対話)なのよ」。啄木がもうちょっと長生きして芝居に出会っていたら、歴史に残る作品ができていたんじゃないかな。時折、そんな想像をする。
  • 今年、啄木の小説「雲は天才である」を題材に、6月上演予定の新作を執筆した。小説を読み込むと言葉の巧みさに驚く。古さは感じなかった。

◇◇
岩手に生まれた石川啄木が没してから13日で100年。わずか26年の生涯を送った歌人が、長く愛され続けてきたのはなぜか。啄木の世界にひき込まれた人々を訪ね、魅力を探る。
(2012-04-10 朝日新聞>マイタウン>岩手)