〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木は「少数のよい友人を持つてゐる人であつたらう」与謝野晶子


[ズミ]


「風土計」 [岩手日報]

  • きょうは歌人与謝野晶子の命日、白桜忌。1942(昭和17)年、63歳で亡くなった。晶子は夫の鉄幹とともに石川啄木と深く関わった。鉄幹が主宰し、晶子が詩「君死にたまふことなかれ」などを発表した文芸誌「明星」には啄木も投稿した。夫妻と手紙を通じ交流していた啄木は02(明治35)年秋、盛岡中学に退学届を出し上京。与謝野家を訪れた。
  • 鉄幹は、啄木の詩集「あこがれ」にあとがきを寄せたり、長男の真一が亡くなった時も駆けつけるなど気に懸けていた。晶子も啄木死去の際に、追悼の短歌を新聞や雑誌に発表した。
  • 啄木の死から14年後、26(大正15)年に発行された「現代文藝(ぶんげい)」石川啄木研究号掲載の「若(も)し啄木が生きてゐたら」という特集では「やはり世に容(い)れられず、不平家で居られたらうと考へます」と手厳しい。しかし、続けて「いつでも少数のよい友人を持つてゐる人であつたらうと思ひます」と親愛の情をにじませた。

(2017-05-29 岩手日報


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