啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2016-04-27

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑰ 仕事(下))

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[ズミ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑰ 仕事(下)

  鋭いジャーナリスト

  • 啄木は詩人や歌人、教育者としてだけではなく、ジャーナリストとしても有能だった。そのスタートの地が北海道だった。1907(明治40)年、「函館日日新聞」遊軍記者となるが、直後に大火発生し新聞社も焼失した。札幌の「北門新報」校正係を経て、「小樽日報」記者となるも、事務長から暴力を振るわれ退社。「釧路新聞」に移り、3面主任となり実質的な編集長格として、ようやくその才能を発揮する場を得た。
  • 「こほりたるインクの罎(びん)を/火に翳(かざ)し/涙ながれぬともしびの下(もと)」。決して楽ではなかった釧路時代を「一握の砂」でこう振り返っている。
  • やがて、上司への不満や中央文壇への憧れから上京を決意する。家族を函館に置いて単身東京へ。同郷の「東京朝日新聞」編集長、佐藤北江(本名真一)に手紙を書き面接を経て1909(明治42)年、同社の校正係に採用される。啄木はここで「二葉亭全集」の校正に携わったり、歌人としての才能を買われて「朝日歌壇」選者に登用されるなど、活躍する。
  • 1910(明治43)年、社会主義者の幸徳秋水らが天皇暗殺を企てたとされて逮捕。この「大逆事件」に、啄木は深い関心を寄せる。啄木が社会主義に傾倒していく転換点に位置するとも言われる評論「所謂今度の事」「時代閉塞の現状」を書く。しかし、発売禁止処分を恐れた編集者の判断により、東京朝日新聞には掲載されなかった。
  • 元国際啄木学会会長で天理大名誉教授の太田登さんは「啄木は時代と社会、メディアとの関連性を熟知し、敏感だった。先天的に勝れたジャーナリストだった」と、高く評価する。

☆天才主義からの脱却 作品に見る啄木

「こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて死なむと思ふ」(「一握の砂」)

  • 啄木は、「為事(しごと)」と「仕事」を、意識的に使い分けていたようだ。太田さんは「真面目な勤労者として、生活のため『為事』をしなければならない暮らし方の中で、啄木が求める『仕事』とは、自分にしかできない生き方だった」とみる。
  • その上で「この時期の啄木は、実社会と文学的生活との間に身を置いていた。新聞社でメディア体験をすることにより天才主義から脱却し、晩年にかけては『為事』も『仕事』も両方必要だ、という考え方へと変わっていった」と強調する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-04-27 岩手日報

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2016-04-26

[][] 〜130年の時を超えて〜「国際啄木学会盛岡大会」11/5〜6

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[モミジバフウ]


2016年 国際啄木学会盛岡大会 開催要項(概要)

 −啄木生誕130年 盛岡玉山合併10周年−

 〇大会テーマ:明日の考察〜130年の時を超えて〜

 〇会場:姫神ホール・渋民公民館2階大会議室・視聴覚室


◎2016年11月5日(土)

  • 11:00 理事会
  • 13:00 開会行事

  開会あいさつ、学生短歌大会表彰式、渋民小学校児童校歌、渋民中学校生徒による群読劇

  • 14:20 講演 三枝昂之氏(歌人)
  • 15:30 パネルディスカッション
  • 17:00 1日目閉会挨拶
  • 18:15 懇親会(マリオス内スカイメトロ)会費5,000円

◎11月6日(日)

  • 9:15 研究発表(5題 発表)
  • 11:35 ミニ講演 ウニタ・サチダナンド氏(インド・デリー大学)
  • 12:00 2日目閉会挨拶
  • 13:00 文学散歩バス運行(石川啄木記念館、宝徳寺、渋民公園、常光寺、啄木であい道など)参加費1,000円
  • 16:15頃 バス盛岡駅

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[][] 国際啄木学会盛岡大会「学生短歌大会」募集

11月5日(土)6日(日)に「国際啄木学会盛岡大会」を開催いたします。その企画の一つとしまして、「学生短歌大会」を行います。

募集要項

  • 応募対象:地域にこだわらず小学生〜大学院生まで。海外からでも投稿できます。(ただし言語は日本語)
  • 募集内容:自由題で一人一首(啄木にこだわる必要はありません)。形式は自由。学校名・学年・氏名・ふり仮名を明記してください。
  • 募集期間:4月〜7月15日(盛岡市小中学校は5月31日が締め切りです)
  • 選者:三枝昂之(日本歌人クラブ会長・りとむ主宰・宮中歌会始選者)、今野寿美(りとむ編集人・宮中歌会始選者)、松平盟子(プチ☆モンド主宰)、文屋 亮(玲瓏所属)、望月善次(三木与志夫)
  • 表彰式:11月5日(土)13時〜、姫神ホール(盛岡市渋民字鶴塚55)

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2016-04-24

[] “アイヌの啄木”と呼ばれた歌人 違星北斗

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[マンサク]


アイヌの啄木”と呼ばれた違星北斗……HP紹介

◎明治時代、二風谷に図書館があった

アイヌコタン初めての図書館

  • 正式名称は、旧二風谷青年会図書館(北海道沙流郡平取町二風谷28)。1911(明治44)年に建てられた。現在は外観しか見ることはできない。函館では1907(明治40)年に岡田健蔵が自宅店舗内で起ち上げた私立図書室が、市立函館図書館の基礎となっている。

〇“アイヌの啄木”と呼ばれた歌人 違星北斗(1901年〜 1929年)

  • 二風谷小学校の前庭に、アイヌ歌人・違星北斗(いぼし・ほくと)の歌碑がある。その書は言語学者の金田一京助、デザインは建築家の田上義也、なんと贅沢な歌碑だろう。
  • 生活の苦しみを歌った口語短歌をよく詠み、若くしてこの世を去ったこともあり、放浪の歌人・並木凡平からも「アイヌの啄木」と愛された。

  沙流川は 昨日の雨で 水濁り コタンの昔 囁きつつ行く

  平取に 浴場一つ ほしいもの 金があったら 建てたいものを


アイヌの口承文芸を世に広めた金田一京助(1882年〜1971年)


(2016-04-20 平取町 まちぶらNAVI)

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2016-04-21

[][] 高知市で初開催! 「国際啄木学会セミナー」

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◎ 国際啄木学会 2016年高知セミナー

石川啄木の父一禎終焉の地・JR 高知駅前に2009年、啄木父子歌碑 が建立されました。このえにしで、初の国際啄木学会セミナーが高知市 で開催される事になりました。

  • 2016年6月18日(土)午後2時~5時45分
  • 高知県立文学館 高知市丸ノ内1丁目1-20 TEL088-822-0231)
    • 14:00 ~ 開会式
    • 14:15 ~ ミニ講演 高橋正氏(高知ペンクラブ会長)「石川啄木と高知のえにし」
    • 14:50 ~ 研究発表 田山泰三氏(英明高等学校教諭) 「啄木と不抱―新出資料を中心に」
    • 15:20 ~ 研究発表 劉怡臻氏(明治大学大学院生) 「王白淵の三行詩にみられる啄木文学受容について」
    • 16:00 ~ シンポジウム「啄木と大逆事件幸徳秋水
      • 基調講演 近藤典彦氏(名誉会員、元群馬大学教授)
      • シンポジウム(司会・進行)伊藤和則氏(理事)
      • (シンポジスト)高橋正氏、近藤典彦氏、田口道昭氏(立命館大学教授)
    • 17:30 ~ 閉会式

※受付 一般参加者は5月 18 日(水)から先着順 電話:088・847・2330 (実行委員長・岡林一彦)

※一般参加者 資料代 500 円


主催:国際啄木学会・国際啄木学会高知セミナー実行委員会

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後援:高知県、高知市、高知県教育委員会、高知市教育委員会 (公財)高知県観光コンベンション協会、(公社)高知市観光協会 (公財)高知県文化財団、高知県立文学館、高知県立坂本龍馬記念館、 高知市立自由民権記念館、高知県歌人連盟、高知市旅館ホテル協同組合

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2016-04-20

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑯ 仕事)

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[ハナミズキ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑯ 仕事

  最先端の「人間」教育

  • 啄木は生涯で2度、代用教員として教壇に立った。その教育実践は当時の最先端と評価され、現在もたたえられているという事実は、残念なことに、意外に知られていない。
  • 古里の渋民尋常高等小学校で代用教員を務めたのは、1906(明治39)年4月からの約1年間。当時の日記や評論には、崇高な教育の目的が掲げられている。
  • 「教育の真の目的は、『人間』を作る事である。決して、学者や、技師や、事務家や、教師や、商人や、農夫や、官吏などを作る事ではない。何処までも『人間』を作る事である。唯『人間』を作る事である。これで沢山だ。智識を授けるなどは、真の教育の一小部分に過ぎぬ」  (1907(明治40)年3月1日「盛岡中学校校友会雑誌」第9号「林中書」)
  • 教育者啄木は、情熱を持って子どもたちを教えた。1890(明治23)年に教育勅語が発布され、画一的な教育が強いられる時代だったが、「自己流の教授法」を試みた。放課後に課外授業として英語を教えたり、今でいう性教育も行った。
  • 国際啄木学会名誉会員で元会長の近藤典彦さんは「戦後日本でも最先端の教育実践を、啄木はその40年も前にやっていた。当時の日本の小学校教員として、最高の教育実践だった」と高く評価する。
  • 「予は衷心から、天を仰いで感謝する。予に教へらるる小供等は、この日本の小供等のうち、最も幸福なものであると、予は確信する。そして又、かゝる小供等を教へつつ、彼等から、自分の教へる事よりも以上な或る教訓を得つつある予も亦、確かに世界の幸福なる一人であらう」。啄木は、代用教員としての喜びを日記にたびたび記す。
  • しかし、高等科の生徒とともに校長排斥のストライキを敢行し、免職となった。その後、一家離散して函館へと渡った啄木は、弥生尋常小学校で2度目の代用教員となるも、函館大火に見舞われその地を離れることとなった。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-04-20 岩手日報

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2016-04-19

[][] 「2016 啄木祭 〜母を背負ひて〜」 6/4

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[啄木祭チラシ(表)]


啄木生誕130年・盛岡市玉山村合併10周年

 「2016啄木祭 〜母を背負ひて〜」

  • 開催日時 平成28年6月4日(土) 13:30開演 (13:00開場)
  • 場所 姫神ホール(盛岡市渋民文化会館)
  • 講師 渡辺えり氏(劇作家・演出家・女優)
  • 料金 前売1,000円 当日1,300円

女優の渡辺えりさんが「わたしと啄木・賢治・光太郎」と題して講演をするほか、「啄木の母」をテーマに石川啄木記念館館長と対談します。また、渋民小学校の鼓笛隊演奏、渋民中学校の群読劇やコールすずらんによる合唱で舞台を盛り上げます。


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[啄木祭チラシ(裏)]

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[][] 石川啄木記念館 第5回企画展「啄木の妻 節子」 4/26~9/4

  • 開催期間 平成28年4月26日(火)〜9月4日(日)

石川啄木の妻の節子は若くして啄木と出会い、苦しい生活をしながらも夫の才能を信じ、亡くなるまでその文学活動を支え続けました。節子自身も啄木が創刊した文芸誌『小天地』に短歌を発表するなど、歌を愛する女性でした。

今年、啄木とともに妻の節子も生誕130年を迎えることを記念し、啄木に寄り添い、支え続けた彼女の幼少期から啄木との生活、啄木亡き後の人生を資料をもとに紹介します。


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[][] 企画展関連館長講演会「啄木の妻 節子〜貧苦に耐えて〜」5/28

  • 開催日時 平成28年5月28日(土) 14:00〜16:00
  • 場所 渋民公民館 大会議室
  • 講師 石川啄木記念館 館長 森 義真
  • 料金 無料

 

開催中の企画展「啄木の妻 節子」に関連して、石川啄木記念館の館長が講演します。

  • お申込み・受付方法 当日、直接会場にお越しください。

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[][] 「斉藤家でまったり」4/29

  • 開催日時 平成28年4月29日(金・祝) 10:00〜
  • 場所 旧齊藤家(石川啄木記念館中庭)
  • 定員 50名
  • 対象 展示室を見学された方(入館料が必要です)

啄木が間借りしていた旧齊藤家で、啄木に関連した音楽をききながらほっとするひとときを過ごしませんか。

開催中の企画展「啄木の妻 節子」を見学した方、先着50名様には地元の喫茶店・緑青のコーヒー「節子ブレンド」をふるまいます。


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[][] 日記で知る啄木の心 生誕130年 函館市文学館で企画展 4/10〜10/4

  • 函館ゆかりの詩人で歌人の石川啄木が生まれて、今年で130年。記念の特別企画展示「函館に守り遺(のこ)されてきた啄木日記」が函館市文学館で始まり、啄木が亡くなる2カ月前までおよそ10年間にわたって書いた貴重な日記を紹介している。
  • 啄木は日記を「自分が死んだら燃やすように」と言い残していたが、節子夫人や友人らが保存に動き、盗難や焼失からも免れ、函館市中央図書館の啄木文庫で日記帳13冊を収蔵している。
  • 日記は、紙やインクの劣化が進んでいるといい、同文学館の福原至館長は「すべての日記を展示する機会はこれが最後になる見通し。ぜひ実物を見て、直筆の文字から啄木の揺れる心を感じ取ってもらいたい」と話す。
  • 13日の法要「啄木忌」は函館啄木会の主催で、市内住吉町の東海山地蔵堂で開かれ、愛好者や文学関係者らが集まった。啄木の位牌(いはい)に焼香し、また近くの立待岬で「石川啄木一族の墓」に手を合わせた。地蔵堂では、市内の医師で文筆活動もしている水関清さんが講演。「啄木の診断書」と題し、肺結核で亡くなったとされる啄木の病の経過を、日記や私信をもとに医学的に解説した。(内田晶子)

(2016-04-18 北海道新聞

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2016-04-17

[][] 「函館に守り遺されてきた啄木日記」企画展 4/10〜10/4

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[ハクウンボク]


◯平成28年度 函館市文学館企画展

 石川啄木生誕百三十年特別企画

 「函館に守り遺されてきた啄木日記」

  • 平成28年4月10日(日)〜平成28年10月4日(火)

「啄木が焼けと申したんですけれど、私の愛着が結局さうさせませんでした。」

(節子夫人の言葉)

  • 啄木日記は「自分が死んだら燃やすように」と友人に言い遺しましたが、奇跡的な偶然と幸運を得て、現在函館市中央図書館啄木文庫に大切に保管されています。
  • この度は、函館に守り遺されてきた啄木日記を一挙展示します。

◎「文学の夕べ」

第1回「『啄木の函館』こぼれ話」

  • 平成28年5月17日(火)18:30〜
  • 講師 竹原 三哉氏

第2回「啄木研究の基礎を築いた岡田健蔵」

  • 平成28年6月7日(火)18:30〜
  • 講師 紺野 哲也氏

 ◯函館市文学館 函館市末広町22-5  Tel 0138-22-9014

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[] "これを「天職」と言わずして、何をか言わんや" エッセイ

「天職」に就く

   森 義真 (もり よしまさ)(石川啄木記念館館長)

  • 「天職」とは、手元の辞書によると、「天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業」とある。現在私は盛岡市にある「石川啄木記念館」の館長として諸業務に励んでいる。
  • 定年を少し前にして会社を退職し、『啄木の親友 小林茂雄』という本を上梓した。この本は平成24年度岩手県芸術選奨を受賞した。
  • 平成25年12月、思いがけずチャンスが巡ってきた。石川啄木記念館の指定管理者・盛岡市文化振興事業団に嘱託職員として採用され、4カ月後には館長となった。それまでの経験と知識、それに国際啄木学会などの人的ネットワークをフルに活かすことができる仕事に就いたのだ。これを「天職」と言わずして、何をか言わんや、である。
  • それから、2年が経過した。記念館では企画展、啄木祭、啄木かるた大会などの数々を関係者とともに運営し、また、地元との交流、連携を深めている。啄木ウォークとバスツアーを実施し、参加者に新しい啄木の魅力を発見していただいている。
  • 平成26年春には、3冊目の著書となる『啄木 ふるさと人との交わり』を刊行した。今年生誕130年を迎えた啄木と生誕120年の賢治が拡げてくれた世界が、今、自分の前に大きく広がっている。

  「如水会報 No.1022、2016年4月号、一般社団法人如水会発行」

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[] 石川啄木を死に至らしめた「結核」

◯シリーズ「傑物たちの生と死の真実」第19回

夭折の歌人・石川啄木を死に至らしめた「結核」は、なぜ根絶できないのか?

  • 4月13日は夭折の歌人・石川啄木の命日である。 1912年(明治45年)に満26歳という若さで没している。死因は肺結核。この病は、啄木のみならず、彼の家族をも苦しめた。平成26年度の日本の結核患者数は1万9615人。今回は、啄木の生涯をたどりながら、かつて日本では「国民病」「亡国病」とまで言われるほど猛威をふるった結核について見ていきたい。

 「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」

  • 小学校を首席で卒業、神童と噂される。中学時代は、与謝野晶子に憧れ、妻・節子と恋に落ちた。盛岡中学中退後、19歳で処女詩集『あこがれ』を出版。渋民小学校代用教員、新聞記者を経て上京、『東京朝日新聞』の校正係に。24歳、1910(明治43)年、551首を収めた歌集『一握の砂』を出版。
  • 25歳、1911(明治44)年ころから腹部膨満をきたす。2月、帝大病院に入院。慢性腹膜炎のため腹腔穿刺(ふくくうせんし)を受ける。3月、肋膜に溜まった胸水を吸引し退院。自宅療養するが、4月に肺結核を患い高熱が続いた。

 「呼吸(いき)すれば胸の中(うち)にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりもさびしきその音!」

  • 1912(明治45)年3月、母・カツが肺結核で死去。衰弱が著しかった啄木は危篤に陥り、4月13日午前9時30分ころ、妻・節子、父・一禎、若山牧水に看取られながら、小石川区久堅町で肺結核のため永眠。享年26。
  • 妊娠8カ月だった節子は、次女を出産後、2人の遺児を一心に育てる。だが、啄木が死去した翌年の5月、肺結核に罹り、啄木を追うように26歳で病没。

〇平成26年度の結核患者は1万9615人〜なぜ根絶できないのか?

  • 結核に対する免疫をもたない若い世代が増え、集団感染や院内感染が増加している点。
  • 免疫力の弱い乳幼児、喫煙者、糖尿病や胃潰瘍、エイズなどの患者の発病、ホームレスなどの社会的・経済的なハンディをもつ人の発病、抗生物質が効かない多剤耐性菌の出現による発病なども目立っている。
  • これらのデータから推測すると、啄木の家族は、結核菌による空気感染で発病した可能性がきわめて高い。
  • 啄木は生活苦や病苦だけに苛まれて一生を終えたのだろうか? 少年のような邪気のない眼差し、柔らかな感性を持て余しながらも、人生の苦悩と希望を大らかに歌いあげた啄木。その瑞々しい肉声は、日本人の琴線を震わせる。(佐藤博)

(2016-04-14 HEALTH PRESS)

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[] 【文豪の素顔】結核に冒され薬代も払えない石川啄木漱石は見舞金10円を送るが…

  • 吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもあった。
  • 1912年4月15日 今から104 年前の今日、45歳の漱石は若くしてこの世を去った才能ある歌人に今生の別れを告げるべく、東京・早稲田南町の自宅から浅草へと向かった。その歌人とは、石川啄木であった。啄木が26年と2か月という短い生涯を閉じたのは、この2日前の4月13日だった。
  • 啄木は3年前から東京朝日新聞の校正係をつとめており、長与胃腸病院に入院中の漱石を見舞ってくれ、漱石の側からも啄木にいろいろとアドバイスを与えたこともあった。漱石の知遇を得たことは、嬉しく価値の高い出来事だったのである。
  • 啄木が体調を崩し病は肺結核へと移行し、寝たきりの状態となってしまった。薬代も払えぬほど貧しい啄木のために、漱石夫妻は門弟の森田草平を通じて2度にわたって見舞い金を届けていた。啄木の葬儀は、親しくしていた歌人の若山牧水や同郷の言語学者・金田一京助らの世話により、浅草の等光寺で行なわれた。
  • 『悲しき玩具』には、こんな短歌も載せられていた。《買ひおきし 薬つきたる朝に来し 友のなさけの為替(かわせ)のかなしさ》《新しき明日の来(きた)るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど−−》漱石はこの短歌をどんな感懐を抱いて読んだだろうか。

(2016-04-15 Yahoo! JAPANニュース>サライ)

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[] 「箱館歴史散歩の会」1年ぶり再開 おもてなし力支援へ

  • 函館市内を散策しながら函館の歴史を学べる場として人気を博し昨年、惜しまれつつ活動を休止した「箱館歴史散歩の会」が約1年ぶりに再開する。予約不要という気軽さもあって、毎回平均約80人、延べ約1万人が参加した。
  • 新幹線で函館を訪れる観光客が今後増える可能性がある中、「市民のおもてなし力を高めるお手伝いができたら」として再開することにした。
  • 開催は4〜11月に月1回とし、再開後第1弾は今月24日、大森浜の啄木小公園から自衛隊通付近まで約2キロを歩く。途中の乃木神社(乃木町)や、日乃出町の海岸沿いに以前あった巨大な砂丘跡などを見る。参加は無料で、市民のほか観光客も歓迎する。(長谷川紳二)

(2016-04-15 北海道新聞

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[] 岩手で「文学フリマ」初開催へ 地域独自カテゴリー、記念アンソロジーも

  • 文学フリマ岩手事務局は9月4日、岩手県産業会館大ホール(盛岡市大通1)で「第1回文学フリマ岩手」を開催する。
  • 文学フリマは2002年に始まった文学作品の展示即売会。2014年に全国各地の有志で開催できるよう支援する「文学フリマ百都市構想」を立ち上げ、金沢、福岡で開催。夏には札幌での開催を控える。岩手での開催もこれに基づいて行われることになった。
  • 岩手事務局の小田原聖さんは「私自身も最初は参加者だったが、『百都市構想』が公開された時に、まずは東北で開催したいと思って声を上げたのがきっかけ。岩手や盛岡は宮沢賢治石川啄木を始め、著名な文学者の出身地。そういう意味でも開催地にはぴったりだと思う」と話す。
  • 応募締め切りは出店参加が5月23日、アンソロジー参加が5月8日まで。

(2016-04-15 盛岡経済新聞)

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2016-04-14

[] 105回目「啄木忌」法要

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[啄木鳥 (キツツキ)]


◎朝日新聞

岩手)啄木忌厳かに 生誕130年

  • 岩手が生んだ歌人石川啄木(1886〜1912)の105回目となる「啄木忌」法要が命日の13日、盛岡市渋民の宝徳寺であった。地元の住民や研究者、ファンらが大勢参列し、夭折(ようせつ)の天才歌人をしのんだ。今年は啄木の生誕130年で、啄木にちなんださまざまなイベントがある。
  • 法要では、読経の後、地元のコーラスグループが啄木の歌「今日もまた胸に痛みあり。/死ぬならば、/ふるさとに行きて死なむと思ふ。」をメロディーに乗せて捧げた。
  • 実行委や啄木記念館では、生誕130年にちなんだイベントを企画している。26日からは啄木の妻節子にスポットをあてた企画展を記念館で開く。6月4日には女優の渡辺えりさんを講師に招いた啄木祭が姫神ホールである。北海道新幹線開業にちなみ、9月には企画展「啄木と北海道〜新運命を開拓せん」を記念館で開く。同ホールでは11月に生誕130年記念コンサートも予定されている。


「すごく身近」「ありがとう」前夜祭「後輩」たち魅力を語る

  • 啄木忌前夜祭が12日夜、盛岡市内であった。県内の学校に通う若者たちが啄木の魅力について語った。
  • 盛岡三高3年の佐藤薫乃さんは、中学生の時「不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」という歌に出会った。「私も当時15歳で共感できた。すごく身近に感じられる人」と話した。渋民小6年の高島一慧君は、「ふるさとの山に向かひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」の歌を挙げた。「僕の家からも岩手山姫神山が見えて、いつも変わらない姿で見守ってくれる。僕もありがとうって思う」と話した。(斎藤徹)

(2016-04-14 朝日新聞)

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[] 没後104年 渋民で「啄木忌」法要

IBC岩手放送ニュース

  • きょうは歌人、石川啄木の命日「啄木忌」です。法要では、啄木ゆかりの襖絵が9年ぶりに公開されました。
  • きょうは僧侶だった父、一禎が宝徳寺を再建した際に、本堂の6枚の襖に描かれていた絵、「松桜図」も9年ぶりに公開されました。訪れた人たちは幼少時代の啄木を思い浮かべながら、襖絵に見入っていました。

(2016-04-13 IBC岩手放送ニュース)

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[] <啄木忌>ファン100人 生誕130年で「短歌」歌う /岩手

◎毎日新聞

  • 僧侶3人がお経を読む中、参列者が焼香した。その後、地元のコーラスグループや吟詠会が、啄木の短歌に曲をつけた歌を披露した。
  • 啄木が生まれてから今年で130年になるのを記念し、雫石町出身のソプラノ歌手、田中美沙季さんが招待された。「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」。澄み切った歌声に、大勢の人が目を閉じたり耳を澄ませたりしていた。【藤井朋子】

(2016-04-14 毎日新聞)

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[] 啄木ゆかりのふすま絵公開 盛岡・宝徳寺

岩手日報

  • 市内外から約150人が参列した。実行委の竹田孝男委員長は「約100年前の閉塞(へいそく)した時代に、啄木は新しき明日が来ると信じ孤独や望郷の歌を作り、日本の心を織り込んだ」とあいさつ。啄木と妻節子の遺影を飾った本堂に読経が響く中、参列者が焼香した。
  • ふすま絵は啄木の書斎を復元した部屋で公開された。ふすま絵を描いた渋民の絵師・沼田北村(ほくそん)の子孫である専門学校教員中村将洋さんも訪れ「祖先が描いた作品を啄木も見ていたと思うと感慨深い」とじっくり眺めていた。
  • 雫石町出身のソプラノ歌手田中美沙季さんが「ふるさとの」(平井康三郎作曲)を記念献歌した。田中さんは、東日本大震災を機に郷土を強く意識し、啄木歌曲に傾倒するようになった。「啄木の短歌にはふるさとについての思いが込められ、私たちの心を見事に表現している」と力を込めた。

(2016-04-14 岩手日報

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[] 遺影に詩歌献じて 第105回啄木忌 生誕130年の節目に

◎盛岡タイムス

  • 啄木祭実行委員会の竹田孝男委員長は「明治45年4月13日、啄木は東京小石川の借家で父の一禎、妻の節子、友人の若山牧水にみとられて息を引き取った。その啄木終焉の地には昨年啄木歌碑と啄木顕彰室が設けられた」とあいさつ。「啄木忌にあたり、改めて啄木の生涯と作品の中から何かを学び、何をなすべきかについて思いを新たにしてもらいたい」と、精神の継承を訴えた。

(2016-04-14 盛岡タイムス)

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[] 盛岡で啄木忌 100人しのぶ

◎読売新聞 盛岡

  • 日本文学研究者で中央大名誉教授の渡部芳紀さんの講演もあり、陸前高田、釜石、宮古市など三陸海岸沿いに残る歌碑から啄木の足跡を振り返った。
  • 今年は啄木生誕130年の節目。石川啄木記念館(盛岡市渋民)は、企画展や啄木祭を予定している。啄木祭実行委員会委員長の竹田孝男さんは「軍国主義に傾く閉塞的な時代の中で、啄木は望郷の念など日本人の心を素直にうたった。今の時代は啄木から何を学ぶべきか、行事を通して考えていきたい」と語った。

(2016-04-14 読売新聞)

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[] 啄木百五回忌 墓前で合掌 /函館

◎読売新聞 北海道

  • 歌人の石川啄木の百五回忌法要が13日、函館市住吉町の東海山地蔵堂で営まれ、約30人が参列した。
  • 啄木の一周忌に結成された「函館啄木会」(岡田弘子会長)が毎年、主催。法要を終えた参列者は、函館市街地を望む立待岬近くの「石川啄木一族の墓」に移動し、手を合わせていた。

(2016-04-14 読売新聞)

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[] 石川啄木生誕130年 命日にゆかりの寺で法要営まれる

◎You Tube

命日にゆかりの寺で法要 盛岡市

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[] 105回目の啄木忌

岩手めんこいテレビ

  • 今年は啄木生誕130年の記念の年で啄木も見て育ったという明治時代のふすま絵「松桜図(まつさくらず)」が9年ぶりに公開されました。
  • 訪れた人は啄木へのさまざまな思いを胸に参列していました。

(2014-04-13 岩手めんこいテレビ

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[] 今日 命日の啄木・・どんな人?

◎日本気象協会

今日4月13日は石川啄木の命日です。教科書では見たけれど・・・さて、どんな人かしら?

「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」

「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」

  • ともに『一握の砂』に収録されているこの短歌は、みなさんきっと聞いたり読んだりしていることでしょう。石川啄木は明治時代に生きた歌人であり詩人です。貧困の中に26歳の若さで結核で亡くなりました。短い生涯でしたが残した作品は全集にしておよそ八巻。詩や短歌だけでなく小説や評論と幅広い活動をしていました。

〇「啄木」とは「キツツキ」のことですが、名前にしてはちょっと変わっていませんか?

  • 啄木の本名は「一」と書いて「はじめ」。生まれたのは岩手県の日戸(ひのと)村という小さな村でした。父親が渋民村にある宝徳寺という曹洞宗の寺の住職になり、寺周辺の林にいるキツツキの立てる音に心を奪われ、17歳の時にキツツキについての詩を書いています。そして漢字表記の「啄木鳥」から2字をとって、雅号を「啄木」としたそうです。

〇天才、神童といわれた幼少期でしたが・・・

  • 啄木は渋民村で尋常小学校を、盛岡市で高等小学校を最高点で卒業して地元で神童とよばれます。12歳の啄木少年はその後、盛岡の尋常中学校へも高成績で入学します。
  • 天才といわれた少年も中学校2学年目ころから成績が落ち始め、16歳の時には期末試験の不正が発覚し、落第を余儀なくされることになります。この最悪の時に受け取ったのが、啄木の歌の一首が『明星』に掲載されるという朗報です。中学を自主退学して文学者として身を立てようと啄木は16歳で東京へ出立するのです。
  • しかし、収入の当てがなくなり、結核の発病もあって父親が迎えに来て盛岡に帰ることになります。啄木の背中には住職を解任されて収入のなくなった父と母、そして妹の光子の扶養がのしかかり、貧乏と放浪の苦難の生活が始まるのです。

〇日記こそ啄木の残した素晴らしい作品だ、ともいわれています。

  • 啄木は明治35年、初めての上京を機に日記をつけ始めます。それは題名をつけ序を書き、自己の理想郷を建設せんとするために信念にしたがって精進していく意欲を高らか記して始まっています。
  • 啄木の日記の中で特に注目されるのが『ローマ字日記』です。読むと日本語ですけれど表記はアルファベットで書いてあるものです。若い啄木が家族を養う責任を負いながら、ままならない仕事と、書いても実らない文学への焦燥と戦いを吐露した日記だからこそ、啄木の文学の粋が込められているのではないでしょうか。

〇明治の現代歌人 それが「啄木」

  • 啄木の歌はだれが読んでもスッと理解できる優しさを持っているとおもいませんか? それは日記と同じようにその日その日の出来事と、心の動きを素直に歌にしているからだと思われるのです。

『一握の砂』より

「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きに行く」

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」

  • 104年前の今日、26歳と2ヶ月で亡くなった石川啄木を少しは身近に感じて頂けたでしょうか。

  

  参考文献:『石川啄木ドナルド・キーン 角地幸男訳 新潮社

       『啄木日記を読む』池田功 新日本出版社

(2016-04-13 日本気象協会>ネタりか)

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2016-04-13

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑮ 識者に聞く)

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[アセビ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑮ 識者に聞く  日本歌人クラブ会長・三枝昻之さん

  望郷の念 端的に詠む

◎啄木の短歌で、山や川はどのように表現されているか。

  • 『かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川』は、山や川が具体的な名前でないことから、万人に受け入れられている。自分なりの歌として感動できるところが啄木の歌の特徴で、親しみやすさにつながっている。

◎作品の魅力は。

  • 啄木は誰にでも分かる言葉で端的にふるさとの恋しさを詠んでいる。表現を工夫しようとすると、難しく、より個性的になる。啄木は個性よりも、自分の心に素直に短歌をつくった。

◎当時の時代背景は。

  • 明治になると各地に鉄道が敷かれ、地方から東京へ、という人の流れができる。古里を離れて東京へ出て来て、東京で古里を恋い慕う、という離郷と望郷が、時代の大切なテーマになった。
  • 啄木は『病のごと/思郷のこころ湧く日なり/目にあをぞらの煙かなしも』と、思郷を『病』と例えた。当時の流行歌とも言える唱歌『故郷』は1914(大正3)年につくられている。啄木の歌に刺激を受けていたかもしれない。

◎現代の短歌界に啄木が与えた影響は。

  • 与謝野晶子の『みだれ髪』は青春賛歌。『一握の砂』は働き人、家庭人の生活の機微を歌った。身近な言葉と歌言葉の距離を縮めたのが、啄木。晶子から啄木、そして俵万智へとつながっていった。

☆作品、背景に理解深め  国際啄木学会盛岡支部

  • 国際啄木学会の国内外にある支部の一つである盛岡支部は、月例研究会をこれまでに220回開いている。最新の調査研究成果を報告したり、啄木の日記を読んだりして、作品や背景に理解を深めている。論文を掲載した会報も年1回発行している。
  • 毎年4月には「啄木忌前夜祭」を主催。第12回の今年は12日に、「小中高大生は啄木をどう読むか」と題したパネルディスカッションと声楽家による啄木の歌独唱、講演の3部構成で、啄木の魅力を市民に伝えた。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-04-13 岩手日報

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[] 105回目の命日前に「啄木忌前夜祭」


  • きょう4月13日は盛岡出身の歌人、石川啄木の105回目の命日です。それを前に昨夜、前夜祭が開かれ啄木ファンが、その生き方や魅力について意見を交わしました。
  • 前夜祭は国際啄木学会盛岡支部が開いたもので、パネルディスカッションが行われ、小学生から大学生までの参加者と研究者が、啄木の作品を後世に伝えていこうと、魅力などを語り合いました。

(2016-04-13 IBC 岩手放送)

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2016-04-12

[][] 「啄木忌」 渋民の宝徳寺にて 4/13

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[花筏]


あす13日啄木忌、松桜図公開 盛岡・渋民で 9 年ぶり

  • 第105回啄木忌は13日午前10時から、盛岡市渋民の宝徳寺(遊座芳匡(ほうきょう)住職)で開かれる。啄木が見て育ったふすま絵「松桜(まつさくら)図」が 9 年ぶりに公開される。
  • 啄木の生誕130年に当たる今回は記念献歌があり、雫石町出身のソプラノ歌手田中美沙季(みさき)さんが平井康三郎作曲「ふるさとの」をささげる。午前11時から中央大の渡部芳紀(わたべよしのり)名誉教授が「三陸海岸の啄木碑」と題し講話する。
  • 啄木忌は参加自由(無料)。
  • 13日は石川啄木記念館入館が無料となる。12日は午後 6 時から、盛岡市盛岡駅西通の市民文化ホールで第12回啄木忌前夜祭(国際啄木学会盛岡支部主催)がある。

(2016-04-12 岩手日報

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2016-04-11

[][] 「生誕130年 啄木の魅力を語る」啄木祭 5/15

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[花筏]


「2016年 啄木祭」 新日本歌人協会

  • 2016年5月15日(日)13時:開場  13時半:開会
  • 場所 エデュカス東京(東京都千代田区二番町12-1)
  • 講演 「生誕130年 啄木の魅力を語る」

  講師 山下多恵子(国際啄木学会理事 日本ペンクラブ会員)

  • 文化行事 シンガーソングライター 宮沢勝之コンサート
  • 2016年度 啄木コンクール表彰
  • 参加費 前売券 1000円(当日 1200円)

  

◎主催 新日本歌人協会

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[][] 静岡啄木祭「石川啄木と鶴彬」5/8

啄木生誕130周年記念

 第11回 静岡啄木祭

  • 2016年5月8日(日) 13:00:開場  13:30:開会  
  • 場所 静岡労政会館(静岡市葵区黒金町5-1)
  • 講演

  「石川啄木と鶴彬」(仮題)

  講師 小石雅夫氏(「新日本歌人」編集長)

  • 記念行事

   啄木詩歌朗読・自作朗読

  • 懸賞短歌募集

◎主催 新日本歌人協会静岡市支部

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2016-04-08

[] また 盛岡城跡から岩手山が見える 「不来方の お城の草に…」

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[カワヅザクラ (花びらが散って)]


盛岡城跡から岩手山、啄木も愛した眺め40年ぶり復活

  • 盛岡出身の夭折の歌人、石川啄木(1886〜1912年)が少年時代に愛した盛岡城跡の二の丸跡から望む岩手山(2038メートル)の眺望の一部がほぼ40年ぶりに復活し、市民の目を楽しませている。これまで二の丸跡からは地上 7 階建ての岩手教育会館が立ち塞がり、岩手山が見えなかった。今回、老朽化に伴い建物が解体されて視界が開けた。
  • 啄木は盛岡城跡に程近い盛岡中に学び、授業を抜け出して二の丸跡の草むらに寝そべって岩手山を眺めていたといい、「不来方(こずかた)(現在の盛岡市)の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」という句もある。新しい教育会館は高さ約19メートルの 4 階建てビルに生まれ変わる。

(2016-04-08 産経ニュース)

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[][] 「啄木に耳を澄まして」レコード鑑賞会 石川啄木記念館 4/13

石川啄木記念館

 レコード鑑賞会「啄木に耳を澄まして」

  • 開催日 2016年4月13日(水) 14:00〜15:00

4月13日は石川啄木の105回忌にあたり、宝徳寺(記念館隣)で法要(10:00〜)が行われます。あわせて記念館を無料開放し、下記イベントも行いますのでお気軽にお越しください。

★レコード鑑賞会

昭和のなつかしい有島通男の「春まだ浅く」をはじめ、啄木をテーマにした音楽を聴いてみませんか。貴重な蓄音器でSPレコードもかけます


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2016-04-07

[][] 「2016年 高知セミナー」 国際啄木学会 6/18~19

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[マイクジャク 舞孔雀]


国際啄木学会 2016年高知セミナー


 会場 高知県立文学館ホール、高知城ホール

    ・高知県立文学館ホール 高知県高知市丸の内1-1-20

    ・高知城 高知県高知市丸ノ内2-1-10


◎ 2016年6月18日(土)

  • 11:00 理事会兼評議員会(高知城ホール)
  • 13:00 総会(以後、高知県立文学館ホール)
  • 14:00 開会式
  • 14:15 ミニ講演
    • 高橋正氏(高知ペンクラブ会長)「石川啄木と高知のえにし」

  • 14:50 研究発表
    • 田山泰三氏(英明高等学校教諭)「啄木と不抱―新出資料を中心に」
  • 15:20 研究発表
    • 劉怡臻氏(明治大学大学院生)「王白淵の三行詩にみられる啄木文学受容について」

 (司会・進行)伊藤和則氏(理事)

 (シンポジスト)高橋正氏、近藤典彦氏、田口道昭氏(立命館大学教授)

  • 17:30 閉会式
  • 18:00~20:00 懇親交流会 高知城ホール(徒歩すぐ)会費5,000円

◎ 6月19日(日)文学散歩

  • 参加費:4,000円(バス代、昼食代、入館料等)

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2016-04-06

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑭ 川)

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[マユミ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑭ 川

  故郷や幸福映す象徴

  • 啄木が子どものころ過ごした渋民・宝徳寺近くには、北上川が流れる。そこには水害で何度も流出したつり橋の鶴飼橋(つるがいばし)が架かっていた。啄木は第一詩集「あこがれ」にも「鶴飼橋に立ちて」と題した詩を収めている。「橋はわがふる里渋民の村、北上の流に架したる吊橋なり。岩手山の眺望を以て郷人賞し措かず。春暁夏暮いつをいつとも別ち難き趣あれど、我は殊更に月ある夜を好み、友を訪ふてのかへるさなど、幾度かこゝに低回微吟の興を擅(ほしいまま)にしけむ。」と橋への愛着を記す。
  • 当時はまだ渋民駅がなく1895(明治28)年、盛岡高等小学校(現下橋中)へと進学した啄木は、古里を離れる、あるいは帰郷する時に北上川をわたり、好摩駅を利用した。石川啄木記念館館長の森義真さんは「北上川は、啄木にとって故郷を象徴する存在だったのだろう」と語る。
  • 短いけれど幸せだった時期の風景として森さんが挙げるのが、中津川。19歳で結婚した啄木と節子は、現在「新婚の家」がある盛岡の帷子小路(現盛岡市中央通 3 丁目)で暮らす。3 週間後には、加賀野磧町(同市加賀野 1丁目)へと移る。近くに中津川が流れるその場所で、2 人は川のせせらぎを聞きながら夢を語り合ったこともあったのだろう。啄木は文芸雑誌「小天地」を発行、盛岡の文学青年や歌人仲間も入れ代わり立ち代わり訪ねてきた。

 やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに

  • 「一握の砂」に収められている、啄木を代表する短歌の一つ。「よほど北上川に愛着があり、心になじんでなければうたえない描写。『泣けとごとくに』には、切実すぎる望郷の気持ちが込められている。望郷は都市の孤独の変奏曲でもある」と、歌誌「りとむ」発行人で日本歌人クラブ会長の歌人三枝昻之(たかゆき)さんは啄木の心中を解説する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-04-06 岩手日報

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2016-04-03

[] <新しき明日の来るを信ず…> 石川啄木 

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[カワヅザクラ]


鳴潮 -徳島新聞-

  • 都へ、都へ。東京へ行きさえすれば何とかなる。明治の歌人石川啄木もそう思っていたに違いない。こんな一首を残している。<新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど−>。
  • 都を目指したかつての若者たち。幸福研究などで知られる広井良典さんはこれを「地域からの離陸」と呼ぶ。それも転換期に差し掛かっている。徳島県民の「幸福度」を探る本紙アンケートを分析してくれた 2 年前、そう指摘していた。実際、自分の教え子たちもローカル志向が顕著になってきたという。
  • きのう、県内の多くの企業で入社式があった。東京への流れに抗し、徳島で働こうという若い人たち。広井さんの言を借りれば「地域への着陸」である。そんな姿は頼もしく映る。
  • これからの時代の豊かさや幸福感をいかにして得るか。「新しき明日」と密接につながっているだろう。啄木は望み通りにはいかなかったが、今春の新入社員は、さて、どんな未来を切り開く。

(2016-04-02 徳島新聞)

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[] 『啄木が愛した空と山』を見に行こう

銀河鉄道観光 沿線おすすめ情報

『啄木が愛した空と山』を見に行こう

〇渋民駅から好摩駅・少年『石川啄木

  • 若くして世を去り、波乱の生涯を過ごした詩人であり歌人『石川啄木』。ふるさとの岩手を愛し、盛岡を愛し、この旧渋民村(現:盛岡市玉山区)を愛しとおした郷土の偉人の一人です。中でもこの旧渋民村エリアは、啄木が生まれ、私たちと同じように多感で生き生きとした時間を過ごした場所です。そこには、笑い、悩み、泣き、恋した、私たちと等身大の啄木の姿がありました。
  • その啄木が育った旧渋民村。「わたしが生まれ育ったこのふるさとは、きっとあなたのふるさとでもあるのでしょう」と今も啄木が語りかけます。

〇『石川啄木記念館』のごあんない

  • 啄木がかつて理想の「家」を詩に託した、白い洋館風の建物。啄木ゆかりの「宝徳寺」のすぐ近くに位置します。遺品・映像・パネルに加え、直筆のノートや日誌・啄木関連図書を多数収蔵。

 『石川啄木記念館』『旧渋民尋常高等小学校』『旧齋藤家』

 IGRいわて銀河鉄道『渋民駅』より タクシー約 5 分 徒歩約30分

〇「渋民駅のごあんない」

(2016-03-30 銀河鉄道観光)

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2016-04-01

[][] 「石川啄木の世界〜原画50景」群馬 4/15~5/30

f:id:takuboku_no_iki:20160401171508j:image:w640

[キブシ]


陽光浴び輝く 日本切り絵百景館 /群馬

  • 川場村谷池の「日本切り絵百景館」の池で、ミズバショウが見ごろを迎えた。同館に向かう道路横のわき水を利用した池では、花弁状の「仏炎苞(ぶつえんほう)」が、春の日差しを浴びて白く輝いている。
  • 同館は4月15日から「石川啄木の世界〜原画50景」の展示を予定しており、同16日には生誕130年を記念して啄木祭を開催する。【米川康】

(2016-04-01 毎日新聞)


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「日本切り絵百景館」石川啄木生誕130年記念

  切り絵『石川啄木の世界』原画展

  • 会期 2016年4月15日(金)〜5月30日(月)
  • 場所 「日本切り絵百景館」

      群馬県利根郡川場村谷地乙1492

      電話 0278-52-2022


◎オープニングフェスティバル

  石川啄木生誕130年記念〜啄木祭

 〇2016年4月16日(土)

  • 午後 1時より
    • 講演 『啄木短歌の魅力』大室精一氏(国際啄木学会副会長)
  • 入館料 当日、無料

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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。


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