啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2016-03-31

[][] 天才の生涯をたどる評伝『石川啄木

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[ホワイトサローワトル]


評伝「石川啄木」 

 ドナルド・キーンさんが夭折歌人の現代性を浮かび上がらせる

孤独と貧困にあえいだ現実生活を 3 行書きの短歌でうたった石川啄木(1886〜1912年)。日本文学研究者のドナルド・キーンさんが、この夭折(ようせつ)の天才の生涯をたどる評伝『石川啄木』(角地幸男訳、新潮社)を出した。日記や手紙など膨大な資料をもとに、今年生誕130年を迎えた啄木の現代性を浮かび上がらせる。(海老沢類)

  • キーンさんは約70年前に英訳で啄木を知り、初めて日本語で書いた論文の題材にも選んでいる。「深い関心が続きました。すべての歌が面白いとは言えないけれど、いいものを選んだら100かそれ以上。彼の現代的な面をますます感じるようになったのです」
  • 「大体において日本で和歌は美しいもの。啄木は非常に醜いもの、恥ずかしいもの…あらゆるものを書いた。私たちに近い印象がある。読んでびっくりすることがあります」
  • 「矛盾が非常に多い。それも現代人の特徴です」。友人への評や自らの私娼窟通いなどをローマ字で赤裸々につづった『ローマ字日記』にも謎がある。啄木は妻が読めないようにローマ字を使ったと告白し、自分が死んだら日記を焼くように友人に頼んでいた。本心だったのか? キーンさんは北海道・函館の図書館に保管された自筆原稿に何度も目を通した。
  • 「非常にきれいな字で、紙は普通のじゃない(上質なもの)です。彼は発表したかったに違いない。私の想像では彼は 2 回書いた。もともとの日記があって誤りのないようにもう一度、きれいに、いい紙に書いたのです。そういう人に燃やす意志はない」。「彼は本当は小説を一番書きたかった。彼の日記は一種の小説と考えられると思います」
  • 「一時のように若い人が啄木を読んでくれたら、私がやったことには意味があったと思います」

(2016-03-30 産経ニュース)

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[][] 読書日記:著者のことば ドナルド・キーンさん

石川啄木』 (新潮社・2376円)

  • 私が愛蔵する古い文芸誌のひとつに、「石川啄木読本」と銘打つ「文藝(ぶんげい)」臨時増刊号がある。髪をきれいに七三に分けた歌人の肖像を表紙画に用いたそれは、昭和30(1955)年に発行されており、高名な作家や評論家らが文章を寄せている。 その中でひときわ目立つのが、 当時、京大留学生だった若き著者の論文「啄木の日記と藝術」であった。
  • ローマ字日記」に接した著者は、啄木が日々の出来事を記録するだけでなく<自分の 創造力と藝術を日記に注ぎ、日記自体を立派な創作とした>点に着目した。
  • 先行研究書が2000冊はくだらない中、独自色をどう出すか。念頭にあったのは、「啄木は最初の現代日本人」という留学時代に聞いた哲学者、高坂(こうさか)正顕の言葉であった。
  • 啄木は、友に向けた罵詈(ばり)雑言、妻に対する背信行為……己の性情を包み隠さずにつづった。「汚いところ、恥ずかしいところも見せて、自分はこういう人間だと。その意味で、まさに最初の“現代人”なのです」。本書では、著者が「現代的」に感じた詩歌の英訳も載せており、原文とは異なる味わいも堪能できる。<中澤雄大>

(2016-03-30 毎日新聞)

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[] 石川啄木ゆかりの特製メニュー 仙台文学館の食堂閉店

仙台文学館>母あっての店…名物食堂閉店へ

  • 文学者ゆかりの料理を提供することで知られた仙台文学館仙台市青葉区)の名物レストラン「杜の小径(こみち)」が 4 月10日で閉店する。1999年の開店以来、切り盛りしていた店長三山タエ子さんが昨年 6 月に亡くなった後、長女の星経子さんが引き継いだが、「母あっての店で、代わりはできないと痛感した」と店を閉じる道を選んだ。
  • 店は文学館開館と同時にオープン。翌年から同館の特別展で紹介する文学者の好物やゆかりの地の名物、作品中に登場する料理などを参考に会期中に特別メニューを提供してきた。最初に考案した石川啄木ゆかりの特製はっとは、定番メニューとして今も残る。

(2016-03-30 河北新報

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2016-03-30

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑬ 山)

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[ユキヤナギ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑬ 山

  信仰心と望郷の思い

 ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな

  • 「一握の砂」に収められているこの短歌は、盛岡駅前をはじめ多くの碑に刻まれている。啄木は渋民村の情景を、小説「鳥影」では「男神の如き岩手山と、名も姿も優しき姫神山」、小説「雲は天才である」中で「雲をいただく岩手山/名さへ優しき姫神の/山の間を流れゆく/千古の水の北上に」などと表現している。
  • 「石をもて追はるるごとく」故郷を離れた啄木の脳裏に、ふるさとの山が「ありがたき」存在として浮かんだのはなぜだったのか。詩人草壁焔太さんは著書「石川啄木『天才』の自己形成」で「この詩人は無信仰であったが、あえて探せば、岩手山に信仰心に近いものをもっていた。(中略)敗北しても挫折しても、自己を失うまいとした啄木の不屈で果敢な姿勢は、心のうちの岩手山の雄姿と無関係ではなかったであろう」とその存在の重要性を指摘する。
  • その岩手山に啄木が登ったことをはっきりと示す資料はない。しかし、登山したのではないかと思わせるような記述が残っている。1902(明治35)年11月2日の日記に記された短歌に「岩を踏みて天の装ひ地のひゞき朝の光の陸奥(ミチノク)を見る。」の後に(岩手山に登る)とある。石川啄木記念館の森義真館長は「このような歌を詠むということは、盛岡中学時代に岩手山に登ったことがあったのではないか」と推察する。

 かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川

  • 歌誌「りとむ」発行人で日本歌人クラブ会長の歌人三枝昻之(さいぐさ たかゆき)さんは「『渋民村』という地名は入っているが、山や川には具体名が入っていない。それゆえに、それぞれが自分の故郷の山や川を思い浮かべられる。万人に受け入れられる親しみやすさにつながっている」と紹介する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-03-30 岩手日報

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2016-03-29

[] 石川啄木「最後の一首」を復元した…→ tankaful

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[ハナモモ]


〇 啄木関連のページ紹介

「tankaful.net」 月の回覧板 2016-1

 機械学習石川啄木の未完の短歌を完成させる」

  • イントロダクション
    • 石川啄木の短歌に含まれる単語を意味ごとに分類し特徴量化
    • 特徴化された短歌をナイーブベイズで学習し分類器に
    • 完成した分類器をマルコフ連鎖で生成した短歌に適用し、最も「石川啄木らしい」短歌を 選択する

 啄木「最後の一首」を復元

未完成の一首「大跨に緣側を歩けば」

欠損しているの は五・七・七のわずかに 19 音です。啄木がここに何を記したかったのか、何を詠みたかったのか。 わずか 19 音なら復元できる気がしませんか ? 今回は機械学習などの技術を駆使してこの 19 音を復元する試みを記します。


  • 結果と講評
    • 厳正なる審査の結果、機械学習の力を借りて現代に蘇った石川啄木の最後の一首、その内容はこちらに決定しました……。

(下記のPDF版にあります。一位にならなかった歌も 100 個抽出されています)

  • あとがき
    • この手法でどこまで短歌らしい文章が作れるかはまったくの未知数でしたが、想像以上に「短歌っぽい」ものができて驚いています。

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2016-03-28

[] 「啄木が過ごした北海道との交流を深める好機」新函館北斗駅から盛岡駅

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[サンシュユ]


遊びに「行くよ」「来てね」 北海道と岩手身近に

  • 盛岡市盛岡駅は 26 日、新函館北斗駅から乗車し、観光や帰省のため本県を訪れた人々らでにぎわった。本県関係者は上下一番列車の乗降客を記念しおりや横断幕で歓迎。フォトスポットも設置され、祝福ムードに包まれた。
  • 新函館北斗と盛岡の両駅間は最短 1 時間 50 分で結ばれ、観光関係者らの注目度は高い。一関市東山町のげいび観光センターの鈴木真社長は「減っていた北海道からの教育旅行が回復するきっかけになればいい」と願う。盛岡市玉山区渋民の石川啄木記念館の森義真館長は「啄木が約 1 年間を過ごした北海道との交流を深める好機。9 月開幕の企画展『啄木と北海道』などを通じ、入館者を増やしたい」と語る。

(2016-03-27 岩手日報

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[] 石川啄木の歌集「一握の砂」に…

「余禄」 -毎日新聞-

  • 石川啄木の歌集「一握(いちあく)の砂」にこんな作品がある。〈とかくして家を出(い)づれば/日光のあたたかさあり/息ふかく吸ふ〉。悲しく暗いイメージがついて回る啄木だが、日の光を浴びた時に全身で感じた気持ちが伝わってくる。
  • 東京の夜間中学に通う一人の女子生徒が気に入った歌がそれだった。1980年代、教員の見城慶和(けんじょうよしかず)さんが教えた生徒だ。自分に自信が持てない。中学校で不登校になった。彼女は国語が得意だった。啄木の歌を基に「いまの気持ちを書いてみたら」と勧めた。彼女はこう詠んだ。〈あたたかき光を浴びて/かがやける菜の花畑を/渡るそよ風〉。
  • 不登校の時は春が来て桜や菜の花が咲いても楽しくない。それが、春の風を気持ちいいと感じられるようになったのだ。見城先生は「ああ、この子はもう大丈夫なんだ」と思ったという。
  • あの女子生徒は高校に進み、皆勤で卒業した。見城先生に送った手紙にはこうあったという。「もう後ろを振り向かなくても、自分らしく生きていけます」。もうすぐ新学期が始まる。春風の中、息を深く吸う。学校はそんな場所であってほしい。

(2016-03-28 毎日新聞)

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[] 文学を志して上京した石川啄木は故郷への思いを歌に…

「春秋」 -西日本新聞-

  • 文学を志して上京した石川啄木は故郷・岩手への断ち難い思いを歌にした。〈ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく〉。「停車場」は東京と東北を結ぶ列車が発着した上野駅。苦しい生活の中で古里が恋しくてたまらなくなったとき、駅を往来する同郷の人たちの言葉を聞くために上野に足を運んだのだろう。
  • 今どきは「故郷」を感じさせる風物に駅の発着メロディーを加えてもいいかもしれない。山陽新幹線の小倉、博多などの駅で、ゴダイゴのヒット曲「銀河鉄道999」が発車メロディーに採用された。原作者の松本零士さんは北九州市の高校を卒業し上京した。
  • 「999」といえば、〈さあ行くんだ その顔を上げて〉の歌詞に励まされた。若者たちが故郷を離れて旅立つ春だ。〈ふるさとの調べなつかし停車場の発車メロディーに背を押され行く〉。

(2016-03-28 西日本新聞朝刊)

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2016-03-26

[] 待望の新幹線 ビジネスより観光〈船に酔ひてやさしくなれる…〉啄木

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[青森の海を臨む 石川啄木歌碑]


天声人語  -朝日新聞-

  • 明治40年5月、21歳の石川啄木は妹を伴って津軽海峡を渡った。故郷での騒動で白眼視され、「石をもて追はるるごとく」ふるさとをのがれて、北海道に新天地を求めた。青森市内の公園に歌碑が立つ。〈船に酔ひてやさしくなれる/いもうとの眼(め)見ゆ/津軽の海を思へば〉。
  • いまは「こどもの日」の5日に函館の地を踏んだ。その函館へ、待望の新幹線が延びる。〈ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく〉。啄木の歌碑のある上野駅をへて東京から約860キロは、きょうから4時間2分にまで縮まる。
  • ビジネスより観光需要に期待する声もある。15年後には札幌まで至る計画という。そこには啄木の〈石狩の都の外の/君が家/林檎(りんご)の花の散りてやあらむ〉という叙情ゆたかな歌碑が立つ。北への憧れをかき立てて、旅情で売る新幹線。それもいい。

(2016-03-26 朝日新聞)

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[][] 啄木忌法要 宝徳寺

第105回 啄木忌法要

  • 宝徳寺 岩手県盛岡市玉山区渋民渋民2−1
  • 2016年4月13日(水)

石川啄木の命日にあたり、啄木ゆかりの寺「宝徳寺」で法要が行なわれます。


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2016-03-25

[] 明治の文学作品中 一番感動したのは啄木日記 キーンさん

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[河津桜]


啄木の面白い歌 読まれぬ悲しさ -本よみうり堂<読売新聞-

  • 〈いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ〉松林と白砂で知られた三陸の名勝・高田松原(岩手県陸前高田市)には、かつて旅行でこの地方を訪れた石川啄木の歌碑があった。それはチリ地震津波(1960年)と東日本大震災による津波で2度にわたり流された。たった1本流失を免れた「奇跡の一本松」の近くに3年前、歌碑が再建された。〈頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず〉
  • 大震災のあった2011年、「日本国民と共に何かをしよう」と決意し、日本国籍を取得した日本文化研究者ドナルド・キーンさん(93)は啄木を愛し、〈明治時代の文学作品中、私が読んだかぎり、私を一番感動させるのは、ほかならぬ石川啄木の日記である〉と記した。
  • 新刊の評伝『石川啄木』(新潮社)の刊行を機に記者会見したキーンさんは「醜いもの、恥ずかしいものも書いた啄木は、矛盾も多く、まさに現代人。今読んでも面白く、いい歌も多い」と語った。一転、〈三十年前に比べて、今や啄木はあまり読まれていない〉。背景として〈テレビなどの簡単に楽しめる娯楽が、本に取って代わった〉ことをあげる。
  • 〈高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終るすべなきか 啄木〉大きな満足を求める知的冒険は努力を要する。が、それは抜群に楽しいはずである。(編集委員 鵜飼哲夫)

(2016-03-25 読売新聞)

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2016-03-23

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑫ 識者に聞く)

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[ソテツ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑫ 識者に聞く  前国際啄木学会会長・望月善次さん

  友を引き付ける魅力

石川啄木は、家族や恩師、友人らとどのように関わったのか。女性観とは―。望月善次さんに聞いた。

  • 〈両親が啄木に与えた影響〉「初めての男の子で、両親、特に母親は溺愛した。カツ(母)は、一禎(父)が宝徳寺の住職を罷免された後、夫につかずに啄木について回る。啄木は生活が困窮したが、その苦悩から作品も生まれた」
  • 〈姉妹との関係〉「長姉サタは母親代わりのような存在。次姉トラが働かない一禎を引き取り終生面倒をみたことは、石川家にとって大きい。妹光子とは最も親しくした」。妹光子は啄木の死後、啄木の妻節子と親友の宮崎郁雨が男女関係にあったと主張した。「この事件の真相は今も分からない。研究者間では議論が続いているが、2人がプラトニックな関係だったということは間違いないのではないか」
  • 〈師の指導〉「文学面で最も面倒を見たのは与謝野鉄幹。鉄幹なかりせば啄木はいなかった」
  • 〈友人に恵まれた〉「文学的な才能に加え、社交的、前向きな性格や巧みな話術から、多くの人が啄木と友達になりたがった。金田一京助は、家族がアンチ啄木なのに揺るぐことなく終生支持した。啄木は友人を引き付けてやまない魅力があったのだろう」
  • 〈啄木の女性観〉「明治時代には珍しく、女性を尊重する気持ちを持っていた。自立した女性が好きで『大逆事件』の菅野すがのことも評価している」。『ローマ字日記』には春を買ったことも書いている。「明治はまだ『お妾さん』がいる時代。当時のほかの文学者に比べればかわいいものだ。意外と真面目だったと言える」
  • 〈女性たちが啄木に与えた影響〉「啄木はルックスがよく社交的。モテた。ただ、弱点は失恋経験がなかったこと。例外が節子の家出で、その後の啄木の文学、人生を大きく変えた」

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-03-23 岩手日報

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2016-03-22

[] 石川啄木終焉の地 歌碑・顕彰室 1年

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[ハクモクレン]


首都と県都に生きる歌人 東京・文京区 岩手・盛岡市

 啄木の顕彰に協力 終焉の地歌碑や展示室

  • 盛岡市と東京都文京区は、石川啄木の縁で地域文化交流に関する協定を結び、それぞれが歌人を顕彰している。昨年3月22日には同区小石川5丁目に石川啄木終焉(えん)の地歌碑が建立、顕彰室が開設された。1年後の今年は生誕130年を迎え、訪れる人が増えている。顕彰室には盛岡市や啄木記念館が協力し、直筆原稿(複製)などを展示。生没の地が手を結び、啄木の歌を今に伝える。
  • 現地にはもとは東京都旧跡石川啄木終焉の地の石柱が建っていたが、再開発に伴い撤去され、啄木ファンや住民を寂しがらせていた。昨年3月22日、歌碑を建立してよすがとし、「悲しき玩具」冒頭の二首を記した。
  • 文京区アカデミー推進課観光担当の諸久子主査は「文京区は東大はじめ大学が19ある文化と教育の区であり、名前に文が付く文学の都。森鴎外夏目漱石はもとより、啄木、樋口一葉坪内逍遙が住み、宮沢賢治の旧居跡もある」と話す。文壇の奥座敷として都心部にあり、多くの名作の舞台となってきた。
  • 盛岡市とは区市の共催で啄木学級文の京講座を開くなど、文化や観光で協力してきた。盛岡市教委歴史文化課の岡聰学芸主査は「東京との間に築いた協力の間柄を続けながら、お互いに啄木を顕彰していきたい」と話し、新渡戸稲造宮沢賢治も含めた縁を大切にしている。

(2016-03-22 盛岡タイムス)

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2016-03-19

[] 「うたふごと駅の名呼びし柔和なる 若き駅夫の眼をも忘れず」石川啄木

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[コウジシ(紅獅子)]


河北春秋 -河北新報-

  • 望郷の歌人、石川啄木には駅にまつわる歌が多い。駅名のアナウンスがホームに響く。< うたふごと駅の名呼びし柔和なる 若き駅夫の眼をも忘れず >。岩手から上京する青年の目に仙台の街はどう映ったか。
  • 駅の東西自由通路がきのう、新たに拡幅され、併せて大型商業施設もオープンした。青葉通やアーケード街に向かう西口を表玄関と呼ぶとすれば、人通りの少なかった面影は昔日のごとく。
  • ゆったり腰を下ろして、時を過ごせる所がもっとあっていい。苦言はこれぐらいにして、便利になったものと見上げていたら、年配の女性が見事な仙台弁で「あらー、美しぐなったごと」。少しほっとした。< ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく >。

(2016-03-19 河北新報

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2016-03-17

[] いわて花巻空港 石川啄木宮沢賢治らを紹介するパネル設置  

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[レンギョウ]


いわて花巻空港 国際化の玄関口を充実

  • 花巻市いわて花巻空港のターミナルビルは増改築工事が完了し、4月1日の供用開始を予定している。国際チャーター便運航時の施設内混雑の解消、利用者の利便性向上のため、旅客搭乗橋の増築や待合室を拡張したほか、消費税免税店スペースを確保。同空港における国際チャーター便は定期を含めて増加傾向にある。今回の増改築により、さらなるチャーター便の増加や定期便化へ期待が高まる。
  • 16日、報道機関向けの内覧会が行われた。総事業費は約12億円。国際線の搭乗待合室を改修して確保した免税店スペースは、出発便の乗客が利用する。
  • 同ビルの増改築と合わせ、本県の偉人や文化などをアピールするパネル、バナーを設置した。1階到着ロビーには後藤新平新渡戸稲造、三田定則、石川啄木宮沢賢治の5人を紹介するパネルを置き、日、英、中、韓の4カ国語で功績を紹介。国際線の手荷物受取所には、さんさ踊りやわんこそばなど岩手の文化を紹介する「食祭湯観」バナーを張り、外国人観光客を歓迎する。

(2016-03-17 盛岡タイムス)

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2016-03-16

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑪ 女性(下))

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[どのはな みても きれいだな]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑪ 女性(下)

  北海道の思い出深く

  • 啄木は第1歌集「一握の砂」の「忘れがたき人人 二」全22首で、函館・弥生尋常小学校時代の同僚、橘智恵子(1889〜1922)を詠んでいる。啄木は智恵子について日記に「真直に立てる鹿ノ子百合なるべし」「あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!」などと記している。
  • 「若々しく清らかで優しい智恵子は、啄木の心が求めた理想の女性だったのではないか」と語るのは国際啄木学会理事の山下多恵子さん。「わかれ来て年を重ねて/年ごとに恋しくなれる/君にしあるかな」など、智恵子を詠んだ歌からは親密な雰囲気が漂うが、2人が親しく会話したのはわずか2度だった。
  • その後は何回か手紙をやりとりするのみの関係だったが、啄木は東京時代にも智恵子との思い出をつづっている。山下さんは「啄木は上京後、不安と焦燥の中で死さえ思う日々、ひととき智恵子を思い浮かべることで、精神的なバランスを保っていたのだろう」と想像する。
  • 一方、1908(明治41)年に釧路で出会った小奴(17歳、料亭の芸妓)を詠んだ歌は「小奴といひし女の/やはらかき/耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり」など。深い関係をにおわせる。
  • ほかにも啄木は菅原芳子や、植木貞子、手紙に同封された偽の写真を見て「驚いた。仲々の美人だ!」と胸をときめかせたが、本当は男だった平山良子(本名・良太郎)もいた。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-03-16 岩手日報

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2016-03-15

[] 「地雷ではなく花をください」

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「地雷ではなく花をください」

「続・地雷ではなく花をください」

「続々・地雷ではなく花をください」



かけがえのない地球をつくりましょう

 かけがえのない地球を残すため

  地雷ではなく 花をください

  地雷ではなく 花をください


Let's make the only one Earth a better place

 To leave it better for the future

  Give me not mines but flowers !

  Give me not mines but flowers !



この本の舞台となったボスニアヘルツェゴビナは、1992年に74年の歴史を閉じたユーゴスラビアという国の一部だった。


ボスニアヘルツェゴビナ紛争は1995年に終結したが、旧ユーゴスラビアには、600万個もの地雷が埋められた。


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2016-03-14

[][] 「啄木忌前夜祭」 4/12

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[ヒサカキ]


「第12回 啄木忌前夜祭」 国際啄木学会盛岡支部

  • 日時 2016年4月12日(火)18:00〜20:30
  • 場所 盛岡市市民文化ホール 小ホール(マリオス地下一階 :盛岡駅西通2-9-1)
  • 内容

 〇第1部 パネルディスカッション「小中高大生は啄木をどう読むか」

  コーディネーター 崔 華月(国際啄木学会会員・岩手大学外国語専門職員)

  パネリスト 盛岡市渋民小6年・盛岡市下橋中3年・岩手県立盛岡第三高校3年・盛岡大学4年

       望月善次(岩手大学名誉教授)

 〇第2部 啄木を歌う

    工藤 和子(声楽家・雅声会会員)

    小笠原 宜子(ピアニスト)

 〇第3部 講演「― 先輩 啄木 ―」

    南雲 隆(朝日新聞盛岡総局長)

  • 入場料 無料

 ・主催 国際啄木学会盛岡支部


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2016-03-13

[] 三陸の海《 海が見たくて海に来ぬこころ傷みてたへがたき日に 》『一握の砂』

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[ミツマタ]


産経抄 -産経新聞-

  • 岩手県出身の石川啄木は盛岡中学3年の夏、級友と連れ立ち三陸沿岸の旅に出た。陸前高田、大船渡などを経て釜石に至り、しばしわらじを脱いでいる。明治29(1896)年の三陸地震による大津波が沿岸部を洗ってから、わずか4年後という。
  • 釜石の市街地に歌碑がある。〈ゆゑもなく海が見たくて海に来ぬこころ傷みてたへがたき日に〉。『一握の砂』に収まるこの歌は、旅の10年後に東京の空の下で詠まれた。人々を裏切り、多くの命をのみ込み、なお人の心を捉えて離さないのが三陸の海なのだろう。
  • 1千人超の死者・行方不明者を出し、一方で震災時に小中学校にいた児童生徒から犠牲者を出さなかった「釜石の奇跡」がある。あの震災が教えるものは、万能の防災策などないということだろう。ひたすら逃げろ。海に言葉があるなら、そう答えそうな気がする。

(2016-03-13 産経新聞)

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[][] 「石川啄木の短歌作品」連続講座 大阪 4/6〜5/18

〇2016年4月・5月講座

文芸講座 「明治の名作文学を読む」 (連続6回講座)4/6〜5/18

 今回は森鴎外の青春小説「舞姫」と石川啄木の短歌作品。

 2つのテーマをじっくりと読み解きます。

  • 日時 4月6日・13日・20日・27日 5月11日・18日(いずれも水曜日)13:15 〜 15:15

   ※連続講座ですので、日程をご確認の上、お申込み下さい。

  • 場所 吹田市立亥の子谷コミュニティセンター 3階 会議室
  • 講師 川内 通生さん
  • 参加費 1200円(6回分)
  • 申込み 往復はがき
    • 亥の子谷コミュニティセンター 大阪府吹田市山田西1-26-20  TEL:06−6878−3155

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2016-03-11

[] 啄をかみしめて若者を見送りたい 山口新聞

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[カンヒザクラ]


四季風 -山口新聞-

  • 「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の…」。石川啄木の歌集『一握の砂』に収められる歌のいくつかは、多くの人が胸に刻み込み、ふっと口ずさんだ経験をお持ちだろう。26歳で生涯を閉じた啄木の本名は石川一(はじめ)。ペンネーム啄木の意味をご存じの方、特に漢字通の方なら常識だろうが、野鳥キツツキは「啄木鳥」の字が当てられる。
  • 「啄」とは抱卵中の親鳥が卵の外から殻をコンコンとつつくこと。逆に、中のヒナが今まさに外に出ようと殻を内からコツコツつつくのを「そつ(口へんに卒)」という。機を得て両者が応じ合う得難い好機、という意味の四字熟語「そっ啄(たく)同時」はここから生まれた。親鳥が啄を一瞬でも誤ればヒナの命は危なくなる。ヒナの“そつ”もしかり。早くても遅くてもいけないのだ。
  • 別れの季節。進学や就職で家、故郷を離れる若者も多い。彼らが「ふるさとの山に向かひて言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」といつか言えるよう、まさに今、啄をかみしめて見送りたい。(佐)

(2016-03-11 山口新聞)

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2016-03-10

[][] 「生誕130年 啄木と紫波の人々」紫波町図書館 3/23

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[トサミズキ]


*「夜のとしょかん」第6夜

「生誕130年 啄木と紫波の人々」

飲みもの持ち込み、おしゃべり自由。日中いそがしいあなたと“わくわく”をシェアするイベント。   

  • 日時 2016年3月23(水) 19:30〜20:45

     (19:00閉館後、19:25頃から開場します)

  • 場所 紫波町図書館 一般フロア
  • お題 「生誕130年 啄木と紫波の人々」
  • ゲストスピーカー:森義真氏(石川啄木記念館長)・山田武秋氏(桜出版代表取締役)
  • 申込不要

紫波町図書館

 〒028-3318 岩手県紫波郡紫波町紫波中央駅前2丁目3-3 オガールプラザ中央棟1F

 TEL 019-671-3746

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紫波町図書館

野村胡堂生誕130年(2012年・平成24)に、胡堂文庫から独立して紫波町図書館が開館した。紫波中央駅(JR東北本線)前「オガール・プロジェクト」(オガール=成長する、という意味の方言)の重要施設と位置づけられている。

紫波町図書館トップページ


〇「文化をつなぐ!まちの出版社」

一般企画展示

  • 展示期間 2016/2/27(土)〜 2016/3/30(水)
  • 展示場所 一般書フロア

地域に根づいた本を作っている出版社にスポットを当て、各社の紹介やおすすめの本を展示します。

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[] 「啄木 その非凡な生涯」 キーンさん啄木を語る

ドナルド・キーンさんが評伝

 「啄木 その非凡な生涯」独自の視点で迫る

  • 日本文学研究者のドナルド・キーンさん(米コロンビア大名誉教授)は、評伝「石川啄木」(新潮社)を出版した。約70年前に英訳を読み、最初の日本語での論文のテーマでもあった啄木。長年深い関心を抱き続けた「最初の現代日本人」の生涯を、独自の視点でまとめ上げた。キーンさんは「この本を読んで若い人が啄木を読んでくれたら」と期待する。
  • 「啄木の詩歌は時に難解だが、啄木の歌、啄木の批評、そして啄木の日記を読むことは、単なる暇つぶしとは違う。これらの作品が我々の前に描き出して見せるのは一人の非凡な人物で、時に破廉恥ではあっても常に我々を夢中にさせ、ついには我々にとって忘れ難い人物となる」。最終章の終わりで、キーンさんは啄木への思いをつづった。
  • 人間啄木については「ほかの人が知らないことをいろいろ知っている、面白い人。酒を飲みながら話すことは楽しいと思う」としながらも「友達にはなれないと思う。でも、頼まれたらお金は貸したでしょう」と笑う。

(2016-03-08 岩手日報

石川啄木 ドナルド・キーン/著  角地幸男/訳

  • 新潮社 2200+税  発売 2016年2月

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2016-03-09

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑩ 女性(上))

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[サンシュユ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑩ 女性(上)

  文学観変えた妻節子

  • 「吾れはあく迄愛の永遠性なると言ふ事を信じ度候」。これは、啄木が結婚式に来ないことから節子に同情し、別れを勧める啄木の友人に宛て、妻節子が書いた手紙の一文だ。2人は深い絆で結ばれ、婚約にこぎ着けるが、1905(明治38)年5月、盛岡で行われた結婚式に、新郎啄木は現れなかった。
  • 結婚式欠席は、前年に啄木の父一禎が宝徳寺の住職を罷免されていたことが関係する、と国際啄木学会理事の山下多恵子さんは指摘する。「啄木は、結婚式がこれからの厳しい人生の象徴のように思われ、向き合うことが怖かったのだろう。一方、啄木が天才だということを信じて節子は、たじろがなかったのではないか」と想像する。
  • 啄木は北海道を漂泊した後、文学で身を立てようと函館に家族を残して単身東京へと行った。翌1909年、節子らは上京する。この頃、節子が妹へと送った手紙には「東京はまつたくいやだ(中略)お前は幸福な女だ!私は不幸な女だ!」と書かれており、苦悩がにじむ。そして啄木の母カツとの不仲や病苦などから、ついに節子は長女京子を連れて家出する。
  • 啄木が「我ならぬ我」、つまり「もう一人の自分」と呼んだ節子の家出は、啄木の文学観も大きく変える。節子が戻った後には、地に足を付けてしっかりと生活をした上で文学に取り組む姿勢を打ち出した。苦労を掛け続けた節子に対し、啄木は死ぬ間際「お前には気の毒だった」と言ったという。
  • 山下さんは「啄木の人生と文学にとって、節子はなくてはならない人だった」と強調する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-03-09 岩手日報

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2016-03-08

[] 啄木が「ありがたき」と詠んだふるさとの山が…

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[スズカケと東京スカイツリー]


春の星こんなに人が死んだのか -熊本日日新聞-

  • 夏目漱石が熊本に来て今年は120年ですが、同じ年の1896(明治29)年には岩手県で詩人・宮沢賢治が生まれています。賢治が生まれた年には、2万人以上が犠牲になった明治三陸地震が起き、37歳で亡くなる1933(昭和8)年には約3000人が犠牲になった昭和三陸地震が起きています。賢治は東北の二つの大地震の間を生きたことになります。
  • <ふるさとの山に向ひて言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな> 歌人・石川啄木が岩手県に生まれたのが1886(明治19)年で、今年は生誕130年。啄木は1912(明治45)年に26歳で亡くなっていますが、明治三陸地震の時は9歳でした。
  • 啄木が「ありがたき」と詠んだふるさとの山が動き、賢治が愛した「イーハトーブ」の風景が切り裂かれた東日本大震災から5年。さまざまなデータがあります。原発事故を抱えた福島では、原発から避難して亡くなった人を含む震災関連死が2000人以上。地震や津波の死者1604人を大きく上回ります。何より、人が住めない国土をつくりました。
  • 昨年は戦後70年でした。大震災が突きつけたものは、実は戦後の問題と幾つもの層で重なっています。原発が再稼働したからといって、問題が解決したわけではありません。ある意味、課題の先送りです。
  • まずは、忘れないこと。なかったことにはできないことがたくさんあります。<春の星こんなに人が死んだのか>。岩手県釜石市で高校の先生をしていた照井翠[みどり]さんの句です。

(2016-03-07 熊本日日新聞

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[] 〈ふるさとの山に向ひて…〉石川啄木

小社会 -高知新聞-

  • 〈ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな〉(石川啄木)。〈ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの〉(室生犀星)。古里に対する愛憎をうたった作家や歌人は数多い。
  • 日本人の心のどこかに、「故郷忘(ぼう)じ難し」という思いが潜んでいるのだろうか。その全てが「ふるさと」という言葉に感傷的に反応したわけでもあるまいが、それにしても「ふるさと納税」の急速な広がりには驚く。
  • 古里や好きな自治体に寄付の形で納税すれば、税金が軽減される。おまけに自治体からは返礼の特典付きとあって、寄付額は過去最高に。高知県でも奈半利町に昨年、13億円に迫る寄付があった。人口割りでは日本一と聞けば、まずは喜ばしい。
  • 高級和牛にマグロ、カニ…。豪華さを競う特典合戦は既に過熱気味。古里が「言ふことなし」になるか「悲しくうたふ」ものになるか、長い目で見ていきたい。

(2016-03-08 高知新聞)

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2016-03-07

[] 与謝野晶子が愛した源氏物語 3/27

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[ジャノメエリカ]


第10回 与謝野寛・晶子を偲ぶ会

 与謝野晶子が愛した源氏物語〜生涯3度も試みた現代語訳

少女時代から読書好きだった晶子は、父の所蔵する古典文学を愛し、とくに「源氏物語」は何度も通読しました。「源氏物語」への愛は、与謝野寛(鉄幹)との結婚後も薄れることはなく、むしろ人生の困難を味わうほどに読みを深めたのではないかと想像されます。

晶子は生涯に3度、「源氏物語」の現代語訳を試みました。最初は明治末に抄訳で。次は大正12年、完成に近づいていた原稿が関東大震災で焼失。そして最後の挑戦は夫の死後、昭和14年に『新新訳源氏物語』として完成するのです。

「与謝野寛・晶子を偲ぶ会」は今春で10回目。それを記念して、第1部では「源氏物語」の翻訳をめぐるドラマを豊富な画像を交えてお話いただき、第2部では3人の女性歌人が晶子源氏について存分に語り合います。多くの皆さまのご参加をお待ちしています。


  • 日時 2016年3月27日(日)開場:午後1時 開始:1時30分 終了:4時30分
  • 会場 武蔵野商工会議所・市民会議室

     東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-7

     武蔵野市立武蔵野商工会館4階

      交通:JR中央線吉祥寺駅下車・北口徒歩5分

         井の頭線吉祥寺駅下車・北口徒歩5分

  • プログラム
    • 総合司会 長谷川と茂古

 第1部

  講演「晶子が愛した源氏物語−その翻訳をめぐるドラマ」

      神野藤昭夫(跡見学園女子大学名誉教授)

 第2部

  鼎談「女性歌人がひもとく晶子源氏と歌」大沢優子・古谷円・米川千嘉子

  司会 松平盟子


  • 参加費 1,500円(資料代を含む/お支払いは当日)
  • 申し込み 「明星研究会」事務局あて。
  • 定員 90名
    • 主催 明星研究会

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2016-03-05

[][] 『石川啄木の世界』切り絵の原画展 4/15〜5/30

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[アセビ]


「日本切り絵百景館」

 石川啄木生誕130年記念

  切り絵『石川啄木の世界』原画展


  • 会期 2016年4月15日(金)〜5月30日(月)
  • 場所 「日本切り絵百景館」

      群馬県利根郡川場村谷地乙1492

      電話 0278-52-2022


石川啄木の生誕130年記念は2月20日でした。当館では冬季休館を終え新春のオープニングフェスティバルとして、4月16日に啄木祭を開催すべく準備をすすめている。

◎オープニングフェスティバル

 石川啄木生誕130年記念〜啄木祭


〇 展示 画文集 切り絵 石川啄木の世界〜原画50景

     解説:岩城之徳 切り絵:後藤伸行

2016年4月16日(土)

  • 午後 1時より(切り絵新聞H28.3.5 号・切り絵のしおりH27.11.10号より抜粋 順不同)
    • 表彰 切り絵大河コンクール入賞者
    • 講演 『啄木短歌の魅力』大室精一氏(国際啄木学会副会長)
    • 啄木讃歌 ライブコンサート ほか

  • 入館料 当日、無料

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2016-03-04

[][] 国際啄木学会 東京支部会 明大 駿河台校舎 3/26

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[ハイカンツバキ]


国際啄木学会 東京支部会

  • 2016年3月26日(土)14:00 〜
  • 場所 明治大学駿河台校舎 研究棟2F 第9会議室(! 御茶ノ水の校舎 !)

○ 合評会

池田功先生は1月15日に『啄木の手紙を読む』(新日本出版社)を出版されました。今回はこの『啄木の手紙を読む』の合評会を開催します。

ぜひ、本書をご持参のうえ、ご参加ください。

 

○ 支部会(合評会後におこないます)


☆ 初めての方のご参加も歓迎 ☆

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2016-03-03

[][] 石川啄木が恋した大森浜へ 婦人画報 4月号

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[キヅタ]


婦人画報 2016年4月号

◎泣ける!函館

土方をしのび、啄木に切なさを覚え、森田名画の残像を辿り、GLAYに震える。北海道新幹線も開業の春、旅をしましょう、この地へ。


〇桜は散るから美しい 辻 仁成(作家・ミュージシャン)

  • ふと「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」という石川啄木の有名な歌を思い出す。「東海」は日本を、「小島」は北海道、そして「磯」は函館の大森浜を指しているのではないか、と高校時代。それほど白くもない浜辺を歩きながら、私は啄木の人生と重ね合わせ深読みしたものであった。
  • 長い冬を乗り越えた春の函館は実に美しい。五稜郭に、旧市街に、そこかしこに桜が咲く。けれども函館は知っている。「その桜はまもなく泣きぬれるように散るからこそ、今を儚く美しく現すのだ」と。

石川啄木が恋した大森浜へ 池田 功(明治大学教授・文学博士)

  • 私達は4カ月ほどしか住んだことのない土地を、第2の故郷とか、死ぬときはそこで死にたいと考えるでしょうか。石川啄木は、「函館」をそのように手紙に記したのでした。啄木をして、そのように語らせた函館の魅力とは一体どこにあったのでしょうか。
  • その理由として、人の縁と土地の縁を挙げなければなりません。まず、人の縁ですが、当時20代の若者が中心であった苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の同人たちとの、出会いと語らいです。そこには終生付き合うことになる多くの友人たちがいました。後に妻の節子の妹と結婚し義弟になる宮崎郁雨、終生敬意を持った大島流人など。
  • また、橘智恵子もそうでした。その清楚で知的で明るい人柄に魅力を感じ、「世の中の明るさのみを吸ふごとき/黒き瞳の/今も目にあり」と、この女性に捧げる歌を詠みました。
  • そして土地の縁です。とりわけ啄木が気に入ったのは、当時800メートルは続いていた大森浜。啄木はこの砂浜を何度も何度も散策しました。『一握の砂』冒頭の10首は、人生に絶望し泣き濡れている青年が、海と砂浜に癒され死ぬことをやめて帰宅するというドラマで構成されています。
  • 啄木に、第2の故郷であり、死ぬ時はそこで死にたいとまで思わせた函館。その願いはかなえられ、現在本人だけでなく一族の墓が立待岬にあります。啄木を虜にしてしまった函館には、運命的な出会いと再生の物語があったのでした。

 ・婦人画報 2016年4月号(2016/3/1 発売) 1300円 ハースト婦人画報社

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[][] 発刊「石川啄木」子規を近代人、啄木を現代人と読み分ける

歌人読み解き世界へ コロンビア大名誉教授 ドナルド・キーン

  石川啄木」(新潮社)を出版 英語版も


  • コロンビア大名誉教授のドナルド・キーン氏(93)の評伝「石川啄木」(訳・角地幸男氏)が新潮社から発刊された。文芸批評の原点に立ち返り、啄木の詩歌をテキストに、愛する日本を照射した。キーン氏は正岡子規を近代人、啄木を現代人と、ともに敬愛しながら読み分ける。日米の戦後史を生き抜いてきた文人が、青春の光と時代の影を刻印する魂に共鳴した。米国でコロンビア大出版局から英語版を刊行予定。母国語と日本人の美意識で、盛岡の先人の生涯をしたためる。
  • キーン氏は1922年ニューヨーク生まれ。米海軍の一員として日本に進駐し、戦後は語学を生かして職を得て、文学研究に打ち込んだ。
  • 京大の桑原武夫の紹介で、若き日本学徒として啄木に出合った。「ローマ字日記」の世界をさまよいながら、啄木論を書き上げた。盛岡中学での挫折、上京と放蕩、北海道への放浪と望郷、生活苦と病魔、左翼思想への共感、家族の破綻。苦闘の人生と知性の行間に入り込み、限りない哀惜を込め、その手に不朽の歌を握る。
  • 「啄木はよく、短歌は現代の日本語で書くべきだと言った。明治の日本語であるべきだと。しかし彼の短歌は全部、文語体だ。どうしてか、彼は何も説明しない。彼にとってそれは彼の言葉だったからだ。文語体は自分が外国語でもなく、古い日本語でもなく、自分の言葉だった。しかし証拠がない」。歌人はいまなお、尽きぬ謎であり続けている。(鎌田大介)


  四六判378㌻、2376円。

(2016-03-03 盛岡タイムス)

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2016-03-02

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑨ きょうだい)

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[ひな祭り]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑨ きょうだい

  感情さらけ出せた妹

  • 啄木には2人の姉と1人の妹がいた。中でも2歳下の妹光子(戸籍名ミツ)とは年が近いこともあり、関わりが深い。光子は子どものころ、暴君のように振る舞う兄啄木にいじめられ「正直のところ、いばりちらす兄が嫌いであった」と振り返っている。啄木は光子について「自分によく似た性格」と言った。それ故に、ぶつかり合うこともあった。
  • 1909(明治42)年、東京の啄木の元へ光子から手紙が来た日の日記には「予と共に、渋民を忘れ得ぬものがどこにあるか?広い世界に光子一人だ!今夜、予は妹―哀れなる妹を思うの情に堪えぬ。会いたい!会って兄らしい口を利いてやりたい!と思いを吐き出している。
  • 「船に酔ひてやさしくなれる いもうとの眼見ゆ 津軽の海を思へば」。「一握の砂」のこの歌は1907年、啄木が妹光子を連れて函館に渡ったときのことを詠んでいる。「―ああ!予がたった一人の妹に対して、兄らしいことをしたのは、おそらく、その時だけなのだ!」と書いている。
  • 10歳年上の長姉田村サタは、啄木と後の妻節子にとって、なくてはならない人だった。啄木の恋を応援し、二人の結婚に反対する母を説得、節子の父にも掛け合った。母のような愛情で見守り、啄木が「真実の親しみをもっていた」姉は1906年、5人の子どもを残し肺結核のために亡くなった。
  • 啄木が光子に宛てた手紙で「馬鹿者だ」と書かれたのは次姉山本トラ。転勤で各地を転々とする姉夫婦を啄木は何度も訪ね、金銭的にも援助を受けた。しかし、借金がうまくいかないと、トラへのいら立ちを見せた。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-03-02 岩手日報

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[] 啄木と龍鳳との関わり探る

◎国際啄木学会盛岡支部

  • 国際啄木学会盛岡支部の月例研究会は27日、盛岡市で開かれた。同支部オブザーバーの山根保男さんは、石川啄木と村山龍鳳との関わりについて探った。
  • 龍鳳(本名・徳次郎)は啄木と同じ1886(明治19)年生まれ。山根さんは、啄木の「渋民日記」の賀状発送名簿に龍鳳の名前があったことに注目。岩手日報に、龍鳳が文芸雑誌「文華」を発行したという記事を見つけた。啄木のその後の日記には、龍鳳が発行した「春潮」が送られてきたことなどが書かれている。
  • 山根さんは「啄木は龍鳳に深い関心を示し、大きな期待を寄せた。啄木が発行した文芸雑誌『小天地』は一回限りで終わったが、岩手の文学の起爆剤となり、その後の『文華』や『春潮』などにつながった。岩手の文学に大きな足跡を残した」と強調した。

(2016-03-01 岩手日報

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2016-03-01

[][] 「青春の啄木と春待つ盛岡」北海道新幹線開業記念 3/12〜3/27

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[ひな祭り]


JR東日本 駅からハイキング

 ・いつでもコース・

北海道新幹線開業記念 〜青春の啄木と春待つ盛岡〜

  • 2016年3月12日(土)〜3月27日(日)期間中、毎日開催!
  • スタート駅:岩手県・東北新幹線盛岡駅

望郷と漂泊の天才詩人として広く知られる、石川啄木。多感な青春時代を過ごした盛岡と、文学仲間にも恵まれた充実の日々を過ごし、その地で眠ることを望んだ函館とを結ぶ北海道新幹線が、いよいよ開業します。

ゆかりの地を訪ねながら当時の風情が残る街並みを歩き、すぐそこに訪れている「春」を待つ盛岡に触れてみませんか。街なかの中津川では、遠くシベリアから飛来して羽根を休めていた白鳥が故郷への帰り支度を始め、その美しい姿もすぐそばで観ることができるコースです。


  • 起点駅 岩手県・東北新幹線盛岡駅
  • 受付場所 いわて・盛岡広域観光センター(盛岡駅2階新幹線南口改札前)
  • 受付時間 10:00〜12:00
  • 所要時間 約4時間(施設での見学時間含む)
  • 歩行距離 約8km
  • ゴール時間 17:00までにゴールしてください。
    • ご予約は必要ありません。

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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。


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