啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2012-12-31

[] 入賞決まる 啄木父子歌碑建立記念短歌大会・高知 <その2>

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[クロード・モネ]


入賞発表<その2>

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学生の部 (高校)  家族  

  • 優秀賞

   捨てるのが面倒/だからと/母溜(た)めし/その新聞に父の詩(うた)あり

    皆口湖雪 高1 福岡市


   生きるのはやっぱり辛いが明日がある雲の真上はいつも青空

    川上春姫 高2 茨城県結城市


   じいちゃんの本の整理をしていたら栞が出てきたばあちゃんからの

    辻谷海帆 高2 茨城県結城市


   母の手を強く握ったその訳は/普段言えない言葉のかわり

    坂田渉 学生 福岡県須惠町


   気がつけば/見下(みお)ろすようになっていた/母のつむじの白髪に気づく

    久米千咲紀 学生 福岡県粕屋町

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学生の部 (高校)  龍馬

  • 優秀賞

   新しき時代を開く強さあり/世界を見つめ日本(にほん)を見つめ

    久米千咲紀 学生 福岡県粕屋町


   さわやかに/アメリカへ行くと叫んでる/坂本龍馬はブーツを履いて

    河田玲央奈 高1 群馬県高崎市

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学生の部 (高校) 路面電車


  • 優秀賞

   受験への 不安自信を つめこんだ/路面電車は 一直線に

    佐藤美貴 高校 福岡市


   先生と並んで座る路面電車仕事疲れのため息二つ

    川村貴子 高1 高知市


   液晶(えきしょう)の君の言葉が胸を刺(さ)す/路面電車に揺(ゆ)られて/ひとり

    久米千咲紀 学生 福岡県粕屋町

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学生の部 (高校) 自由


  • 優秀賞

   いきなりの雨に降られて雨やどり/2本の傘と君が現わる

    坂田渉 学生 福岡県須惠町


   さりげなく初めて握った右の手はとても大きく温かかった

    相澤樹来 高1 茨城県結城市


   屋上のベンチの上に昼寝する君の帽子がぽとりと落ちた

    安形美紀 高2 茨城県結城市


   手袋とコート・マフラー身に着けて完全武装の定時制の夜

    高橋広樹 高2 茨城県結城市


   釣り人が水平線を眺めてる/黄色い帽子の/小さな子どもと

    東城優花 高1 群馬県高崎市

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中学生の部

  • 優秀賞

   三度目も願い叶えぬ流れ星己で成せよと言うような月

    溝渕明子 中3 土佐清水市

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小学生の部

  • 優秀賞

   家族とは 心をいやす 宝もの やさしい言葉 あたたまるよね

    中平沙良 小5 東京都新宿区


   コンパスをゆっくり大きくまわすなか花火はやみに赤くさいてる

    中田光紀 小6 福山市


   街路樹のもみじやいちょう染まりだし 風雨の後は地面いろどる

    尾原健太 小6 高知市



(つづきは、また)

2012-12-30

[] 入賞決まる 啄木父子歌碑建立記念短歌大会・高知 <その1>

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[オリンピック・ファイアー]


入賞発表:石川啄木父子歌碑建立3周年記念短歌大会

「啄木の父石川一禎終焉の地」JR高知駅前の『啄木父子歌碑建立3周年』を記念して、今でも広く愛され続けている啄木とその短歌に想いをよせ、短歌を募集した。全国からたくさんの応募があり、テーマ毎に各賞を決定した。

  • 『短歌のみ』部門 応募作品 671首
  • 『短歌と写真のコラボ』部門 応募作品 18点

 ・展示 2013年1月13〜20日、高知市帯屋町2丁目商店街アーケード内

 ・表彰式 1月20日午後3時

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一般の部  家族  

  • 啄木賞

   アイリッシュ・スパニッシュそして日系を誇りてわれら混成家族

    西岡徳江 アメリカ ダブリン


  • 優秀賞

   古希にして母なく父も死にたれば/卆寿の義父を家族に迎う

    黒木直行 日向市


   畚(ふご)の稚児角折れし海老と遊ばせて漁の夫婦網を繕ろふ

    廣岡光行 志摩市

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一般の部  龍馬

  • 最優秀賞

   現(うつ)し世に強き龍馬を/探しおる/荒ぶるこころゆき場なくして

    中村英造 北海道江別市

  • 優秀賞

   懐のピストルを抜くようにして部長に渡す退職願い

    木下龍也 山口県周南市


   龍馬の心温(ぬく)きを抱き/手をつなぐ/木洩れ日の道に/つわぶきの花

    岡崎洋一郎 高知市


   この道を駆け登ったか龍馬等は/朽木(くちき)峠は鎮(しず)もりの中

    麻田洸子 佐川町


   ボロボロの 9条洗濯し直せと  平和願った  君なら言うか

    細木良 高知市


   新緑の 木洩れ日(こもれび)あふれる霧島路龍馬おりょうの言の葉(ことのは)聴(き)こゆ

    橋本起世子 東京都江戸川区

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一般の部  路面電車

  • 最優秀賞

   夕暮れの路面電車は虫籠になりて飛蝗(ばった)をぴょんと乗らしぬ

    熊谷敏郎 四万十町


  • 優秀賞

   定刻に発(た)ちしあとなり終電車酔眼で追ふ/「ごめん」の三文字

    美崎明 南国市


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一般の部  自由

  • 最優秀賞

   「かなしきは/小樽の町」とうたひたる/けふ啄木忌春の雪舞ふ

    水口忠 小樽市


  • 優秀賞

   新しき時代の来るを信じつつシュプレヒコールの列にいる秋

    叶岡淑子 高知市


   啄木の今世に在らば閉塞の/この現世(うつしよ)を如何に詠まんや

    吉本悦子 香美市


(つづきは、後ほど)

2012-12-28

[] 晶子・啄木・白秋の20世紀 明星研究会主催

《関連イベントに参加しての私的レポート》


「詩歌が思想と出合うとき〜晶子・啄木・白秋の20世紀」

  • 2012年12月1日
  • 会場 文化学院 東京都千代田区神田駿河台
  • プレゼンテーション&パネルディスカッション

  池田 功 氏(明治大学教授)・渡 英子 氏(歌人)・松平盟子 氏(歌人)

  [司会] 内藤 明 氏(歌人・早稲田大学教授)


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[文化学院の入口]


今年は与謝野晶子、北原白秋の没後70年、石川啄木の没後100年に当たる。彼らの生きた時代の思想から、いかに影響を受けたかを探る。




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[表示に導かれて]


池田功

  • 啄木と明星とのかかわり

明治33年。満14歳。先輩の金田一京助から「明星」を借りて読み、与謝野晶子らに感動し真似た短歌をつくる。明治36年11月の「明星」に啄木を新詩社同人とすると掲載される。明治38年、第一歌集『あこがれ』に与謝野鉄幹が跋文を書いている。

  • 啄木と北原白秋とのかかわり

明治41年5月、森鴎外の歌会で初めて出会い親交が始まる。「北原君の宿を初めて訪ねた。」「今、唯一の詩人は北原君だ。(中略)真の詩だ。真の真の詩だ。」啄木は、白秋の詩を大変褒めている。




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[壇上]


渡英子

  • 白秋と啄木

「啄木の詩はその技巧の円熟に於て、当時の泣菫有明二大家さへも凌がうとした。その詩人としての天分に於てはその二大家にも勝ると評したのは森鴎外先生であつた」

「啄木の歌は一見蕪雑なやうで、なかなか隙を見せぬところがある」(「啄木のこと」 「短歌雑誌」大正12.9.1)

  •  ひさしぶりに公園に来て/友に会ひ/堅く手握り口疾(くちど)に語る  啄木(『一握の砂』明治43.12.1)



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[遠方からの参加者もいて]


松平盟子

  • 啄木日記に見る「明星」廃刊当時(明治41年)の晶子

「11月2日 金田一君と二人で上野の文部省展覧会へ行つた。(中略)さて日本画館の中で、晶子さんと其子らに逢つた。薄小豆地の縮緬の羽織がモウ大分古い――予は晶子さんにそれ一枚しかないことを知つてゐた。そして襟の汚れの見える衣服を着てゐた。満都の子女が装をこらして集つた公苑の、画堂の中の人の中で、この当代一の女詩人を発見した時、予は言ふべからざる感慨にうたれた。」

  • 晶子から見た啄木

「石川さんの額つきは芥川さんの額つきが清らかであつたやうに清らかであつた。芸術家の人以外に見難い額だと私は何時も見て居た。そして石川さんには犯し難い気品が備つて居た」(随筆「啄木の思ひ出」『新編石川啄木全集月報』昭和13.6)

啄木が嘘を云ふとき春かぜに吹かるる如くおもひしもわれ({東京朝日新聞」明治45.5.3)




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[窓の外は 紅葉の錦 ビルのまにまに(会場は13階)]

2012-12-27

[] 「歌集の魅力、人物像に迫る 啄木WEEK」 岩手日報

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[きっと すばらしい プレゼントもって]


東京で石川啄木WEEK

 歌集の魅力、人物像に迫る 関連書籍の著者が講演

東京・八重洲の八重洲ブックセンターで開かれている「石川啄木WEEK」は、啄木の新たな魅力に触れる企画。講演と展覧会の模様を紹介する。

  • 元国際啄木学会会長の近藤典彦さんは歌集「一握の砂」の魅力について講演した。2008年に編者として「一握の砂」(朝日文庫)を刊行。常に「夢見る人」だった啄木。借金などで周囲に迷惑を掛けたが、妻節子の家出を契機に大きく変わった。「啄木は常に希望を持っていた人。苦労の中から生み出された苦しみや悲しみの歌の中に、現実をふまえて理想を求めた人柄が表れている」と魅力の秘密を語った。
  • 先月出版した「啄木の親友 小林茂雄」(盛岡出版コミュニティー)の著者、森義真さん(近代文学研究家、盛岡市)は啄木の交友について講演。「交友の多彩さは手紙の多さにつながっている。宮沢賢治の場合は父と親友への手紙がほとんど。啄木の方が幅広い」と人を引きつける力や人を離さない会話の魅力を持っていたことを指摘した。「一握の砂」の献辞に登場する友人の宮崎郁雨、金田一京助を例に挙げて幅広い交友の秘密に迫った。

(2012-12-19 岩手日報)

 

[][] 「啄木再発見 青春、望郷、日本人の幸福」三枝昂之

NHKカルチャーラジオ

 詩歌を楽しむ「啄木再発見青春、望郷、日本人の幸福」2013年1〜3月 

  • 講師 三枝昂之

啄木の波乱の人生と短歌に込めた情熱を伝える。

短い生涯に『一握の砂』『悲しき玩具』という後代に残る歌集をものした石川啄木。その短歌作品を通して、時代と人間への視点を読み解く。

  • 定価 950円 2012年12月24日 発売
    • ガイドブック 年4回(3・6・9・12月発売)

記事

 

◎ 放送日 NHKラジオ第2

   金曜 20:30〜21:00

   土曜 10:00〜10:30(再放送)

2012-12-26

[] 「啄木 うたの風景 第34回(最終回)」岩手日報

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[全国の啄木文学碑(2012-11-28 岩手日報)]


第 34 回

  エピローグ

漂泊の詩人、石川啄木が足跡を残した北海道、東京、そして古里・岩手。啄木が亡くなって100年の今年まで、啄木とその作品を愛する人々によって、多くの文学碑が建てられてきた。


◎ 盛岡一高

  先輩の心 未来に重ね

   盛岡の中学校の

   露台(バルコン)の

   欄干(てすり)に最一度我を倚(よ)らしめ

  • 盛岡市上田の盛岡一高。啄木が青春時代を過ごした追憶の「白亜城」から4代目、1999年にできた校舎は白い外壁がまぶしい。校門を入り、すぐ右側。啄木の歌碑は生徒が使う昇降口の正面にある。生誕120年に当たる6年前、同窓生有志が贈った。
  • 文学研究部の生徒たちは、将来について深く考える時期にいる。自分の未来を重ねながら啄木の歌と人生を見つめている。

◎ 高知駅

  父子の歌碑 共感今も

  • 2009年5月に完成した高知市のJR高知駅南口広場。新しい駅舎を出て時計回りに南端まで歩くと、啄木と父石川一禎の歌を刻んだ石碑がある。
  • 1927(昭和2)年2月20日。啄木が亡くなって15年後、一禎は高知駅近くの官舎で息を引き取った。76歳だった。

   よく怒る人にてありしわが父の

   日ごろ怒らず

   怒れと思ふ

老いた父を詠んだ歌は歌集「一握の砂」から。

  • 「啄木の父石川一禎終焉の地に歌碑を建てる会」が、地元の呼びかけ人を100人近く集めて募金活動を展開し、半年で碑ができた。

◎ 望月善次さん(国際啄木学会会長)インタビュー

  胸打つ表現 世界へ

  • 啄木の作品はこの100年、人々にどう読まれてきたのか。

「啄木は、没後に新潮社の全集で大きく知られるようになり、国民詩人の道を歩む。」「その後は時代によって評価が動いた。」

  • 啄木の広がりは学校教育の影響もある。

「短歌だけに限ると、啄木は常に小中学校で人気ナンバーワンと言っていい。」「だから啄木の短歌は全員読んでいる。これは分かりやすいということが大きい。そして有名でなくてはいけない。」

  • 未来に向かっても読み継がれていくと思うか。

「啄木の作品は読んだ人を引きつけてやまない。それは啄木が懸命に生き、人間洞察への本質性を持っているから。次の100年も国境を越えて読まれていく。『日本の啄木から、世界の啄木へ』というのが私の強調したいこと。そのために翻訳も含め、いろいろな形で読んでもらうことが大切になる」

(学芸部 小山田泰裕)

(「啄木 うたの風景」今回で終わり)

(2012-11-28 岩手日報)

 

[] 啄木の長女・京子らの未公開写真、函館に寄贈

  • 函館ゆかりの歌人、石川啄木の長女、京子(1906〜30年)と家族らが写った昭和初期の写真5枚が25日、所有する関係者から、函館市中央図書館の函館啄木文庫に寄贈された。啄木の関連資料を保管する同文庫管理者の函館啄木会(岡田弘子代表理事)などによると、京子の成人期の写真が公開されるのは極めて珍しいといい、来春市文学館で公開する予定だ。
  • 寄贈写真は、①かっぽう着姿の京子②夫の正雄③親友、松田テルと京子④長女晴子と長男玲児―などで、④以外は未発表。所有者は、新聞記者として正雄の同僚だった故常野知一郎の四男、正紀さん=千葉県柏市。正紀さんが、いとこに当たる箱館歴史散歩の会主宰者、中尾仁彦さんに今夏、写真を見せたのがきっかけで、公表につながった。
  • 写真は画像処理された複写データとして啄木文庫に寄贈された。現物は同文学館で来年4月、石川啄木直筆資料展に出展される予定。

(2012-12-25 北海道ニュースリンク>函館新聞)

[][] 啄木の3行書き形式を考察 文芸学者・西郷さん出版

  • 文芸学者の西郷竹彦さんは「啄木名歌の美学 歌として詠み、詩として読む三行書き形式の文芸学的考察」(黎明書房)を出版した。
  • 独特の文芸学理論から三行書き形式を「伝統的な短歌の『五七五七七』の調べを面影としながら、近代の散文詩的なリズムに転化した」と考察。「短歌でもあり、短詩でもある」と指摘し、短歌と詩のどちらでもない「歌詩」と名付けた。
  • 四六判、342ページ。黎明書房は、電話052・962・3045。

(2012-12-25 岩手日報)

2012-12-25

[][] 「啄木WEEK(終)」池田功氏の講演 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[池田功 氏]


「石川啄木WEEK」東京・八重洲ブックセンター

12月20日

講演「啄木文学の魅力を語る」池田 功

◎ 啄木日記について

  • 16歳から26歳までの10年間、13冊の日記を書く。

最初の日記は明治35年10月30日。

「運命の神は常に天外より落ち来つて人生の進路を左右す。我もこ度其無辺際の翼に乗りて自らが記し行く鋼鉄板上の伝記の道に一展開を示せり。」

気取りに気取った文体で書かれている。文体が変化したのは明治41年1月1日から。それ以後は死ぬまで口語体で書いた。

生涯最後の日記は明治45年2月20日。

「日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上つた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。さうしている間にも金はドンドンなくなつた。」

虚飾を廃した口語体で、ありのままに書いている。2週間後に母が亡くなり、その1ヶ月後に啄木も亡くなった。

  • ローマ字日記は、明治42年4月7日から2ヶ月ちょっとの間書いた。私は、啄木はローマ字で日記を書くことによって、ローマ字日記を文学として残したいという意気込みがあったのだろうと考えている。

単なる備忘録の日記とは全く違う。これは創作作品だ。冒頭に、主人公・予が抱えている一番の問題は「家族を呼びよせること」だという描写がある。読む人にとっての「まえがき」の役割をしている。登場する「坂牛君」や女中の「おきよ」という人物については、第三者にわかるように客観化している。最後は、家族が上京してきて物語が終わる。話の最初と最後がきちんと出来ている。

  • 今年、日本に帰化したキーン・ドナルド先生(90歳)が、啄木日記を評価している。

「明治時代の文学作品中、私が読んだかぎり、私を一番感動させるのは、ほかならぬ石川啄木の日記である。(中略)私が意味するところは、啄木日記のほとんどすべての文章が、私の心を打つということ、そして他の誰よりも、啄木のことを、まるで親友であるかのように感じる、ということにほかならない」(『続 百代の過客下 日記にみる日本人』)

こんなに褒めていいんですか、と驚くくらいキーン先生は啄木日記を褒めている。自分の赤裸々な気持ち恥ずべき事を書いていることに先生は心を動かされたと思う。

  • 私は1988年から2年間、韓国の大学で日本文学のゼミを担当し、『ローマ字日記』をテキストにした。パートを決めて読み、感想を述べていった。学生たちは、国も民族も時代も違っていながら、私たちと同じように感動し面白いと言ってくれた。
  • 私は、赤裸々なことより、啄木が絶望的な状態に陥ったときに「勇気を出して生きていかなければいけない」と書いている部分が好きだ。「死のうか、生きようか」と書いた後に、「やっぱり生きなければいけない」と生きることを選んでいくところに啄木日記の面白さを感じた。


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[明日への扉を開く]

会場は八重洲ブックセンターの8階。

入口の手前はブックセンターの売り場で、手帳・日記・カレンダーフェア開催中だった。啄木もふくめて、手帳も日記もカレンダーもみんな明日への扉。



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[途切れぬ質疑応答]



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[温かく透明な空気に包まれて]



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[鏡の間]

左:八重洲ブックセンタービル 中央:グラントウキョウサウスタワー(最高部 205m) 右:常和八重洲ビル


(「啄木WEEK」終)

2012-12-20

[] 雨情と石川啄木との交友 雨情の孫がつづる

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[野口雨情旧居 宇都宮市鶴田町]


雨情の優しさ語り継ぐ 孫・不二子さん、生涯を本に

  • 北茨城市出身で「童謡界の三大詩人」の一人に数えられる野口雨情の孫の野口不二子さんが、雨情の生涯をまとめた伝記「郷愁と童心の詩人野口雨情伝」を出版した。雨情の幼年期から晩年までを丁寧にたどりながら、孫から見た偉大な祖父の姿を優しくつづっている。
  • 本では雨情と石川啄木との交友や、ひろとの離婚、貧しい生活を経て童謡「赤い靴」などの名作を生み出す過程などが、不二子さんだけが知るエピソードとともに描かれている。(永山陽平)

(2012-12-20 東京新聞>茨城)


啄木文学散歩 野口雨情と石川啄木

2012-12-19

[][] 「啄木WEEK」山下多恵子氏の講演 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》

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[講師紹介]


「石川啄木WEEK」東京・八重洲ブックセンター

12月17日

講演「啄木と都雨、そして節子」 山下多恵子

◎ わたしは啄木と同じ岩手県生まれで、各地を転々とした。現在新潟に住んで27年になる。ほんの束の間と思っていたのに、26歳で死んだ啄木の一生にもあたる。

◎ 節子と啄木

「自己の次に信じうべきものは恋人一人のみ。」なんとなれば、恋人は我ならぬ我なれば也。(明治39年1月18日付 小笠原謙吉宛書簡)

「恋人は云ふ。理想の国は詩の国にして理想の民は詩人なり」(明治35年11月30日付 日記)(恋人=節子)

啄木の中で節子は「私とほとんど重なるほどの存在、もう一人の私」といっていい存在。節子が啄木に求めたものは、金でも地位でもない。詩人こそが彼女の理想だった。啄木にとって節子は夢を語り合える相手だった。

自分たちの結婚式をすっぽかされても節子が啄木について行った原動力は、「啄木が天才だと思い、私はその妻なのだ」と信じること。啄木が式にでなかったことに節子は全く動じなかった。この結婚式に、それ以後の二人の関係が象徴的に示されている。節子は「待つ女」「たじろがない女」だった。

◎ 啄木と郁雨

函館なる郁雨宮崎大四郎君/同國の友文學士花明金田一京助君/この集を両君に捧ぐ。(『一握の砂』献辞)

宮崎郁雨は、啄木の人生に欠くことのできない人物だった。郁雨は、啄木が北海道に渡ったときから啄木とその家族を物心両面で支えた。家族を引き受けたということは、物質的に面倒をみたというだけではない。啄木に一人の時間、自分を見つめる時間を与えた。文学に専念する時間を与えた。歌集『一握の砂』が出た直後、郁雨は函館日日新聞に「歌集『一握の砂』を読む」という題で45回にわたって連載した。これは『一握の砂』の評としては最初のものだった。郁雨の若さ、真面目さが出ているいい文章だ。

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[山下多恵子 氏]

◎ 節子の家出

「日暮れて社より帰り、泣き沈む六十三の老母を前にして妻の書置読み候ふ心地は、生涯忘れがたく候。昼は物食はで飢を覚えず、夜は寝られぬ苦しさに飲みならはぬ酒飲み候。妻に捨てられたる夫の苦しみの斯く許りならんとは思ひ及ばぬ事に候ひき。(略)若し帰らぬと言つたら私は盛岡に行つて殺さんとまで思ひ候ひき。」(明治42年10月10日付 新渡戸仙岳宛書簡)

明治42年10月、節子が家出をした。尋常でなく嘆いた啄木は、恩師である新渡戸仙岳に真に迫る手紙を書いた。天才である自分を見守り、たじろがず、支えてくれた節子が、自分を見捨てて去っていった。まるで母とはぐれて泣き叫ぶ幼児のようだ。

節子の家出という衝撃を経て啄木は変わった。のたうつような苦悩の日々をこえて成長した。

◎ 節子と郁雨

   人住まぬ国に行くべき船ならばうれしからむと歎きたまひぬ

   おそれつつそっと握るとき君の手の力ありしにおどろきしかも

   比羅夫丸その名思へば涙出づ君と乗り行きし船なりしゆゑ

   泣くべきかよろこぶべきかこの恋のあまりに深しあまりに短し

(宮崎郁雨「鴨跖草」より)

明治42年6月7日、上京する啄木の家族を郁雨が付き添い、連絡船で送ったときの歌。恋しくて別れがたい思いがにじみ出ている。歌集の元になったノートの空白に意味ありげに「S]と書いてあるのを考えると、節子との旅を記録しておきたかったのかなという郁雨の意思を感じる。


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「石川啄木WEEK」最終日プログラム

 開始時間

  昼の部 14:00(約90分)

  夜の部 18:30(約90分)


◎12月20日(木)

・昼 講演「啄木文学の魅力を語る」

   池田 功 (国際啄木学会副会長・明治大学教授)

・夜 エンディング・トーク「なみだは重きものにしあるかな」

   菅原研洲・山田武秋・三浦千波・伊東明子・伊藤馨一

○会場

 ・八重洲ブックセンター本店 8階ギャラリー

   JR東京駅八重洲南口 徒歩3分

   東京メトロ銀座線京橋駅7番出口(明治屋出口) 徒歩4分


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[八重洲ブックセンター 1F 催事案内ウインドウ]

2012-12-18

[][] 「石川啄木へのオマージュ」絵画・彫刻展 ~12/20

《関連イベントに参加しての私的レポート》


東日本大震災復興支援・啄木没後100年 石川啄木WEEK

 石川啄木へのオマージュ

   〜絵画・彫刻でふれあう石川啄木〜


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[啄木に捧ぐ]

銀座一丁目の画廊「アート.ロベ」までは、八重洲ブックセンターから歩いて10分くらい。「啄木に捧ぐ」というウエルカム・ボードが目印。


   作品

  • 画家  三浦千波〈磯のある風景〉他
  • 画家  伊藤明子〈みちのく〉他
  • 彫刻家 伊藤馨一〈浄夜〉他


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[4階にあるギャラリーのドア]



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[明治35年秋 上京目前の啄木写真から始まる]



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[ピンと張った作品が並ぶ]



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[「レクイエム」 伊藤馨一]

八重洲ブックセンター講演会会場に展示された作品。



「石川啄木へのオマージュ」絵画・彫刻展

  • 2012年12月20日まで 10:00〜19:00(20日は、17:00まで)
  • アート.ロベ
    • 東京都中央区銀座1-6-17 アネックス福神ビル4階 TEL 03-3564-3253
    • JR有楽町駅から徒歩4分
    • 八重洲ブックセンターから徒歩10分

2012-12-17

[][] 「啄木WEEK」近藤典彦氏の講演 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[近藤典彦 氏]


「石川啄木WEEK」東京・八重洲ブックセンター

12月15日

講演「『一握の砂』 その底知れぬ魅力を探る」近藤典彦

◎ 井上ひさし氏の石川啄木論

「嘘つき、甘ちゃん、借金王、生活破綻者、傍迷惑、漁色家、お道化者、天下気取り、・・・石川啄木という人物は、じつにさまざまな不名誉きわまりない異名の持主です」

これ全部本当。嘘ひとつもない。井上ひさしさん以外、だれもこんなこと書けない。これは、15歳から23歳までの啄木のこと。

1909年(明治42)10月、啄木は「回心」する。ガラッと根底から生まれ変わる。『一握の砂』『悲しき玩具』『呼子と口笛』・・、これらはみんな「回心」してから書いた。

「…甘ったれて現実を直視することを怠っていた啄木の目が澄みはじめ、鋭くなって「実人生の白兵戦」がはっきりと見えてきます」「二十一世紀も間近い、このお先真っ暗な時代に生きる私たちが今直面を強いられている諸問題に、彼は何十年も前に気づいていたのでした」

今、まさにそうなっている。

石川啄木の歌はどの一首を読んでも、みんな自分の心に思い当たるものがある。「ああ、そうそう」「そんなことあった」と、啄木の歌の中に自分を見る。

◎ 草壁焔太氏の石川啄木論

「啄木の歌は、その奥底を見れば、「意識歌」といってもよいものかもしれない。放心、抒情などによってかくされているが、ほかのいかなるうたびとよりも、意識世界を深く深く掘りさげ、自分の人生、社会、日常の瞬間を鋭くとらえている」


   いのちなき砂のかなしさよ

   さらさらと

   握れば指のあひだより落つ

草壁さんは6歳のとき満州にいた。そのころ、お父さんがつぶやいた歌が「いのちなき」の歌だった。これに感動した彼はその夜寝られなかった。「ぼくもこういう歌をつくる人になりたい」と、志をたてた。

歌の解釈はこうなる。啄木は砂時計をイメージした。時間は見ることができない。砂時計は、砂がシューッと落ちるのが目に見える。啄木は過ぎていく時間を惜しんでいるが、砂はいのちないからただ時間の経過だけを見せてくれる。だから「いのちない砂のかなしさ」になる。6歳の少年をつかまえてしまうような見事な表現の歌。

◎ 『一握の砂』の魅力

啄木の歌はひとに勇気を与える。元気を与える。読んでいるうちにじわっと力が出て来る。彼は「上を向いて歩いた」のではなく、「上を向いて全力疾走」した。エネルギッシュに疾走し、倒れて傷だらけになっても、いいことしか考えない。ただただ上を見ている。

啄木は生涯希望を持ち続けた。現実を踏まえた理想を求め続けた。啄木の歌はすごい苦労の中からよりよくと願って生み出された。いつも希望を持ちながら歌った。その啄木の本性が歌にあらわれている。これが、啄木の歌の魅力であり秘密かなとおもう。


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[石川啄木関連 書籍販売]



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[司会 佐藤勝 氏]



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[絵と彫刻に囲まれた会場]


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「石川啄木WEEK」

明日からの講演会プログラム

 開始時間

  昼の部 14:00(約90分)

  夜の部 18:30(約90分)


◎12月18日(火)

・昼 講演「書誌研究から見た啄木図書の面白さ〜近刊を中心に〜」

   佐藤 勝 (国際啄木学会理事・「湘南啄木文庫」主宰)

・夜 講演「いい歌にはわけがある」

   河野有時 (国際啄木学会東京支部長・東京都立産業技術高等専門学校准教授)

◎12月19日(水)

・昼 講演「啄木『ローマ字日記』を読む」

   西連寺成子 (国際啄木学会理事・明治大学兼任講師)

◎12月20日(木)

・昼 講演「啄木文学の魅力を語る」

   池田 功 (国際啄木学会副会長・明治大学教授)

・夜 エンディング・トーク「なみだは重きものにしあるかな」

   菅原研洲・山田武秋・三浦千波・伊東明子・伊藤馨一


○会場

 ・八重洲ブックセンター本店 8階ギャラリー

   JR東京駅八重洲南口 徒歩3分

   東京メトロ銀座線京橋駅7番出口(明治屋出口) 徒歩4分

2012-12-15

[][] 心に沁みる啄木「啄木WEEK」始まる  東京・八重洲 12/14~20

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[「啄木WEEK」会場 NHK盛岡放送局のTVカメラクルー取材中]


「啄木WEEK」開幕

  • 石川啄木の没後100年に合わせて、関連書籍と美術作品で啄木の魅力を探るイベント「石川啄木WEEK」は14日、東京・八重洲の八重洲ブックセンターで開幕した。
  • オープニングトークは出品作家の画家三浦千波さん、伊藤明子さんと彫刻家伊藤馨一さんが参加。山田武秋さんが進行し「なぜいま啄木か〜被災者の心に沁みる啄木」をテーマに語り合った。被災した三浦さんは「震災後に啄木の歌集を読んで涙した。……」と語った。
  • 同ギャラリーでは絵画と彫刻の展覧会が20日まで開かれ、啄木に関する本を最近刊行した著者による連続講演も行われる。

(2012-12-15 岩手日報)

2012-12-14

[] 国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その6(終)> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[木股知史 氏]


「大正期の『悲しき玩具』受容を中心に」 木股知史

◎ 『悲しき玩具』は貧窮と病の歌集で生活派の源流だから、僕はちょっと緩んでいるなと思ってしまう。しかし、自分が一番好きな歌はというと、『悲しき玩具』の「考へれば/ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。/煙管をみがく。」の歌だ。平明に考えさせられる歌で、よくできていると思う。

○ 田中恭吉

僕は、啄木はもういいから他へいこうと田中恭吉の研究を始めた。田中恭吉は、明治25(1892)年生まれ。私輯『月映』を刊行した版画家。肺結核のため23歳で死去。調べていくと田中恭吉の短歌がいい。


田中恭吉日記、明治45年1月29日「先人のよき歌」として啄木の歌を二首引いている。

  • 石川啄木の歌

   頬につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず

   かなしきは/かの白玉のごとくなる腕に残せし/キスの痕かな


1913年(大正2)に喀血したことが、彼を大きく変えた。

  • 田中恭吉の歌

   あかあかと 土にしみゆく

   血のいろに

   こころ吸はれて 立ちもありしか


   『このあたりから血が出るやうです』

   青白き

   皮膚をおさへて 医士に言ひけり。


これは死に直面せざるを得ないという特異な運命も含め『悲しき玩具』だ、と思った。


○ 荒川義英

もう一人、荒川義英(1894年(明治27)生まれ、創作「一青年の手記」を『生活と芸術』に発表、持病の喘息のため25歳で死去)のことを教えてもらったので、調べてみた。


荒川義英「逝ける田中恭吉君の歌」(『處女』第一二年第三號 大正5年2月25日発行)

「故人石川啄木氏の『悲しき玩具』此の歌には瀕死の病人の溜息がよく現はれてゐた。なほ啄木氏には生きんとする力、もう一度盛りかへさうとする生のうめきが聽える様であつたが、田中君はさう云ふ所はない。」

短詠(本人は、短歌でもないから「短詠」とよんでいる)(『月映』第7集 1915年11月)

   みつむれば、なみだに溶て、うらうらと 涯もわかぬ蒼空よ、

   晴れてうれしもいやはてのわれのおくつき。

「皆磨きあげられた技巧の句である。その技巧の奥に潜む真実の影を見逃す事はできない。田中君が病苦のうちに是等を作るとき、恐らくは自からも誇張したと思ひ、筆をとる事その事に熱情が強迫してゐたと自から思ふかも知れぬ。」

◎ 田中恭吉は内的革命派であり、荒川義英は外的革命派といわれていたので、あまり交わらないのではないかと思っていた。しかしそれは間違いで、もっと混沌としていて、意外と交流がある。啄木の DNAはこうしてなんとなく受け継がれていくのだなと思う。


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<セミナー総括> 池田功 副会長

  • 『一握の砂』は啄木学会でもテーマとして取り上げ論争してきた。『悲しき玩具』は、今までテーマにされなかった。今回はそういう意味で、大変意義のあることである。
  • 大室さんは、論理的論証の視点から話された。推敲、中点、末尾十七首をとりあげ論理的に指摘した。これをぜひ本にしていただきたい。松平さんは、歌人としての鋭いことば、表記にこだわられての発表だった。啄木は「かなし」のひらがなが多い。「どの漢字にするかは読者に判断をゆだねる」というのが印象に残った。
  • パネルディスカッションでは『悲しき玩具』の多面性について発表をいただいた。飯村さんは、現代語訳と原典の比較が面白い。学生に読む機会を与えるのが大切だという指摘は重要だ。崔さんは、漢字の読み方についてだったが、私の経験で留学生に日本語を教えていて、日本の今の高校生と留学生は漢字を読めないということで同じだ。高さんは三行書きの形式が、19歳のときの詩集『あこがれ』にあるという指摘に驚かされた。木股さんは、大正期の田中恭吉・荒川義英などに啄木のDNAが受け継がれているという指摘は面白い。
  • 今日の『悲しき玩具』の多面性という難しい議論を河野さんがうまくまとめられていて、意義ある議論になった。

(国際啄木学会「2012年秋のセミナー」(終))

2012-12-13

[] 啄木の交友録(43)「街もりおか」

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[「啄木の交友録」コピーと12月号表紙]


月刊誌「街もりおか」

啄木の交友録【盛岡篇】執筆 森 義真 氏


43. 田子 一民  2012年12月号(No.540)


田子一民は明治14年、旧盛岡藩士の二男として生まれた。明治26年の父の死で一家は困窮し、盛岡高等小学校を退学。丁稚奉公もしたが、文学に繋がる仕事につきたいと九皐堂印刷所に住み込み文選工として働いた。九皐堂は盛中のちかくにあったため、かつての級友が通学する姿を見て羨ましくなった。受験資格のないことや授業料滞納の問題などを、盛岡市と高小の新渡戸仙岳校長の配慮により許された。すぐに入試を受け合格し、金田一京助らと同級になった。

盛岡中時代の啄木を、「多少気負っているようなところがあったが面白味のある人」「頭脳は明晰で負けず嫌い」「可愛い顔で、ナポレオンに似ていた」、などと評している。

東大卒業後、要職を歴任し、昭和3年の衆議院議員選挙で最高点当選した。昭和27年に吉田内閣では農林大臣を務めた。

2012-12-12

[][] 14日から「啄木WEEK」 12/14~20

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東京の書店ギャラリー

「石川啄木WEEK〜絵画・彫刻・本・講演でふれあう石川啄木〜」

東日本大震災復興支援・啄木没後100年「石川啄木WEEK〜絵画・彫刻・本・講演でふれあう石川啄木〜」は14日から20日まで東京都中央区八重洲2丁目の八重洲ブックセンター本店8階ギャラリーで開かれる。

啄木に関する書籍の著者による連続講演と岩手県出身の画家らによる展覧会。「新しき明日」を考え続けた啄木の生き方や作品に触れて新たな魅力を探る。

絵画・彫刻展は盛岡一高出身の三浦千波さん、伊藤明子さんと彫刻家伊藤馨一さんの約30点。平日(月〜金) 10:00〜21:00、土・日・祝  10:00〜19:00

入場・聴講は無料。問い合わせは、桜出版 (TEL 03-3269-3420)へ。

(2012-12-07 岩手日報)

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「石川啄木WEEK」

講演会のプログラム

 開始時間

  昼の部 14:00(約90分)

  夜の部 18:30(約90分。ただし、オープニングトークは約45分)

◎12月14日(金)

・昼 講演「啄木の魅力 『交友』〜小林茂雄を中心に〜」

   森 義真 (国際啄木学会事務局長・近代文学研究家)

・夜 オープニング・トーク「なぜいま啄木か〜被災者の心に沁みる啄木」

   三浦千波・伊東明子・伊藤馨一、コーディネーター・山田武秋

◎12月15日(土)

・昼 講演「『一握の砂』 その底知れぬ魅力を探る」

   近藤典彦 (国際啄木学会名誉会員・群馬大学元教授)

◎12月16日(日)

・昼 講演:「『悲しき玩具』の発掘と復元〜刊行100年を記念して〜」

   近藤典彦 (国際啄木学会名誉会員・群馬大学元教授)

◎12月17日(月)

・昼 講演「啄木と都雨、そして節子」

   山下多恵子 (国際啄木学会理事・日本ペンクラブ会員)

・夜 講演「啄木文学の魅力を語る」

   池田 功 (国際啄木学会副会長・明治大学教授)

◎12月18日(火)

・昼 講演「書誌研究から見た啄木図書の面白さ〜近刊を中心に〜」

   佐藤 勝 (国際啄木学会理事・「湘南啄木文庫」主宰)

・夜 講演「いい歌にはわけがある」

   河野有時 (国際啄木学会東京支部長・東京都立産業技術高等専門学校准教授)

◎12月19日(水)

・昼 講演「啄木『ローマ字日記』を読む」

   西連寺成子 (国際啄木学会理事・明治大学兼任講師)

◎12月20日(木)

・昼 講演「啄木文学の魅力を語る」

   池田 功 (国際啄木学会副会長・明治大学教授)

・夜 エンディング・トーク「なみだは重きものにしあるかな」

   菅原研洲・山田武秋・三浦千波・伊東明子・伊藤馨一


○会場

 ・八重洲ブックセンター本店 8階ギャラリー

   JR東京駅八重洲南口 徒歩3分

   東京メトロ銀座線京橋駅7番出口(明治屋出口) 徒歩4分

2012-12-11

[] 国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その5> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[崔華月 氏]


「日本語非母語者が感じる『悲しき玩具』の難しさ」 崔華月

◎ 漢字の読み方

『悲しき玩具』に出てくる漢字の読み方

  ・故郷=こきやう(ふるさと、とも読める)

  ・玩具=おもちや(がんぐ、とも読める)

  ・呼吸=いき(こきゅう、とも読める)

「呼吸=いき」の場合は辞書で探してもない読み方で、ルビがないと啄木が書いたとおりに読めないことが考えられる。中国には漢字一つに対して 1 種類の読みしかない。日本語の読み方は多様で、混乱して啄木短歌の難しさを感じる。

◎ 漢字の誤用

啄木歌に出てくる「誤植」という単語は、中国語に直訳すると「間違って、植える」となる。日本語の辞書を引いて「印刷物で、文字・記号に誤りがあること」の意味だとわかった。漢字だけをみて、その単語の意味を推測すると、短歌の意味を間違って理解することもある。

◎ 仮名遣い

歴史的仮名遣い

  ・思「ひ」湧き来ぬ、有る「や」うで無し、ち「や」うど

短歌の評釈を読んで意味が分かっても、正しく読めないことは大いに考えられる。

たくさんの日本語非母語者に啄木短歌を読んでもらい、短歌の意味を正しく理解してもらうためには、何が必要かについても検証する必要があると考えている。


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[高淑玲 氏]


「『悲しき玩具』の三行書き形式の一考察」 高淑玲

  ─ スタイルとリズムとの調和をめぐって ─

◎ 啄木の短歌の三行書きについて

詩集『あこがれ』には、すでに行分け、句跨り、句点、読点、!、ダッシュ、( )、『』などの符号や字下げを用いていた。初期の詩作にはすでに芽生えている。

◎『悲しき玩具』の三行書き形式におけるスタイル変化とリズムとの調和

啄木は短歌をぎりぎりの線まで解放させ、新たな短歌の世界を開拓しようとした。

  痛む歯をおさへつつ、

  日が赤赤と、

  冬の靄の中にのぼるを見たり。


  名は何と言ひけむ。

  姓は鈴木なりき。

  今はどうして何処にゐるらむ。

句読点の助けがあるため、全体として意味の切れ目より、リズムの切れ目を大切にするイメージが強い。韻律のリズムを優先するとき、意味側リズムに生じるシンコペーション的表現効果があらわれる。

◎ 啄木の歌は「視覚」と「聴覚」の両面からの鑑賞に耐えるように工夫されている。啄木は伝達しようとする心を「歌には一首一首各々異なった調子」という内在律に耳傾けて、彼なりの一流の技巧で調和させたのだ。100年たった今日でも広く愛唱されている理由の一つは、三行書き短歌のスタイル変化とリズムとの短歌のバランスを、彼なりにとっているからと思う。


(つづく)

2012-12-10

[] 何をやっても 郁雨から愛される啄木

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[パンパスグラス]


【北の文人 立ち話 高山美香】

啄木を支援し続けた宮崎郁雨

  • 天才歌人であり借金の天才でもあった石川啄木がつけていた「借金メモ」。多くの知人からの借金総額は1372円50銭だったとか。おおざっぱですが当時の1円は今の1万円相当ともされます。
  • その中で一番多くお金を貸していたのが歌人の宮崎郁雨でした。郁雨(大四郎)の家は新潟県の旧家でしたが、父の代で函館に移住し、醸造業で成功を収めました。
  • 郁雨は、啄木の才能はもちろん彼が語る妻との大ロマンスにも心酔。啄木が一家離散状態だと知ると、費用を負担し家族を呼び寄せます。生涯にわたり啄木一家を支援し、一族の墓を立待岬に定めるなど啄木を敬い慕いました。
  • 郁雨は、啄木の奔放さに振り回されながらも彼の魅力にひかれました。何をやっても愛される啄木もすごいが、啄木の借金を「最初から返して貰う意思が無かったから金高は覚えて居ない」と語る郁雨もすごい。郁雨が詠んだ啄木の歌。

  「唯一のわれの遺業となるならむ 啄木の墓を撫でてさびしむ」

(2012-12-07 朝日新聞>北海道)

[][] 啄木かるた大会に挑戦! 盛岡 1/13~2/9

2013年2月16日(土曜日)に開催される啄木かるた大会に向けて練習します。

  • 開催日 2013年 1月13日(日) ,1月19日(土) ,1月26日(土) ,2月2日(土) ,2月9日(土)
  • 対象 小・中学生 (4年以上の小学生 親子での参加も可)
  • 申し込み 事前申し込みが必要
  • 場所 岩手県盛岡市中央公民館(盛岡市愛宕町14-1)

2012-12-07

[][] 講座「石川啄木 その人生と文学に学ぶ」東京

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[サンタさん]


目黒区中央町社会教育館 社会教育講座

「石川啄木 その人生と文学に学ぶ」

講師 山下多恵子氏

『一握の砂』の歌人石川啄木の生涯を、時代背景や人間関係をもとに読み解きながら、友情、結婚、仕事、故郷への思いなどについて考えます。

啄木の生きた姿と残したことばは、あてどない現代を生きる私たちに、大きな励ましとヒントを与えてくれるでしょう。

  △ 対象は、目黒区内在住・在勤・在学の方

  • 2013年1月9日・23日・2月6日・27日。全4回
  • 中央町社会教育館 (東京都目黒区中央町二丁目4番18号)

[] 啄木探る「悲しき玩具」東京で国際学会セミナー

  • 国際啄木学会の2012年秋のセミナーは11月23日、東京都千代田区の明治大学駿河台キャンパスで開かれた。発刊100年となる歌集「悲しき玩具」を取り上げ、独特の三行書きに句読点、感嘆符などを加えた形式や推敲過程などから多面的に考察した。
  • 講演は大室精一さんと松平盟子さん。パネルディスカッションでは、木股知史さんが大正期の歌人に与えた影響を指摘し、高淑玲さんは視覚と聴覚の両面を調和させたことを強調した。崔華月さんは日本語を母語としない人が歌集を読む難しさについて報告し、飯村裕樹さんは高校生に啄木短歌を現代語に変換することを通して理解を助けることを報告。言語や世代を超えた啄木作品の広がりに向けて可能性を示した。

(2012-11-27 岩手日報)

2012-12-06

[] 国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その4> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》

< パネル・ディスカッション > 「『悲しき玩具』をどう読むか」

     コーディネーター:河野有時

     パネリスト:木股知史・高淑玲・崔華月・飯村裕樹


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[河野有時 氏]


[河野]  『悲しき玩具』が、このように注目されるのは非常に珍しい。これは不幸な運命をたどる歌集で、正面から論じられることはあまりない。この「(直筆ノート)悲しき玩具」にこめられたものは決して小さくはない。実物は184枚だが、これ(直筆ノート)は 60〜70枚である。病床で死に向かっていく歌人が184枚の厚さのノートに歌を書き連ねていたことを重く受けとらなければならない。

 

 

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[飯村裕樹 氏]


「高校生は如何にして『悲しき玩具』を読むか」 飯村裕樹

◎ 問題の所在

生徒(栃木県足利高校1年)の実態をアンケートにより調査した。

「好きな文学のジャンル」では、「小説 97.4%」、「短歌 0%」だった。

「短歌を積極的に勉強したいか」では、「どちらかと言えば思わない 50.0%」、「どちらかと言えば思う 39.5%」だった。

◎『悲しき玩具』をリライトすることによって読み深めていく

グループ毎に好きな歌を一首選び、その歌を現代語化するという授業実践を行った。

  • 生徒の現代語化された短歌作品例

   新しき明日が来ることを信じてる/自分の言葉に嘘がないけど

   猫の耳を引っ張ってみて/にゃと啼けば/びっくりして喜ぶ子供の顔がある

◎ 授業後のアンケート

「短歌を積極的に勉強したいか」では、「どちらかと言えば思わない 50.0%(授業前)→ 25.7%(授業後)」に、「どちらかと言えば思う 39.5%(授業前)→ 60.0%」に変化した。

「石川啄木のイメージは変わったか」では、「変わった 62.9%」となり、啄木の他の歌にも興味を持つ生徒も多く、啄木短歌の素材の普遍性や面白さを再確認することができた。

◎ 考察

生徒の感想に「現代語に直すと意味が深まったりして面白い発想が出てきたりしておもしろかった」とあるように、生徒は啄木の短歌を自らに引きつけて主体的に短歌を読み深めていることが見て取れた。

◎ まとめ

『一握の砂』に比べて『悲しき玩具』は、高校生にとって読みづらいのではないかと考えていたが、概ね主体的かつ面白く読むことができた。「現代語化された短歌」を通してオリジナルの短歌の良さを認識することができ、さらに、現代語化するという過程を通して生徒は啄木の短歌を追体験していった。

啄木は、高校生や大学生に読まれていくのであろうかについては、大いにイエスではないかと考える。読み継がれていくためには、教師側が『悲しき玩具』を読む機会を提供することが必要である。(本校の教科書には掲載されていない)


(つづく)

2012-12-05

[] 国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その3> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[松平盟子 氏]


<ミニ講演 ll >

「現代歌人が読む『悲しき玩具』」〜啄木の「かなし」と「何」 松平盟子

◎「かなし」(「かなしむ」「かなしみ」を含む)の「ひらがな」表記について

『一握の砂』には、合計 74首(うち漢字使用は 5 首)(全 551首)あり、『悲しき玩具』には、合計 26首(うち漢字使用は 3 首)(全 194首)ある。

「かなし」に当てる漢字としては、「悲し」「哀し」「愛し」(現代歌人はこの3つを使っている)がある。

「ひらがな」をつかう効果は、視覚的な柔らかさがあり、読者が「悲」にも「哀」にも読み取ることができる。

啄木

   びつしよりと寝汗出てゐる/あけがたの/まだ覚めやらぬ重きかなしみ。

   ぼんやりとした悲しみが/夜となれば、/寝台の上にそつと来て乗る。

ひらがなの次に漢字の歌がくる。啄木はこれを無意識にやっているとは思えない。

◎「かなし」を詠み込んだ同時代の短歌

若山牧水

   白鳥はかなしからずや空の青海に青にも染まずただよふ

北原白秋

   いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる

土岐哀果

   働くは、/さまで苦しくもあらんかな、/しか思ふやうに、なりし哀しさ。

前田夕暮

   うら若き日の悲しみに別れ来て塵とおなじき身となりにけり

彼らはほとんど同い年。そこに共通な思考がありはしないか。彼らは互いに影響し合い、才能を認め合い、そこから触発されておのれの短歌的世界を形成していく。啄木にしても同じ。オリジナルな「かなし」の世界をつくっているかもしれないが、同時代の空気を背負いその中で反映されたものも無視できない。

◎「何」はどのように使われているか

《初句の出だし》

何となく 何事か 何がなく 何となく 何となく 何となく 何故(かうかと) 何となく 何となく 何か(一つ) 何(思ひけむ) 何か、(かう) 何もかも 何か(一つ) 何がなしに

『悲しき玩具』のなかに「何」が出て来る特徴としては、出だしにこれだけ多量に使っていること。これは、意図があるとしか思えない。「何」の絶対的な数の多さは、意味を持つと考えている。「何」を用いる効果は、あいまいな雰囲気を伝えることばだから、確定性のなさや漠然とした感情の動きなどのニュアンスを伝えることができる。

   何となく明日はよき事あるごとく/思ふ心を/叱りて眠る。

明日よいことがあるという確定があるわけではない。何となくそうであったらいいなという、儚い願望がこめられている。

これだけたくさん使うということは無視できない。もっとその作品の裏にある事実のようなものを明かしていくことによって、啄木のこの「何」という言葉に託された意味合いがより明確に見えてくるのではないか。

 

(つづく)

2012-12-04

[] 国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その2> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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[大室精一 氏]


<ミニ講演 l>

「『悲しき玩具』研究をめぐる論点」 大室精一

『悲しき玩具』の作品論、読解以前の基礎的研究の論点について話したい。

◎『悲しき玩具』における「歌稿ノート」と「諸雑誌」との推敲の前後関係

私は、ノートが最初の歌メモで、それを推敲しなおして雑誌に出しているという形を想定した。

◎ 歌集初出の定義

歌集初出の定義は、『悲しき玩具』と『一握の砂』は全く違う。たとえば、『一握の砂』の場合は、全て諸雑誌などのものを編集しなおして完成しているとされてきた。ところが明治43年の流れについては、20年ほど前は岩城説に従っていて論証してなかった。「真一挽歌」でさえも実は雑誌が先だということを私は論証した。『悲しき玩具』では、「ノート」と「諸雑誌」の推敲の前後が混在している。

それを踏まえて。啄木は「一握の砂以後」というノートを書き出した。『悲しき玩具』では、ノートにはあるが雑誌に出すときに削除された歌がある。反対に、『一握の砂』では配列構成のために入れた歌がある。

結論としては、「歌集初出」という表現は不適切でわかりにくい。「推敲前」か「推敲後」かというだけを記したほうがわかりやすいと思う。

◎ 中点の色

これは非常に重要な啄木からのメッセージだった。

「第一段階」では「諸雑誌の掲載歌が初出」であることを示すために「歌稿ノート」に「黒」の中点を付したと思われる。「第二段階・前期」では逆に「諸雑誌の掲載歌が歌稿ノートからの転載」であることを示すために「朱」の中点を付したと思われる。色分けをしたのは、啄木が前後関係を後に編集するためだった。「第二段階・後期」は、中点が省略されている。省略したのには意味があった。

こう考えると、119番歌において「精神修養」掲載歌が、「初出」でなく「別歌」であるとするなら、『悲しき玩具』歌稿ノートにおける中点、及び中点の色区分には一首の例外もないことが判明することになる。これは私自身が考えることだけではなく、啄木自身が中点を打っているから啄木によって証明されたことがわかる。

◎ 「詩歌」(明治44年9月号)の配列意識

歌稿ノートには配列意図が見つからない。「詩歌」のほうは配列意図が一目でわかる。ノートにない配列構成が「詩歌」にはある。「明治44年当用日記」8月21日に{歌十七首を作って夜「詩歌」の前田夕暮に送る。}とある。作ったのも送ったのも8月21日。これはノートのほうが推敲前だということ。

◎ まとめ

推敲前後ということに限定した報告になった。

古典研究の立場からすると、啄木関係の著書や論文などは印象批評がまかり通っている感がある。論証するということは、客観的に論拠を示し、第三者が50年後、100年後にそれをみて批判できるものでありたい。

(つづく)

2012-12-03

[] 国際啄木学会「2012年秋のセミナー」<その1> 啄木行事レポート

《関連イベントに参加しての私的レポート》


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国際啄木学会

「2012年秋のセミナー」

  • 2012年11月23日
  • 明治大学駿河台校舎(東京都千代田区神田駿河台)

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[森義真 氏]


<台日文学者交流会報告> 森 義真 事務局長

2011.3.11東日本大震災復興祈念の「台日文学者交流会」が、2012年6月9日・10日・11日と岩手県で開催された。(主催:台北駐日経済文化交流処、共催:国際啄木学会)

  • 講演「文学者が見た東日本大震災」齊藤純   講演「台湾文学の現状」陳義芝
  • バス実地研修「岩手の文学の原風景を見る」(石川啄木記念館、宮澤賢治記念館、盛岡城跡公園など)
  • 「音楽を交えた台日交流」詩人・歌人・俳人・ミュージシャンなどの発表
  • バス被災地(釜石市・大槌町)訪問 大槌高校生徒との交流会

 

○ 交流会に参加した台湾の詩人白霊さんが、震災をテーマに作った詩を国際啄木学会の望月会長に寄せた。

その手に敬意をこめて

               白霊


岩手県の海辺で

数百の手が家に帰らないままにいる

数百の手が海という手にからめとられ

必死になって、家への帰り道をさがしている

数万の手が海に走り込み髪を振り乱してさがしている

船をこぎ海という巨大なポケットの中をまさぐっている

その手の名を呼びながら

 

数万の手が海岸で

あらたに数万のあかりをともす

名前が書かれたあかりはない

ちょうど名前が書かれた手がないように

だが海に落ちた数百の手には

それぞれのあかりの

あの数百あるいは数千度の熱さと

数十あるいは数百メートルの思いが見えている

たとえその手に名前は書かれていなくても

どの手もそれぞれの指紋があるのだ

 

数万の手が岸辺で手をふっている

数百の手も浪の合間で手をふっている

こちらの手はあちらの手に敬意を示し

あちらの手もこちらの手に敬意をしめしているのだろう

名前が書かれた手はない

けれどどの手にもすべて名前があるのだ

 

「昔の岩手県のその手に敬意をはらいます!」

岸辺のその手は言い

「新しい岩手県のその手に敬意をはらいます!」

海の中のその手は言うのだ

(横路啓子さん訳)



(つづく)

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