啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2013-03-29

[][] 啄木忌法要 宝徳寺にて 4/13

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[グミ]


第102回啄木忌法要

日時 2013年4月13日(土)午前10時から

場所 宝徳寺(盛岡市玉山区渋民)

  • 法要 10:00 〜 11:00(「コールすずらん」による献歌「玉山吟詠会」による献吟を含む)
  • 講話 11:00 〜 12:00 
    • 講師 森 義真 氏(近代文学研究家・国際啄木学会事務局長)

   啄木の魅力「交友」 ―小林茂雄にも触れて―


主催 啄木祭実行委員会

      盛岡市玉山区渋民9 石川啄木記念館内 電話 019-683-2315

2013-03-28

[][] 終焉の地 記念講演会 4/13

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[ポスター]


啄木忌記念講演会「石川啄木と文京区」

没後100年を過ぎても尚、多くの人々の心を掴んで離さない歌人、石川啄木。その啄木終焉の地に程近い小石川図書館において、啄木と文京区との関わりについて語る講演会です。

講師 近藤典彦氏(元群馬大学教授)

  • 日時 2013年4月13日(土)14:00〜15:30(13:30 開場)
  • 会場 小石川図書館4階
  • 定員 80名(当日先着順)
  • 対象・費用 どなたでも 無料 
  • 問合せ 小石川図書館 電話 03-3814-6745  東京都文京区小石川5-9-20

     地下鉄:丸の内線茗荷谷駅徒歩6分

2013-03-27

[]「花散れば 先づ人さきに白の服…」石川啄木

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[サクラ花 傘花]


<金口木舌>「平和の歌」はいつ

  • いつもより早まった桜の話題で新聞もテレビも持ちきりだ。青空にハラハラと散る薄桃色の花びらの美しさは格別で、花の下で宴をする習慣のない沖縄人としてはうらやましい光景だ。
  • 入学式、入社式。新しい季節の象徴となる花である。4月に没後101年となる歌人、石川啄木は「花散れば 先づ人さきに白の服 着て家出づる 我にてありしか」と詠んだ。花が終わると衣替えを待てず夏服姿になった若き啄木の高揚感が伝わる。
  • 啄木はまた「草に臥(ね)て おもふことなし わが額(ぬか)に 糞(ふん)して鳥は 空に遊べり」と詠んだ。空は無心に見上げるもの、落ちてくるのは鳥の糞くらいという平和な歌は、今の沖縄とは無縁だ

(2013-03-27 琉球新報)

 

[] 山梨県立文学館の館長に歌人三枝さん 初の県内出身者

  • 山梨県は、県立文学館の館長に甲府市生まれの歌人、三枝昂之(たかゆき)氏を任命し、発表した。1989年に開館してから県立文学館で県内出身者が館長を務めるのは初めて。
  • 三枝氏は1992年に歌誌「りとむ」を創刊した。文芸評論家や宮中歌会始の選者としても活躍している。2009年、『啄木―ふるさとの空遠みかも』で現代短歌大賞を受賞。2011年には紫綬褒章を受けた。

(2013-03-26 朝日新聞)

 

2013-03-26

[][] 啄木をテーマにした菓子 国際啄木学会・釧路大会のお土産に 9/7~9/8

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[サクラ]


「啄木愛菓」に舌鼓  釧路

  • 釧路観光協会は22日釧路市観光国際交流センターで、石川啄木をテーマに釧路菓子商組合の加盟各店が考案したオリジナル商品「啄木愛菓」の試食展示会を開いた。
  • 「啄木愛菓」は、今年9月に市内で開催される国際啄木学会の第24回大会に向け、釧路ならではの啄木をテーマにした菓子をお土産にと、小松正明釧路市副市長が釧路菓子商組合に相談し実現。
  • この日の試食会には、ホワイトチョコとポン菓子を使ったパティスリーコルネの「たくぼっくり」、ラズベリーとチョコレートを使ったノエルの「ローズリップ」など、各店が啄木の詩からイメージした力作13商品が並んだ。
  • 試食会に参加した釧路啄木会の北畠立朴会長は「今回だけでなく末永く啄木愛菓が続いてもらえば」と期待を込めていた。同商品は4月1日から各店で販売を開始する。

(2013-03-23 北海道ニュースリンク>釧路新聞)

 

 

── ── ── ── ──

国際啄木学会「釧路大会」

  • 2013年9月7日(土)〜8日(日)
  • 会場 釧路市生涯学習センター・釧路キャッスルホテル

・9月7日(土)ミニ講演、記念講演会、懇親会

・9月8日(日)短歌大会表彰式、研究発表、文学散歩

  ◇ 詳細プログラムは後日。

 

[] 短歌月評:規範の再確認=大辻隆弘

  • 近代短歌の選歌集が二冊、新書として発行された。
  • 永田和宏著『近代秀歌』(岩波新書)と、岡井隆・馬場あき子・永田和宏穂村弘選『新・百人一首』(文春新書)である。
  • 二冊に共通するのは、明治以降に作られた短歌の規範を確認しようとする明確な意志である。「あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しいというぎりぎりの一〇〇首」という永田の言葉には、この二冊に共通する編集理念が明確に現れている。

  ・ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも 斎藤茂吉

  ・君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎(りんご)の香のごとくふれ 北原白秋

  ・やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに 石川啄木

  • 二冊に共通して選ばれたこれらの歌は、いやしくも短歌に携わる者なら、誰もが知っておかねばならない遺産であろう。

(2013-03-25 毎日新聞>東京朝刊)

 

[] 先人の言葉から道徳学ぼう 独自の教材作製 公立小向けに都教委が初

  • 都教育委員会は、小学生向けの独自の道徳教材を作った。2013年度から、都内の全公立小学校約千三百校で使う。
  • 低学年用では十八人の言葉を紹介。やなせたかし氏の歌詞「手のひらを太陽に」や、石川啄木の短歌「ふるさとの山に向(むか)いて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」なども取り上げた。

(2013-03-22 東京新聞

 

2013-03-25

[][] 啄木忌に終焉の地で講演会 4/13

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[サクラ]


小石川図書館 啄木忌記念講演会「啄木と文京区」

  • 日時 2013年4月13日(土)午後2時〜3時30分
  • 講師 近藤典彦氏(元群馬大学教授)
  • 会場 小石川図書館4階 ※エレベーターはありません
  • 定員 80名(当日先着順)
  • 対象 どなたでも
  • 費用 無料 
  • お問合せ先:小石川図書館 電話 03-3814-6745
  • アクセス 東京都文京区小石川5-9-20

  地下鉄:丸の内線茗荷谷駅徒歩6分

  都バス:小日向四丁目徒歩2分

  B-ぐる:第一中学校徒歩2分

  

[][] 恋、繚乱−恋はどう詠まれ、語られたか 4/7

第7回 与謝野寛・晶子を偲ぶ会

    恋、繚乱−恋はどう詠まれ、語られたか 〜晶子、登美子、らいてう、かの子

文学の20世紀の出発は、与謝野晶子の『みだれ髪』に代表される〈恋の歌〉にあったといっても過言ではありません。時代は女性たちの自我を目覚めさせ、〈恋〉の体験は表現への意欲を掻き立てたのでした。その意味と行動、作品・思想について、雑誌「明星」や「青鞜」で活躍した与謝野晶子、山川登美子、平塚らいてう、岡本かの子を対象に、検討したいと思います。

  • 日時 2013年4月7日(日)開場 午後1時  開始 1時30分  終了 4時30分
  • 会場 「武蔵野商工会議所・市民会議室」

    東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-7

    交通:JR中央線吉祥寺駅下車・北口徒歩5分

  • 司会 松平盟子  パネリスト 晶子=比嘉美織、登美子=古谷円、らいてう=古川玲子、かの子=米川千嘉子
  • 参加費 1,000円
  • 申し込み 明星研究会アドレス、または事務局(古谷方)に氏名・連絡先(電話)を添え、メールかFAXで。
    • アドレス:apply@myojo-k.net  FAX:0463-84-5313(古谷方)
  • 主催 「明星研究会」  後援 毎日新聞社

 

2013-03-22

[] 現在の「石川啄木終焉の地」 東京都文京区小石川 <1>

啄木文学散歩・もくじ

 

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<動画 52秒>

啄木終焉の地

 啄木は、明治44年(1911)8月7日、喜之床の二階からこの地の借家に移り、翌明治45年4月13日午前9時30分、病没するまで居住した。

地下鉄丸ノ内線「茗荷谷」駅から徒歩10分。





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隣地の塀にある案内表示

終焉の地から少し北東に行った角にある案内表示。これもまもまく撤去されることだろう。


引越当日の啄木日記 明治44年(1911)8月7日

八月七日

 本日本郷弓町二ノ十八新井方より小石川久堅町七十四ノ四六号へ引越す。予は午前中荷物だらけの室の隅の畳に寝てゐ、十一時俥にて新居に入りすぐまた横になりたり。いねにすけらる。

門構へ、玄関の三畳、八畳、六畳、外に勝手。庭あり、附近に木多し。夜は立木の上にまともに月出でたり





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東京都指定旧跡の標示

終焉の地にあるマンションの壁には、東京都教育委員会の説明板がある。

東京都指定旧跡

  石川啄木終焉の地

  所在地 文京区小石川五丁目一一番七号

  指 定 昭和二七年一一月三日

石川啄木は明治一九年(一八八六)二月二〇日(または一八年一〇月二七日)、岩手県南岩手郡日戸村(現 盛岡市玉山区日戸)の常光寺で生まれた。本名を一(はじめ)という。

盛岡中学校入学後、『明星』を愛読し、文学を志した。生活のため、故郷で小学校代用教員となり、のち北海道に渡り地方新聞社の記者となったが、作家を志望して上京、朝日新聞社に勤務しながら創作活動を行った。歌集『一握の砂』・『悲しき玩具』、詩集『あこがれ』・『呼子と口笛』、評論『時代閉塞の現状』などを著した。

啄木は、明治四四年(一九一一)八月七日、本郷弓町の喜之床(現・文京区本郷二丁目三八)の二階からこの地の借家(当時の小石川区久堅町七四番四六号)に移り、翌年病没するまで居住した。

この地に移った啄木は、既に病魔に侵されていた。明治四五年四月一三日午前九時三〇分、父一禎、妻節子、友人の若山牧水に看取られながら、結核により二六歳の若さで亡くなった。法名は啄木居士。

   平成二〇年十二月  設置

                東京都教育委員会





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この場所に啄木終焉の地の石碑や展示が・・・

ここには国家公務員宿舎があった。文京区はこの場所に高齢者のショートステイ施設をつくり、その一角に「啄木終焉の地」を示す歌碑を建てる。施設の室内には啄木に関するパネル展示などのコーナーを設け、施設の外には隣接地が啄木の終焉の地と示す石碑を建てる予定だそうだ。



啄木最後の日記「千九百十二年日記」

   1912年(明治45年)

二月二十日(火)

日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上つた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。

さうしてる間にも金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかかつた。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。

母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。


啄木日記はこの日で終わる。この2月20日は奇しくも啄木26歳の誕生日。

明治45年(1912)4月13日、26歳2カ月、石川啄木この地で死去。法名は啄木居士。





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更地に立つ国有地の看板

• 文京区長のことば(2012年7月5日「啄木学級 文の京講座」)

文京区にある「石川啄木終焉の地」は、以前、国家公務員宿舎となっていた。今年、国から打診があり高齢者のショートステイ施設をつくることになった。その一角に「啄木終焉の地」を示す歌碑を建て、啄木顕彰の発信をしていきたい。

石川啄木終焉の地に石碑 文京区、介護施設内に展示物 (2012年7月5日 日経新聞

東京都文京区は10月、歌人、石川啄木の終焉の地に隣接する国有地を取得する。2014年度をめどにショートステイ(短期入所生活介護)の施設を整備し、室内に啄木に関するパネル展示などのコーナーを設ける。施設の外には隣接地が啄木の終焉の地と示す石碑を建てる。

 

[] 「啄木終焉の地」歌碑等建設にご協力を!

   呼吸すれば、

   胸の中にて鳴る音あり。

    凩よりもさびしきその音!


   眼閉づれど

   心にうかぶ何もなし。

    さびしくもまた眼をあけるかな


「啄木終焉の地」歌碑等建設にご協力ください

石川啄木は 1912 年(明45)4月13日、小石川区久堅町 74の46(現・文京区小石川 5-11)で26年の生涯を閉じました。この地には1967年以来「都旧跡 石川啄木終焉の地」の石碑が建てられていました。この石碑は建造物新築に伴って撤去され、今は新ビルにプレートがあるだけです。

このたび文京区は、終焉の地の一画に「啄木歌碑」を建立し、「啄木顕彰コーナー」も設置するという英断をくだしました。完成は 2014年度の予定です。

碑に彫り込む歌は啄木が死の2カ月前に作った右(このブログでは「上」)の2首にしたいと考えています。

みなさまのご支援ご協力を切にお願いします。


  呼びかけ人一同

  啄木終焉の地歌碑建設実行委員会

   会長   井上義一(久堅西町会前会長)

   副会長  近藤典彦(国際啄木学会名誉会員)

        三上満(教育評論家)

   事務局長 大室精一(国際啄木学会理事)

募金の振込先

*払込取扱票の場合 → ゆうちょ銀行振替口座 00190-8-429988(啄木終焉の地歌碑建設実行委員会)

*現金書留で送金、または呼びかけ人等に募金をゆだねる場合、氏名・住所・電話・金額をいっしょにご提出ください。

*募金金額は、個人は一口 1,000 円、団体は一口 10,000 円とし、何口でもかまいません。

*事務局 桜出版内

      〒162-0835 東京都新宿区中町1-11

       電話 03-3269-3420  FAX 03-3269-8480

       e-mail  sakuraco@leaf.ocn.ne.jp

2013-03-21

[] 啄木一家が間借りした喜之床跡 東京都:文京区<2>

啄木文学散歩・もくじ


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<動画 39秒>

喜之床跡 = 理容 アライ

本郷三丁目角の「かねやす」を過ぎ、春日通りを後楽園方向に進む。200mほど歩くと左側に「理容 アライ」の三色ねじり棒が見えてくる。この二階に啄木は間借りをした。

店主は当時の家主の子孫に当たられる方で、百年以上経った現在もお店を続けていらっしゃる。





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本郷通りと春日通りの交差点にある「かねやす」

<かねやす>

兼康祐悦という口中医師(歯科医)が、乳香散という歯磨粉を売り出した。客が多数集まり祭りのように賑わった。享保15年大火があり、防災上から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じ瓦で葺くことを許した。江戸の町並みは本郷まで瓦葺が続き、それからの中仙道は板や茅葺きの家が続いた。

その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だっていた。

 『本郷も かねやす までは江戸のうち』と古川柳にも歌われた由縁であろう。

     文京区教育委員会 昭和61年3月





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「理容 アライ」の二階を見上げる

北海道から上京した啄木は、1909年(明治42)6月16日、妻・子・母を上野駅に迎え、この床屋の二階に間借り生活を始めた。

  本郷区本郷弓町二丁目十七番地(現・文京区本郷2-38-9)




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「理容 アライ」と「文京区教育委員会」の説明板

  啄木ゆかりの喜之床旧跡

石川啄木は、明治41年(1908)5月、北海道の放浪生活を経て上京し、旧菊坂町82番地(本郷5-15・現オルガノ会社の敷地内)にあった赤心(せきしん)館に金田一京助を頼って同宿した。

わずか4か月で、近くの新坂上の蓋平館別荘(現太栄館)の3階3畳半の部屋に移った。やがて、朝日新聞社の校正係として定職を得て、ここにあった喜之床という新築間もない理髪店の2階2間を借り、久し振りに家族そろっての生活が始まった。それは、明治42年(1909)の6月であった。

五人家族を支えるための生活との戦い、嫁姑のいさかいに嘆き、疲れた心は望郷の歌となった。そして、大逆事件では社会に大きく目を開いていく。啄木の最もすぐれた作品が生まれたのは、この喜之床時代の特に後半の1年間といわれる。

喜之床での生活は2年2か月、明治44年8月には、母と妻の病気、啄木自身の病気で、終焉の地になる現小石川5-11-7の宇津木家の貸家へと移っていく。そして、8か月後、明治45年(1912)4月13日、26歳の若さでその生涯を閉じた。

 喜之床(新井理髪店)は明治41年(1908)の新築以来、震災・戦災にも耐えて、東京で唯一の現存する啄木ゆかりの旧居であったが、春日通りの拡幅により、改築された。昭和53年5月(1978)啄木を愛する人々の哀惜のうちに解体され、70年の歴史を閉じた。旧家屋は、昭和55年(1980)「明治村」に移築され、往時の姿をとどめている。現当主の新井光雄氏の協力を得てこの地に標識を設置した。 

       かにかくに渋民村は恋しかり

       おもいでの山

       おもいでの川          (喜之床時代の作)

         

              文京区教育委員会 平成4年10月    


◎ 「本郷喜之床」理容遺産に

明治村に移築した「本郷喜之床」は、今年(2013年)全国理容生活衛生同業組合連合会から理容遺産に認定され、建物の前には記念碑も立てられた。


  • 喜之床(理容 アライ)
    • 東京都文京区本郷2-38-9

 

[] 東日本大震災 3・11からの復興を考えるフォーラム 啄木の言葉交え講演 盛岡

  • 「3・11からの復興を考えるフォーラム」が20日、盛岡市中央公民館で開かれた。石川啄木宮沢賢治の思想から復興をひもといた講演や被災地の実情を訴える報告があった。
  • ジャーナリストの外岡秀俊さんが啄木、賢治の言葉や沿岸被災地で見聞きした話を交えて基調講演した。啄木が「東北振興策」として「あらゆる建設はその最も低きところより創(はじ)められるべきである」と記した一節を紹介し、「今回の復興も町内会や隣近所から始めることが大事だ」と話した。【山中章子

(2013-03-21 毎日新聞>岩手)

 

2013-03-19

[] 女性に寄せた啄木の思い 公開へ

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[ヒマラヤユキノシタ]


函館時代の啄木資料を寄贈 親族から盛岡・記念館へ

  • 盛岡市出身の歌人石川啄木が函館時代の同僚で多くの歌のモデルとなった橘智恵子に贈った、署名入りの歌集「一握の砂」など自筆資料4点が17日、生まれ故郷の石川啄木記念館に親族から寄贈された。
  • 寄贈されたのは、啄木のサイン入りの詩集「あこがれ」、同歌集「一握の砂」、智恵子さんへ宛てたはがき2通。
  • 43年12月に啄木が札幌の智恵子さんに贈った「一握の砂」の「忘れがたき人人二」には、智恵子さんを歌った22首が収められ、裏見返しのはがきには、「(あなたを歌ったことに)気づいてくれるでしょう」と恋心を告白するような言葉が記されていたが、智恵子さんはその部分に紙を貼って隠していたという。
  • 6月15日からの企画展「啄木の仄(ほの)かな恋」で一般公開される。

(2013-03-18 岩手日報)(2013-03-19 産経新聞)

 

[] 青山ワンセグ開発「バトル3 ファイナル」の結果

  • 3月15日、青山ワンセグ開発、生放送のバトルで「石川くん」は「ドチャック」と「僕にはまだ友だちがいない」と闘った。「石川くん」は、残念ながら負けてしまった。
  • 枡野さんは番組の中で、もし勝利して続きが作れるなら「啄木にはいい歌がたくさんあるのでレギュラーになったら永遠に続けることができる」と話していた。

 

[] 「石川くん。」枡野浩一さんのページ紹介

ほぼ日刊イトイ新聞「石川くん」

 番外編6●  2013年3月14日 THU

最後になるかもしれない手紙

  • 「こんにちは、石川さん。」で始まる枡野浩一さんの手紙。44歳の枡野さんは啄木に自分のことをしみじみと綴っている。
  • 今年の春から使用される高校の教科書に、代表作が一首載ること。新聞やテレビで石川さんを語ったこと。
  • 以前に文庫版の『石川くん』に書いた啄木の盗作疑惑が無実だったこと。それを謝っていること。「ご指摘くださった国際啄木学会の森義真様に深謝し」ていることも。
  • 最後に、「また会いましょう」と結んでいる。

ほぼ日刊イトイ新聞「石川くん」

2013-03-18

[] 切通坂の啄木歌碑 東京都:文京区<3>

啄木文学散歩・もくじ


湯島天神 切通坂の歌碑


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切通坂


右が春日通り、左側が湯島天神の石垣。

左手前にあるのが石川啄木歌碑。目立たないので、通り過ぎてしまいそうになる。





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  切通坂(きりどおしざか)

             湯島三丁目30と四丁目6の間

「御府内備考」には「切通は天神社と根生院との間の坂なり、是後年往来を開きし所なればいふなるべし。本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便道なり、」とある。湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、 新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。

初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。

映画の主題歌「湯島の白梅」“青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し”で、坂の名は全国的に知られるようになった。

また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床」(本郷2-38-9・新井理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った坂である。

   二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 勤めなればかな

                  石川 啄木


        ― 郷土愛をはぐくむ文化財―

       文京区教育委員会 平成11年3月





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碑の下部にある歌碑の説明板

この歌は、石川啄木(一八八六 〜 一九一二)の明治四十三年(一九一〇)の作で、『悲しき玩具』に収められている。文字は、原稿ノートの自筆を刻んだ。

当時啄木は、旧弓町の喜之床(きのとこ)(現本郷二ノ三八ノ九・新井理髪店)の二階に間借りしていた。そして、一家五人を養うため、朝日新聞社に校正係として勤務し、二晩おきに夜勤もした。

夜勤の晩には、終電車で上野の広小路まで来たが、本郷三丁目行きの電車はもう終わっている。湯島神社の石垣をまさぐりながら、暗い切通坂を、いろいろな思いを抱いて上ったことであろう。

喜之床での二年二か月の特に後半は、啄木文学が最高に燃焼した時代である。この歌は、当時の啄木の切実な生活の実感を伝えている。

文京区内で、最後に残っていた啄木ゆかりの家 "喜之床" が、この三月十八日に、犬山市の博物館「明治村」に移築、公開された。

   昭和五十五年五月三日

               文京区教育委員会





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歌碑

   二晩おきに

   夜の一時頃に切通の坂を上りしも──

   勤めなればかな。

           石川啄木

『悲しき玩具』の歌稿ノートの啄木自筆を拡大した文字。





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湯島天神の絵馬

願いをこめた絵馬が分厚い。

学業成就・合格祈願・初宮詣・家内安全・厄除祈願・交通安全・開運祈願・・・。

祈りたいことはそれぞれだが、ここは学問の神様の菅原道真公を祀っているから、合格祈願が特にたくさんあった。



 

2013-03-16

[] 森鴎外記念館 東京都:文京区<4>

啄木文学散歩・もくじ


文京区立 森鴎外記念館

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記念館の正面外観(大観音通り)

記念館は生誕150年を記念して、森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地に2012年11月1日オープンした。地下2階には約 1万点に上る資料があり、石川啄木からの書簡なども収蔵されている。

1862(文久2)年生まれの鴎外は、1892(明治25)年30歳のときから、1922(大正11)年60歳で亡くなるまでここに暮らした。

2階から東京湾品川沖の白帆を望むことができたため、鴎外自ら「潮を観る楼閣」と命名した。石川啄木斎藤茂吉、与謝野鉄幹、伊藤左千夫、佐佐木信綱など多くの文人が訪れた。





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「手紙で語る鴎外の交流」

コレクション企画「手紙で語る鴎外の交流」ポスターの一部。

企画展会期 2013年1月24日(木)〜2013年4月14日(日)





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入口角の壁面



  • 展示

「観潮楼の日々」

  歌会参加者たち

  • 明星派として出席した北原白秋石川啄木、木下杢太郎、平野万里らの出会いはその後雑誌「スバル」の創刊や若い文芸家や美術家が集う「パンの会」へと繋がった。
  • 啄木の歌会出席は、明治41〜42年、6回を数える。

壁の地図に「観潮楼」歌会参加者の家(啄木のも)が記されてある。





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「観潮楼址」の跡地を記す碑 藪下通り側入口

「観潮楼」門柱跡の礎石と、鴎外も踏みしめた敷石が当時と同じ場所に残されている。


記念館のホームページ「建築について」のところに「この建物は,殆ど全て職人の方々の手作りで出来ています。そのなかのひとつ外壁レンガの削りは,作業服が真っ白になるほどの大変な作業でしたが、若い職人の方々の懸命な取り組みにより素晴らしい壁に仕上がりました」とあった。





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記念館入口前、藪下通りにある像「舞」

森鴎外の代表作「舞姫」の作品から、「舞」というテーマで彫刻家・一色邦彦氏が造りあげた。





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「青鞜社」発祥の地

平塚らいてうの首唱で、木内錠子、物集和子、保持研子、中野初子の5人が発起人となり、1911年(明治44年)詩歌が中心の女流文学集団として結成された。事務所はここ旧駒込林町の物集和子宅におかれた。雑誌『青鞜』は同年9月の発刊。らいてうの発刊の辞「元始、女性は実に太陽であった」は有名。






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文学散歩マップ

鴎外記念館は、千代田線「千駄木駅」下車、団子坂を上ると左側にある。高村光太郎旧居、夏目漱石旧居、青鞜社発祥の地など見どころが多い。



森鴎外記念館

2013-03-14

[] 「杢太郎が特に啄木、茂吉と親交を深めた…」 杢太郎記念館

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[サンシュユ]


木下杢太郎の活躍紹介 伊東の記念館

  • 伊東市出身の文学者、医学者の木下杢太郎の歌人としての活躍を紹介する特別展「木下杢太郎と観潮楼歌会」が12日、同市湯川の市立木下杢太郎記念館で始まった。5月12日まで。
  • 杢太郎は東京・本郷の森鴎外邸「観潮楼」で1907〜10年に開かれた歌会に参加。この時に詠んだ短歌が書かれた歌稿(複製)19枚を展示している。参加者同士で採点し、杢太郎の作品に一番多く「○(丸)」が付いている。歌会には石川啄木斎藤茂吉など当時の新進気鋭な若手歌人も参加。
  • 同記念館担当の丸井重孝・市社会教育指導員は「杢太郎が特に啄木、茂吉と親交を深めたことを示す貴重な資料だ」としている。歌稿は、杢太郎らが編集した文芸雑誌「スバル」出資者の平出修の孫が所蔵し、同記念館に貸し出した。

(2013-03-13 静岡新聞

 

  • 伊東市立杢太郎記念館
    • 静岡県伊東市湯川二丁目11番5号  電話 0557-36-7454

2013-03-13

[] 東京銀座 朝日新聞社跡の啄木歌碑と風景印

啄木文学散歩・もくじ


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啄木歌碑の風景印

朝日ビル内郵便局で押印。

啄木歌碑・街灯・朝日ビルとその周辺が描かれている。


啄木歌碑の建っているすぐ前のビルが朝日ビル。

  • 朝日ビル内郵便局(地下1階)

  東京都中央区銀座6-6-7





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銀座並木通りの啄木歌碑

<碑文>

石川啄木が瀧山町の朝日新聞社に勤務したのは 明治四十二年四月から四十五年四月十三日二十七歳でこの世を去るまでの約三年間である この間彼は佐藤真一編集長をはじめとする朝日の上司や同僚の厚意と恩情にまもられて 歌集「一握の砂」「悲しき玩具」詩集「呼子と口笛」など多くの名作を残し 庶民の生活の哀歓を歌うとともに時代閉塞の現状を批判した

銀座の人びとが啄木没後満六十年を記念して朝日新聞社跡に歌碑を建立したのはこの由緒によるものである

    昭和四十八年四月一日

    日本大学教授文学博士 岩城之徳





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樹の幹の形をしたブロンズ製 啄木像のレリーフつき

朝日ビルの場所は、地下鉄丸ノ内線・日比谷線・銀座線銀座駅から徒歩3分、JR山手線有楽町駅から徒歩7分。





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啄木の歌

   

   京橋の瀧山町の

   新聞社

   灯ともる頃のいそがしさかな

              啄木


現在は中央区銀座6丁目だが、その前の町名は京橋区滝山町だった。





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碑陰にある啄木鳥の像


風景印のこと

○ 風景印の入手方法は、その郵便局の窓口で、50円以上の切手が貼ってあるハガキや台紙に押印してもらう。郵便として出さないときは「記念押印」と頼めば持ち帰りもできる。

 

[] 「本郷喜之床」理容遺産に 明治村の理髪店、認定

(2013-03-13 読売新聞)

 

2013-03-12

[][] 東日本大震災2年 いわて銀河プラザ

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岩手県のアンテナショップ

のぼり旗も勇ましい「いわて銀河プラザ」入口。




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岩手日報 2013年3月11日 東日本大震災特別号外

岩手再生 本格復興へ一歩一歩 前へ──。





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「啄木かるた」

石川啄木没後100年を記念してつくられた「新 啄木かるた」。




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今年 4月の歌舞伎座新開場に合わせて「歌舞伎座」と岩手県アンテナショップ「いわて銀河プラザ」がコラボした「歌舞伎座せんべい」新発売!

岩手名産おさしみわかめ・サラダチキン・・・。

野菜も肉も魚も、おいしいものがいっぱい。


  • いわて銀河プラザ<岩手県のアンテナショップ>
    • 東京都中央区銀座5-15-1 電話 03-3524-8282
    • 地下鉄日比谷線「東銀座駅」6番出口前。都営浅草線「東銀座駅」A1出口 徒歩1分。

 

[][] 啄木忌前夜祭 盛岡・おでってホール 4/12

国際啄木学会盛岡支部(小林芳弘支部長)主催の第 9回啄木忌前夜祭は、4月12日午後 6時から盛岡市のおでってホールで開かれる予定。石川啄木の業績や足跡をしのぶ。

  • 第 1 部はパネルディスカッション「留学生は『啄木』をどう読むか」。
  • 第 2 部は松田晃さん(声楽家)と雫石環さん(ピアニスト)の演奏。
  • 第 3 部は県立大名誉教授の米地文夫さんが「啄木の短歌から賢治の反戦童話『月夜のでんしんばしら』が生まれた−トルストイや啄木の『非戦』思想との対比について」と題して講演する。
  • 入場無料。問い合わせは同支部(019-647-4432)へ。

(2013-03-12 岩手日報

 

2013-03-10

[] “長男の宿命”が啄木の文学を創り上げた

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[ウメ]


【倉橋健一の文学教室】(43)

  石川啄木『一握の砂』

社会との葛藤が生み出した歌

  • 石川啄木斎藤茂吉と並び、近代歌人のなかでいまなお多くの読者を持ち、文学のみならず、社会思想の観点からも長く論じられてきました。その没後の人気の高さとは対照的に、生前の私生活では終生貧乏に苦しみ、わずか 26歳の若さで亡くなりました。昨年はちょうど没後 100年の節目にあたりますが、今回、啄木の歌集を取り上げたいと思ったのは、それだけではありません。
  •  《はたらけど

   はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり

   ぢつと手を見る》

第一歌集『一握の砂』のなかの一首。啄木といえば、その代名詞のようにこの歌が引き合いに出されますが、啄木自身 19歳で結婚し、前後して寺の住職だった父親が宗費滞納で寺を追われ、両親と新妻、妹の扶養義務を負いました。生活が貧窮するなか、代用教員をしながら一家を養わなければならない“長男の宿命”が啄木の文学を創り上げたといってもいいかもしれません。

  • ただ、啄木の視線の特徴はたんに生活意識の内面化にとどまらず、それを通して社会の構造的なところにまで響かせようとしている点にあります。それは『一握の砂』の編集過程を見るだけでもよくわかります。

  • 最後にリズミカルな明るい歌もひとつ、ふたつ。

  《たんたらたらたんたらたらと

   雨滴(あまだれ)が

   痛むあたまにひびくかなしさ》

  《まれにある

   この平(たひら)なる心には

   時計の鳴るもおもしろく聴く》(談)


○倉橋健一(くらはし・けんいち)詩人、文芸評論家。

(2013-03-10 産経ニュース>倉橋健一の文学教室)

 

2013-03-08

[] 「ああ 雪の天国,そは我が故郷」啄木…ポスター受賞

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[シダレウメ]


「啄木没後100年」のポスターが岩手広告賞を受賞

  • 盛岡市が郷土の詩人・石川啄木の没後100年を記念し作成した,盛岡ブランド「啄木没後100年」のポスターが,第44回岩手広告賞(岩手広告協会主催)のポスター部門で,岩手広告賞を受賞しました。
  • 今回受賞したポスターは,「きょうは未来の鏡」とし,「真の豊かさとは何か・・・。自然の躍動と偉大な力,人間文明のおごりともろさ。かの天才が去って百年。いまを生きる私たちに問う 啄木百年後へのメッセージ」をテーマに展開し,盛岡市在住のデザイナー杉本吉武さんがデザイン。
  • ポスターのキャッチコピーは,石川啄木が友人につづった手紙の一文から引用した「ああ 雪の天国,そは我が故郷」を使用しました。

盛岡市>広報)

2013-03-07

[] 啄木は、日々のおつけものみたいな身近な詩をつくろうとした人 青山ワンセグ開発 2/28

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[クリスマスローズ]


2月28日放送分 NHK Eテレ青山ワンセグ開発

 「石川くん」枡野浩一が挑む

  日本を代表する歌人石川啄木の短歌を、枡野浩一が現代語訳。

  歌の意味と、ひととなりに迫る。


最後にコレだけは言いたい!

  • 放送作家 ゴウヒデキ

石川啄木の短歌には他にもまだ、「朝、布団から出れなくてだらだらしてごめんなさい」という情けない気持ちを歌ったものもある。そういうのをたくさん紹介したい。

啄木は100年前の人だが、日々のおつけものみたいな身近な詩をつくろうとした人だ。

そのことを短歌に詠んでみた。(司会の)ももいろクローバーZの名前を折り込んだ。

   高くない

   日々味わえる

   おつけもの

   百年前の

   有名な詩は

         枡野浩一

────────

◎ 「石川くん」勝利!

2月期対戦の視聴者投票結果は、「石川くん」が 32,359 pt. 獲得し勝利した。「バトル3 ファイナル」に出られる権利を得た。「石川くん」は、レギュラー番組枠獲得をかけてこれから戦うことになる。

────────

-放送予定 放送局:NHK Eテレ

 ◇ バトル3 ファイナル直前SP

   Eテレ 3月8日(金)午前0:30〜0:55 <木曜深夜>

 ◇ バトル3 ファイナル

  Eテレ 3月15日(金)午前0:30〜1:00 <木曜深夜>

   「ドチャック GOOD-BYE DOCHACK」

   「僕にはまだ友だちがいない」

   「石川くん」

2013-03-06

[] こころよく
 我に働く仕事あれ  啄木

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[クロガネモチ]


早春賦の思い〜教育の現状に寄せて

  大田尭・東京大名誉教授

退職手当の引き下げ前に地方自治体職員が「駆け込み退職」する例が相次いでいる。年度途中に退職者が急増したため、現場で人手不足が生じるなど問題は深刻化している。戦前から、94歳となった今日まで、教育の在り方を思索してきた大田尭・東京大名誉教授に寄稿してもらった。

  • 問題の本質は、退職手当の問題だけではなく、端的に云えば職場の"居心地"だと私は思う。教育という責任ある仕事環境全体がおかれている状態の中で生じた事態、その症状の一つであって、原因はもっと深刻なところにあると、と私は思う。
  • 「早春賦」の鶯ではないが、"いかにすべきや いかにすべきや"止むことのない寒風冷雨の中での私の心境である。
  • それには、一人ひとりの人権感覚を私たちの日常生活にとりもどす努力を粘り強く重ねるほかはない。


  • 第二に生命は太陽、水、食物、そして地球を含む人々に依存して生きている。生命は「かかわり」の中にある。他者、他物への依存は生命の根本的特質である。
  • 第三に、生命は、誰とも違う他者とかかわり続けることで、一瞬々々自分を変えて、他者との調整を行いながら、新たな創造力をその人なりに創出する。それが、他者とのかかわりで、他者への、あるいはどんなささいなことでも社会的価値の創造であれば、まさに「こころよき」仕事の達成ということになるのではあるまいか。

   こころよく

   我に働く仕事あれ

   それを仕遂げて死なむと思ふ                

      石川啄木『一握の砂』より

「早春賦」の中で、春のやわらかな陽光をまちわびたい。

(2013-02-27 47行政ジャーナル)

2013-03-05

[] 「ふるさとの訛」啄木

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[雅]


<コラム> 水や空

方言

  • 〈ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく〉。東北生まれの石川啄木は明治43(1910)年に出した歌集「一握の砂」で、そう詠んだ。
  • よく知られた一首だが、「ふるさとの訛」、言い換えれば方言が全国各地ですたれ、消えつつあることは早くから指摘されている。長崎でも、中学生や高校生など若い人たちが長崎の方言ではなく、いわゆる東京言葉でしゃべっているのをしょっちゅう耳にする。

(2013-03-04 長崎新聞

[] 映像による教養講座3月分受講生募集 3/12,19,26

  • 2013年 3月12日(火) 啄木の酒・賢治の酒

     3月19日(火) 啄木の短歌・賢治の短歌

     3月26日(火) 啄木の魅力・賢治の魅力

  • 時間 午前10時から正午
  • 会場 府中市生涯学習センター 語学室
  • 対象 平成9年4月1日以前生まれの市民、市内在勤・在学の方
  • 問合せ 東京都府中市生涯学習センター 学習事業係

  府中市浅間町1丁目7番地

  電話:042-336-5708 ファックス:042-336-5709

[] 啄木・賢治通して震災考える 盛岡で20日フォーラム 3/20

  • 岩手を代表する二大作家の石川啄木宮沢賢治を通して震災と新たな地域づくりを考えるフォーラムが20日、盛岡市中央公民館で開かれる。
  • ジャーナリストで元朝日新聞編集局長の外岡秀俊さんが講演する。外岡さんは、朝日新聞入社前に書いた小説『北帰行』で、啄木に自分を重ねる若者の姿を描いた。
  • 午後1時半〜4時半。定員300人。無料。申し込みは電話(019・654・5366)またはメール(chuo.ph@city.morioka.iwate.jp)で。

(2013-03-04 朝日新聞>岩手)

2013-03-03

[] 沖縄の啄木歌碑 那覇市 < その3(終わり)>

啄木文学散歩・もくじ


啄木碑を建てることに尽力した山城正忠の歌碑


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波上宮(なみのうえぐう 那覇市若狭1-25-11)の一の鳥居と二の鳥居。

波上宮は那覇港が見える高台にあり、沖縄総鎮守として親しまれている。真教寺からは600〜700mほどの距離。

大きな一の鳥居を過ぎると、左側に樹が繁り灯籠が並んでいる。その間に山城正忠の歌碑と釈迢空の歌碑とがある。





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波上宮参道にある山城正忠の歌碑


   朱の瓦屋根の絲遊春の日に

   ものみなよろしわが住める那覇   正忠

                    (絲遊=かげろう)


境内にならぶ案内板も他の碑などもみな参道に向いている。正忠の碑のみ、ほぼ真横を向いている。写真を撮るとき足場がないので苦労した。これは「真教寺の啄木碑と向かい合っているから…」という文をネット上で読んだ。地図で確認してみると、啄木碑も正忠碑の方を向いていると思われる。

正忠の碑は1961年建立、啄木碑は1977年建立。正忠碑が、まだ建っていない啄木碑に向かうことはできない。

何故横向きになったのかとても不思議だった。





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《碑陰》

     山城正忠

      1884

      1949

    1961年3月建之

 

山城正忠(やましろ-せいちゅう)

     ・啄木碑を建てることに尽力

     ・歌人・小説家・歯科医師・書家




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山城正忠の碑の近くにある釈迢空折口信夫)歌碑。

      

    なはの江に

      はらめきすぐるゆふだちは

        さびしき船をまねくぬらしぬ

                     釈迢空





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沖縄にはブタのお雛様が飾られていた。

きょうは、ひな祭り!


(沖縄の啄木歌碑(終わり))

2013-03-02

[] 沖縄の啄木歌碑 那覇市 < その2 >

啄木文学散歩・もくじ


新しき明日の来たるを信ずといふ 啄木


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真教寺境内の啄木歌碑


「啄木 うたの風景 第29回」 岩手日報

第三部 苦闘の果て(1) 太栄館(東京都文京区)

  • 上京後の啄木は、小説の評判が芳しくなく、焦りと挫折感を歌を詠むことで紛らわせた。与謝野寛・晶子夫妻が暮らす千駄ヶ谷の東京新詩社にも顔を出していた。
  • 同じ頃に新詩社に出入りした沖縄出身の歌人山城正忠(1884〜1949)の名を刻んだ啄木の歌碑が那覇市の真教寺境内にある。啄木の日記に「山城君は肥つて達磨の様である」と登場する。山城は何度か啄木の下宿を訪ね、歌論を闘わせた。山城は帰郷後、歯科医の傍ら歌壇を先導し、沖縄に近代短歌の歌風を確立する。
  • 啄木が亡くなった直後には追悼文を新聞に寄せた。「その蟠りのない素樸な口の利き振りが軈て田舎出の私をしてうちとけしむる媒介となつた」。
  • 山城は渋民に最初の歌碑が作られることを知り、5円を贈った。沖縄にも碑を建てる決意をするが、果たせず。山城と親交のあった国吉真哲さんが、1977年に歌碑を建てた。その時に沖縄啄木同好会ができた。除幕式の司会をした沖縄大客員教授の真栄里泰山さんは「沖縄には啄木ファンが多い。東北と沖縄は差別されていたという思いが共通している。啄木のうっ屈した気持ちとみずみずしい感性が青年の心にすっと入った」と説明する。

 (2012-10-24 岩手日報





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   新しき明日の来たるを信ずといふ

   自分の言葉に

   嘘はなけれど──    啄木


《碑陰》1977年4月建立 山城正忠 沖縄啄木同好会


<新しき明日の>の選歌は故山城氏。歌の文字は国吉氏が入手した東雲堂版啄木歌集からとり、「啄木」の文字は啄木自筆の拡大である。(『啄木文学碑紀行』浅沼秀政)





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道の反対側から寺を見たところ。本堂左にある塀の近くに啄木歌碑が建っている。

写真手前の道路は上之蔵大通り。この道を左へ行くと那覇港に着く。右へ行くと波の上ビーチ、そしてこの後に訪れる波上宮の方向になる。波上宮には、山城正忠の歌碑がある。


(つづく)

2013-03-01

[][] 沖縄の啄木歌碑 那覇市 < その1 > 

啄木文学散歩・もくじ


日本最南の啄木歌碑


D

<動画 43秒>

[那覇市 真教寺にある啄木歌碑]

沖縄県那覇市の啄木歌碑は、ゆいレール「旭橋」駅から泉崎交差点へ進み、左折して西消防署通りを海の方向へ行く道沿いの左側にある。「旭橋」駅から約700mの距離。





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真宗大谷派 真教寺」 沖縄県那覇市西2−5−21

 真教寺は、上之蔵大通りと西消防署通りの交差点に面している。





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立派な石組みの台座の上にある。

沖縄の墓はとても大きいから、歌碑の台も立派なのだろうか。





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歌碑をななめ横からみる。


(つづく)

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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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