啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2017-05-31

[] 啄木が最後に暮らした場所など巡る “復興スタンプラリー”

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[ズミ]


復興スタンプラリー

 震災と台風 東京、岩手の鉄道・バス5社 /東京

  • 東京都と岩手県で鉄道・バスを運行する5社がタイアップし、都内の同県ゆかりの地や同県北部を巡るスタンプラリーを実施している。東日本大震災や昨年夏の台風10号で被災した岩手を都内でPRし、復興の後押しを目指す。
  • 7月2日までの「東京ステージ」と、7月1日〜10月1日の「きたいわてステージ」に分けて実施。規定のスタンプ数をそろえた人にオリジナルの手ぬぐいなどをプレゼントするほか、抽選で特別列車の乗車体験や宿泊券などが当たる。
  • 東京ステージは▽岩手出身の歌人・石川啄木が最後に暮らした場所から最寄りの茗荷谷小岩井農場直営のレストラン「小岩井フレミナール」がある東京−−など東京メトロ3駅に県公認ゆるキャラ「そばっち」などのスタンプを置き、すべてそろうとアンテナショップ「いわて銀河プラザ」(中央区銀座)で手ぬぐいがもらえる。
  • きたいわてステージは、規定のスタンプを集めるとエコバッグが贈呈される。
  • スタンプラリーの専用リーフレットは東京メトロ各駅などで入手できる。【篠崎真理子】

(2017-05-31 毎日新聞)


記事



2017-05-29

[] 啄木は「少数のよい友人を持つてゐる人であつたらう」与謝野晶子

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[ズミ]


「風土計」 [岩手日報]

  • きょうは歌人与謝野晶子の命日、白桜忌。1942(昭和17)年、63歳で亡くなった。晶子は夫の鉄幹とともに石川啄木と深く関わった。鉄幹が主宰し、晶子が詩「君死にたまふことなかれ」などを発表した文芸誌「明星」には啄木も投稿した。夫妻と手紙を通じ交流していた啄木は02(明治35)年秋、盛岡中学に退学届を出し上京。与謝野家を訪れた。
  • 鉄幹は、啄木の詩集「あこがれ」にあとがきを寄せたり、長男の真一が亡くなった時も駆けつけるなど気に懸けていた。晶子も啄木死去の際に、追悼の短歌を新聞や雑誌に発表した。
  • 啄木の死から14年後、26(大正15)年に発行された「現代文藝(ぶんげい)」石川啄木研究号掲載の「若(も)し啄木が生きてゐたら」という特集では「やはり世に容(い)れられず、不平家で居られたらうと考へます」と手厳しい。しかし、続けて「いつでも少数のよい友人を持つてゐる人であつたらうと思ひます」と親愛の情をにじませた。

(2017-05-29 岩手日報


記事



2017-05-28

[][] 石川啄木足尾鉱毒事件の田中正造

啄木文学散歩・もくじ


(「啄木の息HP 2009年初春」からの再掲)

栃木県佐野市 石川啄木足尾鉱毒事件の田中正造


足尾銅山の鉱毒問題に生涯をかけた田中正造の足跡を訪ね、正造の墓と石川啄木の歌碑のある「佐野厄除け大師」に初詣した。


1 佐野市郷土博物館 田中正造ゆかりの博物館

  

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佐野市郷土博物館の門前」

写真左手の白い柱の間が正門。柱と柱の間に小さく田中正造の銅像が見える。

館内は佐野市を中心とする地域の原始時代から現代への考古・歴史・民俗等に関する資料が展示されている。

 



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田中正造の銅像」

等身大と思われる。製作者は本郷寛氏。

田中正造展示室は足尾鉱毒事件の解決に一生を捧げた、田中正造の資料を展示。

◯ 直訴状

1901年(明治34)12月10日、正造61歳(満年齢では60歳)。正造の考えを元に幸徳秋水が起草し、さらに正造が加筆訂正した謹奏文(直訴状)が展示されている。

直訴状を現代語にすると「足尾銅山の鉱毒被害を解決するためには、渡良瀬川の水源を清め、流路を自然に戻し、被害地の毒土を除去し、沿岸の天産と衰弱した町村を回復させ、銅山の操業停止が急務」と訴えている。(下野新聞 田中正造物語-24)


◯ 直訴当日のこと

その日は朝から晴れていたという。第十六回議会開院式を終えて皇居に帰る天皇の馬車は、前後に百人を超える警護隊を従えて貴族院(現経済産業省別館)を出た。道路両側は群衆で埋まっている。馬車はスピードを緩めながら交差点を左折した。その時、衆議院議長官舎(現中央合同庁舎第五号館別館)前から人込みをかき分けて駆け出す男がいた。正造だった。

「お願いでござります、お願いでござります」

外とう、帽子、襟巻きを脱ぎ捨て、右手は「謹奏」と書いた直訴状を掲げている。だが馬車の手前で足がもつれひざをついた。道路沿いで警護していた警官二人がとっさに手を掛け、正造はあおむけに倒された。近衛騎兵がやりで突き刺そうと近づいたが、馬が暴れて振り落とされた。この間に正造は取り押さえられていた。天皇の乗った馬車は何事もなかったかのように走り去っていた。(下野新聞 田中正造物語-22)

 



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「正造の遺品 信玄袋と小石3個」(佐野市郷土博物館パンフレット)

他の展示品は、正造日記、手紙、蓑、笠、紋付き、信玄袋と小石三個など。正造は石の収集が趣味だったという。三つのうちの一つは化石のように見えた。





2 田中正造 生家と墓所

 

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田中正造 邸宅」

道路に面し、西に表門を配して立つ二階屋は、正造の両親の隠居所だった。  


◯ 若き正造

正造は安蘇郡小中村(現栃木県佐野市小中町)の名主富蔵の家に生まれた。17歳(満年齢では15〜16歳)で父の後を継ぎ名主となる。

23歳(満年齢では21〜22歳)の時、石塚村の大沢カツ(満年齢では13〜14歳)と結婚した。この結婚については、「裁縫の習い事から帰るカツを待ち伏せた正造が、彼女を草刈りかごに入れ背負って家まで連れてきてしまった」というほほえましいエピソードが残っている。(下野新聞 田中正造物語-4)

 

 



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「横道から見る隠居所」 

◯ 正造邸 その後

政治活動に没頭して不在がちだった正造は、この家に医師を迎え入れて村の診療所として役立てた。隠居所には正造の父と妻カツが住み、母屋には医師が住んでいた。

正造は亡くなる前、故郷のために、宅地と田畑の全財産を村に寄附した。この邸は佐野市の公民館第一号として、有効に使われた。

  



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田中正造翁の墓の説明板」

生家の直ぐ前に道路があり、それを挟んで墓所がある。

  



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正造の六分骨の1つが、ここに葬られている。

 



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「墓石」

屋根の下の石碑には「義人 田中正造君碑」とある。写真にはよく写っていないが、下方に正造の立て膝をした姿が彫ってある。

 



3 渡良瀬遊水地と旧谷中村

 

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「谷中湖の案内板」

渡良瀬遊水地は、栃木・群馬・埼玉・茨城にかけて広がる大遊水地。「谷中湖」は遊水池内の貯水池の一つの通称。地図で見るとハート型をしている。

 



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「枯れたヨシを映す水」

◯ 谷中村と正造のたたかい

この遊水地の場所に「谷中村」と呼ばれる村があった。

谷中村は、明治中頃、2,700人が住む農村だった。全く肥料を必要としない程の豊かな田をもっていた。

足尾銅山鉱毒問題が起きてから、鉱毒水を沈殿させるための遊水池設置計画が進み、その場所に谷中村が選ばれた。村民は反対したが、政府は買収を進めた。

田中正造は衆議院議員として1891年(明治24)、帝国議会で初めて鉱毒を取り上げ「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を出した。以後亡くなるまでの22年間にわたって政府や銅山の責任を追及した。

1901年(明治34)12月、正造は、衆議院議員の職を辞して、明治天皇足尾鉱毒事件の解決を求める直訴を試みた。

 



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「遺跡 谷中村の説明板」

現在、「谷中村遺跡を守る会」が、遺跡の保存と村民と正造の闘いの精神を残す活動をしている。

取り壊されてしまった屋敷跡、雷電神社跡、延命院墓地跡、役場跡などが丈高いヨシの間に点々とあり凄まじい光景である。

 



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「大野孫衛門屋敷跡」

人気のないヨシの道を歩いていくと次々に遺跡が現れる。

 



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「渡良瀬遊水池の今」

渡良瀬遊水池では毎年3月末ころに「ヨシ焼き」を行い、害虫駆除や樹木の種等を焼いて樹林化を防ぎ、良いヨシを作っているそうだ。藤岡町建設課のおしらせによれば、今年、2009年は、3月21日(土)08:30から実施する予定。

丈高いヨシのほかにスゲもある。かつての谷中村ではスゲの笠が収入源だったとのこと。佐野市郷土博物館にも正造が使ったスゲ笠があった。

 




4 佐野厄除け大師 = 春日岡山惣宗寺

 

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「佐野厄除け大師山門」

厄除け大師は春日岡山惣宗寺(そうしゅうじ)といい関東三大師として有名である。

 



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「山門をくぐって」

門を入り左に進むと、正造の墓が見えてくる。写真では左の大きな二本の木の間の高い石が正造の墓である。その前の四角の石碑に啄木の歌が彫られている。

 




5 石川啄木田中正造

 

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「こんな近くに啄木と正造」

正造の墓石には渡良瀬川流域産の石を使い、「嗚呼慈侠 田中翁之墓」と彫られている。毎年9月4日命日に法要が行われる。

 




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石川啄木歌碑」

(注:歌碑には「血にま『と』う」とあり、春日岡山縁起にも同じく書かれている。「石川啄木全集 第一巻」(筑摩書房/1978)には、「血にま『ど』ふ」となっている)


直訴は、正造がつまづき警官に取り押さえられたことで終わってしまった。しかし、鉱毒被害への支援は、直訴以降さらに活発となった。その一つが、啄木たちの活動であった。


◯ 年譜より

1902年(明治35)1月29日、岩手県立盛岡中学校4年、15歳の啄木は、友人の伊東圭一郎や小野弘吉、阿部修一郎らユニオン会有志と「岩手日報」号外(青森歩兵第五連隊第二大隊八甲田山雪中行軍遭難事件)を売って義援金を募り、足尾鉱毒地の被災者に送っている。(「石川啄木事典」国際啄木学会編/おうふう/2001、「石川啄木伝」岩城之徳/筑摩書房/1985)


◯ 「人間啄木」より

 号外売って足尾へ義金

われわれユニオン会員が号外を売って、足尾鉱毒被災地へ義援金を送ったことも、中学時代の思い出のひとつである。

新聞で鉱毒問題を知り、小野、阿部、啄木、伊東その他二、三人集まって、「われわれも、なにかひとつやろうじゃないか」といっていたところへ、誰だったか駆け込んできて「岩手日報社で、今号外を出すところだ」と知らしてくれた。それが八甲田山遭難事件の号外だった。

小野さんが日報社の新聞配達をしていたので直ぐ話がつき、号外を抱えて町へ飛び出した。「号外、号外、号外は一銭」とやってみた。凍死者はほとんど岩手県出身者で、その氏名が次々に続いて発表されるので、二晩か三晩、号外を売ったような気がする。二十円たらずの金を、内丸のキリスト教会へ寄託したように記憶している。

啄木はその当時すでに、社会運動に関心を持っていたように書いている本もあるけども、そのころの啄木は、両親に可愛がられ、まだ貧乏の味も知らない恵まれた文学青年で、軍人熱はさめていたが、まだ、鉱毒問題に熱を上げるほどではなかった。この時の主唱者は小野と伊東であったように思う。

(「人間啄木」伊東圭一郎/岩手日報社/1996)

  




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「啄木歌碑の裏」

碑陰には、「奇しくも石川啄木生誕百年を記念して  昭和六十一年九月四日」とあった。

 



 

6 正造の家族・正造の最後・遺骨

◯ 正造の家族

カツ夫人は「結婚して五十年になりますが、一緒にいた日数はやっと三年くらいのものでしょう」(柴田三郎著「義人田中正造翁」=1914年)と語る。(下野新聞 田中正造物語-35)

父はこんな狂歌を息子に贈った。「死んでから仏になるはいらぬこと、生きているうちよき人となれ」。(下野新聞 田中正造物語-8)

正造とカツの間に子はなかった。


◯ 正造の最後と葬儀

正造は同志らに金を借り続けた。正造の口車に乗せられて金を貸したが返してもらえない。家族は食うものもない。親せきなどから借りてまで貸したのに返済がない、と周囲の人たちの声が残っている。(下野新聞 田中正造物語-29)

請願行動をはじめ、仮小屋建設など金のかかる運動を続ける正造に、返すあてはなかったろう。

1907年(明治40)、政府は土地収用法の適用認定を公告し抵抗していた16戸を破壊した。それでも谷中に仮小屋を立てた村民と正造は、抵抗を続けた。一方、谷中村民の集団移住も始まった。

正造は1913年(大正2)病に倒れ、9月4日死去した。死因は胃ガン。享年71歳10ヵ月。

同年10月12日に正造の葬儀が佐野厄除け大師( 春日岡山惣宗寺)で行われた。渡良瀬川両岸被害地はもちろん全国各地より人々が参集した。町中心部を長い葬列が進み、沿道は別れを惜しむ数万の群衆で埋まったという。

 



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「田中霊祠の説明板」

佐野市中心から渡良瀬遊水池に向かう途中に「田中霊祠」がある。この霊祠には、正造の分骨と妻カツ子を祀ってある。





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「田中霊祠御堂」

 

正造の遺骨は六カ所に

正造の遺骨は葬儀後の協議を経て、生前ゆかりのあった次の5カ所に分骨され墓が建てられた。佐野市小中町の阿弥陀堂境内、同市金井上町の惣宗寺境内、藤岡町の田中霊祠、群馬県館林市の雲竜寺境内、埼玉県北川辺町の西小学校敷地内。その後1989年に足利市野田町の寿徳寺に埋葬されていることが判明し、分骨地は計6カ所となった。(下野新聞 田中正造物語-34)




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夕川に葦は枯れたり血にまどう民の叫びのなど悲しきや

石川啄木     


(2009年初春)

  

* 「啄木と足尾鉱毒水俣病

    田中正造の直訴状を歌に詠む  近藤典彦

 

   夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや

 

石川啄木は1886年生まれだから、今年は生誕百二十周年である。

本紙4月30日付三面に「水俣病 公式確認五十年」の記事が載った。見出しに「国、一度も全容調べず」「多くの被害者を放置」「全員救済は政治の責務」とある。見出しはすぐに足尾鉱毒事件を連想させ、筆者の胸に啄木短歌一首を浮かびあがらせた。

啄木は盛岡中学四年生の1月に足尾鉱山鉱毒事件を歌に詠んだ。それも彼一人で詠んだのではなく、かれが主宰していた盛岡中学校内の短歌グループ・白羊会で彼自身が「鉱毒」という題を出し、みんなで詠んだのである。メンバーは十人前後であるらしいから、少なくとも十首以上が詠まれたであろう。鉱毒事件をもっとも早い時期に何人もでたくさんの短歌にしたということになる。

  • 盛岡中学の回覧雑誌に

今は所在不明だが「白羊会詠草」という回覧雑誌があった。1902年(明治35)1月に啄木らが出したものである。歌の題はいろいろである。摘菜、行春、古城、藤花、虹、月といった題である。それら風雅な題の中にあって「鉱毒」という題は異様である。つぎの啄木の歌のみが残っていて知られている。

  夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや

 わたくしは長い間この歌を評価していなかった。

  • 私の評価が180度の転換 

湘南啄木文庫の佐藤勝氏に教わりたいことがあって電話した。そのとき「この歌はつまらないですね」と言ったところ、氏は「民の叫びが届かない、と言いたいのではありませんか」と言われた。一瞬で目から鱗が落ちた。この歌について調べた。その結果わたくしの中でこの歌の評価は180度転換した。

1901年(明治34)12月10日、田中正造明治天皇の馬車に近づき、足尾鉱毒問題を直訴しようとして捕まった。当時啄木が読んでいた新聞は岩手日報一紙だったと思われるが、翌日事件を報道した。14日には直訴状の全文を載せた。この作品は直訴状の内容を歌にしたものだったのである。


◯ 正造直訴の3つの核心

 直訴状の内容は三つの核心からなる。

1 足尾銅山における採鉱製銅による鉱毒が渡良瀬川流域とそこの人民を襲い「二十年前の肥田沃土は今や化して黄茅白葦満目惨憺の荒野」となってしまった。

2 流域人民の途方もない苦しみがますますひどくなるのは、政府も地方官庁も被害者を放置しているばかりか抗議するのを弾圧までしているからだ。

3 天皇の力でこれを救済してほしい。

碓田のぼる氏はかつて、啄木歌の「夕川に葦は枯れたり」は直訴状の「黄茅白葦」をイメージした句ではないか、と言われた(『新日本歌人』99年4月号)。卓見である。「枯れて黄ばんだ茅と白っぽくなった葦が見渡すかぎり広がる」渡良瀬川流域を啄木は上の二句でうたおうとしたのだ。「血にまどふ」は「血まよふ」の意味ではなかった。啄木は「血に」の二文字で悲惨さを表現しようとしたのである。


  • 田中・幸徳・啄木を繋ぐ

知られるとおりこの直訴状は田中正造が骨子を示し、幸徳秋水が書いたものであった。田中・幸徳・啄木がここでつながったのである。直訴状の三大内容は、冒頭にあげた「水俣病」記事の三つの見出しに通じている。啄木短歌・足尾鉱毒事件・水俣病もまたつながっていたのである。

(2006-05-26 しんぶん赤旗

 


2017-05-27

[][] 「啄木祭」講演・推理作家の井沢元彦さん 6/3

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◯ IBC 岩手放送ラジオで生放送される!

 石川啄木記念館★6/3(土)は啄木祭

  • 盛岡市渋民の「石川啄木記念館」にお邪魔しました!啄木の人生を、直筆の手紙やノート、日記、写真や映像で紹介しています(^^)

  • 6月3日(土)は「啄木祭」が開催されます!講演は、歴史小説家、推理作家の井沢元彦さんです。盛岡文士劇にも何度もご出演され、盛岡になじみが深い方です(^^) 森館長が井沢さんへ直接交渉し、出演が決まりました! 講演のテーマは「『逆説』で読む啄木の歌」。どんなお話がきけるのか、今から楽しみです!
  • 講演のあとは、井沢さんと森館長のトークセッションです。テーマは「啄木の文士劇、井沢氏の文士劇」。実は、啄木は生涯の中で2度、文士劇に出演をしているんだそうです! 啄木に大いに親しめる日となります。ぜひお出かけください。

(2017-05-26 IBC 岩手放送ラジオ)


IBC 岩手放送ラジオ



[][] 『一握の砂』の深堀りで魅力に迫る 4/25〜9/3

◯ 石川啄木記念館で企画展

一握の砂 “深堀り” 魅力に迫る資料64点

  • 石川啄木記念館(森義真館長)の企画展「啄木と『一握の砂』」が、盛岡市渋民の同館で開かれている。
  • 啄木は東京朝日新聞社の校正係だった1910(明治43)年4月上旬、社会部長の渋川玄耳に新聞に載った歌を褒められ、歌集の出版を思い立った。
  • 歌集名の変更や、全ての歌を三行書きにしたり、表紙の色、紙質などを細かく指示。契約から最終原稿の引き渡しまでの約10日間に約260首もの新作を生み出した。歌集は12月1日に出版された。
  • 企画展では、歌集ができるまでの道のりを5段階に分けてパネルで解説。内容別に5章で構成された歌集の特徴も掘り下げる。渋民や盛岡、北海道時代の「回想歌」が、都会生活の哀歓などを歌った「非回想歌」に挟まれるような形で配置。1首ごとの魅力だけでなく、歌集全体が一つの物語を作り出していると解説する。

(2017-05-26 岩手日報



石川啄木記念館 第7回企画展 4/25〜9/3

「啄木と『一握の砂』」ギャラリートーク 

館長講演会「『一握の砂』ができるまで〜歌集の特徴とともに〜」


[][] おきあんご作「天才少年 石川はじめ」上演 6/3〜4

少年・啄木の恋を描く

 喜劇「天才少年 石川はじめ」盛岡で来月上演

  • いわてアートサポートセンタープロデュース公演「天才少年 石川はじめ」は6月3、4の両日、盛岡市肴町のいわてアートサポートセンター風のスタジオで上演される。
  • 1900年の夏。仲の悪い士族の堀合家と僧侶の石川家。長女と長男が恋に落ち、家族や友人を巻き込み、愛をはぐくむ…。
  • 石川啄木の盛岡中学時代を描いたおきあんごさんの新作。後に妻となる堀合節子との恋をシェークスピアの「ロミオとジュリエット」になぞらえ、喜劇に仕立てた。

(2017-05-24 岩手日報


記事



2017-05-25

[] 啄木ゆかりの渋民小で外壁に防腐剤・障子張り替え

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[サクラ]


啄木ゆかり、学びや手入れ 盛岡の記念館で奉仕作業

  • 盛岡商工会議所玉山地域運営協議会の青年部(千葉洋平部長)と女性部(竹田かづ子部長)は24日、盛岡市渋民の石川啄木記念館内の旧渋民尋常高等小学校校舎で奉仕作業を行い、啄木ゆかりの学びやを丁寧に手入れした。
  • 青年部は外壁に手作業で防腐剤を塗り、女性部は校舎内の障子を張り替えた。竹田部長は「玉山の宝である建物を後世まで残したい。6月3日には啄木祭もあるので、啄木が育った地を多くの人に知ってもらいたい」と期待する。

(2017-05-24 岩手日報

記事



[] 石川啄木の「ひこうき」に渋さ不破が曲

渋さ不破&芳垣、大友によるショローCLUBが山本精一迎えたライブ盤リリース

  • 不破大輔渋さ知らズ)、芳垣安洋渋さ知らズROVO、アルタード・ステイツ、etc)、大友良英という1959年生まれの3人により結成されたショローCLUBが、ライブアルバム「from 1959」を6月4日にリリースする。アルバムには2016年11月に愛知・Tokuzoにて行われたライブの音源を収録。
  • なお石川啄木の詩に不破が曲を付けた「ひこうき」、山本と大友が共作した「SORA」では、山本がボーカルをとっている。

(2017-05-24 音楽ナタリー)

記事



2017-05-24

[] 啄木・賢治ゆかりの地めぐり 盛岡ふるさとガイド

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[ユリノキ]


「盛岡ふるさとガイド 「街なか観光」3万人目」[盛岡タイムス]

  • 発足17年目を迎えた観光ボランティア団体「盛岡ふるさとガイド」の利用者が23日、3万人に到達した。3万人目の利用者、休暇村大阪センター(大阪府)ゆっ旅ツアー一行を迎え、記念セレモニーを盛岡市中ノ橋通のプラザおでってで開催。南部風鈴や盛岡駄菓子の詰め合わせ、観光パンフレットなどを入れた記念品をツアー客に手渡した。
  • セレモニー後、中津川周辺の啄木、賢治のゆかりの地などをめぐり、盛岡の歴史への関心を深めた。

(2017-05-24 盛岡タイムス)


記事



2017-05-23

[][] 小樽図書館「キーンさんと啄木さん」など 5/27〜6/18

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[エピデンドラム・カショクサイサイ]


北海道小樽市 小樽図書館

没後105年の今なお人々の心をひきつけてやまない夭折の歌人・石川啄木。啄木の生涯と北海道、そして小樽での日々について足跡をたどります。


◉ 「ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く〜最初の現代日本人〜」展

長年にわたり啄木を研究してきた日本文学研究者・文芸評論家のドナルド・キーン氏が残された日記から読み解いた啄木像を展示します。

  • 日時:平成29年5月27日(土)〜6月18日(日)
  • 場所:市立小樽図書館2階 ギャラリー、郷土資料室

     児童室では市内の中学生による啄木の研究発表を展示

  • 内容:ドナルド・キーン・センター柏崎企画展。啄木ゆかりの地全国7か所で開催される巡回展示を小樽図書館でも開催いたします。


◎ 講演会「キーンさんと啄木さん」

新潟県柏崎市にある「ドナルド・キーン・センター柏崎」の学芸員をお招きして、ドナルド・キーン氏や石川啄木について、キーン氏の評伝「石川啄木」を中心にわかりやすく解説していただきます。

  • 日時:平成29年5月27日(土) 14:00〜15:00
  • 場所:市立小樽図書館2階 視聴覚室
  • 講師:大西慶氏(公益財団法人ブルボン吉田記念財団ドナルド・キーン・センター柏崎 学芸員)
  • 申込み:不要
  • 入場料:無料


◎ 第4回小樽まちかど再発見

啄木の歌碑を中心に図書館から小樽駅前周辺までを散策し、時代背景などを詳しく解説します。

  • 日時:平成29年6月4日(日) 10:30〜12:00
  • 集合場所:市立小樽図書館前
  • 講師:山川隆氏(小樽観光ガイドクラブ顧問)
  • 定員:20名
  • 参加料:無料
  • 申込み:平成29年5月27日(土)より電話又はカウンターでお申込みください。

  ※歩きやすい服装でご参加ください。 ※雨天の場合は館内で講座予定です。


◎ 啄木を偲ぶ集い

啄木の歌碑を訪ね、啄木の魅力を再認識します。小樽啄木会会員による講話や、日本詩吟学院岳風会の師範による短歌の朗詠もあります。

  • 日時:平成29年6月11日(日) 13:30〜15:00
  • 場所:市立小樽図書館2階 視聴覚室 ・花園公園内啄木歌碑前
  • 講和:荒又重雄氏(小樽啄木会 北海道大学名誉教授・元釧路公立大学学長)

    「啄木の多様な読み方〜ロバート・キャンベルさんやロジャー・パルバースさんに触れて〜」

  • 朗詠:日本詩吟学院岳風会小樽支部師範
  • 申込み:不要  ※歩きやすい服装でご参加ください。

市立小樽図書館 小樽市花園5丁目1番1号 電話:0134−22−7726 

  協力:公益財団法人ブルボン吉田記念財団 ドナルド・キーン・センター柏崎


記事



2017-05-22

[] 金田一は石川啄木のうそを暴くより、紙背に潜む誠をかぎ分けた

f:id:takuboku_no_iki:20170522152308j:image:w640

[ユリノキ]


「くろしお」[宮崎日日新聞]

 「紙背に潜む誠」

  • 受けた方もあきれただろう。年始、端午、暑中、寒中、お祝い申し上げ候、お見舞い申し上げ候…。江戸時代の狂歌大田南畝は手紙一通で1年のあいさつの全てをすませた。
  • 「こんな横着な季節の手紙はいけない」と中川越著「文豪に学ぶ手紙のことばの選びかた」で紹介している。
  • 石川啄木は、親友金田一京助にうそだらけの借金の依頼状を書いている。啄木のうそは有名だったが、金田一は依頼にこたえ、啄木は第一詩集を出版できた。同書は「金田一は手紙のうそを暴くより、紙背に潜む誠をかぎ分け共感したのだろう」と分析している。
  • 6月1日からはがきの郵便料金が52円から62円にアップする。

(2017-05-21 宮崎日日新聞)


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[] 石川啄木がこよなく愛した姫神山 山開き

姫神山 頂上に夏日の絶景 1千人で今年の山開き」[盛岡タイムス] 

  • 盛岡市玉山馬場の姫神山(1123.8m)で21日、今シーズンの山開きが行われた。同日の同市の最高気温は30.5度の真夏日。今年最高の気温を観測したが、登山道は新緑の木々が日差しをさえぎり、山頂付近では涼しい風が吹く絶好の登山日和となった。
  • 山頂では、先着900人限定の記念手拭いが配布され、19日にお披露目されたオリジナル日本酒「TAMAYAMAX」も振る舞われ、家族連れや職場の同僚などが思い思いの場所で岩手山などの眺望を満喫した。
  • 姫神山は歌人・石川啄木がこよなく愛した独立峰。毎年多くの人が登り、16年は1万4576人が登った。

(2017-05-22 盛岡タイムス)


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[] テレビ - 石川啄木ゆかりの地で歴史に思いを馳せる 5/29

出発!ローカル線 聞きこみ発見旅

 いわて銀河鉄道 西村和彦&アジアン・馬場園梓

BS ジャパン 7チャンネル

 2017年5月29日(月)夜7時00分〜夜8時55分

  • 冷麺ならぬ温麺、極上のいわて短角牛や三大ミートなど、岩手名物を食べ尽くす!みちのくの名湯・金田一温泉を訪れる。石川啄木ゆかりの地で歴史に思いを馳せ、触れ合う地元の人々の温かさに心癒やされる。

記事



[] 「明治書院」に「石川啄木も籍を置いた」

啄木の日記に「小川町の明治書院に行つた。」

  • 5月10日は明治書院の創立日です。三樹一平が創業し、与謝野鉄幹を編集長に迎え、落合直文命名の「明治書院」が誕生したのが今から121年前。
  • 「明治書院の歴史」ページに「石川啄木も籍を置いた」とあります。筑摩書房さんの啄木全集の日記で明治41年11月6日の記述の中に「明治書院」の名が…!!

(2017-05-08 明治書院社長:三樹 蘭のブログ )


記事


「明治書院の歴史」ページ

明治30(1897)年、現在地の神田錦町1丁目に社屋を新築。教科書は新たに落合直文編『中等国語読本』を刊行し、『徒然草読本』など抄本教材や古典参考書類を充実させて、国文専門の営業基礎を固めた。『明星』の与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌風に強く惹かれていた石川啄木が、書院に一時籍をおいたのもこのころであった。



2017-05-20

[][] 八幡平市方面 啄木ゆかりの地を訪ねるツアー 7/9

f:id:takuboku_no_iki:20170520155652j:image:w640

[ミツマタ]


石川啄木記念館「啄木ゆかりの地バスツアー」

  • 開催日 平成29年7月9日(日)
  • 開催時間 午前9時〜午後3時
  • 開催場所 当日、石川啄木記念館前に集合 

  • 内容 八幡平市方面の啄木ゆかりの地を訪ねます。石川啄木記念館館長の森義真(もりよしまさ)が、分かりやすく解説します。お昼は啄木定食をいただきます。

  • 申し込み 往復はがきに必要事項(1)氏名(2)年齢(3)住所(4)電話番号を記入の上,平成29年5月18日(木)から郵送にて受付。平成29年6月30日(金)必着。※定員を超えた場合は抽選,詳しくは石川啄木記念館へお問い合わせください。
  • 費用 2,000円(昼食・保険料込)
  • 定員 35人

◯ 石川啄木記念館

  〒028-4132 盛岡市渋民字渋民9

  電話番号:019-683-2315 ファクス番号:019-683-3119

詳細



[] 「文学フリマ」岩手県は賢治と啄木を輩出 多くの名作を生んだ土地 6/11

「第二回文学フリマ岩手」

  • 開催日 2017年6月11日(日)
  • 開催時間 11:00〜16:00予定
  • 会場 岩手県産業会館(サンビル) 7F大ホール(岩手県盛岡市大通1-2-1)
  • 一般来場 一般の方の入場は無料

2016年9月に第一回が開催された「文学フリマ岩手」。

岩手県は童話作家である宮沢賢治と、詩歌人である石川啄木を輩出し、岩手の風土に寄り添った多くの名作を生んだ土地柄です。言語学者の金田一京助をはじめ、数多くの文学者が活躍しております。

会場である岩手県産業会館は眼下に啄木ゆかりの岩手城跡公園を臨み、近隣では毎年数多くの文化的な催事が行われております。

そんな岩手県盛岡市より、東北の「文学フリマ」を発信します!


詳細



2017-05-19

[] 新刊寸評『朝の随想 あふれる』会いたい人は啄木!

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◯ 新刊寸評<岩手日報

 『朝の随想 あふれる』(山下多恵子著)

  • 「会う」の項で挙げた会いたい歴史上の人物は石川啄木。「彼は作品をとおして、『生きなさい!生きるんですよ!』と、いつも私たちを、やさしく励ましてくれているような気がします」と思いをつづっている。
  • 啄木の妻節子については『信じる』がキーワード。啄木が、自分の死後に焼けと言った日記を残した理由を「夫の文字が後の世に残るものであるということを信じていたから」と解釈している。
  • 宮澤賢治森鴎外太宰治ら文学者を巡るエピソードも。多彩な話題から、筆者のしなやかな感性と温かな人柄が感じられる 。

(2017-05-14 岩手日報


『朝の随想 あふれる』

 山下多恵子 著 未知谷

 2017年5月発行 1500円+税



 

2017-05-18

[] <よごれたる手を見る―>石川啄木 加計(かけ)学園疑惑浮上

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[グミ]


「手心」[卓上四季<北海道新聞

  • 「手応え」「手のうちを見せる」「手なずける」「手が早い」「手がかかる」「手を焼く」…。ざっと思いつくだけでも、日本語には「手」がつく言葉が多い。
  • 評論家の故・森本哲郎さんは著書「日本語 根ほり葉ほり」で「日本人は手を重視する民族で心まで託す。『手心』という言葉が何よりも正直に語っている」と書いている。
  • ひょっとしてその手心を加えようとしたのか。安倍首相の友人が理事長を務める加計(かけ)学園が国家戦略特区を使って学部を新設する計画である。森友問題の解明すらおぼつかないのに、またしても疑惑浮上。説明の手を抜いては火消しなどかなわない。
  • 石川啄木の歌にある。<よごれたる手を見る―/ちやうど/この頃の自分の心に對(むか)ふがごとし。>。渦中の人々の手は汚れてはいないのか。心に尋ねてほしい。

(2017-05-18 北海道新聞


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[] 方言が難しいのはどこ?「ふるさとの訛なつかし停車場の…」石川啄木

方言が難しい都道府県ランキング 1位に輝いたのは北か南か… しらべぇ

(bee32/iStock/Thinkstock)

  • 全国津々浦々に残る方言は、郷土料理のようにその土地の雰囲気をあらわす魅力のひとつ。
  • 「方言が難しい」と思われているのはどの地域なのだろうか?もっとも支持を集めたのは、青森県で4割弱。わずかな差で、沖縄県が追う展開。
  • 岩手県出身の歌人・石川啄木が、「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と上野駅で故郷の言葉を懐かしむ思いを歌ったように、地域に息づく(ときにわかりにくい)多様な言葉にこそ、その土地の魅力が隠れていると言えるかもしれない。(文/しらべぇ編集部・タカハシマコト)

(2017-05-18 exciteニュース>しらべぇ)


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[] 文豪はお金もなかった〜石川啄木

イケメンエリートだけれど人間失格? 知られざる日本の文豪たちのダメ男な素顔

  • いま文豪ブームがきています。文豪をイケメン化したアニメやゲームの影響で古典文学に興味を持つ若い女性が増えているそうです。
  • 文豪というと歴史に名を残した偉人というイメージですが、実際にはどんな人物だったのかご存じでしょうか。『文豪図鑑 完全版 あの文豪の素顔がすべてわかる』(開発社:編集/自由国民社)では、人気イラストレーターによる美麗なイラストと共に、明治・大正・昭和で活躍した50人の文豪のプロフィールと代表作を紹介し、その素顔に迫っています。
  • 明治女学校で教鞭を執っていた島崎藤村は、教師でありながら教え子に恋し、辞職。その後、2度の結婚をしながら40歳のときに20歳の姪のこま子を妊娠させてしまいます。谷崎潤一郎と妻・石川千代、同じく文士で友人だった佐藤春夫との三角関係もスキャンダラスです。
  • 文豪はお金もなかった〜石川啄木〜 金銭感覚や生活能力が欠如している方も多かったようです。文士を目指した石川啄木の生活は清貧なものだったと言われてきましたが、近年、その貧しさの原因が浪費癖となまけ癖にあったとわかってきました。
  • 文豪たちの大半は気むずかし屋で神経質な変わり者でした。そのなかでも睡眠障害や自殺未遂を繰り返していた神経衰弱トップスリーといえば夏目漱石芥川龍之介太宰治です。
  • しかし彼らは偉人として歴史に名を刻んでやろうというつもりはなく、ただ己の恋や信念を貫いて思うままにそれぞれの人生を謳歌していたのでしょう。そうした世間体を気にしない、人間味にあふれた自由な生き様に私たち現代人は憧れるのかもしれません。(文=愛咲優詩)

(2017-05-17 ダ・ヴィンチニュース)


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2017-05-17

[] ZARD坂井泉水 没後10年 “特に好きだったのは石川啄木

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[タンポポ]


没後10年 ZARD坂井泉水との最後の会話

 ビーイング創業者 長戸大幸〈dot.〉

  • 2017年5月27日で10回目の命日を迎えるZARDのボーカル・坂井泉水さんの創作ノートには短文、長文、単語……がぎっしりと書き込まれている。タイトルに「Love & Peace」と記されているのは、導入部の内容から1999年にリリースされたシングル曲「痛いくらい君があふれているよ」の原型だろう。最終的な歌詞にたどり着くまで、悩み、迷い、考え抜かれた跡がしのばれる。
  • 1993年には「負けないで」(165万枚)、「揺れる想い」(140万枚)が、1996年には「マイ フレンド」(100万枚)がミリオンセラーとなった。坂井さんは1990年代の日本でもっともCDが売れた女性シンガーの1人となる。1990年代に限れば、ユーミンよりも、ドリカムよりも安室奈美恵よりも多くのCDが売れた
  • 坂井さんが歌詞を書く作品はどこが突出していたのだろう――。絶え間なく言葉が生まれるようにと、坂井さんは文学に触れ、映画を観た。
  • 特に好きだったのは石川啄木中原中也。啄木の歌集『一握の砂』の中の次の歌が特に好きだった。

  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ


  花を買ひ来て

  妻としたしむ

  • 「彼女はおそらく性格的に自分が生む言葉に自信がなく、だからこそ、新たな言葉との出合いに貪欲で、それによって常に歌詞を紡ぎ続けることを自分に課していたのではないでしょうか。

(2017-05-17 AERA dot. 朝日新聞)


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[] <地図の上 朝鮮国にくろぐろと …>石川啄木 韓国併合条約

◯ 平和をたずねて

 軍国写影 反復された戦争/29

  「地図の上、朝鮮国に墨をぬる」=広岩近広

  • 大阪毎日新聞が<韓人の運動>として、オランダ・ハーグからの特派員原稿を掲載したのは1907(明治40)年7月3日だった。3人の韓国人が、第2回万国平和会議に突然やって来た。いわゆる「ハーグ密使事件」で、3人は皇帝・高宗の親書を携えていた。軟禁状態の高宗が、密使を派遣したのは明らかだった。
  • 初代統監だった伊藤博文は「密使事件」に激怒する。立命館大学名誉教授で近代史研究者の岩井忠熊さんは、次のように解説する。「第3次日韓協約は、統監が韓国の内政全般について指導するという内容です。実はこのとき伊藤と韓国首相との間で、皇居守衛の一大隊を除いて軍隊を解散させる密約が交わされました。軍隊の解散命令が出ると、韓国軍は反乱を起こし、義勇兵と合流して全韓内で日本軍と衝突します。この激しさを目の当たりにして、韓国の保護国化が持論だった伊藤も、合併するしかないと考え直します」
  • 伊藤は09年6月に統監を辞任する。7月6日には、韓国併合の方針が閣議決定された。そして10月、伊藤はロシア蔵相と会見するため東京をたった。10月26日、伊藤は満州ハルビン駅で、ロシアの蔵相と車中会談をもった。このあと歓迎者の輪から飛び出た韓国独立運動家の安重根に、狙撃され69年の生涯を閉じた。
  • 伊藤を射殺した安重根は翌年の3月、処刑となった。日本政府は5カ月後に「韓国併合条約」を締結する。韓国の皇帝が明治天皇統治権を譲ることを望み、天皇が受け入れたという形式だった。
  • 政府は漢城を京城と改称し、朝鮮総督府を置いた。勅令により<朝鮮総督府の総督は陸海軍大将>をもって任じられた。こうして韓国では、皇民化教育が徹底されるようになる。歌人の石川啄木は詠んだ。

 <地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつゝ 秋風を聴く>(次回は23日に掲載)

(2017-05-16 毎日新聞>大阪朝刊)


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2017-05-16

[][] 講演「現代に生きる啄木」文の京講座 7/7

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平成29年度啄木学級 文の京(ふみのみやこ)講座


  • 日時 平成29年7月7日(金)午後2時開演(午後1時開場)
  • 会場 文京シビックホール 小ホール(東京都文京区春日1-16-21)
  • 内容 【講演】「現代に生きる啄木」講師 歌人・文芸評論家 三枝昻之(さいぐさたかゆき)氏

    【対談】「啄木再発見!」三枝昻之氏×石川啄木記念館 森義真館長

  • 申込方法 往復はがき(1人1枚)往信に「啄木学級受講申込」と記載し、郵便番号・住所・氏名・電話番号(文京区の在勤・在学者は勤務先・学校名も)を記入のうえ、返信用宛名を記入し下記申込先に郵送ください。申込多数の場合は抽選とし、結果発表はハガキの発送をもって代えさせていただきます。
    • 定員 300名(うち文京区在住・在勤・在学者は180名)
    • 受講料 無料
    • 締切日 6月12日(月)必着
    • 申込先 盛岡市玉山総合事務所 産業振興課 〒028-4195 岩手県盛岡市渋民字泉田360 TEL 019-683-3852

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2017-05-15

[][] 30か所以上「啄木ゆかりの地巡り」函館 6/11

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[啄木一族墓]


石川啄木来函110周年記念


 「啄木ゆかりの地巡り」

漂泊の詩人石川啄木は110年前の1907年(明治40)5月5日から9月13日の132日間、函館に滞在しました。

「死ぬ時は函館で死にたい」とまで言った歌人、石川啄木。
短い期間でしたが、函館が啄木に多くの影響を与え、啄木は函館に多くの足跡を残しました。啄木来函110周年記念として、「啄木ゆかりの地」30か所以上を巡ります。地蔵堂では啄木の位牌と一族の過去帳をご覧いただけます。


  • 日時 2017年6月11日(日) 13:00〜16:00まで ※小雨決行
  • 集合 弥生小学校前(市電「大町」電停から3分)
解散: 石川啄木一族の墓(市電「谷地頭」電停まで8分)
  • 今回巡るゆかりの地(ほとんどが跡地です)
弥生小学校・小林写真館・函館商業会議所・函館市文学館・東浜桟橋・函館日日新聞社・聖ヨハネ教会・招魂社・入村質店・池田屋・函館税務署・苜蓿社・苜蓿社同人宅(並木翡翠・大島流人・松岡蕗堂・吉村白村・岩崎白鯨)・啄木一家の住宅・歌碑・啄木死後の妻節子住宅・旧函館図書館・妻節子の親戚宅(両親・村上祐兵・一方井なか子)・浮世床・橘智恵子宅・碧血碑・地蔵堂(啄木の位牌・一族の過去帳)・石川一一族の墓(最初の墓)・石川啄木一族の墓・宮崎家の奥城・影二歌碑など30か所以上
  • 資料 30か所以上のゆかりの地の現住所一覧
  • 参加費 100円(資料代含む) ※事前申し込み不要
  • お問合せ 北條(電話0138-32-8015)、山本(電話0138-73-6871)
  • 主催 はこだて検定合格者の会

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2017-05-13

[][] 「啄木短歌とその魅力」静岡啄木祭 5/27

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[キクモモ]


◎ 新日本歌人協会

 「2017年 静岡啄木祭」

  • 日時 2017年5月27日(土)(13:00 開場) 13:30〜16:30
  • 場所 静岡市 あざれあ(男女共同参画センター)(静岡県静岡市駿河区馬淵1-17-1)
  • 講演 「啄木短歌とその魅力」
  • 講師 杜澤光一郎(とざわこういちろう)氏 (歌人 「コスモス」選者)
  • アトラクション 尺八演奏 田中栄  啄木詩歌朗読 劇団静芸 ほか

◦主催 新日本歌人協会 静岡支部 浜松支部


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2017-05-12

[] 啄木短歌大会の各賞選ばれる

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[カリン]


「啄木祭賞に阿部さん」啄木短歌大会  [岩手日報]

  • 第33回啄木祭短歌大会は7日、盛岡市渋民の渋民公民館で開かれ、最高賞の啄木祭賞に盛岡市の阿部一(かつ)さんの「啄木の宿りし家に我が綯(な)ひし注連縄張れば荒壁も映ゆ」が選ばれた。
  • 大会には128首の応募があり、約80人が出席した。

盛岡市長賞

「春の日をよろこぶ鴨ら橋脚の水の反照しばしば乱す」盛岡・鈴木八重子

○ 県歌人クラブ賞

「次々と発つ先生を手作りの日の丸振りて吾ら送りし」奥州・阿部スミ子

岩手日報社

「こんなにも男前かと父の面(おも)ぢつと見つむる火葬の前夜」奥州・遠藤カオル

朝日新聞社

「海嘯に流されしとふ墓成りて春光のなかいもうと納む」盛岡・岡田紘子

(2017-05-10 岩手日報



[][] 啄木歌集「一握の砂」構成/完成までの道のりを紹介 4/25〜9/3

◯ 企画展

「一握の砂」背景紹介する 盛岡・啄木記念館 /岩手

  • 盛岡市渋民の石川啄木記念館で、企画展「啄木と『一握の砂』」が始まっている。啄木の代表作である歌集「一握の砂」の構成や、完成までの道のりを紹介している。
  • 同館によると、日本文学研究者のドナルド・キーンさんは作品を「現代に生きる私たちの心にそのまま響く歌」と評価している。啄木は歌集の編集作業中に、生まれたばかりの長男を亡くした。551首の中、愛児を悼んで最後に8首を追加している。企画展では、子どもの生と死を経験した啄木の様子が、友人に宛てた手紙などからうかがえる。
  • また、啄木が函館の小学校に勤めていた時の同僚で、思いを寄せていた女性に送ったはがきや、歌集の初版本なども展示されている。企画展は9月3日まで。【藤井朋子】

(2017-05-12 毎日新聞)


企画展 石川啄木記念館



2017-05-08

[] <…水素酸素を恋ひて水成れりけり>石川啄木

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[カエデ]


「八面観」[長野日報]

〈 人いまだ生れざりける日に水素酸素を恋ひて水成れりけり 〉

  • 国立天文台名誉教授の海部宣男さんの著書で知った石川啄木の歌を引用した。「よく星を見、星をうたった」啄木の関心は、自然の成り立ちにも及んでいたと解説にあった。
  • 日々の暮らしには縁のない化学式だが、「H2O」は耳目に触れることがある。生命が誕生するはるか昔、原初の地球で水素(H)と酸素(O)が出会い、恋をして水が生まれた│とロマンチックな想像が広がる。
  • 太陽から遠く離れた土星の衛星エンケラドスは、天体は厚い氷に覆われているが、土星の引力の作用によって衛星内部が熱を持ち、氷の下には液体の水をたたえた海が存在する。氷の割れ目から、海水が間欠泉のように噴出しているのだという。
  • 米航空宇宙局(NASA)の調査で、エンケラドスの表面から噴き出すガスの中から水素分子が検出された。「生命を育む環境が存在する可能性が高い」とニュースが伝えていた。歌人のように想像力の翼を広げ、朗報を待ちたい。

(2017-05-04 長野日報Web)

記事



 

2017-05-05

[][] 新刊『朝の随想 あふれる』啄木に会いに…

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[『朝の随想 あふれる』(カバー写真:著者  右端、微かに消えかかる山は「利尻富士」)]


『朝の随想 あふれる』

 山下多恵子 著 未知谷

2012年4月から9月まで半年間、週一回、NHK新潟ラジオ「朝の随想」で話した原稿を集めたもの。

「語る」ように書き、「聞く」ように読みたい、「動詞」にまつわる26のお話。


#お話のうちのひとつ#

第2回「会う * 啄木没後100年」

もしも歴史上の人物にたったひとり会うことができるとしたら、私は迷うことなく石川啄木に会いに行きます。

啄木の歌集『一握の砂』は、文学性の高さ、多くの人に親しまれているという点で近代以降の歌集のなかでも突出しています。 

  砂山の砂に腹這ひ/初恋の/いたみを遠く思ひ出づる日

  山の子の/山を思ふがごとくにも/かなしき時は君を思へり

  はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢつと手を見る (生活=くらし)

私たちはうれしいとき淋しいとき苦しいとき、『一握の砂』を開くとその時の感情にぴったりの歌が必ず載っています。

啄木が亡くなって今年(2012)で100年になります。1912年(明治45)4月13日、啄木は息をひきとりました。桜の散る午前九時半でした。啄木は、わずか26年2カ月の生涯を実によく生きた人であり、人を愛し人に愛される人間でした。

啄木に会うことは叶わないことですが、彼は作品を通して「生きなさい。生きるんですよ」と私たちをやさしく励ましてくれているような気がします。そう思うと、生きる力が湧いてくるのです。それを私は「啄木の力」と呼んでいます。


『朝の随想 あふれる』

 山下多恵子 著 未知谷

 2017年5月発行 1500円+税


目次

1 在る 2 会う 3 渡す 4 似る 5 訪ねる 6 書く 7 思う

8 焦がれる 9 歩く 10 運ぶ 11 感じる 12 悩む 13 写す 14 忘れる

15 励ます 16 降る 17 佇む 18 あふれる 19 信じる 20 生きる

21 支える 22 刻む 23 待つ 24 気づく 25 つなぐ 26 伝える


登場する文学人

塔和子/石川啄木五味川純平森鴎外二葉亭四迷網野菊種田山頭火宮澤賢治太宰治紀貫之北條民雄川端康成/P. ヴェルレーヌ坂口安吾吉本隆明/宮崎郁雨/埴谷雄高井上光晴知里幸恵/平出修/中島敦ほか



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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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