啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2017-06-29

[][] 啄木は小説家になりたかったのになれなかった日本を代表する歌人

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[夏の紅葉]


「『雲は天才である』石川啄木著」 [本よみうり堂 読売新聞]

  • 啄木は、小説家になりたかったのになれなかった、日本を代表する歌人である。自負心がすこぶる高く、若き日には〈近刊の小説類も大抵読んだ。夏目漱石島崎藤村二氏だけ、学殖ある新作家だから注目に値する。アトは皆駄目〉と書いたが、結局、小説家としては大成しなかった。
  • 故郷・渋民村の小学校教員時代に書き、〈日本一の代用教員〉という有名な文句が出てくる表題作をはじめ未完作や没作品が多く、金になったのは新聞連載の「鳥影」ぐらい。その屈辱感をぶつけた短歌が、文学を革新した。

 〈非凡なる人のごとくにふるまへる/後のさびしさは/何にかたぐへむ〉

講談社文芸文庫 1700円)(鵜)

(2017-06-28 読売新聞)


記事



[] 友人へのはがきは太く大きな文字で 啄木の決意

「函館で啄木の直筆原稿など展示」  [NHKニュース]

  • 歌人、石川啄木が函館を訪れてことしで110年になるのに合わせ、函館市では直筆の原稿などを紹介する展示会が開かれています。

  • 歌人、石川啄木は新天地を求めていまから110年前に函館を訪れ創作活動に取り組みました。啄木が函館で記した小説の原稿には桜が咲く春の函館山の情景を写実的に表現しています。また、友人にあてて書かれたはがきには札幌で職を見つけて函館を旅立つ心境が太く大きな文字で記され啄木の決意の一端をうかがい知ることができます。
  • 展示会は、函館市文学館でことし10月まで開かれています。

(2017-06-29 NHKニュース)


記事



2017-06-28

[] 「このひとなら啄木も好きになりつらむいふことごとにみなよかりけり」金田一京助

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[アジサイ]


「恋人」芸者 啄木思う遺品 [岩手日報]

  • 明治期の歌人、石川啄木(1886〜1912年)が北海道釧路市で新聞記者として働いていた時期に親交があった芸者の遺品29点が釧路市に寄贈された。芸者は「小奴」の名で働いていた近江ジン(1890〜1965年)。啄木の恋人だったとの説もある。釧路啄木会の北畠立朴(りゅうぼく)会長が、遺族らから品々を託され内容を調査していた。
  • 啄木の親友だった言語学者金田一京助(1882〜1971年)が自作の短歌を近江さん経営の旅館に宿泊したお礼に贈ったもの。近江を念頭に「このひとなら啄木も好きになりつらむいふことごとにみなよかりけり」と詠み「啄木のくらき生涯にぽっかりと灯を点じたる釧路のまちかな」と記した。
  • 来年2月、同市に新設される「釧路文学館」で所蔵、展示される。

(2017-06-27 岩手日報


2017-06-27

[] 啄木ゆかりの遺品釧路市に寄贈 来年開設する釧路文学館で公開

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[啄木かるた]


啄木ゆかりの芸者「小奴」の遺品寄贈 釧路の研究家

  • 歌人・石川啄木の釧路時代のなじみの芸者だった小奴(こやっこ)=本名・近江ジン=さんの遺品29点が26日、釧路市に寄贈された。啄木と親交が深かった言語学者の故金田一京助さんが、釧路で近江さんと会った思い出を詠んだ短歌の自筆色紙など貴重な品ばかり。市は来年、市中央図書館に併設して開設する釧路文学館で公開する。
  • 市内在住の啄木研究家北畠立朴(きたばたけりゅうぼく)さんが2002年ごろ、道外に住んでいた近江さんの養女(故人)から「釧路で活用を」と人づてに預かったものを寄贈した。色紙は12枚組で、1951年に金田一さんが釧路を訪れた際、近江さん経営の旅館で世話になった返礼とみられる。

(2017-06-27 北海道新聞


記事



2017-06-26

[] ビールのモダンさを好んだ天才歌人・石川啄木

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[あじさい]


◎歴史人物伝 [キリン歴史ミュージアム]

 ビールを愛した近代日本の人々 日本の暮らしにビールとワインが定着した背景には、さまざまな人の情熱や苦悩がありました。幕末から明治に活躍した偉人たちのビールとワインにまつわるストーリーをご紹介します。


ビールのモダンさを好んだ早逝の天才歌人・石川啄木  1886-1912/岩手県出身

◯日記に記されたビールを飲む日々

  • 明治時代後期、ビールは徐々に庶民にまで普及し始めていた。国内生産量が増加した一方、鉄道などの輸送機関の整備はビールの地方都市への出荷を可能にした。
  • この明治後期にビールをこよなく愛した文学者として、歌集『一握の砂』『悲しき玩具』で知られる石川啄木の名が挙げられるだろう。日々の出来事を詳細につづった彼の日記には、ビールの記述が幾度となく登場する。
    • 1907(明治40)年9月10日 4時頃より快男子大塚信吾君来たり、並木君来たり……(中略)予は2、3日中に札幌に向かわんとす。此夜大いに飲めり。麦酒十本。酒なるかな。酔うては世に何の遺憾かあらん。
    • 1908(明治41)年1月3日 晴、温、ぽかぽかした日。金田一君と談った。12時頃岩動康治君が来た。金田一君と3人でカルタ。岩動君帰って将棋……(中略)ビールをのみ、蜜柑を食う。日くれて共に夕めし。
  • 啄木は生涯にわたりビールを好んだ。特に友人らとの社交の場では、数あるアルコール飲料の中から、あえてビールを選択していたようだ。

◯短歌に詠われた孤独で悲しい一人酒

  • 都会にあこがれ、モダンな文化を好んだ啄木は、他方で漂泊の歌人であった。1886(明治19)年、岩手県の日戸村(現・盛岡市玉山区日戸)に生を受け、17歳で最初の上京を果たし、与謝野鉄幹が主催する雑誌『明星』で詩歌を発表すると、その後も多くの文学者と交流を重ね、歌壇で注目を集め始めた。
  • 盛岡時代には学校教員などの職に就くが、こらえ性のなさや気まぐれな性格から仕事は1年として続かない。1907(明治40)年、21歳のときには北海道に渡り、新聞記者、代用教員、校正係などの仕事を転々とする。孤独感を背負い、精神的にも悩み続ける彼が自らの心情を吐露できるのが、一つは言葉(短歌)であり、一つはアルコールであった。
  • 盛岡、北海道、東京を中心に、各地に建立された啄木の歌碑は100を超える。啄木はどんな環境においても短歌を詠むことを忘れなかった。というよりも、啄木にとって短歌とは、呼吸をするかのごとく口からこぼれ出るものだった。
  • 彼は短歌を残したが、その中にアルコールを詠んだ歌は71首あるという(岩手大学公開講座「啄木の魅力、賢治の魅力」高等教育情報化推進協議会)。

  しっとりと

  酒のかをりにひたりける

  脳の重みを感じて帰る   (『悲しき玩具』)

    酒のめば悲しみ一時湧きくるを

    寝て夢みぬを

    うれしとはせし    (『一握の砂』より)

◯ビール広告に触発された評論「食ふべき詩」

  • 終焉の地となる東京で、金田一京助の金銭的な援助を受けながら、彼は文芸活動に打ち込んでいった。上京の翌年、啄木は電車の車内で「食(くら)ふべきビール」と記された「キリンビール」の広告に目を奪われる。「食ふべきビール」とは、「ビールは栄養価が高いので、食事をとるのと同じように、日常的にビールを飲みましょう」という意味が込められたキャッチコピーである。この文句に触発された啄木は、1909(明治42)年12月、「食(くら)ふべき詩」と題した評論を『東京毎日新聞』に発表する。「歌とは特別な創作活動ではなく、日常生活の延長上に位置付けるべきもの」と啄木は宣言したのだ。
  • しかし啄木は、この宣言に基づく創作活動を全うすることはできなかった。「食ふべき詩」の発表から3年後の1912(明治45)年4月、啄木は26年の生涯に幕を降ろす。あふれんばかりの詩才を熟成させるには、あまりにも短すぎる一生であった。(KIRIN歴史ミュージアム)

記事



2017-06-22

[] 東京駅にて「東北六県 絆フェスタ」

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東京駅の構内で「東北六県 絆フェスタ」が開かれていた。

それぞれのブースに東北六県の名産品が並ぶ。






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ここは岩手県のブース。

入れ代わり立ち代わり、熱心に品物を選ぶ。






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パンフ「いわて旅地図」の中の石川啄木

  石川啄木

盛岡出身の詩人・歌人。

明治38年詩集「あこがれ」、歌集「一握の砂」「悲しき玩具」を出版。

いのちの一秒を愛し、人生の悲喜哀楽を歌で表現した。

A poet from Morioka (former Shibutami Village).

The whole spectrum of human emotions is expressed in his poetry.



2017-06-21

[][] キーンさんの巡回展「石川啄木の日記を読み解く」札幌市 6/29〜7/23

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[アジサイ]


ドナルド・キーン・センター柏崎企画展

 ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く〜最初の現代日本人〜」

展示内容

26年2ヶ月という短い生涯で、東京や北海道を転々とし、後世に残る多くの作品を残した石川啄木。
その魅力をキーン先生の視点から見つめるとともに、啄木という人物を通して、当時の札幌のすがたを振り返ります。

  • 期間 平成29年6月29日(木)〜7月23日(日)
  • 場所 札幌市中央図書館 1階展示室

〇各コーナー紹介


〇講演

図書館巡回展『ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く』の関連行事として、ドナルド・キーン・センター柏崎の学芸員を講師にお迎えし、キーン氏の研究、評伝『石川啄木』(新潮社)執筆に至るまで等をテーマに講演を行います。

  • 講師 大西 慶 氏(公益財団法人ブルボン吉田記念財団 ドナルド・キーン・センター柏崎 学芸員)
  • 日時 平成29年(2017年)7月2日(日) 14時〜16時(開場13時30分)
  • 会場 札幌市中央図書館 3階講堂
  • 費用 無料
  • 申込 不要(会場に直接お越しください)。先着120人

記事


  • 札幌市中央図書館
    • 札幌市中央区南22条西13丁目1-1
    • 電話:011-512-7320FAX:011-512-5783


2017-06-20

[] 「共謀罪」法公布 < やとばかり/桂首相に手とられし…>石川啄木

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[バラアーチ]


「風土計」 [岩手日報]

  • 「たそがれ」が映画「君の名は。」のキーワードだった。夕暮れ時、人の顔がぼやけて見えにくい。あなたは誰? 語源である「誰(た)そ彼」を詠んだ万葉歌が紹介される。
  • 石川啄木の歌には「たそわれ」がある。<誰そ我に/ピストルにても撃てよかし/伊藤のごとく死にて見せなむ>。誰か自分を撃ってみてくれ、伊藤博文のように死んで見せよう。中国ハルビンで撃たれた初代首相を詠んだ歌に、どきりとさせられる。
  • 伊藤が首相を務めた長さは歴代3位で、トップには桂太郎がいる。5位になった安倍晋三首相の上には、戦前ではこの2人しかいない。啄木は歌集「一握の砂」で、伊藤の次に桂の歌を並べている。
  • <やとばかり/桂首相に手とられし夢見て覚めぬ/秋の夜の二時>。社会主義者らを弾圧した強権的な桂首相に、いきなり腕をつかまれる。悪い夢にびっくりして目が覚めた。この歌にもどきりとさせられる。
  • 強引に国会が閉じられ、あすにも「共謀罪」法が公布される。何も悪いことをしていないのに、むんずと腕をつかまれる。啄木の悪夢を現代によみがえらせてはならない。

(2017-06-20 岩手日報


記事



[] 「はたらけどはたらけど」非正規雇用労働者の悲惨な実情

「派遣のくせに」「立場をわきまえろ!」非正規で働く中年男性に投げかけられる無慈悲な言葉

  • はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり、とは石川啄木の歌だが、まさにそんな立場の人は、現代の日本でも数多くいる。
  • 自身、中年になってからの再就職で苦労をして、さまざまな非正規雇用の現場を経験してきた中沢彰吾氏は、非正規雇用労働者の悲惨な実情をレポートしている(以下、中沢彰吾著『東大卒貧困ワーカー』より抜粋、引用)。
  • 山田信吾さん(54歳・仮名)のケース。山田さんは、35歳まで中小企業の管理職を務めていたが、会社が倒産。人材企業に登録し、翌日から派遣先の企業で働くことにした。特技を生かし働き、工場長代行のような業務もこなした。当然、勤務表は残業や休日出勤で真っ赤になったが、諸手当は満額支払われ、山田さんの年収は500万を超えた。
  • しかし、社長が経営効率をアップさせるため外部のコンサルタントを招き入れた。山田さんは「派遣のくせに残業が多すぎる」「重要な仕事は正社員がするものだ。派遣のあんたがやってること自体おかしい」と、残業も休日出勤も禁止され、平日は仕事が終わってから自分のスケジュール管理についての反省文を書かされ、改善策を提示するまで退社できなくなった。毎晩、終電の時間まで無意味な作文を書かされることに耐えられず、山田さんは自らその会社を去った。
  • 中沢氏は、「山田さんが、もし正社員であったなら、前記2社のいずれでも解雇されることなく、業績向上に貢献し、部長くらいに出世したのではないか」と述べた上で、非正規というだけで、優秀で実績を上げても、評価が得られないシステムの問題点を指摘している。(デイリー新潮編集部)

(2017-06-20 デイリー新潮)


記事



2017-06-17

[] 「東海の小島の磯の白砂に それにつけても金の欲しさよ

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[クイーンエリザベス]


「いばらき春秋」 [茨城新聞]

  • 梅干しは昔から庶民の万能薬といわれるが、短歌にも万能の下の句というのがあるらしい。「それにつけても金の欲しさよ」。この句さえ付ければ、どんな歌もそれなりに様になるという。
  • 例えば、啄木の名歌「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹(かに)とたわむる」。不謹慎にも下の句を入れ替えると「東海の小島の磯の白砂に それにつけても金の欲しさよ」。元歌の情感や深みは跡形もなくなるが、確かにどこか意味ありげにも思えてくる。何より金に見放された詠み手の嘆息が切々と伝わってくるのが妙におかしい。
  • 万能句の創始者は江戸後期の狂歌師・太田南畝(なんぽ)とも戦国時代の連歌師・山崎宗鑑(そうかん)ともいわれるが、はっきりしない。確かなのは金の回って来ない嘆きがはるか昔から庶民の間に連綿と続いてきたことだ。(敏)

(2017-06-17 茨城新聞


記事



2017-06-16

[][] 啄木記念館で「わたしのお茶碗」を作ろう! 8/5〜8/6

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[ジャストジョーイ]


石川啄木記念館ワークショップ「わたしのお茶碗」

◯ 内容 啄木の好きな短歌を書き入れ,模様やイラストを入れた自分だけのごはん茶碗を作ります!

  できあがった茶碗は持ち帰って、毎日使えます。

  • 開催日時 平成29年8月5日(土)、8月6日(日)午前10時 から 正午 まで
  • 対象 どなたでも参加できます。
  • 開催場所 石川啄木記念館
  • 申し込み 往復はがきに必要事項を記入の上、平成29年6月18日(日)から郵送にて受付。平成29年7月28日(金)必着。

申込等 詳細



2017-06-14

[][] 短歌募集……啄木コンクール 応募〆切 2018/1/31

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[ダブルデライト]


2018年度「啄木コンクール」作品募集! 新日本歌人協会

◎ 応募要項

  • 作品 20首
  • テーマ 主題、内容は自由
  • 表現形式 定型、口語・自由律を問いません
  • 応募資格 どなたでも
  • 応募〆切 2018年1月31日
  • 応募先 新日本歌人協会「啄木コンクール」係 

     〒170-0005   東京都豊島区南大塚2-33-6-301


啄木コンクール



2017-06-12

[][] 石川啄木歌碑と厄除け大師と佐野の味

啄木文学散歩・もくじ


(「啄木の息HP 2010年初春」からの再掲)

佐野駅周辺

年末年始によく耳にする「初詣・関東三大師」として有名な佐野厄よけ大師は、春日岡山惣宗寺(そうしゅうじ)といい、JR 両毛線佐野駅」・東武佐野線佐野市駅」より徒歩10分足らずで着く。

「佐野プレミアム・アウトレット」と「佐野厄よけ大師」と「佐野ラーメン」を3点セットにしたバスツアーも人気のようだ。

  



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佐野駅前の『佐野市全域案内』図」

厄よけ大師(佐野厄よけ大師 = 春日岡山惣宗寺)は現在地(赤字・JR佐野駅)からみて南西方向、佐野短大は南東、短大の東側に三毳(みかも)山。駅の北西には田中正造旧宅なども案内されている。「佐野プレミアム・アウトレット」は、佐野短大の南方向にあり地図から外れたすぐの所。

2007年に佐野新都市バスターミナルができて、新宿駅や東京駅と佐野を結ぶ高速バスの利用者も多いという。





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「関東の三大師」

参道には名物まんじゅうの屋台

 




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田中正造墓所の石塔」  

右は初詣の行列。 

   



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田中正造翁の墓の案内」

 




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「正造の墓と啄木歌碑」

正造の墓石は高くそびえ「嗚呼慈侠 田中翁之墓」と刻まれている。左側が石川啄木の歌碑である。

 




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夕川に葦は枯れたり

    血にまどふ民の叫びの

     など悲しきや

           石川啄木 

 

 



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「碑陰」

 

啄木歌碑を建立したのは同寺(佐野厄よけ大師 = 春日岡山惣宗寺)住職の旭岡聖順氏。旭岡氏は昭和27年から48年まで、県立佐野高等学校で教鞭を執っていた。そこで、同校の生徒たちが啄木の歌を通していっそう田中正造の研究を深め、かつ社会奉仕の精神を継承していってほしいとの願いを込めて、この碑を建立したという。(「啄木文学碑紀行」浅沼秀政 株式会社白ゆり出版)

 

  

 


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「カラフルな おみくじ」

おみくじの引き方「目をとじて住所・名前・生年月日・願い事を唱えながら」引く。

 




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「佐野の味」

佐野大師の御利益最中。

 



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「青竹を使った製麺方法」

青竹に足をかけ足の重みで麺を伸ばしては折りたたむ。

 




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「佐野・下野の国ら〜めんの郷」     

青竹手打ち麺と澄んだスープ。




2017-06-11

[] 啄木が通った「しゃも寅」の地名

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[料亭しゃも寅跡の井戸 釧路市 2006年]


卓上四季「地名」 [北海道新聞]


  • 江戸は上野のあたりから、長屋の連中がワイワイと出かけてゆく。目指す先は麻布の寺である。落語「黄金餅(こがねもち)」は、道中の地名を延々と語るのが聞き所だ。「新橋を右に切れて土橋から久保町…坂を上がって飯倉片町。永坂を下りまして十番へ出て大黒坂を上がって一本松」。町の名を40ほども並べる。
  • 経路を知りたくて、地図をめくった。載っていない所が多い。新たな町名になって消えてしまったようだ。飯倉片町は「麻布台3丁目」。一本松は「元麻布1丁目」。何だか味気ない。
  • そんな思いをした後で道内の地図を見ていたら、気になる地名に出合った。「しゃも寅(とら)通」。釧路市内のバス停だ。しゃもと寅? 地元では知られているのだろうが、初めての響きに興味が湧く。
  • 調べると、「しゃも寅」は石川啄木が通った料亭だった。親しい芸者の小奴(こやっこ)が働いていたという。〈小奴といいし女のやわらかき耳朶(みみたぶ)なども忘れがたかり〉。昔知った歌を思い出す。なるほど、この名を消してはもったいない。

(2017-06-11 北海道新聞


記事



2017-06-09

[][] 佐野厄除け大師と啄木の歌 <3(おわり)>

啄木文学散歩・もくじ


3 「とちぎの百様 大図鑑」田中正造


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石川啄木歌碑の裏

  為竣徳院殿義巌徹玄大居士

  七十四回忌菩提也

    春日岡山惣宗寺住職旭岡聖順建之


    奇しくも石川啄木生誕百年を記念して

          昭和六十一年九月四日









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佐野ラーメン・透き通った醤油スープ







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絵馬・おみくじ







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田中正造の肖像写真と豆知識


◦ 百のなるほど 百のじまん

「とちぎの百様 大図鑑」(ひゃくさま)

   栃木県民が大切にしたい自慢できる100の魅力


◯ なるほど豆知識

  • 直訴状は、明治時代のジャーナリスト・思想家の幸徳秋水が執筆し、正造が加筆修正して実印を押したものと伝えられる。
  • 直訴の報を聞いた盛岡中学(現・県立盛岡第一高校)の学生、石川啄木(明治時代に活躍した歌人)は、「夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」と詠んだと伝えられる。

(「とちぎの百様 大図鑑」 平成28年発行 発行者 栃木県)




(おわり)



2017-06-07

[][] 佐野厄除け大師と啄木の歌 <2>

啄木文学散歩・もくじ


2 「田中正造翁之墓」と「啄木歌碑」


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「嗚呼慈侠 田中翁之墓」と「啄木歌碑」


  夕川に葦は枯れたり

    血にまとう民の叫びの

      など悲しきや

             石川啄木 

 碑文

  近代日本の先駆者田中正造翁は 明

  治三十四年十二月十日第十五議会開

  院式から帰る途中の明治天皇に足尾

  銅山鉱毒被害による渡良瀬沿岸農民

  の窮状を直訴する  当時盛岡中学

  四年在学中の啄木はこの感動を三十

  一文字に托した 奇しくもこの年 

  創立された県立佐野中学校(第四中学)

  の生徒達にも鉱毒の惨状は強い衝撃

  を与え作文その他に残されている






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  「夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」 (鉱毒)

                

                      (白羊会詠草)

  • (注:歌碑には「血に『まとう』」とあり、「佐野厄除け大師 平成29年」のしおりにも同じく書かれている。「石川啄木全集 第一巻」(筑摩書房/1978)には、「血に『まどふ』」となっている)

『啄木の歌 その生と死』碓田のぼる

  • この歌は、現代の公害の元祖ともいえる、足尾銅山の鉱毒について歌ったものである。
  • 栃木県選出の代議士田中正造は、明治34年12月10日、61歳の老躯をなげ出して天皇への直訴をおこなった。幸徳秋水の筆になる直訴状を右手に、天皇の行列にたち向っていったのである。
  • 啄木伝記によれば、明治35年1月29日、中学四年生であった啄木は、友人たちと、青森歩兵第五連隊第二大隊の兵士290名が、八甲田山の雪中行軍でついに遭難した事件(1月25日)を報じた『岩手日報』の号外を売って、その利益を足尾鉱山の鉱毒に泣く災害民に義捐金として贈っている。
  • 啄木が足尾の救援カンパ運動──いまようにいうならば──にとりくんだのは、田中正造の直訴事件が大きな衝撃としてあったからであろう。啄木の鉱毒の歌の作歌日時はまったく不明であるが、私がひそかにもっている仮説は、直訴事件以降翌年1月はじめにかけての頃であったろうということである。
  • ところで、この歌の「血にまどふ」という第三句は、前後の脈絡をはなれて唐突である。それが一首の感動の収斂をさまたげている。しかし内容としては、明治33年2月の、権力による流血の弾圧事件をおさえているであろうことは想像に難くない。
  • 「葦は枯れたり」とは、まさに鉱毒によってひきおこされた事態の形象であるが、直訴状の中の「黄茅白葦」という、茅も葦も、異常に変色した姿と対応していよう。片山潜の編集していた『労働世界』も「熱誠なる田中正造翁は遂に直訴を為したり、吾人は翁の心事に無限の同情を表する者なり」(明治34年12月21日。第百号)と記して、鉱毒事件への深い関心を示している。
  • 以上のことを一応おさえて、啄木の「夕川に」の一首をよむと、あらためて啄木の悲憤の息づかいを感ずる。

  『啄木の歌 その生と死』碓田のぼる 洋々社 昭和55年


(つづく)



2017-06-06

[] 石川啄木の曾祖父は 戦国忍びの伝系の隠密同心…

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[真言宗大谷派 心光山常照寺]


◎ 芸文かづの 第43号(平成29年3月31日発行 秋田県鹿角市芸術文化協会)

「啄木の母方の曾祖母熊谷ヱイ(毛馬内常照寺生まれ)と曾祖父工藤乙之助(おとのすけ)について」

    村木哲文


1 啄木の母方の曾祖母熊谷ヱイ(毛馬内の常照寺生まれ)について

  • 熊谷ヱイの孫が啄木の母カツであり、啄木の顔かたちや気質が母カツに似ていると親友の金田一京助を初め多くの人が語っていることから啄木は鹿角の血筋を引いているのではないかと思われる。なお、啄木の母カツの写真は一枚も残されていない。
  • 毛馬内の常照寺・熊谷文子氏によれば、大正12年の火災で古い資料等一切焼失しているので以前のことは不明。
  • ヱイの墓を、盛岡北山の本誓寺に訪ねたが、明治30年の火災により過去帳を焼失しているので、それ以前のことは不明。
  • 熊谷ヱイの長男条作の墓は、盛岡市仙北町の長松寺の工藤家の墓に眠り養子の件も併せて戒名碑に刻まれている。

2 啄木の母方の曾祖父工藤乙之助(おとのすけ)について

 [工藤乙之助(啄木の母カツの母ツヤの父)]

  • 佐々木京一「一揆の奔涛」(宇霊羅山房平成12年)のなかの「啄木の文学の血脈」には次のように書かれている。

石川啄木の曾祖父・工藤乙之助は、戦国忍びの伝系の隠密同心にして、一族、探索人グループを指揮する首領であり、薫風俳諧を嗜む首切り役人である」と断定する。

「啄木の激情は隠密同心工藤一族の血の流れの果てに存在する。だかしかし、明治という時代認識を突き抜けて、「ヴ・ナロード(民衆の中へ!)」と歌った啄木の思想は、隠密衆の思考とは無縁であるばかりでなく、全く正反対の一揆衆の思想に近い。」


  ◯ 主要参考文献『啄木の母方の血脈 ─新資料「工藤家由緒系譜」に拠る─』(編集 森 義真・佐藤 静子・北田 まゆみ)



2017-06-05

[] 講演 “寺に生まれた啄木の生い立ちが作品に影響” 啄木祭

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[アジサイ]


全国から500人が遺徳偲ぶ 恒例「啄木祭/岩手・盛岡市

  • 歌人、石川啄木の遺徳を偲ぶ恒例の「啄木祭」が3日、岩手県盛岡市渋民で行われました。
  • 啄木祭には全国から愛好家、およそ500人が集まりました。啄木ゆかりの曲の鼓笛隊演奏や合唱が行われたほか、啄木の作品を題材にした朗読劇が披露されました。
  • そのあと作家の井沢元彦さんが講演。「曹洞宗の寺に長男として生まれた、啄木の生い立ちが作品に大きな影響を与えた」と、自身の啄木観を披露していました。

(2017-06-03 IBC岩手放送


記事



2017-06-02

[][] 佐野厄除け大師と啄木の歌 <1>

啄木文学散歩・もくじ


1 佐野厄除け大師



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本堂と庭


佐野厄除け大師は、惣宗寺(そうしゅうじ) という天台宗の寺。

厄除け祈願と、身体安全・家内安全・心願成就・交通安全・合格祈願・良縁成就・子授成就などの祈願も受け付けている。


この季節、庭のツツジが鮮やか。


佐野ブランドキャラクター「さのまる」くんが、ラーメンどんぶりの笠をかぶり腰には名物のいもフライ剣をさして迎えてくれる。







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田中正造翁墓所の石柱など


右側の道が本堂へ続いている。


田中正造翁の墓」案内板、「千年の鋳物の歴史 我が佐野市」の看板などが立っている。



田中正造翁の墓」

田中正造翁(1841〜1913)は佐野市小中町に生まれ、
この惣宗寺を本拠地として政治の道に進み、栃木県会議長を経て帝国議会代議士となり憲政史上に不朽の名を留め、全生涯を正義の旗手として人権の尊重と自然保護のために捧げました。翁の没後、当寺院で本葬が執行され、遺骨はゆかりの地五か所に分骨埋葬されました。




  • 佐野厄除け大師  春日岡山 惣宗寺(そうしゅうじ)


(つづく)



2017-06-01

[] カーブを曲がり実家の村が見えた時、涙あふれ 「ふるさとの山にむかひて…」

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[ブルーベリー]


「あの日の涙 故郷の山に向かいて思う」

  肥前杜氏の四季(3)


  • 蔵元での雇用期間が満了すると、離職票をもらって職業安定所ハローワーク)に求職を申し込む。失業保険の給付金を受給しながら細々と農業や漁業に勤(いそ)しむが、それだけでは生活設計は成り立たない。
  • 私も若い頃は真珠養殖やイワシ網、イタヤ貝引き、ブリやタイの稚魚採り。陸では地下街や地下鉄の仕事、井戸堀や庭師の仕事をやった。
  • 出稼ぎの最初の年、バスの終点で降りて、つづら折りの山道を下り、最後のカーブを曲がって(実家がある肥前町)駄竹の村が眼下に見えた時、涙があふれてきた。今でも思い出すと涙が出るが、あれはうれし涙か、悲し涙か分からなかった。
  • 啄木ではないけれど、たぶん「ふるさとの山にむかひていふことなし、ふるさとの山はありがたきかな」だったと思う。どこよりも何よりも自分が生まれ育った村が一番良い。

(いのうえ・みつる 1951年生まれ。「肥前杜氏」として半世紀にわたり酒造りに携わる)

(2017-06-01 佐賀新聞


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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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