啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2018-04-28

[] 「米沢と石川啄木」<1> 

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[シャクナゲ]


「米沢と石川啄木」 北條元一史料の「再発見」 <1>

   山崎 潔

  • 石川啄木(明治19年〜明治45年 [1886〜1912] 、岩手県南岩手郡日戸村出身、盛岡中学校中退)は、最も広く知られる歌人の一人である。米沢は、短歌の盛んな土地だが、米沢と生前の啄木との繋がりは知られていない。啄木が米沢を訪れたこともない。しかし、実は、米沢と啄木には、驚くべき縁がある。それは、48年前、米沢の耳鼻咽喉科医師、歌人、歴史研究者であった北條元一(きたじょうげんいち、明治43年〜平成22年 [1910〜2010] )が、その著作、『北條元利の生涯』(昭和45年 [1970] )において記録したものである。
  • 北條元一が、『北條元利の生涯』において記録したのは、自身の曾祖父、北條元利(きたじょうもととし、嘉永2年〜明治38年 [1849〜1905] )の足跡である。北條元利は、明治30年代に岩手県知事を務めた人物で、盛岡に過ごし、啄木だけでなく、後に啄木の妻となる堀合節子にも、意外な接点を持っていた。『北條元利の生涯』は、市立米沢図書館、岩手県立図書館、山形県立図書館、国立国会図書館などに長らく収蔵されてきたのだが、筆者の知るかぎり、啄木研究の視点で本書を引用した報告はない。私家版であったせいか、出版後ほぼ50年間、啄木研究者の目に触れることがなかったのだと思われる。

  • 北條元利は、明治33年4月(1900、5月盛岡着任)から明治37年11月(1904)まで、4年8ヵ月間、岩手県知事を務めた。当時の岩手は混沌としていた。明治29年には明治三陸地震大津波、明治35年には八甲田山雪中行軍遭難事件、記録的凶作、明治37年には日露戦争が始まった。

  • 啄木との第一の繋がりは、明治34年の「盛岡中学校最大のストライキ」に対する関与である。このストライキは15歳になったばかりの啄木に大きな影響を与えた。啄木は、校長に提出した巻紙二間半に及ぶ学級具申書を起草した一人だった。盛岡中学の混乱は、県教育最高責任者である元利の知るところとなり、元利は、期末テストを控えた校内の不穏沈静をはかるため、煽動者とみられた岡島を私邸に招き生徒達の説得を依頼した。
  • ストライキの結果、年度末には盛岡中学の教師23名中19名が更迭され、校長は休職、岡島は依願免職となった。後任の校長は、強硬な校規粛正を行い、盛岡中学の自由な校風は一変して規則ずくめとなった。これが翌年の啄木の退学の遠因となったともいう。盛岡中学ストライキに関する元利の発言が残されているかどうかは未調査だが、新校長の方針は、元利の指示に従ったものである可能性が高い。

(つづく)



〇「米沢文化」第47号 所収  2018年3月30日 発行

 ◦ 著者 山崎 潔(医師 盛岡市在住)



2018-04-26

[][] 「ふるさとの山に向ひて」 それぞれのふるさとの山を思う

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[カエデ]


『ふるさとの風の中には ―詩人の風景を歩く』

・俵 万智 著 河出書房新社

・1992年発行 1500円


「ふるさとの山に向いて」 

   石川啄木


  ふるさとの訛なつかし

  停車場の人ごみの中に

  そを聴きにゆく

この歌は、岩手県で生まれた石川啄木が、東京で作った。ふるさとのなまりがなつかしくて、駅の人ごみのなかにそれを聴きに行く―とすると、その駅は何駅でしょう? そんなクイズができそうだ。

答えは、上野駅。東北へと向かう汽車の出発点であり、東北から来る汽車の終着点である上野には、東北へ帰る人、東北から来た人たちが、たくさんいたことだろう。その人ごみの中にまぎれていると、自分の生まれ育った土地の言葉が聞こえてくる。

お国なまりというのは、東京で小説家になろうと決心していた青年石川啄木にとっては、少し気おくれがすることだったかもしれない。けれど、東京での生活を通して、逆に啄木にはふるさとのよさが見えてきたようだ。

上野駅は、東北新幹線の出発点。啄木のふるさとを訪ねる旅は、ここから始まる。

(盛岡駅、盛岡城跡、渋民駅、石川啄木記念館…、と訪れる)


宝徳寺には啄木の過ごした部屋が、そのままの形で残されている。境内には大きなひばの木。

   ふるさとの寺の畔の

   ひばの木の

   いただきに来て啼きし閑古鳥!

――と、歌われたこれがその「ひばの木」。しばらく見あげていて、そのままぐるりと境内の入口のほうへ顔を向けた。そして「あっ」。入ってくる時には気づかなかったが、お寺の真正面といっていい位置に岩手山が見える。頂上のところが、ぺちゃっと平らになっているのが、なんとも言えずあったかい感じがする。

   ふるさとの山に向ひて

   言ふことなし

   ふるさとの山はありがたきかな

この歌を口ずさむ時、人々の心の中には、それぞれのふるさとの山が思い描かれていることだろう。



2018-04-25

[] 小学校代用教員の啄木は月給8円 忖度で退職金5千万円か!

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[ハナミズキ]


風土計

  • 1911(明治44)年、夏目漱石44歳の年だから亡くなる5年前。「道楽と職業」と題した講演で、職業観を披歴している。いわく「自分のためにする事はすなわち人のためにすること」。
  • 自分が人より抜きん出ていることで人より多く仕事をして、見返りに着物をあつらえるなど、自分に足りないところを補いながら生活を持続する。人のためにする分量は、すなわち己のためになる分量−と説く。
  • 例外は「科学者哲学者もしくは芸術家のようなもの」。物の本によれば、漱石は当時、朝日新聞所属の職業作家として月給200円。公務員の初任給を基準に今の貨幣価値に換算すると、400万円に相当する。
  • 帝大出の漱石にも相応の苦難はあったにせよ「道楽本位に生活する人間」としては恵まれた部類だろう。盛岡中学を中退して渋民の小学校の代用教員になった石川啄木は月給8円。函館の小学校では12円だった
  • 国税庁長官や事務次官の退職金は5千万円前後。「人の御機嫌」への過剰な忖度(そんたく)やふらちな「道楽」が疑われる引き際にも、ご本人は適正な「分量」と思うだろうか。

(2018-04-25 岩手日報)


記事



[] 啄木『一握の砂』の復刻初版本を展示

山梨)文学作品でたどる明治150年 復刻初版本を展示

  • 日本の近代文学を代表する小説や詩集などの復刻初版本を展示した「文学作品でたどる明治150年」が、山梨県都留市の市立図書館で開かれている。明治元年から150年の節目の年を記念する企画で、初版の体裁が可能な限り忠実に再現された復刻本を手に取って見ることができる。
  • 「明治期」「大正期・昭和戦前」「昭和戦後以降」の3期にわたる展示企画で、現在は「明治期」を開催。坪内逍遥「当世書生気質」、二葉亭四迷「浮雲」、与謝野晶子「みだれ髪」、夏目漱石「吾輩ハ猫デアル」、石川啄木「一握の砂」など「新選名著複刻全集近代文学館」(日本近代文学館)として刊行された18作品と、尾崎紅葉「鬼桃太郎」など「名著複刻日本児童文学館」(ほるぷ出版)として刊行された6作品が展示されている。
  • 5月2日からは「大正・昭和戦前」の作品が加わり、「明治期」と一緒に展示される。問い合わせは市立図書館(0554・43・1324)へ。(小渕明洋)

(2018-04-25 朝日新聞)


記事



2018-04-23

[] 講座「寺山修司―啄木を追った男」5/11〜9/21

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[アカシデ]


NHKカルチャー 横浜ランドマーク教室

 講座「寺山修司―啄木を追った男」

  講師 歌人・絶叫ミュージシャン 福島泰樹

故郷渋民村(岩手県)を追われ、極貧のうちに若い命を散らした悲運の天才児・石川啄木にとって、短歌は所詮「悲しき玩具」に過ぎなかった。その天才児に憧れ「啄木になりたかった」少年・寺山修司は、短歌をもって輝かしいデビューを果たし、その一人称詩型短歌で得た方法(「私性の拡散と回収」)をもって、俳句、短歌、詩、小説、放送、演劇、映画とあらゆるジャンルを席捲した。

ともに東北出身の歌人として知られる石川啄木と寺山修司。こころの原郷である東北を軸に、寺山と交流のあった歌人がその詩魂を読み解きます。


  • 開催日時 5/11、6/15、7/20、8/17、9/21(金)15:30〜17:00

①寺山修司と石川啄木

  異境・東京 その生涯と夢

②異境としての東北

  寺山修司歌集『空には本』と石川啄木詩集『あこがれ』

③憎悪と望景としての東北

  寺山修司歌集『田園に死す』と石川啄木歌集『一握の砂』  

④非在の家族譚、瀕死の家族譚

  寺山修司未刊歌集『月蝕書簡』と石川啄木歌集『悲しき玩具』  

⑤人生最後の詩

  寺山修司「懐かしのわが家」と石川啄木「飛行機」


記事



[] 講演「石川啄木―家族の歌を中心に」5/6

第138回 明治記念綜合短歌大会

  • 平成30年5月6日(日)午後1時
  • 場所 明治神宮参集殿
  • 歌会内容:入賞歌発表 表彰
  • 講演 連続短歌講座《近現代歌人の家族詠 第1回》

 「石川啄木―家族の歌を中心に」

    • 講師:小池 光 氏
  • 会費 無料
  • 主催 明治神宮献詠会 明治記念綜合歌会

記事


2018-04-21

[] 啄木・賢治 岩手の文学者2人の魅力

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[岩手日報社刊『啄木賢治の肖像』広告(2018-04-19 岩手日報)]


『啄木賢治の肖像』

  • 阿部友衣子、志田澄子著 岩手日報社
  • 972円(税込)新書判312ページ
  • 2018年4月発行

記事


[] 「石川啄木と野村胡堂」啄木忌の講話

学芸余聞

 啄木と胡堂の交友を紹介

  • 盛岡市渋民の宝徳寺で開かれた啄木忌の講話で、県歌人クラブ会長の八重嶋勲さんが「石川啄木と野村胡堂〜青春の文学交流」と題し2人の交友を紹介した。
  • 野村胡堂は盛岡中学校(現・盛岡一高)で啄木と出会った。八重嶋さんは、胡堂宛ての学友らの手紙や胡堂の随筆、啄木の日記などを紹介。厄介な人間であったが無類の魅力を持っていたという胡堂の啄木評や、2人の往来などが見て取れる。「彼らにはこういった文学交流があって、その結果、あのように大きな足跡を残したと思う」とまとめた。

(2018-04-19 岩手日報)



[] 岩手公園の啄木歌碑からの岩手山眺望は……

岩手山、やっぱり見えず 岩手公園・啄木歌碑

  • ふるさとの山はやっぱり見えず−。盛岡市大通の岩手教育会館の低層建て替えに伴い、期待されていた岩手公園の石川啄木歌碑からの岩手山眺望の復活は、残念ながら果たされていない。観光関係者は「『山に向ひて言ふことなし』とはならなかった」と残念がっている。
  • 4階建ての新会館は高さ約18メートルで、7階建ての旧会館の半分ほど。歌碑のある同公園二の丸と同程度になったが、歌碑の前方には木々が生い茂っているほか、立体駐車場などの高層建物もあり、岩手山は一部が確認できる程度だ。
  • 歌碑から数十メートル南側に移れば樹木がなくなり岩手山を望める。

(2018-04-20 岩手日報)


記事



2018-04-20

[] 梅の鉢を火に焙りしが……〈無粋な歌〉ではなく〈すぐれた作品〉

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[ウメ]


真生(SHINSEI)2018年 no.306

 「石川啄木と花」 近藤典彦

  第十回 梅


  ひと晩に咲かせてみむと、

  梅の鉢を火に焙りしが、

  咲かざりしかな。

  • 作歌は1911年(明治44)1月17日。『悲しき玩具』所収。
  • 句読点のある三行書短歌ですから、『一握の砂』ではなく、『悲しき玩具』の一首です。
  • わたくしは60年以上にわたって、この歌を啄木にあるまじき無粋な歌だと思ってきました。
  • ところが昨年4月、碓田のぼるさん(すぐれた啄木研究者・歌人)と歓談していたとき、談たまたま掲出歌に及びました。碓田さんはこれはいい歌だと思うと言われました。間髪を入れずわたくしも「ほんとにこれはいい歌ですね」と応じていました。目からうろこが落ちたと言おうか、開眼したと言おうか不思議な瞬間でした。わたくしの評価は瞬時の直観でした。その後一年間直観を検証する時間はありませんでした。碓田さんのご示教も参考にしながら、本稿ではじめてこの歌と腰を据えて向き合うことになりました。
  • 啄木晩年の親友に丸谷喜市という人がいます。この人がこんなことを書いています。

(明治44年1月3日、啄木を)訪ねたとき……のことである。正月に備えて床の間にしつらへた梅の木の鉢を指して、啄木の言ふには『君、ひと晩のうちに之を咲かせやうと思つて盛んに部屋を暖めて見たが、やはり駄目だった。』これは其のまゝ歌になつて、『悲しき玩具』に載せられてゐる。(そしてこのあとに掲出歌が引かれています。)

  • 1911年1月という月は、啄木の生涯でもっとも緊張した日々であったといえるでしょう。年末極秘裏に公判が結審したばかりの幸德事件(天皇暗殺計画事件)について啄木は1月3日に情報を得、1月13日からは土岐哀果と二人で時代閉塞の一角を打ち破るべく、「樹木と果実」という雑誌の創刊を企てます。それにしても、と啄木は考えます。あまりに重苦しい時代閉塞の現状よ!と。
  • 1月17日、雑誌社から頼まれた短歌を作っていて、ふと梅の鉢に目をやったようです。見るとつぼみはすっかりふくらんで、今にも咲きそう。
  • 梅の木は自ずから咲く日のための営みをしていた。自分にできることは、外から手を加えることではない、花が美しく咲けるよう丹精してやることだ。こう思ってかれは反省し苦笑したことでしょう。そして作ったと思われるのが掲出歌です。
  • 1月24日の日記にこうあります。

  梅の鉢に花がさいた。紅い八重で、香ひがある。

  • 啄木はこんな時代状況の中で、強権(威嚇的な権力)と対峙し鋭く批判しつつ、多くのすぐれた文学作品を遺しました。掲出歌もそうした作品の一つです。
  • わたくしは60余年の誤読を以上のように訂正しました。

<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2018年 no.306 季刊>(華道の流派)



2018-04-19

[] 「啄木短歌の魅力―推敲を中心に」啄木忌前夜祭講演会 開かれる

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[オオデマリ]


推敲に無二の感性

 啄木忌前夜祭 池田功さん講演

  • 啄木忌前夜祭は盛岡市の市民文化ホールでこのほど開かれ、国際啄木学会会長で明治大教授の池田功さんが「啄木短歌の魅力―推敲を中心に」と題し講演した。
  • 池田さんは啄木の歌稿ノートや新聞・雑誌などが初出の歌から「一握の砂」「悲しき玩具」収録の歌の変更点に着目。漢字をより難しい漢字に▽平仮名から漢字に▽「ごとき」の比喩に▽繰り返し記号をやめる―などの9項目で、推敲の法則を探った。
  • 漢字変換などの項目では適用されないケースも多く、パターンがないと推定。「その時その時の感性で推敲していた。だからこそまねができない」と評した。
  • オノマトペの豊かさも指摘。池田さんは「『一握の砂』は擬声語と擬態語が半々だったが、『悲しき玩具』は擬態語が90%以上になる。『一握の砂』は動的な聴覚の世界、『悲しき玩具』は静的な視覚の世界と言える」と論じた。

(2018-04-17 岩手日報)



[] 講演会「我が友 石川啄木」啄木のふるさと・渋民にて 6/9

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[2018啄木祭チラシ]


2018啄木祭

 「我が友 石川啄木」

  • 開催日 平成30年6月9日(土) 13:30開演 (13:00開場)
  • 場所 姫神ホール(盛岡市渋民文化会館)
  • 講師 ロジャー・パルバース氏(作家・劇作家・演出家)
  • 料金 前売1,000円 当日1,300円

今年は、作家や劇作家、演出家として知られるロジャー・パルバースさんを講師に、「我が友 石川啄木」と題し講演していただくほか、石川啄木記念館館長と「啄木からのメッセージ」をテーマに対談します。ロジャー・パルバースさんは、これまでも国内各所でも多数ご講演されており、流暢な日本語でダジャレもお好きなそうです!

当日は地元の渋民小学校鼓笛隊や渋民中学校吹奏楽部による演奏、コールすずらんによる合唱で舞台を盛り上げます。

〇なお同日、石川啄木記念館・中庭の旧齊藤家では、10:00〜13:00まで裏千家「丹しょう会」によるお茶席を開催しております。

『午前中は石川啄木記念館でお茶席を楽しみ☆午後は姫神ホールで啄木祭を楽しむ♪』そんな一日はいかがですか? この機会にぜひ、啄木のふるさと・渋民にお越しください。


記事



2018-04-16

[] 啄木の現存する最も古い短歌を記すノート など展示-函館市文学館 ~10/2

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[ツクシ]


企画展「啄木の短歌〜その変遷を辿る〜」

  • 函館ゆかりの歌人で詩人の石川啄木の短歌に関する史料を年代順に展示し、啄木短歌の変遷をたどる。
  • 啄木の残した歌集は「一握の砂」と「悲しき玩具」の2冊のみ。しかし、これ以外にも新聞や雑誌に掲載されたものや日記、書簡、歌稿ノートにも数多くの短歌が残っている。
  • 企画展では、現存する最も古い啄木の短歌が記されている盛岡尋常中学校時代に友人らと回覧したノート「爾藝多麻(ねぎたま)」{*注}や、生涯最後のものとされる短歌が書かれた、亡くなる年に東京から函館の友人岩崎正あてに送ったはがきなど、直筆資料11点とカラーコピー7点を合わせ、年代順に展示。

函館市文学館

 企画展「啄木の短歌〜その変遷を辿る〜」

  • 日時 2018年4月8日〜 10月2日(火)
  • 場所 函館市文学館2階石川啄木展示室

(北海道新聞)


記事


{*注}啄木研究界では一般的に「爾伎多麻(にぎたま)」と表記。


[] 啄木忌に「銭形平次」の作家・野村胡堂と啄木の交流を紹介する講演会も

色あせぬ啄木しのぶ

  • 玉山村(現・盛岡市)出身の石川啄木の命日にあたる13日、恒例の「啄木忌法要」が盛岡市渋民の宝徳寺で行われ、地元関係者や啄木ファンら約100人が参列した。
  • 宝徳寺は啄木が少年時代を過ごし、歌碑や啄木の父・一禎(いってい)の墓があるなど、ゆかりの深い寺として有名だ。「銭形平次」で知られる紫波町出身の作家、野村胡堂と啄木の青春時代の交流を紹介する講演会も行われた。
  • 啄木関連の行事は今後も予定されており、6月9日午後1時半からは、盛岡市渋民文化会館で「啄木祭」が開かれる。日本文学の研究、翻訳をしている米国出身の作家ロジャー・パルバースさんが「我が友 石川啄木」と題して講演する。問い合わせは、石川啄木記念館(019・683・2315)へ。

(2018-04-14 読売新聞)


記事



2018-04-14

[] 「啄木忌」多くの人に愛されて

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[4/12「啄木忌前夜祭」講演中の池田功国際啄木学会会長(撮影:山田武秋氏)]


107回目の「啄木忌」/岩手・盛岡市

  • 4月13日は、歌人・石川啄木の命日です。啄木の故郷、盛岡市の渋民では107回目となる啄木忌が行われ、今も多くの人に愛される啄木の生涯に思いを寄せていました。
  • 命日に合わせ啄木忌の法要が営まれた盛岡市渋民の宝徳寺は、啄木が18歳までを過ごした場所です。13日には関係者やファンなどおよそ100人が集まり、焼香をして祈りをささげました。そして地元のコーラス隊「コールすずらん」が啄木の短歌にメロディをつけた曲の合唱を披露しました。
  • (合唱メンバー)「死ぬときは渋民でという思いを込めて啄木自身はこの歌を作ったが、実際はそれが実現できなかった。だから彼の思いを込めて歌いました」
  • 合唱や詩吟だけでなく、世界18か国15言語に翻訳され出版されるなど、さまざまなカタチで多くの人に愛され続けている啄木の作品。集まった人たちは、啄木が歩んだ生涯を想像しながら、改めてその人柄や作品に思いを馳せていました。

(2018-04-13 IBC岩手放送)


記事



[] 郷土の歌人をしのぶ

啄木しのんで第107回忌法要

  • 石川啄木の第107回忌法要は、宝徳寺で営まれ、短い生涯で数々の作品を残した郷土の歌人をしのんだ。参列者は読経に続いて焼香し、遺影に向かって手を合わせた。
  • 啄木祭実行委員会は6月9日、同市の姫神ホールで啄木祭を開催し、作家・劇作家・演出家のロジャー・パルバースさんが講演などを行う。

(2018-04-14 岩手日報)



[] 「啄木忌法要に参加できることは意義深くありがたい」

啄木忌法要

 命日にファンら100人 盛岡 /岩手

  • 石川啄木の命日にあたる13日、「第107回啄木忌法要」が啄木の出身地、盛岡市渋民にある宝徳寺で営まれた。
  • 盛岡市玉山地区の三つの寺の僧侶たちが読経する中、参列者が焼香した。その後、地元のコーラスグループ「コールすずらん」が啄木の短歌に曲を付けた歌を披露し、地元の玉山吟詠会は啄木の短歌を吟じた。
  • 会結成時から約30年間、法要での献吟を続ける玉山吟詠会の右京富弥会長は「法要に参加できることを意義深く感じている。非常にありがたい」と話した。【鹿糠亜裕美】

(2018-04-14 毎日新聞)


記事



[] 啄木の故郷盛岡と文京区との交流進む

107回啄木忌 遺徳を次代、全国へ 終えんの文京区と縁 望郷の歌人を語らう

  • 第107回啄木忌法要が13日、盛岡市渋民の宝徳寺で営まれた。
  • 啄木祭実行委員会の竹田孝男委員長は、「啄木の短歌を中心とした作品は世界に広がり、現在15言語18カ国において翻訳され、多くの読者を得ている。特に地方から都会に出て行った人々が啄木のふるさとを思う望郷の歌に共感を抱いているといわれる。昨年秋には『東北おんば訳 石川啄木のうた』の本も出版され、大船渡で気仙語に翻訳され、震災からの復興に重ね合わせて大きな話題になった。あらためて言葉の力を実感する」と式辞を述べた。
  • 盛岡市の谷藤裕明市長を代理し、藤尾善一副市長が、「記念館で啄木の魅力をさらに発信できるよう、玉山地域の博物館としてもより皆さまに親しまれるよう活動したい。新たに整備検討を進める施設も新しい魅力を情報発信できるようにしたい。啄木終えんの地、東京都文京区では啄木文の京講座など交流を進めているが、8月にはさんさ踊りに合わせた文京区民ツアーがあり、両市の友好都市の盟約締結へ関係をさらに深めていきたい」と述べ、盛岡市として顕彰と交流に力を入れる考えを示した。

(2018-04-14 盛岡タイムス)


記事



[] 石川啄木の終焉の地の播磨坂

コラム(社会)

 四季の花咲く「幻の環3」 播磨坂 
今昔まち話

  • なだらかに500メートルほど続く坂道を、桜の木々が包み込んでいる。東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅(東京・文京)から徒歩約5分にある「播磨坂」。3月下旬から4月上旬にかけてこの場所で開かれる「文京さくらまつり」は、40年以上地元に愛され続けてきたイベントだ。
  • 「この坂道は江戸時代にはなかったんですよ」。3月末、区の観光ボランティアガイド、野崎和彦さんが播磨坂の歴史を説明すると、参加者は感心した 様子で聞き入った。
  • 「播磨坂」の誕生は戦後。もともとは戦災復興事業で、都心を円形に結ぶ環状道路の一つ「環状3号線」の一部区間として開通したのだ。港区から江東区までをぐるっと結ぶはずだったが、前後につながる道路は未完成のまま、歳月が流れた。「幻の環3」とも呼ばれる理由がここにある。
  • 現在の姿になったのは、1995年。半世紀前に住民が植えた約120本の桜並木が成長し、今では四季折々の花が咲く。
  • 茗荷谷駅周辺はお茶の水女子大、拓殖大、跡見学園女子大などのキャンパスが集中する文教地区として知られる。文京区にゆかりの文人が多く、中でも歌人・石川啄木の終焉(しゅうえん)の地は播磨坂近くにある。最後に詠んだとされる2首の歌を刻んだ歌碑と、顕彰室を建設し、生涯を振り返っている。

(2018-04-14 日経新聞)


記事



2018-04-13

[] きょうの啄木忌に望郷の思いを

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[シャガ]


〈四季〉

 石川啄木は新聞社を転々とした

  • 石川啄木は新聞社を転々とした。
  • 〈かの年のかの新聞の/初雪の記事を書きしは/我なりしかな〉〈京橋の滝山町の/新聞社/灯(ひ)ともる頃のいそがしさかな〉〈みすぼらしき郷里(くに)の新聞ひろげつつ、/誤植ひろへり。/今朝のかなしみ。〉。啄木は、函館日日新聞、北門新報、小樽日報、釧路新聞を経て、東京朝日新聞の校正係となる。
  • 岩手県渋民村の小学校を首席で卒業した俊英は、16歳で盛岡中学校を中退。26歳で早世するまでの10年間は、まさに生活苦でじっと手を見る日々。石をもて郷里を追われた「天才詩人」は、生活破綻者であり、社会からのつまはじき者であった。
  • 啄木の歌に「道を踏みはずした人間のやるせない直情」を見るのは作家の嵐山光三郎氏。その哀切が人の心をつかむ。肺結核で死の間際、心は愛憎半ばする故郷へ向かった。〈今日もまた胸に痛みあり。/死ぬならば、/ふるさとに行きて死なむと思ふ。〉。きょうの啄木忌に望郷の思いを重ねる人も多かろう。

(2018-04-13 日本農業新聞)


記事



2018-04-11

[] 企画展 夭折した若き天才歌人 啄木 ほとばしる情熱と故郷への想い

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[「啄木漂泊の旅」展]


もりおか啄木・賢治青春館 第79回企画展

 「啄木漂泊の旅」展

  〜啄木とぶんきょう―たかく飛んだ!26年―より〜

  • 2018年4月21日(土)〜7月8日(日)
  • 会場 もりおか啄木・賢治青春館 2階展示ホール
  • 入場料 無料

現在の盛岡市に生まれ、函館、札幌、小樽、釧路、東京と、漂泊の中に自己を見つめ続け、その生涯を現在の文京区で閉じた石川啄木。

終の棲家となった東京への最後の上京から110年、26歳で夭折した若き天才歌人の、ほとばしる情熱と故郷への想いを辿る。


◦ 進取の気性に富み、故郷渋民では神童と呼ばれた啄木

   ふるさとの山に向ひて

   言ふことなし

   ふるさとの山はありがたきかな


◦ 挫折と困窮、自身との葛藤

   函館の青柳町こそかなしけれ

   友の恋歌

   矢ぐるまの花


◦ 札幌、小樽、釧路、そして東京へと

   ふるさとの訛なつかし

   停車場の人ごみの中に

   そを聴きにゆく


〇 ギャラリートーク

  • 2018年5月19日(土) 午後2時〜3時30分
  • ゲスト 外岡秀俊氏


  • もりおか啄木・賢治青春館
    • 住所: 〒020-0871 岩手県盛岡市中ノ橋通1丁目1−25
    • 電話: 019-604-8900


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2018-04-10

[] DVD制作 啄木と樹人のコンサート 秋田県鹿角市

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[DVD「啄木と樹人ふるさとコンサート in 常照寺」]


昨年の啄木と樹人ふるさとコンサート 実行委がDVD制作 鹿角

  • 昨年10月に秋田県鹿角市十和田毛馬内で開かれ、好評だった「啄木と樹人ふるさとコンサート in 常照寺」。主催した実行委員会(勝又幹雄委員長)ではコンサートを記録・保存し、広く地域住民に見てもらおうと、DVDを制作した。
  • コンサートは、近代日本を代表する歌人の一人で鹿角に縁のある石川啄木と、「おもちゃのマーチ」等の作曲で知られる同市花輪出身の小田島樹人の二人にスポットを当てて開催した。
  • 啄木の曾祖母・熊谷ヱイは常照寺で生まれ、啄木が敬慕した姉・サダは小坂鉱山の長屋で亡くなった。啄木は「鹿角の国を憶ふ歌」「錦木塚」で祖先の血が流れる鹿角への思いを詠んでいる。また、盛岡中(現盛岡一高)で啄木と1学年下の樹人との間に交遊があったことが4年ほど前に確認され、さらには啄木が鹿角・十和田湖を訪れた可能性が高いとの考察もある。
  • DVDには約2時間を収録。花輪、十和田、小坂各図書館、市先人顕彰館に1枚ずつ配置し貸し出している。各施設では実行委が作製した「啄木と樹人鹿角ゆかりの地ガイドマップ」も無料で配布している。

 

(2018-04-08 北鹿新聞)


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2018-04-07

[] “日野原重明さんは啄木ファンだったのかも”

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[イロハモミジとサクラ]


(生老病死)息をのむ、日野原さんの天晴れ 山折哲雄

  • ここはやはり、日野原重明さんの思い出からはじめよう。
  • 10年ほど前だったと思う。夜8時ごろ東京駅で 新幹線にのった。一人の老人が重そうな革かばんを両手にさげて通路を歩いてきた。隣の空席に腰をおろすと、一方のかばんを前に置き、もう一方をひざの上に横たえて、中から書類を出した。これから執筆をはじめようというとき、それが日野原さんであることに気づき、あわてて挨拶を交わしたのだった。
  • すると先生は「明日、京都で学会があり、その冒頭挨拶の文章を用意しなければならない」といわれて、仕事にかかりはじめた。横文字だった。呆気(あっけ)にとられた私は、その付き添いなしの、天晴(あっぱ)れひとり旅の姿に息をのまれ、全身シャワーを浴びせられたような気分になったことを覚えている。
  • その日野原さんが亡くなる前、俳句集を出版されていた。タイトルが『10月4日 104歳に 104句』(ブックマン社)、帯には「魂の俳句集」 とあった。開巻第一頁の第一句目をみて、私は目を見張った。

  百三歳

   おばけでなくて

    ほんものだよ

  • 三行詩である。石川啄木が和歌をつくるときに好んだスタイルだが、日野原さんは啄木ファンだったのかもしれない。(宗教学者)

(2018-04-07 朝日新聞)


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2018-04-06

[] 啄木は牧水だけには心を吐露する 

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[サクラ]


「気持ちの好い男逝く」 [西日本新聞]

   編集委員 鶴丸 哲雄

  • 「悲しき玩具」や「一握の砂」で知られる歌人、石川啄木(1886〜1912)の最期をみとったのが、同じ歌人の若山牧水(1885〜1928)だったことは、あまり知られていないのではないか。
  • 宮崎出身の牧水が岩手出身の啄木と出会ったのは、啄木が亡くなる2年前。前夜から北原白秋らと遊び回り、夕方、そろそろ帰ろうかと歩いていた道端でのことだった。もともと啄木の歌が好きだった牧水は、その時の第一印象を「恐ろしく気持ちの好(よ)い顔をした男」と記している。

  青塗(あおぬり)の瀬戸の火鉢によりかかり眼(め)閉ぢ眼を開け時を惜(おし)めり  啄木

  • だが、牧水が健康で快活な啄木の姿を見たのはそれが最後だった。その後、牧水は雑誌の編集の仕事で、病に伏した啄木のもとを訪れるようになる。最初の頃は青い火鉢にしがみつくようにして社会を論じ気炎を吐いた啄木だが、会うたびに衰弱していった。
  • 「若山君、僕はどうしても死にたくない」。啄木は牧水だけには震える心を吐露する。牧水は、啄木には買えない薬を手に入れるため金策に奔走した。明治最後の年の4月、啄木は牧水ににっこり笑いかけた後、意識を失い、息を引き取った。享年26。

  初夏の曇りの底に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり 牧水

(2018-04-06 西日本新聞)


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2018-04-05

[] 啄木忌関連イベント「猿と人」「♪レコード鑑賞会」石川啄木記念館 4/13, 4/28

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[シダレザクラ]


石川啄木記念館  啄木忌関連イベント 無料開放&紙芝居「猿と人」


  • 開催日 平成30年4月13日(金)
  • 時間 13:30〜14:00
  • 場所 記念館 ラウンジ
  • 料金 無料
  • 定員 20名

啄木の命日4月13日には、啄木が幼少期に育った宝徳寺(当館隣)で啄木忌法要が営まれます。

それに合わせて、当館ではこの日を無料開放し、紙芝居を上演します。

啄木の作品「林中の譚(りんちゅうのたん)」(エッセイ「一握の砂」)はご存知でしょうか?

当日、これをもとにした「猿と人」のお話を、紙芝居でご紹介します。

作品をとおして、石川啄木を感じていただけたらと思います。


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 春うらら♪レコード鑑賞会

  • 開催日 平成30年4月28日(土)
  • 時間 10:00〜15:00
  • 場所 石川啄木記念館中庭 旧齊藤家
  • 料金 参加無料(申し込み不要)※ただし、別途入館料が必要です。
  • 定員 定員はありませんが、先着30名様に限り、「啄木ブレンド(お菓子付)」をご用意しております。

石川啄木記念館の中庭には、 啄木が渋民での代用教員時代を過ごした茅葺屋根のお家・旧齊藤家(盛岡市指定文化財)が移築されています。

啄木が住んでいたお家で、蓄音機やプレーヤーで啄木関連の音楽を聞いてみませんか?

当日は「啄木ブレンド(お菓子付)」(展示室見学の方で先着30名様限り)も用意しています。

「啄木ブレンド」は、当館近くの喫茶緑青(ろくしょう)のマスター花坂さんに、啄木が飲んだコーヒーを現代風に再現したいただいたものです。この機会にぜひ、一緒にご堪能下さい。

春うらら♪ 啄木に思いをはせながら、ゆったりとしたひとときをどうぞ!


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[] 「啄木と表現」新日本歌人

〇 新日本歌人

 「啄木と表現」──口語と文語をめぐって 田中 礼

啄木が詩歌でそのおもいを抒べる時、どのように口語、文語を使ったかということは、啄木の継承の上で大切である。そして口語、文語の問題を考える上に、明治時代での言文一致運動が前提になってくる。それは詩歌にも大きな影響を及ぼした。


  • 短歌についてはどうか。
啄木の歌は明治四三年に入ってから、口語的発想のものが多くなる。けれども、時代閉塞の状況、日韓併合、大逆事件への反応のなかで、文語歌が現れる。これは、先の詩(「呼子と口笛」)の場合と同じであり、逆行現象のように見えるが、本質的には、むしろ画期的な作品を作ったことになる。

(16)何となく顔がさもしき邦人の首府の大空を秋の風吹く
(17)つね日頃好みて言ひし革命の語をつゝしみて秋に入れりけり
(18)今思へばげに彼もまた秋水の一味なりしと知るふしもあり


  • 啄木は瞬間(いのちの一秒)の意識、思想内容を基盤に置き、その表現のために、口語(現代語)と文語(昔の言葉)のそれぞれの長所を、自在に使い分けた。
(24)の「おやここに」に、(25)の「何か、かう」などは、口語でなくては表現できない意識であるが、同時に「二三行なれど」(24)や「ペンを取りぬ」などは、文語を活用して歌の調子を守っている。
先の文語歌にしても、(21)の「時代閉塞の現状を…」とか、(23)の「明治四十三年の秋…」とかいったように、いきなり現代語を押し出して古典和歌の調べを破り、新しい文語調とでもいえるものを作り出している。
啄木短歌の表現は、多くの継承してよい問題を含んでいるように思われるのである。

(2018-04-04 新日本歌人)


新日本歌人HP



2018-04-04

[] 啄木終焉の地で 一緒に啄木を語りませんか! 4/13

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[石川啄木終焉の地 歌碑]


「啄木忌の集い」

  • 2018年4月13日(金)午後1時から4時まで
  • 場所 東京都文京区播磨坂清掃局事務所 会議室 2F(文京区小石川5丁目40-21)
    • 交通アクセス:地下鉄丸ノ内線「茗荷谷駅」下車・徒歩6分

〇 「啄木を語る会」

東京・文京区小石川の啄木終焉の地に歌碑が建立されて3周年になります。

これを記念して地元有志の皆さんと、全国の啄木愛好者、研究者が一緒になって「啄木を語る会」を開催します!

興味のある方はぜひ、お出かけください。

入場無料です。

 

 ○ 司会・佐藤 勝〔湘南啄木文庫主宰、国際啄木学会理事〕

  (出席者予定者 国際啄木学会東京支部会員有志数名)


湘南啄木文庫



2018-04-03

[] 「啄木の短歌〜その変遷を辿る〜」函館市文学館

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[さくら]


函館市文学館

 企画展「啄木の短歌〜その変遷を辿る〜」

  • 日時 2018年 4月 8日 〜
  • 場所 函館市文学館2階石川啄木展示室

○ 函館市文学館 〒040-0053 函館市末広町22-5

        TEL 0138-22-9014

        FAX 0138-22-9065




2018-04-02

[] 啄木「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/」

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[サクラ 上野]


「季語刻々」 [毎日新聞]

机辺四月こころなぐさむ花一壺(いっこ) 石原舟月

4月は悲喜交錯する月、何かでうまくいかなかった失意の人が今日の句の主人公だろうか。私はこの句から「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」という石川啄木の歌を連想した。<坪内稔典>

(2018-04-02 毎日新聞)


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[] 岩手公園のサクラ「不来方のお城の草に寝転びて…」

岩手のお花見スポット

4月に入ると岩手でもお花見シーズンがスタート。岩手日報紙面掲載の写真を中心に桜の名所を紹介します。

  • 石割桜 盛岡地方裁判所の敷地内にあります。樹齢360年を超えるといわれるエドヒガンザクラが、巨大な花崗岩の割れ目から力強く幹と枝を伸ばし、毎年見事な花を咲かせます。
  • 岩手公園 石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝転びて…」でも有名な盛岡城跡は、1906(明治39)年に岩手公園として開園。2006年(平成18年)には開園100周年を記念し「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。桜の時季は、石垣に600本余りのソメイヨシノなどが映え、たくさんの市民でにぎわいます。
  • 北上展勝地 約150種の桜1万本が広大な園内を彩ります。
  • 一関・厳美渓 伊達政宗公が命じて植えたとされる「貞山桜」をはじめ、2キロに及ぶ桜並木と渓流の組み合わせは、春ならではの美しさです。
  • 大船渡・立根川 川沿いのソメイヨシノが白い線を描くように約500メートルにわたって並びます。

(岩手日報)


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2018-04-01

[] 『啄木賢治の肖像』岩手が生んだ文学者2人の魅力

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[サクラ]


『啄木賢治の肖像』

  • 阿部友衣子、志田澄子著 岩手日報社
  • 972円(税込)新書判312ページ
  • 2018年4月発行

石川啄木の生誕130年、宮沢賢治の生誕120年を記念して、岩手日報紙面で2016年1月から計30回にわたり連載した特集を書籍化。

18の共通テーマと識者への取材を基に、岩手が生んだ文学者2人の魅力をあらためて探る。持ち運びやすい新書サイズ。盛岡市や花巻市の散策マップやカラー資料、比較年表も特別収録した。

 ◎ 4月13日岩手県内先行発売 予約受付中 


目次

啄木・賢治散策MAP

啄木・賢治資料館

第1章 誕生〜幼少期

第2章 少年・青春時代

第3章 少年・青春時代

第4章 識者に聞く

第5章 友

第6章 友

第7章 恩師

第8章 両親

第9章 きょうだい

第10章 女性

第11章 女性

第12章 識者に聞く

第13章 山

第14章 川

第15章 識者に聞く

第16章 仕事

第17章 仕事

第18章 音楽

第19章 お金

第20章 東京

第21章 東京

第22章 識者に聞く

第23章 手紙と日記

第24章 手紙と日記

第25章 時代

第26章 時代

第27章 宗教

第28章 病と死

第29章 没後の評価

第30章 識者に聞く

啄木・賢治年表

あとがき


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[]『孤高の歌人 土岐善麿』啄木等と一つの時代をつくった

『明治・大正・昭和を生き抜いた孤高の歌人 土岐善麿』

  • 長浜功 著 社会評論社
  • 3400円+税
  • 2018年4月16日 発行

ともかく土岐善麿という人物の存在はほとんどと言っていいほど知られていない。とは言っても石川啄木をはじめとして斎藤茂吉とか若山牧水、北原白秋と言った名は誰もが聞いたことはあろう。土岐善麿という人物はそれらの人々の時代に生き、そして彼等と一つの時代をつくり上げた人間の一人なのである。

著者渾身の書き下ろし!!


目次

序論 忘れられた歌人

I 章「啄木と善麿」再懐

II 章 新聞記者時代

III 章 時局の狭間で

IV 章 敗戦から戦後へ

V 章「清忙」の日々

終章 旅路の果て

暗愚小伝――「あとがき」に代えて

関連年表・参考文献


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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。


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