〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

“最終回”「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉚ 識者に聞く)


[ヤブラン]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉚ 識者に聞く 国際啄木学会会長 池田 功さん
  今に通ずる感覚魅力

◎全集に収録された手紙511通から読み取れることは。

  • 特筆すべきは『ブログ感覚』。多くは、実用的な内容以上に自分の情報を一方的に報告していた。一人の人間のドラマを読み取ることができる。
  • 人間関係も分かる。金田一京助には生涯候文で書いており、敬意を持って接していた。一方、妹の光子には乱暴とも言える文体で叱咤激励していた。

◎16歳から10年間で13冊の日記を残した。

  • 書きながら考える行動の人だった。困難な状況を分析し、自分を励ます言葉を日記に書き散らすことによって、気分を調整していた。初めからペンネームを使っており、後世に日記文学として残したいという意気込みも感じられる。

◎当時、文学の主流が小説へと移っていった。

  • 島崎藤村田山花袋ら、自然主義小説の時代となっていった。啄木も小説を書いたが売れなかった。そうした時に三十一文字の短歌が湧いてくる。啄木にとって短歌のリズムは体に染み込んでいて簡単に湧いてくるものだった。短歌は日常生活の一瞬一瞬を詠むものとして価値があり、小さな器であるが故に便利だと考えるようになった。

◎自身や家族の病、死とどう向き合っていたか。

  • 結核のために姉サダが亡くなった20歳の時の日記には『あゝ肺病になるのか?』と記している。そのころから姉のように亡くなるのではないかという恐れを持っていたのではないか。
  • 母カツが結核であると診断を受けた時には手紙に『去年からの私一家の不幸の源も分つたやうに思はれます』と書いた。母の死を従容として受け入れ、同時に自らの死もそれほど遠いものではないと考えざるをえない状況だった。

◎海外でも啄木作品が翻訳されるなど、高く評価されている。

  • 望郷の思いや母への愛情、日常の何げないことを詠んだ普遍的な感情が共感を集めている。今の私たちの感覚に直接訴えてくる魅力があり、130年前に生まれた人とは思えない、新しさを発信している。


☆啄木・賢治愛受け継ぐ ── 盛岡大の研究会

  • 盛岡大の日本文学会啄木・賢治研究会(高橋韻人(たつと))代表)は週1回集まり、古里を代表する文学者である石川啄木宮沢賢治の作品を読み、議論を重ねている。
  • 同会は1992年、当時同大助教授だった遊座昭吾さん(国際啄木学会元会長)が立ち上げた。啄木愛、賢治愛は世代を超えて学生たちに受け継がれている。指導する同大助教の塩谷昌弘さんは「学生たちにはそれぞれ啄木、賢治のイメージが出来上がっている。それぞれの像をぶつけ合うことで、より柔軟な読み方ができ、驚きや発見につながっている」と利点を挙げる。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)


<「啄木 賢治の肖像」は今回で終わり>
(2016-07-27 岩手日報