啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2012-11-27

[] 啄木の交友録(42)「街もりおか」

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[「啄木の交友録」コピーと11月号表紙]


月刊誌「街もりおか」

啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏


42. 田口 忠吉  2012年11月号(No.539)

田口忠吉は、明治17年に盛岡市本町に生まれた。盛岡中時代に一級上の啄木と知り合った。啄木が主宰していた短歌グループ「白羊会」に入り、同級生の小林茂雄や平野八兵衛らと親交を結んだ。

父が営んでいた田口商会は、塩やたばこ、酒などを小売りしていた。大正15年、忠吉は田口写真機店に商売替えをした。写真屋としては、おそらく岩手でも一、二を争う先駆けであった。

啄木との直接的なエピソードは伝わっていないが、啄木没後における啄木顕彰には力を注いだ。盛岡天満宮の啄木歌碑が昭和8年に建つまでには、得意の写真技術を駆使して、歌碑に刻む文字について啄木の真筆から集字拡大を行った。建碑の資金集めに当たり啄木絵葉書や啄木筆の色紙作りにも尽力した。その後も、「郷土詩社」という絵葉書屋を興し、「啄木とふるさと」シリーズの絵葉書などを全国に向けて発行した。

 

[][] パネルディスカッション「詩歌が思想と出合うとき」12/1

  • 2012年12月1日 午後2時、文化学院13階(東京・お茶の水)。

没後70年の与謝野晶子北原白秋、没後100年の石川啄木の作品に、思想が与えた影響を探る。参加者は歌人の渡英子、松平盟子、内藤明さんら。会費2000円。

申し込みは、はがきに住所・氏名・電話番号を明記、〒359・1143埼玉県所沢市宮本町1の9の27横山方「明星研究会」事務局へ。当日参加可。

(2012-11-25 読売新聞)

  JR・御茶ノ水駅・御茶ノ水橋口 徒歩5分 または

  東京メトロ丸の内線・御茶ノ水駅,千代田線・新御茶ノ水駅 B1 徒歩6分

[] 赤の広場で「みすぼらしき」乱れ

  • 元新聞記者で校正担当も務めた経験を持つ石川啄木がこう詠んだことがある。

 みすぼらしき郷里(くに)の新聞ひろげつつ、誤植ひろへり。今朝のかなしみ。

  • 故郷岩手の新聞を読み、語句の間違いを見つけたやりきれなさを歌ったものだ。故郷の新聞社の経営状況を察して使った「みすぼらしき」という言葉に、啄木の思いがつまっているようにも感じる。
  • ロシア人の知人と話し、メディアの話題になると、彼らはよくこうこぼす。

 「記事のロシア語の間違いが多すぎる」「最近、言葉が乱れきっている」

  • 昨今、言葉の乱れは日本でも叫ばれており、ロシアだけの問題ではない。啄木の句をロシア語に訳すのは難しいが、誤りを見つけたロシア人たちは啄木の嘆きに似た感情を抱いているのだと思う。(佐々木正明)

(2012-11-27 産経ニュース>外信コラム)

2012-11-26

[][] 「啄木の魅力を語る−26年の生涯を概観しながら」秋田

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[サクラ]


歌人・石川啄木の生涯を学ぶ勉強会

住民有志でつくる学習グループ「尋常浅間学校かづの分校」が、一般公開授業として行う。岩手県雫石町出身で新潟県在住の啄木研究家山下多恵子さんが「啄木の魅力を語る−26年の生涯を概観しながら」と題して講演する。参加自由。

  • 2012年12月1日(土) 18:30から
  • 会場 円徳寺 (秋田県鹿角市花輪字寺の後)
  • 料金 授業料1200円
  • 問い合わせ 尋常浅間学校かづの分校・高木さん(TEL 0186-37-3070)

秋田魁新報社

[] 「啄木 うたの風景 第29・30回」岩手日報

第 29 回

第三部 苦闘の果て(1)

  太栄館(東京都文京区)

  最初の新聞小説執筆

○ 第三部は、病と闘いながら多くの作品を残し、短い生涯を閉じた東京時代の啄木の姿を文学碑とともにたどる。

  • 1908(明治41)年5月、22歳の啄木は3度目の上京を果たし、本郷の赤心館に引っ越す。仕事のない啄木は、家族を呼ぶどころか、下宿代すら払えなかった。生活を支えたのは金田一京助の収入のみ。
  • 小説を書いたが完成度は低く、現実の苦悩から逃げるように短歌を作る。6月23日夜から25日にかけて約250首を一気に詠んだ。

   東海の小島の磯の白砂に

   われ泣きぬれて

   蟹とたはむる

歌集「一握の砂」冒頭歌もこの時に作った。

  • 下宿代が払えない啄木のため、金田一は荷車で蔵書を売って精算し、蓋平館別荘に移った。富士山の見える下宿だった。後に経営者が変わり、旅館「太栄館」となり、趣のある和風旅館として営業を続けている。1955年、玄関前に「東海の」の歌碑が建ち、金田一の筆による流麗な文字が躍っている。

(2012-10-24 岩手日報

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第30 回

第三部 苦闘の果て(2)

 真教寺(沖縄県那覇市

  友思う心 南国に脈々

  • 上京後の啄木は、小説の評判が芳しくなく、焦りと挫折感を歌を詠むことで紛らわせた。与謝野寛・晶子夫妻が暮らす千駄ヶ谷の東京新詩社にも顔を出していた。
  • 同じ頃に新詩社に出入りした沖縄出身の歌人山城正忠(1884〜1949)の名を刻んだ啄木の歌碑が那覇市の真教寺境内にある。啄木の日記に「山城君は肥つて達磨の様である」と登場する。山城は何度か啄木の下宿を訪ね、歌論を闘わせた。山城は帰郷後、歯科医の傍ら歌壇を先導し、沖縄に近代短歌の歌風を確立する。
  • 啄木が亡くなった直後には追悼文を新聞に寄せた。「その蟠りのない素樸な口の利き振りが軈て田舎出の私をしてうちとけしむる媒介となつた」。
  • 山城は渋民に最初の歌碑が作られることを知り、5円を贈った。沖縄にも碑を建てる決意をするが、果たせず。山城と親交のあった国吉真哲さんが、1977年に歌碑を建てた。その時に沖縄啄木同好会ができた。除幕式の司会をした沖縄大客員教授の真栄里泰山さんは「沖縄には啄木ファンが多い。東北と沖縄は差別されていたという思いが共通している。啄木のうっ屈した気持ちとみずみずしい感性が青年の心にすっと入った」と説明する。

   新しき明日の来るを信ずといふ

   自分の言葉に

   嘘はなけれど──

(学芸部 小山田泰裕)

(2012-10-31 岩手日報

2012-11-22

[] 「啄木 うたの風景 第27・28回」岩手日報

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[ストロベリーツリー 実]


第 27 回

第二部 漂泊の旅路(11)

  萩浜(宮城県石巻市)

  上京途中 短い春体感

○ 「飄泊の一年間、モ一度東京へ行つて、自分の文学的運命を極度まで試験せねばならぬといふのが其最後の結論であつた」

古里を離れ、北海道に渡って1年後。啄木は文学に専念することを決意し、友人の援助を受けて函館から横浜に向かう船に乗った。宮古沖を通過し翌朝、宮城県の牡鹿半島にある荻浜に寄港。


   港町

   とろろと鳴きて輪を描く鳶を圧せる

   潮ぐもりかな


  • 石巻市萩浜の羽山媛神社鳥居横にある歌碑は啄木生誕90年の1976年、仙台啄木会と地元住民が建てた。
  • 啄木が立ち寄った萩浜の大森旅館は後に山際から海沿いに移転。昨年3月の津波は地域一帯をのみ込み、旅館も倒壊。山際の高台にある歌碑は下半分まで水が押し寄せた。

今も宿泊の問い合わせがあるが、旅館は廃業する予定という。

(2012-10-10 岩手日報

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第28 回

第二部 漂泊の旅路(12)

 北畠さん(釧路啄木会会長)インタビュー

  76日間 充実の日々

○ 厳寒の北海道・釧路で新聞記者として2カ月余り過ごした啄木。充実した記者生活の一方、文学から離れた孤独な暮らしから高級料亭に出入りし、酒に親しむ日々となった。釧路啄木会会長の北畠立朴さんに釧路と啄木について聞いた。

  • 啄木にとって釧路はどんなものだったのか。「一番充実した時。新聞社では思うように記事を書き、紙面作りもできた。平均して2日に1回は高級料亭に行った。僕の調べた範囲では一人では行かない。必ず誰かと行き、芸妓と二人きりにはならないし、一人で最後までいることはなかった」
  • 釧路市内の啄木文学碑は28基。今は「日本一、啄木を大切にする街」を掲げる。顕彰活動は当初から活発だったのか。「釧路短歌会が中心になり、1934年に米町公園に碑を建てたが、世の中は社会主義や共産主義はダメだと。昭和30年代、本格的な研究が始まった。当時、啄木の評判はあまり良くなかった。実際に啄木に金を貸して苦労したという人がいなくなり、啄木研究の紹介などで、市民の理解が深まった。4年前の啄木来釧100年記念展覧会には2週間で2千人が訪れた」
  • 啄木の魅力は?「若い時は恋をすると啄木のロマンチックな歌を読む。結婚して父親になると、違った目で啄木を見るようになる。啄木の歌に対する愛着心や深まり方は年齢とともに変わってくるところが魅力でしょうね」

(学芸部 小山田泰裕)

(2012-10-17 岩手日報

2012-11-21

[][] 「石川啄木 WEEK」ポスター 12/14~12/20

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  JR東京駅八重洲南口 徒歩3分

  東京メトロ銀座線京橋駅7番出口(明治屋出口) 徒歩4分

2012-11-18

[][] 小林茂雄を通して、深く新しい啄木に会いにいこう!

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[ジャケット]


『啄木の親友 小林茂雄』を読む -「啄木の息」管理者

「はじめに」より

茂雄の人生にとっての啄木の存在とは、そして啄木との交友を青春時代の思い出として抱き続けた茂雄の人生とは、筆者は、その問いを胸に抱きながらペンをすすめた。


  • 一人のひと。著者は、盛岡中学において啄木の一級下であった小林茂雄の人生をずっと追い続け、「その対象となる人物が遺したものと現代との関わりは何か」を考え続け、調べ続けていきます。
  • <回想「啄木を偲ぶ」>の中でこころに響いた言葉がありました。茂雄は、啄木をこのように語っています。

(啄木の短い生涯を惜しむ人もいるが)

「啄木はあれで善かつたのだ、あれで充分であつたのではないかと申し度いのであります。何故となれば彼の歌には次の様なのがあります。

   先んじて恋のあまさとかなしさを

   知りし我なり先んじて老ゆ

(中略)

普通人が百年かかつても出来ない仕事を短生涯の中で終らしたものと言つてよいでせう。」

大きすぎず、小さすぎず、ありのままの啄木を肯定し偲んでいる茂雄の温かい目が感じられました。

  • <啄木の日記に表れた茂雄>の中では、啄木を読むときの具体的な方法が書かれていました。

「日記そのものを通して読むのも、啄木の息吹が伝わってくるようで勿論おもしろいが、手紙や短歌、詩などの作品と併せ読むことも、日記の記述が立体的に迫ってきたり、幅や深みが広がりそのおもしろさが増す」。

  • 興味深かった事は、「これまでの啄木研究では言及されていなかった問題について考察を行った部分」でした。

「おどけし歌」はフィクションの可能性があり、啄木自身の歌であった可能性があるということ。これまで、啄木日記に登場する茂雄は「23回」とされてきたが、「47回」あったということ。東北大学は「秋入学」であったこと。など、など。

  • 茂雄の二女、そのご子息などと著者との対談では、日常を生きる茂雄に触れていました。「メモ魔」であったことや、新聞を大切にしていたため、家にはものすごい量の新聞とスクラップブックがあったこと。五紙もとっていたのに、学校で新聞紙が必要なときは「隣近所に頭を下げて新聞を貰って来なければならなかった」というエピソードなどに、茂雄とその家族の様子がユーモアも含めて伝わってきました。

  •   近眼にて

    おどけし歌をよみ出でし

    茂雄の恋もかなしかりしか       石川啄木 『一握の砂』


本を読んだ後でこの歌に戻ると、また、違った景色が見えてきました。

  • 小林茂雄を通して、深く新しい啄木に会いにいきませんか。

『啄木の親友 小林茂雄』森 義真 著  

  • 盛岡出版コミュニティー
  • 2100円 2012年11月発行

盛岡出版コミュニティー

2012-11-16

[][] 「石川啄木 WEEK」 八重洲ブックセンター 12/14~12/20

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[ストロベリーツリー 花]


東日本大震災復興支援・啄木没後100年

 石川啄木WEEK

   〜絵画・彫刻・本・講演でふれあう石川啄木

啄木の歌はいま、東日本大震災で被災された方や多くの若者に読まれ、その心を元気づけています。「石川啄木WEEK」は、啄木をテーマとした絵と彫刻、そして啄木に関する本を最近出版された著者による講演によって、啄木の新しい魅力にふれる1週間です。啄木没後100年を機に、啄木と一緒に〈新しい明日〉を探しませんか? きっとすばらしい出会いが見つかるはずです。

     啄木終焉の地歌碑建設実行委員会

     在京白堊会(岩手県立盛岡第一高等学校在京同窓会)

  • お問い合せ先:桜出版 TEL 03-3269-3420 / FAX 03-3269-8480 / sakuraco@leaf.ocn.ne.jp

 ※八重洲ブックセンターでは、お問い合せの受付を行いません。


絵画・彫刻展

  平日(月曜日〜金曜日): 10:00〜21:00

  土曜日・日曜日・祝日: 10:00〜19:00

   作品 三浦千波〈磯のある風景〉、伊藤明子〈みちのく〉、伊藤馨一〈浄夜〉、他


著者たちによる連続講演会プログラム

 開始時間

 昼の部 14:00(約90分)

 夜の部 18:30(約90分。ただし、オープニングトークは約45分)


◎12月14日(金)

・昼 講演「啄木の魅力 『交友』〜小林茂雄を中心に〜」

   森 義真 (国際啄木学会事務局長・近代文学研究家)

・夜 オープニング・トーク「なぜいま啄木か〜被災者の心に沁みる啄木」(45分)

   三浦千波(画家)×伊東明子(画家)×伊藤馨一(彫刻家)

   コーディネーター:山田武秋(国際啄木学会会員・桜出版編集主幹)

◎12月15日(土)

・昼 講演「『一握の砂』 その底知れぬ魅力を探る」

   近藤典彦 (国際啄木学会名誉会員・群馬大学元教授)

◎12月16日(日)

・昼 講演:「『悲しき玩具』の発掘と復元〜刊行100年を記念して〜」

   近藤典彦 (国際啄木学会名誉会員・群馬大学元教授)

◎12月17日(月)

・昼 講演「啄木と都雨、そして節子」

   山下多恵子 (国際啄木学会理事・日本ペンクラブ会員)

・夜 講演「啄木文学の魅力を語る」

   池田 功 (国際啄木学会副会長・明治大学教授)

◎12月18日(火)

・昼 講演「書誌研究から見た啄木図書の面白さ〜近刊を中心に〜」

   佐藤 勝 (国際啄木学会理事・「湘南啄木文庫」主宰)

・夜 講演「いい歌にはわけがある」

   河野有時 (国際啄木学会東京支部長・東京都立産業技術高等専門学校准教授)

◎12月19日(水)

・昼 講演「啄木『ローマ字日記』を読む」

   西連寺成子 (国際啄木学会理事・明治大学兼任講師)

◎12月20日(木)

・昼 講演「啄木文学の魅力を語る」

   池田 功 (国際啄木学会副会長・明治大学教授)

・夜 エンディング・トーク「なみだは重きものにしあるかな」

   菅原研洲(曹洞宗総合研究センター専任研究員・宮城県城国寺副住職)

   ×山田武秋(前同)×三浦千波(前同)×伊東明子(前同)×伊藤馨一(前同)


※(お願い) 講演やトークのご聴講はすべて先着順です。ご予約はありませんので、当日直接会場にお越し下さい。満席で入場をお断りする場合がありますことをご了承下さい。


○会場

 ・八重洲ブックセンター本店 8階ギャラリー 電話:03-3281-1811(代表)

  JR東京駅八重洲南口 徒歩3分

  東京メトロ銀座線京橋駅7番出口(明治屋出口) 徒歩4分

[] 啄木と静内のかかわり 講演会開く

石川啄木と静内」

  • 新ひだか文芸刊行委員会は13日、新ひだか町公民館で「石川啄木と静内」の講演会を開いた。
  • 釧路石川啄木会の北畠立朴会長(国際啄木学会理事)と新ひだか文芸刊行委員会の成田達夫さんが、啄木と静内にまつわる人々とのつながりについて講演した。
  • 北畠さんは、「啄木が尊敬の念を抱いていた大島流人に出会わなければ、北海道時代の啄木はなかっただろう」と指摘。また、静内に住み平成20年に死去した啄木と大島流人研究家の石田鰊兵さんと「新ひだか文芸」とのかかわりなどを成田さんが紹介した。
  • 北畠さんは、「短い生涯だった啄木に関しては、詳細で膨大な研究がされているが、いまもって血液型はわからない。わからないことはまだまだある」と啄木研究の奥深さを解説した。

(2012-11-15 北海道ニュースリンク>日高報知新聞)

2012-11-15

[][] 我孫子の楚人冠と啄木と <その 3(終)> (講演会 1/6)

啄木文学散歩・もくじ


千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 3 (終)>


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「澤の家」

大正11年に新築したもので、現在記念館にある建物の中では一番年代が古い。門から入ると、左手に母屋(記念館)、右手の坂を下って「澤の家」という配置になる。


展示

◎ 啄木と善麿

啄木と善麿は初対面の時から意気があったままだった。啄木が迎えた最後の新年、1月5日の日記にはこうある。

今日は朝から気分がよくて、土岐が来さうな日だと思つてゐると、果して午後一時少しすぎにその土岐がやつて来た。私は早速ピラミドンをのんで熱の予防しながら話した。

 二人の間には何時逢つてもこれといふ纏まつた話の出た事はない。しかし私の言ふ事には土岐は何でも賛成するし、また土岐の面白がる事は私にも面白い。人は彼には気障な処があるやうに言ふが、私にはその気障に見える処までが面白い。

(『啄木全集』第六巻 238頁 -展示目録 及び 企画展解説書-)


展示

◎ 善麿と楚人冠のその後

啄木の追弔会の相談で初めて出会った楚人冠と善麿。二人はその後、善麿が作った雑誌に楚人冠が原稿を書いたり、楚人冠全集増刊の編集を善麿が引き受けたりと、公私ともに親しくした。(-展示目録-)





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杉村楚人冠碑」

碑は、邸宅から北西方向に歩いて数分のところの「楚人冠公園」内にある。楚人冠が指導していた湖畔吟社の有志により建立された。楚人冠公園は、かつて楚人冠邸の一部だった。解説書の写真には手賀沼も写っていたが、現在は見えない。






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「筑波みゆ 冬晴れの 洪いなる空に」

句碑は我孫子に住んだ陶芸家河村蜻山の作陶による。





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「楚人冠邸園内の小径」

暖かい日が射す園内には、母屋、茶室、澤の家、蔵の4棟がある。現在残る面積は約 5,200平方メートルあり、手入れもよくされていて心地よい。楚人冠の植えた椿・梅・芭蕉などが木陰を作り、湧水・井戸・池・風呂跡などを見て回りながら、ベンチで一息入れるのも楽しい。


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講演会

平成24年度冬期企画展「楚人冠と啄木をめぐる人々」関連講演会

  • 2013年1月6日(日)13時30分開場 14時開演(15時15分終演予定)
  • 場所 我孫子市生涯学習センター「アビスタ」 第2学習室

    千葉県我孫子市若松26-4

    電話番号 04-7182-0515

  • 講師 碓田 のぼる さん
  • 費用 無料(予約不要、先着45人)

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(「千葉県我孫子市に啄木を訪ねて」終わり)

 

[][] 小林茂雄:盛岡の医師、生涯たどる初の評伝 友人・啄木の作品背景掘り下げ /岩手

 近眼(ちかめ)にて/おどけし歌をよみ出でし/茂雄の恋もかなしかりしか(「一握の砂」所収)

  • 明治期の歌人、石川啄木の友人で歌にも詠まれた医師、小林茂雄(1886〜1952)の初の評伝が出版された。旧制盛岡中学(現・盛岡一高)時代から啄木と親交が深かった小林の生涯をたどり、啄木作品の背景を掘り下げている。
  • 本は「啄木の親友 小林茂雄」と題され、国際啄木学会事務局長の森義真さんが著した。
  • 啄木が歌に詠んだ「茂雄の恋」は、啄木の妹光子に対する小林の片思いだと解釈されてきた。森さんは著書の中で、光子が「誰が破りし恋ぞ、詠み人にはあらで」(恋を破ったのは啄木)と記し、小林本人も「悲しいような恋をしたことはない」と書いたことを紹介。恋をしていたのは光子であり、「おどけし歌」も啄木の創作ではないかと指摘した。
  • 本は2100円。問い合わせは、出版元の盛岡出版コミュニティー(019-651-3033)。【重長聡】

(2012-11-15 毎日新聞>岩手)

記事

[][] 新収蔵資料で伝える啄木夫婦 盛岡・記念館で企画展

  • 石川啄木記念館の啄木没後100年記念企画展「啄木と節子のモダニズム〜見よ、今日も、かの蒼空に飛行機の高く飛べるを。〜」は盛岡市玉山区の同館で開かれている。明治の新しい教育を受けて独自の哲学と文学論を持ち、幸福で新しい時代の到来を願い続けた夫婦の姿を新収蔵の直筆資料などとともに伝えている。
  • 「恋愛と結婚」「啄木の小説」「明治の文芸雑誌」など11コーナーに分けて展示。啄木が愛用した絵はがきやハイカラな食べ物などの暮らしぶりや、詩に表現した理想のわが家など二人のモダンな生き方を紹介している。
  • 会期は30日まで。
  • 石川啄木記念館 電話 019-683-2315

(2012-11-15 岩手日報

2012-11-14

[] 我孫子の楚人冠と啄木と <その 2 >

啄木文学散歩・もくじ


千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 2 >


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「サロン」

 サロンは明るく広い。楚人冠が「ジャーナリズム文庫」「新聞紙文庫」と名付けた蔵書などが収められている。

写真の反対側には楚人冠自慢の大きなマントルピースがある。





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「日の差しこむ長い廊下」

廊下の途中に白い案内表示板が見える。その部屋が、企画展「楚人冠と啄木をめぐる人々」の展示室となっている。



展示

◎ 啄木を抜擢した渋川玄耳書簡

石川啄木の歌人としての才能を認め、朝日歌壇の選者にした渋川玄耳。玄耳の相談相手が、最も強い信頼で結ばれた杉村楚人冠だった。

拝啓。御手紙並に文芸日本拝見しました。多謝。石川啄木君に和歌の選者を頼む時、流石に英断果決の渋川君もちと突飛の抜擢と考へたか、どうだろうかと僕に尋ねました。僕は歌も分らず石川君の事もよくは知らぬが、兎に角才能によって異数の抜擢を行ふという事にいふべからざる興味をもって、僕は言下に賛成の意を表しました。それが幸にして成功であった事を今に痛快に感じてゐます。

(杉村広太郎書簡 吉田孤羊宛 大正15年12月6日 盛岡てがみ館所蔵 -展示目録 及び 企画展解説書-)





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「外から展示室を見る」

展示

◎ 啄木と善麿と楚人冠

社会主義者の幸徳秋水堺枯川と親しかった楚人冠、幸徳が処刑された大逆事件を通して関心と思索を深めた啄木、啄木晩年の親友であり楚人冠から堺を紹介してもらった土岐善麿。三人の接点の一つは、社会主義への関心だった。

   売ることを差止められし本の著者に路にて会へる秋の朝かな

    (『石川啄木集・土岐善麿集』現代短歌全集第10巻、129頁)

(明治43年9月)6日に発売禁止になった本 8 冊を啄木は「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」と題した原稿の中に書いている。その著者のうち、啄木と直接面識があるのは楚人冠と西川光二郎の二人である。「路にて会へる」という状況を考えると、この歌のモデルは同僚である楚人冠である可能性が高いといえるのではないだろうか。

(-展示目録 及び 企画展解説書-)






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「書斎」

のちに増築された二階建ての建物で、一階が書斎、二階は寝室・居室になっている。

展示

◎ 啄木の病と楚人冠

病に苦しむ啄木のため、社内で義金を募った楚人冠。その義金を受け取った礼状に啄木が書いたのは無政府主義者クロポトキンの本を買ったこと。啄木が買った最後の贅沢品がこの本だった。

取分け重病の母に薬価や滋養品の事について余計な心配をさせなくても済む事になつたのが、有難くて仕方がありません。あの幾枚もの紙幣を見せてワケを話した時には、母は泣き笑いして有難がりました。それから、止さうか止すまいかと何度も考へた末に、とうとう昨日本を一冊買ひました。クロポトキンの、Russian literature これは病気になる前から欲しい欲しいと思つてゐた本の一つでした。

石川啄木書簡 杉村広太郎宛 明治45年1月31日 -展示目録 及び 企画展解説書-)


(つづく)

 

[] 作家と肺病

  • 樋口一葉二葉亭四迷国木田独歩正岡子規石川啄木森鴎外。いずれも名だたる明治以降の文豪である。加えて、肺病(肺結核)を得て生涯を閉じた点が共通する。
  • 結核は明治の産業革命とともに国内で流行が始まった。昭和10〜25年には国民の死亡原因の第1位を占め、年に十数万人が亡くなる不治の病として恐れられた。半面、結核は作家本人や作品により、ある種の美的なイメージを負わされた。
  • 梶井基次郎は京都の第三高等学校に在学中、四条大橋の上で、文学仲間に「肺病になりたい、肺病にならんとええ文学はでけへん」と叫んだそうだ。

(2012-11-14 京都新聞

[] 編集日記

  • 「ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」は石川啄木の「一握の砂」にある一首。停車場は駅、操車場、信号場などの総称だそうだが、蒸気機関車と重なる印象がある。
  • ともかく、啄木が詠んだ都会の停車場とは違って、田舎のはむしろ寂しさが漂うので流行歌の歌詞にも最適。
  • 落ち葉がどんなに情緒をかき立てても、山間部の線路を管理する側からすると迷惑な光景に違いない。水分を含んだ落ち葉で列車の車輪が空転、運転に支障が出ることがあるからだ。

(2012-11-14 福島民友新聞

2012-11-13

[] 我孫子の楚人冠と啄木と <その 1 >

啄木文学散歩・もくじ


千葉県我孫子市に啄木を訪ねて <その 1 >


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我孫子市ゆかりの文化人紹介板 JR 我孫子駅前」


杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん)

  • 1872年(明治5) - 1945年(昭和20)。
  • 新聞記者、随筆家、俳人。本名 杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。
  • 1903年、東京朝日新聞(のちの朝日新聞社)に入社した。「記事審査部」を創設し、縮刷版の作成を発案、「アサヒグラフ」を創刊する。
  • 1912年、我孫子に別荘を持つ。関東大震災で二男・三男を失う。1924年、一家で東京大森から千葉県我孫子町に転居する。
  • 屋敷を「白馬城」、家屋を「枯淡庵」と称し、俳句を通して地元との交流を深める。




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「楚人冠と啄木をめぐる人々」ポスター


杉村楚人冠記念館 平成24年度冬期企画展

「楚人冠と啄木をめぐる人々」

杉村楚人冠石川啄木渋川玄耳、土岐善麿。この4人の手紙を中心に、啄木と楚人冠をめぐる人々の交流を振り返る。

  • 会期 2012年10月30日(火)〜2013年1月14日(月・祝)




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杉村楚人冠邸園の入口」


筆名「楚人冠」の由来

「楚人冠」の名は東京朝日新聞入社前の職場、アメリカ公使館のシルクハット置き場に付けた目印だったという。自分がシルクハットを被る姿は似合っていないだろうなと考えた時、中国秦代の都、咸陽の人が、秦を倒した項羽を嘲っていった『楚人は沐猴(もっこう)にして冠するのみ』(猿が冠を被っただけ)という史記の一節が思い浮かんで、この名を使うことにした。(サロンの説明ボードより)





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「庭から見る母屋 “白馬城” 」

1924年(大正13)完成した母屋は、前年の関東大震災で二男と三男を失ってしまったことから耐震性を重視したものになっている。母屋の屋根を軽くし耐震性を強化するトラス構造(軸組みを三角形で組み合わせた構造)と銅板葺きの組み合わせをとっている。

関東大震災後も、大正13年の茨城県沖地震、大正15年の羽田沖地震などで被害を受け、修繕工事を繰り返した。

大型家具類は耐震性を強化した作り付けの構造である。地震に対する徹底した対策を読み取ることができる。(「楚人冠の生涯と白馬城」より抜粋)


○ 「この時代にトラス構造を一般住宅に使うのは先進的だ。我が子を失った震災を機に耐震性を重視した楚人冠の注文に下田が応えた面はある」。我孫子市文化財審議会委員で元千葉工業大学教授の河東義之さんはこう話す。(朝日新聞>千葉「楚人冠と我孫子」2011年11月05日)



(つづく)

 

2012-11-10

[] 啄木のふるさと「西に岩手山の雄姿、東に姫神山の優美な姿…」

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[ヤブミョウガ]


啄木が見た渋民の原風景

  • 岩手が生んだ漂泊の歌人・石川啄木が没して今年で100年。近代短歌に新たな世界を切り開いた啄木のふるさと渋民村(現盛岡市玉山区)を今秋、訪れる機会があった。
  • 『ふるさとの山に向かひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな』と詠んだ故郷、旧渋民村はどんなところなのか、啄木が生まれ育った渋民村の原風景を、一度この目で見てみたいと思っていた。
  • 西に岩手山の雄姿、東に姫神山の優美な姿を望む。その美しい二つの山に抱かれるように啄木のふるさと渋民村があった。
  • 啄木が幼少期に目にしたであろう、おもひでの山、おもひでの川は、今も変わらずゆったりとした時間を刻んでいた。(孝)

(2012-11-06 東海新報>気仙坂)

[] 大逆事件:100年で記録映画 処刑された女性記者に光 上映会呼びかけ

  • 明治天皇の暗殺を計画したとして、幸徳秋水ら社会主義者、無政府主義者12人の死刑が執行された大逆(たいぎゃく)事件を描いた記録映画が完成した。「100年の谺(こだま) 大逆事件は生きている」で、女性で唯一処刑された管野(かんの)須賀子を中心に据えた。
  • 新聞記者として公娼廃止や女性の地位向上を訴えた管野の視点から、思想弾圧を強め軍事国家への道を突き進んだ当時の世相などを描いている。
  • 残された資料を掘り起こし、徳富蘆花石川啄木ら事件に批判的だった文学者らの心情も紹介する。
  • 製作者は全国各地での上映会開催を呼びかけている。【伊藤正志】

(2012-11-10 毎日新聞>東京夕刊)

[] 気の変わる人に仕えて/つくづくと… 啄木

編集手帳 読売新聞

  • そうだよね…と、多くの人がうなずくだろう石川啄木の歌がある。<気の変わる人に仕えて/つくづくと/我が世がいやになりにけるかな>
  • 程度の差はあれ、気の変わる上司はどこにでもいるが、この役所にはかなうまい。「不認可」−「新基準を儲けて再審査」−「現行基準のまま認可」。田中真紀子文部科学相が迷走させた3大学の新設問題は、ようやく落ち着くところに落ち着いた。

(2012-11-09 読売新聞>編集手帳)

2012-11-08

[][] -函館時代の啄木と静内の関わり-講演会 11/13

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[紅葉]


講演会「石川啄木と静内」

石川啄木没後100年を記念し、釧路啄木会会長の北畠立朴さんと新ひだか文芸刊行委員会の成田達夫さんが、函館時代の啄木と静内の関わりについて話をする。

[][] 資料展「石川啄木と静内」11/9~11/25

石川啄木没後100年を記念した資料展。

  • 会場 ワークショップ陽だまり(北海道日高管内新ひだか町静内吉野町2)
  • 2012年11月9日〜11月25日 午前10時〜午後6時
  • 入場 無料
  • 主催者 新ひだか文芸刊行委員会

2012-11-05

[][] 「短歌募集」啄木父子歌碑3周年記念 /高知

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[マユミ]


短歌をつくってみませんか 締切は11月30日

◎ JR 高知駅南側に立つ石川啄木と父一禎の歌碑建立 3周年記念

  ☆ 短歌作品募集中

  • テーマ 「家族」「龍馬」「路面電車」「自由題」。

     各テーマ1首、未発表作品に限る。

  • 部門 「短歌のみ」、「短歌と写真のコラボ」の2部門
  • 締め切り 2012年11月30日
  • 住所、氏名、年齢、職業、電話番号を明記し、はがきかメールで応募。
    • 〒781-0113 高知市種崎651の8 岡林一彦さん方「短歌募集」係
    • メール宛先 oka1oko8@kxa.biglobe.ne.jp (岡林)
    • 問い合わせ  電話 088-847-2330(岡林)

○「コラボ」部門は写真に短歌を焼き込むのも可。携帯電話の写メールも受け付ける。一般と高校生以下を分けて審査し、最優秀や特別賞などを選出。来年 1月、高知市の帯屋町商店街に展示する。

[][] 文学の夕べ「雅号“啄木”の定着…」11/20、「啄木と江差追分」12/18 函館市文学館

函館市文学館<文学の夕べ>

第4回「雅号“啄木”の定着をめぐって」

  • 日時 2012年11月20日(火) 18:30〜
  • 講師 竹原三哉(函館市文学館説明員)

第5回「啄木と江差追分」

  • 日時 2012年12月18日(火) 18:30〜
  • 講師 北村克夫氏(八雲啄木会会員)

  ・函館市文学館 函館市末広町22-5(電 0138-22-9014)

2012-11-04

[][] 「啄木の親友 小林茂雄」を刊行

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[カキ]


「啄木の親友」一代記を出版 小林茂雄に着目

  • 近代文学研究家で国際啄木学会理事・事務局長の森義真さん(盛岡市)は「啄木の親友 小林茂雄」を刊行した。
  • 盛岡中学で石川啄木の1学年下で、文学を通して交友のあった小林茂雄は仙台に進学し医師になった。啄木の作品や日記、書簡に登場する姿だけでなく、茂雄自身の著作などを丹念に調べ、生涯をたどった労作となった。
  • 盛岡中学では盛岡市玉山区出身の歌人石川啄木の後輩。花郷、花京などの号で俳句や短歌を作った。啄木の歌集「一握の砂」には茂雄を詠んだ歌「近眼(ちかめ)にて/おどけし歌をよみ出でし/茂雄の恋もかなしかりしか」があり、小説「葬列」の登場人物、花郷のモデルになった。日記や書簡にも度々登場している。

(2012-11-03 岩手日報

『啄木の親友 小林茂雄』森義真 著  

  盛岡出版コミュニティー

  2100円 A5判上製本 P345

詳細・予約 ほか

2012-11-01

[][] 「詩歌が思想と出合うとき〜晶子・啄木・白秋の20世紀」 12/1

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[セイタカアワダチソウ]


第6回<徹底パネルディスカッション>

「詩歌が思想と出合うとき〜晶子・啄木・白秋の20世紀」

今年は与謝野晶子北原白秋の没後70年、石川啄木の没後100年に当たります。それを記念して、この3人の優れた文学者が、彼らの生きた時代の思想からいかに影響を受け、またはそこから身を反らそうとしたか、そしてそれが彼らの詩歌作品をどのように深化させたかについて検討します。

  • 2012年12月1日(土)14時〜17時 (13時30分開場)
  • 場所 文化学院 ホール階(13F) 東京都千代田区神田駿河台2−5 

○ プレゼンテーション 池田 功(明治大学教授)・渡 英子(歌人)・松平盟子(歌人)

○ パネルディスカッション 池田 功・渡 英子・松平盟子


  • 会費 2,000円(資料代含む) 学生1,000円(学生証提示)
  • 定員 300人
  • アクセス

  JR・御茶ノ水駅・御茶ノ水橋口 徒歩5分 または

  東京メトロ丸の内線・御茶ノ水駅,千代田線・新御茶ノ水駅 B1 徒歩6分

[] 石川啄木の親だったら……

「天地人」

  • かつては先生から通知表を受け取ると、期待と不安を胸にそっと開けて見たものだ。
  • ところが、いま横浜市の小中学校では事前に通知表のコピーを渡すという。成績や出席日数などを家庭で確認してもらうためとか。
  • 小中高で実際より低い評定を書き込むなどの誤記載が多数見つかり、その防止策として市教委が指示したという。「わが子の成績をもう少し良くしてもらえないものか」。最終決定でなければ、コピーを見て、そう思う親がいても不思議はない。
  • 石川啄木の親だったら、さっそく先生に頼みに行ったかもしれない。啄木は小さいころ神童と言われ、盛岡尋常中学校には10番目の成績で合格した。が、在学中に文学と恋愛にのめり込み、成績が急落する。
  • <そのかみの神童の名の/かなしさよ/ふるさとに来て泣くはそのこと>。「かみ」は「昔」の意。本人がこんな歌を詠むぐらいだ。期待していた親の落胆はどんなに大きかったことか。

(2012-10-31 東奥日報

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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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