啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2016-07-30

[][] 啄木は「心の呼吸を子弟の胸奥に吹き込みたい」と教壇に立った -講座- 9/3

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[チダケサシ]


啄木学級故郷講座

明治39年、啄木は「自分の心の呼吸を故山の子弟の胸奥に吹き込みたい」と願い、渋民尋常高等小学校代用教員として教壇に立ちました。

その校舎において「啄木学級」を開校し、啄木のふるさとの自然と人々に触れ合いながら、啄木文学について理解を深めます。

  • 開催日 2016年9月3日(土曜日)13時から16時まで
  • 申し込み 往復ハガキで石川啄木記念館啄木学級係へ

     〒028-4132 岩手県盛岡市渋民字渋民9

  • 費用 参加費1,000円(写真代,記念品代。当日受け付けでお支払いください)
  • 場所 旧渋民尋常小学校校舎(石川啄木記念館内)
  • 講演 『一握の砂』-----賢治短歌の出発
  • 定員 50人 (抽選)
  • 主催 公益財団法人盛岡観光コンベンション協会


2016-07-27

[] “最終回”「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉚ 識者に聞く)

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[ヤブラン]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉚ 識者に聞く 国際啄木学会会長 池田 功さん

  今に通ずる感覚魅力

◎全集に収録された手紙511通から読み取れることは。

  • 特筆すべきは『ブログ感覚』。多くは、実用的な内容以上に自分の情報を一方的に報告していた。一人の人間のドラマを読み取ることができる。
  • 人間関係も分かる。金田一京助には生涯候文で書いており、敬意を持って接していた。一方、妹の光子には乱暴とも言える文体で叱咤激励していた。

◎16歳から10年間で13冊の日記を残した。

  • 書きながら考える行動の人だった。困難な状況を分析し、自分を励ます言葉を日記に書き散らすことによって、気分を調整していた。初めからペンネームを使っており、後世に日記文学として残したいという意気込みも感じられる。

◎当時、文学の主流が小説へと移っていった。

  • 島崎藤村田山花袋ら、自然主義小説の時代となっていった。啄木も小説を書いたが売れなかった。そうした時に三十一文字の短歌が湧いてくる。啄木にとって短歌のリズムは体に染み込んでいて簡単に湧いてくるものだった。短歌は日常生活の一瞬一瞬を詠むものとして価値があり、小さな器であるが故に便利だと考えるようになった。

◎自身や家族の病、死とどう向き合っていたか。

  • 結核のために姉サダが亡くなった20歳の時の日記には『あゝ肺病になるのか?』と記している。そのころから姉のように亡くなるのではないかという恐れを持っていたのではないか。
  • 母カツが結核であると診断を受けた時には手紙に『去年からの私一家の不幸の源も分つたやうに思はれます』と書いた。母の死を従容として受け入れ、同時に自らの死もそれほど遠いものではないと考えざるをえない状況だった。

◎海外でも啄木作品が翻訳されるなど、高く評価されている。

  • 望郷の思いや母への愛情、日常の何げないことを詠んだ普遍的な感情が共感を集めている。今の私たちの感覚に直接訴えてくる魅力があり、130年前に生まれた人とは思えない、新しさを発信している。

☆啄木・賢治愛受け継ぐ ── 盛岡大の研究会

  • 盛岡大の日本文学会啄木・賢治研究会(高橋韻人(たつと))代表)は週1回集まり、古里を代表する文学者である石川啄木宮沢賢治の作品を読み、議論を重ねている。
  • 同会は1992年、当時同大助教授だった遊座昭吾さん(国際啄木学会元会長)が立ち上げた。啄木愛、賢治愛は世代を超えて学生たちに受け継がれている。指導する同大助教の塩谷昌弘さんは「学生たちにはそれぞれ啄木、賢治のイメージが出来上がっている。それぞれの像をぶつけ合うことで、より柔軟な読み方ができ、驚きや発見につながっている」と利点を挙げる。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)


<「啄木 賢治の肖像」は今回で終わり>

(2016-07-27 岩手日報


[] 明治の天才 啄木の青春-盛岡市と、啄木が眠る-函館市への旅 BS朝日 8/2


「日本の原風景 夏こそ東北 その心 2時間SP  盛岡・函館 北のハイカラ 街めぐり 〜石川啄木 うたの風景〜&津軽 岩木山 鬼の棲む里 〜十万石の城下町と鬼伝説を辿る〜」


BS朝日 「新 にほん風景遺産」 2016年8月2日(火)21:00〜21:54

岩手朝日テレビ 「新 にほん風景遺産」 2016年8月15日(月)15:55〜16:50



盛岡・函館 北のハイカラ 街めぐり 〜石川啄木 うたの風景〜

  • 2016年は、明治の天才詩人・歌人である石川啄木の生誕130年のメモリアルイヤー。啄木の故郷であり青春時代を過ごした岩手県盛岡市と、啄木が眠る北海道函館市、この2つの街を、開業したばかりの北海道新幹線で旅する。
  • 岩手県の中部に位置する盛岡市は、南部藩20万石の城下町として発展。啄木は「美しい追憶の都」と表現した。
  • 1907年、故郷で代用教員として働いていた啄木だが、校長と対立して免職。生活に困り、一家の生計を担うため、新天地を求めて北海道・函館へと旅立つ。1859年に横浜や長崎とともに開港した函館は、関東以北で最もハイカラな近代都市だった。異国情緒漂う町並み、才能ある文学仲間との出会い、家族と過ごす穏やかな日々。「死ぬときは函館に行って死ぬ」と残すほど、啄木は函館を愛した。
  • 石川啄木の足跡をたどり、盛岡から函館を旅するのは、作家・島田雅彦。赤レンガの旧銀行、盛岡名物・わんこそば、酒屋の角打ち(もっきり)では、常連さんたちと啄木談義に花が咲く。そして、北海道新幹線で函館へ。家族水入らずで過ごした住居跡地や、洋式公園、妻・節子が通った旧質店などを訪ね、啄木が函館を愛した理由に迫る。


2016-07-26

[] 「啄木プレートつくろ!」啄木記念館

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[キンポウゲ]


白磁の皿に啄木の歌

  • 盛岡市渋民の石川啄木記念館(森義真館長)は23日、同館でワークショップ「啄木プレートつくろ!」を開いた。参加者は啄木の短歌を書き込んだオリジナルプレート作りを楽しんだ。
  • 参加者は焼き込み用のシールを用いて山や花の模様を白磁の皿にデザインした後、特別なペンでお気に入りの啄木短歌を記入した。参加者は後日、完成した皿を受け取る。

(2016-07-25 岩手日報


[] “岩手日報は啄木を産み育てた” 啄木学会盛岡支部

啄木育てた岩手日報

  • 国際啄木学会盛岡支部の月例研究会は23日、盛岡市の上田公民館で開かれた。同支部長の小林芳弘さんが「啄木と岩手日報」と題して話題提供。創刊140周年の岩手日報石川啄木には強いつながりがあったことを紹介した。
  • 小林さんは、函館日日新聞や釧路新聞、東京朝日新聞などと、啄木との関わりを比較。社員として勤務していないものの、岩手日報には短歌や詩などの作品が113回にも上り掲載されていたこと。1904(明治37)年に渋民村で開かれた日露戦争の祝勝会で啄木が弁論していたことを報じた記事や、1905年に第1歌集「あこがれ」を持って訪ねて来た啄木を励ます記事等を提示。
  • 「作品以外の消息記事などは、啄木と岩手日報との絆を表している。岩手日報は啄木を産み育てて世に出し、長年にわたり見守り続けた」と強調した。
  • 渡部芳紀さんは「北海道中央部の啄木碑」をテーマに各地の歌碑の写真を写しながら、啄木との関連を紹介した。

(2016-07-26 岩手日報


[] <6年目の被災地>啄木のいとこのひ孫 歯科医として奮闘 

啄木歌碑に復興誓い 釜石旅行から116年

 いとこのひ孫・工藤さん、歯科医として震災で奮闘 /岩手

  • 石川啄木は、明治三陸大津波(1896年)から4年後の1900(明治33)年7月。旧制盛岡中学3年担任の冨田小一郎先生に引率されて、三陸沿岸を北上した。釜石には7月25日昼ごろに入り、いとこの工藤大助方に到着し世話になった。
  • 工藤大助は母方のいとこ。災害で医師がいなくなった釜石に、県の要請で盛岡から赴任した。一度は盛岡に帰るが、再び釜石に戻って生涯地域の医療に尽くした。俳人としても知られた。
  • 工藤さんら親族は震災から4年半が過ぎた昨年10月、釜石市の協力を得て、大町の青葉通り緑地に歌碑を建てた。歌碑には、石川啄木記念館館長の森義真さんに選歌してもらった「ゆゑもなく海が見たくて 海に来ぬ こころ傷みてたへがたき日に」(歌集『一握の砂』所収)を彫り込んだ。
  • 25日は、啄木が釜石に足跡を刻んでから116年。いとこのひ孫で釜石市大町の歯科医、工藤英明さんは東日本大震災で海辺の診療所を流された。工藤さんは避難所を回って歯の応急処置に努める傍ら、歯型から遺体の身元を割り出す作業にも取り組んだ。
  • 工藤さんは啄木の歌碑を前に「復興する釜石の姿を見守ってほしい」と願う。【鬼山親芳】

(2016-07-26 gooニュース>毎日新聞)


2016-07-24

[][] 企画展「ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く」8/11〜12/25

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ドナルド・キーン・センター柏崎

 平成28年度後期特別企画展

 ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く ~最初の現代日本人~」展

石川啄木生誕130年の年にあたる今年、ドナルド・キーン先生は、2月に評伝『石川啄木』(新潮社)を出版、9月にはコロンビア大学から英語版が出版されます。

キーン先生が、石川啄木の「ローマ字日記」に出会ったのは日本留学2年目、1954年(昭和29)。「その芸術は独創的であるばかりでなく、日本近代文学の一つの絶頂である」と高く評価し、以来、石川啄木は、重要な研究テーマとなっています。

キーン先生の心を捉えて離さない一人の詩人、石川啄木。「ローマ字日記」を含む石川啄木の日記を通して「啄木は最初の現代日本人」の意味を読み解いていきます。

  • 期間 2016年(平成28年)8月11日(木)〜同年12月25日(日)
  • 場所 ドナルド・キーン・センター柏崎 2 階特別企画展示室
  • 時間 10:00~17:00(最終受付は16:30)
  • 料金 当センターの入館料にて見学できます。(大人 500円 中高生 200円 小学生 100円)
  • 主催 公益財団法人ブルボン吉田記念財団

    新潟県柏崎市諏訪町 10-17  電話:0257-28-5755



[][] 啄木を【最初の現代日本人】とした意味は何なのか  -特別講演会

柏崎市名誉市民 ドナルド・キーン先生を迎えて

 ドナルド・キーン・センター柏崎開館三周年記念 特別講演会」

公益財団法人ブルボン吉田記念財団では、「ドナルド・キーン・センター柏崎」の開館三周年を記念し、 柏崎市の名誉市民であるドナルド・キーン先生をお迎えしての特別講演会を、下記のとおり開催いたします。

今回の講演会は、キーン先生にとって、1954年(昭和29年)、留学して2年目から重要な研究テーマ となった「石川啄木」を取り上げて開催いたします。先生は、「石川啄木」を【最初の現代日本人】と評し ています。その意味は何なのか。国際啄木学会会長である池田功氏(明治大学大学院教授)をお招きしての 基調講演や対談をとおして、その意味を解き明かしてまいります。


<ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く~最初の現代日本人~>

  • 日時 2016年9月19日(月 祝)13:30〜16:10(開場13:00)
  • 会場 柏崎市文化会館アルフォーレ(大ホール)

    新潟県柏崎市 日石町4−32 電話: 0257-21-0010

  • 入場料 大人1,000円 大学生以下無料

◎基調講演石川啄木の日記を読む ~キーン先生の啄木日記論を紹介しながら~」

  • 講師 池田 功 氏(明治大学大学院教授・国際啄木学会会長)

◎記念対談石川啄木~最初の現代日本人~」

  ドナルド・キーン 氏 ( コロンビア大学名誉教授 )・ 池田 功 氏

  進行役 キーン誠己氏


   新潟県柏崎市諏訪町 10-17  電話:0257-28-5755




2016-07-23

[] BS朝日石川啄木のうたの風景」8/2(予定)

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[ヤマユリ]


◎「石川啄木のうたの風景」放送予定

  • BS朝日 「新 にほん風景遺産」 2016年8月2日(火)21:00〜21:54


 タイトル&サブタイトル

  石川啄木のうたの風景 〜青春の輝き・盛岡 文学の新天地・函館〜


[][] パネル展「石川啄木のふるさと」

盛岡市・玉山村合併10周年記念パネル展「石川啄木のふるさと」及び「短歌甲子園10年のあゆみ」

  • 日時:2016年7月27日(水)〜8月4日(木)
  • 場所:多目的ホール小(岩手銀行旧本店本館 盛岡市中ノ橋通1丁目)
  • 主催:全国高校生短歌大会実行委員会

 

 石川啄木のふるさとである玉山地域を紹介するとともに、短歌甲子園のこれまでのあゆみを振り返ります。

岩手銀行赤レンガ館)


[][] 第11回全国高校生短歌大会(短歌甲子園2016)

この夏もまた,啄木ゆかりの地「岩手・盛岡」で,全国から高校生歌人たちが集い,詠み競う「全国高校生短歌大会(短歌甲子園)」を開催します。

  • 開催趣旨 近代短歌に新しい世界を切り開いた青春の歌人,石川啄木を顕彰するとともに,啄木が生まれ育った盛岡市にふさわしい,若い世代の短歌づくりを振興するため,全国の高校生を対象にした短歌大会を開催します。
  • 日程 2016年8月17日(水)〜19日(金)

 8月17日(水)  組み合わせ抽選会会 開会式

 8月18日(木)  個人戦 団体戦1次リーグ

 8月19日(金)  団体戦決勝トーナメント 個人戦決勝戦 表彰式/閉会式

  • 特別審査員 歌人の小島ゆかりさん(コスモス短歌会)


[] 漢字トリビア「砂」の成り立ち物語

  • 「漢字」、一文字一文字には、先人たちのどんな想いが込められているのか。時空を超えて、その成り立ちを探るTOKYO FMの「感じて、漢字の世界」。「砂」に込められた物語を紹介します。
  • 「砂」という漢字は「石」に「少ない」という字を書きます。「少ない」という字は、小さな貝を紐で綴った形を描いた象形文字。「砂」という漢字は、その貝がらほどの大きさの石を意味しています。
  • 「石をもて追わるるごとく」故郷を後にして、北海道・函館に降り立った石川啄木。満たされぬ心を抱えた彼は、津軽海峡を望む大森浜をたびたび訪れました。砂山で腹ばいになって初恋のいたみを遠く想い、涙を吸った砂で玉をつくり、砂に打ち寄せられた流木に語りかける。それは、啄木が己と向き合い、我を愛する赦しのひとときでした。こうして、かの有名な歌集『一握の砂』が生まれたのです。

  いのちなき砂のかなしさよ

  さらさらと

  握れば指のあいだより落つ

  • 誰もが一度はやってみたことのある戯れに、人は、何を重ねてみるのでしょう。無常に過ぎゆく時間、報われぬ想い、はかなく消えた夢。何度も砂を握り締め、くりかえし砂を落としてゆくうちに、目の前には小さな砂の山ができあがる。砂はただこぼれ落ちたのではなく、積み重なって新たな形を築き上げているのです。
  • 心おきなく砂にまみれた石川啄木は、『一握の砂』にこんな一首も残しています。

  大といふ字を百あまり

  砂に書き

  死ぬことをやめて帰り来れり

  • 漢字は、三千年以上前の人々からのメッセージ。その想いを受けとって、感じてみたら……、ほら、今日一日が違って見えるはず。

TOKYO FMの番組「感じて、漢字の世界」2016年7月16日放送より)


2016-07-20

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉙ 没後の評価)

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[クマシデ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉙ 没後の評価

  普遍的な感情に共感

  • 啄木は1910(明治43)年12月、第1歌集「一握の砂」を刊行し、そのわずか1年5カ月ほど後の1912(明治45)年4月13日、26歳でこの世を去った。亡くなる1週間前に親友の土岐哀果に託した原稿「一握の砂」は、土岐により「悲しき玩具」と名付けられ、6月に出版された。その後も土岐や金田一京助らの手で、二つの歌集の歌が広く知られることとなった。
  • 国際啄木学会会長で明治大教授の池田功さんによると、戦前の教科書に採用された作品は、望郷や親孝行を詠んだ感傷的な歌が多くを占める。戦後は、自由な雰囲気の中、いわゆる「啄木ブーム」が起き、1946年(昭和21)年には15種類、翌年には13種類の歌集や詩集などが刊行された。
  • 1948年に秘蔵されていた日記が初めて刊行されると、全集に厚みが増し、研究にも弾みが付く。同時に、借金や、妻以外の女性とも関係を持っていたことなど、マイナス面も知られることにもなった。
  • 一方、啄木の詩や評論の思想面、啄木が書き残した「大逆事件」(1910年)についての記録や新聞記事のスクラップは、今なお続いている事件の検証で大きな役割を果たしている。
  • 1989年には、啄木研究の第一人者である故岩城之徳さんらが中心となって国際啄木学会を創立。現在は国内外の会員約200人が組織的に研究を進めている。国外支部は台湾、韓国、インドネシア、インドにある。啄木作品はこれまでに、短歌を中心に14言語、18カ国で翻訳されている。
  • 池田さんは「望郷への思いや母への愛情、日常の何げないことを詠んだ普遍的な感情は、国境を超えて通じ合うのではないか」と分析する。
  • 明治大大学院教養デザイン研究科博士後期課程2年の劉怡臻(リュウイチェン)さんは、「台湾の啄木」と呼ばれる詩人、王白淵(1902〜1965)の詩に、その影響をみる。盛岡の岩手県女子師範学校で教えたこともある王は、「盛岡時代に啄木への認識を深め、歌に共感したのではないか」と劉さんは指摘する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-07-20 岩手日報


2016-07-19

[] 「啄木 賢治」の足跡を後世に伝え続ける役割

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[センダン]


啄木と賢治伝え続ける < 展望台 < 岩手日報

  • 宮澤賢治が「…… 聖日蓮生誕七百年の思ひ出深き日に/剃髪して深夜漂然家出す」。1921(大正10)年3月6日付の本紙(岩手日報)にはこんな見出しの記事がある。
  • 一見センセーショナルな見出しから資産家の息子の家出を興味本位、あるいは批判する立場で書いたものとばかり思い込んでいた。ところが実際は「現世(うつしよ)の帳(とばり)を払って『法』の為めに敢然と発心した年若き信徒よ…」と、賢治を感心な若者として褒める内容で、その門出に「幸多かれ」と祝福までしていた記事だった。ゴシップ記事を疑った自分を反省するとともに、温かな目で賢治の家出をとらえた約100年前の先輩記者から大事なものを教わったような気がした。
  • ことし生誕130年の石川啄木と、同120年の賢治。自分が本紙創刊140年特集で「啄木賢治の肖像」を紹介することとなり、幸せを思う反面、2人の足跡を後世に伝え続ける役割もまた負っていると思う。(志田澄子)

(2016-07-16 岩手日報


2016-07-15

[] 高知の啄木ファンのこと

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[キンポウゲ]


高知と啄木の縁感じた遍路

  • 本紙(岩手日報)7月6日付「ばん茶せん茶」で、高知県の有沢二郎さんの「高知一の啄木ファン」を読み、6年前の春がよみがえった。
  • 四国遍路を巡り土佐の高知二十七番札所をこの日の打ち止めにし、「錦松」に泊まる。夕食時、おかみさんが「どこからですか」と尋ねた。「岩手からです」と答える。「啄木の生まれた所でしょ」と言われ、高知で「啄木」の名を聞けるとは思いもよらなかったので驚いた。おかみさんは何首かそらんじてくれ「高知駅前に父・一禎と啄木の歌碑が建ったんですよ。除幕式に行ってきました」。彼女は高知の啄木ファンだった。
  • 遍路は実に不思議な縁を感じさせてくれる。(滝沢市 斉藤和子)

(2016-07-14 岩手日報


2016-07-14

[] 啄木の出生地訪問 盛岡・玉山

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[カンパニュラ・アルペンブルー]


啄木の原点堪能

 盛岡・玉山でバスツアー 歌碑や出生地訪問

  • 今年で生誕130年を迎えた石川啄木ゆかりの地を巡るバスツアーは9日、盛岡市の玉山地域で行われた。
  • 市内外から約30人が参加し、石川啄木記念館の森義真館長が案内。全国に先駆けた第1号歌碑「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」がある渋民公園までは、記念館から歩いた。森館長は碑の前で「重さ12.4トンもある立派な花こう岩で、木ぞりで運んだ。啄木の教え子らの熱意が表れている」と説明。参加者は驚きの声を上げた。
  • 昼食後は常光寺を訪ね、啄木が生まれたとされる部屋を見学した。

(2016-07-10 岩手日報


2016-07-13

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉘ 病と死)

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[ニワトコ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉘ 病と死

  体調悪化克明に記す

  • 啄木は1902(明治35)年10月、盛岡中学校(現盛岡一高)を退学し上京する際に日記を書き始める。体調不良を自覚したという記述が現れるのは、その翌月のことだ。「午後図書館に行き急に高度の発熱を覚えたれど忍びて読書す。四時かへりたれど悪寒頭痛たへ難き故六時就寝したり」。
  • 1911(明治44)年2月初めに慢性腹膜炎と診断され、東京帝大医科大付属病院(現東京大医学部付属病院)に入院。3月に退院し自宅で療養することになった。
  • 翌年は、年の初めから病状や発熱の記述が多くを占める。「私の家は病人の家だ、どれもこれも不愉快な顔をした病人の家だ」(1月19日)。こう書いた4日後、喀血を繰り返していた母カツが結核と診断される。一家に影を落とす病苦の正体が判明するが、すでに手遅れだった。
  • 2月20日を最後に、日記は断絶。3月7日にはカツが亡くなる。約1カ月後の4月13日、若山牧水と父一禎、次女を妊娠中の妻節子が見守る中、午前9時半、26年の短い人生の幕を下ろした。
  • 啄木の死因は、長い間肺結核とされてきた。しかし、日記や書簡類にも喀血など結核特有の症状の記述はなかった。亡くなる前の様子を金田一は「骸骨の骨盤に皮がかかっているようなお尻」「幽霊のような顔になった」、牧水は「『枯れ木の枝』と呼ぶ様になっていゐた」と、やせ細っていた姿を回想している。
  • そうしたことから、埼玉県立川越高教諭の栁澤有一郎さんは群馬大教育学部に在学中、死因に疑問を抱き、啄木の病歴について詳しく調べた。日記や手紙に見られる病気の症状を医師に分析してもらったところ「死因は肺結核一つではなかった。肺結核や結核性胸膜炎、腸結核、結核性腹膜炎の合併症状により死に至る『結核症による衰弱死』の可能性が高い」と結論づける。

☆最晩年の悲痛な心境 作品に見る啄木

   呼吸(いき)すれば、

   胸の中にて鳴る音あり。

    凩(こがらし)よりもさびしきその音!


   眼閉づれど

   心にうかぶ何もなし。

     さびしくもまた眼をあけるかな

          「悲しき玩具」より。

  • 冒頭に収められているこの2首は啄木の最晩年に作られており、かなり進行した病気の症状とそれによる悲痛な心境がうたわれている。
  • 亡くなる2カ月半ほど前の1月30日の日記には「私は非常な冒険を犯すやうな心で、俥にのつて神楽坂の相馬屋まで原稿紙を買ひに出かけた」とある。栁澤さんは、原稿用紙のヒョウタン型の印から調査を進め、冒頭2作品が、生前最後の自由な外出となったこの日に買い求めた相馬屋のものであったことを突き止めた。同日はまた、ロシアの無政府主義者クロポトキンの「ロシア文学」も買っている。
  • 「体の具合は相当悪かったはずだが、啄木はまだまだ書くつもりで原稿用紙を買いに行った。晩年に深めていた社会主義思想についての評論やエッセーを書こうとしていたのではないか」と栁澤さんは想像する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-07-13 岩手日報


「相馬屋製」原稿用紙の写真



2016-07-11

[] 啄木ら戦前に津軽海峡を旅した文人の特別展 青森

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[トネリコ]


「青函旅した文人」展開幕/県近代文学館

  • 北海道新幹線開業で盛り上がる青函圏と文学の関係に焦点を当てた特別展「青函を旅した文人たち」が9日、青森市の県近代文学館で開幕した。
  • 初日は同展の開催に協力した県内の文学関係者らが来場し、石川啄木ら戦前に津軽海峡を船で行き来した文人の肉筆原稿や書簡などに見入った。

(2016-07-10 Web東奥)


[] <雨に濡れし夜汽車の窓に ……>石川啄木

編集手帳<読売新聞

  • 狐がおいしそうな葡萄を見つけた。食べたいのだが、高い所にあって跳び上がっても届かない。狐は捨てぜりふを残して立ち去る。「こんな葡萄、酸っぱいに決まってるさ!」。イソップ寓話の『狐と葡萄』である。
  • 高い部屋は3泊4日で1人95万円。手の届かぬ葡萄は人の世にもある。来年5月1日から運行がはじまる豪華寝台列車「トランスイート四季島」の原寸大の客室模型を、JR東日本が報道陣に公開した。
  • <雨に濡れし夜汽車の窓に/映りたる/山間(やまあい)の町のともしびの色>(石川啄木)。向かいに座ったおばあさんにミカンをもらったり。若いお母さんが目の前で赤ちゃんに授乳を始めて、うろたえたり。最近は年齢のせいか豪華列車の旅よりも。お金を積んでも二度と行けない追憶の旅に心ひかれている。

(2016-06-17 読売新聞)


[] 生涯を懸ける私の城巡り 金字塔は不来方城

高知一の啄木ファン < ばん茶せん茶


   不来方のお城の草に寝ころびて

   空に吸はれし

   十五の心

  • 啄木の数ある歌の中で私が一番好きな一首である。たった三十一文字の中に無辺の情景を思い癒される。まだ見たことのない盛岡城の様子が目の前に広がって見える。
  • 私の旅は日本の城巡り。1999年、51歳の春を機に少年時代からの夢の扉を開いて名城探訪の旅の途中にある。四国の人間なので南から順番に訪ね歩き、現在までに延べ168の城跡を眺めてきた。
  • 啄木の世界を信奉する以上は盛岡不来方の土を踏まなければ本物になれないけれど、土佐清水から奥州盛岡まで最短でも1580キロ走り続けで20時間の遠距離である。
  • 生涯を懸ける私の城巡りの金字塔は不来方城にある。(高知県 有沢二郎)

(2016-07-06 岩手日報


2016-07-08

[] 「啄木の作品は人間心理を解剖している」 啄木学級文の京講座

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[アジサイ]


啄木と賢治、魅力探る -東京で講座-

  • 石川啄木の「終焉の地」がある東京都文京区の文京シビックホールで、「啄木学級文の京(ふみのみやこ)講座」がこのほど開かれた。約350人が訪れ、今年生誕130年の啄木と、120年の宮沢賢治の魅力を探った。
  • 作家、劇作家、演出家のロジャー・パルバースさんが「啄木と賢治 明治のソウル・ブラザーズ」と題して講演。啄木短歌を翻訳した体験から「短歌はあいまいさがあるから翻訳が難しいと言われているが、啄木短歌は具体性があるものばかりだ」と分析。特徴の一つとして「何も飾らない正直さがある。作品を読むと啄木という人間が分かる」と紹介した。
  • 後半はパルバースさんと石川啄木記念館の森義真 (よしまさ)館長が「啄木と賢治の魅力」と題して対談した。森さんは「人間のしぐさや家族、病気を短歌に詠んだのは啄木が初めてだ」と話し、パルバースさんは「啄木の作品は人間の心理を解剖しており、フロイトユングら心理学者が論じたようなことにも似ている。啄木や賢治がヨーロッパに生まれていたら、世界的に有名になったはずだ」と高く評価した。

(2016-07-05 岩手日報 東京支社)


[] 「妻の家出で啄木は狼狽」世田谷文学館講座

◎「啄木と女性」世田谷文学館講座

  節子の存在の大きさ指摘

  • 世田谷文学館友の会(平出洸会長)主催の講座は、東京都世田谷文学館でこのほど開かれ、国際啄木学会理事で明治大兼任講師の西連寺成子さんが「生誕130年 石川啄木と女性〜恋愛・結婚・家族〜」と題して講演。女性たちが啄木に与えた影響を探った。
  • 啄木は数え年14歳ごろから堀合節子と恋愛し19歳で結婚する。西蓮寺さんは「啄木は恋愛と結婚、性を一体化させて『ロマンチックラブ』の信奉者だった」とした。しかし、恋愛は必ずさめるもので、性的欲望は恋愛感情を抜きにして遂げたいという考えを友人宛ての手紙に書くこともあった。
  • 1909(明治42)年10月、節子は家出する。西蓮寺さんは「そばにいて当然だと思っていた妻が家出したことで啄木は狼狽し、節子が予定調和的な存在でないことに気付いた」「その気づきが実感を伴うからこそ、啄木の言葉、主張は血が通ったものになりえたのではないか」と節子の存在の大きさを指摘した。

(2016-07-06 岩手日報 東京支社)


2016-07-07

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉗ 宗教)

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[アジサイ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉗ 宗教

  仏教的な影響色濃く

  • 啄木は日戸村(現盛岡市日戸)にある曹洞宗の常光寺で生まれ、1歳の時に渋民村(同市渋民)の宝徳寺へと移った。「寺の子」として育った啄木には、どのような宗教的影響があったのだろうか。
  • キーワードになるのが「一握の砂」だと、国際啄木学会評議員で桜出版編集主幹の山田武秋さんは指摘する。「一握の砂」は、代表作である第1歌集の題名であるが、他に随筆や小説断片でも使っている。
  • 山田さんは「一握の砂」という題名は曹洞宗開祖道元の書いた「典座教訓(てんぞきょうくん)」の中の「沙(すな)を握りて寶(たから)と為す」が由来だとする。「『砂を握って宝にする』というのは」『立派なものより心が大事』という意味。啄木は、この言葉に着想を得て『一握の砂』を創作した。一生懸命やったことは必ず報われるという祈りを込めて、つらく苦しい時、転機となる時に、自分自身を鼓舞する言葉として使った」と強調する。「啄木に根付いた仏教的感性は、本人が自覚する以上に深い。宗教、特に仏教との関わりを無視しては、作品を真に理解することはできない」と、研究の重要性を説く。
  • 啄木に影響を与えた宗教は、仏教に限らない。1905(明治38)年に刊行された第1詩集「あこがれ」とキリスト教との関連も指摘されている。近代文学研究者の上田哲さん(故人)は「啄木がキリスト教に接近した時期を「盛岡遊学中のかなり早い時期」とする。「キリストの教えは、啄木の社会主義思想胚胎に大きな一つの要素となったと考えられる」と、思想への影響を挙げている。

曹洞宗一文から着想 作品に見る啄木

  大といふ字を百あまり

  砂に書き

  死ぬことをやめて帰り来れり

       「一握の砂」の「我を愛する歌」より。

  • 砂に書いた文字は、なぜ「大」だったのだろうか。
  • 山田さんはここにも曹洞宗の影響をみる。「典座教訓」は「大の字を書すべし、大の字を知るべし、大の字を學すべし」と説いている。「この一文にヒントを得て、『大といふ…』の作品ができた。死ぬことをやめるほどの重要な行いとして、典座教訓で説く『大心』の『大』という字でなくてはならなかった」と、その必然性を示す。
  • この歌で締めくくられる「砂山一連」巻頭10首は、「一握の砂」の主題とも言える。その中の「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」「しつとりと/なみだを吸へる砂の玉/なみだは重きものにしあるかな」も、道元の精神がもとになっているという。「単に感傷的な歌ではなく、人間の絶望と絶体絶命のピンチから立ち直る、仏教的な深い魂の救済をうたっている」と鑑賞する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-07-06 岩手日報


2016-07-05

[] 啄木短歌がデザインの手ぬぐい生地 中津川彩る -盛岡

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[アジサイ]


夏の中津川彩る染め物 盛岡で伝統作業

  • 盛岡市紺屋町の巴染工(東條誠社長)は2日、染め物ののりを落とす「染め物流し」を中津川の上の橋たもとで行った。近隣住民や写真愛好家が訪れ、手ぬぐいが清流に揺れる盛岡の夏の風物詩を目に焼き付けた。
  • 職人ら3人が川に入り、歌人石川啄木の短歌がデザインされた横35センチ、長さ11メートルの手ぬぐい生地を投げ入れた。清らかな水の流れに紺や白色の筋が浮かび、昔懐かしい水辺の仕事風景を住民らに披露した。

(2016-07-04 岩手日報


2016-07-04

[] もんじゃの街 月島にいた “啄木”

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結核予防キャンペーンのポスター。


東京メトロ有楽町線と、都営地下鉄大江戸線が乗り入れている「月島駅」構内のポスター。

駅を出るとそこはもんじゃストリート。70軒を超えるもんじゃの店が連なる。







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  「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」

小学校を首席で卒業、神童と噂された啄木は、25歳で慢性腹膜炎のため手術。

  「呼吸(いき)すれば胸の中(うち)にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりもさびしきその音!」

1912年4月13日、肺結核のため永眠。享年26。


  • 平成26年度の日本の結核患者数は約2万人、そのうち約2千人が亡くなっている。なぜ根絶できないのか?
  • 結核に対する免疫をもたない若い世代が増えた。社会的・経済的なハンディをもつ人の発病、抗生物質が効かない多剤耐性菌による発病など。

(2016-04-14 HEALTH PRESS)(2016-03-24 INSIGHT NOW!)






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これは、石川啄木 22 歳の肖像。

元の写真では、啄木の左に金田一京助がいる。


  • 明治41年10月4日、九段坂・佐藤写真館で「明星」100号の掲載用として撮影された。このあと二人は、日比谷公園に行き松本楼で夕食。浅草を逍遙、本郷でそばをすすり、下宿に帰って寝たのが11時。ほぼ毎日のように会い、語り合い、ときを過ごしていたのだった。(別冊太陽 日本のこころ 195「石川啄木―漂白の詩人」)


2016-07-01

[] 幸徳秋水の反戦・平民主義に啄木は強く心を動かされた…

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[アジサイ]


啄木共感 秋水の思想とは

  高知市でセミナー 大逆事件めぐり議論

  • 石川啄木(1886〜1912年)の研究者や愛好家による国際啄木学会のセミナーが高知市の県立文学館でこのほど開かれた。
  • 大逆事件は明治43(1910)年に起きた。幸徳秋水ら数百人が大逆罪のかどで検挙され、秋水を含む12人が処刑された。
  • セミナーで近藤典彦・元群馬大学教授は「秋水は一人でも救おうと、裁判で自分の弁護は全くしなかった。しかし大逆事件に至る思想は最後まで確固たるものがあった」と指摘。秋水の徹底した反戦、平民主義は命を懸けた戦いであり、啄木は強く心を動かされて作品にも反映されたとする。
  • シンポジウムで高知ペンクラブの高橋正会長は「大逆事件は権力側が、その思想を裁いたものであり、私は秋水はえん罪だと考えている」と話した。
  • また田口道昭・立命館大学教授は「秋水は資本主義の矛盾に対する批判から、反天皇制や非戦を訴えた。言論の自由を守るための戦いでもあった。それは啄木も同じ気持ちだったが、距離も置いていたのでは」と指摘した。
  • 近藤氏は「今後は制度としての天皇制や秋水自身の天皇像を明らかにしていかなければならない」とし、秋水が投げ掛けた問題は複雑で根深いと話した。(竹内 一)

(2016-07-01 高知新聞)


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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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