啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2016-09-30

[][] 国際啄木学会 東京支部会 明大 駿河台校舎 10/15

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[ヤマボウシ]


国際啄木学会 東京支部会

  • 2016年10月15日(土)14:00 〜
  • 場所 明治大学駿河台校舎 研究棟2F 第9会議室
  • 発表
    • 木内英実 「中勘助の「銀の匙」の諸点」(仮題)
    • 池田 功 「韓国における日本文学研究の現状─石川啄木を中心に」

 

○ 終了後、支部会をおこないます

 ☆ 初めての方のご参加も歓迎 ☆



[][] 短歌募集……啄木コンクール 応募〆切 1/31

2017年度「啄木コンクール」作品募集! 新日本歌人協会

◎ 応募要項

  • 作品 20首
  • テーマ 主題、内容は自由
  • 表現形式 定型、口語・自由律を問いません
  • 応募資格 どなたでも
  • 応募〆切 2017年1月31日
  • 応募先 新日本歌人協会「啄木コンクール」係 

     〒170-0005   東京都豊島区南大塚2-33-6-301



2016-09-29

[] 石川啄木が愛したコーヒーを再現「啄木ブレンド」など 盛岡市産業まつり 9/28~10/3

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[秋]


盛岡の食品、工芸品が一堂に 産業まつり開幕

  • 第36回盛岡市産業まつり(実行委主催)は28日、同市菜園のカワトク7階で始まった。今年は旧玉山村との合併10周年と盛岡手づくり村の開業30周年を記念した食品や工芸品を集めた。10月3日まで。
  • 今年初参加で、石川啄木が愛した味を再現したコーヒー「啄木ブレンド」などを販売する喫茶緑青(ろくしょう)(同市渋民)の花坂洋介店主は「玉山の味を堪能してもらう機会にしたい」と話した。
  • 午前10時から午後7時(最終日は同5時)まで。入場無料。

(2016-09-28 岩手日報)


2016-09-28

[] 自分の “ことばの柄杓” ですくい取る 「短歌甲子園」

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[彩雲]


みちのく随想 この夏を汲む

「新聞に潜む声と表情」

  • 歌人石川啄木生誕130年記念の「短歌甲子園2016」に勤務校の特設文芸チームは出場した。
  • 対戦の舞台は、啄木にならい三行書きで紅対白の二首が並び映される大スクリーンの前だ。「天然」の題で詠んだ、二年男子の歌。「描く空/いくら直せど程遠く/天然ものの色は創れず」─ふるさとの空を描こうとして描ききれないもどかしさを、自分の「ことばの柄杓」ですくい取っている─客席からスクリーンを仰ぎ、その歌から降りかかる清冽さにわたしは洗われていた。
  • 9月初旬、今夏の全国大会報告を一面とし月刊学校新聞を発行した。記事の一つ、「短歌甲子園2016」には出場生徒の短歌と声を掲載した。緊張の中で感受し、歌として伝える苦しみと喜び。大舞台を踏んだ満足と自信に輝く彼らの表情も、そこには潜んでいる。

(第9回岩手日報随筆賞受賞者・盛岡市 菊池久恵)

(2016-09-25 岩手日報)


2016-09-25

[][] 秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <7>

啄木文学散歩・もくじ


7 錦木塚歴史公園 啄木は伝説を聞き作品をつくる


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「錦木塚歴史公園」の広い敷地を区切るこの門が「錦木塚」への入口


錦木塚伝説

今から千数百年前のこと、錦木のあたりに政子姫という娘がいた。錦木を売る若者が政子姫を見て心の底から好きになってしまった。毎日毎日、男は求婚のしるしの錦木を姫の門の前へ立てた。若者は雨の降る日も風の吹く日も、雪の降る日も一日も休まず錦木を立てた。しかしあと一束で千束になるという日、体がすっかり弱っていたため門の前に降りつもった雪の中に倒れて死んでしまった。姫もその二、三日後、あとを追うように死んだ。姫の父は二人をたいそう哀れに思い、千束の錦木といっしょに一つの墓へ夫婦としてほうむった。その墓のことを錦木塚という。

(鹿角市発行「鹿角市史」)




 

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左に「錦木塚伝説」の掲示板・右奥の石囲いが「錦木塚」

 

◉1901(明治34)年7月下旬、啄木は友人たちと秋田県鹿角地方へ旅行した。このことからいくつかの作品が生まれた。


◎盛岡中学校校友会雑誌3月号(第3号)明治35.3.24

 にしき木 <短歌>二首

◎「明星」 1904(明治37)年2月号

 錦木塚 <詩>

(一) 槇原に夕草床布きまろびて

(二) 長の子の歌  わが恋は、波路遠く丹曽保船の

(三) 政子の歌   さにずらひ機ながせる雲の影も

◎詩集『あこがれ』1905(明治38)年5月3日

 錦木塚<古伝承に取材>昔みちのくの鹿角の郡に女ありけり

 にしき木の巻        槇原に夕草床布きまろびて

 のろひ矢の巻(長の子の歌) わが恋は、波路遠く丹曽保船の

 梭の音の巻(政子の歌)   さにずらひ機ながせる雲の影も

◎「明星」 1906(明治39)年1月号

 「鹿角の国を憶ふ歌」 <詩> 青垣山を繞らせる 天さかる鹿角の国をしのぶれば

◎『紅苜蓿』 1907(明治40)年2月号

 「鹿角の國を憶ふ歌」 <詩> 青垣山を繞らせる 天さかる鹿角の国をしのぶれば







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「錦木塚伝説」の掲示板



◎盛岡中学校校友会雑誌3月号(第3号)明治35.3.24

 にしき木 <短歌>二首

  夕雲に丹摺はあせぬ湖ちかき草舎くさはら人しづかなり

  甍射る春のひかりの立ちかへり市のみ寺に小鳩むれとぶ    

                   白蘋(はくひん)     

  (丹摺=にずり、草舎=くさや、甍=いらか)



◎「明星」 1904(明治37)年2月号

錦木塚

(一)

槇原に夕草床布きまろびて

淡日影旅の額に射し来る丘、

千秋古る吐息なしてい湧く風に

ま白雲遠つ昔の夢と浮び

彩もなき細布ひく天の極み、

あゝ今か、浩蕩なる蒼扉つぶれ

愁知る神立たすや、日もかくろひ、

その命令の音なき声ひゞき渡り、

枯枝のむせび深く胸を憾れば、

窈冥霧我が瞳をうち塞ぎて、

身をめぐるまぼろし、そは百代遠き

辺つ国の古事なれ。こゝ錦木塚。

(後略)


(二)長の子の歌

わが恋は、波路遠く丹曽保船の

みやこ路にかへり行くを送る旅人が

袖かみて荒磯浦に泣きまろぶ

夕ざれの深息にしたぐへんかも。

夢のごと影きえては胸しなへて、

あこがるゝ力の、はた泡と失せぬ。

(後略)


(三)政子の歌

さにずらひ機流せる雲の影も

夕暗にかくれ行きぬ。吾が希望も

深黒み波沈まる淵の底に

泥の如、また浮き来ずほろび行きぬ。

(後略)


≪未完≫

(秋田県鹿角郡、花輪より小坂に至る途上、毛馬内の南十町許にして路傍に錦木塚あり。悲愁鎮魂の伝説今に伝はりて、心ある旅人の幾世かこゝに涙を濺ぎけん。我十六歳の年友とこの古跡を探りて、故老の情けに古記を抄録し帰りける者、今猶蔵して篋底にあり。この吟をなしえたる、それ或は多少の縁あるか。

此詩、五六六を一句とする新調の試作なり。識者の高誨を待つ。)

(石川啄木全集 第二巻 筑摩書房 昭和59年)











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錦木塚の石柱 後ろの石囲いが「錦木塚」


◎詩集『あこがれ』1905(明治38)年5月3日

錦木塚

(昔みちのくの鹿角の郡に女ありけり。よしある家の流れなればか、かかる辺つ国はもとより、都にもあるまじき程の優れたる姿なりけり。日毎に細布織る梭の音にもまさりて、政子となむ云ふなる其名のをちこちに高かりけり。隣の村長が子いつしかみそめていといたう恋しにけるが、女はた心なかりしにあらねど、よしある家なれば父なる人のいましめ堅うて、心ぐるしうのみ過してけり。長の子ところの習はしのままに、女の門に錦木を立つる事千束に及びぬ。ひと夜一本の思ひのしるし木、千夜を重ねては、いかなる女もさからひえずとなり、やがて千束に及びぬれど政子いつかなうべなふ様も見えず。男遂に物ぐるほしうなりて涙川と云ふに身をなくしてけり。政子も今は思ひえたえずやなりけむ、心の玉は何物にも代へじと同じところより水に沈みにけり。村人共二人のむくろを引き上げて、つま恋ふ鹿をしぬび射にするやつばら乍らしかすがにこのことのみにはむくつけき手にあまる涙もありけむ、ひとつ塚に葬りて、にしき木塚となむ呼び伝へける。花輪の里より毛馬内への路すがら、今も旅するひとは、涙川の橋を渡りて程もなく、草原つづきの丘の上に、大きなる石三つ計り重ねて木の柵など結ひたるを見るべし。かなしとも悲しき物語のあとかた、草かる人にいづこと問へばげにそれなりけり。伝へいふ、昔年々に都へたてまつれる陸奥の細布と云ふもの、政子が織り出しけるを初めなりとかや。)


  にしき木の巻        槇原に夕草床布きまろびて(後略)

  のろひ矢の巻(長の子の歌) わが恋は、波路遠く丹曽保船の(後略)

  梭の音の巻(政子の歌)   さにずらひ機ながせる雲の影も(後略)

 

(甲辰の年一月十六、十七、十八日稿。この詩もと前後六章、二人の死後政子の父の述懐と、葬りの日の歌と、天上のめぐり合ひの歌とを添ふべかりしが、筆を措きしよりこゝ一歳、興会再び捉へ難きがまゝに、乍遺憾前記三章のみをこの集に輯む。)


(石川啄木全集 第二巻 筑摩書房 昭和59年)



〈音読・現代語訳「あこがれ」石川啄木〉17 望月善次

〔現代語訳〕

錦木塚(にしきぎづか)全4回の1:前文

〔昔、陸奥の鹿野に女性がおりました。由緒ある家筋であることもあり、その辺りの国はもとより、都にもいない程の優れた容姿でありました。毎日織っている(その地方名産の)「細布(ほそぬの、幅の狭い布)」を織る際の「梭(オサ)」の音にも勝って政子という名は、色々なところで高かったのです。隣村の長(おさ)の息子が、いつか見初めて、強く強く恋したのですが、女性の方は、気持ちが無かったわけではなかったのですが、由緒ある家でしたので、父親のガードも堅く、気にかけながら過ごしておりました。……〕(2010-09-09 盛岡タイムス)






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千束の錦木といっしょに夫婦として一つの墓に葬る



近世ではこの地は「歌枕の地」とされており、菅江真澄や古川古松軒および松浦武四郎がそれを記録しているほか、幕府巡見使がここに巡見所を設け、地元民に塚の縁起を聞き、細布の献上をしている。石川啄木も金田一京助から錦木塚の伝説を聞き、この地に足を運び、「鹿角の国を懐う歌」をつくり歌っている。また、長詩「錦木塚」を雑誌明星に発表している。

塚は現在小公園の隅にあり、菅江真澄が犬の伏せた形と表現した大きな置き石がある。

(ウィキペディア「錦木塚」)










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公園の周囲はニシキギの垣根


    • 鹿角市の掲示より

錦木塚のあるこの地は、古歌に詠み込んだ名所「歌枕の里」として末の松山や象潟と並ぶ多くの歌人たちの憧れの場所でした。菅江真澄の遊覧記「けふのせば布」の中で錦木として5種類の木が出てきますが、この公園にはこれらを中心に植栽しています。


①楓の木(ハウチワカエデ)

②まきの木(マユミ)

③酸の木(ヌルデ)

④かばざくら(オオヤマザクラ)

⑤苦木(ニガキ)






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ニシキギ


幾種類ものニシキギが枝を伸ばし葉を広げている。

秋深くなれば、この錦の葉がいっそう鮮やかになることだろう。




  • 錦木塚歴史公園
    • 秋田県鹿角市十和田錦木字浜田

(つづく)


2016-09-24

[] 石川啄木は変幻自在に姿を変え、どこへでも飛んでいく……

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[ゲンノショウコ]


◯酔狂道中記

凡人が「天才」になれる時

 ○めっちゃ関西

  • 独創的な芸術家や科学者とは、「いまだ存在せざるものを心の中で見たり聴いたりした人」なのだろう。たとえばゴッホの「星月夜」−−あんな風景は、ゴッホ以前には誰も目にしたことがない。それを彼の「天才」は、いつか確かに「見た」のだ。
  • これと似たことが、夢の中ではぼくら凡人にも時に可能になる。夢を見ている人は誰もが「天才になっている」のかもしれない。
  • そんな自由な想像力には誰もが憧れる。中でも、それを希求した石川啄木は、変幻自在に姿を変え、どこへでも飛んでいく空の雲に託して「雲は天才である」という小説を書いた。ただ、この小説は未完の失敗作で、啄木自身も、「くだらない小説を書きてよろこべる男憐れなり初秋の風」と詠んだ。
  • その啄木が短歌にはすばらしい作品を残した。寝入りばなの夢のような、のどかで懐かしい田舎の夕暮れ風景がほうふつするこんなのが、私は好きだ。

  「宗次郎におかねが泣きて口説き居り大根の花白きゆふぐれ」

  • やっぱり「雲より夢」こそが「天才」なのだ。

  <ものがたり観光行動学会副会長 高田公理>

(2016-09-23 毎日新聞>大阪夕刊)


2016-09-22

[][] 啄木の曲を歌い継ぐ歌手のコンサート -盛岡 11/20

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[啄木コンサート(チラシ 表)]


石川啄木記念館 企画展

 啄木生誕130年記念 啄木コンサート

  • 2016年11月20日(日)  13:30開演 (13:00開場)
  • 料金:前売 1,000円 (当日 1,300円)
  • 場所:渋民文化会館(姫神ホール)岩手県盛岡市玉山区渋民字鶴塚55

今年、石川啄木が生誕130年を迎えることを記念して啄木の曲を歌い継ぐふたりの歌手によるコンサートを開催します。

○ 第1部 ソプラノの調べ  出演:田中美沙季(ソプラノ)、南澤佳代子(ピアノ)

○ 第2部 テノールの響き  出演:森田純司(テノール)、平井良子(ピアノ)、伊藤八重子(ナレーション)

○ 第3部 ソプラノとテノールの競演

主な曲目 竹田伊三郎作曲「かの浜なすよ」 越谷達之介作曲「やはらかに柳あをめる」 新井満作曲「ふるさとの山に向かひて」ほか



2016-09-21

[][] まもなく『補輯・石川啄木文献書誌集大成』出版

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[『補輯・石川啄木文献書誌集大成』]


啄木関連文献 一覧に

 湘南文庫(神奈川)主宰の佐藤さん

  • 湘南啄木文庫主宰、国際啄木学会理事の佐藤勝さんは10月、「補輯(ほしゅう)・石川啄木文献書誌集大成」を出版する。石川啄木生誕130年を記念し、啄木関連の文献の目録をまとめた労作。研究者はもちろん、愛好者にも貴重な一冊となりそうだ。
  • 佐藤さんは1999年「石川啄木文献書誌集大成」を出版し、2000年に第15回岩手日報文学賞啄木賞を受賞している。
  • 新たに出版するのは、その続編で1999年1月以降の文献目録。本や新聞記事だけでなく、企画展のチラシやテレビ番組なども網羅した。点数は1万数千点に上る見通し。
  • 佐藤さんは福島県いわき市出身。中学卒業後、集団就職で上京する際、担任の先生に歌集「一握の砂」をもらったのが、啄木との出合い。以来、啄木が心の支えとなり、関連のものを集め始めた。啄木の文字が入っているものは文鎮や箸置き、お菓子の包み紙に至るまで収集する。
  • 「ネット上にだけ発表される文献や、外国語版などをどうするのかが今後の課題」と語る。

(2016-09-20 岩手日報)



『補輯・石川啄木文献書誌集大成』

・佐藤勝著 桜出版

・B5判函入上製本 約450頁 定価 本体3,000円+税

・2016(平成28)年10月刊行予定!

特典:予約者にのみ、著者特製(検索などに便利な)CD−Rをプレゼント。(特典は「桜出版」に直接申し込まれた方のみ)

予約は桜出版へ

『補輯・石川啄木文献書誌集大成』

 桜出版

 ・〒028-3312 岩手県紫波郡紫波町犬吠森字境122番地

 ・電話:019−613−2349 

 ・FAX:019−613−2369

 ・E‐Mail:sakuraco@leaf.ocn.ne.jp


[] 啄木は『彼女は嫌い』と、あからさまに書いた

キーン氏、柏崎で対談 センター開館3周年

  • 日本文学者のドナルド・キーン氏を招いた対談が19日、柏崎市文化会館アルフォーレであった。約900人の聴衆の前で、近著の評伝「石川啄木」を素材に国際啄木学会長の池田功・明治大学大学院教授と語り合った。
  • 「啄木は『彼女は嫌い』とか自分の心の底をあからさまに書いた。正岡子規など『私』のことを言わない同時期の詩歌とは違い、現代性を強く感じる」と啄木観を語った。
  • 東日本大震災をきっかけにキーン氏は日本永住を決め、日本国籍をとった。原発事故で全町避難となった双葉町の伊沢史朗町長は、「キーンさんは原発事故の惨状にも心を痛めているそうだ。対談を聞いて、日本人以上に日本的な心情の人だと実感した」と話す。(渥美好司)

(2016-09-21 朝日新聞)


[] 「(啄木の妻)節子さんみたいな人と結婚したい」と川島の姿を絶賛

川島海荷、美しい白無垢姿に絶賛の声「こんなお嫁さん欲しいわ〜」

  • 女優の川島海荷が16日、自身のインスタグラムアカウントにて白無垢の嫁入り姿になった姿を公開。
  • この写真は16日に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『歴史秘話ヒストリア』にて、川島が明治の文豪・石川啄木の妻、節子役で出演の際に着用した時のもの。川島は真っ白の白無垢姿で笑顔を見せている。
  • これを見た絵ファンからは「こんなお嫁さん欲しいわ〜」「節子さんみたいな人と結婚したいと思いました」と川島の姿を絶賛する声が多く寄せられている。

(2016-09-20 アメーバニュース)


2016-09-20

[] キーンさん「啄木は最初の現代的な日本人である」

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[マユミ]


柏崎キーンセンター3周年  BSN新潟放送

  • 日本文学の研究で知られるドナルド・キーンさんの業績を紹介する柏崎市の施設が開館3周年を迎え、記念講演会が開かれました。
  • ドナルド・キーン・センター柏崎は、日本文学や日本文化の研究を海外に伝えてきたキーンさんの業績を紹介していて、ニューヨークの書斎を復元したスペースも人気です。
  • 柏崎市の名誉市民でもある94歳のキーンさんは、今年生誕130年の詩人、石川啄木(いしかわ・たくぼく)の評伝を出版し、また記念対談でも「啄木は最初の現代的な日本人である」と評価していました。

(2016-09-20 BSN新潟放送)


2016-09-19

[] 啄木役・溝端淳平「どれぐらい惚れさせたら、ああいう男を許せるのか」

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[ヘラオオバコ]


◇NHK総合テレビ

溝端さん、川島さんが語る啄木夫婦の"愛"

9月16日放送の歴史秘話ヒストリア「妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子」にご出演の、石川啄木役・溝端淳平さんと、その妻・節子役の川島海荷さんの、特別のコメント。


◎溝端淳平さんのコメント

  • 石川啄木といえば、若くして亡くなった天才というイメージで、教科書で一度は目にする方だという認識しかありませんでした。今回演じるに当たり、啄木の作品を読んだり映像で舞台を見たりして調べましたが、啄木って壮絶な人生を送ったんだなと思いましたね。
  • 妻である節子については、単純になんでこんな男を好きになったんだろうって思いました。いったいどれぐらい惚れさせたら、ああいう男を許せるんでしょうか。でもそれぐらい魅力的だったんだろうなと。それは自分へのプレッシャーでもありますけど。
  • 特に若い人たちにとってこの番組を見ることが、何かのきっかけになればいいなと思います。石川啄木というギリギリで生きてきた人の人生を知り、それを見て自分がどう考えるか、どう解釈するかが一番大事だと思います。

◎川島海荷さんのコメント

  • 石川啄木については、学生時代名前は聞いたことがあったのですが、詳しい人生は知らなかったので、あまりしっかりとしたイメージは持っていませんでした。このお仕事をいただいて台本を読んで、こんな波乱万丈な人生送ってきたんだ、現代では信じられないような価値観を持っていたんだということを知りました。
  • 個人的には啄木の性格の面とか生活感というか、そういうところは共感できませんね。ただ節子は、才能に惚れこんで才能を開花させるために妻として支えたい一心だったのだと思います。 
  • 私の目線では、歴史上の人物として啄木は有名だと思うんですけど、その裏に彼を愛し続けて支えていた妻がいたことはそれほど有名ではないと思うんです。その妻が無条件の愛で支え続けたからこそ、啄木は何度転落しそうになっても這い上がってこられた。ぜひこの愛の物語をたくさんの人に知ってもらえたらなと思います。


[] 「たはむれに 母を背負う・・」とは全く逆!

<水たまり> 閑古鳥(社説)<名寄新聞

  • 「たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず」。明治の歌人、詩人、そして評論家でもあった石川啄木の歌。26歳という若さで他界した啄木だが若さ故か、あまり親孝行ではなかったようだ。
  • 啄木が生まれたのは岩手県。その岩手県岩泉町は先の台風10号で甚大な被害を受けた。務台(むたい)俊介内閣府政務官が今月初め、豪雨被害地を視察する際、水たまりを渡るのに職員に「おんぶ」されていたという。その時の写真が広まっているが、啄木の「母を背負う」イメージとは全く逆。

(2016-09-17 名寄新聞)


2016-09-15

[][] 啄木が近代短歌の発展に果たした役割と… 企画展 10/1~11/23

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[アラカシ]


企画展「第32回 啄木資料展」

  「啄木と近代歌人たち」

「第70回読書週間」(10月27日〜11月9日)に合わせ、過去2年の間に当館が新たに収集した石川啄木関連資料を一堂に集めて展示します。

併せて、歌人啄木が近代短歌の発展に果たした役割と、故郷岩手の文壇に与えた影響を紹介するテーマ展示を行います。


第32回 啄木資料展

  • 平成28年10月1日(土)〜11月23日(水・祝日)

     (10月29日(土曜日)・31日(月曜日)は休館日)

  • 開館時間 9時00分〜20時00分
  • 会場 アイーナ4階(岩手県盛岡市盛岡駅西通1-7-1)

      岩手県立図書館 企画展示コーナー

記事


2016-09-14

[][] ~キーン先生の啄木日記論を紹介しながら~講演会 9/19

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[ハナミズキ]


「ドナルド・キーン・センター柏崎開館三周年記念 特別講演会」

  <ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く~最初の現代日本人~>

  • 日時 2016年9月19日(月 祝)13:30〜16:10(開場13:00)
  • 会場 柏崎市文化会館アルフォーレ(大ホール) (新潟県柏崎市 日石町4-32 電話 0257-21-0010)

◎基調講演「石川啄木の日記を読む ~キーン先生の啄木日記論を紹介しながら~」

  • 講師 池田 功 氏(明治大学大学院教授・国際啄木学会会長)

◎記念対談「石川啄木~最初の現代日本人~」

  ドナルド・キーン 氏 ( コロンビア大学名誉教授 )・ 池田 功 氏

  進行役 キーン誠己氏

キーン先生は、「石川啄木」を【最初の現代日本人】と評しています。その意味は何なのか。国際啄木学会会長である池田功氏(明治大学大学院教授)をお招きして、その意味を解き明かしてまいります。

  • お問い合わせ ドナルド・キーン・センター柏崎

   新潟県柏崎市諏訪町 10-17  電話:0257-28-5755


[] 教科書に載ってない!石川啄木と妻・節子の物語 9/16

◎教科書にも数多く作品が掲載され、日本の歴史に名を刻んだ歌人

  石川啄木とその妻・節子の純愛物語の秘話に迫る

 なんと今回のドラマパートは、石川啄木役に溝端淳平さん、節子役に川島海荷さん、という豪華キャスト!

  • 26歳で死んでしまった流れ星のような人生。しかし、彼の生き方からは、「自分の信じた道に一筋に生きてみよう」という夢と希望、そして生きる強さをもらえるような気がする。
  • 啄木は自身を“天才”だと信じていた。そして、啄木の才能の開花を忍耐強く信じ続けていたのは啄木本人だけではなく、13歳で啄木の才能と出会い、心の底から信じて支え、窮地から救い出し、守り抜いたのが妻・節子だった。啄木は節子によって孤高の“天才”から、心の痛みのわかる癒やしの大歌人へと生まれ変わる。
  • はたして、教科書には載っていない、啄木の人間性とは?

♢歴史秘話ヒストリア

「妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子」

  • 放送日 2016年9月16日(金)20:00〜20:43 NHK総合テレビ


2016-09-11

[][] 北海道が啄木に与えたもの… 講座 9/24

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[ススキ]


○函館文学館 講座「函館・文学の散歩道」(全3回)

 「130歳の啄木」

  • 平成28年9月24日(土) 14:00〜
  • 函館市文学館 1階ラウンジ
  • 講師 櫻井 健治 氏(日本近代文学会会員)

啄木誕生130年を迎えた今、1年足らずの 北海道漂泊生活にあって、北海道が啄木に与え た文学者としての成長の糧は何であったのか? 問い詰めることとしたい。


  • 函館市文学館(電話 0138-22-9014)
    • 函館市末広町22番5号


2016-09-10

[] 啄木に 愛や夢をささやかれたらキュンキュンする? 9/16

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“ダメ男”?石川啄木を溝端淳平が、妻を川島海荷が熱演!

♢歴史秘話ヒストリア

「妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子」

  • 放送日 2016年9月16日(金)20:00〜20:43 NHK総合テレビ
  • 出演者ほか【出演】溝端淳平,川島海荷,【キャスター】井上あさひ
  • 内容 最も有名な歌人・詩人の一人、石川啄木。しかし元々は自分こそは天才だと信じる傲慢なダメ男だった。それをまっとうな人間に変えたのが妻・節子。啄木のせいで貧乏暮らしを強いられながらも、その才能を誰よりも信じ、励まし続けた。しかし、余りの啄木の不義にとうとう怒りが爆発、背を向けてしまう。絶対に自分を見捨てないと思っていた節子の家出を受けて、啄木はどう生まれ変わるのか。2人を溝端淳平さん、川島海荷さんが熱演。

(2016-09-10 NHK_PR)


[][] 「啄木と北海道〜新運命を開拓せん〜」石川啄木記念館 企画展 9/27~1/9

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石川啄木記念館第6回企画展 啄木と北海道〜新運命を開拓せん〜

  • 開催期間 平成28年9月27日(火)〜平成29年1月9日(月・祝)
  • 場所 石川啄木記念館

北海道新幹線開通で注目の北海道に焦点を当て、石川啄木と北海道の深い繋がりを紹介します。故郷・渋民で一家が離散し、「新運命を北海の地に開拓せん」と新天地を北海道に求め、函館、札幌、小樽、釧路での明治40年5月から明治41年4月の約1年間は啄木にとって”漂泊時代”と言われています。

新聞社に勤めながら家族と生活するための糧と自らの生き方について模索を繰り返した啄木の日々を辿ります。


◎ギャラリートーク

  • 9/27(火)、10/30(日)、11/27(日)、12/25(日)

  各日とも14:00〜14:30 


◎企画展関連記念特別講演会「啄木の北海道時代」

  • 講師 櫻井健治氏(石川啄木研究家)
  • 2016年10月2日(日)13:30〜

詳細


2016-09-08

[] 啄木が愛した食材で弁当を企画 郷土の歌人を PR

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[ツリガネニンジン]


「啄木弁当」の発表会

  • 石川啄木が食べた具材を使った「啄木弁当」の発表会が7日、盛岡市の渋民公民館であった。開発した渋民地区自治会連絡協議会の佐々木由勝会長は「食を通して若い世代に郷土出身の歌人を知ってもらい、地域活性化につなげたい」と期待を寄せた。
  • 雑穀ご飯や石川啄木の好んだカボチャ、啄木の日記に登場する塩マスなど地域の食材を中心に、年配者にも食べやすく作った。
  • 8日から同市ヤマゴン啄木店が税込み千円で配達販売する。

(2016-09-08 岩手日報>紙風船)(2016-09-08 朝日新聞)


[] ほのぼの「啄木グッズ」人気 盛岡の記念館で販売

啄木イラストは「かわいい」と評判!

  • 盛岡市渋民の石川啄木記念館(森義真館長)で販売しているレターセットやしおりなどのオリジナルグッズが人気を集めている。グッズのイラストを手掛けるのは、学芸員の佐々木裕貴子さん。美術大卒の腕を生かし、啄木の似顔絵などを柔らかな雰囲気で描き、記念館の魅力づくりに一役買っている。
  • 同館で限定販売しているのは、レターセット(税込み500円)、ポチ袋(3枚セット250円)、2017年のカレンダー(1100円)、しおり(5種類、各110円)。
  • グッズは社会就労センター「ひめかみの風」(同市巻堀)の手すき和紙を使用。温かみのあるイラストは「かわいい」と評判で、お土産に買い求める人も多い。

(2016-09-07 岩手日報)


[][] 「啄木の名歌・名曲コンサート」10/8

啄木の名曲コンサート  さがみはら南区版<タウンニュース

歌人・石川啄木の生誕130年を記念した「啄木の名歌・名曲コンサート」が、10月8日(土)午後2時から相模女子大学グリーンホールで開かれる。主催は「尾崎咢堂をNHK大河ドラマに」の会・準備会。

出演はソプラノ歌手・田中美沙季さんとピアノ・南澤佳代子さん。郷土史家の山田真也氏による講演「啄木は咢堂に会っていた!そして…」も予定されている。


「啄木の名歌・名曲コンサート」

@相模女子大学グリーンホール

  • 2016年10月8日 14:00開始 〜 16:20終了
  • 事前申込みが必要:往復はがきにて応募
  • 神奈川県相模原市相模女子大学グリーンホール
  • 費用:1000円(当日は1200円)

(2016-09-08 タウンニュース>さがみはら南区版)


[] 啄木と賢治 投稿数では賢治が圧倒的、読者の熱は互角。

◯本よみうり堂<読売新聞

 どっち派? 石川啄木と宮沢賢治

  • 漂泊の歌人、石川啄木と理想郷イーハトーブを夢見た宮沢賢治。同じ中学出身、故郷の岩手に根ざした作品を多く書き、短い生涯の後に評価が高まり、今も絶大な人気を誇るなど、共通点の多い2人です。投稿数では賢治が圧倒的ですが、読者の熱は互角です。

石川啄木…次の一歩へ 勇気くれる

  かの時に言ひそびれたる

  大切の言葉は今も

  胸にのこれど

「私にとって珠玉の1首。おもいを秘めたまま、折につけ、ふと思い出す歌」(千葉県鎌ヶ谷市)。


  函館の青柳町こそかなしけれ

  友の恋歌

  矢ぐるまの花

「言葉からもリズムからも、短歌は青春のものであると教えてくれる。啄木の短い生涯と対応している」(神奈川県横浜市)


  「時代閉塞の現状」

「もっと生きたら、歌人の名声以上に、反骨の言論人として後世に名を残したのでは」(広島県広島市)


宮沢賢治…壮大 他者へのまなざし

  「虔十公園林」

「人生の本当の価値とは何かを考えさせてくれる。特に子供さんに読んでもらいたい」((茨城県神栖市)

  『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』

「時間的、空間的スケールの壮大さ、他者へのまなざしの2点で、賢治に引かれる」(大阪府熊取町)

(史)

(2016-09-07 読売新聞)


2016-09-07

[][] 秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <6>

啄木文学散歩・もくじ


6 鹿角市立花輪小学校と田中正造と石川啄木


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秋田県鹿角市立花輪小学校

足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造(1841-1913)が、かつて勤めていた花輪支庁舎跡に建つ学校。

右上に写っている松の枝は田中正造のいた時代のもの。


  • 田中正造は1870(明治3)年、江刺県花輪支庁(現秋田県鹿角市)の下級官吏となった。
  • 正造の赴任当時、一帯では、深刻な飢饉の発生に農民が苦しんでいた。太平洋からの冷風“やませ”の影響だった。「正造は着任早々、農村をくまなく歩いて困窮状態を調べ、救援米を本部から手配したとの記録が残って」いる。
  • しかし、正造はそれからまもなく、上司殺害の嫌疑をかけられ、逮捕された。嫌疑が晴れるまでの2年9か月間、投獄される。

(2013-01-05 読売新聞)







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花輪小学校の門柱と「雁木造」


花輪小学校は2009年に新校舎竣工式が行われた。

木の温もりが映える壁、外部通路には庇を長く張り出した「雁木造」が取り入れられた。(「雁木造」は、1枚目の写真のほうがよく写っている)







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二の丸 花輪通代官所跡


花輪小の門柱を入ったすぐ右手にこの標柱がある。


花輪小学校敷地は鎌倉時代に武士団が入部し館を設けた場所の跡地である。

館は全部で42あり、鹿角四十二館と呼ばれた。「花輪館(はなわだて)」はその一つで、花輪氏の居館だった。

この二の丸には、盛岡藩の代官所が置かれていた。






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「花輪館」についての掲示


「二の丸」標柱のすぐ隣に建つ掲示板には、城館を中心に家臣を配置し、花輪の町並みが作られたことなどが記してある。






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田中正造について書かれている部分


「明治3年(1870)ここに江刺県花輪分局が置かれ、後に足尾銅山鉱害反対運動で有名になる田中正造が勤務していた」


正造は上司殺害の嫌疑が晴れ、1874年無罪釈放となり故郷の栃木県佐野の小中村に帰った。

衆議院議員として1891(明治24)年、帝国議会で初めて鉱毒を取り上げ「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を出した。

1901(明治34)年、衆議院議員の職を辞して、明治天皇に足尾鉱毒事件の解決を求める直訴を試みた。天皇の馬車に向かって直訴状を掲げたが、足がもつれひざをついた。道路沿いで警護していた警官に取り押さえられ、天皇の乗った馬車は何事もなかったかのように走り去った。(下野新聞 田中正造物語-22)






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「正造と啄木」佐野厄よけ大師 = 春日岡山惣宗寺(栃木県佐野市)

正造の墓石「嗚呼慈侠 田中翁之墓」

石川啄木の歌碑



直訴は、正造が警官に取り押さえられたことで終わってしまった。しかし、鉱毒被害への支援は、直訴以降さらに活発となった。その一つが、啄木たちの活動であった。


「啄木と足尾鉱毒と水俣病」

   田中正造の直訴状を歌に詠む    近藤典彦


  夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや

  • 啄木は盛岡中学四年生の1月に足尾鉱山鉱毒事件を歌に詠んだ。それも彼一人で詠んだのではなく、かれが主宰していた盛岡中学校内の短歌グループ・白羊会で彼自身が「鉱毒」という題を出し、みんなで詠んだのである。メンバーは十人前後であるらしいから、少なくとも十首以上が詠まれたであろう。鉱毒事件をもっとも早い時期に何人もでたくさんの短歌にしたということになる。
  • 1901年(明治34)12月10日、田中正造は明治天皇の馬車に近づき、足尾鉱毒問題を直訴しようとして捕まった。当時啄木が読んでいた新聞は岩手日報一紙だったと思われるが、翌日事件を報道した。14日には直訴状の全文を載せた。この作品は直訴状の内容を歌にしたものだったのである。

 (2006-05-26 しんぶん赤旗)


石川啄木と田中正造-1 啄木文学散歩

石川啄木と田中正造-2 啄木文学散歩






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「石川啄木歌碑」


正造は1913年(大正2)病に倒れ、9月4日死去した。死因は胃ガン。享年71歳10ヵ月。

同年10月12日に正造の葬儀が佐野厄除け大師( 春日岡山惣宗寺)で行われた。渡良瀬川両岸被害地はもちろん全国各地より人々が参集した。町中心部を長い葬列が進み、沿道は別れを惜しむ数万の群衆で埋まったという。




「鹿角」には、田中正造と石川啄木とを結ぶ不思議な縁があった。



  • 秋田県鹿角市立花輪小学校
    • 秋田県鹿角市花輪字中花輪88


(つづく)


2016-09-06

[] 溝端淳平さんが石川啄木役を! 9/16

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[ノササゲ]


NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」

  • 2016年9月16日(金)20:00〜20:43

「妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子」


◎BKとっておき! -番組の舞台裏や出演者の素顔をお届け-

  意外!?石川啄木の本当の姿

 ◯石川啄木役の溝端淳平さんが『一握の砂』を片手に話す

「本当に啄木は自分の世界が濃くある人ですね。僕なりの石川啄木をやれればなと思います。いま、撮影中です。意外な一面も見られるかな……」

溝端淳平さんの動画(写真をクリックすると始まる)

  • 数々の名歌を残した癒やしの詩人・石川啄木。しかし元々は傲慢なろくでなしだった。それを真っ当な人間に変え天才詩人に育てたのが妻節子。啄木と節子の純愛物語を描く。


2016-09-05

[] 「啄木ふるさとセット」の人気ぶり 岩手国体

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[ワレモコウ]


初日1500人来場、熱気と歓迎 岩手国体、水泳開幕

  • マーメイドたちの華麗な競演で、46年ぶりとなる岩手国体の本大会の熱戦がスタートした。盛岡市立総合プールで4日、水泳のトップを切って行われたシンクロナイズドスイミング。初日から1500人を超える来場者が詰めかけ、会場は熱気と歓迎ムードに包まれた。
  • 日曜日とあって地元の家族連れも多数、足を運んだ。プール前のおもてなしコーナーでは、新岩手農協が同市玉山産のりんごジュース、そば茶などを詰め合わせた「啄木ふるさとセット」を提供。わずか45分で用意した300セットがなくなる人気ぶりだった。

(2016-09-05 岩手日報)


[] 啄木ゆかりの風景疾走 盛岡・ふれあいマラソン

  • 盛岡市・玉山村合併10周年記念事業第26回啄木の里ふれあいマラソン大会(同実行委など主催)は4日、同市川崎の市渋民運動公園を発着点に開かれ、参加者は石川啄木ゆかりの風景を楽しみながら走った。
  • 20種目に過去最多の2582人が全国からエントリー。アテネ・北京五輪元マラソン女子日本代表の土佐礼子さんもゲストランナーとして駆け付けた。

(2016-09-05 岩手日報)


2016-09-04

[] 「賢治の短歌は、啄木の歌に大きな影響を受けている」啄木学級故郷講座


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[アザミ]


「賢治の原点に啄木」 盛岡・旧渋民尋常小校舎で講座

  • 盛岡市渋民の石川啄木記念館(森義真館長)敷地内の旧渋民尋常小校舎で3日、本年度の啄木学級故郷(ふるさと)講座が開かれた。森館長と宮沢賢治記念館(花巻市)の牛崎敏哉副館長が対談し、参加者は啄木と賢治の深い関わりを学んだ。
  • 市内外から約30人が参加。対談で牛崎副館長は、賢治の文学の原点は歌集「一握の砂」をはじめとする啄木の短歌にあることを強調。「賢治の短歌は近年まで評価されてこなかったが、啄木の歌のスタイルに大きな影響を受けている」と解説した。森館長も、賢治が上京時の下宿先に啄木と同じ本郷を選んだことなど、2人の関わりをうかがわせる史実を紹介した。
  • 話題は全国各地に数多い文学碑や、共に作品の題材としている岩手山のとらえ方にも及んだ。


2016-09-01

[][] 秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <5>

啄木文学散歩・もくじ


5 啄木の姉サダの葬儀を行った『鏡得寺』


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曹洞宗瀧澤山 『鏡得寺』山門


背後に山を背負い、木立も豊かな『鏡得寺』。


ここは啄木の姉サダの葬儀が行われた寺である。

啄木の母カツに縁のある常照寺からみると、6kmほど北、東北道小坂ICの近くにある。






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「本堂」


  • 昭和三十七年、『啄木発見』の著者・吉田孤羊は、啄木の長姉サダの墓参のため菩提所である小坂町下小坂にある『鏡得寺』を訪ねた。

寺の過去帳には明治三十九年二月の頁には「二十四日、妙訪禅定女 重兵衛 叶 妻サダ 三十一」としたためられてあった。命日の二十四日は二十五日の間違いで、どうして一日早く記録されているのか、その原因はわからなかった。

(吉田孤羊『啄木発見』洋々社 昭和47年)

(「重兵衛」は当時田村一家が住んでいた鉱山の長屋のあった地名)







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「瀧澤山」の美しい額



  • サダさんの墓は『鏡得寺』にはなかった。住職の説明では葬儀だけはこの寺でおこない、遺骨は田村家の誰かが、よそへ持ち去ったのではなかろうかとのこと。
  • 田村叶さんが国鉄盛岡工場に勤務していた繋がりで、同じく盛岡工場勤務の知己高橋清さんに頼んで調べてもらった。ようやく、昭和38年4月にサダさんの埋骨の場所が判明した。
  • それは、盛岡市本宮にある宮澤寺(きゅうたくじ)であった。
  • ここまで漕ぎつけ得たのは、日曜毎に、何キロという道を自転車を飛ばして、盛岡近郊の寺々を克明に調べ廻ってくれた高橋さんの異常なまでの努力の賜である。

(吉田孤羊『啄木発見』)






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静かな『鏡得寺』の佇まい


  • 昭和11年に66歳で亡くなった叶さんの遺骨は、後に長男が盛岡市本宮の宮澤寺に納めた。

(吉田孤羊『啄木発見』)




  • 鏡得寺
    • 秋田県鹿角郡小坂町小坂字下小坂32

 

(つづく)


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