石川啄木の「東海の小島の磯の白砂」
- 明治43年(1910年)12月1日、東雲堂書店より「一握の砂(いちあくのすな)」が刊行されています。石川啄木の第一歌集です。「一握の砂」の巻頭歌が「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる」です。一部が書名になった「頬につたう なみだのごはず 一握の 砂を示しし 人を忘れず」よりも先に掲載された「東海の…」の歌は、石川啄木の自信作であり、代表作といえます。
- 貧困のため一家離散となった石川啄木が妹光子をつれ、「陸奥丸(890トン)」で北海道に渡ったのは、明治40年5月5日のことです。海峡に入る平舘沖では風がやや強かったこと、気温も15度以下で肌寒かったこと雨がときおり降ってもおかしくない天気であったことなど、啄木の日誌の記述を裏付けています。((航海記録)表の出典:饒村曜(2010)、海洋気象台と神戸コレクション、成山堂書店)
- 我は世界に家なき浪々の逸民たり。五時前目をさましぬ。船はすでに青森をあとにして湾口に進みつつあり。風寒く雨さへ時々降り来れり。海峡に進み入れば、波立ち騒ぎて船客多く酔ひつ。光子もいたく青ざめて幾度となく嘔吐を催しぬ…。(出典:石川啄木の明治四十丁未歳日誌にある明治40年5月5日の記述)
- 石川啄木の日誌は、その時のできごとを正確に表現していることの、間接的な証明となっています。
- 石川啄木が乗った「陸奥丸」は、明治10年にイギリスで作られた船です。「陸奥丸」は、明治41年3月23日に北海道恵山岬灯台付近で「秀吉丸(700トン) 」と衝突・沈没し、乗員・乗客200名以上が行方不明となるのですが、その少し前までの海上気象観測10年分が残されています。(神戸コレクション)《饒村曜 | 気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師》
(2015-12-01 YAHOO!ニュース)
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