啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2017-01-30

[] 遊座昭吾さん 追想メモリアル

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[ヒバ]


石川啄木の研究と顕彰に力を尽くした

 遊座昭吾さん(1月6日死去、89歳)

  • 歌人石川啄木が育った宝徳寺に生まれたという深い因縁を胸に、啄木の研究と顕彰に情熱を傾けた。
  • 啄木を意識するまで、寺に生まれたことを嫌っていた。高校の国語教員だった30歳の時、寺に贈られた多くの研究書を見て縁を感じ、研究の道へ。著書「啄木と渋民」は渋民の風土と啄木の関係を追求。「啄木秀歌」は独自の視点から啄木の肉声をよみがえらせた。情熱と愛情に満ちた語り口から生徒に慕われ、8年前には「最終講義」と題した講演会を教え子たちが盛岡と東京で開いた。
  • 国際啄木学会の設立メンバー。89年から初代事務局長、95年から2代目会長として啄木研究の進展に貢献した。石川啄木記念館建設も中心となって活動した。
  • 啄木没後100年の2012年5月、ともに宝徳寺を訪ねて話を聞いた。

   ふるさとの寺の畔(ほとり)の

    ひばの木の

   いただきに来て啼きし閑古鳥!

  • 育った寺を詠んだ歌を挙げながら、かみしめるように話した。「あの歌は、啄木は相当苦労したよ。何を言いたいのかというと、閑古鳥の鳴き声でしょ」「そういうことが分かりかけてきた時に、宝徳寺に生まれて良かったと思った。世界に一つ。啄木と同じなんだもん」
  • 話の途中、立ち止まるような小さな間が何度もあった。ゆっくりと、静かに、啄木の声に耳を傾けていたのだろうか。

(2017-01-30 岩手日報)


2017-01-29

[] 受賞! 国際啄木学会盛岡支部 --もりおか暮らし物語賞

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[ウメ]


暮らし物語賞に5団体・人 盛岡市 ブランド推進に貢献 フォーラムで表彰

  • 盛岡ブランドフォーラム2017(盛岡市、盛岡ブランド市民推進委員会主催)は28日、盛岡市中ノ橋通のプラザおでってで開かれ、2016年度もりおか暮らし物語賞の表彰式が行われた。
  • 今年度の受賞者は、国際啄木学会盛岡支部、いわてアートサポートセンター、盛岡南部鉄器協同組合青年部、本町振興会、小笠原正治さんの4団体1個人。さまざまな形で盛岡ブランドの推進に寄与してきた個人団体をたたえた。
  • 国際啄木学会盛岡支部は、石川啄木研究の推進を図るため、1989年に発足。支部会報の発行や啄木忌前夜祭の運営に毎年度取り組む他、昨年11月には国際啄木学会盛岡大会を開催するなど、さまざまな活動により啄木を顕彰し、市民が啄木と親しむ機会を提供している。
  • 小林芳弘支部長は「啄木研究という分野の地味な活動をこうして評価していただきありがたい。会員の高齢化が課題で、多くの若い方に興味を持っていただける活動をしたい」と話した。

(2017-01-29 盛岡タイムス)

記事


[][] 「あなた啄木派?賢治派?」盛岡 〜4/9

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啄木と賢治、テーマ別に2人対比 盛岡で企画展

  • もりおか啄木・賢治青春館は4月9日まで、第74回企画展「あなた啄木派?賢治派?」を開いている。2人を対比するテーマは「ビールとサイダー」「ストライキ」「音楽」など。陸前高田市生まれの作家佐藤竜一さんの著書「石川啄木と宮沢賢治の人間学」や、岩手日報社の連載「啄木と賢治の肖像」などを基にパネルで構成した。
  • 教育者として熱心で、児童、生徒から慕われた共通点がある一方、酒や方言に対する態度には大きな違いがあり興味深い。
  • 同館が昨年の来館者らに行ったアンケート結果も公表。好きな作品の1位は、賢治が「銀河鉄道の夜」、啄木が「不来方の〜」の短歌だった。会期中、2人についてメッセージを書いたり、啄木派か賢治派か投票シールを貼ったりするコーナーを会場内に設けている。

(2017-01-29 岩手日報)

記事


2017-01-26

[] 石川啄木「馬鈴薯のうす紫の花に降る…」みごとな仕掛けに満ちた歌

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[「真生」掲載ページ]


真生(SHINSEI)2015年 no.297

 「石川啄木と花」 近藤典彦

  第二回 馬鈴薯の花

   馬鈴薯のうす紫の花に降る

   雨を思へり

   都の雨に

  • 作歌は1910年(明治43)10月。『一握の砂』所収。
  • 「馬鈴薯」はジャガイモ。径二、三センチのうす紫か白の花です。啄木はこの地味な、しかしよく見ると可憐な花を愛でます。
  • 掲出歌はみごとな仕掛けに満ちています。一行目の五七五はすべて二行目の「雨」にかかっていて、われわれはその風情豊かな雨を眼前に浮かべます。しかしその雨の景を、詩人は今「回想している」(思へり)と結ぶので、それは現在の景ではなかった。過去の景だった。
  • 三行目「都の雨に」。「都」は啄木が今住んでいる東京。「雨」は百年前の東京だからアスファルトではなく土の地面に降っている。この「都の雨」を眺めていると、突然その雨がスクリーンになって、「馬鈴薯のうす紫の花に降る雨」が写し出される。写っているのはかつて故郷渋民村で見た雨の景。
  • こうしてこの歌は、読者の意識を現在ー過去ー現在と動かし、空間的には「都」ー渋民ー「都」と移動させます。この複雑な仕掛けのかなめは倒置法の妙。
  • 自身は技巧を全く意識せずに作っています。湧き出るままに思いをうたっていたらこの歌もできていた、啄木はそんな歌人でした。

<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2015年 no.297 季刊>(華道の流派)


2017-01-25

[] 文アル「文豪図鑑 No.037☆石川啄木」キャラクターを集め敵と戦うゲーム

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[イルミネーション]


◎文豪とアルケミスト攻略まとめ

 【文豪図鑑No.037☆石川啄木】

  武器 ー 銃  派閥 - 明星

人の愛や寂しさを描いた歌を詠うにも関わらず、歌を詠む本人は傲慢な借金王という矛盾に満ちた俺様歌人。他の文豪に対しても借金があるらしく目を離した隙を突いて消えてしまうことがある。

とは言えどこか憎みきれずになんだかんだ愛されている。その不思議な魅力こそが、彼の真の才能なのかもしれない。


モデルになった石川啄木はこんな人!

  • 筆名:石川啄木 本名:石川一
  • 生涯 曹洞宗日照山常光寺住職の父・石川一禎の長男として誕生。中学時代に『明星』を読んで与謝野晶子らの短歌に傾倒し、短歌の会『白羊会』を結成する。1911年、肺結核により26歳で死去する。
  • 作品の特徴 「たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」(『一握の砂』より)。日本を代表する歌人・詩人のひとり。貧困や日常生活、孤独を題材にした歌が多く、日常を切り取りながらも詩情にあふれた世界観を持つ。
  • 趣味・嗜好 【たかり魔】【傲岸】【妻との関係】
  • 代表作 『一握の砂』『悲しき玩具』

(2017-01-23 更新 文豪とアルケミスト(文アル)攻略)

記事


「文豪とアルケミスト」とは(「DMMGAMESトップ」より)

  • DMMゲームズ(DMM.com)で、2016年11月開始の文豪転生シミュレーションゲーム。
  • 平和な時代に、突如として文学書が全項黒く染まってしまう異常現象が起きる。それに対処するべく、特殊能力者“アルケミスト”と呼ばれる者が立ち上がり、文学書を守るため文学の持つ力を知る文豪を転生させる。
  • プレイヤーは「アルケミスト」として実在する文豪をモデルにしたキャラクターを収集、強化し、敵と戦って勝利することを目標とする。


2017-01-24

[][] 「啄木の発明 短歌の主題」佐佐木幸綱氏 講演会 2/1

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[キンカン]


文芸講演会「啄木の発明 短歌の主題」

  • 2017年2月1日(水)午後2時〜4時
  • 会場 文化会館たづくり 12階大会議場
  • 講師 佐佐木幸綱(歌人、早稲田大学名誉教授)
  • 定員 当日先着200人

◯調布市文化会館たづくり

 東京都調布市小島町2-33-1 Tel: 042-441-6111(代表)

記事

    


2017-01-23

[] 「啄木・雪あかりの町・くしろ」アイスキャンドルが街を照らす

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[ランプ]


釧路で啄木詠んだ雪明かり再現 足跡たどるイベント

  • 歌人、石川啄木が一時期を過ごした北海道釧路市で、啄木の足跡をたどるイベント「啄木・雪あかりの町・くしろ」が21日に開かれた。雪が積もる屋外会場でろうそくをともして、啄木が歌に詠んだ雪明かりを再現。観光客や市民が、歌碑巡りなどを楽しんだ。
  • 啄木は1908年、旧釧路新聞(現北海道新聞)の記者として同市に約2カ月滞在した。この日は、新聞社の社屋を復元した「港文館」周辺で、雪中に氷で囲んだろうそく約250本を設置。その明かりがオレンジ色に浮かび、街並みを照らした。
  • イベントは、啄木が釧路駅に到着した1月21日に合わせて行われ、今年で14回目。

(2017-01-21 共同通信)

記事


啄木のいた街に雪あかり灯す

  • 21日は、実際に啄木が住んだ釧路港のほとりの街角に手作りのランタンやアイスキャンドルおよそ2200個が並べられ日の暮れた街を優しく照らしました。
  • 午後5時ごろには啄木と、当時ひいきにしていた芸者の「小奴」に扮した男女がアイスキャンドルに火をともす演出も行われ、訪れた人たちは啄木の当時の生活に思いを巡らせていました。

(2017-01-22 NHK北海道 NEWS WEB)

記事

(北海道新聞、河北新報、毎日新聞 ほか多数)



2017-01-20

[] 三島由紀夫や石川啄木らが出演した文士劇が…

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[ヒサカキ]


「盛岡文士劇」東京に進出 脚本家・内館ら出演

  • 普段は表舞台に登場しない作家らが演じる「盛岡文士劇」が東京にやってくる。28、29日に新宿の紀伊国屋ホールで上演される。出演は脚本家の内館牧子や作家の平野啓一郎ら。今回は俳優だけに徹する。
  • 文士劇とは、三島由紀夫や石川啄木らが出演した作家による素人芝居のこと。40年前まで東京でも開催されていたが、今は「盛岡文士劇」が唯一とされる。
  • メインの演目は「みちのく平泉 秀衡と義経」。源氏、平氏、朝廷の三つどもえの戦いを描く。後白河法皇役の日本文学研究者・ロバート・キャンベル。頼朝の妻北条政子の父・時政を演じる言語学者の金田一秀穂。(江戸川夏樹)

(2017-01-19 朝日新聞)


2017-01-19

[] 「ふるさとの山に向かひて…」かけがえのないもの

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[フヨウ]


「1月19日編集日記」【福島民友新聞】

 心のふるさと

  • 「ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」。石川啄木の歌をひくまでもないが、ふるさとは誰にとってもかけがえのないものだ
  • いわき市西部の中山間地域に位置する三和町の住民たちが地域を挙げて「三和ふるさと教育資料集・わたしたちの三和」の編集に取り組んでいる。教育資料とあるように地域唯一の小学校、三和小でも教材として活用できるよう分かりやすさに工夫を凝らす。同校は一昨年春、5校が統合して誕生した。
  • 「ふるさとはこれからも君たちの心の支えとなってくれるでしょう」。学びやを巣立っていく卒業生たちへのメッセージも載せた。人生で困難に立ち向かうとき、ページをめくってほしい一冊がもうすぐ完成する。

(2017-01-19 福島民友新聞)

記事


2017-01-16

[][] 「生きてさへいるなら、君(啄木)は更により善く…」与謝野鉄幹 ~2/13

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◎盛岡てがみ館

 原稿に「文豪」の情熱

盛岡てがみ館で開かれている企画展「文豪たちの原稿展」は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の石川啄木に関する文章などを紹介している。啄木が世に出るのを助けた与謝野夫妻がそれぞれ別の機会に書いた回想などが見学者の目を引いている。

与謝野鉄幹は、啄木の早世について「生きてさへいるなら、君(啄木)は更に更により善く、より新しく進展して行く人(であった)」と惜しんでいる。

与謝野晶子は「石川さんの額つきは芥川さんの額つきが清らかであったやうに清らかであった」と振り返っている。


  • 開催期間 2016年10月25日(火)〜2017年2月13日(月)
  • 場所 盛岡てがみ館 展示室
  • 2017年1月21日 午後2時〜 館長のギャラリートーク

(2017-01-15 岩手日報)


盛岡てがみ館


[][] 企画展「キーン 石川啄木の日記を読み解く」~2/22

◎釧路市立釧路図書館

企画展「ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く」

日本文学研究者ドナルド・キーン氏が、釧路にゆかりのある石川啄木について研究した成果を展示する。

キーン氏が昨年、評伝「石川啄木」(角地幸男訳、新潮社)を出版したのにあわせてドナルド・キーン・センター柏崎が企画。今回の釧路を皮切りに東京や盛岡を巡回する。

啄木の「ローマ字日記」などを基に、啄木の道内外の足取りを大きな地図で表示したほか、パネル11枚のうち釧路に関する部分では「名目上は『釧路新聞』3面の主任にすぎなかったが、実質は主筆であった」などと紹介する。


  • 会場 市立釧路図書館(釧路市幣舞町4-6 tel 0154-42-1411)
  • 2017年1月10日(火) 〜 22日(日)
  • 料金 入場無料

(2017-01-13 北海道新聞)

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[][] 啄木が初めて釧路を訪れた当時に思いを馳せる 1/21

「第14回啄木・雪あかりの町・くしろ」

1月21日(土)、釧路で「第14回 啄木・雪あかりの町・くしろ」が開催される。石川啄木は、釧路に滞在していた頃に著名な作品を数多く生み出している。このイベントは、啄木が初めて釧路を訪れた日の1月21日を「来釧記念日」とし、啄木の足跡や当時の文化を省みる。


「啄木・雪あかりの町・くしろ」

  • 開催 2017年1月21日(土)、14:00〜20:00
  • 場所 港文館・橋南西会館・啄木ゆめ公園・南大通・入船・大町界隈の各所

◎「雪あかり講演会」 港文館 14:00〜15:00

北畠立朴(釧路啄木会会長)さんが講師となり「誰でもできる啄木研究」の講演を行う。


この他、港文館では「啄木の歌 拓本体験会」や「啄木一人百首 歌留多会」、釧路YuKiアートプロジェクト作品展「ゆきあかり」などが開催され、港文館前では点灯式や入選短歌・フォトコンテストの表彰式などが行われる。

また、各所であったか屋台やアートキャンドルなど様々な催しが行われ、啄木を体感できる1日となる。

記事


2017-01-13

[] 石川啄木来函110年記念 文芸誌「視線」

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[「視線」 表紙]


◎文芸誌 「視線」第7号 2017.1

 (「視線の会」発行 坂の町 函館から発信する 新しい思想 新しい文学 新しい生活)


特集 II  石川啄木来函110年記念

◯ 啄木調短歌 ──その誕生と確立──

  近藤典彦

《はじめに》

  • 1902年(明治35)10月から約七年間の文学的・思想的遍歴の後、石川啄木はかれの根源的弱点となっていた天才主義を克服した。1909年(明治42)秋のことである。
  • 啄木はこの世のあらゆることを直視する人となった。まず何よりも先に自分自身を徹底的に直視した。その結果、自分は「天才」でも「詩人」でもなく、普通の「人」であると認めた。そして長い間馬鹿にしてきた、自分と家族が生きてゆくための勤め(職業)が生活上の最優先事項であり、家族の扶養こそもっとも重要な「責任」であることを、誠実に再確認した。これまでの自分を「空想家──責任に対する極度の卑怯者」と規定した。(「弓町より」)。
  • それはとりもなおさず、「生活」の発見であった。世の中に無数にいる「生活者」の発見でもあった。「生活者」の発見は「民衆」の発見でもあった。
  • 啄木は新生した。かれが「天才」を捨てた時、天才石川啄木が誕生した。そして詩論「弓町より(食(くら)ふべき詩)」を書き、その詩論に基づいて口語自由詩を創作。明けて1910年(明治43)には小説「道」を書いた。詩も小説も立場としては自然主義に拠っていた。
  • しかし短歌については自然主義的短歌とはどういうものか、探りあぐねていた。

以下に考察するのは、前田夕暮の短歌を摂取すると同時に一気に啄木調を独創して行く過程である。


(以下略 「啄木調の誕生」、「啄木調の確立」、「啄木調とはなにか」)



◯ 文学を求めて ──啄木の北海道──

  山下多恵子

  • 「函館から札幌へ、札幌から小樽へ、小樽から釧路へ(略)食を需めて流れ歩いた」(弓町より)──北海道での日々を振り返って、啄木はこう書いた。
  • 石川啄木の人生と文学に、決定的な影響を与えたのは、彼の父が住職を罷免されたことではないか、と思う。そのときから、両親に溺愛されてのびのびと育ってきた苦労知らずの啄木が、一家の主人となって生活の全てを負うことになったのである。それ以後の啄木の文学と思想は、いつも「食=せいかつ」というものを意識させられる中で、深まっていったといえるだろう。

《文学を求めて》

函館:明治40年5月5日〜9月13日

<函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花>

  • 函館の文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」の歌会を通して、その頃短歌から遠ざかっていた彼に五七五七七のリズムがよみがえったことは、特筆すべきである。この経験がなければ、啄木は数々の名歌を生み出し得なかったかも知れない。
  • 友人・宮崎郁雨の功績の一は、啄木上京後の家族の生活を引き受けたこと、であると思う。それは言葉を換えれば、啄木にひとりの時間を与えた、ということであろう。つまり自分をしっかりと見つめる時間である。
  • 8月25日夜に函館の街を襲った大火に遇い、啄木は職を失い、北海道を転々とすることになった、と言われている。だが、それがきっかけにはなったであろうが、それがなくても彼はこの街を出て行ったであろうと思われてならない。啄木は漂泊への衝動を、もとから胚胎していたと思うのである。

(以下略 札幌・小樽・釧路 《小説の中の北海道》)




◯ 啄木歌「肺が小さくなれる」考

  栁澤有一郎

「肺が小さくなれる」歌をめぐって

  • 1911(明治44)年、結核性腹膜炎を発症した石川啄木は、2月、東京帝国大学付属病院に入院する。体力の消耗ははなはだしかった。その後、病状は安定し退院するが、梅雨時から悪化し8月までほとんど寝たきりの生活が続いた。
  • 8月7日、一家は小石川区久堅町へ転居。啄木の病状は小康状態を保つ。

  何がなしに

  肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ──

   秋近き朝。

  • 『悲しき玩具』の最後部に置かれた一首である。
  • 岩城之徳は「胸を病む者の実感をしみじみと伝えた秀作」と定義し「『肺が小さくなれる』』は病状が進んで肺が圧迫され、小さくしか呼吸できなくなったのでこのように歌ったのであろう」と解した。しかしそれは誤ったものと言わざるをえない。

八月二十一日(啄木日記 明治44年)

歌十七首を作って夜「詩歌」の前田夕暮に送る。

朝に秋が来たかと思う程涼しかりき。

  何がなしに

  肺の小さくなれる如く思ひて起きぬ

   秋近き朝

妻の容態も漸くよし

  • 己の身体が快方に向かいつつある喜びと、妻の容態が持ち直したことの安堵感に包まれて、日記は編まれているのである。
  • 気象庁東京測候所の観測記録によると、明治44年8月20日、急に気温が下がる。最低気温は21度と、この月でもっとも低い。また、20日夕方からまとまった雨が降り地表の温度を下げた。雨によって洗われた空気は秋の到来を感じさせ、その冷気は清々しさを与えたことだろう。「肺が小さくなれる」歌は、それゆえに、この実感の延長線上に解釈されなければならないのである。

(以下略 《「電燈の球のぬくもり」歌との関係》)




[] 啄木の警鐘が 遊座さんの語りが 天上からこだまする

「風土計」【岩手日報】

  • 「その音とは、樹上から発するキツツキの木霊であった。その瞬間、少年は警告するキツツキに自己をなぞらえ、詩『啄木鳥』を編み出す。詩人啄木の誕生である」。
  • 元国際啄木学会会長の遊座昭吾さんが6日、死去した。あたらめて著書「啄木と賢治」(2004年)を読む。盛岡大教授当時、有無を言わせぬ迫力に満ちた啄木や賢治文学の講義が思い起こされる。
  • 数ある啄木と賢治論で「垂直と水平」の対比は鮮やかだ。樹上の動物が下の人間に警告を投げつける啄木の「垂直の意想」。一方の賢治には、セロ弾きのゴーシュと動物の交感に見られるような、共生の原理とも言うべき「水平の意想」。
  • 閉塞感が強まる現代。分断を超えて、共生をいかに見いだすか。啄木の警鐘が、遊座さんの語りが、天上からこだましている。「岩手の地から意想せよ」と。

(2017-01-13 岩手日報) 

記事


2017-01-12

[] 「あの啄木の写真は片方の耳が大きすぎ」-写真が蘇るまで

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[『石川啄木』の表紙]


石川啄木の古い写真を蘇らせた!

  • 一昨年の暮れにドナルド・キーン先生とお会いし、そのご縁で書籍『石川啄木』(新潮社)の表紙の写真をソニー・デジタルエンタテインメント社でリマスターさせてもらった。いまから100年以上前(1908年)に撮られた集合写真(実寸にして1円玉)を時代考証や撮影環境を考え抜き、現代によみがえらせたのだ。
  • どう考えても、あの有名な啄木の写真は、片方の耳が大きすぎ、片方の眉が太すぎ、など違和感があった。他の画像を見続けるうちに、我々の頭の中で新しい啄木像が出来上がってきた。(福田淳・ソニー・デジタルエンタテインメント社長)

(2017-01-10 ソニー・デジタルエンタテインメントCEO's room)

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2017-01-11

[] 「啄木を生かし、啄木に生きた生涯」遊座昭吾さん追悼

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【岩手日報】

啄木に生きた生涯

 「遊座昭吾さんを悼む」

   望月善次(前国際啄木学会会長、岩手大学名誉教授)

  • 私共の敬愛おくあたわざる遊座昭吾先生がこの世での生涯を終えられた。
  • 「啄木を生かし、啄木に生きた生涯」であったと思う。その四つを記して先生の恩に感謝したい。

一つは、先生が生まれた宝徳寺の縁を生かしたことである。 宝徳寺に育った先生は、その縁を見事なまでに生かし切ったのである。

二つは、啄木研究の地平を開拓したことである。生育の地「渋民」に基づいた『啄木と渋民』、啄木の全体像を通観した『石川啄木の世界』、『啄木秀歌』、晩年の最後の著書『鎮魂〜石川啄木の生と詩想』(2013年)に至るまで啄木研究に関わる基本的問題を解明し続けたのであった。

三つは、その研究を個人の範囲にとどめず、「学会」として組織したことである。啄木研究の巨人岩城之徳先生による「国際啄木学会」の発足(1989年)は、初代事務局長としての先生の働きなくしては考えられないものであった。95年からは会長も務めた。

四つは、啄木顕彰についての働きである。石川啄木記念館の開館(70年)と現在の百年記念館開館(86年)も先生がおられたればこそ可能であったのである。

  • 先生の研究や、お聞きする度に心に沁みるような講演は、こうした生涯を潜らせながら残してくださったのである。先生に感謝し、及ばずながら、残してくださった道をたどりたいと思う。

(遊座昭吾さんは6日死去、89歳)

(2017-01-11 岩手日報)


[][] 「第14回啄木・雪あかりの町・くしろ」入選作品 〜1/21

「雪あかり短歌の入選作品を展示/港文館」【釧路新聞】

  • 釧路新聞社が「第14回啄木・雪あかりの町・くしろ」に向けて募集した短歌の入選作品の展示が21日まで港文館(釧路市大町2)で開かれている。
  • 今回は釧路、根室地方の短歌愛好者から79首の応募があった。釧路歌人会会長の駒板芳夫氏が選者を務めた。天位、片山洋子さん「渋民の母をしのんでうたをよむ凍てつく夜のトンケシの宿」。地位、米島純一さん「三行の歌に残れる傷心を声出し歌ふ雪あかりの町」。人位、菅野貴之さん「さすらひの果てに着きたる夜の宿インク凍りし嘆き歌あり」。
  • それぞれの作品とも明治時代に新聞記者として活躍しながら短歌を創作し続けた啄木の生涯を感性豊かに詠み上げている。

(2017-01-11 釧路新聞)

記事


[] 「むさぼり読んだ石川啄木に支えられた」 自分史

私の戦争、刻む一冊 朝日自分史

朝日自分史で戦争の記録を残す人は多い。共通するのは「戦争の悲惨さやつらさを伝えたい。二度と戦争をしてはいけない」という平和への願いだろう。

防空壕で出会った啄木、心の糧に 小林ミチさん

  • 「日本軍が真珠湾を攻撃し、戦争が始まりました。これからは先生の言うことをよく聞いてください」。大阪府枚方市の小林ミチさん(83)は、1941年12月8日、約2千人の生徒への校長先生の言葉を聞いた。
  • 1945年、呉服雑貨店を営む両親や兄妹らと住む兵庫県西宮市が、繰り返し爆撃を受けた。小林さんは、バリバリドシャンと家が焼け落ちる音を聞きながら逃げた。そんな中で、庭の防空壕の兄の本箱にあった石川啄木の歌集に出会った。
  • 8月6日未明の爆撃で自宅も失い、兄と妹と3人で疎開した。玉音放送は伯母夫婦が住む家の庭で、雑音混じりのラジオで聞いた。親類の家での生活は過酷で、慣れない水くみや農作業を手伝った。地元の子どもたちにいじめられもした。
  • 戦後は結婚し、夫と電話加入権販売や不動産業などを営んだ。戦争中も戦後も、むさぼり読んだ石川啄木に支えられた。なにより啄木の病気や金銭的な苦労にもへこたれなかった姿に引かれ、励まされてきた。感謝の思いを込めて、自分史を「遠き道 歩み来て 〜啄木の歌を心の糧に〜」というタイトルにした。小林さんは「戦争体験を語る人が少なくなり、平和な時代が続くことを祈るばかりです」と話す。(合志太士)

(2017-01-10 朝日新聞)

記事


2017-01-10

[] 啄木の短歌が音楽家を引きつける

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[シロナンテン]


「はがき通信」【朝日新聞】

「啄木を歌う」

  • 30日の「にっぽんの歌 こころの歌」(NHKFM)は石川啄木生誕130年の特集。啄木の短歌を彼の死後、たくさんの作曲家が歌曲にしていることを知りました。
  • ゲーテの「野ばら」のように、啄木の短歌も音楽家を引きつけるのでしょう。もっと世に知らしめていただければと思いました。(平野万里子)

(2017-01-10 朝日新聞)


2017-01-09

[] 啄木も新成人も 時代の波を受ける若者は、いつも大変

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[シロタエギク]


「(社説)スマホ世代の新成人 手中の「利器」が時代開く」 【朝日新聞】

  • 若者をとりまく状況は決して明るくはない。少子高齢・人口減少社会の到来で、将来の負担は重くなる一方だ。息苦しさを感じ、先行きに不安を抱く人、自らの無力にいらだちを覚える人も多いかもしれない。
  • だが、若い世代が秘める大きなパワーと可能性を実感させられる出来事が昨年あった。アニメ「君の名は。」の大ヒットだ。興行収入は200億円を超え、邦画では宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に次ぐ。立役者になったのは、スマートフォンという小さな「利器」を手に握り、それを自在に使いこなす若者たちだ。
  • 部屋でパソコンに向き合っていた時代と違い、手軽なスマホならば、リアルな世界で実際に体験したり他者とふれあったりしながら、同時にネット経由で見えない誰かとコミュニケーションをとることもできる。ここでもヒットの鍵を握るのは若者たちだ。
  • 時代の波頭を受けて生きる若者は、いつの世も大変だった。歌人石川啄木は1910(明治43)年、青年らを押しつぶすような当時の社会の様子を評論「時代閉塞(へいそく)の現状」に書いた。東京朝日新聞で校正係として働き、妻子と母を養っていたが、その2年後に26歳で死去。多くの優れた詩歌が残された。生前、自らの望むようには小説や評論を出版できなかった啄木に対し、新成人はスマホひとつで、知らない人や世界に発信できる世界に生きている。
  • つながる道具の力を、時に失敗もしながら、でも前向きに使ってゆこう。発見をもたらし、新しい文化をうみ、社会を豊かにする。そんな未来をスマホ世代の若者に見いだしたい。

(2017-01-09 朝日新聞)


[] 永六輔さん 旧渋民小学校で啄木についての「授業」をする

「(みちのものがたり)永六輔の旅路 東京都 知らない街をカバン一つで」【朝日新聞】

  • 人生の大半を旅して過ごした人だった。土曜日のラジオ出演が終わると旅に出て、金曜の番組打ち合わせに間に合うように帰京する。ときには金曜に間に合わず、番組直前に戻ることもあった。木綿の手ぬぐいに下着を2セット、風呂敷と手帳を入れた小さなカバンを携えた旅はほぼ毎週、50年近くにわたって続いた。
  • 昨年7月、83歳で亡くなった永六輔さん。旅の体験は独り占めせず、土曜の放送で話し、リスナーと共有した。
  • 知らない街を歩いてみたい――。永さん作詞の歌とともに始まる「遠くへ行きたい」(日本テレビ系)は、1970年から続く長寿番組だ。もとは「六輔さすらいの旅 遠くへ行きたい」として永さん1人が全国を旅する番組として始まった。
  • 記念すべき初回は「岩手山――歌と乳と」。当時の映像を見て驚く。岩手県の小岩井農場で牛や羊を追い回す。石川啄木記念館では「永六輔先生」として、誰もいない旧渋民尋常高等小学校の教壇で啄木についての「授業」をする。名所の説明はほとんどない。行き当たりばったりのような雰囲気すらある。
  • 「『僕の旅にカメラがついてくる』というのが永さんのスタンス。段取りをとても嫌がった。ディレクターが『もう1回やって』というのは禁句。言おうものなら『僕もう帰る』とどこかに行ってしまった」。(岩本美帆)

(2017-01-07 朝日新聞)


2017-01-08

[] 遊座昭吾さん肺炎のため死去  元 国際啄木学会会長

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[遊座昭吾先生]


遊座昭吾さん死去 元 国際啄木学会会長

  • 国際啄木学会会長を務めた石川啄木研究家の遊座昭吾(ゆうざ・しょうご)さんが6日午後10時15分、肺炎のため盛岡市内の病院で死去した。
  • 啄木が少年期を過ごした宝徳寺の生まれ。啄木が詩作などにふけった書院造りの同じ部屋で育った。法政大卒業後、県内公立高教諭などを経て、盛岡大日本文学科教授の傍ら啄木研究にいそしんだ。
  • 「研究と同時に顕彰も大事だ」という姿勢で1970年に開館した石川啄木記念館の建設に際しても企画、立案に関わった。89年の国際啄木学会設立では、中心メンバーとして初代事務局長、95年から4年間会長を務め、啄木研究の国際的進展と研究者の海外ネットワークづくりに貢献した。
  • この間、88年に啄木短歌100首を独自の視点で鑑賞した著書「啄木秀歌」で岩手日報文学賞啄木賞。2000年地域文化功労者表彰、09年岩手日報文化賞学芸部門を受賞。
  • 2016年11月に体調を崩し、盛岡市内の病院で療養していた。

(2017-01-08 岩手日報)


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[(2017-01-08 岩手日報)]



2017-01-06

[] 啄木のひ孫の長男は 盛岡で震災復興の仕事も…

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[海]


「タイムトラベル」【読売新聞】

 遺作2首の直筆原稿を複写

  • 病、貧苦、家庭不和、親友との絶交──。「全く絶望の境にいる」と日記に記した3か月後、歌人・石川啄木(1886〜1912年)は小石川の借家で病死した。享年26歳。一昨年、終焉地に隣接する高齢者施設の一角に歌碑と顕彰室が完成。歌碑には、最後の作とされる2首の直筆原稿が複写されている。その一つ。

「眼閉づれど/心にうかぶ何もなし。/さびしくもまた眼をあけるかな」

  • 啄木が危篤の時、5歳だった長女は何も知らず、門口で桜の落花を拾って遊んでいたという。その長女の孫、つまり啄木のひ孫が東京都世田谷区の石川真一さん(51)。生後すぐに亡くなった啄木の長男と同名で、歌碑の除幕式にも出席した。
  • 東日本大震災後、啄木の故郷・盛岡の啄木祭に招かれた際に、被災者から「啄木の歌に勇気づけられた」と感謝された。「こういう時代だからこそ、歌が心のクスリになれば」と話す。真一さんの長男は盛岡で勤務、震災復興の仕事にも関わっている。(阪口忠義)

(2017-01-05 読売新聞 夕刊)


[][] 大論争「あなた啄木派?賢治派?」1/6〜4/9

◎もりおか啄木・賢治青春館

 第74回企画展「あなた啄木派?賢治派?」

  • 会期 2017年1月6日(金)〜4月9日(日)
  • 会場 もりおか啄木・賢治青春館2階展示ホール
  • 入場料 無料

≪ギャラリートーク開催≫

  • 1月28日(土) 午後2時から

 作家:佐藤竜一 「啄木賢治を語る」

  • 2月25日(土) 午後2時から

 対談:おきあんごvs坂田裕一 「二人の劇作家が啄木賢治論争」

 

〇もりおか啄木・賢治青春館
〒020-0871

  岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-25

  TEL&FAX:019-604-8900

記事


[] まじめな宮沢賢治 vs 人間くさい石川啄木

「あなた啄木派? 賢治派?」【IBC岩手放送】

  • 岩手を代表する作家、歌人の宮沢賢治と石川啄木を比較しながら、その魅力に迫る企画展が6日、岩手県盛岡市で始まりました。
  • 作品の魅力に加え、素朴でまじめな性格で人気を集める宮沢賢治。作品とともに端正な顔立ちや、人間くさい生き方も好かれる石川啄木。この企画展はそんな2人を比較して、人間像に迫ろうというものです。
  • 来館者から集めたアンケートをまとめたものは、若い世代ほど賢治に惹かれる人が多いことがわかります。また、会場には賢治が好きな人、啄木が好きな人それぞれが、自由にメッセージを残すコーナーもあります。

(2017-01-06 IBC岩手放送)

記事


[] 好きな短歌は…

練習手帳 < 中高生新聞 < 読売新聞

 行く年 来る年…1月6日号のテーマ

 【竹内政明・読売新聞朝刊一面コラム「編集手帳」担当】

  • 1月1日付のコラムを毎年、どんな気持ちで書いているかをお話しします。
  • 普段の編集手帳は、その時どきのニュースを題材にしていますが、元日付に時事問題は取り上げません。年の瀬に見た風景や聞いた会話、つまり“私自身”を語ることにしています。読者の皆さんに向けた新年のご挨拶ですね。この欄もそのつもりで書きました。好きな短歌、俳句、詩を一つずつ紹介しましょう。

 〈何となく/今年はよい事ある如し/元日の朝、晴れて風無し〉(石川啄木)

 〈今年はと思うことなきにしもあらず〉(正岡子規)

 〈もの總て/変りゆく/音もなく/思索せよ/旅に出よ/ただ一人/鈴あらば/鈴鳴らせ/りん凛と〉(辻井喬『新年の手紙』)


 いかがです、新しい年に向かうエンジンに点火できそうですか? また1年、お付き合いください。

(2017-01-06 読売新聞)

記事


2017-01-05

[][] 啄木の “一瞬の「いのち」の記録としての歌” 草壁熖太講演

f:id:takuboku_no_iki:20170105174232j:image:w640

[マンリョウ]


◎狭山・狭山水曜歌会主催講演会 2016年11月23日

草壁熖太主宰講演『石川啄木とその時代』 河田日出子


今回は石川啄木の話。

  • 詩歌は気持ちを表わすものだから人の心に響く。文学は、体にとっての栄養と同じで、心の滋養として必要だから、気持ちの表れた詩歌を、皆知りたいと思う。その心の滋養となる詩歌を作った代表的な人が啄木。
  • 日本人は詩と歌が好きで、10人に1人は詩歌を書いている。こんな国は外国にはない。日本人皆が気持ちを表わすことが大切と知っている。その詩歌を愛する国、日本の中で、啄木は一番良く読まれた。
  • 啄木はお寺の住職の子供だったので、百姓ではないという意識があったと思う。啄木は渋民村から盛岡中学に行ったが、130人中、(成績は)10番位の子だった。父親が、欲しいものは買ってやるといい、当時の新しい雑誌は全部読んでいた。啄木は文学の病気にかかり、17歳位の時、授業に出なくなり、落第点をとった。
  • 東京に出て、4年先輩の金田一京助のところに転がり込む。この人は啄木を認め、下宿代まで払っている。啄木は文学で生活が出来ると錯覚し、たまたまある幸運で19歳で詩集『あこがれ』を出版したが、反響なく失敗した。その頃、節子と結婚したが、父親が寺から追い出され、啄木が父母・妻子の生活を支えなければならなくなった。
  • 代用教員、北海道の新聞社勤めなどを経て東京へ。小説では売れず、もう、俺は駄目だと思ったとき歌で自分の気持ちが書けるようになる。真実を書いて人に伝わるようになったのだ。今日、啄木の歌だけは一冊読み通すことが出来る。斎藤茂吉の子の北杜夫は、啄木の歌は中学生でも書けると言っているが、と聞いてきたが「書けませんよ」と私は答えた。書けるものならみんな書いて読ませようとしたはず。誰も三行の歌で名を残した人もいない。

   たはむれに母を背負ひて

   そのあまり

   軽きに泣きて 三歩あゆまず


  • 『一握の砂』には、大別して三つのテーマがあったと思う。一、「我を愛する歌」。二、流離の人生。三、一瞬の「いのち」の記録としての歌。
  • このうち、最も斬新なのが一瞬のいのちをたいせつにしたいという考えであると、私は思う。「さうさ…おれはその一秒がいとしい。たゞ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ。…歌といふ詩形を持つてるといふことは、我々日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ。おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身が可愛いから歌を作る」(「一利己主義者と友人との対話」)

   とかくして家を出づれば

   日光のあたたかさあり

   息ふかく吸ふ

  • しかし、このときいのちはもう一年とちょっとしか残っていなかった。啄木は歌を残した。啄木の三行歌も文学形式としては残っていない。現在の五行歌は、「啄木が考えていたことを私が実現しているな」と思っている。啄木の予言は五行歌を見ると、ぜんぶ当たったということになる。

〇月刊『五行歌』2017年1月号

 五行歌の会 発行 1000円

  草壁熖太講演録「石川啄木とその時代」


[] 啄木「死んだら日記全部焼いてくれ」…その日記を守った人

「筆洗」【東京新聞】

  • 百五年前の春に二十六歳の若さで逝った石川啄木は、こう言い残したとされる。「俺が死ぬと、俺の日誌を出版したいなどと言ふ馬鹿な奴が出て来るかも知れない、それは断つてくれ、俺が死んだら日記全部焼いてくれ」。
  • 実際に焼却しようという動きがあったが、それに立ちはだかったのが、啄木の未完の原稿などを保管していた函館図書館の岡田健蔵だった。
  • 岡田は「職務上の責任感と、啄木が明治文壇に重要な存在である点から絶対にその焼却に反対する」と言い、「死守する覚悟」で守り抜いた。一世紀を経て、私たちが名作『ローマ字日記』を読むことができるのは、岡田のおかげなのだ(ドナルド・キーン著『石川啄木』)。
  • そういう「職務上の責任感」を発揮する人物は、いなかったのか。アフリカの南スーダンで国連平和維持活動に参加する陸上自衛隊の部隊が、日報を廃棄していたという。廃棄ばかりではない。政府や電力業界の幹部たちが核燃料サイクル事業の今後について話し合った「五者協議会」にいたっては、議事録すら作っていなかったという。

(2017-01-05 東京新聞)

記事


2017-01-04

[] 啄木「何となく、今年はよい事あるごとし。…」希望を込めて

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[「2017年 初日の出」 高知市種崎海岸 撮影 岡林一彦さん]


「きょうの潮流」【しんぶん赤旗】

  • 年末年始をふるさとや行楽地で過ごした人たちが思い出を胸に帰ってきました。天候にも恵まれ、穏やかなお正月を迎えられた方々も多かったのでは。
  • 「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し」(石川啄木)。新年に希望を込めて願うささやかな幸せや安心。しかしトルコでの銃乱射テロを年明けのニュースで聞き、暗たんたる気分になった人も少なくないでしょう。
  • 引き続く内戦やテロ、増える難民や移民、過激組織や右翼勢力の広がり。年頭のマスメディアにも混沌(こんとん)たる世界の中で民意の向かう先に戸惑う論調が目につきました。行き場のない焦燥感に流されているかのように。

(2017-01-04 しんぶん赤旗)

記事


[] 啄木「元日の朝、晴れて風無し」福を念じる

「海潮音」【日本海新聞】

  • 米子市上新印の円福寺を訪ねると、ヒイラギの木に守られるように二つの大きな石が重ねられていた。石の中には金の鶏がいて、元旦に鳴き声を聞くと福を授かると伝えられている。酉(とり)年は伝承の声に耳を澄ます参拝者が増えるのだそうだ。
  • いつの時代にも幸福論はある。20年代の最後の年を迎えた平成をここまで振り返れば、バブルの頃に際立った所有欲は後退し、人とのつながりに福を見いだす存在欲が高まっているように感じられる。
  • 「何となく、ことしはよい事あるごとし/元日の朝、晴れて風無し」(啄木)。心あらたまる新年、人や地域それぞれが持つ幸せの物差しに重ねて福を念じてみる。初日の出を迎えた鶏の第一声を胸の内に聞きながら。(圭)

(2017-01-01 日本海新聞)


[] 啄木「正月の四日になりてあの人の…」待ちわびた便り

「滴一滴」【山陽新聞】

  • 穏やかな年明けのようだ。初日の出を拝んで、こんな明るい気分になった人もいるだろう。「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し。」(石川啄木)。
  • 1日変わっただけで気持ちが改まり、弾む。次のような正月の歌も啄木にある。「正月の四日になりてあの人の年に一度の葉書も来にけり。」。三が日を過ぎ待ちわびた便りが届いたのだろうか。
  • その年賀状は今年、あすの配達が休止になる。ピークの2003年度より発行枚数は減り、1通でも多く元日に配達するためという。啄木のように年賀状を今か今かと待つ人はもう少数派なのかもしれない。

(2017-01-01 山陽新聞)

記事


[] 新春に啄木の短歌は良く似合う

「忙人寸語」【千葉日報】

  • 気持ちが改まるすがすがしい新年を迎えた。年を越しすべてが様変わりする元旦。
  • <何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし>。石川啄木が詠んだ。家族の病気や借金などで生活苦に追われていたため、決してのどかな気分で詠んだ歌ではないと察するが、新春に啄木の短歌は良く似合う。
  • 正月は日本人にとって一年で最も大きな節目だろう。家族の幸せや豊作をもたらす年神様を迎える行事が連綿と受け継がれてきた。いつの時代も年初に一年の健康と平安を祈願する人々の思いは変わらない。

(2017-01-01 千葉日報)

記事


[] 啄木「猶わが生活楽にならざり…」人生観が投影される

「美しい大和言葉で伝統美を」 冷泉貴実子さん

「和歌が伝える 日本の美のかたち」

  • 「冷泉家の和歌は創作、あるいは個性発揮の場ではない。使い旧(ふる)された、しかし美しい大和ことばを使って、伝統的な美の世界を構築することにある」。冷泉家時雨亭文庫常務理事の冷泉貴実子さんがエッセー集「和歌(うた)が伝える 日本の美のかたち」を刊行した。日本人の美意識に通底する和歌の美、歌ことばを紹介する。
  • 近現代の短歌については「似て非なるもの」と区別する。作者の人生観や生活が投影されるからだ。例えば、石川啄木の<はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る>など、作者と作品が一体となるが、和歌は「完全な仮想の世界」とする。


 書肆フローラ刊、2160円。

(2016-12-31 京都新聞)

記事


[] 美しいハーモニーで啄木、賢治ら紹介

啄木、賢治らの魅力 音楽と写真で表現

  • 「音楽×写真」で旅をする…フォトコンサート」は12月26日、盛岡市内丸の県公会堂で開かれた。雫石町出身で町観光大使のソプラノ田中美沙季さんらが、生誕130年の石川啄木と山田耕筰、生誕120年の宮沢賢治の魅力を音楽と写真で表現した。
  • 田中さんは、各地で撮影した写真とともに、3人の作品や人生を紹介。美しいハーモニーとそれぞれのエピソードで聴衆を引き込んだ。

(2016-12-28 岩手日報)


2017-01-02

[] 北海道から沖縄まで 啄木ゆかりの場所を訪ねて

< >内の数字がそのページにリンクしています。

  • 北海道
    • 旭川市 ─ 旭川駅に誕生した石川啄木像 2012年 <> <> <
    • 札幌市 ─ 下宿跡、偕楽園の歌碑、天神山の歌碑、橘智恵子の家、大通公園 2012年 <> <> <> <> <
    • 小樽市 ─ 小樽 啄木歌碑除幕式、小樽文学館 啄木と多喜二、旧居 1999年・2005年・2018年 <> <> <> <> <> <> <> <
    • 函館市 ─ 函館落ちした啄木、市立図書館、函館公園、一族墓 2001年 <
    • 函館市 ─ 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 2017年 <> <> <> <> <> <> <
  • 青森県
    • 青森市 野辺地町 ─ 海を臨む歌碑 合浦公園、父一禎の常光寺、愛宕公園の歌碑 2015年 <> <> <> <> <> <> <> <> <> <10> <11> <12
  • 秋田県
    • 鹿角市 ─ 啄木の母、姉、錦木塚、鹿角市役所「石川啄木詩碑」 2016年 <> <> <> <> <> <> <> <> <> <10
  • 岩手県
    • 盛岡市 ─ 「啄木であい道」盛岡駅から徒歩数分 北上川沿い 2012年 <> <> <> <
  • 宮城県
    • 仙台市 ─ 「石川啄木の世界」仙台文学館特別展、借金を許した土井晩翠 2014年 <> <> <> <> <
  • 福島県
    • 会津美里町 ─ 会津にある法用寺の啄木歌碑 2012年 <> <> <
  • 栃木県
    • 佐野市 ─ 石川啄木と足尾鉱毒事件の田中正造 2009年 <
    • 佐野市 ─ 石川啄木歌碑と厄除け大師と佐野の味 2010年 <
    • 佐野市 ─ 佐野厄除け大師と啄木の歌 2017年 <> <> <
    • 宇都宮市 ─ 啄木と「共に豚汁を啜った」野口雨情終焉の地 2012年 <> <> 
  • 茨城県
    • 日立市 ─ 太平洋を臨む歌碑・古房地公園 2015年 <
  • 千葉県
    • 我孫子市 ─ 朝日新聞の杉村楚人冠と啄木と 2012年 <> <> <
  • 東京都(東京都内は、区名の “あいうえお順”です)
    • 北区 ─ 赤レンガ図書館で「石川啄木の日記を読み解く」ドナルド・キーン 2017年 <
    • 台東区 ─ 浅草 「了源寺」長男の葬儀場、「等光寺」啄木・母・長女・二女の葬儀場 2009年 <
    • 台東区 ─ 浅草 寿四丁目の啄木、葬儀が行われた「等光寺」 2010年 <
    • 台東区 ─ 上野駅の啄木歌碑 移動中を目撃 2012年 <
    • 中央区 ─ 銀座 朝日新聞社跡「啄木歌碑と風景印」 2013年 <
    • 千代田区 ─ ニュース映像「啄木のふるさと」(1961年)「昭和館」 2010年 <
    • 千代田区 ─ 番町「文人通り」+ 啄木が通った大橋図書館跡 2018年 <> <> <> <>  
    • 文京区 ─ 「石川啄木終焉の地」「喜之床跡」「切通坂」「森鴎外記念館」 2013年 <> <> <> <> 
    • 文京区 ─ まだ更地「石川啄木終焉の地」2013年 <> <
    • 文京区 ─ 「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」 2016年 <> <> <> <
    • 文京区 ─ 湯島天神の梅まつりと石川啄木の通った坂道 2017年 <
    • 目黒区 ─ 日本近代文学館 石川啄木の直筆に出会う 2010年 <
  • 福岡県
    • 福岡市 ─ 「石川啄木歌碑」片江風致公園内 2013年 <> <
  • 大分県
    • 臼杵市 ─ 「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の恋文 2015年 <> <> <> <> <> <> <> <> <
  • 佐賀県
    • 武雄市 ─ 『一握の砂』の序文を書いた“渋川玄耳”のふるさと、墓碑、玄耳文学碑 2014年 <> <> <> <> <> <> <
  • 沖縄県
    • 那覇市 ─ 真教寺「石川啄木歌碑」、歌碑を建てた山城正忠 2013年 <> <> <

 

2017-01-01

[][] 新年のご挨拶

f:id:takuboku_no_iki:20170101051106j:image:w640


明けましておめでとうございます


楽しみながら続けております「啄木の息」。

お陰さまで、スタートから17年になりました。


訪ねてくださるみなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。


継続は力なり ─── を信じて、前へ進みます。


みなさまのご健康とご活躍をお祈りします。


    2017年 元旦


  腹の底より欠伸もよほし

  ながながと欠伸してみぬ、

  今年の元日。

         石川啄木

               欠伸(あくび)



 | 
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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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