啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2017-09-30

[] 「矢車草 <3>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

「矢車草 <3>」

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-石川啄木の歌に登場する花や木についての資料-


矢車草

     函館の青柳町こそかなしけれ

     友の恋歌

     矢ぐるまの花



函館公園、それは明治40年の青柳町を扇の形に配置した、文字どおりの要であった。それはまた、啄木が青柳町に住み、この世に没して、あの世に生きるために絶対に欠くことのできない要でもあったのである。

土岐哀果は後年、青柳町を歩くのである。そして、詠うのである。「散歩」と題して。

   そのかみの露探小路をのぞけどもわが啄木は住みてはあらず

   この家に住みきと聞けど古簾かなしき友よ君の妻も亡し

            ---大正7年「緑の地平」から---

(『啄木の函館』 竹原三哉 紅書房 2012年)


これなぞも、「青柳町」における作者の「かなし」い体験を表現するために、「友の恋歌」とか、「矢ぐるまの花」とかの具体性がうたわれているわけだ。しかし、その具体性それじたいが空想的、情緒的な色どりをおびているから、「青柳町」の「かなし」い体験が、よけいに空想的、情緒的に詠むものの心に沁みいるのである。感傷的なのである。

(『石川啄木』近代日本詩人選7 松本健一 筑摩書房 1984年)


このような歌を読んで、読者ははっきりと情景は掴めないながら、その情緒ははっきり掴んで、感動するのだ。こういう歌は作者がごく一部の読者に向って発信した暗号のようなものである。その暗号を解いて初めて面白い歌なら、これらの歌はつまらない。だがこういう歌は、暗号の解けない一般読者にある感じが伝わってきて、愛誦歌となるのだ。

「友の恋歌」とは、これも啄木の仕掛けた暗号であり、誰か知らないがその恋愛歌の作り主には確実に伝わるものである。「矢車の花」も、その家に咲いていたのかと思うが、やって来た同人たちにはすぐ通じるイメージがあろう。

(『漱石 啄木 露伴』 山本健吉 文藝春秋 1972年)


ここに現れる矢車の花は、若い節子夫人の心入れで、そうした部屋にささやかな花瓶に活けこまれていたものか、或いはひょっとすると、この青柳町の家の前あたりの小さな庭に咲きほこっていたのを取入れたものか、その辺のところははっきりしない。矢車の花はドイツの国花であり、花言葉の総称は幸福、国によっては「私はあなたから離れぬ」とか「あなたの要求を入れます」という暗語があるときいたが、いずれにしろ「友の恋歌」と配列されるにふさわしい花であることに間違いはない。

(『歌人啄木』 吉田孤羊 洋々社 昭和48年)


函館を懐かしむ思いを詠んだこの一首は「青柳町」という地名がよく効いている。けれども、どんな地名であっても良いわけではない。「函館(AOAE)」と「青柳(AOAI)」の母音の響きが微妙に重なり合うところが大切なのだ。さらに言えば、初句「函館の」、二句「青柳町こそ」、三句「かなしけれ」はA音から始まって、四句「友」「恋歌」でO音に転調し、結句「矢ぐるま」「花」で再びA音に戻るという流れも見逃せない。下句は名詞句をただ二つ並べただけのように見えるが、ここがもし

  矢ぐるまの花

  友の恋歌

という順序であったならば、一首の調べは途端に悪くなってしまう。つまりこうした語順にも魅力的な韻律を生み出す配慮が働いているのである。

(「現代短歌」松村正直 現代短歌社 2016年3月号)



(「矢車草」つづく)


2017-09-29

[] 「矢車草 <2>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

「矢車草 <2>」

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-石川啄木の歌に登場する花や木についての資料-


矢車草

     函館の青柳町こそかなしけれ

     友の恋歌

     矢ぐるまの花




この歌は特定の人を歌ったものでなく、苜蓿社の人びとを懐かしがってのちに歌ったもので、矢車の花は函館では六月から七月に咲き、各家庭や公園などの広場に植えられ、めずらしい花でもないがかれんさが人びとに好まれている。郁雨は「そのころの日本娘を思わせるような楚々たる風情の花である、と同時に、廉価で庶民的である。私は極く薄い紅色の矢車の花を見る時、何時も節子さんを思い出すが、苜蓿社の仲間は『合歓の花』に例えて節子さんを称えて居た」という。

(『啄木の妻 節子』 堀合了輔 洋々社 昭和56年)


この歌が、広く人々に愛唱されている理由の一つには、主題は漠然とした光景でも、その環境のなかにある心情を詠んでいるということであろうが、それぞれの引き出す余情が深いこと、加えて、一つの歌曲めいたようにまとまっている韻律のよさにある。

(『啄木の歌と現代短歌』 林和三郎 洋々社 昭和54年)


苜蓿社は啄木を函館に招き、青柳町に住む場所を提供した函館の詩人たちのグループだった。啄木は青柳町の名前を歌に詠み込むことで、「青柳町」を不滅のものとした。

How I miss Green Willow Street in Hakodate !

The love-letters of my friends,

The blue of cornflowers.

新しい友人たちに囲まれて、啄木はこれまでにない感慨を覚えたに違いない。その友人たちは、啄木と詩歌の趣味を共有するばかりでなく、啄木に親しみを覚えるあまり自分の「恋歌」まで読ませたのだった。

(『石川啄木』 ドナルド・キーン著、角地幸男訳 新潮社 2016年)


昭和45年、啄木一家は「石をもて追はるるごとく」故郷の渋民村を出た。一家離散の出奔であった。知友を頼って函館に着いたのはその翌日である。啄木は函館に三ケ月暮らしたが、この地に多くの友を得て、共に酒を飲み、詩を語り、恋を語り、夢を語った。その後の啄木の人生において、この時期ほどに幸福な日の巡り来ることはない。それ故に啄木は、後に流浪した北海道を回想する歌133首を歌集『一握の砂』の中に「忘れがたき人々」として収めたが、函館を詠んだ一連の歌は啄木青春短歌を代表するものとなっている。

(『資料 石川啄木』 佐藤勝 武蔵野書房 1992年)



(「矢車草」つづく)


2017-09-28

[] 「矢車草 <1>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-


「矢車草 <1>」

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-石川啄木の歌に登場する花や木についての資料-


矢車草

     函館の青柳町こそかなしけれ

     友の恋歌

     矢ぐるまの花



初出「スバル」明治43年11月号

家の周囲に矢車の花が咲き、友と文学を語り恋愛を談じ作歌に親しんだあの青柳町時代がとりわけて懐かしい。

( 「石川啄木必携」 岩城之徳・編 學燈社 1981年)


ヤグルマソウ

高さ1メートル位。花は初夏、花弁はない。和名矢車草は葉の形が端午の節句のとき、鯉のぼりといっしょに立てる矢車に似ているところからついた。

ヤグルマギク

ヨーロッパ東部から南部の原産、高さ30〜90cm、白綿毛をかぶる。花は初夏から秋、花屋で温室ものは春に出まわり、青紫、桃、鮮紅、空、白色など品種が多い。和名矢車菊は周辺花の状態を矢車に見たてた名。園芸上はヤグルマソウと呼ばれる。

花言葉  優雅・幸福・繊細な心・独身生活・デリカシー


< こそ…けれ > の係り結びによって強調された「かなし」を具体的に示したのが「友の恋歌」と「矢ぐるまの花」です。友人たちとの熱い文学談義と恋の香り、そしてその日々を彩った矢車の花。「かなし」に漢字を当てれば、「悲し」ではなく、「愛し」でしょう。歌の伸びやかなリズムもそのことを教えています。青柳町という地名の若々しい印象が加わって、そこからは慈しむような函館時代への懐旧の情が浮かび上がります。

啄木歌集の北海道時代を詠った作品はすべて回想の歌ですが、その中でもっとも明るさと懐かしさが生きているのがこの歌です。

(「啄木再発見」 三枝昻之 NHK出版 2013年)


「矢ぐるまの花」これは矢車草の花ではなく、セントウレアつまりヤグルマギクの花です。花形が矢車に似ているのでこの名があります。啄木がうたっているのはおそらく青紫色のヤグルマギクでしょう。イメージされているのは五月下旬か六月初旬ころのことでしょうか。

せつないほどになつかしい青柳町を、意気投合した文学仲間の集いと青紫色のヤグルマギク──梅雨のない函館ではからりと晴れた光の中のその花が似つかわしい──とに象徴させた手腕がみごとです。

(『啄木短歌に時代を読む』 近藤典彦 吉川弘文館 2000年)


[青柳町の家は文字通りの長屋で、間数は六畳が二間きりだった。同人たちはこの家に集まって恋愛論に花を咲かせたが、いつもその発頭人は啄木だった。彼は盛岡の磧町のころは、見え坊で気取り屋だったが、函館ではもう見栄も気取りもしなかった。たばこなども以前は高級の「敷島」をふかしていたが、ここでは五匁銭の「はぎ」(きざみたばこ)を長いラウのキセルでのんでは火ばちの縁でたたきながら気えんをあげていたそうだ。

(『人間啄木』 伊東圭一郎 岩手日報社 1996年)


この歌の核は「矢ぐるまの花」の優しく地味な風情であろう。それとの関連で読む読者は、おそらく「青柳町」に富裕な邸宅地や活気ある商店街などは連想しない。げんに当時の青柳町は貧小な下層住宅地であるが、しかし多分、かかる知識も必要ない。大事なのは「アオヤギ」の柔和な、矢車草と同様に地味な語感である。「恋歌」は青春の象徴。日陰の花とも言える矢車草のイメージに託して、函館の友人たちと共有した青春の侘びしさ、優しさ、それ相応の夢などを追慕する歌。

(『石川啄木論』 今井泰子 塙書房 1983年)



(「矢車草」つづく)


2017-09-25

[][] 「啄木悲しき砂を一握り」ゴロ文学シェーッ!

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[アザミ]


増補改訂版 ハイパー日本文学史 ゴロ文学シェーッ! 

   2001年 アルス工房

   作家 板野博行/宮下善紀



《ゴロ合わせで覚える日本文学史》

啄木悲しき砂を一握り

   啄木(石川啄木)悲しき(悲しき玩具)砂を一握り(一握の砂)


わずか26歳で生涯を閉じた石川啄木は貧乏と肺の病いに苦しみつつ、「三行書き」という独自のスタイルの短歌を作った。「明星」の与謝野鉄幹の知遇を得て詩集『あこがれ』を発表するが、『雲は天才である』などの小説は認められなかった。歌集『一握の砂』『悲しき玩具』以外に評論『食ふべき詩』『時代閉塞の現状』がある。


Q1 評論『食ふべき詩』や、歌集『一握の砂』・『悲しき玩具』などを書いた歌人はだれか。


Q2 啄木と関係の深いものを次の中から一つ選び、記号で答えよ。(早稲田大学)

イ 和歌革新運動  ロ 「白樺」  ハ 口語自由詩運動  ニ 『春と修羅』

ホ 『赤光』  ヘ 「明星」 ト 『春』


Q3「ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」の歌が収められている歌集を次から選び、記号で答えよ。

ア 海の声  イ 桐の花  ウ 一握の砂  エ 赤光


Q4 石川啄木の作品を次の中から二つ選び、記号で答えよ。(山脇学園短期大学)

ア 若菜集  イ 邪宗門  ウ 一握の砂  エ 路傍の石  オ 月に吠える  カ 悲しき玩具


Q5 次のア〜オの中から石川啄木の第二歌集を選びなさい。(青山学院大学

ア 一握の砂  イ あこがれ  ウ 悲しき玩具  エ 呼子と口笛  オ 島影


Q6 啄木の三行書きに影響を与えたと言われる歌人を一人選びなさい。(立正大学

1 若山牧水  2 土岐哀果  3 長塚節  4 釈迢空  5 正岡子規


   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓




A1 石川啄木

A2 ヘ

A3 ウ

A4 ウ・カ

A5 ウ

A6 2



 

2017-09-22

[][] 「生きがい」よりも「死にがい」が強制された青春 岩城之徳 <2>

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[啄木墓碑裏面 拓本『大丈夫だ、よしよし、おれは死ぬ時は函館へ行つて死ぬ』]


『国文学 解釈と鑑賞』特集─石川啄木の世界─

   1974年(昭和49)5月号 第494号 至文堂

(2017-09-07の つづき)

◎私の卒業論文  岩城之徳

 「石川啄木の伝記的研究」

  • 昭和23年の春、私は日本大学法文学部文学科を卒業した。卒業論文は「近松浄瑠璃における道行の研究」400枚。卒論に近松の世話物を選んだのは、封建社会の矛盾を全身に受けて苦しむ町人階級の人びとや、罪なくして死に追いつめられてゆく心中物の若い男女に、かつての自己を発見し深い共感を覚えたからである。
  • 私は卒業後北海道へ渡り、昭和25年の春北海道大学の大学院に入学した。その頃の北大は、図書もなく暖房炭も少ない古びた文学部の教室であつたが、古典研究の歴史を語り、源氏物語の成立を論じる風巻景次郎教授の講義は若々しい情熱にあふれる魅力的なもので、学生たちは寒さを忘れて夢中で聞きいつた。風巻先生は大学院で石川啄木の研究をやりたいという私に、「事実の証明」に力を入れるよう指導され、戦後の歴史学や近代文学の成果を採り入れて幅の広い視野から啄木の伝記を実証的にまとめてはどうかと奨められた。
  • 私が啄木を研究対象に選んだのは、当時世界評論社より刊行された『石川啄木日記』全三巻を読んで、不幸な運命とたたかいながらも多くの名作を残した啄木の文学者としてのすぐれた素質と、社会の不条理に挑戦した鮮烈な詩精神に心が打たれたからである。
  • 私は北大時代の5年間を文字通り啄木の研究に没頭し、「石川啄木の伝記的研究」1500枚を大学院修了論文として提出した。昭和30年1月のことである。この研究は『石川啄木伝』として刊行され、これが契機となつて母校の日本大学の専任講師に迎えられた。私は大学に赴任してからもたえず啄木とその周辺を調査し、十数冊の啄木に関する著書を世に送つた。
  • 啄木のその比類なき業績を明らかにすることで、自己の青春の夢を果たそうとしているのかもしれない。その意味で「私の卒業論文」は学部の「近松」より大学院の「石川啄木」のほうが私にとつてふさわしいような気がする。

(おわり)


岩城之徳(いわき ゆきのり、1923年―1995年)は、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。石川啄木の実証的研究の基礎を築いた。1986年、「啄木歌集全歌評釈」「石川啄木伝」で第1回岩手日報文学賞啄木賞受賞。国際啄木学会発起の中心人物となり、会長も務めた。(wikipediaより)


2017-09-21

[][] 『啄木の足跡を辿る』岩手県立図書館

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[ビルベリー]


岩手県立図書館

 『啄木の足跡を辿る』    

  第33回 賢治資料展

  平成29年9月22日(金)〜11月12日(日)

宮沢賢治石川啄木コレクションのうち、直近の2年間に収集された関連図書を隔年で紹介。(昨年は啄木、今年は賢治、そして来年は啄木と順に紹介する予定)

それにちなんで、今年は企画展が行われない啄木関連の図書を当館所蔵資料からご紹介いたします。渋民村(現在の盛岡市渋民)に生まれ、国内を流転しながら多くの歌を詠んだ啄木の足跡を辿ることができる資料です。


『啄木の足跡を辿る』

明治38(1905)年に小田島書房から発行された「あこがれ」を底本とした、石川啄木の処女詩集。この詩集をきっかけに、啄木は「天才詩人」として世に知られるようになりました。初刊とほぼ同じデザインからも当時の香りが伝わる1冊です。

  • 『一握の砂』 石川 啄木‖著 石川啄木記念館 2003年

明治43(1910)年に東雲堂書店から発行された「一握の砂」の復刻版です。巻末にある東雲堂書店の発行書目からは明治末期の文学界の息吹が感じられます。

  • 『釧路街並み今・昔』 永田 秀郎‖文 北海道新聞社‖編 北海道新聞社 2005年

「挽歌」と啄木の哀愁に彩られた道東の拠点都市、釧路。その産業と風情の移ろいを多くの写真と詳細な説明で描き出した、釧路の今昔をつづる郷土史料です。

  • 『東京文学散歩 名作の舞台と文豪ゆかりの地をめぐる』 神保町文学散歩倶楽部‖著 メイツ出版 2010年

情緒あふれる下町に漱石、鴎外、露伴らの足跡を辿る。根津・千駄木や、碑に刻まれた啄木の想い、龍之介の面影を探して歩く銀座・築地・・・。傑作が生まれたルーツを辿りながら、作家の愛した街を歩く文学散歩本です。

啄木が慕い、創作面でも大きな影響を受けた与謝野寛(鉄幹)と晶子夫妻を仙台文学館が特集した企画展の図録です。啄木も参加した雑誌「明星」や「スバル」にも触れており、当時の文学界を知ることができる内容です。


  岩手県立図書館 電話:019-606-1730 ファックス:019-606-1731



2017-09-20

[] 啄木「どうか壊れた時計にはなってくれるな」18歳 初の政権選択選挙を考える

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[カツラ]


「卓上四季 壊れた時計」[北海道新聞]

  • 北海道にもゆかりの深い石川啄木は、母校の盛岡中学(現・盛岡一高)の校友会雑誌に寄せた「林中書」で、後輩にこんなメッセージを贈っている。「どうか(漫然と毎日を過ごす)壊れた時計にはなってくれるな」と。そして「百科全書的な下らぬ勉強」より、「何か人生に些少(さしょう)なりとも影響を与えるような考えを起(おこ)してくれ」と呼び掛ける。作品が評価されず、仕方なく代用教員をしていた1907年(明治40年)のことだ。
  • 悶々(もんもん)とした思いから生まれた言葉なのか。「壊れた時計」になるなとの訴えは、現代にも通じるように思う。
  • 衆院解散の公算が大きくなってきた。加計(かけ)、森友学園問題や陸自の日報隠蔽(いんぺい)問題はどうなるのか、「大義なき解散」と言われても仕方あるまい。
  • ただ、選挙になるなら若者たちにも大きな関心を持ってほしい。18歳選挙権が導入され1年余。初の政権選択選挙だ。面倒くさいかもしれないが、それをやめたら「壊れた時計」になってしまう。わずか1票で社会が変わるわけではない。だが、社会を変えるにはそれぞれの1票が必要なのだ。一生懸命考えてみてほしい。

(2017-09-20 北海道新聞


記事


[] 盛岡てがみ館の閉館検討

「22年度以降の閉館検討 盛岡市教委がてがみ館」 [盛岡タイムス]

  • 盛岡市中ノ橋通のプラザおでって6階にある盛岡てがみ館が2022年度以降に閉館が検討されていることが分かった。収蔵資料は、22年度から25年度までの間に市先人記念館や石川啄木記念館、原敬記念館などに移管する計画。
  • 市公共施設保有最適化・長寿命化中期計画で、同館は機能の集約化が計画され、展示資料は先人記念館や石川啄木記念館へ移管し、跡地は産業支援センターへ転用する方向性が示されている。

(2017-09-19 盛岡タイムス)


記事



[] 牧水と啄木の交流 宮崎図書館

県立図書館名誉館長 文化講演会

若山牧水と『創作』」

  • 日時 2017年10月7日(土)14:00〜15:30(受付開始 13:30)
  • 場所 宮崎県立図書館 2階 研修ホール
  • 定員 100名(定員に達し次第締切)
  • 費用 無料
  • 講師 宮崎県立図書館 伊藤 一彦 名誉館長

若山牧水創刊の短歌雑誌『創作』(全878冊)の寄贈があったことを記念して、歌人でもあり牧水研究家でもある伊藤一彦名誉館長による講演会を行います。

『創作』は、牧水の人柄や啄木など友人との交流、関東大震災等の時代の空気などを読み取ることが出来る大変貴重なものです。これらの資料を通し、若山牧水の素晴らしさを是非感じてください。寄贈いただいた『創作』は、当日展示し、講演会終了後より閲覧利用(館内のみ)を開始します。


・宮崎県立図書館 情報提供課 郷土情報担当

・宮崎市船塚3丁目210-1 TEL:0985-29-2954 FAX:0985-22-9070


申込等 詳細



2017-09-19

[] 「不来方の城あとに立ち老翁が十五の君をおもひみるとき」岡井隆

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[ワレモコウ]


「風土計」 【岩手日報

  • 歌会始の選者を務めた岡井隆さんは、盛岡を訪れた際「不来方(こずかた)の城あとに立ち老翁が十五の君をおもひみるとき」と石川啄木の有名な短歌を踏まえて詠んだ。80歳を過ぎた岡井さんと20代で世を去った啄木。時を超えて歌壇の重鎮と若き天才の魂が呼応する。歌人の故小高賢さんは啄木らを挙げて、近代短歌を恋愛と挽歌(ばんか)を中核とした若者の文芸だったと著書「老いの歌」に記した。
  • 平均寿命が現在は男女ともに80代となった。老いの表現手段として短歌が威力を発揮していると小高さん。自らの来し方行く末を詠み味わうことは、老いそのものを知ることであると勧める。
  • 「切り捨てられる時間や存在ではない豊かな可能性もそこにある。『老い』はそういう無限に広がる新しい場所なのである」と。老いへの不安は、広い未知の世界の入り口に立つことの裏返しかもしれない。きょうは敬老の日。

(2017-09-18 岩手日報


記事



[] 歌人石川啄木の歩いた道をたどる

啄木の足跡をたどる

 盛岡市・宝徳寺一好摩

  • 盛岡市渋民出身の歌人石川啄木の歩いた道をたどろうと、幼少期を過ごした宝徳寺から、作品に登場し、上京などで使った好摩駅を目指した。石川啄木記念館の森義真館長によると、啄木は鶴飼橋を渡り北上川沿いを進んで、線路沿いに北上したとみられるという。
  • つり橋の鶴飼橋で北上川を渡ると、渋民運動公園に入る。… 西に進み、線路にぶつかり北に進路を変えた。好摩駅まではひたすら真っすぐ。やがて右手に「金矢家の跡地」の看板を見つけた。啄木が幾度も訪ねた場所らしい。
  • 松川を渡り、黙々と歩けば遠くから滝沢市陸上自衛隊岩手演習場から「ドォン」という音が響く。「滝沢の 演習場の大砲の─」。さて、啄木なら何と詠むだろうかと考えているうちに好摩の街並みが見えてきた。約4キロを1時間20分かけ、6912歩。(報道部・佐々木佳)

(2017-09-18 岩手日報



2017-09-16

[][] 国際啄木学会 東京支部会 明治大学和泉校舎 10/1

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[ゲンノショウコ]


国際啄木学会 東京支部会

  • 2017年10月1日(日)14:00 〜
  • 場所 明治大学和泉校舎 研究棟1F 会議室(和泉キャンパスのいちばん奥)

  • 発表
    • 横山 強 「啄木研究あれこれ」
    • 及川 謙 「『愛すべきクズ人間』 〜男子高校生の啄木受容の一断面〜」

○ 終了後、支部会


 ☆ 初めての方のご参加も歓迎 ☆



2017-09-15

[][] 講演「啄木の現代的な魅力」10/21

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[コブシ]


平成29年度 堺市民芸術祭 堺短歌大会

  • 日時 平成29年10月21日(土)午後1時〜4時30分
  • 場所 堺市東文化会館(フラットホール)堺市東区北野田1084-136
  • 参加費 資料代として1,000円(当日)

  • プログラム
    • 第一部 講演 松村正直氏「啄木の現代的な魅力」
    • 第二部 選者による作品選評

  どなたでも参加できます。


  • 主催 堺市文化団体連絡協議会・堺歌人クラブ


2017-09-14

[][] 同じ明治43年発刊『一握の砂』と『遠野物語』NHKカルチャー 10/13

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[コブシ]


NHKカルチャー >盛岡・北上教室

 遠野物語』と『一握の砂』−明治43年に生まれた岩手の名誉−

  • 講師 石井 正己 東京学芸大学教授
  • 2017年10月13日(金) 13:30〜15:30

柳田国男の『遠野物語』と石川啄木の『一握の砂』は、同じ明治43年に発刊されています。一方は民俗、一方は短歌ですが、両者には共通するところが見られます。岩手の風土と人情から生まれた名著の世界についてお話しします。


受講料等 詳細



[][] 日常生活から見える啄木作品の魅力 NHKカルチャー  10/14〜3/10

NHKカルチャー >盛岡・北上教室

 啄木への目線 〜日常生活から見える啄木作品の魅力〜

  • 講師 啄木ソムリエ 山本 玲子
  • 開催期間 10/14〜3/10 第2土曜 10:00〜12:00

  2017年 10/14、11/11、12/09

  2018年 01/13、/02/10、/03/10

啄木の作品を一つずつ紐解きながら明治の時代背景、啄木の交友関係、啄木が見た風景などを具体的に見ていき、啄木の世界へタイムスリップします。また、啄木は現代に生きる私たちに様々な言葉を投げかけています。その言葉に耳を傾けることによって、私たちは生活の中に一抹の潤いを得ることができましょう。


受講料等 詳細



2017-09-13

[][] 中学中退の啄木と与謝野寛・晶子との出会い 石川啄木記念館 9/26〜1/8

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[コブシ]


石川啄木記念館 第8回企画展「啄木と与謝野寛・晶子」

  • 開催期間:平成29年9月26日(火)〜平成30年1月8日(月・祝)
  • 場所:石川啄木記念館展示室 企画展示コーナー
  • 入館料・料金:一般:300円 高校生:200円 小中学生:100円 ※市内に住所がある65歳以上と小中学生は無料

明治35年11月9日、盛岡中学を中退した啄木は、東京新詩社にて初めて与謝野寛(鉄幹)と出会います。そして翌日には晶子ととも初めて対面を果たします。近代短歌を確立した与謝野寛・晶子夫妻。二人は啄木が盛岡中学時代に影響を受けた雑誌『明星』の主幹と代表歌人であり、啄木を物心両面から援助した人物でもありました。

今回の企画展では、二人の人物像や活躍、そして啄木との関わりについて紹介します。与謝野寛・晶子の作品や自筆資料なども展示予定。この機会にぜひお越しください。


ギャラリートーク「啄木と与謝野寛・晶子」

  • 開催日:平成29年9月26日(火)、10月29日(日)、11月26日(日)、12月24日(日)
  • 時間:各日とも14:00〜14:30
  • 場所:石川啄木記念館 展示室
  • 料金:無料(入館料だけで参加できます)

第8回企画展「啄木と与謝野寛・晶子」について、当館館長または学芸員がわかりやすく解説!


館長講演会「啄木と与謝野寛・晶子〜『明星』からの出発〜」

  • 開催日:平成29年10月1日(日)
  • 時間:13:30〜15:30
  • 場所:渋民公民館 2階大会議室
  • 講師:石川啄木記念館館長 森義真
  • 料金:無料
  • 定員:50人

「啄木と与謝野寛・晶子〜『明星』からの出発〜」をテーマに、当館館長・森義真(もりよしまさ)がわかりやすく紹介します。

盛岡中学中退後に上京した啄木は、寛と晶子に初めて会った感激を日記と手紙に書き残しています。与謝野夫妻と啄木について、あまり詳しく知らない方も、知っているという方も、この機会にぜひお越しください。


 電話 019-683-2315 ファクス 019-683-3119


企画展 チラシ ギャラリートーク 館長講演会



2017-09-10

[] 石川啄木ゆかりの地 &「あまちゃん」舞台 「バスタルジア」

f:id:takuboku_no_iki:20170910162637j:image:w640

[葉]


ラジオ番組「バスタルジア」 岩手県北バスで行く石川啄木ゆかりの地 &「あまちゃん」舞台

バスから始まる街の物語を紹介するラジオ番組「バスタルジア」。その地に降り立った男女のモノローグで紹介する。

  • 9月10日(日)のオンエアでは、岩手県盛岡市と久慈市を舞台にした男女の物語が紹介される。明治を代表する歌人・石川啄木ゆかりの地に、2012年に放送された連続テレビ小説あまちゃん」の舞台に向けて岩手県北バスが走る。

歌人・石川啄木ゆかりの岩手県盛岡市 &「あまちゃん」舞台の久慈市

  • 男性が訪れた岩手県盛岡市は、明治を代表する歌人・石川啄木ゆかりの地。文学で身を立てようと中学を自主退学するほど熱中するものの、思うように軌道に乗らず、同市で苦難の時を過ごす。そんな彼の名が世間に広まったのは、後の代表作となる処女歌集「一握の砂」。番組では、肺結核を患い、26歳という若さでその生涯を閉じた彼の功績を紹介する。
  • 海女だった女性が3年ぶりに潜った岩手県久慈市の海は、2012年にNHKで放送された連続テレビ小説あまちゃん」の舞台。主人公のアキが練習していたように、海女たちが行なうのは海岸に飛び込み、素潜りでウニやアワビなどの海産物を採ってくる漁だ。番組では、そんな海女の日常と歴史に迫る。

「BUSTALGIA(バスタルジア)」番組概要

【放送日時】2017年9月10日(日)12:00〜12:25

【放送局】TOKYO FMほかJFN 38局


石川啄木が過ごした街

記事



2017-09-08

[][] 「啄木と樹人 ふるさとコンサート」秋田県鹿角市 10/9

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「啄木、樹人テーマのコンサート」秋田県鹿角市で10月9日 [朝日新聞]

  • 「一握の砂」で知られる国民的歌人石川啄木(1886〜1912)と、「おもちゃのマーチ」を作曲した小田島樹人(じゅじん)(1885〜1959)。鹿角ゆかりの2人をテーマにしたコンサートが10月9日、鹿角市十和田毛馬内の常照寺で開かれる。
  • 啄木の母方の曽祖母、熊谷エイは常照寺で生まれた。啄木が敬慕した長姉サダは、小坂鉱山の長屋に住んだ。サダが亡くなる2カ月ほど前、長編詩「鹿角の国を憶(おも)ふ歌」を作っている。啄木が鹿角を訪れたという記録はないが、最近の研究によると、実際に十和田湖や鹿角に来遊した可能性が高いという。
  • 鹿角市花輪の酒造業の家に生まれた樹人は、旧制盛岡中学で啄木の1学年下だった。地元で啄木を研究する村木哲文さんの取材で、啄木と樹人に交流があったことがわかっている。資料は残らないが、啄木が実際に鹿角を訪れたとすれば、案内したのは樹人ではないか、と村木さんは推測する。(加賀谷直人)

(2017-09-08 朝日新聞)


記事



2017-09-07

[][] 「生きがい」よりも「死にがい」が強制された青春 岩城之徳 <1>

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[北海道函館市立待岬 啄木一族墓 「碑文」拓本]


『国文学 解釈と鑑賞』特集─石川啄木の世界─

   1974年(昭和49)5月号 第494号 至文堂


◎私の卒業論文  岩城之徳

 「石川啄木の伝記的研究」


  • 最近青春の生きがいという言葉が流行しているが、私ども戦中派の人間にとつては青春は暗く灰色の毎日であつた。「生きがい」よりも「死にがい」が強制され、学徒出陣の美名のもとに軍隊に戦場に非人間的な生活をよぎなくされた。
  • 学徒出陣とは昭和18年9月22日の法文系大学教育の停止および学生徴兵猶予の廃止がときの首相である東条英機によつて発表され、全国で約30万の学生が学なかばにして軍隊にはいり戦場に赴いた事件をさすのである。
  • 戦後28年たつた現在、当時の苦しい生活は国民にとつて今や忘却の彼方に押しやられつつある。しかし昭和18年12月1日強制的に軍隊に収容された学徒兵の言語に絶する苦しみと凄惨なたたかいは、日本の大学の歴史にとつて忘れることのできない不幸なできごとであつた。
  • 私たちは薄暗い兵営の一隅で鬼のような古年次兵の怒鳴り声を気にしながら、「あたら青春をわれわれはなぜこのようなみじめな思いをして暮らさなければならないか。」についてひそかに語りあつた。
  • 昭和20年8月15日の南支那での敗戦、そして武装解除、私が軍隊から解放されて東京に帰つてきたのはその半年後のことである。私はいち早く神田にかけつけて焼け残つた懐かしの母校に復学の手続きをとつた。
  • 敗戦ですべてを失つた私にとつて日本大学は残された唯一の希望であつた。死への恐怖を逃れて再び学問をする機会を得た私は、にがい青春を通じて体験した世の中の不条理、青年を追いつめる一切の不条理を人間社会から除去しなければならぬと考えた。私が国文学を専攻し、文学を通して人間の本当の生き方を求めたのもそのためである。

(つづく)



2017-09-06

[][] 啄木研究 “卒業論文のテーマ” 岩城之徳

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[岩手県盛岡市盛岡城跡公園 石川啄木歌碑 拓本]


『国文学 解釈と鑑賞』特集─石川啄木のすべて・人と作品─

   昭和37年(1962年)8月号 第三百二十三号 至文堂


◎卒業論文を書く人々のために  岩城之徳

 「啄木研究にはどんなテーマがあるか」


  • 卒業論文の対象として石川啄木を選ぶには、まずなによりもこれまで発表せられた主な文献を読まねばならぬが、その没後五十年間に発表された研究はおびただしい量にのぼるので、まず主要文献の解説と、研究の動向を扱った研究史を丹念に読んで必要な文献を探さなければならない。
  • 啄木研究のテーマとしてはいろいろの問題があり、限られた紙数で詳述することは困難であるが、卒業論文の性格として独創的な研究を目ざす一方、啄木の生きた時代についての広い視野を養う必要があるので、啄木と関係の深かつた同時代の文学者との交渉を調べ、当時の文壇に即して両者の相互影響なり、文学史上の諸問題を究明する仕事が学生には一番適当なテーマであるように思う。
    • たとえば森鴎外の観潮楼歌会や「スバル」を中心とする作家群像と啄木の関係をまとめる仕事。
    • さらにアララギ派と啄木との関係。茂吉と啄木の関係。
    • 啄木の編集した「スバル」第二号で問題となつた、平野万里との「短歌論争」を扱うのもテーマとしては面白い。
    • 大逆事件を契機とする平出修や、土岐哀果との関係を探る仕事。
    • 「明星」を中心とする与謝野鉄幹との交渉、与謝野晶子の啄木に与えた影響とその関係。啄木と北原白秋若山牧水と啄木。西山陽吉、魚住折芦。
  • 啄木研究のテーマとして奨めたい問題はそのほか、明治四十三年から四十四年にかけて東京朝日新聞や、東京毎日新聞に発表された啄木短歌を克明に調査して、その抒情の進化を探る仕事がある。啄木の短歌を論じる場合、これらの新聞を舞台として広く民衆に結びついていつた彼の作品の性格を検討することは、今後に残された重要な問題であろう。                                    


2017-09-03

[] 石原裕次郎「錆びたナイフ」 啄木の詩がモチーフ

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[コアカソ]


〇 「一握の砂」 BS朝日(Ch.5) 放送予定

「暦を歩く #133「一握の砂」(北海道函館)」

2017年9月10日  20:54 〜 21:00 (6分)


  • 番組概要

   砂山の砂に腹這い 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日


  • 番組詳細
    • 岩手県生まれの石川啄木は、故郷で創作に励みながらも、生活には窮していました。そんなときに救いの手をさしのべてくれたのが、北海道にいた仲間たちでした。啄木は津軽海峡を渡り、函館で充実した日々を過ごし、さらなる創作にいそしみます。
    • 啄木の第一歌集「一握の砂」には、初秋の函館で詠まれた数々の詩がおさめられています。石原裕次郎が歌った「錆びたナイフ」は、啄木の詩がモチーフだといわれています。

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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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