〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

ここで啄木は死んだのか…


[マンサク]


逍遥の児 石川啄木終焉の地

  • 夭折の歌人石川啄木。春の週末。東京都文京区小石川を目指す。地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅で下車。団平坂を下っていく。ひとつ東側の道の途中。白い5階建てのビル。壁に表示板。「石川啄木終焉(しゅうえん)の地」。ここか。ここで啄木は死んだのか。静かだ。ひっそりとしている。
  • 啄木は神童といわれた。少年時代、岩手県渋民村(現・盛岡市)で暮らし、旧制盛岡中学へ。地元の小学校代用教員を務めたあと、北海道を流転する。志を立てて上京。明治歌壇の新星としてさっそうと登場した。
  • しかし、肺結核を患った。1911(明治44)年8月、この地の借家へ家族と共に引っ越した。満足に仕事ができない。収入が途絶える。極貧の生活を送った。
  • 臨終の日。1912年4月13日。歌人若山牧水が立ち会った。幼い娘は、危篤であることも知らず、表に出て桜の花びらを拾って遊んでいた。牧水は幼子を抱きかかえて帰る。午前9時30分。死去。26歳。(塩塚保/SANKEI EXPRESS)

(2014-04-22 産経新聞SankeiBiz