啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2018-01-31

[] ホームシックは万国共通 《ふるさとの訛なつかし》 石川啄木

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[シナアブラギリ]


「新大久保で耳を澄ます」(天声人語)

  • 「事故防止のため階段や通路は右側を歩いて下さい」。東京のJR新大久保駅で は構内放送を20以上の言語で流す。駅の案内に使う外国語の数では世界でも指折りの多さだろう。発案者は前駅長の阿部久志さん。きっかけは「外国人客が右往左往する。人の流れを円滑に」と商店街などから求められたこと。改札や切符売り場でのやり取りを通じ、日本語のおぼつかない留学生の多さはかねて実感していた。
  • 駅に近い日本語学校に協力を頼み、在校生に母語で放送文を読み上げてもらった。3年前、構内で放送を始めると、共感する声がネットで世界に広まった。
  • 「ホームシックは万国共通です。親元を離れて日本へ来て、懐かしい言葉を聞けばどれだけ励まされるか」と阿部さん。
  • 〈ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場(ていしゃば)の人ごみの中に そを聴きにゆく〉石川啄木。駅の人ごみの中に、そを聴く若者が幾人もいる気がした。

(2018-01-31 朝日新聞)


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2018-01-30

[] 光子を通して見た啄木 石川啄木記念館企画展 1/30〜5/13

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石川啄木記念館 企画展

 新収蔵資料展「啄木の妹・三浦光子」

  • 開催期間 平成30年1月30日(火)〜平成30年5月13日(日)
  • 入館料・料金 一般:300円 高校生:200円 小中学生:100円 ※市内に住所がある65歳以上と小中学生は無料
  • 場所 石川啄木記念館展示室 企画展示コーナー

啄木の妹・三浦光子の手紙を中心に、平成27年度以降当館に寄贈があった資料を公開します。

光子は啄木の2歳下の妹です。啄木の死後、著書『悲しき兄啄木』を執筆するなど啄木顕彰にも力を注ぎました。光子が川崎むつを(元青森県啄木会会長・歌人)に宛てた手紙約30点を展示しながら、光子を通して見た啄木についても紹介します。

その他、近代文学研究家・浦田敬三氏寄贈資料(石川啄木関連記事スクラップ帳)なども展示します。

この機会にぜひお越しください。


記事



  • 石川啄木記念館
    • 〒028-4132 岩手県盛岡市渋民字渋民
    • TEL:019-683-2315 FAX:019-683-3119


2018-01-28

[] 岩手の文学「賢治や啄木だけじゃない」

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[ユーカリ]


「天地人」[東奥日報]

  • 「青森といえば太宰や寺山はすごいね」「いやいやそちらには賢治や啄木がいるでしょう」。お隣岩手の友人とは、互いの古里を代表する文人を褒め合って盛り上がる。もちろん、青森代表は太宰治と寺山修司、岩手代表は宮沢賢治と石川啄木。いずれも世代を超えて愛され続け、日本を代表する小説家、詩人、歌人である。
  • その岩手の文学が「賢治や啄木だけじゃない」とばかりに、新しい才能の出現に沸いている。遠野市出身で63歳の若竹千佐子さんが、方言を駆使した「おらおらでひとりいぐも」で芥川賞を受賞した。
  • 「おらおら−」の題は、宮沢賢治の「永訣(えいけつ)の朝」の詩句に由来する。同じ日に直木賞を受賞した門井慶喜さんの「銀河鉄道の父」は賢治と父との関係がテーマだ。賢治の影響力も感じさせた受賞だった。

(2018-01-28 東奥日報)


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2018-01-26

[][] 漫画家3人展「啄木・賢治」の書き下ろしも

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[イヌツゲ]


ゆかりの漫画家知って 啄木・賢治青春館で作品紹介

  • 盛岡市中ノ橋通のもりおか啄木・賢治青春館は企画展「盛岡ゆかりの漫画家3人展 田中美菜子×竹谷州史×そのだつくし」を開いている。盛岡の文化風土の中で生まれ、作家の個性が光る漫画作品を紹介している。4月15日まで。
  • 岩手を題材にした漫画作品集「コミックいわて」などに掲載されたそれぞれの作品から、同市などが舞台となっている場面を中心に抜粋し、パネルで展示。「啄木・賢治」や「盛岡三大麺」をテーマにそれぞれが書き下ろした漫画もある。

(2018-01-25 岩手日報)


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2018-01-24

[] 14人の石川啄木が出ている・・・ 

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[キンカン]


埼玉とともに

 支局開設90年・県版発行100年 人気コーナー「歌俳欄」 選者に聞く /埼玉

毎日新聞埼玉版で現在毎週木曜日に掲載している通称「歌俳欄」は半世紀以上続く長寿の人気コーナーだ。投稿数は毎週200通、年間で1万通にも及ぶ。短歌の水野昌雄さん、俳句の星野光二さん、川柳の石川蝶平さんの選者3人にそれぞれの魅力を聞いた。


 ◎短歌・水野昌雄さん 庶民と時代の歴史に

  • 「毎日新聞埼玉版の歌壇は、庶民の精神史と同時に時代の歴史にもなっている。非正規労働者とか、政治的なこととか。自分のことと時代のこと、それがずっと出ています」
  • 「この歌壇を基に一つの戦後史が書けるんじゃないかと思うくらいでね。夜勤の仕事とか、現代の庶民の縮図みたいな。毎週14首掲載ですが、14人の石川啄木が出ている感じです。働けど働けど楽にならない暮らしとか、でもそれなりに未来に希望を持って、とかね。それと批判精神がこの歌壇の特徴だと思う」

 ○掲載短歌から選ぶ

  休憩所夜勤の若きはそれぞれにケータイ見つめ言葉交わさず 鳩山・小森きよし

  非正規の労働ふえて当然と超勤時間定まりてゆく 鴻巣・佐久間正城

  憲法を守るべき総理が声高に改正叫ぶ不思議な日本 行田・永沼規美雄


 ◎俳句・星野光二さん 今を詠むことが大事

  • 「俳句はね、今を詠むってことが大事なんです。今っていうのは短い今。うんと縮めると瞬間になるわけで。例えば大根をスパッと切った時、切り口から汁がしたたり落ちる。まさに瞬間ですよね」

 ○昨年の印象に残る句

  行く道やどこを通るも春隣 川口・平山繁寿

  俎(まな)板に春菜を刻む朝の音 入間・亀川節

  列島を飛び出しそうに夏燕(つばめ) 坂戸・浅野安司


 ◎川柳・石川蝶平さん 日常の喜怒哀楽を

  • 「川柳の歴史は、柄井川柳が生まれてから今年でちょうど300年、昨年は彼が川柳を始めて260年になります。彼は連歌で生活を立てていたんですが、それで飽き足らなかったっていうんでしょうかね。今で言うベンチャー企業を興したんですね」

 ○過去10年から選ぶ

  残り火を消さずにおこう明日がある さいたま・黛衛和

  最高の化粧笑顔に負けている 朝霞・石原洋子

  履歴書に書けない笑顔武器とする 久喜・岡田孝道

 【松下英志】

(2018-01-24 毎日新聞)



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2018-01-23

[] 啄木の愛人(?)小奴の肉声が収められたテープ見つかる

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[キンズ]


HTB NEWS

 石川啄木の「釧路の愛人」不倫じゃなかった!?

  • 明治を代表する歌人の一人・石川啄木。北海道の釧路に赴任中に「小奴」という芸者の女性と恋に落ちたとされていますが…新たにみつかった小奴の肉声から定説を打ち消す内容が分かりました。
  • 「小奴といひし女のやはらかき耳たぶなども忘れがたかり」…小奴は、啄木が通っていた料亭で働いていた女性。このとき啄木は、単身赴任で妻と子を小樽に残していました。「恋多き男」…長い間そう考えられていました石川啄木ですが、地元の研究者らがこの通説に疑問符を投げかけました。約5年前に小奴の肉声が収められたテープがみつかったのです。それは、1962年6月に市内で当時の研究者らが行った71歳になった小奴のインタビュー。

その内容とは…


小奴(肉声)

「機会があったら奥さんこっちに呼んだほうがいいですよ。奥さんと友だちにしてもらって遊びによせてよ」と言ったら、啄木は「ああ、来てちょうだい」って。そんなふうだから「あなたのこと好きだとか嫌いだとかいう話はただのいっぺんもしたことない。私たちの仲はね」

  • 釧路啄木会の北畠立朴会長「そういう関係ではないとことをはっきり主張している貴重な資料だと思う」
  • アナウンサー「しかし、啄木が小奴をどう思っていたかは謎のまま。110年の時を経てもなお、人間啄木の研究は尽きることはありません」

(2018-01-22 北海道テレビ)


HTB NEWS(小奴の肉声が入る)



2018-01-22

[][] 啄木と交流した文人たちが残したもの・交流の様子 2/20〜6/11

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[クリスマスローズ]


盛岡てがみ館

 第55回企画展「文人たちから見た啄木」

  • 開催期間 2018年2月20日(火)〜6月11日(月)
  • 場所 盛岡てがみ館 展示室

盛岡出身で、日本を代表する歌人である石川啄木。啄木は短い生涯の間に、母校・盛岡中学校の同窓生をはじめ、東京新詩社や苜蓿社の同人など多くの文人たちと交流しました。啄木は文人たちから文学的影響を受けるだけでなく、彼らに自身の生活苦を支えてもらうなど、その生涯は、文人たちとの交流がなければ成り立たないものでした。

本展では、啄木と交流した文人たちが残した資料を展示し、彼らの啄木に対する思いや、交流の様子を紹介します。


記事


  • 盛岡てがみ館
    • 〒020-0871 岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-10 プラザおでって6階
    • TEL/FAX:019-604-3302


2018-01-21

[] 啄木しのぶ「雪あかりの町」釧路

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[サンドピクチャー]


かるたで感じる啄木の足跡 釧路で「雪あかりの町」 古里岩手の「せんべい汁」も

  • 漂泊の歌人・石川啄木が釧路停車場に降り立った1908年(明治41年)1月21日を記念したイベント「啄木・雪あかりの町・くしろ」が20日、釧路市南大通周辺で開かれた。訪れた人々は手作りキャンドルの幻想的な光とともに、啄木が詠んだ歌のかるた大会などを満喫した。
  • 釧路川沿いの港文館で開かれたかるた大会には市民らが入れ代わり立ち代わり参加。啄木が詠んだ100首の歌の札を取り合った。港文館では啄木の歌を写す拓本体験会も開かれたほか、南大通には啄木の古里・岩手県の名物「せんべい汁」を味わえる屋台も登場。市民らは啄木に思いをはせながら楽しんでいた。

(2018-01-21 北海道新聞)


記事



来釧110年歌人啄木しのぶ【釧路】

  • 今年は啄木の来釧110年。啄木像の前で行われる恒例のキャンドル点灯式では、啄木と芸者小奴に扮した地元のお二人が火を灯した。会場にはアイスキャンドルなども多数並べられ、幻想的な雰囲気に包まれた。
  • 会場周辺では屋台も出店。訪れた市民らは、啄木をしのびながら冬の夜のイベントを楽んでいた。

(2018-01-21 釧路新聞)


記事



2018-01-18

[][] 直木賞『銀河鉄道の父』に出てくる石川啄木

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[カモメ]


第158回直木賞 受賞作 

 『銀河鉄道の父』 著者 門井慶喜 講談社


7 あめゆじゅ

小学生のころは、教室で、担任の八木先生にエクトール・マロ『家なき子』を読んでもらって感動した。感動のあまり自分でも話をこしらえて寝る前にトシに聞かせたりした。それはしばらく措くとしても、

──ものを書く。

という行為に本気であこがれたのは、中学二年生の二学期だったろう。東京の東雲堂書店より刊行された石川啄木の第一歌集『一握の砂』を読んで、

(すごい)

衝撃を受けたのがきっかけだった。

石川啄木は、本名一(はじめ)。

盛岡中学校の先輩である。賢治よりも十年はやく生まれているから在学期間はかさならないが、素行がわるく、授業をなまけ、五年生のとき退学したことは伝説になっていた。退学の理由についても、

「恋愛したらしい」

だの、

「代数の試験でカンニングをしたんだ」

だのいう噂があったけれど、とにかく東京で本を出したというのは、岩手では金無垢の成功者にほかならない。賢治は「岩手日報」紙の記事を読んで関心をもち、一冊もとめ、そこにおさめられた五百首以上に接したのである。

(これが、時代だ)

胸が全焼した。


   学校の図書庫(としょぐら)の裏の秋の草

   黄なる花咲きし

   今も名知らず


   不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて

   空に吸はれし

   十五の心


という歌に、ああ、あの場所か、わかるわかると優越感を抱いたなどという単純な話ではない。誰にもあるこころのゆれを誰にもわかる平易なことばで、しかも三行の分かち書きという斬新なかたちで、永遠に紙の上に定着したことに自由の風を感じたのである。それまでの詩歌というのは漢字が多く、音韻をもてあそび、こころざしや感情をむりやり読者に押しつける権力の道具であるように賢治はかねがね感じていた。

それで賢治も、歌稿ノートをつくった。

いろいろ詠んでみた。啄木先輩の影響は受けなかったつもりだが、いまにして思うと、影響以前に、発想が一本調子である。


   あはれ見よ月光うつる山の雪は

   若き貴人の屍蝋に似ずや。


   せともののひびわれのごとくほそえだは

   さびしく白きそらをわかちぬ。


月や空や雲や太陽などの「天」がらみのイメージと、山や雪や木の枝などの「地」がらみのイメージの取り合わせばかり。賢治のペンは、いうなれば、垂直線しか引けなかった。 

しかしとにかく、ことばをいじるのは、

(気持ちいい)

この誘惑の穴にさらに深く落ちたのは、盛岡高等農林の三年生のときだった。九人の同級生や下級生とともに、同人雑誌「アザリア」を創刊したのだ。


(この部分要約)

 《創刊号は四十八ページ、なかなか堂々たるものだった。賢治は、短歌二十首、童話一篇を寄せた。「おらは、書ける」このことは、賢治のひそかな自信になった。イリジウム採掘やら製飴工場やら人造宝石の事業のほうが、まだしも切実だった。》


が、意識の底では、文学は消え去ってはいなかった。

清冽な湖をいただいた山がじつは地下にゆっくりと熱い岩漿(まぐま)をためつつある、そんな状態だったのかもしれない。岩漿はやがてガスを生じ、溶岩となり、火山弾と化して地にあらわれるだろう。地をゆるがし、轟音とともに噴出するだろう。

きっかけは、東京だった。


  • 『銀河鉄道の父』
    • 著者 門井慶喜 講談社 1600円+税


2018-01-16

[] 太宰治と石川啄木 小林茂雄がふたりを結んだのではないか

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[カリフラワー・ロマネスコ]


「われ道化だじゃい」①没後70太宰と岩手 明治と昭和への「惜別」

  太宰治と石川啄木 級友の小林茂雄 魯迅を仲立ちふたり結ぶ

今年は太宰治(1909―1948)の没後70年。青森県出身の太宰は啄木に感化され、盛岡出身の作家の石上玄一郎と青春に交わり、花巻出身の詩人の三田循司と師弟関係にあった。連載で岩手との縁をたぐる。題して「われ道化だじゃい」。(鎌田大介)=毎月1回連載します。

  • まず太宰と啄木の関係から。二人の生涯は、明治末のわずか4年の重なり。啄木が26歳で東京に没した1912(明治45)年に、太宰は4歳で青森県金木村におり、互いに認識はない。文学史の系譜においては断絶しているが、二人を結ぶ黒子がいる。盛中時代からの啄木の親友、小林茂雄(1886―1952)。中国文学者の魯迅の級友でもある。
  • 太宰後期の中編「惜別」は、小林の手記をもとに書かれた可能性がある。太宰は作品中1カ所だけ、城下町盛岡に親近を示しており、啄木を脳裏にペンを運んだのであろう。ただしこの作品は仙台時代の魯迅が主人公で、小林と留学生魯迅との関係をひもとかねばならない。二人は1904(明治37)年から仙台医専に机を並べた。
  • 太宰が小林の手記を見たとすれば、それはいつのことか。太宰は魯迅の事績を調べるため44(昭和19)年12月20日から、仙台市に河北新報社を訪れ4日間、仙台医専の関係者を訪ねている。その際、小林の恩師であった加藤豊治郎を取材し、魯迅にまつわる小林のメモを見せられた―との説がある。
  • 啄木記念館長の森義真氏著「啄木の親友小林茂雄」から引用する。「4日間の取材の中で、そうした着想を得る証言や資料を入手したのではないか。その資料とは、茂雄の手記もしくはメモであったのではないか。その証言は、茂雄の『メモ魔』を太宰に認識させるものであったのではないか。こうした仮説を抱いている」。
  • 森氏は啄木と太宰について、「啄木は渋民、太宰は金木で、北東北のそれぞれの地方の中心都市の近郊に生まれ、啄木は盛岡中学、太宰は青森中学で文学に目覚め、身を立てようとした。啄木は晩年、太宰は若い頃に左翼思想に共感し、東京で挫折した。啄木は渋民、太宰は津軽を思い続ける望郷の文学を残したことは共通している。最も違う点は、啄木は経済的に裕福でない家のひとりの男子として大切にされ、太宰は富豪の家の六男、津軽の言葉でオズカスとして育てられたこと」と話す。二人の文芸批評上、示唆に富む。
  • この他、太宰は「ヴィヨンの妻」で「石川啄木という大天才」と、「津軽」で「東海の小島」の歌を引き、オマージュとしている。

(2018-01-16 盛岡タイムス)


記事



2018-01-15

[] 文芸誌「視線」『一握の砂』−その成立と構造の考察」

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[トベラ]


近藤典彦さんの「一握の砂」論考掲載 文芸誌「視線」8号【函館】

  • 函館の文芸誌「視線」(和田裕編集長)の第8号がこのほど、完成した。巻頭には特別企画として、元国際啄木学会会長の近藤典彦さんが「『一握の砂』−その成立と構造の考察」と題した論考を寄せた。
  • 近藤さんは啄木来函110年の節目の昨年9月、函館で講演したほか、啄木の歌集「一握の砂」「悲しき玩具」の解説本を出版。視線に掲載した論考では、歌集の出版が決まってから「一握の砂」として完成するまでの収録した歌の変遷を追った。
  • A5判、143ページ。一部500円で、三省堂書店(川原町4)で販売している。

(2018-01-15 函館新聞)


函館新聞


『一握の砂』──その成立・構造の考察──近藤典彦 (啄木の息)

『「教科書に掲載されている啄木の歌」栁澤有一郎 (啄木の息)


2018-01-11

[][] 「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」啄木 1/20

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[カレイドスコープ]


啄木来釧110年盛大に 20日にイベント「雪あかりの町」

  • 1908年(明治41年)1月21日に歌人・石川啄木(1886〜1912年)が釧路停車場に降りたってから今年で110年。来釧記念日前日の20日には、ゆかりの地を氷のキャンドルで照らす「啄木・雪あかりの町・くしろ」が市内大町の港文館や南大通周辺で開かれる。イベントは今回で15回目を迎え、主催する実行委員会は「一緒に節目を盛り上げて」と来場を呼び掛けている。

  「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」

  • 啄木は、釧路に到着した夜の情景をそう詠んだ。旧釧路新聞社(北海道新聞社の前身の一つ)の記者として赴任した啄木は、現在の南大通にあった下宿で暮らし、4月5日まで76日間釧路に滞在した。
  • 啄木・雪あかりの町・くしろは、旧釧路新聞社の社屋を再現した港文館で午後2時半開始。啄木の歌を詠む詩吟のミニ公演に続き、釧路啄木会の北畠立朴会長の講演会、啄木かるた大会(当日参加可)を開く。
  • 港文館前広場では午後5時から点灯式。南大通周辺の市道延長約400メートルを氷のキャンドルと紙袋で作るランタンで照らし、沿道には啄木の故郷岩手県の郷土料理「せんべい汁」やラーメンなどの屋台、橋南西会館内にはワインやチーズを味わう「バル」を開設する。啄木が歩いた夜道を散策しながら、飲食を楽しめる毎年人気の企画だ。

(2018-01-10 北海道新聞)


記事



2018-01-10

[] 文芸誌「視線」 「教科書に掲載の啄木歌」 <その2 おわり>

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[ヤツデ]


◎文芸誌 「視線」第8号 2018.1 <その2>

 (「視線の会」発行 坂の町 函館から発信する 新しい思想 新しい文学 新しい生活)


評論『「教科書に掲載されている啄木の歌」

  栁澤有一郎


研究の目的

  • 今回、調査するにあたり、小学校・中学校・高校の全校種を対象とし、掲載されているすべての作品について調査することにした。
  • 現行教科書のあらましを知るとともに、校種別の差異や、校種間のつながりを確認するためである。この調査から得られた知見は、石川啄木の学校教育の中での位置付けを浮かび上がらせることになるだろう。

調査・研究の方法 (略)

調査結果

 小学校

  • 小学校の教科書に掲載されている近代以降の短歌は38首。多い順に見ると、与謝野晶子 6首、石川啄木 5首、正岡子規・俵万智 4首。

 掲載数の多い作品

  金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に  与謝野晶子(4点)

  くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる  正岡子規(2点)

 啄木歌

  • 他の歌人が特定の作品に偏る傾向があったのに対し、啄木の5首はすべて異なる作品。

  晴れし空仰げばいつも/口笛を吹きたくなりて/吹きてあそびき

  たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず


 中学校

  • 中学校の教科書に掲載されている近代以降の短歌は71首。多い順に見ると、斎藤茂吉 7首、石川啄木 6首、与謝野晶子・栗木京子・俵万智 5首。

 掲載数の多い作品

  観覧車回れよ回れ思ひ出は君には一日我には一生  栗木京子(5点)

  くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる  正岡子規(4点)

  不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心  石川啄木(4点)

 啄木歌

  やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに

  ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく


 高等学校

  • 高等学校の教科書に掲載されている近代以降の短歌は414首。多い順に見ると、与謝野晶子 46首、斎藤茂吉 44首、石川啄木 43首、寺山修司 36首。

 掲載数の多い作品

  その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな  与謝野晶子(21点)

  白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ  若山牧水(17点)

  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや  寺山修司(16点)

 啄木歌

  不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心(13点)

  いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ(5点)

  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ(4点)


調査結果をふまえて

  • 小中高を通じてもっとも多く掲載されているのは「不来方の」歌で、計18首が確認できた。小学校から高校1年までの学校教育をつうじて石川啄木という歌人を理解する根本にこの歌がもっとも関わっているといえよう。
  • 小中高で石川啄木の短歌は合計54首が掲載されており、もっとも多い与謝野晶子の57首には及ばないものの、種類においては最多である(啄木は20点、次点は晶子と茂吉の14点)。「不来方の」歌だけが突出して多いだけで、他は偏りなく掲載されている。すなわち、学校教育で学ぶ歌人の中で、さまざまな作品をとおして人物像に迫る機会は石川啄木がもっとも持つと言えるのである。


(おわり)



2018-01-09

[] 土佐の高知から「あけましておめでとう」

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[「2017年 → 2018年」 高知市 坂本龍馬像 撮影 岡林一彦さん]


龍馬さんの銅像の前で、カウントダウン。


大政奉還150年から明治維新へ。







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[「2018年 初日の出」 撮影 岡林一彦さん]


高知市 種崎の浜の初日の出。



2018-01-08

[] 大逆事件と啄木と杢太郎

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[ホワイトサローワトル]


【書評】

歌人・川野里子が読む『不可思議国の探求者・木下杢太郎 観潮楼歌会の仲間たち』丸井重孝著

  近代日本の危うさ照らす光

  • 木下杢太郎(もくたろう)とは何者であろうか? 北原白秋、斎藤茂吉、石川啄木らとともに森鴎外邸で開催された「観潮楼歌会」に集(つど)った近代を代表する文学者である。同時に、彼は世界的に著名な皮膚病の医学者であり、いち早くハンセン病の絶対隔離に異議を唱えた。
  • 本書は、杢太郎の故郷である静岡県伊東市の木下杢太郎記念館に勤務する著者が丁寧に資料を読み込みつつ、杢太郎の多彩な活動を貫く思想に迫る。
  • 圧巻なのは、大逆事件や第二次大戦に対して杢太郎が何を考え、どのような態度をとったのかを、その日記や交友、著作から丹念に拾い上げ明らかにしている点だろう。
  • 大逆事件に強い衝撃を受け社会主義に傾斜していった啄木に対し、杢太郎は「時代の流れに左右されない普遍性のある価値観の希求」をする立場から軍国主義の危うさを見ていたとする。〈日本の社会生活が各個人の自由な生活が集まって、全体の大きな調和をなす〉ことを理想とした杢太郎は、〈一様に方向を定められた個人が、国家といふ大きな重荷を背負ふて居る〉状況を批判した。第二次大戦中には空襲のさなかにも大学の授業を続けたという。
  • 文学、医学、絵画、その広範で多彩な活動を貫くものを「不可思議国の探求」と著者は名付ける。その「不可思議国」の豊かな光こそ日本近代の危うさを照らし出す光源だったのだ。(短歌研究社・2700円+税)

(2018-01-07 産経ニュース)


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2018-01-07

[] 特別企画『一握の砂』論考 文芸誌「視線」 <その1>

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[センリョウ]


◎文芸誌 「視線」第8号 2018.1 <その1>

 (「視線の会」発行 坂の町 函館から発信する 新しい思想 新しい文学 新しい生活)


特別企画 『一握の砂』論考

◯ 『一握の砂』 ──その成立・構造の考察────

  近藤典彦

『一握の砂』の成立

  • 啄木は1910年(明43)3月中旬〜4月中旬の約1ヶ月間に、啄木調を切り拓いた。作品の主な発表の場は東京毎日新聞、東京朝日新聞であった。4月2日東朝の社会部長渋川柳次郎から大きな励ましを受けた啄木は歌集の出版を考え、4月11日に編集を終えた。「仕事の後」(第1次)である。啄木調の詠出は始まったばかりである。歌集は出版できなかった。
  • しかし4月19日(推定)に作り、「創作」5月号に載せた歌々はまさしく啄木調を確立している。

   手套をぬぐ手ふと休む何やらむ心かすめし思出のあり

   かなしきは飽くなき利己の一念を持てあましたる男なるかな

   こみ合へる電車の隅にちゞこまるゆふべゆふべの我のいとしさ

   函館のかの焼跡を去りし夜の心残りを今も残しつ

   頬の寒き流離の旅の人として路問ふほどの事言ひしのみ

  • 妻の出産費用を稼ぐためにあらためて歌集出版の必要が生じた。そして8月3〜4日にあたらしい「仕事の後」(第2次)の編集を終えた。
  • 9月9日夜、時代閉塞の現状と韓国併合をきびしく批判するかれは39首の歌を作る。

   地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く

   明治四十三年の秋わが心ことに真面目になりて悲しも

   売ることをさしとめられし本の著者に道にて会へる秋の朝かな

   何となく顔が卑しき邦人の首府の大空を秋の風吹く

  • 啄木調の真価の認められる日が来た。渋川柳次郎が朝日歌壇の選者に24歳の石川啄木を抜擢したのである。
  • そして10月4日東雲堂との間に歌集の出版契約が成立した。持ち込んだ原稿は第3次「仕事の後」である。

(以下略 『一握の砂』の構造 ──著者・作品・構成──)


〇<その2>「教科書に掲載されている啄木の歌」(栁澤有一郎)へ 続く



2018-01-05

[][] 映画『苦い銭』「はたらけど はたらけど猶わが生活…」

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[キヅタ]


新作ドキュメンタリー映画ワン・ビン監督

 『苦い銭』

 ◎ヴェネチア国際映画祭 脚本賞受賞 & ヒューマンライツ賞 受賞

  • 中国の巨匠、ワン・ビン監督作品
  • 故郷を離れ彼らは言う「苦い銭を稼ぎにいくんだ」。
  • 出稼ぎ労働者が8割を占める街、中国の浙江省湖州。
  • 時給は16〜18元。1元は約17円。1日働いても3000円になればいいほど。おかしくて愛おしい、銭にまつわる人生いろいろ。
  • “ 働けど、働けど。” これがキャッチコピー。

  (石川啄木の「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」が下地と思える)


〇 2/3より全国ロードショー


予告篇



2018-01-04

[] 興味深かったのは啄木と節子の回「歴史秘話ヒストリア」

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[アラカシ]


歴史上の人物に会えるなら、あの女性に 井上あさひアナ

  • 歴史上の人物や出来事の知られざる側面に焦点を当てるNHKの「歴史秘話ヒストリア」(金曜夜8時)。2009年に始まった番組は18年4月で10年目に突入します。現在、番組の「案内役」をつとめる井上あさひアナウンサーに、お話を聞きました。

 ――スタジオ収録やロケの際、意識されていることは何ですか?

やっぱり、視聴者の皆さんと一緒に楽しむというんですかね。私の場合、いわゆる「歴女」みたいな歴史に詳しいというわけではないので、新たに知ったことに素直に感動する、それを見ている方とも楽しく共有できたらいいなと。それをナレーションなどで自分なりの表現につなげられたらいいなと思っています。

 ――特にこのテーマの回は興味深かったというのは何でしょうか?

石川啄木と妻・節子を扱った回(「妻よ、私がバカだった〜石川啄木と妻・節子〜」16年9月放送)はすごく印象深かったです。啄木が26歳で亡くなるまでを支えている面ももちろんそうですし、夫の才能にほれるという、女性としての感覚もすてきだなと思って。なんだかものすごく心に残っています。

 ――もし、歴史上の人物に話を聞けたり、歴史的な出来事に立ち会えたりできるなら何をしたいですか?

葛飾北斎の娘・お栄(えい)さん(葛飾応為)でしょうかね。あの時代に自分の芸術的な才能で生きていこうとした女性で、ものすごい才能があったわけですけど、自分の道を進もうとするのがいかに難しい時代だったかと思うと、興味があります。お栄さんのことを知って、そういう女性は普段どんな風に何を考えて生きていたのかとか、でも女性らしい柔らかいところもあったのかとか、そういうのは思いますね。

 ――新しい年も始まりましたが、これから番組でやっていきたいことは何でしょうか?

この番組は家族でご覧頂ける時間帯ではあるんですけど、夜の再放送もあります。私なんかは見ている番組に入り込んじゃうタイプなので、テーマによっては1人で見ていて少し悲しい気持ちになったり、切なくなったりする方もいらっしゃるかもしれません。そんな時、なんとなく声だけでも、ちょっとしたほっとする瞬間とか、癒やしとか、何かそういうものも含めた体温を感じるようなナレーションができたらいいですね。(聞き手・佐藤剛志)

(2018-01-01 朝日新聞)


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[] 顧客リストに啄木も 理髪店「喜多床(きたどこ)」 

漱石も啄木も ここで七三分け?

<街>

  • 今年で創業147年となる理髪店がある。移転を重ねながら街の移ろいを見つめてきた。いまは渋谷に店がある理髪店。森鴎外や夏目漱石、石川啄木……。顧客リストには名だたる文化人が名を連ねる。モノクロの写真に残る髪形は、七三分けだ。
  • 「少し前まで男性と言えばこの髪形が好まれました」。リストの持ち主で「喜多床(きたどこ)」の4代目舩越一哉さんが振り返る。1871(明治4)年創業で理髪店としては老舗中の老舗。客の頭と向き合いながら街や時代の変化と共に歩んできた。
  • 店は区画整理で立ち退くことになった。新天地は丸の内。 東京五輪の64年に、丸の内の別のビルへ移った。高度経済成長期、ビジネスの最前線で働く男たちがやってきた。ピシッと分けた七三分けはサラリーマンの代名詞だった。
  • 75年、渋谷にも店を出した。「今時の髪」は若いスタッフたちが手がける。「4代目にお願いしたいのですが」。ある日、若者から一哉さんに指名が入った。店の大半は年配客。「流行の髪形はできない。困ったなぁ」。不安まじりで尋ねると七三分けを望んでいた。「これなら得意分野だ」。ほかにも数人、平成生まれの常連ができた。「小僧時分に習った技術を生かせるのはうれしい。まだ負けられない」(向井宏樹)

(2018-01-04 朝日新聞)


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2018-01-01

[][] 新年のご挨拶!

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あけましておめでとうございます。

「啄木の息」へ訪れてくださいましてありがとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。


明治43年、23歳の啄木

前年に東京朝日新聞社に入社。苦悩のローマ字日記を書く。一人住まいから、妻、母、娘を迎えて床屋の二階に暮らす。妻の家出を経てから迎えた明治43年元日。

 明治四十三年一月一日本郷より

  金田一京助、同静江宛

[自筆の戯画ありて]

         啄木

         せつ子

芽出度々々の若松を、二もと立てゝ寿げる、年の初めののどけさや、天には瑞雲たなびき鶴がまひ、地には亀が蜜柑をくひたがる、其処へさしかゝるは高砂のぢゝとばゝ、アレ餅があるエビがはねる、どこへ向いても芽出度づくしのこの春を、遙かに祝ひ奉る、アーラこの身の果報かな果報かな

  四十三年一月一日

 金田一京助様

  同 静江様


明治四十三年一月九日本郷より 大島経男宛。

(略)とも角私は勇躍して明治四十三年を迎へました。

(略)私は私の全時間をあげて(殆んど)この一家の生活を先づ何より先きにモット安易にするだけの金をとる為に働らいてゐます、その為には、社で出す二葉亭全集の校正もやつてゐます。田舎の新聞へ下らぬ通信も書きます。それでも私にはまだ不識不知空想にふけるだけの頭にスキがあります、目がさめて一秒の躊躇なく床を出で、そして枕についてすぐ眠れるまで一瞬の間断なく働くことが出来たらどんなに愉快でせう、そして、そう全身心を以て働らいてゐるときに、願くはコロリと死にたい、──かう思ふのは、兎角自分の弱い心が昔の空想にかくれたくなる其疲労を憎み且つ恐れるからです。(略)

──かうして私は、すべて古い自分といふものを新らしくして行きたく思ひます。

  一月九日夜八時            啄木拝

 大島先生 御侍史


明治43年は、啄木にとり文学上の転機になった年です。

「新たに始める」「挑戦する」、啄木の薄れない力はここにあるようです。


本年も啄木を追いかける道を進みます。

どうぞよろしくお願いいたします。



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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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