〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木は牧水だけには心を吐露する 


[サクラ]


「気持ちの好い男逝く」 [西日本新聞]
   編集委員 鶴丸 哲雄

  • 「悲しき玩具」や「一握の砂」で知られる歌人石川啄木(1886〜1912)の最期をみとったのが、同じ歌人若山牧水(1885〜1928)だったことは、あまり知られていないのではないか。
  • 宮崎出身の牧水が岩手出身の啄木と出会ったのは、啄木が亡くなる2年前。前夜から北原白秋らと遊び回り、夕方、そろそろ帰ろうかと歩いていた道端でのことだった。もともと啄木の歌が好きだった牧水は、その時の第一印象を「恐ろしく気持ちの好(よ)い顔をした男」と記している。

  青塗(あおぬり)の瀬戸の火鉢によりかかり眼(め)閉ぢ眼を開け時を惜(おし)めり  啄木

  • だが、牧水が健康で快活な啄木の姿を見たのはそれが最後だった。その後、牧水は雑誌の編集の仕事で、病に伏した啄木のもとを訪れるようになる。最初の頃は青い火鉢にしがみつくようにして社会を論じ気炎を吐いた啄木だが、会うたびに衰弱していった。
  • 「若山君、僕はどうしても死にたくない」。啄木は牧水だけには震える心を吐露する。牧水は、啄木には買えない薬を手に入れるため金策に奔走した。明治最後の年の4月、啄木は牧水ににっこり笑いかけた後、意識を失い、息を引き取った。享年26。

  初夏の曇りの底に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり 牧水
(2018-04-06 西日本新聞


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