啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2015-01-31

[][]「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その9 (おわり)>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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かつて木造三階建の旅館「高盛屋」を購入し味噌屋の看板を掲げた


あらためて石川啄木全集(筑摩書房)の日記と書簡から平山良子(良太郎)の記事を探した。

  • 啄木が平山良子から初めて手紙を受け取ったのは、明治41年11月15日。
  • 同日、啄木は「写真お恵み下さる由、鶴首して待上候」と返事を書く。
  • 11月30日 平山良子から写真が届く。「平山良子から写真と手紙。驚いた。仲々の美人だ!」と日記に書く。
  • 12月5日 啄木は、「君。わが机の上にほほゑみ給ふ美しき君。」と平山良子に返信。
  • 明治42年1月6日 啄木は、「お遊びがてら東京にお出でなされては如何に候や、お写絵を見る度にお目にかゝりたく存じ候。」と平山良子に送る。
  • 1月7日 啄木は、菅原芳子宛に「平山さんのことお知らせ下され、お手紙の模様にて何かよからぬ噂にてもある人と想像……。」と書く。
  • 1月15日 啄木は、「菅原芳子から手紙、平山良子は良太郎といふ男だと言って来た。」と日記に書く。

明治41年11月15日に初めて手紙を受け、翌42年1月15日に「平山良子」は「良太郎といふ男だ」とわかる。

騙し騙されたのは、ぴったり二か月。


その短い日々に啄木はどんな夢をみたのだろうか。


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◎「啄木茶房 ふしみや」は、良太郎の息子さんと結婚した治子さんが経営している。

◎良太郎さんは息子さんが生まれてまもなく亡くなった。そのため、「(夫は)父の顔を覚えていない」と語っていたと、治子さんは教えてくださった。

◎また、伺うまでは「良子 = よしこ」と読むと思っていた。治子さんの話では、「 “良太郎 = りょうたろう” が用いた名前だから “良子 = りょうこ” ではないか」とも話していた。






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軒下の看板


九州大分のこの地に住む平山良太郎と縁があった啄木。

啄木ゆかりの地は日本列島の北方面に片寄る。

それでも足跡を辿っていくうち福岡県に佐賀県に沖縄県に、そして大分県に啄木の息づかいの聞こえる地があった。

それは、人のこころに響く作品を残した啄木の稀有の力であると思う。


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  • 啄木茶房ふしみや


(おわり)

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2015-01-30

[]「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その8>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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与謝野晶子から平山良子(良太郎)宛の手紙

明治42年2月25日


この手紙の宛名も平山「良子」となっている。







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店主が見せてくださった絵葉書


平山良太郎が入会し盛んに交換していた「日本葉書会」の葉書。








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臼杵川に沿って建つフンドーキン醤油株式会社


臼杵は江戸末期から、清らかな水を利用して醤油・味噌や地酒などの醸造業で発展してきた。

そのうちの一軒、味噌製造販売をしていた老舗の息子が平山良太郎だった。




(つづく)


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2015-01-28

[]「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その7>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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臼杵新聞 明治(42年、または、43年。読み取ることができない)1月1日付








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上記、臼杵新聞の左中央部分(ちょうど光が当たっている)を拡大したもの


このシリーズ<その2(1月21日)>で触れた、「ようこそ啄木茶房へ」の説明ボードに以下の文がある。

《「みひかり会同人誌」や「臼杵新聞」の短歌欄に啄木、与謝野夫妻、平野万里、吉井勇が顧問となった。》


写真に説明は無かったが、「みひかり会の短歌」に添えて、これらの人の署名を掲載したものと思われる。







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「ふしみや開店」の新聞記事

(10月6日付(年不明)、西日本新聞


上記の写真記事とは別の共同通信の記事

啄木の恋文相手、実は男性 だまされ熱い思いつづる

2003年1月7日【共同通信

歌人・石川啄木(1886−1912年)が美女のふりをした男性にだまされ、「美しき君」と熱い思いをつづった恋文が、大分県臼杵市で公開され話題を呼んでいる。研究者以外にはほとんど知られていないエピソード。早世のため啄木の書簡は数少なく、意外な一面を示す資料だ。

「良子」と名乗り恋文を交わしたのは臼杵市唐人町のみそ製造業平山良太郎さん(1886−1932年)。良太郎さんを義父に持つ平山治子さん経営の「啄木茶房・ふしみや」で、手紙4通とはがき2通を順次展示している。

文学青年だった良太郎さんが啄木に手紙を出したのは1908(明治41)年。受けを狙って若い女性をかたったところ、「写真鶴首(首を長く)して待上候」と返事が。いたずら心もあり、京都祇園の名妓(めいぎ)の写真同封で返信した。




(つづく)


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2015-01-27

[] 「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その6>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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明治41年12月5日、啄木より平山良子宛の書簡


封筒表書き

 

   豊後国臼杵

   唐人町

    平山良子様


(消印) 41年12月5日







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明治41年12月5日、啄木より平山良子宛の書簡


封筒裏書き

   Decemger.5.1908

     東京市本郷区森川町一、新坂

     蓋平館別荘

           石川啄木


  ○おしゃれな啄木

    糊しろが波線カット

    英語表記の日付








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啄木茶房のメニュー


啄木の名前のついたものは、啄木ブレンドコーヒー、啄木カボスジュース、啄木ぜんざい、啄木フルーツフラッペなど。








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湯気のたつ「啄木ぜんざい」




(つづく)


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2015-01-26

[] 「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その5>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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啄木に送られた“平山良子”の写真


実は、この写真は祇園の芸者「芝池栄美(しばいけ えみ)」という女性の姿だった。


この頃、平山良太郎は「日本葉書会」に入会し、“良子”という名で書簡の交換をしていた。その一人「芝池栄美」という人に良太郎は手紙を出し、返信がきた。


封筒の中には

 「まことにあでやかな芸者風の姿の写真を絵はがきにしたものが、六枚入って居た」

 「この写真の主こそは、当時祇園随一の名妓であった」

 「色香の美しい如く芸も又巧みであった為、祇園第一の花として、京の人は誰れ知らぬ人はなかった」

  (「」内 『啄木秘話』川並秀雄著 冬樹社)


良太郎はこのうちの一枚の写真を啄木への手紙に同封したのだった。







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明治41年12月5日、啄木より平山良子宛の書簡


その写真を見ながら啄木はこのような手紙を書いた。

  1

君。わが机の上にほゝゑみ給ふ美しき君。

この写絵となつかしきお手紙手に入り候ふは去る三十日の午前十一時頃に候ひき。その日は終日俥を市中に駈りつ。あはれ心ならずも五日が程は空しく過し候ひぬ。

君はわがこの返りごとの遅れしをとがめ給はざるべし。我は日毎に新聞の小説を一回分宛かき、また昴第一號の編輯にこの十日許りを、葉書一葉かく暇だになく急しく過し候ふなれば。

君は若き女にして、我は若き男に候ひけり。若くして貧しき我は、日毎に物思ふいとまもなく打過しつつ、若きが故にさびし、筆とる時も寂し、市ゆく時もさびし、青春の血のもゆるが如き友と語る時は殊更にさびし。








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明治41年12月5日



  2

夜更けて束縛多きわが境遇を思ふ時に至りては、涙もなき深き悲痛に目のみ冴えつ。君は、たとへ姉君弟君にわかれ給へりとも猶人に羨まるるきはの人なるべし。さて猶さびしと仰せらるるや、君は誠にさびしきや。わが机の上にある君は、あでやかに美しくほゝゑみて我のさびしさを慰め顔なるに!








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明治41年12月5日、啄木より平山良子宛の書簡


啄木の文字で「1〜4」までのナンバーが振ってある。




(つづく)


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[] 「おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ」石川啄木 BS朝日 2/3

にほん風景物語 2時間スペシャル  ドキュメンタリー・教養

「函館・小樽 北海道 啄木放浪記」(仮)


  • BS朝日 2015年2月3日(火) 21:00〜22:54

石川啄木に「おれは函館で死ぬ」と言わしめた函館&小樽の魅力に迫る。

  • 作家・高橋源一郎が、北の大地・北海道で、石川啄木の足跡を訪ねながら、その原点と真冬の2大都市の魅力を紹介する。
  • 啄木は貧困と孤独にあえぎながら、重くのしかかる現実を三行書きの短歌でうたい、歌壇に新風を吹き込んだ。そのうたは、永遠の青春の賛歌と賞賛される。
  • ここ函館に啄木が滞在したのはわずか132日間だった。しかし、後日、友人に送った手紙には「おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ」と綴っている。そこまで啄木を魅了させた函館の魅力を探る。
  • 啄木は「かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の声の荒さよ」と歌う。大火に襲われ職を失った函館から、札幌の隣りにある石狩湾に面した港町・小樽へと拠点を移す。115日間という短いここ小樽での暮らしの中で、啄木は何を思い、何を感じたのかに迫る。

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2015-01-24

[][] 「啄木と ぶんきょう ―たかく飛んだ!26年―」啄木歌碑建立記念 2/8〜2/16 

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[ヒュウガミズキ]


石川啄木終焉の地 歌碑建立記念事業

 平成26年度文京区企画展

「啄木と ぶんきょう ―たかく飛んだ!26年―」

平成27年3月、本郷や小石川で精力的に創作活動を続けた本区ゆかりの文人である石川啄木を顕彰し、終焉の地、旧小石川久堅町に歌碑が建立されます。これを記念し、企画展「啄木とぶんきょうーたかく飛んだ!26年」を開催します。

石川啄木(石川一)は、明治19年岩手県盛岡市に生まれ、旧制盛岡中学在学中からその才能を認められながらも、貧困の中26歳で亡くなりました。

生まれ育った盛岡から新天地を求めて渡った北海道、成功を夢見た東京。その短い生涯を辿りながら、鋭い視線で社会を見つめ続けた足跡を、文京区に暮らした日々を中心に、短歌、小説、評論、日記、書簡などからパネルでご紹介します。 

どうぞお誘いあわせのうえ、ご来場下さい。


  • 平成27年2月8日(日)から2月16日(月)まで

            午前10時〜午後6時(最終日は午後5時まで)

  • 会場 文京シビックセンター1階ギャラリーシビック(文京区春日1‐16‐21)
  • 入場 無料 (どなたでもご自由にご覧になれます。)
  • 主催 文京区
  • 協力 文の京地域文化インタープリターの会

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◎関連開催

公開講座「啄木 文京区で過ごした青春」

  • 講師 佐藤 勝氏(湘南啄木文庫主宰)  
  • 日時 平成27年2月8日(日)午後2時から午後4時
  • 会場 文京シビックセンター26階 スカイホール

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[][] 2015年度「啄木コンクール」作品募集!

時代と暮らしを見据えた、意欲的で清新な現代にふさわしい短歌作品と作者の、おおくの応募と登場を、心から歓迎し、期待します。

  • 作品 20首
  • 期限 2015年(平成27年)1月31日 当日消印まで有効
  • 送り先 新日本歌人協会「啄木コンクール」係 

    170-0005   東京都豊島区南大塚2-33-6-301

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2015-01-23

[] 「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その4>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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店内の展示


  • 右の大きい額 石川啄木による「みひかり会員」の詠草添削
  • 中央柱の小さい説明ボード 「ようこそ啄木茶房へ」
  • その左の額 「平山良太郎」の写真
  • 一番左の額 「京都の芸妓「芝地栄美」から、平山良子宛の手紙(宛名は“良子”となっている)







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啄木書簡 平山良子宛


◎上段右から二枚目

  四十一年十一月十五日

石川啄木から平山良子(良太郎)に送ったはがき 


初めての御文おなつかしく拝見仕候。歌稿は別封御返送いたし候、只今のところ、想調共に整へる歌、幼稚浅薄なる歌相半ばし、玉石混淆とも申すべくや、在京の詞友の作にも、少きほどの佳作も有之候。折角御奮励を望み候。

明星百号は一週間程前に発行相成候。多分すでに御覧の御事と存候、小生らにて来る一日より出すべき新雑誌の広告その号に詳しく出しおき候。

小生は都門百丈の黄塵に埋もれて日夕多忙に処し乍ら、心はさびしく暮らし居る男に有之候、寸暇の時には何卒おたより下され度候。写真お恵み下さる由、鶴首して待上候。

目下「東京毎日」に連載中の小説に日ごと日ごと追はれて執筆罷在候場合、略儀乍ら葉書を以てお返事申上候。この頃は芳子様にも御無沙汰、皆様によろしく願上候、次のお文待上候、猶いらぬ事ながら、御婦人にて雅号はいらぬことと存候。早々頓首


(『石川啄木全集』 筑摩書房)


◎上段一番右

  四十一年十一月十五日

石川啄木から平山良子(良太郎)に送ったはがきの表書き


  豊後国臼杵唐人町

   平山良子様



      東京本郷区森川町一、

      新坂上、蓋閉館別荘

        石川啄木

    十五日夜半








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暖房は火鉢。


炭火が赤くおこり、鉄瓶が微かに揺れる。



(つづく)


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2015-01-22

[] 「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その3>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。



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石川啄木による「みひかり会員の詠草添削」

明治41年11月15日







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石川啄木による「みひかり会員の詠草添削」

明治41年11月15日


良太郎は良子という名で、みひかり会員の作品添削を希望した。

啄木は、会員の作品79首に赤ペンを入れて添削し返送した。








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石川啄木による「みひかり会員の詠草添削」

明治41年11月15日








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石川啄木による「みひかり会員の詠草添削」

明治41年11月15日



(つづく)


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[] 学びの意欲 老いず

八幡平市・「四葉大学」本年度閉講式

  活動継続へエール送る 山本さん(啄木記念館 元学芸員)

  • 八幡平市の下町老人クラブの生涯学習教室「四葉大学」の閉講式は20日、同市平笠のいこいの村岩手で行われた。
  • 石川啄木記念館の学芸員を長く務めた山本玲子さんが、「石川啄木 父への思い」と題し講演。山本さんは、盛岡市出身の啄木の父・石川一禎の生涯や啄木との関わりを、歌や日記を紹介しながら解説した。
  • 啄木は父や高齢者の姿を通し、大人が元気でなければ子は悲惨。大人が楽しんでいる姿を見せれば、子も将来に自信を持てるーと感じていたとし、山本さんは「新しい時代を受け入れ、あらゆる事に興味を持つハイカラな高齢者になってほしい。その姿が若者に希望を持たせ、元気を与える」と呼び掛けた。

(2015-01-21 岩手日報

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2015-01-21

[] 「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その2>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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ふしみやの店先にある説明板。




臼杵商工会議所ニュース  平成25(2013)年9月25日

 臼杵の老舗企業

  「明治18年創業 木造三階建の老舗」

  • 当所会員の伏見屋酒店(平山良太郎代表)は明治18年(1885年)創業の老舗です。創業者の平山土五郎氏は、木造三階建の旅館を購入し味噌専業の看板を掲げ自家製味噌の販売を始めました。
  • 二代目の良太郎氏は石川啄木と手紙のやりとりで交流があったことで有名です。良太郎氏の没後は妻のタネ氏が5人の子供を育てながらお店を切り盛りしてきました。(その後、味噌の扱いをやめ酒屋に転身。喫茶サントス出店など)
  • 平成12年(2000)に店舗を一部改装して「啄木茶房 ふしみや」を開店し現在に至っています。

臼杵商工会議所ニュース 4ページ目







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「ようこそ啄木茶房へ」

当店では、先代・平山良太郎が残した明治における近代文学資料や引き札広告を展示しています。

啄木と交流していた頃のエピソードを物語る書簡を中心に公開していくことが未来に先人の知恵を手渡すことになると考えています

  • 良太郎は、豊後臼杵で文学グループ「みひかり会」を主宰。与謝野鉄幹・晶子夫妻に師事し「石泉」というペンネ一ムをもらい会員の歌の添削指導を仰いでいた。
  • 石川啄木や吉井勇、三ヶ島よし子、茅野雅子、矢澤孝子と歌を通して交流していた。
  • その頃、みひかり会に菅原芳子という人が、啄木と熟烈な恋文を交わしていた。当時色々な雑誌に発表される啄木の作品を読む一方で、啄木のうわさを芳子から聞き、良太郎も啄木と文通したくなり、良子という名で、みひかり会員の作品添削希望と共に手紙を送った。しばらくして返事が来た。会員の作品79首は赤ペンで添削されていた。

      啄木茶房ふしみや







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味噌製造業にいそしんだ平山良太郎。



(つづく)


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2015-01-19

[][] 「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その1>

啄木文学散歩・もくじ


「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。

その相手は女を装った男だった……。


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啄木エピソードとして有名なこの手紙を飾る、大分県臼杵市を訪ねた。


中央の木造三階建の家が「啄木茶房 ふしみや」。

老舗「伏見屋」が、かつてこの裏手で味噌を製造しこの場所で販売していた。







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「地図の「No.9」が、「啄木茶房 ふしみや」

(「うすきのらんちまっぷ」 臼杵市観光情報協会)


臼杵市キリシタン大名としても有名な大友宗麟が築城した臼杵城のある城下町。江戸時代の町割りが、現在もそのまま残っている。江戸末期から醤油・味噌や地酒などの醸造業で発展してきた。


東に臼杵城・北に稲葉家下屋敷・西に野上弥生子文学記念館、そのほぼ真ん中あたりに「啄木茶房 ふしみや」がある。






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忘れな草 啄木の女性たち』山下 多恵子 著 未知谷 版

平山良子は菅原芳子の友人として、手紙と詠草を啄木の元に届けてきた。二度目の手紙に同封されていた写真を見た日、啄木は日記に「驚いた。仲々の美人だ!」と書く。早速したためられた返信は「君。わが机の上にほゝゑみ給ふ美しき君」と甘く呼びかけられ、二人が「若き男」と「若き女」であることを意識するものとなっている。

良子は実は、良太郎という味噌の製造販売を営む老舗の息子であった。「みひかり会」という文学の会を組織し、芳子とも会を通じて親しい仲であった。

だまされていたと知ったときの啄木の気持ちは想像に難くない。しかし、幻の「良子さん」を求める気持ちが軽薄であるよりも、痛ましく思われてならない。


  • 啄木茶房ふしみや


(つづく)

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[] 「われは知る、テロリストのかなしき心を」石川啄木の詩「ココアのひと匙(さじ)」

10歳の少女が自…[大弦小弦] 沖縄タイムス

  • 10歳の少女が自爆テロなんてことがあっていいのか。ナイジェリアの市場で先週、女児に装着された爆弾が爆発する事件が2日連続で起こった。自分の体に何が巻かれているか知らず、遠隔操作で自爆を強制された可能性が高いという。
  • 「われは知る、テロリストのかなしき心を」。石川啄木の100年以上前の詩「ココアのひと匙(さじ)」は、こんな一節で始まる。明治天皇暗殺を企てたとして、多くの社会主義者や無政府主義者が冤罪(えんざい)で処刑された大逆事件を詠んだ作品といわれる。
  • いかなる背景であれ暴力を肯定はできない。自身の命を懸けることすらなく、弱者である子どもを「爆弾」にする現代のテロリズムには、啄木も厳しい見方をしたに違いない。(田嶋正雄)

(2015-01-19 沖縄タイムス

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2015-01-17

[][] 啄木の 心残りと 思い出が……釧路 1/21

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[ヒマラヤスギ]


第12回 啄木・雪あかりの町・くしろ

  〜啄木の 心残りと 思い出が 灯りとなりて 町を彩る〜

石川 啄木が釧路に初めてやって来た1月21日。七十余日の短い釧路生活の中で、彼が残した文学の明りは今も灯り続けています。啄木の来釧を記念し、毎年、ろうそくを灯して、当時をしのぶ静かなお祭りを行います。

  • 2015年1月21日(水)
  • 会場:南大通・入舟・大町界隈・啄木ゆめ公園

  • 点灯式・入選短歌表彰式 17:00〜20:00
  • 会場:港文館前広場(釧路市大町2-1-12)

  • その他、多彩なメニュー

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2015-01-16

[] 石川啄木ゆかりの宿 赤心館跡

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[1月号 都営地下鉄沿線ガイド]


都営地下鉄沿線ガイド [ピック・アップ]

 本郷菊坂界隈の文学散歩 新春の湯島・本郷を巡る

 ・都営大江戸線「本郷三丁目駅」下車

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[] 石川啄木杉村楚人冠

房総の作家  千葉日報

  石川啄木と楚人冠 杉村楚人冠(9)

  • 東京朝日新聞社の「朝日歌壇」選者となった石川啄木は、明治43年12月に第一歌集『一握の砂』を東雲堂より出版し好評を得た。渋川玄耳は藪野椋十の名で序文を書いている。渋川の抜擢に賛成しながらも一抹の不安を抱いていた楚人冠は、歌集の快挙に喜んだことだろう。
  • 『一握の砂』は三行分けの新書法で歌われているが、三行分けやローマ字表記からの着想以外にも、啄木に生活の悲哀の目を開かせ、生きる哀しさを歌う詩人へと変貌を遂げさせたものがある。啄木は小樽にいたとき、社会主義者西川光二郎と会い、すでに社会主義について知っていた。42年6月には啄木は幸徳秋水事件の新聞記事を集め、同主義への関心をさらに深めている。底辺に生きる人々にぼろぼろと涙する同主義者たちの姿に心打たれた啄木の姿を、彼の歌に見ることができる。
  • 結核性腹膜炎に罹っていた啄木は病状を悪化。生活の窮地を救おうと、楚人冠は社内でカンパを募り、34円40銭集まった。喜んだ啄木はその中から、以前から欲しかったクロポトキンの本を購入。楚人冠は呆れながらも啄木らしさをそこに認めている。

 (『楚人冠と啄木をめぐる人々』を参照した)

(2015-01-15 千葉日報>房総の作家)

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2015-01-15

[] 啄木は生活苦のなかでも 明日を夢見た

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[ヒメシャラ]


「年明ける」(行雲流水) 宮古毎日新聞

  • 好天に恵まれて、新しい年が明けた。親しい友人・知人からの年賀状や、電話の声に改めて新しい年の幕開けを感じた。「なんとなく今年はよい事あるごとし元日の朝晴れて風なし」。借金に苦しんでいた石川啄木が詠んだ歌である。
  • 不条理がはびこる喧騒(けんそう)の世相であるが、世界が平和で、いつでも、どこでも、人が人間らしく安心して豊かに暮らせることが、すべての人の願いである。
  • 今、農家では、寒風のなかで、サトウキビの収穫に追われている。サトウキビはこの地に合った作物であり、サトウキビ生産と糖業を守ることは、地域・ふるさとの存続を守る上で不可欠である。TPP(環太平洋連携協定)で、資本の論理に押しつぶされてはならない。
  • 啄木は生活苦のなかでも、明日を夢見た。県民は、苦悩の中で、光明を見いだすことができるだろうか。

(2015-01-13 宮古毎日新聞

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[] 啄木の恋人は?今も論争 76日滞在の釧路で

  • 明治期の歌人石川啄木(1886〜1912年)が新聞記者として76日間を過ごした北海道釧路市で、当時の恋人は誰だったのか、今も論争が続いている。12日には文化施設「港文館」主催の啄木講座が開かれた。没後100年以上も経過し、何が人々の心を捉えているのか。
  • 「小奴だというのが通説だが、ふたりは芸妓(げいぎ)と客の関係にすぎず、恋人は梅川操だと思う」。講座で、講師役の釧路啄木会会長北畠立朴さん(73)は持論を展開した。
  • 啄木は「小奴といひし女の やはらかき 耳朶なども忘れがたかり」などと歌集「一握の砂」で小奴を詠んでおり、通説の有力な論拠だ。
  • 一方、梅川は啄木の小説「病院の窓」に登場する看護師のモデルとされ「『喰ひつきたい程可愛く思はれる』と梅川に寄せる思いが書かれている」(北畠氏)という。
  • 啄木が釧路に着いた1月21日に開かれる行事「雪あかり」は今年も、啄木と小奴に扮(ふん)した男女が通説通り恋人を演じる。〔共同〕

(2015-01-13 日本経済新聞 ほか多数紙)

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[] <たはむれに母を背負ひて…> 石川啄木

天地人 東奥日報

  • 人は見かけによらずというが、石川啄木の女性遍歴には少々驚く。きのうの本紙「啄木、罪作り 真の恋人はどっち?」の記事を読んで、ずっと思い描いてきた歌人のイメージがしぼんだ。
  • <たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず>。歌集「一握の砂」に収められた、啄木の代表作だ。<はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る>の一首もある。
  • 芸妓と遊ぶ金はあるのに、どうして<わが生活楽にならざり>なのかと、つい真面目に考え込んでしまう。同郷で親友だった言語学者の金田一京助氏には、しばしば金の無心までしていたらしい。文学にはどうしても、借金と浮名が付いてまわるようだ。

(2015-01-14 Web東奥日報

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2015-01-10

[] 石川啄木も〈ふるさとの訛りなつかし 停車場の…〉と詠んでいる

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[ミツマタ]


かわいい方言ブーム 宮崎日日新聞>くろしお

  • かわいい方言が若い世代に人気という。語感のかわいらしい言葉を指すようだが、どちらかといえばこれまで日陰者扱いされてきただけに、世の中は分からないものである。
  • NHKの連続テレビ小説あまちゃん」から岩手県の「じぇじぇ」、同じく「花子とアン」から山梨県の「てっ」「こぴっと」が全国区へ躍り出た。そして、アニメやゲームで爆発的人気の「妖怪ウォッチ」からは岡山弁の「もんげー」が席巻していると聞いた。
  • ところで石川啄木も〈ふるさとの訛(なま)りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聞きにゆく〉と詠んでいる。故郷を同じくする者をつなぐ方言なのに、メールなど意思疎通の手段として、都会の若者がすくい上げている現象はおもしろい。

(2015-01-10 宮崎日日新聞)

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[] 盛岡市で、啄木の短歌に触れ親しむたこづくり教室

  • 1月の冬空に、啄木の短歌にちなんだ、たこを揚げてもらおうと、岩手・盛岡市石川啄木記念館で、たこづくり教室が開かれた。
  • 9日は、「ぐにゃぐにゃだこ」と呼ばれる骨のないたこ作りの教室が開かれ、10人程の親子が参加した。-子どもたちは、学芸員に教わりながら、たこに、自分が気に入った啄木の短歌や、似顔絵などをペンで描いて、自分だけのオリジナルに仕上げていった。

(2015-01-09 フジテレビ系FNNLocal)

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2015-01-09

[] 〈われは知る、テロリストの かなしき心を――〉 石川啄木

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[シロタエギク]


小社会 高知新聞

  • 〈われは知る、テロリストの かなしき心を――〉。石川啄木の「ココアのひと匙(さじ)」は、こんな書き出しで始まる。テロリストの心情に思いを寄せた詩は、1911(明治44)年に発表された。
  • かなしき心とは〈言葉とおこなひとを分ちがたき ただひとつの心〉であり〈奪はれたる言葉のかはりに おこなひをもて語らむとする心〉。啄木を突き動かしたのは明治天皇の暗殺を企てたとされる「大逆事件」(10年)か。それとも伊藤博文の暗殺(09年)だったのか。
  • テロを生む土壌について考えるのは大切だ。それでも暴力という「おこなひ」は肯定できない。啄木の詩とは逆に、表現や報道の「言葉」を奪おうとするテロも同じである。
  • パリの週刊紙本社が武装した男3人に襲撃され、編集者や画家ら多数の死傷者が出た。
  • 果てしない議論の後に、冷めたココアのひと匙をすする。そのうすにがい舌触りにかなしき心を知ったと、啄木は詩を結ぶ。

(2015-01-09 高知新聞)

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2015-01-08

[] 「天地の水素の神の恋成りて酸素は終に水となりにけり」石川啄木

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[スカイツリーの……]


「編集手帳」 読売新聞

  • のちに言語学者となる金田一京助が盛岡中学を卒業するとき、友人たちが短歌会を催した。『水』という題に石川啄木が詠んだ歌がある。〈あめつちの酸素の神の恋成りて水素は終に水となりにけり〉。
  • 化学式に想を得た一首に、座は沸いたにちがいない。啄木の機知を借りて言えば、これも酸素の神と水素の神による“恋愛成就”の賜物だろう。空気中の酸素に燃料の水素を反応させて走ることから排ガスの出ない未来のクルマ、燃料電池車である。
  • 先月、話題の燃料電池車「MIRAI(ミライ)」を世界に先駆けて日本で一般向けに発売したばかりのトヨタ自動車が、またひとつ決断をしたらしい。
  • 関連する特許約5680件をすべて開放し、ライバル他社に無償で提供するという。

(2015-01-07 読売新聞)

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2015-01-07

[] いま石川啄木の評伝を書いている ドナルド・キーン

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[ナンテン]


漱石 三四郎ふたたび)この年になって時代を脱却したね

 金子兜太×ドナルド・キーン

俳人の金子兜太さん(95)と、日本文学研究者のドナルド・キーンさん(92)。ともに太平洋戦争を経験し、戦後は日本の文学に刺激を与えてきた。今年は戦後70年。漱石をはじめとする文学について、そして戦争について、語り合った。

  • キーン 私にとって、年上の方との対談は大変珍しいことです。
  • 金子 年だけは僕が先輩ですが、キーンさんを先生だと思っていますよ。あなたのように「源氏物語」から読み込み、三島由紀夫とも交友があったという米国出身の人はいません。キーンさんは、正岡子規明治天皇、そしていま石川啄木の評伝を書いている。明治から大正にかけて書きながら、なぜ夏目漱石はお書きにならないのだろうか。

冷静に考えてみたら、漱石日露戦争後の日本が気に入らなかったのだろう。…… 日本の近代化に疑問を持っていた、非常にややこしい男です。同時代の啄木とは違いますか。

  • キーン 漱石は過去を否定しませんでした。「草枕」では、能の世界を取り込み、過去の美しさをたたえている。一方、啄木は、評価するものは何もない、と過去を完全に否定しました。漱石は過去、現在、そして未来まで、複雑に考えていたと思います。

 ・ドナルド・キーンさん 文芸誌で「石川啄木」を連載中

(2015-01-03 朝日新聞)

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[] 焼け野原になる日本を啄木が考えもしなかったように……

風土計 岩手日報

  • 晩年の石川啄木には、正月の歌がいくつかある。気分の移りゆく様子が今に通じて面白い。
  • まずは有名な<何となく今年はよい事あるごとし元日の朝晴れて風無し>。高揚感あふれる元日から、気分は少しずつ下っていく。<正月の四日になりてあの人の年に一度の葉書も来にけり>。4日に届く年賀状を何やら気の抜けた思いで読む。
  • 103年前に26歳で早世した啄木は、20世紀の初めを駆け抜けた人だった。最晩年は病と闘いながら仕事に打ち込む。力尽きて没した2年後、第1次世界大戦が始まった。長生きしていたら二つの大戦を経験し、59歳で玉音放送を聴いたはずだ。
  • 戦後70年の今年、21世紀初めの15年が駆け抜けていく。この間に震災はあったが、身近な戦火はなかった。でも焼け野原になる日本を啄木が考えもしなかったように、これから先は誰にも分からない。

(2015-01-06 岩手日報

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2015-01-06

[] 〈いつしかに正月も過ぎて、/わが生活が/またもとの道にはまり来れり。〉石川啄木

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[マユミ]


〈何となく、/今年はよい事あるごとし/元日の朝、晴れて風無し。〉…

  • 〈何となく、/今年はよい事あるごとし。/元日の朝、晴れて風無し。〉。作家の阿刀田高さんは元日の朝晴れていると石川啄木のこの歌を思い出し、ことしこそいいことが、と願うそうだ。
  • 啄木といえば〈はたらけど/はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり/ぢつと手を見る〉で知られる。借金や病気に苦しんだ人らしく、こんな歌も残している。〈新しき明日の来(きた)るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘(うそ)はなけれど‐〉。
  • これも正月の歌。〈戸の面(も)には羽子(はね)突く音す。/笑ふ声す。/去年の正月にかへれるごとし。〉。
  • 〈いつしかに正月も過ぎて、/わが生活(くらし)が/またもとの道にはまり来れり。〉。

(2015-01-03 西日本新聞

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2015-01-05

[] 石川啄木『不来方のお城の草に寝ころびて……』

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[六華]


福島・矢祭町の挑戦 根本良一前町長に聞く

  将来にツケ回せない

徹底した歳出削減で、手厚い子育て支援や財政健全化を実現した福島県矢祭(やまつり)町。改革を実行した根本良一前町長に、改革の進め方や少子化対策を聞いた。

  • 町の職員数や各方面の補助金を削ったとき、反発はありませんでしたか。
    • 「町民から憎まれたという自覚はない。矢祭のためという大きなテーマがあったからね。来期も町長をやりたいと思ったら改革はできない。町長を二十四年やったけど、いつやめてもいいという覚悟だったので、できたんじゃないか」
  • −どんな事情で行財政改革を決断したのですか。
    • 「国の補助金で学校を建てるにしても、ある程度の自主財源は必要だ。それを増やす必要があった。起債(借金)ばかりしていると、予算が硬直化して投資ができない。自分たちのために子どもの将来にツケを回してもならん。だから歳出カットが必要だった」
  • 中学生の修学旅行を海外に変えましたね。
    • 石川啄木の歌に『不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心』というのがある。不安や希望が入り交じる十五歳で海外に行くことが、どれだけよいことかと思った」

(2014-12-31 東京新聞

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[] 啄木「元日の朝晴れて風無し」

正平調 神戸新聞

  • 元日の朝、新しい年を迎えるに当たり、いつもこんな気持ちになる。「何となく、今年はよい事あるごとし」。
  • 作者の石川啄木は「元日の朝晴れて風無し」と続けるが大雪の朝でも大風の朝でも、この日は何となくいいことがありそうな予感に満ちている。
  • 辞典で「羊」を含む漢字を拾い上げてみる。美、養、善、義。紙に書けば勇気づけられるような字の数々。勇ましい言葉や不安を駆り立てる言葉に惑わされず、羊に倣って周囲の人と手を携え歩みたい。今年はよい事あるごとし。

(2015-01-01 神戸新聞

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[] 石川啄木の歌のような思いで新年を迎えられた方

四季風 山口新聞

  • 「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし」。石川啄木の歌のような思いで新年を迎えられた方も多いことだろう
  • このところ毎年のように元旦に心の中でつぶやく詩がある。「百年前ぼくはここにいなかった/百年後ぼくはここにいないだろう」。詩人谷川俊太郎さんの「朝」の一節は、いやが上にも時間としての凝縮力を感じさせる。新年ともなればなおさらだ。
  • 「年迎ふ山河それぞれ位置に就き」(鷹羽狩行(たかはしゅぎょう))。山河とは自然のこと。大規模な自然災害が続発しているが心の山河までは奪えない。淑気(しゅくき)みなぎる新年の始まり、さあ位置について!この緊張感を1年間、大事にしたい。(佐)

(2015-01-01 山口新聞)

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2015-01-01

[][] 新年のご挨拶

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[春を迎える]


““あけましておめでとうございます””

ご訪問ありがとうございます。

昨年はお世話になりました。


啄木が亡くなったのは、1912年。

人々の話の中に歌の中に書の中に新聞の中に……、登場する啄木に出会うとき、すぐそこにいる人のように感じてしまいます。103年という時の長さが飛んでいきます。


これからも一ファンとして、啄木の息づかいのするところを追っかけてまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。


皆さまにとりまして幸せの多い年になりますように!

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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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