啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2012-10-31

[][] 「啄木名歌の謎を解く」吉井勇記念館 11/17

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[ナンテン]


吉井勇記念館開館10周年記念講演会

「啄木名歌の謎を解く〜なぜ、3行書きか〜」

吉井勇記念館では、吉井勇と交友のあった歌人石川啄木についての講演会を開催します。入場は無料です。

  • 2012年11月17日(土)13時30分〜
  • 場所 猪野々集会所(記念館となり)
    • 吉井勇記念館 高知県香美市香北町猪野々514 Tel:0887-58-2220
  • 講師 西郷竹彦氏 文学者・児童文学研究家、ロシア文学翻訳家。

[][] 「短歌」と「短歌と写真のコラボ」募集 〜11/30

石川啄木・一禎の歌碑:家族思う心歌に 建立3周年記念の短歌募集 高知

  • 歌人石川啄木の父一禎が晩年を過ごした高知市に父子の歌碑を建立した「啄木の父石川一禎終焉の地に歌碑を建てる会」は、建立3周年記念短歌大会を開き作品を募集している。応募は11月30日まで。
  • 歌人としての父子の功績と碑の存在を広く知ってもらおうと、建立3周年と啄木没後100年にあわせて短歌大会を開催。「短歌」と「短歌と写真のコラボ」の2部門で、「家族」「龍馬」「路面電車」をテーマにした作品と自由題を募集している。
  • 問い合わせと応募は岡林一彦さん

〒781-0113 高知市種崎651の8 岡林一彦さん方「短歌募集」係

  メール宛先 oka1oko8@kxa.biglobe.ne.jp 

  電話 088-847-2330

(2012-10-30 毎日新聞>高知)

[] 「忙人寸語」

  • 「はたらけど/はたらけど猶なおわが生活(くらし)楽にならざり/ぢつと手を見る」。詩人、歌人・石川啄木の晩年の作である。没後100年の日本。世界に例のない経済成長を遂げたはずが、労働環境は啄木の赤貧時代に舞い戻ってしまった
  • 文学の道に希望を抱いたまま啄木は数え 27歳で、短い生涯の幕を閉じたが、名を残してあの世で救われた。現代の市井人は「はたらけど/はたらけど〜」の 31文字が重くのし掛かる。

(2012-10-28 千葉日報)

[] 鴎外記念館、東京・千駄木の自宅跡地に開設

  • 森鴎外が晩年を過ごした東京都文京区千駄木に来月 1日、区立森鴎外記念館がオープンする。生誕150年を記念して作られたもので、収蔵資料は約 1万4000点。鴎外に関する資料の収蔵数としては国内最大だ。
  • 記念館は鴎外が60歳で亡くなるまでの30年間を過ごし、2階から東京湾を望めたことから「観潮楼」と名付けた自宅の跡地に立つ。石川啄木、斎藤茂吉ら多くの文化人が訪れた。

(2012年10月25日 読売新聞)

[] 日経Biz「没後100年を迎えた『石川啄木』」

  • わずか26歳で1912年に夭逝したが、没後100年を迎えて、石川啄木(1886〜1912年)の評価あらためてが高まっている。「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」などの短歌で知られる、近代短歌を代表する歌人。
  • 極貧の中、26歳で肺結核に命を奪われた。渋民村(現岩手県盛岡市)に生まれたが、故郷を離れて困窮の日々が続いた。
  • 歌集『一握の砂』初版は1首を3行書きにするレイアウトで、「五七五、七七」という常識を打ち破った。「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」のような望郷の歌で知られるが、「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」のような仕事をテーマにした歌も多い。

(2012-10-22 日経Bizアカデミー)

[][] 講座・講演「没後百年石川啄木の世界」10/25〜11/13

今年で没後100年の歌人・石川啄木に焦点を当てた写真パネル展や講演会、資料の展示など。

  • 清田図書館 札幌市清田区平岡1条1
  • 11月8日(木)2時、関連資料などを紹介する「司書によるブックトーク」。
  • 11月11日(日)2時、北海学園大人文学部准教授の田中綾さんによる講演「没後百年石川啄木と現在 『時代閉塞(へいそく)の現状』から見えるもの」。

(2012-10-25 朝日新聞>北海道)

[][] 石川啄木が見た夢、生きた現実 -立命館 11/14、11/21,11/28

 特集 啄木に学ぶ 没後100年特別講座 立命館大阪キャンパス

◎2012年11月14日(水) 14:00〜15:40(90分の講演と10分の質疑応答)(全3回‐1)

  • テーマ 石川啄木が見た夢、生きた現実 〜小説と詩歌をめぐって〜
  • 講師 瀧本和成

啄木は小説家になりたかった。そして、彼は小説を書いた。しかし、黙殺された。啄 木は悲しいとき歌ができた。やがて、歌は彼にとって〈悲しき玩具〉となった。啄木 が見た夢と生きた現実を交錯させながら、啄木の小説、詩歌等を読み解きたい。啄木 の遺した作品は、100年を経て現代の私たちにどのような感動を与えてくれるだろう か。

◎11月21日(全3回‐2)

  • テーマ 白秋と啄木
  • 講師 チャールズ・ フォックス

北原白秋と石川啄木は、「明星」派の歌人として活躍しました。友人であった二人で すが、お互いがそれぞれ一番鋭い読者でもあったと言えます。当講座では白秋と啄木 相互の批評を紹介し、それを実際の作品と照らし合わせ、解釈したいと思います。

◎11月28日(全3回‐3)

  • テーマ 啄木と現代-没後100年のいま、啄木をどう読むか
  • 講師 田口 道昭

石川啄木には「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」等、歌集 『一握の砂』にみられる感傷的詩人というイメージと、「明日の考察」をよびかけた 評論「時代閉塞の現状」にみられるような経世家のイメージがあります。これらのイ メージを、啄木没後の今日、どう統一して理解するか、考えたいと思います。

2012-10-30

[] 「啄木は、特に男性に人気があった」中江有里

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[フヨウ]


NHK BS プレミアムアーカイブス

「みちのく文学散歩 石川啄木/特集 詩人・啄木の夢と青春」 2012年10月24日放送

◎ 放送をみて、こころに残ったことば

  • 関川夏央さん

金田一京助のところに啄木が来たとき、風呂敷包み一つだった。その中身は、ノートと日記が入っていただけ。啄木は「生活者としての心境を忠実にうつした日記が、作品になり得る」という気持ちが芽生えていたと思う。これが『一握の砂』の成立に大きな影響を与えた。

  • 杉浦日向子さん

尾崎豊のノートに啄木の歌が書かれていた。尾崎は平成の教祖のようになっているが、そのように思う世代が、絶対啄木に興味を持つと思う。

  • 高橋克彦さん

「啄木はもっと若い人たちに理解される存在だ」と言いたい。啄木の歌には青年期にぶつかるいろいろな悩み、感動がきちんと書かれている。啄木と同時代の人の歌集を読んでも難しくてわからない。そんなとき急に啄木を読むと「あっ、オレ短歌わかる」と思う。

  • 中江有里さん

啄木は周りの人に愛された。特に男性に人気があった。その理由は、志が高かったということ。仕事がない金がないという困難があっても、啄木はめげない。自分に自信があった。自分を輝かせる場所を探してあちらこちら移動した。そういう啄木を見て、周りの友人たちは「彼を支えたい」と思った。

2012-10-27

[] 札幌は秋風の国なり <その 5(終) >

啄木文学散歩・もくじ


北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 5 >

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「大通公園の啄木像」

  • 坂坦道 作 1981年制作
  • 中央区大通西3丁目 地下鉄「大通」駅6番出口




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「石川啄木歌碑」


   しんとして幅廣き街の

   秋の夜の 

   玉蜀黍の焼くるにほいよ

   (玉蜀黍=とうもろこし)





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「ハマナスの白い花と赤い実の向こうに…」

(「秋風記」の一部が歌碑側面に彫られている)

「秋風記」より

札幌は寔(まこと)に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市(まち)なり。おほらかに静かにして人の香よりは樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありそうなる郷(さと)なり、詩人の住むべき都会なり。此処に住むべくなりし身の幸を思ひて、予は喜び且つ感謝したり。あはれ万人の命運を司どれる自然の力は、流石に此哀れなる詩人をも捨てざりけらし。

(石川啄木全集 第四巻「秋風記」  筑摩書房)





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(「秋風記」つづき)

札幌に似合へるものは、幾層の高楼に非ずして幅広き平屋造りの大建物なり、自転車に非ずして人力車なり、朝起きの人にあらずして夜遅く寝る人なり、際立ちて見ゆる海老茶袴(えびちゃばかま)に非ずして、しとやかなる紫の袴なり。不知(しらず)、北門新報の校正子、色浅黒く肉落ちて、世辞に拙く眼のみ光れる、よく比札幌の風物と調和するや否や。

(石川啄木全集 第四巻「秋風記」 筑摩書房)





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「後ろ姿」

啄木の右肩すぐに小さく見える像は「泉の像」で、作者は本郷新。

三人の乙女が手を上げ踊る姿を毎日啄木が見ている(……かもしれない)。


「泉の像」は、「前からそこに在った、今も在り、明日もそこに在り続ける」という彫刻の永遠性を強く意識して制作されたという。(本郷新記念 札幌彫刻美術館)





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「大通公園を染める紅葉」

 1907(明治40)年9月14日、函館から札幌に来た啄木は21歳だった。ちょうど2週間の滞在で27日には小樽に向かった。21歳の目に映った札幌についての文を読むと、驚きのほかない。

改札口から広場に出ると、私は一寸立停つて見たい様に思つた。道幅の莫迦に広い停車場通りの、両側のアカシヤの街樾は、蕭条たる秋の雨に遠く/\煙つてゐる。其下を往来する人の歩みは皆静かだ。男も女もしめやかな恋を抱いて歩いてる様に見える。蛇目の傘をさした若い女の紫の袴が、その周匝の風物としつくり調和してゐた。傘をさす程の雨でもなかつた。

『この逵は僕等がアカシヤ街と呼ぶのだ。彼処に大きい煉瓦造りが見える。あれは五号館といふのだ。……奈何だ、気に入らないかね?』

『好い! 何時までも住んでゐたい――』

 実際私は然う思つた。

(「札幌」石川啄木 青空文庫 作品ID:45463)

(札幌は秋風の国なり (終))

2012-10-26

[] 札幌は秋風の国なり <その 4 >

啄木文学散歩・もくじ


北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 4 >

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「橘家庭園の前」

地下鉄東豊線「東区役所前駅」または、「環状通東駅」で下車、徒歩10分。

石川啄木が函館区立弥生尋常小学校に代用教員として採用されたとき、同じ学校に橘智惠子が訓導として在籍していた。その智恵子の生家が、ここにあった。

一般道からまっすぐ碑が見えるのですぐ分かる。




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「札幌市東区北11条東12丁目2-15 橘氏宅」

事前にアクセス方法などを調べていたときのこと。

Googleマップのストリートビューに「林檎の碑」が写っているのを見つけた。ボーイスカウトの建物の左に敷石が見え、そこを辿ると正面に碑があった。なぜかとても感動した。





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「林檎の碑」

一般の人が橘家の敷地内に自由に入れるようにしてくれている。

橘家の温かい配慮に感謝する。




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「斜め後ろから見る林檎の碑」

通りからの敷石に続き、円を描いて囲った石の中に碑が建っている。





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「碑陰」


札幌村元村の林檎は橘仁が此地に定住し苗木を植付せる時より始まる

仁は東京に於て津田仙氏の学農社に学び」明治十七年春 苗木妻戸籍を携へ此地に住付き栽培す 適地で順調に生育せる樹は明治二十三年より結実初めて販売す 橘林檎園の誕生なり 隣地の農家にて之を倣ひたる約十名も全て林檎園とし以後十余年は年々収穫を増し当時仁は札幌の林檎栽培の第一人者として知られ北海道果樹協会会長北海道大学南鷹次郎博士の役員を務め全国博覧会に優等賞を受けその果実は宮内省に献上の光栄を担うに至る其後病害に会い他の農園は全て玉葱に転向せしも仁は再度作付し二十余年の昭和五年六月十四日仁没と共に林檎園は消滅す 仁が此地に基を定めて百年以上経ち其の孫三十余名は国内はもとより米国伯国に在る今祖父を偲びて此の碑を建立す 尚橘家と共に林檎栽培せる松澤巌氏此の企てに加わり大いなる力となり共に喜ぶ事が出来たのは幸ひである

昭和六十一年(一九八六年)九月 橘忍誌


此の林檎園に関わりのある詩を一首加ふ

  石狩の都の外の君が家

   林檎の花の

    散りてやあらむ  「一握の砂」より


*智恵子は、北海道岩見沢市北村豊里の北村牧場主と結婚した。しかし、産褥熱のため、愛する夫と六人の子を残しこの世を去った。満33才であった。

「啄木と智恵子」のことは「北村牧場の啄木歌碑」へ(啄木の息 文学散歩)

(つづく)

2012-10-25

[] 札幌は秋風の国なり <その 3 >

啄木文学散歩・もくじ


北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 3 >

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「天神山緑地」

地下鉄南北線「南平岸駅」下車、徒歩15分ほどの豊平区平岸に天神山緑地があり、その中に「札幌平岸林檎園記念歌碑」がある。





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「札幌平岸林檎園記念歌碑」

右は、添碑。中央は、啄木歌碑。左は札幌平岸林檎園記念歌碑。一番左は、札幌平岸林檎園記念歌碑保存会員芳名碑。





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   石狩の都の外の

   君が家

   林檎の花の散りてやあらむ

              啄木

この歌は、啄木が函館の弥生小学校代用教員時代に同僚であった橘智恵子のことを詠んでいる。当時札幌郊外で果樹園を経営していた智恵子の実家の風景が歌われている。(次回は智恵子実家の予定)





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「添碑」

明治四年曾父・父らこの地に入り森を伐り林を焼き麦粟稗を蒔く翌五年北海道開拓使の輸入せる林檎苗木を植林同十四年一果をなし日本林檎栽培の黎明を告ぐ

爾来この地の林檎栽培は年を追って殷盛平岸地区で二百八拾余町歩量産二十五万箱を数う日本林檎の一大産地となり道内京濱阪神はもとより海波のウラジオストック・シベリヤ・樺太上海南方シンガポールにまで販路を拡ぐ

大地にはりつきしぶとく四方に張る老樹の枝その節々の瘤と傷痕それはたえまなく自然の暴威に耐えし樹の記録であると共に先駆栽培百年の苦闘を物語る

されど村の中央を貫流せる疎水もなくいぶし銀のごとき花影、秋陽にきらめく果実の枝も残り少く地域一帯は住宅街と化し世人に謳われし北國の詩情も偲ぶにとゞまる

使命おわり歴史のかなたにきゆるものとしてもなお心つきぬよって栽培者集いてはかり明治四十年札幌を訪れのち東京に居て遠く林檎園の夏に思いをはす歌人石川啄木の歌一首を碑に刻し往時を記念する

     札幌平岸林檎園記念歌碑

           建設委員会

昭和四十一年十月二十三日





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「歌碑例祭」

平岸林檎園記念歌碑例祭は、この場所で毎年行われている。今年、2012年の例祭は6月1日にあったと記事で見た。47回目を数えるというから、建碑してから一度も欠かさず開かれていることになる。




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「天神山緑地の案内図」

入口は図の下方にある。左上にある久保栄文学碑のほうが探しやすいので、そこから石川啄木歌碑を辿る。




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「林檎園日記」

    戯曲 四幕

           久保栄

六月六日(月曜日)晴

 上田の畑からもとの新畑へかけて、今日ぐらゐがもう満開で、うちのは平均して三分咲きほど。乳いろにうす紅をぼかした花が五輪づゝかたまつて咲く梢から、甘ずつぱい匂ひがして来て、そこらにいつぱいになるのをかぐと、どういふわけか、子供の頃百人堀にそつて山の湖水の方へかよつてゐたガタ馬車の、あのピポ、ピポーと鳴らしてとほる笛の音が思ひ出されて、まだ丈夫だつたお母さんが、いまわたしのしてゐる帆前掛をかけて園内作業をしてゐる姿が、眼にうかんで仕方がない。

久保栄 劇作家・演出家・小説家・批評家。1900(明治33)年、北海道札幌市に生まれる。東京帝国大学卒業後、築地小劇場に入る。1958(昭和33)年、死去)


(つづく)

2012-10-24

[] 札幌は秋風の国なり <その 2 >

啄木文学散歩・もくじ


北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 2 >


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「偕楽園緑地」

札幌市北区北6条西7丁目。啄木下宿跡から西側300mほどの場所で、北海道大学のすぐ近く。


《偕楽園跡の説明板》

「明治4年(1871年)開拓使によりこのあたりに公園が設けられた。「民と偕に楽しむ」と言う意味から「偕楽園」と名づけられた。日本で最初に計画的に造成された公園と言われる」




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「石川啄木歌碑」


《「啄木 うたの風景」岩手日報2012年8月15日より》

「建碑の中心となっている札幌啄木会代表の太田幸夫さんは「札幌駅から徒歩圏内で明治の面影を残している唯一の場所。下宿からも近く、啄木はおそらく散歩しただろう」と語る」




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   アカシヤの街樾(なみき)にポプラに

   秋の風

   吹くがかなしと日記に残れり

ポプラの木をイメージした形の御影石に歌を刻む。




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「碑陰」

歌集「一握の砂」より

  文字は啄木の直筆から集字




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「歌碑の案内パネル」

 左 石川啄木肖像画 岡田和紀 (湘南啄木文庫所蔵)

 右 石川啄木之像 藤沼源三 1977




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「歌碑の案内パネル」

《石川啄木の歌碑》

国民的詩人の石川啄木(1886〜1912)は、明治40年から1年足らずであるが函館、札幌、小樽、釧路と生活のため北海道を流浪した。

啄木が札幌駅に降り立ったのは明治40年9月14日である。

翌日には市内の大通り・創成川近辺を散策し、その印象を日記に残した。

   アカシヤの街樾(なみき)にポプラに

   秋の風

   吹くがかなしと日記に残れり


この歌は、啄木の代表的な歌集「一握の砂」(明治43年12月発行)に掲出されている一首である。

啄木が札幌に滞在したのはわずか2週間にすぎないが、札幌の深まりゆく秋を情感豊かに謳いあげた秀歌として知られる。

今年は啄木が27歳で東京にて没し100年の記念すべき年にあたるとともに「札幌啄木会」結成10周年の年でもある。

啄木の文学的偉業を顕彰し、後世に語り継ぐため、ここに啄木歌碑を建立する。

          平成24年9月15日

   札幌に啄木の歌碑を建てる会(札幌啄木会有志)





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「歌碑の案内パネル」

国際啄木学会の益々の発展を祈念しここに4か国語の翻訳文を記す

英語・中国語・韓国語・ロシア語




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偕楽園緑地は静かな雰囲気。

啄木歌碑は、写真の左から数えて3本目と4本目の木の間に黒い人影のように写っている。


(つづく)

2012-10-23

[][] 札幌は秋風の国なり <その 1 >

啄木文学散歩・もくじ


北海道札幌市に啄木を訪ねて <その 1 >


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「 JR タワー展望室 T38より北方向を望む」

北海道の天空にいちばん近い場所が、ここ。タワー最頂部の高さは 173mあり、展望フロアは 160mある。

写真中央よりやや右あたりに橘智恵子の生家(「林檎の碑」)がある。

地平線左方向に石狩湾が見え、その手前を札樽自動車道が横に伸びている。左は小樽方面、右は稚内方面になる。




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「啄木下宿跡にある啄木胸像」

札幌市北区北7条西4丁目、札幌クレストビル1F。

写真右側の通りを10mほど進んで左に曲がり、150mほどで JR 札幌駅北口になる。




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「啄木下宿跡の案内板」

『詩人・石川啄木が函館から札幌入りしたのは、明治40年(1907)9月14日のことである。札幌停車場に午後1時すぎ到着した啄木は、詩友・向井夷希微(いきび)らに迎えられ、彼らの宿でもあった「北7条西4丁目4番地・田中サト方」の住人となった。ときに満21歳。ここはその下宿があった場所である。

滞在2週間であわただしく札幌を去るが、勤め先の北門新報に「札幌は寔(まこと)に美しき北の都なり。」 の印象記を残し、またしても小樽、釧路へと放浪の旅に出た。』

(北区歴史と文化の八十八選)




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「胸像の下部にある「秋風記」」

「秋風記」

札幌は寔に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市なり。おほらかに静かにして、人の香よりは、樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり。




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「啄木胸像」

人通りの激しい道にある札幌クレストビル。その一階のオープンスペースに、いつでも自由に逢える啄木さんがいることは嬉しい。




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「 JR タワー展望室 T38より南方向を望む」

中央右にテレビ塔が写っている大通公園(「啄木像」)、そのずっと向こうに平岸林檎園(「啄木歌碑」)、写真には写らない眼下に啄木下宿跡(「啄木胸像」)、その左方向に新しい「啄木歌碑」のできた偕楽園緑地がある。

右手方向は室蘭方面。手前レンガ色ビルの真上の地平線近くに白く光る札幌ドーム、その左方向が千歳方面になる。


(つづく)

2012-10-22

[] 『一握の砂』に詠まれし親友、はじめての単行本 予約開始

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[ユズリハ]


  近眼にて

  おどけし歌をよみ出でし

  茂雄の恋もかなしかりしか       石川啄木 『一握の砂』


『啄木の親友 小林茂雄』森義真 著  

  • 盛岡出版コミュニティー
  • 2100円 A5判上製本 P345
  • 2012年11月上旬発売 《予約開始》

 - はじめに より-

茂雄の人生にとっての啄木の存在とは、そして啄木との交友を青春時代の思い出として抱き続けた茂雄の人生とは、筆者は、その問いを胸に抱きながらペンをすすめた。

詳細・予約 ほか

2012-10-21

[] 「啄木 うたの風景 第23回」岩手日報

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[キンモクセイ]


第 23 回

第二部 漂泊の旅路(7)

  桜井さんインタビュー

  新天地で才能が開花

○ 新天地を求めて津軽海峡を渡った啄木。漂泊の旅が始まった函館の132日間は、文学と人生にとって大きな節目となった。啄木に関する著作が多い、近代文学研究家の桜井健治さんに函館と啄木について聞いた。

  • 歌集「一握の砂」の冒頭歌は「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」。この原風景とされる大森浜をはじめ函館と啄木は切っても切れないものがある。

「大森浜は当時、砂山があった。僕が小学生の頃もござを持って砂滑りに行った。長さ700〜800m、高さが40〜50mぐらい。…」

  • 函館は、啄木の文学にどんな影響をもたらしたのか。

「文芸雑誌『紅苜蓿』があり、同人と歌会で競い合った。ここで作歌活動が再び燃焼する。…」

  • 生活も変化した。

「7月に節子と京子を呼び、1カ月だけ親子水入らずの生活ができた。…」「もう一つは郁雨の存在。啄木に一番多く援助した。釧路から函館に戻ったとき、東京に行った方がいいと言ってくれた。それがなければ一地方の詩人、歌人で終わった。… 彼なくして今に残る啄木は語れない気がする」

(2012-09-05 岩手日報)

2012-10-20

[] 企画展「楚人冠と啄木をめぐる人々」我孫子市 10/30~1/14

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[ヌルデ]


杉村楚人冠記念館 千葉県我孫子市

 冬期企画展「楚人冠と啄木をめぐる人々」

  • 2012年10月30日(火)〜2013年1月14日(月・祝)

杉村楚人冠と石川啄木、大逆事件や啄木の病をめぐっての二人の交わりを振り返りつつ、朝日歌壇の選者に啄木を採用した渋川玄耳、啄木晩年の親友で楚人冠全集にも携わった土岐善麿ら二人の周辺で親交を結んだ人々を書簡などの資料をもとに紹介する。

  • 千葉県我孫子市 杉村楚人冠記念館
    • 千葉県我孫子市緑2-5-5
    • 電話 04-7182-8578

[] みぞれ降る石狩の野の汽車に読みし……啄木

石狩川 風景への旅

《 幌向 》

 成功収めた越後開拓団

  • 1882(明治15)年11月、幌内鉄道(手宮・幌内間)が全通した。これにより江別は石狩川の水運と鉄路のふたつを手に入れ、以後本格的な市街地が形成されていく。鉄道は幌内炭鉱の石炭を小樽港へ積み出し、小樽からは物資や移民団を奥地へと運んだ。
  • 幌向原野は、石狩川や千歳川、夕張川、幌向川に囲まれた広大な泥炭地だった。1908(明治41)年の1月。石川啄木は客車から一帯をながめ渡してこんな歌をよんでいる。「みぞれ降る石狩の野の汽車に読みしツルゲエネフの物語かな」
  • 幌向原野の開拓は、1886(明治19)年、発足したばかりの北海道庁の支援を受けた10戸が越後から入ったことにはじまる。道央自動車道江別東 IC 近くにある越後沼は、彼らにちなむ地名だ。

(文・谷口雅春)

(2012-10-17 朝日新聞>北海道)

[][] 啄木の魅力ひもとく資料展 岩手県立図書館 〜11/25

  • 岩手県立図書館は、第30回啄木資料展を開いている。没後100年にちなんだテーマ展示「読み継がれる啄木」コーナーと、新収蔵資料コーナーの 2本立てで啄木の魅力をひもといている。
  • テーマ展示では、1922(大正11)年に同市玉山区渋民に建てられた啄木歌碑の記念絵はがきなど117点を通じ、作品がどのように読み継がれ、研究や顕彰が取り組まれてきたのかを、時代背景を交えて紹介。

(2012-10-19 岩手日報)

[][] 「啄木資料展」関連イベント

岩手県立図書館 企画展「第30回 啄木資料展」

◎「大人のための語りと歌の会〜啄木の贈り物〜」

切り絵作家・朗読者として活躍中の吉田路子さんと、ソプラノ歌手・土井尻明子さんをお招きし、啄木作品に触れる、語りと歌の会です。

  • 2012年10月28日(日) 14時00分〜
  • 会場 岩手県立図書館 4階 ミニシアター
  • 申込方法 来館または電話でお申し込みください。(TEL:019-606-1730}

◎ 新聞雑誌コーナー(4階)石川啄木

ただ今開催されている「啄木資料展」に合わせ、啄木関連の雑誌資料をご紹介します。雑誌を通して、啄木について新たな発見をしてみてはいかがでしょうか。

◎ としょかん映画会『石川啄木』

  会場:4階 ミニシアター,14:00〜上映開始(開場は30分前)

  • 11/11(日)・12(月)=
  • 『石川啄木』(1988年/16ミリフィルム/カラー/26分)

[][] 石川啄木没後百年企画展始まる ~10/21

  • 石川啄木が関心を寄せていたとされる社会主義の思想や当時の資料を集めた企画展が盛岡市内で始まりました。
  • 啄木は、社会主義に関心を寄せ評論文なども書いていたということで会場には市民研究家が所蔵する明治時代後期から大正・昭和にかけての社会運動にまつわる資料が展示されています。
  • 当時国から所持が禁止されていた明治時代の思想家幸徳秋水の本のレプリカもあります。
  • この企画展は、今月21日まで盛岡市の南昌荘などで開かれています。

(2012-10-18 IBC 岩手放送)

2012-10-19

[] NHK BS 「みちのく文学散歩 石川啄木」放送予定 10/24

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[サルトリイバラ]


NHK BS プレミアムアーカイブス

みちのく文学散歩 石川啄木/特集 詩人・啄木の夢と青春

◎ 10月24日(水)午前9:00〜10:25

 (1)「みちのく文学散歩 石川啄木 「一握の砂」 〜岩手県・玉山村〜」

東北地方は、厳しい気象と豊かな自然の中で数多くの著名な文学者を育ててきた。彼らの記念館文学碑などが各地に作られ、東北を訪れる人々の旅情を誘う観光スポットになっている。「みちのく文学散歩」シリーズでは、東北が生み育んだ文学者たちの心のふるさと、また東北をテーマにした名作の舞台となった土地をリポーターが探訪し、作品と風土との関わりや、ふるさとに寄せる文学者たちの思いを語る。

 (2)「特集 詩人・啄木の夢と青春 〜生誕110年記念祭から〜」

詩人・石川啄木は、明治19年岩手県玉山村に生まれ、詩集「一握の砂」など多くの作品を残し、26年の生涯を終えた。番組では、啄木生誕110年にあたり、玉山村で開かれた「啄木祭」のシンポジウムや保存資料などから、啄木の生い立ちと生き様を描く。

[] 「石川啄木と道元」曹洞宗 学術大会

曹洞宗総合研究センター第14回学術大会

  • 日時 2012年10月24日(水)〜25日(木) 
  • 会場 曹洞宗檀信徒会館(東京グランドホテル)

 第1日目 10月24日(水) 開会式

  部会発表 第2部会 <蘭の間> 午前の部(10 時~11 時 40 分)

   3.石川啄木と道元 ―「人生の習慣」としての仏教とその詩想

     国際啄木学会会員 山田武秋

 第2日目 10月25日(木) 部会発表


  • 問い合わせ 曹洞宗総合研究センター 電話(代)03-3454-7170

2012-10-16

[] 「旭川啄木会」に衣替えし、新たな活動

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[マキ]


啄木の魅力発信へ名称変更 旭川

  • 市民らの募金で 4月に JR 旭川駅東コンコース隣に歌人石川啄木の歌碑像を建てた市民団体「旭川に石川啄木の歌碑を建てる会」が 10日、啄木の魅力を学び発信する「旭川啄木会」に衣替えし、新たな活動に乗り出した。
  • 啄木会は、短歌愛好者や文化人、経済人など約 50人でスタート。啄木を学ぶ勉強会兼親睦会を年 4回開き、市民向け講演会など啓発イベントも随時開く。
  • 既に歌碑像建立 1周年の来年 4月、旭川では初開催の国際啄木学会で地元ホスト役を務めることが決定。学会と合同で市民も対象の講演会を開き、1 周年を盛り上げる計画だ。
  • 歌碑像建立を提案した国際啄木学会名誉会員の近藤典彦さんは、会の設立について「以前は啄木にあまり関心がなかった旭川に、歌碑像が建ち啄木会もできた。この意気込みと啄木の魅力を、多くの市民に、特に10代や20代の若い人に伝えていってほしい」と歓迎する。
    • 問い合わせは事務局(柴滝建築設計事務所内)(電)0166-22-7577

(岩本進)

(2012-10-11 北海道新聞)

[] 『明治を生きた松本ピアノと啄木』

松本ピアノ ミニコンサート

  • 2012年10月20日(土) 14時〜(開場13時30分)
  • 会場 千葉県君津市民文化ホールリハーサル室
    • ピアノ演奏 南澤鈴華さん りんご追分・竹田の子守唄・島唄 等
    • 朗読 石川啄木「一握の砂」、「悲しき玩具」等より…「朗読会 アンディアーモとその仲間たち」
  • 入場料 無料
  • 申込み 不要。直接会場へ
    • 問合せ 0439(55)3300 君津市民文化ホール

2012-10-15

[] 啄木の交友録(36 ~ 41)「街もりおか」

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[「街もりおか」9・10月号表紙]


月刊誌「街もりおか」

啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏


36. 及川 古志郎  2012年5月号(No.533)

及川古志郎は、明治16年、医師の長男として新潟県長岡で生まれた。後に盛岡に転居し、明治29年盛岡中に進んだ。啄木が盛中1年の時、及川が中心となっていた海軍志望者のグループ修養会に入ったことで 2級上の及川と知り合った。

軍人になると言ひ出して、/父母に/苦労させたる昔の我かな。  『悲しき玩具』

及川は、海軍中将や大将として務め、近衛文麿内閣における海軍大臣となる。晩年は、海軍遺族会の会長を務めながら、各地の遺族を訪問して歩いた。


37. 小田島三兄弟  2012年6月号(No.534)

小田島三兄弟とは、嘉兵衛、尚三、真平の三人であり、『あこがれ』の出版に関わり、啄木の文学的人生に重要な役割を担っている。しかし、これまでの啄木研究界ではあまり光が当てられておらず、詳しい人物月旦は不明の部分が多い。

啄木にとっての処女出版となる詩集『あこがれ』は、啄木文学の礎石とも言える大きな意義を持っている。しかし、その出版には小田島三兄弟の協力と資金提供がなければ日の目をみなかったことは明らかである。

この小田島三兄弟に関する情報を、本誌編集部を通じてお寄せいただければありがたい。


38. 清岡 等  2012年7月号(No.535)

清岡等は、文久3年、盛岡に生まれた。明治27年に31歳で盛岡市長に就任した。在職中に三陸大津波があり、私財から120円の義捐金を拠出した(当時の小学校教員初任給は約8円)。

その後、岩手日報社主幹となるとともに、明治38年、盛岡電気会社(現・東北電力岩手支店)の初代社長となった。岩手日報に啄木を入社させるために清岡が熱心に誘ってくれた様子が、啄木日記にある。「清岡等日誌」(全39冊は現在、岩手県立図書館に寄託されている)には、啄木が社長室に居た清岡を訪ねたことが記されている。


39. 船越 金五郎  2012年8月号(No.536)

船越日記は啄木伝記に関する第一級の資料の一つである。

これは、筆者が初めてこの資料に接したときの感懐であり、今もその想いは変わっていない。船越日記は、盛岡中で啄木と同級生だった船越金五郎が、「旅之跡」や「日記簿」と題した日記。まだ盛岡市高等小学校3年生だった明治29年4月3日から、亡くなる直前の昭和33年3月18日までの62年間、一日も欠かすことなく記された。全51巻にも及ぶ日記帳は、現在船越家から岩手県立図書館に寄託されている。

船越金五郎は、明治17年、盛岡市に生まれた。仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)を卒業した。父の死後、花車整骨医院を継ぎ、岩手県医師会理事や岩手郡医師会長を務めた。


40. 瀬川医院の人々  2012年9月号(No.537)

年ごとに肺病やみの殖えてゆく/村に迎へし/若き医者かな   『一握の砂』

「若き医者」とは、渋民村(現・盛岡市玉山区)に移住してきて、明治35年に医院を開業した当時満28歳の瀬川彦太郎のこと。彦太郎は、ドイツに留学を志すほどの学識があり、啄木が書こうとしたドイツ語の手紙を見てやったこともあった。

彦太郎には2人の弟がいた。5歳年下の貞司と三司(生年不明)である。貞司が結婚した佐々木モトは、美人で評判だった。「ほたる狩/川にゆかむといふ我を/山路にさそふ人にてありき 『一握の砂』」のモデルで、「蛍の女」とも称される。

一番下の弟である三司の名前が、啄木日記「甲辰詩程」に多く登場する。


41. 佐藤 熊太郎  2012年10月号(No.538)

石川の作文は学校にのこしておきたい……。

これは、啄木の友人である伊東圭一郎の『人間啄木』に記されている佐藤熊太郎のセリフ。熊太郎は慶応2年の生まれ。熊太郎が盛岡市立盛岡高等小学校(現・盛岡市立下橋中)に勤めていた明治38年に、啄木が入学した。当時の校長は、新渡戸仙岳だった。

熊太郎は、この学校で啄木の2年と3年の担任だった。熊太郎は啄木を可愛がったようで、友人の七戸綏人は、「美貌にして秀才の彼は、当時の先生に可愛がられたのに何の不思議はない…」と綴った。

熊太郎は、向学心に旺盛で、ドイツ人、フランス人、それにアメリカ人に英語を習った上、哲学館(現・東洋大学)校外生として漢学専修科を修了している。

「街もりおか」杜の都社 発行

40数年続く月刊誌。盛岡の歴史的建物、盛岡伝説案内、散歩日記、エッセイ、本や演劇やコンサートや映画情報など満載。1冊250円。

  • 杜の都社 TEL 019-625-5835 盛岡市本町通2-13-8

2012-10-10

[][] 没後100年─屈指の啄木本の誕生を喜ぶ

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紅通信 No.68(紅書房 2012-09-20発行)

  竹原三哉 著『啄木の函館 ─実に美しき海区なり』鑑賞

   山下多恵子(国際啄木学会理事)

  • 石川啄木は、26年2ヶ月の生涯のうち132日間を函館で過ごした。
  • 「石をもて追はるるごとく/ふるさとを出」た啄木が新しい生活の地を函館に求めたのは、文芸結社「苜蓿社」の同人誌である「紅苜蓿」に詩を寄せたことがきっかけであったが、同人たちと親しく語らった日々は、啄木のその後の文学と人生に大きな影響を与えた。…その体験がなければ、歌集『一握の砂』は存在しなかったかもしれない。
  • 「函館は実に美しき海区なり」と感嘆した啄木は、今は家族とともに海の見える岬に眠る。
  • この街に生まれ育ち、現在「函館市文学館」で啄木関係の資料に囲まれて日を送る著者の竹原三哉氏は、函館と啄木の両方を深く知る人物である。
  • 瞠目すべきはその実証精神である。青柳町・大森浜・立待岬…函館のそこここに、かすかに残る啄木の足跡を丹念に追い、さらに能うかぎりの資料を調べ尽くし、それらをもとに場所や人物を特定していく過程は、さながら推理小説を読むような興奮を誘う。
  • 没後100年の年に、本書を得たことを、啄木を愛する者のひとりとして、心から喜びたい。

『啄木の函館 ──実に美しき海区なり』

  竹原三哉 著 紅書房 発行

  2012年発行 2000円(税込)

[] 「石川啄木の世界 その生涯と作品」オープンカレッジ

新潟国際情報大学オープンカレッジ

  • 2012年11月1日 〜 11月29日(木) 全5回 10:30〜12:00
  • 新潟中央キャンパス 新潟市中央区上大川前通7番町1169
  • 講師 塩浦 彰 国際啄木学会会員・元理事

1912(明治45)年石川啄木は26歳の短い生涯を閉じました。その生の証しとして残された詩歌、小説、評論、そして日記や書簡のそれぞれが、没後百年のいまなお持ち続ける魅力とは何か。そして明治時代の状況を鋭く批判した啄木の言葉が、実は現代日本の姿も予言したようにみえる秘密とは何なのでしょうか。啄木の生と文学を愛した人々は、有名無名を問わず数多くいますが、「啄木を受け継ぐ」とはどういう意味を持つのでしょう。

それらの問題を、啄木の生涯と作品に添ってつぶさに考えてみたいと思います。

第1回 11月1日(木) 序説 没後百年を迎えて ―知られざる継承者たち

第2回 11月8日(木) 誕生から立志の第一回上京まで

第3回 11月15日(木) 敗残の帰郷から北海道漂泊まで

第4回 11月22日(木) 再度の上京から思想大転換期へ

第5回 11月29日(木) 飛躍の作家活動から無念の終焉まで

2012-10-09

[] 啄木短歌を見つめ直して -北海道新聞-

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[ジュズダマ]


《啄木特集》「音楽・映像性色濃く」・「憧れ、希望 感性今も」

◎ 作家:新井満さん 北海学園大准教授:田中綾さん 対談(上)・(下)

石川啄木没後100年に合わせた特集の締めくくりとして、啄木の短歌を生かして「啄木・組曲」をつくった作家の新井満さんと、短歌研究を通じて啄木と接してきた北海学園大准教授の田中綾さんに、対談してもらった。


新井 (啄木との関わりは)私は、啄木のロマンチスト、夢見る詩人という側面から入った。田中さんはテロリスト、危険人物という側面から入られた。

田中 ロマンチシズムも、社会変革への志も、根っこは同じでしょうか。

新井 男女関係とか夢に向かった時にはロマンになった。社会構造とか政治構造に向かった時には革命思想につながった。


新井 啄木の歌はどんなリズムにも合う。ワルツ、4拍子、レゲエでも。

田中 若者に街頭でやって─と、啄木の短歌や詩を仕向けても面白いです。

新井 日本人のシンガーソングライターの最大の弱点は作詞が下手だということです。良い詞があって、感動があった時に初めて、その感動をメロディーに託すことが可能になると思う。

田中 啄木短歌の魅力は、音楽性とともに、映像的であることです。あの短い 31音なのに、その情景がパッと目に浮かぶ。これはその後の詩人たちに影響を与えたと思います。


田中 (3.11以降の世の中に、啄木からのメッセージは)啄木は晩年、国家という問題は今の一部の人たちの考えているようにそんなに軽い問題であろうかと。すべての人はもっと突っ込んで考えなければならぬと提言をしています。まさに 3.11以降、復興の進め方とか、エネルギー対策について今まさに国家を考える機会を与えられているので、啄木の言葉は非常に切実に響きます。

新井 大津波で東北の人々は故郷を喪失してしまった。望郷の歌人・啄木が再発見されてもいいと思います。啄木は100年後の 21世紀にも生きていると思いました。

(構成・黒川伸一、岩本茂之)

  • 「石川啄木 没後100年」特集は今回で終わり。

(2012-09-24、2012-10-01 北海道新聞)

[] 風土計 岩手日報

  • 「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹(かに)とたはむる」。石川啄木の歌集「一握の砂」の冒頭にあるこの歌は、今も多くの人に口ずさまれる。
  • 北海道函館市にある啄木の墓標にも刻まれた歌。詠まれている情景は、函館の大森浜を思い描いたとされる。啄木が好んで散策した海岸だ。天気が良い日なら、そこからは津軽海峡の向こうに青森県下北半島の大間崎が見える。
  • 本州最北端のその岬には、同じ「東海の−」の歌碑が建つ。海を挟んで近隣の函館市と大間町。フェリーが行き来するつながりもある。しかし今、そんな両自治体が対立している。電源開発(Jパワー)・大間原発の建設工事再開が原因だ。

(2012-10-06 岩手日報>風土計)

2012-10-07

[] 会津の名刹「法用寺」によくマッチする「啄木歌碑」<その 3 (終)>

啄木文学散歩・もくじ


福島県会津美里町の法用寺に啄木歌碑を訪ねて <その 3 (終)>


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「三重塔」福島県指定重要文化財

法用寺は、境内に入ったときから厳かな空気が漂っていた。三重塔は木組みが複雑で、つい見とれてしまうほど美しかった。


この写真でいうと、「三重塔」のちょうど真後ろ(数メートルくらい)の場所に説明板と啄木歌碑が建っている。




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「みのり豊かな会津盆地」

寺が高台にあるため、境内からは会津盆地の黄金の稲穂と連なる山と家並みの景色がのぞめた。

昨年の3.11東日本大震災の被害により、ここ福島県会津美里町には原発20キロ圏内の楢葉町から千数百名の方々が避難していたそうだ。


啄木が知らなかった町に啄木歌碑が建っている・・・、その理由がわかるような気がした。



  • 法用寺
    • 福島県会津美里町大字雀林字三番山下

( 啄木文学散歩 会津の法用寺に啄木歌碑を訪ねて--終 -->

2012-10-06

[] 会津の名刹「法用寺」によくマッチする「啄木歌碑」<その 2 >

啄木文学散歩・もくじ


福島県会津美里町の法用寺に啄木歌碑を訪ねて <その 2 >


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「石川啄木歌碑の案内柱」

伝説のある「虎の尾桜」を見ながら鐘楼を過ぎると、池のほとりに立派な案内柱があった。新しいように見えたので、今年(2012年)5月に立てられたものかと思う。



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「説明板と歌碑ふたつ」

三重塔のすぐ近くの山沿いに、歌碑の説明板がある。その右に「敵として・・・」の歌と、「あらそいて・・・」の歌碑が並んでいる。あたりの風景によくマッチしていた。




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「歌碑の説明板」


石川啄木歌碑の説明板再建 法用寺境内に会津啄木会

  • 会津啄木会の三留昭男事務局長と栗城好次さんは13日までに、会津美里町の法用寺境内にある石川啄木歌碑の説明板を再建した。
  • 説明板は、啄木生誕100年の1985年、会津啄木会が歌碑とともに建立したが、木材の劣化で10年足らずで朽ち、それ以降は説明板がない状態だった。啄木の100周年忌にあたる今年、三留事務局長らが再建した。

(2012年5月15日 福島民友おでかけニュースより)



<説明板>

石川啄木歌碑

  敵として憎みし友と

  やや長く手をば握りき

  わかれといふに  

1907(明治40)年秋、「小樽日報」の創刊に参画した29歳の事務長小林(のち中野)寅吉─会津高田町(現会津美里町)雀林出身─と22歳の記者石川啄木との間に社の内紛から来る対立があり、退社した啄木が翌年1月19日「釧路新聞」の記者として単身赴任する。雪の吹き入る停車場に妻子が送る。寅吉も送る。別離の悲しみに憎悪の消えた“わかれ”の一瞬を巧みにとらえて詠んだ歌。

のちに啄木は文学へ、寅吉は政治の世界へとすすんでいくことになる。

三、四句の実感を大切にし、二人を記念する歌として選び、啄木の自筆集字拡大による碑とした。

                 撰文 三留昭男

   1985(昭和60)年10月27日

    啄木生誕100年の日に

               会津啄木会




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   敵として憎みし友と

   やや長く手をば握りき

   わかれといふに

               啄木




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   あらそいて

   いたく憎みて別れたる

   友をなつかしく思う日も来ぬ

               啄木


小樽日報社を辞めた(小林)中野寅吉は出身地福島県選出の衆議院議員として活躍した。晩年、故郷の会津「法用寺」の住職となった。

歌碑が二基建てられたが、これは選歌の際に会津啄木会の間で意見が分かれ、甲乙つけがたいということで二基同時に建立されたという。昭和60年10月27日の歌碑除幕式では、啄木の令孫石川玲児氏と寅吉の令孫中野博忍氏などによって幕の紐が引かれた。

  (参照資料「啄木文学碑紀行」浅沼秀政、「石川啄木事典」国際啄木学会<編>)

(つづく)

2012-10-05

[] 会津の名刹「法用寺」によくマッチする「啄木歌碑」<その 1 >

啄木文学散歩・もくじ


福島県会津美里町の法用寺に啄木歌碑を訪ねて <その 1 >


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「法用寺三重塔」

法用寺は会津では二番目に古い寺である。会津唯一の三重の塔は高さ19mあり、町の景色によく似合う。




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「階段から仁王門」

重要文化財という石柱の立つ階段を上ると仁王門がある。




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「仁王門と大蛇」

写真のなかに写っているパネル「木造金剛力士立像」は重要文化財のため本堂にしまってある。

仁王門に横長に掲げてある「藁大蛇」は、「大蛇の御年始」という正月行事で奉納されたもので全国的に見ても珍しいものだそうだ。長さ10m、直径30cmあり、毎年オスとメスが入れ替わるという。


門から見ると左側に重要な建物が続き、その間に挟まって啄木歌碑がある。

(つづく)

2012-10-03

[][] 国際啄木学会・東京支部会 明治大学 10/28

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[ホトトギス]


国際啄木学会・東京支部会

  • 2012年10月28日(日)13:00~
  • 明治大学・駿河台校舎 研究棟 4 階 第 2 会議室

○ 発表 

  ・池田功   「小川武敏先生のご業績─啄木研究と国際啄木学会と」

  ・西連寺成子 「小川先生・こんなこと─ご研究にふれながら」

 

○ 支部会

  ・次回の予定

  ・支部会報について

  ・啄木終焉の地の歌碑について

☆ 初めての方のご参加も歓迎 ☆

[] 豆腐の日:10月2日 盛岡、県都で消費日本一 /岩手

豆腐売りの声を「盛岡の声」と表現した啄木

  • 10月2日は語呂合わせで豆腐の日。全国の県庁所在地で世帯当たりの豆腐消費量が日本一の盛岡市では、豆腐好きの市民が語り合う「とうふ祭り」が毎年開かれている。食卓にはおなじみだが、なぜこれほど親しまれているのだろう。豆腐と盛岡の関わりを探った。
  • 総務省が毎年実施している家計調査によると、昨年の同市の豆腐消費量は1世帯あたり100丁を超えた。盛岡市はここ10年間でもおおむね全国1位を維持している。
  • 豆腐文化に詳しい元県教育長の五十嵐正さんによれば、歌人、石川啄木も豆腐売りの声を「盛岡の声」と表現し、妻節子が付けた家計簿には週に 2度、3度と豆腐を買ったことが記録されている。【山中章子】

(2012-10-02 毎日新聞>岩手)

[] 啄木没後百年記念企画展「啄木と節子のモダニズム」10/6〜11/30

石川啄木記念館企画展

  節子百回忌「啄木と節子のモダニズム」

   〜見よ、今日も、かの蒼空に飛行機の高く飛べるを。〜

  • 会場 石川啄木記念館
  • 2012年10月6日(土)〜11月30日(金)

2012年は石川啄木の没後百年に当たると同時に、妻・節子の百回忌にも当たります。

節子は、音楽と文学に親しみ、結婚後も代用教員をするなど家計を支えました。結婚式に現れない啄木については、愛の永遠性を信じていると啄木の友人たちにしたためています。最期まで、詩人としての啄木の資質と才能を深く理解し、精神的に自立していた節子は、新しい女性だったと言えるでしょう。

  • 石川啄木記念館 盛岡市玉山区渋民字渋民9 電話:019-683-2315
  • 企画展講座
    • 10月6日(土)14時〜
    • 10月20日(土)11時〜
    • 11月10日(土)14時〜

[] 「啄木の妹・下」

『KOBECCO』10月号「触媒のうた」20 ──宮崎修二朗翁の話をもとに──

 出石アカル

 ○『KOBECCO』タウン情報誌 神戸市の文化や観光情報を発信

2012-10-01

[] 東京駅開業 ふるさとの訛なつかし… <天声人語>

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[ホトトギス]


東京駅 若い野心が全国から

  • この駅に向かう列車はすべて上りとなる。「都でひと旗」の時代には、若い野心が全国から降り立ち、入れ違いに失意の背が車中に消えていった。百様の人生が、始発終着のそれぞれに揺れる。
  • 皇居わきの原っぱに東京駅ができたのは 1914(大正 3)年。丸の内の駅舎は赤れんがの 3階建てで、「帝都の表玄関」を意識し、南北に 300メートルを超す威容となった。戦災で失われた二つのドーム屋根や 3階部分が、5年をかけて創建時の姿に復元され、きょう全面開業する。
  • 〈ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく〉。岩手出身の啄木の感傷は、往時の上野駅以外では成立しない。同様に、赤れんがの東京駅と切り離せない喜びや哀(かな)しみ、出会いと別れがある。

(2012-10-01 朝日新聞>天声人語)

[] 相次ぐ駅リニューアル 地域ニーズ生かし多様に 北海道

街再生へ進む再開発−−旭川

  • 旭川駅構内には美唄出身の世界的な彫刻家の安田侃さんの作品や石川啄木の歌碑などがあり、市が市彫刻美術館の分館としてステーションギャラリーやアイヌ文化情報コーナーを開設。
  • また、周辺には 14年度末完成を目指した大規模庭園「北彩都ガーデン」の整備も進む。駅直結の大規模庭園は全国でも珍しく、「駅前などの中心市街地に観光客や市民を呼び込むきっかけにしたい」というのが市の狙いだ。

(2012-09-30 毎日新聞)

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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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