啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2016-06-30

[][] 講演「石川啄木の青森・函館」

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[レースフラワー]


特別展「青函を旅した文人たち」イベントのお知らせ

 第1回文学講座

  • 日時 2016年7月24日(日) 13:00~16:00
  • 会場 青森県総合社会教育センター 大研修室(青森市荒川字藤戸11-9-7)
  • 講演 「与謝野寛・晶子、海峡をわたる思い」 13:00~14:20

   櫛引洋一(弘前市立郷土文学館企画研究専門官)

  • 講演 「石川啄木の青森・函館~浜薔薇の花の香りにいざなわれて~」14:40~16:00

   山本玲子(啄木ソムリエ・岩手県文化財保護審議会委員)

  • 主催者 青森県近代文学館 Tel 017-739-2575


2016-06-29

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉖ 時代(下))

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[サルトリイバラ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉖ 時代(下)

  大逆事件の真相追究

  • 「幸徳秋水等陰謀事件発覚し、予の思想に一大変革ありたり。これよりポツポツ社会主義に関する書籍雑誌を聚む」。啄木は日記の1910(明治43)年中重要記事6月の項に、こう書いた。
  • 「大逆事件」「幸徳事件」と呼ばれるこの事件は、桂太郎首相が、宮下太吉、管野すがら数人が明治天皇暗殺の計画を立てたことを利用し、全国の社会主義者、無政府主義者らを一掃しようとしたでっち上げだと今日では知られている。しかし、当時は不当な弾圧だと気付いた人はそれほどいなかった。啄木は大逆事件に敏感に反応した。事件の真の要因は国家の「強権」にあるといち早く感じ取り、評論「所謂今度の事」や「時代閉塞の現状」で論じようと試みるが、新聞には掲載されなかった。
  • 傍聴禁止、証人尋問なしの一審だけの裁判の末、被告26人中24人が死刑という判決が下された(翌日12人が無期懲役に減刑)。事件経過の記録やコメント付きの新聞記事などを集めた「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」や、秋水が獄中から弁護士に送った陳弁書に、自らの詳しい解説を加えた「 A LETTER FROM PRISON 」も残した。
  • 北海道・函館、札幌、小樽、釧路での新聞社勤務を経て東京朝日新聞の校正係として働き、メディアの最前線で時代を見つめた啄木は真相を探り、記録、批評しようとしていた。その記録は、今でも事件の真相を明らかにしようとする人たちの貴重な資料となっている。6月中旬に高知市で開かれた国際啄木学会セミナーでは「啄木と大逆事件・幸徳秋水」をテーマに議論が交わされた。事件の研究・検証と犠牲者の復権運動は今なお続く。
  • 「時代閉塞の現状」はこう結ばれている。「時代に没頭してゐては時代を批評する事が出来ない。私の文学に求むる所は批評である」
  • 国際啄木学会の元会長で天理大名誉教授の太田登さんは「その時代に生きる人間の問題意識や生活感覚に真正面から向かい合うことに、啄木という文学者の存在価値があった」と、激動の時代を見つめ続けた詩人に思いを巡らせる。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-06-29 岩手日報)


[] 啄木が人々を結びつけてくれた 高知での学会

啄木セミナーで感謝 声ひろば<高知新聞

 【若林敦 大学教員=啄木学会事務局長】

  • 国際啄木学会高知セミナーを6月18日に県立文学館ホールで開催した。地元の方を含め120人あまりの参加者があり、盛会のうちに終えることができた。啄木学会より心からお礼を申し上げたい。
  • 地元実行委員の皆さまの事前準備から当日の運営、懇親交流会、翌日の文学散歩、どれにも配慮がゆきとどき、多くの参加者から称賛の声が寄せられた。地方開催の目的の一つは、地元の方々と交流し、啄木についての理解を広げ、深めていくことにある。地元から70人を超える参加者があり、意義深い交流ができたことは学会にとって大きな喜びとなった。
  • 開会式は尾﨑知事の歓迎あいさつ、懇親交流会では岡﨑市長に参加いただき、大変名誉なことであった。特にお二人ともが、啄木を縁とした岩手県や盛岡市との交流の始まり、深まりについてお話しくださったのはうれしいことだった。
  • 130年前に生まれた啄木が、現代でもこうして人々を結びつける機縁をつくってくれている。学会の啄木研究の励みにもなる。関西圏以西で初めての学会開催だったが、地元の方々の歓迎の気持ちを本当に実感したセミナーだった。

(2016-06-29 高知新聞)


2016-06-28

[] 「啄木に乾杯!」函館市文学館講演会

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[クリ]


函館での啄木足跡たどる 新井満さんと桜井健治さん対談

 生誕130年記念

  • 石川啄木の生誕から今年で130年になるのを記念した「函館市文学館講演会 啄木に乾杯!」が25日、市公民館(青柳町)で行われた。約160人が来場し、啄木の日記や短歌を通じて109年前に函館で過ごした啄木の足跡をたどった。
  • 「啄木の函館百三十二日」と題し、作家の新井満さんと日本近代文学会会員の桜井健治さんが対談。1907年(明治40年)、21歳だった啄木が新天地を求めて函館に到着した日から函館を去るまでを啄木の日記を紹介しながら振り返った。
  • 新井さんが訳詞・作曲を手がけた「千の風になって」を披露する場面もあり、来場者はじっくりと聞き入っていた。弥生小の児童による函館にちなんだ啄木の短歌の「群読」や、函館西高放送局員による「啄木日記」の朗読もあった。
  • 市文学館(末広町)で開催中の特別企画展「函館に守り遺(のこ)されてきた啄木日記」は10月4日まで。(大山愛弓)

(2016-06-28 北海道新聞)


2016-06-27

[][] 講座 “石川啄木の単純な日本語短歌に秘められた思想の深さ" 7/23、8/27、9/24

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[フジ]


◎「近代短歌〜美しく力強きメロディー」

  • 講座日 2016年7/23、8/27、9/24の各第4土曜13:00〜14:30
  • 講師 関西大学名誉教授・第20回角川短歌賞受賞、鵜飼 康東
  • 受講料 全3回 7,460円
  • 会場 毎日文化センター・大阪
    • 大阪市北区梅田3丁目4番5号 毎日新聞ビル2階

  • 講座内容
    • 日本語の思想的な深さ、音感の強さ、および律動の美しさを作り上げた4人の歌人・詩人の作品を楽しみます。経済学者であり、角川短歌賞受賞の講師が、欧米の思想と芸術に影響を受けた語句に注目して鑑賞へと導きます。
    • 最初に、石川啄木の単純な日本語短歌に秘められた思想の深さについて解説します。次に、斎藤茂吉作品がドイツ留学後にどのように変貌したかに注目します。最後に、昭和の詩人である中原中也や立原道造の詩の出発点に短歌があったことの意味を考えます。

①7月23日(土) 石川啄木作品の屈折


②8月27日(土) 斎藤茂吉作品の強さ


③9月24日(土) 中原中也・立原道造の美しさの原点


[][] 「現代に生きる啄木」講座 7/29

生誕130周年に読み直す

 現代に生きる啄木

  • 2016年7月29日(金) 13:00-15:00
  • 朝日カルチャーセンター 芦屋教室

   兵庫県芦屋市船戸町4-1-408 ラポルテ本館4階

  • 講師 歌人・松村 正直

  • 講座内容
    • 今年で生誕130年を迎える石川啄木は、最も人気のある歌人の一人と言っていいでしょう。「やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに」「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」といった数々の有名歌は、私たちの短歌に対するイメージを形作ってきました。
    • 近年その作品の現代性やメッセージ性が、再び大きな注目を集めています。
    • 啄木の歌を一首一首じっくりと読んで、その生涯と作品の魅力に迫ります。


2016-06-26

[] 熱気にあふれた“国際啄木学会セミナー" in 高知

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[スイカズラ]


展望台 < 岩手日報

  • 国際啄木学会セミナーを取材するために先日、高知市を訪れた。啄木自身は関東より西に行ったことはなかった。しかし父一禎は、次女トラの夫である山本千三郎の赴任先の同市で晩年を過ごし、76歳で亡くなる。
  • 妻や、息子らに先立たれて長生きした一禎。つらい事も多かっただろう人生が想像されるが、この地で家族と共に撮られた写真の彼は、ひげをたくわえ、穏やかな表情をしているように見えた。
  • 啄木が晩年に情熱を費やし、その思想に影響を与えた「大逆事件」の首謀者とされた幸徳秋水が生まれたのも高知県。高知は啄木の人生を左右した人たちと関わりが深い地と言えそうだ。
  • セミナーには、同学会の会員のほか、地元の愛好者ら計120人が参加。会場は後方まで埋まり、熱気にあふれていた。(阿部友衣子)

(2016-06-25 岩手日報)


[] 「やり場にこまる拳をもて、お前は誰を打つか」啄木

◎コラム「透視図」<北海道建設新聞

「無差別殺人」

  • ニュースを見て、「またか」と嘆息した人も少なくなかったろう。「イオンモール釧路昭和」で21日起こった無差別殺人である。容疑者の男には自分の人生を終わりにしたい願望があり、「人を殺して死刑になりたかった」旨の供述をしているらしい。事実とすれば身勝手極まる。
  • 「どんよりとくもれる空を見てゐしに人を殺したくなりにけるかな」(石川啄木)。生きていれば、ふとそんな気持ちにとらわれることもあろう。ただ、そこであらためて命の尊さに気付くのが当たり前の人間の姿である。
  • 思い出すのは東京の秋葉原で2008年、当時26歳だった犯人が7人の命を奪い、10人に重軽傷を与えた無差別殺傷事件である。これも啄木だが、詩「拳」から一節を引く。「やり場にこまる拳をもて、お前は誰を打つか。友をか、おのれをか、それとも又罪のない傍らの柱をか」。他の誰でもない。打っていいのは「おのれ」だけだ。

(2016-06-23 北海道建設新聞)


2016-06-23

[][] 啄木の世界に魅せられて -ブラジル人が短歌集発刊

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[ヤナギハナガサ]


伯人女性が短歌集発表=啄木の世界に魅せられて

  • 詩人・石川啄木の短歌の魅せる世界に心酔し、伯国人女性のネイデ・ロッシャ・ポルトガルさんがポ語短歌集『トレス・テンポス―三つの時間』(中田みちよ訳)を出版した。これまでに俳諧集も20冊ほど出版しているが、短歌集は今回が初めて。
  • 15年1月に東洋街の書店で石川啄木の歌集と出会い、人間の素直な感情を詠った啄木の世界に魅了されたネイデさんは、短期間うちに71もの歌を生み出し、今回の短歌集を完成させた。
  • 本書は約100冊発刊され、短歌や俳諧などの各団体へ寄贈されるという。

(2016-06-22 ニッケイ新聞>日系社会ニュース)


[][] 富山「啄木と富山ゆかりの二人の女性」文芸サロン 7/17

高志の国 文芸サロン´16夏

  • 話題提供者

  米田憲三・テーマ「啄木と富山ゆかりの二人の女性」

  • 課題図書 『一握の砂・悲しき玩具−石川啄木歌集(新潮文庫)』からの抜粋資料
  • 日時 平成28年7月17日(日)13:30〜15:30
  • 場所 高志の国文学館101研修室

   (富山市舟橋南町2-22 電話 076-431-5492)

  • 主催 日本ペンクラブ 富山の会

  池田瑛子、中坪達哉、中西 進、久泉迪雄(幹事)、吉田 泉、米田憲三(五十音順)

  • 共催 事務局 高志の国文学館


2016-06-22

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉕ 時代(上))

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[ユキノシタ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉕ 時代(上)

  反骨精神で世に問う

  • 啄木にとって文学上の進むべき方向を指し示す光となったのが、与謝野鉄幹の主宰する東京新詩社の機関誌「明星」。盛岡中学校(現盛岡一高)の先輩である金田一京助から借りて読み、感化された。
  • 1902(明治35)年10月に明星に歌が掲載された直後に盛岡中学校を退学。文学で身を立てるために上京する。渋谷の東京新詩社を訪ねた時の日記には、「世人の云ふことの氏にとりて最も当れるは、機敏にして強き活動力を有せることなるべし」と鉄幹の魅力的な姿を記している。しかし、1908(明治41)年、再会した鉄幹に、かつての輝きは感じられなかったようだ。明星は赤字を出すようになっていた。啄木は日記に「此詩人は老いて居る」など、鉄幹の老化を3度も指摘している。明星は11月、100号で終刊を迎えた。日記には「あはれ、前後九年の間、詩壇の重鎮として、そして予自身もその戦士の一人として、与謝野氏が社会と戦った明星は、遂に今日を以て終刊号を出した。巻頭の謝辞には涙が籠つてゐる」と感慨を込めている。
  • こうした中、1910(明治43)年10月、尾上柴舟が、形式や古語の表現の限界から、短歌の滅亡を唱える「短歌滅亡私論」を文芸誌「創作」に発表する。これに鋭く反応したのが啄木だった。翌月、「一利己主義者と友人との対話」を掲載。「人は歌の形は小さくて不便だといふが、おれは小さいから却つて便利だと思つてゐる」「歌といふ詩形を持つてゐるといふことは、我々日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ」などと反論した。
  • 同年12月に啄木は第1歌集「一握の砂」を刊行。ここに至って独自の短歌観を確立してみせた。国際啄木学会の元会長で天理大名誉教授の太田登さんは「『一握の砂』は短歌を読み進めることで、小説以上のドラマ性が生まれている。小説中心の時代にあえて、短歌はまだ滅びない、という思いを込めて世に問うた作品だった」と啄木の反骨精神をみる。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-06-22 岩手日報)


[][] 講座「石川啄木と女性」世田谷 7/2

講座「生誕130年 石川啄木と女性〜恋愛・結婚・家族〜」

  • 2016年7月2日(土)午後 2 時〜
  • 講師 西連寺 成子
  • 場所 世田谷文学館2階(東京都世田谷区南烏山1-10-10)(電話 03-5374-9111)
    • 交通 京王電鉄「芦花公園」駅下車徒歩5分(新宿より20分程度・各駅停車のみ停車・改札口などに地図が掲示)
  • 主宰 世田谷文学館友の会(会長:平出 洸)
  • 参加 自由(受講料:資料代として700円)

◎西連寺成子 講師からのメッセージ

今年は石川啄木の生誕130年にあたります。

啄木は1886(明治19)年に生まれ、1912(明治45)年、26歳という若さでこの世を去りました。啄木の生涯は明治時代後半期にほぼ重なりますが、この時代の日本では、恋愛について新しい考え方が提示され、女性観や家族観、性に対する捉え方にも注目すべき動きが生じていました。啄木の人生には恋愛結婚をした妻節子をはじめ印象深い数人の女性が登場しますが、それらの女性たちが啄木にどのように関わり、影響を与えたのか、こうした時代背景を参照しながら探っていきます。

また、同時代に生き、啄木と関わりを持った文学者たちの恋愛や結婚もあわせて見ていくことで、明治時代の女性・恋愛・結婚・家族をめぐる事情も考えてみたいと思います。

 


2016-06-21

[] 幸徳秋水の処刑、作品に影 -啄木学会セミナー-

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[アジサイ]


「啄木と大逆事件」探る 高知で国際学会セミナー

 幸徳秋水の処刑、作品に影 真相の究明図り記録化

  • 高知市で18日に開かれた国際啄木学会セミナーのシンポジウムは、「啄木と大逆事件・幸徳秋水」がテーマ。
  • 同学会元会長で名誉会員の近藤典彦さんが基調講演した。大逆事件の影響が表れている啄木作品を示し「日本で初めて事件を作品で取り上げた。啄木の幸徳事件の摂取は絶大なものがある」と述べた。立命館大教授の田口道昭さんは、秋水の経済観や啄木の思想について分析。「啄木は大逆事件の記録を後世に残そうとした過程で学んだ無政府主義に共感しつつも、それを実践することについては距離を置いていたように思われる」と指摘した。
  • 高知ペンクラブ会長の高橋正さんは、秋水が連行された湯河原の旅館に同宿していた友人、田岡嶺雲が「僕は渠が此事件と直接の関係が無いものと信じて居た」と書いていることを挙げ「秋水がシロであることを裏付けている」と語った。
  • 近藤さんは「秋水の存在を小さく見積もる傾向」に疑問を呈し「秋水のありのままの姿をつかみ、きちんと評価しなくてはならない」と主張した。
  • シンポジウムに先立ち、高松市の英明高等学校教諭田山泰三さんが「啄木と不抱―新出資料を中心に」、明治大学大学院生の劉怡臻(リュウイチェン)さんが「王白淵の三行詩にみられる啄木文学受容について」と題して研究発表した。(学芸部・阿部友衣子)

(2016-06-21 岩手日報)


2016-06-20

[] 「石川啄木と高知のえにし」 啄木学会セミナー

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[アジサイ]


秋水の影響受けた 国際学会セミナーに120人 /高知

  • 歌人・石川啄木(1886〜1912年)の研究者やファンが集う国際啄木学会のセミナーが18日、高知市丸ノ内の県立文学館ホールで開かれた。
  • 啄木の父・一禎(1850〜1927年)は、旧国鉄職員だった次女の夫の高知赴任に伴い、晩年を高知駅近くの官舎で過ごした。2009年には高知駅前に啄木と一禎の歌碑も建てられた。
  • 元群馬大教授の近藤典彦氏は「啄木と大逆事件・幸徳秋水」と題し基調講演。啄木が秋水の無政府主義に共感して熱心に事件を記録したことに触れ「言論弾圧があった当時の日本で、初めて事件を作品で取り上げた」と評価した。
  • 高知ペンクラブの高橋正会長が「石川啄木と高知のえにし」と題して講演。啄木は四万十市出身の社会主義思想家・幸徳秋水(1871〜1911年)らが明治天皇暗殺を企てたとして処刑された「大逆事件」との関係や作品への影響について意見を交わし、事件の弁護人と啄木の間に深い親交があったと紹介した。

(2016-06-19 読売新聞、毎日新聞)


[] 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ……石川啄木

有明抄<佐賀新聞

「花とまちづくり」

  • 流浪と赤貧の果てに、26歳で逝った詩人の石川啄木(たくぼく)。ひどい窮乏生活の中でも、よく花を買う人だったらしい。<友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ>。そんな歌を残している。
  • 先ごろ、「花で潤うまち」を目指している富山市を訪れた。中心街に路面電車を走らせて環状線も新設し、利用客が増えている。ユニークなのは指定の花店で花束を買い、市内の電車に乗った人の運賃を無料化する事業だ。降車時に運転手に花束を見せ、店でもらった無料乗車券を渡せばいい。2012年11月に始めると増え続け、昨年度は1759人の実績が上がった。
  • 乗った路面電車で花束を見つけることはできなかったが、まちの華やぎみたいなものは感じた。啄木のように妻に、母親に、そして恋人に花を贈れば、心に灯(ともしび)が生まれる。その気持ちが、ひいてはまちの余裕につながるのかもしれない。(章)

(2016-06-18 佐賀新聞)


[][] 新井満さん、「啄木」テーマに講演 6/25

石川啄木生誕百三十年記念 文学館講演会

「啄木に乾杯!」

  • 平成28年6月25日(土)14:00〜
  • 会場 函館市公民館
  • 講師 新井満氏・櫻井建治氏

  合唱「ふるさとの山に向ひて」

  講演と歌唱 新井満氏「啄木と音楽との出会い--もし啄木の短歌にメロディーをつけたなら--」


[][] 平出修研究会 事務局移転記念講演会 6/30

  • 2016年6月30日(木) 午後1時30分から4時
  • 会場 シルバーピア石山
  • 内容 記念講演会「平出修と石川啄木ー出会いと広がり」

  講師 山下多恵子(国際啄木学会理事ほか)

  • 研究講演会「大逆事件ー新村善兵衛を追う〜判決とその後〜」

  講師:石山幸弘(群馬県立女子大学非常勤講師ほか)


  • 申し込み 当日直接会場 
  • 問い合わせ 同会事務局(電話:090-1125-1058)

(2016-06-19 新潟市東区役所だより)


[][] 語り継ぎたい日本の歌 〜夏〜 7/9

日本の歌には美しいふるさとがあります。松本薫のソプラノで「石川啄木の世界」へご案内します。

  • 日時 平成28年7月9日(土)
  • 開場 13:30 開演14:00
  • 出演 松本 薫(ソプラノ) 加戸あさ子(ピアノ)
  • 会場 千葉市文化センター
    • 千葉市中央区中央2−5−1 千葉中央ツインビル2号館6階
  • お問い合わせ 千葉市文化センター 043(224)8211


[][] 釧路 港文館 7/23

「春の啄木歌碑めぐり」

  • 2016年7月23日(土)午前10時〜正午
  • 集合 9時50分 港文館前
  • 案内役 北畠立朴氏(釧路啄木会会長)
  • 参加費 無料

   歩きやすい服装で、ご参加ください。

  • 申し込み・問い合わせ  港文館(0154-42-5584)


2016-06-17

[] 「梅」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

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-石川啄木の歌に登場する花や木についての資料-

     ひと晩に咲かせてみむと、

     梅の鉢を火に焙りしが、

     咲かざりしかな。


初出「創作」明治44年2月号

一晩のうちに梅の花をなんとか咲かせてみようと思って、梅の鉢を火にあぶったが、咲かなかったことだ。

(「石川啄木必携」 岩城之徳・編)


バラ科サクラ属の一種。中国中部原産の落葉高木で10m程度。九州北部などが原産との説もある。一般に野梅系、紅梅系、豊後系の三つに分類される。

開花は早春、通常白の5弁であるが、園芸品種は300を越える。6月くらいに実が黄色くなる。 鑑賞用の品種を「花梅」、果実を食用とするための品種を「実梅」という。

梅のもつ多くの有機酸が抗菌作用、整腸作用を促すことから、梅干し・梅酢・梅酒・梅肉エキス等、食用や薬に広い範囲で利用されている。砂糖漬け、のし梅、梅餅などの菓子類もある。

和名は薬用にする「烏梅」、または梅の漢音mei から転訛したものといわれる。古くは「むめ」と呼ばれた。


  • 和歌山県・福岡県 県花
  • 花ことば  高潔 澄んだ心 忠実、忍耐 上品 独立 (白梅)気品  (紅梅)優美

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一読、何のへんてつもない一首。花を咲かせようと、一所懸命に梅の鉢を火にあぶったが駄目だった、と言うだけのことである。しかし、こういうたわいもない行為をその儘歌にしているところに、一種の空しさに似た感味が漂うし、同時にこれしきのことに興味を働かせている作者の心情にある種のはかなさが感じられるであろう。川並秀雄の『啄木の作品と女性』(昭和29.10)に寄せた丸谷喜市の序によると、四十三年末に訪ねたとき、啄木は床の間の鉢を指して一首と同じ内容の事実を語ったという。「僕の今の歌は殆ど全く日記を書く心持で作るのだ」(瀬川深宛、明治44.1.9)と記す啄木の作歌観からすれば、これは当然のことかも知れない。また、四十三年の暮と言えば、長男真一が死亡(10.27)したあとであり、刊行した『一握の砂』の稿料も薬代や葬儀費用にあてられる始末だった。一首から、また歌を通しての作者の姿に、どこか落莫とした感じが漂うのも、そうした生活背景とも無関係ではないだろう。

しかし、この歌をそれだけのものととらず、評論「性急な思想」(明治43.2)あたりと結びつけ、結局「明日を待つ人」とならざるを得なかった啄木、「思想的な混迷の中からそれを冷静に客観しようと意欲する、悲しい省察が詠み込まれて居る様に」とる説がある(宮崎郁雨『函館の砂-啄木と私と-』昭和35.11)。(中略)

今井素子氏は前記『石川啄木集』で宮崎の意見に賛意を表し、梅の花を咲かせようとする行為に「時代を先んじて走ろうとする者のあせり」を、時が来なければ咲かぬ梅に「日本の悲しい現状を暗示」しているとするが、寓意を先立てる解には問題があるように思う。「福寿草の蒼いとほしむ幼な子や夜は囲炉裏の火にあててをり」---これは島木赤彦の作である。

(本林勝夫「『悲しき玩具』鑑賞」)


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『一握の砂』に「目の前の菓子皿」を見て、突然カリカリと噛み砕いてしまいたい衝動を歌にしたが、実際には衝動の段階で踏みとどまっている。(そんなことなどできるわけなどないのだから「衝動」自体がイメージ化された。)しかし、「梅の鉢」を火に焙って、咲かせようとしたことは充分に想像される。実際そのようなことをしなかったにせよ、火鉢の上に尻から火にかざされている「梅の鉢」は目に浮かんでくる。火に焙れば、ひょっとすると花が咲くかもしれないと想像する心の動きも手に取るように見えるし、火に焙る手つきなども見えてくる。「たあひもない行為」(本林勝夫)を楽しんでいる気分がある。こうした気分は本当である。

(上田博『石川啄木歌集全歌鑑賞』)


日常生活の形式等は、出来る丈単純にしているので、今私の心に在るものは、改良したいというより、寧ろ進展したい心持でございます。けれども故石川啄木の歌に

   ひと晩に咲かせてみむと梅の鉢を 火に焙りしが咲かざりしかな

とある心持を深く、切実に感ぜられます。

(宮本百合子「今年改良したき事」〔一九二一年一月〕『宮本百合子全集 第十七巻』)

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この歌から、急くあなたの心が伝わってきます。

「君、僕はどうしても僕の思想が時代より一歩進んでいるという自惚を捨てることができない」と言ったあなたの言葉を、繰り返し聞きながら新年を迎えた私でした。

(山本玲子『拝啓啄木さま』)


2016-06-16

[][] 「小説を書きたかった男、石川啄木」文学教室 7/29

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[クレマチス]


◎夏の文学教室

第53回 夏の文学教室 〈文学の明治―時代に触れて〉

明治の文学は移りゆく社会をどう映したか、 そこに生きた作家、生まれた作品を通して考えます。

  • 2016年7月25日(月)〜30日(土)有楽町よみうりホール(ビックカメラ7F)

  〇 7/29(金)佐伯一麦「小説を書きたかった男、石川啄木」



[][] 「賢治と啄木の世界に遊ぶ」フルートコンサート 6/30

吉川久子フルートコンサート「賢治と啄木の世界に遊ぶ」

  • 2016年06月30日 13:30開始 〜
  • 事前申込みが必要
  • 神奈川県横浜市西区みなとみらい2丁目3−6

100年たっても日本人のこころをとらえて離さない東北の地に生まれた2人の巨人、宮沢賢治と石川啄木。童話「銀河鉄道の夜」や歌集「一握の砂」など、2人の作品に登場する言葉や情景から連想される童謡や唱歌を、吉川さんの語りと演奏で楽しめる。


[] 川端康成や石川啄木に愛された神谷バー

浅草・神谷バー名物「デンキブラン」のデンキって何?

TOKYO FM+

  • 未来の日本も気になるけれど、昔からある伝統もこれからの日本にしっかりと残していきたい! というわけで今週は「東京老舗街歩き」。3回目の今回は、浅草から。たくさんの文豪が通った「日本で初めてのバー」のお話です。
  • 日本で初めてバーが登場したのは明治13年。東京の浅草一丁目一番地にできた「神谷バー」です。もちろん、現在も営業しており、いつもたくさんのお客で賑わっています。
  • 川端康成や石川啄木、萩原朔太郎に太宰治……。さまざまな文豪に愛され、多くの小説にも登場している神谷バー。このお店に来たら、ほとんどの人があるお酒を注文します。それは「デンキブラン」というお酒。聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。
神谷バーの名物です。(文/岡本清香)(TOKYO FMの番組「シンクロのシティ」2016年6月15日放送より)


2016-06-15

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉔ 手紙と日記(下))

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[キョウチクトウ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉔ 手紙と日記(下)

  人間の苦悩、喜び克明

  • 明治時代の文学作品中、私が読んだかぎり、私を一番感動させるのは、ほかならぬ石川啄木の日記である」コロンビア大名誉教授で日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、著書でこう記す。
  • 啄木は盛岡中学校(現盛岡一高)を中退し、文学で身を立てるため上京する1902(明治35)年10月に最初の日記「秋韷笛語(しゅうらくてきご)」を書きはじめる。以来26歳で亡くなる2カ月前まで、約10年間で13冊の日記を遺した。
  • 中でも啄木の心中が表れているのが1909(明治42)年4月から家族が上京する6月までの間に書かれた、いわゆる「ローマ字日記」だ。日記には主人公「Yo(予)」が文学と家族、生活のはざまで苦しんでいる状況が、第三者が読んでも分かるような工夫が凝らされている。国際啄木学会会長で明治大教授の池田功さんは「啄木は、内面の弱さを含めて徹底的に正直に赤裸々に描写した。読むと一人の人間の奥深い苦悩や喜びを追体験でき、元気をもらえる」と魅力を語る。
  • 函館市文学館では10月4日まで、企画展「函館に守り遺されてきた啄木日記」を開催、日記を公開している。福原至館長は「文学や家族への思いなど、人間啄木の揺れ動く気持ちが文字に表れており、伝わってくる」と感じ入る。

☆最後の記述、虚飾排す  作品に見る啄木

日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上つた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。

さうしてゐる間にも金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかゝつた。質屋から出して仕立て直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。

母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。

 「千九百十二年日記」1912(明治45)年2月20日付より。

この記述は啄木生前最後の日記。自身や家族の病とその薬代などにより経済的に困窮していた様子がよく分かる。

この後3月7日に母カツ、そして4月13日には啄木が亡くなる。

池田さんは「どうにもならなくなった絶望的な状態を、虚飾を排した文章で記している。前途洋々たる16歳の日記から、10年間で大きく変化した」と、内面の変化を読み取る。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-06-15 岩手日報)

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2016-06-13

[][] 「啄木ゆかりの地巡り」+ 啄木定食 7/9

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[チゴユリ]


◎石川啄木記念館 講座・ワークショップ

啄木ゆかりの地巡りバスツアー

  • 開催日時 平成28年7月9日(土) 午前9時10 分〜午後3時15分
  • 講師 石川啄木記念館 館長 森 義真
  • 料金 2,000円(昼食代、写真代、傷害保険料、資料代)
  • 当日のコース 石川啄木記念館〜渋民公園〜IGR好摩駅〜夜更森園地〜ユートランド姫神(昼食)〜常光寺〜宝徳寺

石川啄木記念館の周りのゆかりの地をバスで見学し、お昼は啄木定食をいただきます。

昨年参加された方からは「ガイド付きなのでよく知れた。」「解説がよくて楽しかった。」「普段見られないところを見学し、説明をうけることができた。」という声をいただきました。この機会にみなさんも啄木のふるさとを訪ねてみませんか。

動きやすい服装と靴でお越しください。


[][] 落語家が語る「啄木の人生のうた」広島 7/1

◎コミュニティ・アカデミー上幟(かみのぼり)

 社会人落語家が語るユーモアのある人生論

  2016年度 春期講座「啄木の人生のうた」

  • 講演者 渡邊 一雄  (元岩手県立大学教授、社会人落語家三遊亭大王)
  • 日時 平成28年 7月 1日(金) 13:30−15:30
  • 会場 アステールプラザ 2F (広島市中区加古町4-17)
  • 内容

私の伯父は国文学者で、「青虹」というアララギ派の全国的な和歌の結社をつくっていました。また、母は万葉集の研究者で、女子大で講義をしていました。このような家族の影響で、小さいときから和歌に親しんで成長しました。

岩手県立大学に在職したとき、近くに石川啄木の生家や、歌に詠まれた風景があり、啄木の歌で「盛岡の歌ごよみ」を編集したことがあります。啄木の晩年は、貧困と病気とにさいなまされましたが、人生を詠った優れた歌がたくさんあります。

私たちはなぜ啄木の歌に惹れるのか、その魅力と人生の哀歓を歌を通してみていきたいと思います。


2016-06-11

[] かるた活用「ふるさとの山に向ひて…」

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[マユミ]


短歌かるた活用を 啄木祭実行委、児童施設に寄贈

  • 今年生誕130年を迎えた石川啄木の啄木祭実行委は9日、盛岡市上厨川の土淵児童センターに「啄木かるた100首」を贈った。同実行委はかるたを市内の児童センターや学童クラブなど計77カ所に寄贈し、児童に啄木作品に親しんでもらう。
  • かるたは表側に「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」など、歌集「一握の砂」「悲しき玩具」から選んだ有名な短歌100首を印刷。取り札は下の句のみが記されている。裏側には啄木が好んだといわれるキツツキを愛らしく描いた。

(2016-06-11 岩手日報)


[] 薄幸の石川啄木が住んだ終焉の地 “陸の孤島”

東京の“陸の孤島”を歩く<日刊SPA!

  ――最寄り駅から15分以上かかる街は独自の発展を遂げている!?

過密気味のダイヤで縦横無尽に地下鉄が走っている東京都心にもかかわらず、なぜか最寄りの電車や地下鉄の駅から離れている「空洞地帯」と言えるエリアがある。多様な人々が行き交う東京の街でも、際立って特徴的と言われる陸の孤島を3つ紹介しよう。

小石川(文京区):ハデさはないがエスタブリッシュメントな雰囲気漂う

  • 最初に訪れたのは国道17号(本郷通り)国道254号(春日通り)に挟まれた文京区小石川地区。
  • 「文京さくらまつり」などでも知られる播磨坂、小石川植物園など、自然が豊かで公園も多いのも特徴だ。実はこちらの小石川地区、薄幸の石川啄木が北海道放浪後に移り住んだ終焉の地で、幸田露伴もこのあたりに居を構えていたことでも有名。徳川所縁の伝通院を中心に神社仏閣が溶け込んでいる。
  • 次に紹介する西麻布のようなハデさはないが、なんとも落ち着いたエスタブリッシュメントな雰囲気が漂い、山手外郭の風格が感じられた。

(2016-06-11 日刊SPA!)


2016-06-10

[] 教科書で出会った名歌「ふるさとの訛なつかし…」啄木

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[マユミ]


◯ 本 よみうり堂 トレンド館

 教科書アンソロジー文庫 続々

  • 近年、教科書に載った小説や俳句、詩などを集めたアンソロジー文庫が、続々と刊行されている。
  • 『教科書名短篇ーー少年時代』(中公文庫)、『教科書でおぼえた名文』(文春文庫)、『筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫)、『教科書で出会った名詩一〇〇』・『教科書で出会った名句・名歌三〇〇』(新潮文庫)

  • 教科書アンソロジーに収められている名歌・名句

   ふるさとの訛なつかし

   停車場の人ごみの中に

   そを聴きにゆく

                石川啄木


   みちのくの母のいのちを一目みん

     一目見んとぞただにいそげる

                斎藤茂吉


   若鮎の 二手になりて 上りけり

                正岡子規


(2016-06-06 読売新聞夕刊)

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[] 書評『石川啄木』=ドナルド・キーン

◯今週の本棚

 小島ゆかり・評 『石川啄木』=ドナルド・キーン著(新潮社・2376円)


芸術は不道徳の非難を恐れぬこと

  • 評伝である本書の進行に沿って石川啄木の生涯を追体験するうち、いつのまにか啄木の生きた時間の奥深くへ入り込むような錯覚を覚える。
  • 啄木の成績が極めて優れていたので、級友たちは啄木を「天才」と呼び、この呼称は生涯啄木に付いて回った。啄木自身、時には自分を天才たちの仲間に加えることがあった。しかし神童に約束された輝かしい未来と、自分が現に送っている悲惨な生活との極端な違いに、啄木は次第に気づくようになった。(「反逆者啄木」)
  • 啄木の遺(のこ)した数多くの詩歌、日記、批評、小説、手紙などの中でも、著者はとりわけ『ローマ字日記』に注目している。日記に初めてローマ字が登場するのは明治四十二年四月三日。北原白秋の詩集『邪宗門』について記され、三日後には、一段と向上した感動的な表現で、『邪宗門』を称賛している。ローマ字採用の理由を探りつつ、『邪宗門』からオスカー・ワイルドへと、スリリングに著者の思いはめぐる。すなわち芸術の斬新な様式は、理解し難く、不道徳という非難を恐れないことだと。
  • 『ローマ字日記』を読んでいて我々が感じるのは、おそらくその描かれた真実に対する称賛の気持と、数々の失敗を重ねながらも親近感を覚えてしまう一人の男に対する愛着である。その男が陥った窮境は、時代や不運のせいというよりは自分の身勝手が原因であったかもしれない。しかし最終的に我々は、それがたぶん天才である一人の詩人に不可避のものとして、その身勝手さを受け入れる。おそらく啄木は、自分がすでに傑作『ローマ字日記』を書いていることに気づいていなかった。(「ローマ字日記」)
  • この慧眼(けいがん)の研究者の存在は、啄木にとってまことに幸運なことだった。(角地幸男訳)

(2016-06-05 毎日新聞)

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2016-06-08

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉓ 手紙と日記(上))

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[スミレ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉓ 手紙と日記(上)

  小説のような味わい

  • 啄木は生涯に数多くの手紙を書いた。全集に収められているだけでも511通に上る。筑波大名誉教授の平岡敏夫さんは著書「石川啄木の手紙」で「印刷・公刊されたものとはちがって、手紙はいくら書いても受け取った人が大事に保存していなければ残りはしない。(中略)啄木という人間、その手紙にどこか忘れられない魅力があった」と解説する。
  • 特徴的な内容の一つは、生活苦の発信。自らの状況を正直に明かし、借金や給料の前借りを依頼している。また自身や家族の病苦も伝えている。1911(明治44)年2月に慢性腹膜炎で入院した時、宮崎郁雨に宛てたものでは医師との会話を再現している。

「痛くないんだから、仕事をしながら治療するといふやうな訳にいきませんか。」

「そんなノンキな事を言つてゐたら、あなたの生命はたつた一年です。」

「腹膜炎ですか。」

「さうです。慢性ですから痛みがないのです。何しろ一日も早く入院する外に途はありません。毎晩夢を見るでせう? さうでせう、内臓が非常に圧迫されてるから。かうして十日も経つと飯も食へない位ふくらんで来ます。そして余病を併発します。」

「どうも大分おどかされますね。」

読んでいると光景がありありと浮かんでくる。

  • 国際啄木学会会長で明治大教授の池田功さんは「一般的な手紙とは異なり、公開の手紙のごとく、あるいは書簡形式の随筆とほとんど変わらないくらい、小説のような会話や詳細な描写をしている。啄木と受け取った人との関係を知らない人たちが読んでも、小説の一場面のように味わうことができる」と、魅力を語る。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-06-08 岩手日報)

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2016-06-07

[] 報われない天才詩人 啄木

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[ティーツリー]


短歌は日本人にとって怨霊か、幸福か

 〜石川啄木と折口信夫の対照的な短歌観 中島丈博の読書日記

  • 報われない天才詩人への愛惜
    • ドナルド・キーンさんの『石川啄木』は夕刊紙などで読むキーンさん独特の文体とは違って、いやに円滑で明快だと思ったら、英文からの翻訳だった。所々に挿入されている短歌が懐かしい子守歌のような効果を醸して、気持ちよく引き込まれる。
    • 明治という閉塞の時代とあらがいながら借金もつれの満身創痍で生きた石川啄木という夭折の天才歌人の全体像が余すことなく繰り広げられている。詩歌では食えないということもあって、啄木は何度も小説に挑んだけれども、その都度、失敗しているが、日本の日記文学に通暁している著者は、赤裸々に自己暴露を刻印した『ローマ字日記』にこそ、小説以上の価値ありとしている。(中島丈博)

 『週刊現代』2016年6月11日号より

(2016-06-05 現代ビジネス)


[]「やはらかに柳あをめる…」石川啄木

忙人寸語<千葉日報

  • 坂東太郎の異称で知られる利根川は、規模、存在感の大きさ同様、生活や風土も変化に富む。時の流れをさかのぼれば、だれにもある心の原風景と出会えそうだ。
  • 「遠く春雨のけぶる河原の中を夢のやうな利根川がながれて居る。はるかに河瀬の音がきこえる」(櫻の花が咲くころ)。詩人、萩原朔太郎にとってふるさとの川である。
  • そこに住む人にとって山河はふるさとであり、心のよりどころである。石川啄木は「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」。また、島崎藤村も「千曲川柳霞みて春淺く水流れたりたゞひとり岩をめぐりてこの岸に愁を繋(つな)ぐ」。
  • 川の流れは時の移ろう様や人生にもたとえられる。藤村は「過し世を静かに思へ百年もきのふのごとし」といい、「今日もまたかくてありなむ」と。

(2016-06-04 千葉日報)


[] 「歌ふことなき人人…」啄木

◯金曜「楽しむ」光を見に行く

  小樽(4)小樽港北防波堤 文化力育んだ繁栄支える

  • 小樽が北海道の経済を牽引(けんいん)していた20世紀前葉。商都の若者たちはどんな青春をおくっていただろう。
  • 例えば早川三代治(みよじ)は、1914(大正3)年に東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)予科に入って有島武郎教授と出会う。ほどなくして高田紅果ら小樽の友人たちと文芸誌をつくり、有島の講演会なども企画して青春を謳歌(おうか)した。
  • 物流や情報の中心は海路だったので、拠点港小樽の若者たちは札幌よりも早く東京の文化情報にふれていた。石川啄木に影響を受けた文学青年として位置づけられる高田紅果にしても、すでに少年時代に自ら紅果と号するほど文芸に親しんでいた。
  • 若者たちの感性を育んだのは、まちの文化土壌だ。小樽では古くから、長い冬に実業家や漁業家たちが例えば俳諧を楽しみ、いくつもの俳句結社があった。富裕層の日常は豊かな遊芸とともにあった。啄木が「歌ふことなき人人の声の荒さよ」とよんだ小樽像だけを額面通り取らないで……。<文・谷口雅春>

(2016-06-03 朝日新聞)


2016-06-06

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉒ 識者に聞く)

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[ティーツリー]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉒ 識者に聞く 国際啄木学会理事・山下多恵子さん

  家族と文学 両立苦悩

◎啄木は渋民尋常高等小学校(現渋民小)で代用教員を務めた。

  • 一言一句に反応する子どもたちが食いつきたいほどかわいい、持って生まれたいいところをそのまま伸ばしてやりたいと言っている。月給は8円だったが、自らを『日本一の代用教員である』と言った。その言葉に恥じない生活をしていた。人間的魅力がいかんなく発揮された1年間だった。

◎啄木にとり音楽とは。

  • 節子を通して西洋音楽に触れ、ワーグナーの思想に関心を抱き、研究に没頭。バイオリンやオルガンを弾き、自ら楽しみ人を喜ばせた。啄木の短歌は『暗唱性』と『普遍性』を備えている。リズムや呼吸、強弱など音楽の要素が生きているからこそ、くちずさむことができるのではないか。

◎東京での生活は。

  • 友人で後に義弟となる宮崎郁雨に家族を託して上京後、猛烈な勢いで小説を書き続けるが評価されなかった。つらい日々が結晶したのが『ローマ字日記』。自殺してもおかしくないほどの限界状況に置かれた詩人の凄絶な記録は、私たちの胸を震撼させる。

◎啄木の金銭感覚は。

  • 凡人は天才に尽くすべきだという『天才主義』に取りつかれていた啄木は、多くの借金をし、浪費を繰り返した。しかし、変わっていく。いつかは返そうと書き留めた「借金メモ」も残っている。晩年には『貸そう』と言われても断ったという話があるほど。以前のようないいかげんな啄木だったら、人に頼って何とか生き延びようとしただろう。人間としての成長が命を縮めたと思うと、考えさせられるものがある。

☆直筆日記 一挙に公開 北海道・函館市文学館

  • 函館市文学館は10月4日まで特別企画「函館に守り遺されてきた啄木日記」を開いている。啄木が約10年にわたり書き続けてきた、貴重な人生の記録を見ることができる。
  • 会場には、市中央図書館啄木文庫に保管されている全13冊の日記を展示している。福原至館長は「日記は劣化が進んでおり、一挙に公開するのはこれが最後になるのではないか。この機会に直筆の日記を見てほしい」と来館を呼び掛ける。(函館市文学館 電話 0138-22-9014)

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-06-01 岩手日報)

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2016-06-05

[] 「啄木を目に入れても痛くない母」啄木祭

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[ウスベニアオイ]


「啄木 友人に恵まれた」渡辺えりさんが講演

  • 盛岡出身の詩人石川啄木をしのぶ啄木祭は4日、盛岡市渋民の姫神ホールで開かれた。全国から啄木愛好家など500人余りが集まった。渡辺さんは「わたしの啄木・賢治・光太郎」と題し講演。啄木と賢治の共通点として友人たちが作品を広めたことを挙げ、「応援してくれる人たちがいなければ、私たちは詩を読むこともなかったのかも」と交友関係の広さを語った。
  • 井上ひさしの戯曲「泣き虫なまいき石川啄木」で母カツを演じたことに触れ、「啄木を目に入れても痛くないというほど大事にしていた。心から啄木を応援していたと思う」と役作りを振り返った。
  • 渡辺さんと石川啄木記念館の森義真(よしまさ)館長との対談では、自身が演じた母カツの人柄について「役作りをしながら、カツは本当に啄木のことを手放しで愛していたのだと感じた」と役者の目線で啄木像に触れた。

(2016-06-05 岩手日報、IBC岩手放送、読売新聞)


2016-06-04

[] 岩手日報により詩人啄木の誕生と飛躍が可能に

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岩手日報創刊140周年記念 別刷り特集

◎日報と石川啄木

今年は石川啄木の生誕130年、宮沢賢治の生誕120年にあたる。本県のみならず、日本を代表する文学者である2人は、本紙(岩手日報)と関わりが深かった。中学時代から投稿し文学で身を立てようとしていた啄木を本紙がどう見ていたかを紹介する。


文学の才能磨く場に  詩やエッセー多数掲載


  • 啄木にとって、岩手日報は作品を磨く上で貴重な発表の場だった。15歳で初めて「巖手日報」に短歌が掲載されてから26歳で亡くなるまで歌、詩、エッセー、評論、文芸時評などの作品が113回掲載されており、文学的な支えとしての役割も果たした。
    • 1901年・短歌(初めて啄木の作品が活字となる)、1903年・評論「ワグネルの思想」連載、1909年・評論「百回通信」連載。
  • 国際啄木学会元会長の太田登さんは「岩手日報により詩人啄木の誕生と飛躍、思想の成熟が可能だった。東京朝日新聞と並び、岩手日報は啄木にとって欠くべからざるメディアだった」と強調する。

連載、特集で歌人悼む ーー訃報どう伝えた

  • 啄木は1912(明治45)年4月13日、東京小石川区で亡くなった。「巖手日報」は同16日、訃報を載せた。

「先年来本紙の寄書にて紙面を賑はせる石川啄木氏は病気に罹り治療中なりしが本年に入り重患となり遂に去る十三日午前九時半永眠せるか(中略)青年歌人として文壇界に名を成せしが此の訃音に接するは誠に惜むべきなり」

  • 15日に浅草の等光寺で営まれた葬儀の様子は、「啄木氏の葬儀」として17日の紙面で報じた。会葬者として夏目漱石、森田草平、木下杢太郎、北原白秋らの名前を挙げている。
  • 13回忌にあたる1923(大正12)年の4月15日には「詩人啄木記念号」として1ページの特集を組み、寄稿や自筆の手紙、啄木をしのぶ会合の写真などを掲載した。

(2016-06-01 岩手日報)

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2016-06-02

[][] 明治のソウル・ブラザーズ「啄木と賢治の魅力」 7/1

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[ヒメノウゼンカズラ]


啄木学級―文の京講座― 受講者募集!

盛岡に生まれ育ち、文京区でその生涯を閉じた、両区市のゆかりの歌人「石川啄木」の、文人としての功績の顕彰と、ひとりの人間としての魅力に触れる講座です。また、本講座を通して、文京区・盛岡市のさらなる文化交流の活性化とパートナーシップの強化を図ります。


  • 日時 平成28年7月1日(金)14時開演 (13時開場)
  • 場所 文京シビックホール小ホール(東京都文京区春日1-16-21)

講演「啄木と賢治:明治のソウル・ブラザーズ」

   ロジャー・パルバース氏(作家・劇作家・演出家)

対談 「啄木と賢治の魅力」ロジャー・パルバース氏×石川啄木記念館 森義真館長

 

●主催 文京区・盛岡市・(公財)盛岡観光コンベンション協会


○お申し込み・お問い合わせ 下記リンクへ


2016-06-01

[] < たんたらたらたんたらたらと雨滴が… >石川啄木

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[雨上がり]


雨の音 凡語>京都新聞

  • しとしと、ぽつぽつ、ぱらぱら、ざあざあ…雨の音を表す言葉が日本にはいっぱいある。「雨がぴりぴり降ってきた」。亀岡市では、古老だけかもしれないが、降り始めた小雨をそう表現するそうだ。
  • 石川啄木は歌集「一握の砂」で < たんたらたらたんたらたらと雨滴(あまだれ)が痛むあたまにひびくかなしさ > とうたっている。心のさまを雨の音に表す文化が根付いてもいる。
  • きょうから6月。去年は3日に近畿地方が梅雨入り、平年より4日早かった。
  • 水の神様、貴船神社(京都市左京区)できょう、祭りが営まれる。雨を降らせ止める神様に祈る謙虚さを思い出す機会でもあろう。雨の音を聞き分け、危険な兆しを感じられるようにしたい。

(2016-06-01 京都新聞)


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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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