啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2015-02-28

[] 石川啄木が首席で卒業し 教えた校舎 渋民尋常小学校

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[ひな祭り]


みちのく建物探訪

 盛岡・旧渋民尋常小学校 啄木、学び教えた校舎

「ふるさとの 山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

  • 歌人・石川啄木が古里の旧渋民村(盛岡市玉山区渋民)から見える岩手山を詠んだ歌。その故郷にある石川啄木記念館敷地内には、木造2階建ての「旧渋民尋常小学校」が建つ。かつて啄木が在学し、20歳から1年間教壇に立った校舎だ。「その昔 小学校の 柾(まさ)屋根に 我が投げし鞠(まり)いかにかなりけむ」など、在学当時を懐かしむ作品もある。
  • 校舎は1884年、この場所とは違う神社脇に村民の寄付で建設された。 啄木はここを首席で卒業。盛岡中学(現岩手県立盛岡一高)に進んだが中退し、盛岡や東京で執筆活動をした。
  • 校舎は1913年に別の場所へ移築後、公民館としても使われた。老朽化したため、戦後に 取り壊し計画が持ち上がったが、啄木の母校を残そうとの機運が高まり、生誕100年を 機に同記念館が建てられた1986年に現在の場所に移された。
  • 毎年9月には全国の啄木ファンが集まり、同記念館の森義真館長と研究家の対談など「啄木学級故郷(ふるさと)講座」が開かれる。地元有志は普段から障子を張り替えたり防腐剤を塗ったりし、小学生は掃除するなど、校舎は啄木の遺徳を伝える地域の宝物だ。森館長は「啄木の歌は誰もが持つ気持ちを上手に表現し、我々の心に響いてくる。啄木が学び、児童と触れ合ったこの校舎は彼の生涯の一端に触れられる貴重な場所」と話す。【浅野孝仁】

(2015-02-28 毎日新聞)

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2015-02-27

[] 石川啄木の魅力の一つは交友関係の広さ 盛岡で講演会

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[ひな祭り]


啄木と交友関係 ふるさと人紹介

  盛岡で講演会

  • 石川啄木生誕の日」特別講演会は2月20日、盛岡市の渋民公民館で開かれた。石川啄木記念館館長の森義真さんが、「『啄木 ふるさと人(びと)との交わり』をめぐって」と題して講演。
  • 森さんは、啄木の妻堀合節子や、金田一京助、新渡戸仙岳、小林茂雄ら、盛岡や渋民を中心に啄木にゆかりのあった「ふるさと人」との交わりを紹介。
  • その上で、「たくさんある啄木の魅力の一つに交友関係の広さがある。特に東京時代には与謝野鉄幹、晶子や夏目漱石森鴎外といった、今私たちが名前を聞いても『ああ』という人たちと、親しく交わっていた」と強調した。

(2015-02-24 岩手日報

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[] 石川啄木が訪ねたこともある三陸の津波碑

「後世への訓戒」津波碑 三陸沿岸に200基超

  • 三陸ジオパークの特色に挙げられるのが、東日本大震災をはじめとする地域の津波災害遺構のジオサイト、ジオポイントだ。被災した建造物遺構と並び、犠牲者の供養や鎮魂、教訓を刻んだ津波碑は本県三陸沿岸に200基超を数える。1896(明治29)年の「明治三陸大津波」、1933(昭和8)年の「昭和三陸大津波」、1960年の「チリ地震津波」、2011年の「東日本大震災」のそれぞれの惨禍の記憶を伝え、現代、後世へ警鐘を鳴らし続けている。
  • 宮古市重茂(おもえ)の里地区の震災の碑には「後世への訓戒」として「命はてんでんこ」と刻まれている。
  • 大船渡市の「嗚呼惨哉海嘯(かいしょう)」は同市吉浜の正寿院(しょうじゅいん)前に立つ。石川啄木は盛岡中3年の同年夏、担任富田小一郎らと沿岸を訪問。級友の船越金五郎は日記にこの供養塔を見学し、被災者をしのんだことを記している。
  • 山田町船越の「大海嘯記念」の碑は、表に「遠くへ逃げては津波に追付かる近くの高い所を用意して置け」「県指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな」など五つの明瞭な教訓を刻む。

(2015-02-22 岩手日報

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2015-02-26

[] 石川啄木の縁で出版『明月(クリスタルムーン)』台湾のベストセラー

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[『明月』]


台湾文化 知る小説 紫波町の桜出版

 ベストセラーを翻訳

  • 台湾のベストセラー小説を日本語に翻訳した『明月(クリスタルムーン)』は、このほど出版された。出版した桜出版(岩手県紫波郡紫波町)によると、台湾の現代小説を翻訳、出版するのは日本で初めて。
  • 『明月』は台湾で1994年に『塩田児女』の題名で単行本化され、10万部のベストセラーとなった。
  • 桜出版編集部主幹で国際啄木学会評議員の山田武秋さんは2011年に盛岡で開かれた同学会大会で、台湾啄木学会支部長の林さんに出会った。啄木の「一握の砂」も翻訳した林さんは、台湾の文学を日本に紹介しようと、山田さんに出版を持ち掛けた。
  • 山田さんは「小説を読めば、観光ガイドブックでは得られない台湾の文化や精神が分かり、さらに親しみが湧くと思う」と一読を勧める。

(2015-02-26 岩手日報


『明月(クリスタルムーン)』

 蔡 素芬 【著】  /  黄 愛玲 【訳】  /  林 水福 【監修】  

  桜出版 2014年12月発行 2,160円(税込)

激動の台湾の時代を背景に展開される壮大な愛憎のドラマ。台湾の発展と地方の過疎化を背景に、運命に翻弄されながらも貫いた壮絶な真の愛と家族の絆。

桜出版 電話. 019-613-2349 FAX. 019-613-2369

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2015-02-25

[] NHK 石川啄木が登場か 小樽 3/6

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[ひな祭り]


NHK BS プレミアム

 新日本風土記

 「小樽」

  • 2015年3月6日(金) 21:00 ~ 22:00

年間700万人が訪れる北の観光都市・小樽。旅人を魅了する運河やノスタルジックな町並みは明治・大正時代に建てられたもの。運河からは道内でとれたニシンや石炭が昼も夜もなく運び出され、小樽は「北日本一の港町」として繁栄を極めた。しかし戦後、ニシンは姿を消し、炭鉱は山を閉じた。

街はふたたびよみがえる。繁栄の記憶をもとに今を生きる街・小樽の営みを描く。

<オムニバス項目(予定)>

 ・古くて新しい街 ビアホール、雑貨屋

 ・お寿司狂騒曲 訪れる外国人

 ・輝く街 ガラス工芸

 ・あの人が愛した小樽 石原裕次郎


石川啄木が登場するかも。

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2015-02-24

[][] 石川啄木の歌碑・顕彰室の設置 終焉の地 3/22

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[ひな祭り]


文京区 区政会館だより 最新号 平成27年2月発行 299号

 第4回〈文京区〉文京ゆかりの文人たち

 〜明治の文豪・森鴎外と天才歌人・石川啄木

石川啄木の歌碑・顕彰室の設置

  • 岩手県盛岡市から上京し、区内各地に暮らし作品を生み出した歌人・石川啄木も区ゆかりの文人のひとりです。
  • 区では、啄木をゆかりの文人として顕彰することを目的に、平成27年3月22日、啄木終焉の地である小石川に歌碑及び顕彰室を開設します。
  • 歌碑に刻む歌は、啄木がこの地で最後に創作したとされる二首で、当時の直筆原稿を陶板で再現します。碑材にはふるさと盛岡の山「姫神山」の石を使用し、啄木の生涯に思いを馳せることができます。同時に隣接した高齢者施設内の一角に開設する顕彰室では、啄木直筆原稿及び書簡(レプリカ)などを展示していきます。
  • ほか 企画展・お散歩ブック発行・さくらまつりでのPR展示・まちあるきガイドツアーなど。

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2015-02-23

[][] 石川啄木と釧路と取り巻く女性たち 3/7

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[ヒマラヤユキノシタ]


勉強会「漂白の詩人石川啄木を語る」 [中標津町]

講義などを通じて石川啄木の理解を深める勉強会。石川啄木が76日間滞在した釧路と取り巻く女性たちがテーマで、釧路啄木会の北畠立朴さんが講師を務める。
勉強会は全4回で、2回目以降は歌集を読むほか、参加者の希望を聞いて内容を決めるという。荒天時は中止。

  • 2015年3月7日 午後1時半〜
  • 会場 北海道標津郡中標津町総合文化会館「しるべっと」

    根室管内中標津町東2南3

  • 主催者 釧路啄木会メナシ支部
  • 申し込み 不要、直接会場へ

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2015-02-22

[] 口で筆をとって石川啄木の詩を書に 盛岡

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[ミモザ]


寝たきり男性、悲願のバイト始める あごでロボ遠隔操作

  • 4歳の時に交通事故にあって首から下が動かなくなり、22年間、自宅のベッドに寝たきり。そんな盛岡市の男性が、アルバイトを始めた。あごでパソコンを動かして遠く離れた東京にあるロボットを操る。ネットとロボットの力で「自分で稼ぎたい」との悲願を実現した。
  • 男性は、番田雄太さん、26歳。養護学校のころ、口で筆をとって石川啄木の詩を書にし、盛岡で作品展をひらくほどの腕前。いまは筆を専用のペンタッチキーに代えて、あごの微妙な動きでパソコンをあやつる。
  • 番田さんのパソコンは、東京都武蔵野市のベンチャー「オリィ研究所」と結ばれる。同社が開発中のロボットは、目の部分のカメラがとらえた映像を、遠くはなれたパソコンの画面で見ることができる。

(2015-02-21 朝日新聞)

オリィ×番田チャレンジ


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2015-02-21

[] 啄木は「生徒には人気のある先生だった」 啄木青春の地 渋民

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[ミモザ]


渋民 盛岡市 歌集手に啄木青春の地 中日新聞

   カテゴリー:東北 | 歴史や文化を学びたい | 街歩き・散歩

「ふるさとの山に向(むか)ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

  • 都会の生活に疲れると石川啄木の歌が心にしみる。啄木のふるさとを訪ねてみようと啄木歌集を手に北へ向かった。新幹線盛岡駅で降り、「IGRいわて銀河鉄道」に乗り換える。
  • 前日からの雪は一段と激しさを増していた。渋民(しぶたみ)駅で降り、タクシーに乗って5分で石川啄木記念館へ。一面の雪。途中、運転手が「今年は雪が多い」と話す。3年前の「啄木没後百年」ポスターのキャッチコピーは「ああ、雪の天国 そは我が故郷」だった。雪もまたよしというべきか。
  • 館内には隣の日戸(ひのと)村で生まれ、渋民村で育った啄木の生い立ちや、友人などに宛てた直筆の手紙や原稿、中には借用証まで展示されている。日戸も渋民も今は盛岡市だ。
  • 記念館のわきには啄木が学び、後に代用教員として勤めた「旧渋民尋常小学校」の校舎、教員時代に寄宿した民家が移築されている。案内してくれた館長の森義真(よしまさ)さんが「校舎の建材は(建築当時の)明治17(1884)年のまま」と言う。
  • 2階の教室に入ると、すえたような木のにおい。黒板も机もいすも当時のまま。啄木が教えたのは1年間だったが、「生徒には人気のある先生だった」と森さん。教壇に森さんが立つと啄木の姿が重なって見えた。「格差問題など、時代閉塞(へいそく)の状況に苦しむ今の若い人にも啄木の歌や評論は共感するところが多い」
  • 記念館の近くに、啄木の父が住職を務め、啄木が1歳から18歳まで暮らした宝徳寺がある。
  • 徒歩で10分ほどの渋民公園には1922年建立の大きな石の第1号歌碑が立っている。「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」。
  • 26年という短い啄木の生涯。ゆかりの地を訪ねながら、少し苦い青春の思い出がよみがえってきた。(文 朽木直文)

(2015-02-20夕刊 中日新聞

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[] 小社会 -高知新聞-

  • 6年前、JR高知駅南側に装いを新たにして設置された「啄木の父 石川一禎終焉(しゅうえん)の地」を示す歌碑。あらためて見ると「穏やかな晩年を過ごし、一九二七年二月二〇日に所長官舎で76歳の生涯を閉じた」とある。
  • 穏やかな晩年を過ごし、というくだりにはっとする。岩手県渋民村(現在は盛岡市)で住職をしていた一禎は、50歳代だった1904年に失職。どん底の生活に陥り、ついに一禎の家出、一家離散に至る惨状は、1907年のことを書いた啄木日記に詳しい。
  • 「父上が居なくなったといふ。貧といふ悪魔が父上を追ひ出したのであらう」(3月5日)。「一家離散とはこれなるべし。昔は、これ唯(ただ)小説のうちにのみあるべき事と思ひしものを…」(5月4日)。
  • 「穏やかな晩年」という表現が妙に気になるのは、そんな保証もない現在の世相と無関係ではなさそうだ。

(2015-02-21 高知新聞)

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2015-02-19

[] 『鉄くず拾いの物語』ボスニア・ヘルツェゴビナの映画

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[ガラス模様]


『鉄くず拾いの物語』Epizoda u životu berača željeza

  • 監督 ダニス・タノヴィッチ
  • 出演 ナジフ・ムジチ セナダ・アリマノヴィッチ

ボスニア・ヘルツェゴビナの映画。

小さな村に住むロマ族の夫婦と幼い女の子ふたり。日々の生活が細かに暖かく描かれる。夫は鉄くずを拾いそれを売ってわずかの稼ぎを持って帰る。妻は洗濯をし幼い二人の子どもの世話をし食事を作り、夫を迎える。

暮らしの匂いに満ちた映像に引き込まれた。


三人目の子がおなかにいる妻が突然の腹痛に襲われる。そこから大変なことに……。

近所や親類は貧しいなかでギリギリにこの家族を支える。凍てついた道から男が助けを求めれば、すぐに応えて一緒に働いてくれる。


見終わってから、映画の解説を読んで驚愕した。登場する人物はほとんどそのままその地で暮らす人たちだった。違っていたのは医者のみ。主演のご夫婦がそのままその人だったことに感動した。

しかもベルリン国際映画祭で審査員グランプリ、主演のナジフ・ムジチが男優賞など、数々の賞を受賞した。


ロマ族は90パーセントを超える失業率だと監督は言う。だから、保険証もない、被選挙権もない。


子どもの明るい声といつも傍を離れない犬、そして夫婦の何気なくしかし深い愛情がこの映画を貫いていた。

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2015-02-18

[][] 石川啄木の活動を支えた金田一京助 盛岡てがみ館 2/24~6/15

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[デンタータ・ラベンダー]


盛岡てがみ館

 第46回企画展 「金田一京助の手紙」

  • 2015年2月24日(火)〜6月15日(月)

盛岡出身の言語学者・金田一京助(1882〜1971)はアイヌ語研究に生涯を捧げました。

その一方、歌人石川啄木の親友として啄木の活動を支えたことでも知られており、自らも「花明(かめい)」と号し、文学活動を行いました。金田一京助の手紙を通して彼の業績とその人柄を紹介します。


  • 盛岡てがみ館
    • 岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-10 プラザおでって6階
    • TEL/FAX:019-604-3302

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2015-02-17

[][] 啄木短歌に心打たれた女性が思い出す「十五の心」

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[コブシ]


雁須磨子の最新刊は、国語の教科書を題材に紡がれるオムニバス

  • 雁須磨子の新刊「こくごの時間」が、2月16日に秋田書店から刊行された。
  • 「こくごの時間」は季刊誌・もっと!(秋田書店)にて連載された、国語の教科書に掲載されている作品を題材とした連作短編集。
  • 石川啄木の短歌に心を打たれた女性が自らの学生時代を思い出す「十五の心」など8編を収録。各エピソードには描き下ろしの解説ページも。

「こくごの時間」収録作品

十五の心・くまの子ウーフ・走れメロス・夕焼け・言葉の力・小僧の神様・山月記・少年の日の思い出

(2015-02-16 コミックナタリー)

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2015-02-16

[] 啄木の雅号「白蘋(はくひん)」近藤典彦

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[小さな白い水草]


真生(SHINSEI)2015年 no.296

 石川啄木と花」 近藤典彦

  第一回 白蘋

  • 啄木のお父さんは曹洞宗のお坊さんでした。石川一(本名)がその幼少期を過ごした家は、北岩手郡渋民村の宝徳寺でした。
  • 石川一は「啄木」の前に「白蘋(はくひん)」という雅号を用いていました。盛岡中学四年生終わりの満十六歳から、天才詩人として鉄幹・晶子の雑誌「明星」(1903年12月)にデビューするまでの約一年八カ月です。
  • さてこの「白蘋」がどんな花なのか。実はよく分かりません。手許の漢和辞典によると、「蘋」は浮き草・水草のたぐいです。
  • しかし啄木は、宝徳寺近くの用水池の堤に咲く白い夏の花だと言います。それは「堤」に咲くのだから浮き草・水草のたぐいつまり「蘋」ではないでしょう。
  • こうして啄木は自分が「白蘋」と名づけた(おそらくとても小さな)花を雅号にしたのでした。花のどこを愛したのかというと、その気高いばかりの白さでした。かれは澄んだ目で「白蘋」を見つめ、その白に思いを凝らし、自分もその花のようでありたいと思ったのでしょう。
  • かれが愛した小さな花に菫もあります。そしてこんな逸話があります。
  • 盛岡中学校時代、宝徳寺の部屋で短歌を作っているうちに、今が春であることをわすれ、笊を持って裏山に葡萄を採りにゆきます。途中で菫の咲いているのを見て、「ア今は春だナ」と気づいて引き返したそうです。

<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2015年 no.296 季刊>(華道の流派)

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2015-02-15

[] 津波から救出した資料を初公開 啄木書簡など 宮城 2/14~3/29

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[ソテツ]


<被災資料>鴎外、漱石らの生原稿を初公開

  • 宮城県亘理町教委と文化財の研究者が東日本大震災の津波や揺れで損壊した町内の家屋から救出した資料を集めた企画展「東日本大震災と救い出された資料」が14日、町郷土資料館で始まった。旧家や神社など7戸が収蔵していた美術品や日用品など200点を展示。明治、大正時代の文豪の肉筆など貴重な資料が並ぶ。
  • 肉筆は、森鴎外夏目漱石、武者小路実篤などの生原稿、石川啄木島崎藤村坪内逍遙らの書簡など。竹久夢二のデザイン画や岸田劉生のデッサンも公開した。一般に公開されるのは初めて。
  • 企画展は3月29日まで。観覧料は一般100円、高校生50円。郷土資料館はJR亘理駅東側の悠里館1階にある。連絡先は0223(34)8701。

(2015-02-15 河北新報

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[] 啄木かるた大会で270人が熱戦 盛岡

  • 石川啄木の短歌を使ったかるた大会が14日、盛岡市玉山区の姫神ホールであり、小中学生らの91チーム計約270人が熱戦を繰り広げた。
  • 啄木生誕の20日を前に毎年開かれており、今年で13回目。「馬鈴薯(ばれいしょ)のうす紫の花に降る――」などと上の句が読み上げられた瞬間、参加者は身を乗り出して勢いよく札に手を伸ばした。

(2015-02-15 朝日新聞)

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2015-02-12

[] 「ふるさとの “駅弁” なつかし、停車場の…」

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[カランコエ・ラクシフローラ]


ご当地で売っていない駅弁の謎

― 木村和久の「オヤ充のススメ」その57 ―

  • 最近、新幹線や特急列車に乗る機会が増え、やや鉄ちゃんが入っている初老のオヤジとしては嬉しい限りだ。そこでの楽しみといえば、そりゃ駅弁でしょ。
  • この前、ふらりと東京駅で見つけた駅弁が、地元宮城の、しかも石巻地方のもので小躍りしながら買った。紹介しよう、それは「新みやぎ三陸黄金街道」という代物だ。黄金と聞いてピンと来てないが、日本最古クラスの金は、石巻地方の涌谷というところで採掘され、奈良の大仏建立の際に納めたと言われている。もちろん、中尊寺金色堂の黄金もこのエリアのを利用している。
  • 駅弁を列車内で食べる風習がないとはいえ、ご当地駅弁が、地元で売ってないのは残念だと思って、周りを見まわすと、案外、ご当地以外の所で売っている駅弁が多いのに驚く。
  • というわけで、石川啄木が「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」と詠んだけど、 今は「ふるさとの駅弁なつかし、停車場の駅弁売り場に、そを買いに行く」じゃないでしょうか。
  • そしてふるさとの駅弁を食べながら、ふるさとに帰るってなんかおかしくないか?
  • ちなみに駅弁ではないが、仙台の有名お土産「萩の月」は宮城、山形、岩手、福島のみの販売で、首都圏では正式には売ってない。ふるさとに帰らないければ買えない味。そういう頑固な駅弁があってもいいと思いますけどね。(木村和久)

(2015-02-12 日刊SPA!

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2015-02-10

[] 「土」(長塚節)が朝日新聞に連載時、校正係は石川啄木

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[ミツマタ]


長塚節、永遠の魅力 没後100年で講演、「土」上映

  • 常総市出身の歌人で小説家、長塚節の没後100年の記念講演・上映会が8日、同市新石下の地域交流センターで開かれ、歌人で文芸評論家の三枝昂之氏が「鋭敏な自然描写に命の意識が加わり、身をもって短歌の奥深さを後世に示した」と、節の永遠の魅力を語った。小説「土」を原作とした貴重な映画も上映された。
  • 三枝氏は「わが命惜し-長塚節再発見」と題して講演。21歳で正岡子規を訪ね、喉頭結核で亡くなる36歳まで研ぎ澄まされた節の歌風に迫った。
  • 作品「馬追虫(うまおい)の髭(ひげ)のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし」について、「秋はどうやってくるのか。小さな馬追虫の髭のようにという。短歌1400年の歴史の中で最も敏感に秋を詠んだ歌」と絶賛した。
  • 「土」が朝日新聞に連載された当時、校正係に石川啄木がいた事実を「暗示的風景」と指摘。心理描写にこだわった啄木の小説に対し、自然や人々の暮らしを描いたことで「節の小説は今も生きている」とたたえた。
  • この日、市内外から約千人が訪れた。あいさつに立った節のめい長塚知子さん(94)は「外は大粒の雨。節がうれし涙をこらえきれなかったのでしょう」と満員の客席に感謝した。 (松田拓朗)

(2015-02-10 茨城新聞

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2015-02-09

[] 月9ドラマ“高等遊民” 啄木は『無駄話を事業として生活している人』を遊民と呼んだ

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[ツバキ]


月9ドラマで注目される「高等遊民」早くも流行語大賞見えた?

  • 杏と長谷川博己の共演で話題のフジテレビ系の月9ドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」が今クールの連続ドラマで視聴率トップのスタートを切った。恋愛力ゼロの男女のラブコメディーで、超合理主義理系女子を演じる杏に対し、長谷川演じる「自称・高等遊民」が注目を集めている。
  • 高等遊民とは、主に明治から昭和初期に使われ、夏目漱石がボキャブラリーにした言葉だとされる。「大学などの高等教育を受け卒業したのに、経済的に不自由がないため、就職もせず、毎日読書などをして楽しむ人。漱石作品では『それから』の長井代助、『こころ』の先生、川端康成の『雪国』の主人公もそうです。石川啄木は『無駄話を事業として生活している人』を遊民と呼んだ。太宰治は豪農の息子で、リアル高等遊民の最たる人物かもしれないですね」とは某文学研究者だ。
  • 一方、すっかり定着したニートは高学歴とは直接関係がない。高等遊民は裕福なので物欲がなく、出世や金儲けはゲスで、精神性を重要視する。世知辛い現代には貴重な存在だ。ドラマでは母親に寄生する長谷川が「俺はニートじゃなく高等遊民だ」と言うところにコメディーの要素が含まれているが、昨今の社会状況を反映し「流行語大賞になる可能性もある」との声も出ている。

(2015-02-08 東スポ

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2015-02-07

[][] 石川啄木生誕の日 記念講演会 2/20

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[ウメ]


石川啄木記念館 館長講演会 啄木生誕の日」

2月20日の石川啄木の生誕の日を記念して講演会を行います。

 演題 『啄木ふるさと人との交わり』をめぐって

  • 期日 平成27年2月20日(金)14:00〜16:00
  • 会場 渋民公民館 2階大会議室
  • 講師 石川啄木記念館 館長 森 義真
  • 料金 無料
  • お問合せ先 石川啄木記念館

        盛岡市玉山区渋民字渋民9

        電話 019-683-2315

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2015-02-05

[] 土岐善麿は啄木とともに歌壇のホープとして注目された 杉村楚人冠(10)

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[ウメ]


房総の作家  千葉日報

  土岐善麿が入社 杉村楚人冠(10)

  • 幸徳秋水事件は、楚人冠や石川啄木のみならず、多く文学者に影響を与える。
  • 大正になって我孫子に住む柳宗悦志賀直哉や武者小路実篤らが、明治43年2月に『白樺』を創刊するのも、この事件と日韓併合に反発したもの。里見、有島生馬、有島武郎ら学習院出身者が参加した『白樺』は、声楽家の柳兼子も加わり、理想主義・人道主義・個人主義を掲げ、広範囲の芸術活動を展開していく。
  • 明治45年に「歌壇」の石川啄木が、大正5年に文芸欄の夏目漱石が亡くなっている。親しかった社内の文学者が次々と去るなか、大正七年に東京朝日新聞社に入社してくるのが、読売新聞社にいた土岐善麿(1885~1930年)である。
  • 土岐は啄木とともに歌壇のホープとして注目され、啄木死後、遺稿歌集『悲しき玩具』発行に尽力した。楚人冠が12年やっていた調査部部長や兼任の社会部次長を引き継いでいる。
  • 『楚人冠と啄木をめぐる人々』(杉村楚人冠記念館編集)で、土岐の見た楚人冠について土岐の著書『目前心後』の次文を挙げている。

 「人を愛することの深さ、世の不合理を憎むことの強さ、その深さ強さをじっとこらえて、非人情的な無表情をする」(『目前心後』)

  • また楚人冠と親しくした人物として野村胡堂がいる。野村は楚人冠著『最近新聞紙学』(大正4年)を日本で最も整った新聞学と誉めるなど交流のあった人物。啄木の中学の先輩で啄木に影響を与えた。啄木との縁が信頼できる友を巡り合わせたのである。

(2015-02-05 千葉日報)

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[] BS-TBS「僕たちは昭和を生きた」啄木登場か 2/7、2/14

BS-TBS

  • 2015年2月7日(土)<#32> 17時30分〜18時00分

    2月14日(土)<#33> 17時30分〜18時00分

  • 昭和を生きた各界の著名人が、昭和の時代を過ごした思い出の地を歩きながら、青春時代を語る。
  • ゲスト 「日本語学者・金田一秀穂 名門の三代目が苦しんだ青春時代とは…」

今回は、日本語学者の金田一秀穂さんがゲスト。テレビ出演、大学での教鞭、辞書の監修などと多方面にわたり日本語の奥深さを伝えている秀穂さん。おじいさんの京助さん・お父さんの春彦さんともに言語学者という、エリート一家の三代目です。



◎ 祖父の金田一京助さんの話の中に、石川啄木が登場するかも……。

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2015-02-04

[] 津波耐えた石川啄木らの書簡やはがき発見

f:id:takuboku_no_iki:20150204172532j:image:w640

[レモン]


芥川や白蓮の肉筆、津波耐えた 家屋から発見

  • 東日本大震災で被災した宮城県亘理町荒浜の旧家から、森鴎外夏目漱石芥川龍之介ら明治から昭和初期に活躍した文豪のものとみられる生原稿や書簡など約700点が、流失を免れて見つかった。資料は宮城県沖地震の際に偶然発見されていたが、震災で津波をかぶったため、NPOなどが洗浄と修復処理を施した。町教委は、2度の災害を耐え抜いた文豪の肉筆を、14日から初めて一般に公開する。
  • 資料は、旧荒浜村(現亘理町)村長などを務めた江戸清吉氏(1938年没)が収集した。「江戸清吉コレクション」と呼ばれ約2万点あるがこれまで門外不出だった。
  • 生原稿は約300点近くあり、森鴎外の晩年の傑作とされる「北条霞亭」、夏目漱石の「文鳥」、芥川龍之介の「僕の友だち二三人」、与謝野晶子の随筆「一年草」などとみられている。
  • 書簡やはがきは400点余りあった。島崎藤村正岡子規石川啄木らの名が確認でき、江戸氏が所蔵品の真偽を直接問い合わせた斎藤茂吉からの返信もあった。
  • 一般公開はJR亘理駅東口の悠里館内、町郷土資料館で。3月29日まで。月曜祝日休館。連絡先は0223(34)8701。

(2015-02-04 河北新報

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2015-02-03

[] 援助惜しまなかった啄木の義弟 宮崎郁雨 --新潟日報--

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[アセビ]


文化の記憶 先人のふるさと (44)

  「才に心酔 援助惜しまず」

  歌人 石川啄木の義弟 宮崎郁雨(1885〜1962)

  • 「函館なる郁雨宮崎大四郎君 同国の友文学士花明金田一京助君 この集を両君に捧ぐ」
  • 石川啄木の歌集「一握の砂」は、巻頭の献辞にあるように、親友で義弟の宮崎郁雨に捧げられた。函館の文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」で1歳年下の啄木に出会い、才気に心酔した郁雨は、多くの手紙をやりとりし、互いの心中を最も知る友として、貧しさにあえいだ啄木とその妻節子への経済的、精神的な援助を惜しまなかった。
  • 郁雨は、北蒲原郡荒川村(現新発田市荒川)に生まれ、4歳までを過ごした。郁雨は恵まれない人に尽くすことを喜びとする祖父や父譲りの気質を持っていた。
  • 日本近代文学会会員の塩浦彰さんは「越後人らしい郁雨の慈悲の心は啄木一家に注がれ、啄木の才能を開花させた」と功績を語る。国際啄木学会理事の山下多恵子さんは「小児のように奔放な啄木にとって、忍耐強くおおらかで誠実な郁雨は、自分のすべてを受け入れてくれる存在だった」という。
  • 郁雨と啄木。美しく尊い2人の友情は、深い共感を伴いながらこれからも語り継がれることだろう。

(2015-01-19 新潟日報

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[] 「あなたが知らない啄木」“地域研究”発表

専門学校生が“地域研究”発表
(岩手県)

  • 盛岡市にある上野法律ビジネス専門学校の学生たちが取り組んできた「地域研究」の発表会が、開かれた。この専門学校は、「地域研究」の授業の一環として盛岡の魅力を若者の力で発信していこうと、グループごとに現地調査を行っていた。
  • 31日は「あなたが知らない啄木」や「6次産業化支援」等9テーマについて、学生生活の集大成ともいえる研究成果を発表した。

(2015-01-31 テレビ岩手)

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2015-02-02

[] 啄木「一握の砂」に「思うに任せぬこと」を感じた

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[ヒマラヤスギ]


< 私が出会った詩 >

 借金暮らしの石川啄木「一握の砂」に「思うに任せぬこと」を感じた

  細見和之さん語る(昨年10月に大阪文学学校の第3代校長に就任した詩人)

  • 「もう何書いたらいいのよお?」 夏休みの読書感想文の宿題のときなどに、小学校に通う私の娘が困惑して私に問いかけてくることがある。「素直に思ったとおりのことを書けばいいよ」−澄ました顔をして、私はそう答えている。
  • けれども、じつは子どものころ私は国語がけっして得意ではなかった。とくに読書感想文というのが大の苦手で、原稿用紙を前にして、いったい何を書けばいいのか、さっぱり頭に思い浮かばなかった。
  • ようやく「これは何か言えるかな」と自分で思えたのは、高校1年か2年のときだった。国語の教科書に石川啄木の短歌が掲載されていたのだ。

  いのちなき砂のかなしさよ

  さらさらと

  握れば指のあひだより落つ

  • 啄木の歌集『一握の砂』のなかの、とても有名な歌だ。借金を重ねた啄木の貧乏暮らしのことなど、そのころの私は何一つ知らなかった。しかし、さらさらと指のあいだから落ちてゆく砂を見つめている啄木というひとは、きっと思うに任せぬことがあったのだろうと感じた。したいこと、やりたいことを胸一杯に抱えていても、まわりの事情がそれを許してくれないのに違いない…。
  • 高校生の私にたいした志があったのでもないだろうに、そういうことを表現していると感じたのだった。分かるという初めての体験。おっかない国語の先生の授業なのに、わざわざ手をあげたのを覚えている。

(2015-01-31 産経ニュース)

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[][] 歌人・石川啄木の生涯振り返る 岡山 2/1~3/15

岡山・吉兆庵美術館で企画展

  • 岡山市北区幸町の吉兆庵美術館で1日、企画展「石川啄木展−心に響く歌」が始まった。3月15日まで。
  • 著名な作家や詩人など文化人の生誕月に合わせて、昨年3月から1年間行ってきた企画展の最終回。今回は歌集「一握の砂」などで知られる歌人石川啄木(1886―1912年)の26年間の生涯を、石川啄木記念館(盛岡市)が所蔵する詩集や歌集、啄木が知人に送った手紙、愛用品など約40点を通じて振り返る内容。
  • 問い合わせは同美術館(086-364-1005)。

(2015-02-01 山陽新聞

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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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