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舞台の謎

2017-11-17

日本バレエ協会 「バレエクレアシオン」 2017

標記公演を見た(11月11日 メルパルクホール)。文化庁次代の文化を創造する新進芸術家育成事業の一環で、優れた振付家育成のための企画公演。同趣旨の「バレエ・フェスティバル」から数えると56回目の開催となる。所属団員を対象とした振付家育成は、新国立劇場バレエ団(今季はなし)、谷桃子バレエ団、東京シティバレエ団、東京バレエ団等が行なっているが、フリーランス対象はバレエ協会のみである。今回は田中祐子『くびちりどうし』、近藤良平『ねこ背』、中村恩恵『7つの短編』の3作が上演された。それぞれモダンバレエ、タンツテアター、コンテンポラリーダンスをベースにした創作である。

田中作品の『くびちりどうし』とは、琉球語で「深いきずながある友」を意味し、副題に「Bosom Friend ― 45Years in Okinawa」とある。沖縄の風土を濃厚に反映した作品を想像させたが、実際は美しいモダンバレエだった。田中自身を中心軸に、男女3組のソリストと女性アンサンブルが、男女の愛、女性同士の絆を描く。「くびちりどうし」(親友)を連想させたのは、女性同士で手を繋ぐ場面。また並木まりかを中心とする女性陣のパワフルなユニゾンに、田中振付の個性と強度が感じられた。ただ全体的には、田中にインスピレーションを与えた言葉とダンサー采配が、どこか噛み合っていない印象を受ける。かつて認知症の母を描いた小説を的確に舞踊化しているので、ドラマを前面に出す方が資質に合っているのではないだろうか。田中自身は藤野暢央とのパ・ド・ドゥで、彫琢された美しい体を披露した。

近藤作品の『ねこ背』は、近藤と22人の男女ダンサーによるタンツテアター。バレエダンサーがどのように近藤の脱力面白語彙を踊りこなせるか、発話を自分に引き付けられるか、興味をそそる。近藤の選曲は自在。モーツァルトビゼースラブ民謡カリプソ、さらにピアノ自演の体操音頭が、ダンサーの動きを巧みに引き出していく。國時誠・里織による、カラフルな衣裳から動物系+バレエ系衣裳への変化も面白い。動物系は耳や尻尾、バレエ系はティアラ、ヴェール、ポアントなど。特に男女一組に装着された、尻尾のような髪の毛に目を奪われた。

ねこ背をモチーフとする、つまりバレエを外から見る視点をダンサーに与えるセラピーのような作品。ワークショップの過程で、ダンサーがどれだけバレエ的身体から解放されるかが眼目である。一方近藤にとっても、磨き抜かれたバレエのフォルムを作品に取り込める、千歳一隅のチャンス。バレエのパを使った面白カノンモーツァルトの躍動感あふれる音楽的振付などは、その成果と言える。

ピナ・バウシュへのオマージュは、ドゥクフレ同様、ラインダンスだった。バウシュのラインダンスは、ダンサー一人一人を剝き出しにして観客の視線晒す、サディスティックなまでの追い込みが特徴。そのため弧絶した個が連なる奇跡が生まれる。ドゥクフレはそれをラテン的に換骨奪胎して祝祭コミュニティへと作り変えた。近藤は個が埋没した日本的共同体、周囲と融合する盆踊り状態を生み出す。一見当然に思われるが、海外で少年期を過ごした近藤にとっては、別の意味を持つのではないか。ノスタルジーと綯い交ぜになった理想郷(だが自分はそこに入れない)。ダンサーたちの充実した顔、知的で楽しい舞台の裏には、作品に反映されない近藤の闇と孤独があるような気がする。

中村作品の『7つの短編』は、日曜日から土曜日までの7つの人間模様を描く。中村の空間感覚、音楽性、文学性が横溢する傑作、一分の隙もなかった(照明:足立恒 衣裳:山田いずみ)。古楽ジョン・ケージ、英語、フランス語ドイツ語イタリア語の発話、囁き、銃声、雷鳴などが、渾然一体となった音空間を作り、それが腑分けされて動きへと結び付けられる。音そのものの解析力に驚かされた。ダンサーの個性を生かした振付も素晴らしい。自身振付を行う岡本壮太、コンテンポラリーダンスに巧さを見せる盆子原美奈に加え、首藤康之、山本隆之、大塚陽には、それぞれの体に見合う振付を与えている。首藤の踊りが神事や秘儀となったのはいつ以来のことだろう。両腕を直角に引き上げるだけで、首藤の体が光輝く。中村とのデュエットにはユニゾンが多用され、共有する動きの質の高さに、まるで双子のように見えた。首藤が神話的空間に佇むとすれば、山本は苦悩に満ちた人間界で同胞にパワーを与える巨人。最後は世界を背負って彼岸へと向かう。一人位相の異なる大塚はあちこちに出没する。その狂気を孕んだ暗いパトスは、中村の一部でもあった。アンサンブルは作品の構成者でもあるが、そこで行われる神事への参加者でもある。ダンサーたちは中村の偽りのない自己の開示に驚いたことだろう。

2017-11-14

新国立劇場バレエ団 『くるみ割り人形』 新制作 2017

標記公演を見た(10月29日,11月3日夜,4日,5日)。2017/2018シーズン開幕公演。先行のワイノーネン版(97年同団初演)、牧阿佐美版(09年)に次ぐ、ウエイン・イーグリング版『くるみ割り人形』である。イーグリングは96年にオランダ国立バレエ、2010年にENBに『くるみ割り人形』を振り付けている。DVDを見る限り、オランダ版の構成、雪の精と花のワルツがそのまま引き継がれ、英国を舞台とする細かい演技、ディヴェルティスマンは、ENB版に沿っていると思われる(同団トレイラーから)。新国立版では、くるみ割り人形と王子を一人のダンサーが演じる他、「アラビアの踊り」と「ロシアの踊り」に手を加えたという(シーズン・バレエプログラム)。美術・衣装・照明は『ホフマン物語』と同じ、川口直次、前田文子、沢田祐二が担当した。

演出の根幹は、ワイノーネン版に通じるクララの成長譚にある。12歳のクララが夢の中で20歳になり、くるみ割り人形=王子と踊る。このため、二幕パ・ド・ドゥは儀式性よりも、クララと王子の愛に重心が置かれることになった。また原作の家族関係(姉ルイーズ、兄フリッツ)の反映も大きな特徴。一幕 自動人形の場面は、ルイーズと取り巻き(詩人、青年、老人=スコッツマン)が、それぞれクララドロッセルマイヤー、騎兵隊長、ネズミの王様に相当する役を演じ、クララの夢の布石となる。さらに二幕ディヴェルティスマンでも、両親(ロシア)・姉(蝶々)が登場。兄は騎兵隊長(青年役と同一ダンサー)に見立てられ、クララの見た夢であることが強調された。冒頭、クララの寝室で行われるクララ、フリッツ、ルイーズ、乳母、母による早回しのような芝居は、子供時代の幸福な日常を、終幕のフリッツとクララの光輝く立ち姿は、新しい世界への期待を表す。未来を担う子供たちへのイーグリングの愛情を感じさせた。

版を重ねただけあって、凍った運河のスケート・シーン、夢への移行を示すプロジェクション・マッピング、ねずみの王様が壁から出てくるシーンなどの演出も細やか。一幕前半の現実の世界を紗幕越しにしたのは、夢の方がリアルであることを示すためだろう。音楽改変については『眠れる森の美女』同様、賛否を分けると思われるが、アポテオーズを子守唄の主題に変えたことで、従来華やかに終わる終幕が、新しい世界の静かな幕開けへと変わった。

振付は男女とも高難度。ソロもさることながら、複雑に入り組んだパートナリングがさらに難度を上げている。特に男性ダンサーは、主役からソリスト、アンサンブルに至るまで、サポートの難しさを滲ませた。初演のため踊りにばらつきがあり、音楽を聞かせるには至っていないが、再演を重ねれば解消されるだろう。群舞にはイーグリングお得意のカノンが多用される。ワイノーネンの山登りに似た雪の結晶の退場シーン、二幕フィナーレにおける花のワルツの道連れフォーメイションなど、見る喜びがあった。一幕親たちの踊りは『R&J』の騎士の踊り風、グロスファーターは両親と祖父母の心温まるコントルダンスが中心となり、祖父母の杖と補聴器が、最後は両親の手に渡るというオチが付いた。

新国立劇場バレエ団 『くるみ割り人形』 新制作 2017

主役のクララ/金平糖の精とドロッセルマイヤーの甥/くるみ割り人形/王子は4組。初日の小野絢子と福岡雄大は、イーグリングの振付ニュアンスを完璧に実現した(2回目所見)。技術の高さ、正確さは言うまでもない。小野は生来の音楽性とユーモアを遺憾なく発揮、成熟味も増して、ゴージャスな踊りにスターの輝きを付け加えた。二幕パ・ド・ドゥにおけるイーグリング独特のピルエットは、小野にしか見ることができない。対する福岡は、軍服に剣を持つ凛々しさが様になっている。切れのよい美しい踊りには潤いがあり、二人の現在の『マノン』を見たいと思わせた。

二枚看板の米沢唯は、二日目に井澤駿、四日目昼と千秋楽英国ロイヤルバレエのワディム・ムンタギロフと組んだ。両者に対して、米沢は自然体。少女の瑞々しい感情を中心に、その場その場を風が吹き抜けるように存在する。ムンタギロフとはより高度なグランド・リフトを実行し、信頼の厚さを証明した。踊りの軽やかな質感を共有する兄妹のようなパートナーシップである。井澤はプリンシパルとなって初めての舞台。存在が消えることもなくなり、大きく真っ直ぐな資質がよく表れた。最後のグランド・ピルエットの重厚さは誰にも出せない個性である。一方のムンタギロフは立ち居振る舞いがまるで英国人、かつてのジョナサン・コープを思い出させる。甥の演技はお手本のように完璧だった。

三日目の池田理沙子と奥村康祐は、残念ながら貸切で見ることができず。五日目の木村優里と渡邊峻郁は、どちらもドラマを生きるタイプ。木村の主役としての気構えは、二幕パ・ド・ドゥに堂々とした風格を与えている。ただし子役から引き継ぐ一幕の演技は、自分でもまだ距離を感じているように見えた。エネルギーの大きさで時々パートナーを置き去りにする場面も。対する渡邊は演技のアプローチが明確。戸棚からの登場は感動的だった。全幕を通してのサポートにやや息切れを感じさせたが、今後の主役経験が解決すると思われる。

ドロッセルマイヤーは、自然体の演技と熟練のサポートでクララを支えた菅野英男と、細かい芝居と人の好さで舞台を引っ張った貝川鐵夫。ねずみの王様はいずれも王子配役者。奥村は芝居の巧さ、渡邊はコミカルな演技、井澤は2回目に圧倒的な存在感を示した。登場は団十郎張りの見得、気球にぶら下がる姿は歌舞伎宙乗りのごとく、マラーホフ似の骨格から繰り出される跳躍はダイナミズムにあふれた。

一、二幕を通じて見せ場の多いルイーズには、きりっと端正な細田千晶、暖かくエネルギッシュな奥田花純、奔放で可愛らしい池田。シュタルバウム夫妻は、貝川と本島美和が裕福で明るい家庭を築く一方、芸事の好きな夫 中家正博(足捌きが美しい)をしっかり者の妻 仙頭由貴が支える浪花編があった。仙頭はごりょんさん、芸達者の乳母 丸尾孝子とも阿吽の呼吸を見せる。

ルイーズの取り巻きでは、宝満直也、宇賀大将、原健太、木下嘉人が若々しい個性を見せる中、老スコッツマンの福田圭吾が鮮やかな脚技と跳躍、同 高橋一輝がキャラクターを反映した濃密な踊りで場をさらった。高橋は祖父役でも癖のある面白い老人を造形している。

ソリストでは新加入の渡辺与布が、雪の結晶とスペインで気の漲った踊りを披露し、今後に期待を抱かせた。騎兵隊長とスペイン 木下の鋭い踊り、アラビア 本島の臈長けた美しさ、同 木村の破格の勇気、ロシア 福田の前宙、中国 宝満の美しい京劇の決めポーズ(11/19付退団)が印象的。雪のアンサンブルは、踊りではなく体の美しさによる統一感がある。一方花のアンサンブルはシーズン初めとあって、スタイルの確立はこれからだった。クララ子役は、ドロッセルマイヤーの甥に恋心を抱くには年齢が幼すぎるのではないだろうか。演技面での指導も期待したい。

指揮は前回の『くるみ』に引き続きアレクセイ・バクラン。「『くるみ割り人形』には、非常に精神性の高い曲が散りばめられています。だから、音楽家指揮者は、心に偽りや不誠実があると弾けません。序曲や第1曲は子どもの世界を描いた曲です。子どもは心がとても清らか。ですから我々大人も、子どものようなピュアな心で演奏しなければいけません」(『The Atre』2016年1月号)。今回も繊細で緻密な音楽を東京フィルから引き出している。合唱は東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川理恵)。彼らに拍手をする機会を与えて欲しい。

2017-11-02

10月に見た公演 2017

10月に見た公演について、短くメモする。


●第19回早川惠美子・博子バレエスタジオ公演(10月21日 メルパルクTOKYO)

プログラムは、早川惠美子振付『シンフォニーNo.8』、間宮則夫振付『ダンスパステル』、早川(惠)改訂、溝下司朗監修『ライモンダ』より第3幕。

間宮の『ダンスパステル』(95年)は9回目の上演。惠美子が50歳の時に「60歳まで踊れる作品を作って欲しい」とオランダ在住の旧友、間宮に依頼したとのこと。これまで何度も見ているが、いつも捉えどころのない不思議な気持ちに襲われる。宮廷舞踊風の動き、民族舞踊風の動き、舞踏のようなスローモーション、アイコンタクト、間を読む感覚、と言語化したところで、何も言ったことにならない。音楽と動きが織りなす完璧な詩、分析不可能な塊である。早川(惠)、早川(博)、坂本登喜彦、足川欽也のオリジナルメンバー。リフトはややきつそうに見えるが、惠美子の腕使いを含めた上体の絶対的美しさ、エポールマンによる空間の鮮やかな切り取り、博子の人間的暖かさ、坂本のクールな二枚目ぶり、足川の懐の深さとユーモアは健在。もしキャストを変えたら、全く別物になるだろう。奇跡的な作品。


イデビアン・クルー肩書ジャンクション』(10月22日 東京芸術劇場シアターイースト)

振付・演出は井出茂太、出演は斉藤美音子、菅尾なぎさ、福島彩子、後藤海春、酒井幸菜、中村達哉、原田悠、三橋俊平、井出。井出の怖ろしく巧いダンスに、動きの振り移しや演出そのもののダンス化、名刺交換、お辞儀、自動車教習所などの日本的身振り、椅子取りゲームといった小場面を組み合わせた作品。動きやタイミングの外しに、不条理感がそこはかとなく漂う。初期の頃、パークタワーホールで見た作品は、喪服(着物)を着たダンサーが黙々と日本的所作を繰り返していた(客席にいた合田成男が隣の女性に「彼は舞踏の人?」と尋ねたほど)。また9月の岩松了作品『薄い桃色のかたまり』では、ゴールド・シアターの面々に盆踊り風の振付を施している。これらに比べると、スタイリッシュで洗練された作品と言える。

ただし、井出が放つ独特のオーラと周りのダンサーとの乖離が気になる(菅尾を除く)。井出は超ダンサー。全身が襞のように分節化され、外からのメソッド(あったとして)の痕跡を微塵も感じさせない。全てのリズムに体がスポスポはまり、その一つ一つのフォルムが絶対性を帯びる。つまり巧いのである。「ディスコ」でスターになれるカリスマ性と、唐十郎に似た犯罪者の目付きは、観客との彼我を截然と分ける。踊ることで世界の裏側まで行けるダンサー。本来は同じ裏の匂いのするダンサーを起用するはずだが、なぜか踊ることより身体性を追求する優等生タイプを選んでいる。もしストリート系のやんちゃタイプを使ったら、爆発的な作品になっただろう。やさぐれた菅尾のみが、井出の後を追っている。


●バットシェバ舞踊団/オハッド・ナハリン『LAST WORK―ラスト・ワーク』(10月28日 彩の国さいたま芸術劇場大ホール)

2015年の作品。両袖にグレーの衝立が数枚置かれ、そこからダンサーが出入りする。舞台シモテ後方では、冒頭から終幕まで65分間、青のワンピース女性がランニングマシーンで走り続ける。その意味は分からないが、効果としては空間への楔のようなもの。負荷を掛けた体がそこにあり続けるので、空間に現在性が加わる。

これまでのバットシェバの印象は、複雑な振付をハードに踊りながら、ダンサーが自分であり続けるというもの。半ば観客に見せながら、自分の身体と対話しているので、ダンサーも観客も気持ちよくなるが、パフォーマンスについて何か言う気になれなかった。今回は体の声を聴くことを、観客に見せている。ダンサーの自由度は少なく、振付そのものを見ることができた(ただし後半終結部ではいつもの踊りが爆発)。

前半は、武術バレエを組み合わせた高度にコントロールされた動き。スローとクイックの切り替えが太極拳を思わせる。またグレアムかフェルデンクライスのような床を使った動きや、胡坐、正座、蹲踞、Y字バランスなども。ダンサーのフォルム、フォーメイションは切り詰められ、舞踏を連想させる。中心となる中村恵里とウィリアム・バリー(?)によるパ・ド・ドゥは美しかった。そしてバットシェバを見て美しいと思ったことに驚かされた。宗旨替えしたのだろうか。中村は抜きん出て美しいダンサー。前半部の流れるような動きが鮮やかで、磨き抜かれた体であることを示す。対照的に、踊り狂う後半部ではパワーが足りなかった。前半部は中村を生かす振付と言える。

最後はダンサーたちがバラバラに座り、慟哭する。マイクで歌っていた男が粘着テープで全員(ランナーも)を結び付け、ランナーに白旗を振らせる。過酷な戦争体験をした(エンターテイメント部隊ではあったが)ナハリンの願いなのだろう。

2017-10-27

Kバレエカンパニー『クレオパトラ』 2017

標記公演を見た(10月20日 東京文化会館大ホール)。演出・振付・台本は芸術監督の熊川哲也、音楽はカール・ニールセン、舞台美術デザインはダニエル・オストリング、衣裳デザインは前田文子、照明は足立恒という布陣。全幕物の新作は3年ぶりとなる。前作『カルメン』と異なるのは、全てを一から作り上げたこと。歴史上の人物、それもわずかな記録しか残されていない女性を主人公にし、さらにデンマーク作曲家ニールセン(1865-1931)の楽曲のみで音楽構成を行なっている。

全二幕。第一幕(65分)は、クレオパトラと弟プトレマイオスの権力闘争、プトレマイオスポンペイウス暗殺、クレオパトラカエサルの出会い、プトレマイオスの死まで、第二幕(60分)は、クレオパトラカエサルローマでの幸福な日々、カエサルの暗殺、クレオパトラ帰国アントニウスオクタヴィアヌスの同盟(妹オクタヴィアとの政略結婚)、ブルータス処刑、アントニウスクレオパトラの恋、オクタヴィアヌスエジプト遠征、アントニウスクレオパトラの死、を描く。

一幕前半のプトレマイオスクレオパトラの顔見世部分は、当然ながら舞踊が多い印象を受けた。ポンペイウスカエサル登場辺りから、ドラマは淀みなく流れ、最後まで一気呵成に見せる。特にカエサル暗殺と終幕の演出が素晴らしい。熊川の演出家としての成熟を感じさせた。振付はいつも通り音楽性に優れる。これまでシンプルで清潔なパ・ド・ドゥを得意としてきたが、今回はクレオパトラ神殿男娼、クレオパトラアントニウスなど、エロティシズムを追求する新境地を拓いている。ただし、クレオパトラアイコンのような存在。メロドラマにはならず、周りの男性達を巻き込んだ歴史的活劇といった趣が強い。男性舞踊は例によって高難度、プトレマイオスには熊川自身を思わせる闊達なソロを、オクタヴィアヌスにはダンス・クラシックの手本のようなソロを与えている(それぞれバランシン、グリゴローヴィチへのオマージュを含む)。

熊川を魅了した『アラディン組曲』の行進曲は、序曲と終曲に使用された。エキゾティシズム、悲劇性、力強さの点で、クレオパトラの劇的な生涯を象徴するにふさわしい。序曲では、大階段に立つクレオパトラが様々な姿態を紗幕越しに見せる。終曲では、関わりのあった男たち(死者)に続いて、クレオパトラが大階段を登っていく。蛇のように身をくねらせた後、最後は毅然とした立ち姿を作り、仰向けに大階段から落ちる衝撃の幕引きだった。ニールセンの音楽は、抒情的なアダージョからパンチの効いた舞曲まで多彩。民謡的で懐かしさを感じさせるロマンティシズムが、統一感を与えている。

オストリングの美術は直線を多用した金色の枠組みに、紗幕のキュビズムのようなエジプト顔、カエサルの巨大横顔、ペルシャ絨毯、黄金の船が配される。物語の大きさに見合う格調の高さがあった。一方、前田の衣裳はリアル。クレオパトラの脚を見せる衣裳、装飾的なレオタードが印象的だった。

主役のクレオパトラには中村祥子(W:浅川紫織)。鍛え抜かれた体のライン、特に脚線が目を奪う。見せ方にこだわってきたダンサーならではの、形のきらめきがある。タフでハードな振付を難なくこなし、感情を出すのではなく、外見からクレオパトラのピースを埋めていくアプローチだった。アントニウスとの場面では一女性に戻ったが、直後の大階段登りでは、蛇の化身、さらに鋭く屹立するシルエットへと変わり、この愛も策略だったのかと思わせる。妖艶と言うよりも、ハードボイルドでスタイリッシュなクレオパトラ像だった。

弟のプトレマイオスは山本雅也(W:篠宮佑一)。小芝居をしないため、少年時代から王の風格がある。熊川の難しいステップを楽しそうにあっさりと踊り、大物ぶりを見せつけた。カエサルにはスチュアート・キャシディ。ノーブルな役どころを演じてきた蓄積が、悠揚迫らぬカエサル像に結実する。クレオパトラを愛するパ・ド・ドゥに豊かな包容力を感じさせた。

アントニウス宮尾俊太郎(W:栗山廉)は、キャシディと同じノーブル系だが、女官や道化風の案内人に絡まれる人の好さを見せる。クレオパトラとの愛のパ・ド・ドゥからは、大らかさや暖かさが伝わってきた。対するオクタヴィアヌスの遅沢佑介(W:杉野慧)は、研ぎ澄まされた踊りに優美なラインが息づくクールなスタイル。冷静で先見の明がある人物を現前させた。妹のオクタヴィアには矢内千夏(W:小林美奈)。男性顔負けの難度の高い振付を軽やかに踊り、ピンポイントの音楽性と感情に裏打ちされた演技で存在感を示した。

選ばれた神殿男娼 栗山廉のエロティックな踊り、案内人 酒匂麗の超絶技巧クレオパトラのお付き(小林美奈、井上とも美、戸田梨紗子、浅野真由香)の技術の高さが素晴らしい。アンサンブルの音楽的統一はカンパニーの美点である。

編曲も担当した指揮の井田勝大が、シアターオーケストラトーキョーをダイナミックに率いている。舞台との一体感は専属オケならでは。

2017-10-21

牧阿佐美バレヱ団 『眠れる森の美女』 2017

標記公演を見た(10月8日 文京シビックホール)。82年初演のウエストモーランド版。英国ロイヤル・バレエの流れを汲み、儀式性、格調の高さ、マイムの優雅さを特徴とする。また、農民ワルツの新振付、間奏曲を使った目覚めのパ・ド・ドゥ、男女ソリストによる宝石の精が、英国系独自の改変として加えられている。今年4月の「NHKバレエの饗宴」でも第3幕が抜粋上演されたが、やはり全幕の迫力は圧倒的だった。スタッフの一体感に加え、東京オーケストラMIRAIを率いるデヴィッド・ガーフォースの指揮が素晴らしい。作品の大きさ、壮麗さが音楽によって空間化され、そこに劇場文化の艶が加わっている。長年ピットで過ごした指揮者にしか出せない、円熟の味わいだった。

主役のオーロラ姫とフロリモンド王子は、Wキャスト。初日はジョージア国立バレエ団のチェクラシヴィリとフェドゥーロフ、二日目はバレエ団の中川郁と菊地研。その二日目を見た。

中川は、初主演の『リーズの結婚』で見せた溌剌とした明るさが特徴(ミレディは未見)。その晴れやかな精神性はオーロラにふさわしく、地を生かした自然な演技は、見る者の心と体を解きほぐす。登場するだけで薫風漂う稀少な個性だが、持ち味に寄りかかることなく、隅々まで解釈が詰められている。この印象は幕を追うごとに強くなり、最後は主役としての懐の深ささえ感じさせた。思考を積み重ねた上で、それを実践する芯の強さ、何を踊っても人を惹きつける開かれた魅力がある。

王子はベテランの域に入った菊地研。ノーブル・スタイルへの意識からか、踊りがやや硬くなる傾向があったが、演技は自然。パートナーへの気遣い、舞台への責任感に、第一男性舞踊手としての気概が感じられた。

リラの精には体の美しい三宅里奈、女装が妖しいカラボスには、はまり役の保坂アントン慶、フロレスタン24世王にはゲストの三船元雄、王妃には坂西麻美が配された。今回初日の王妃役に、ロイヤル・バレエエリザベス・マクゴリアンが招かれている。坂西もそれに準じたのか、王妃(とカラボス)のマイムに従来とは異なるニュアンスが感じられた。三船は若々しく気品に満ちた王。滑稽味のあるカタルブット 依田俊之が忠実に仕えている。

フロリン王女は米澤真弓(W)、ブルーバードは清瀧千晴、5人の妖精は高橋万由梨、安部裕恵、茂田絵美子、織山万梨子(W)、日睛梨、と実力派が揃い、見応えがある。特に清瀧はジャンプの高さ、滞空時間の長さに、優雅さが加わり、美しい青い鳥を造形した。宝石の精の田村幸弘、須谷まきこ、細野生、太田朱音(全員W)は、速いテンポにも拘らず、音楽的統一感に優れる。特に太田の優美な踊りが目を惹いた。カバリエール達のノーブル・スタイル、若手によるリラのお付き、ニンフの瑞々しさ(風間美玖が鮮やか)に、バレエ団の底力が見える。

文京シビックホールが言わばホームの劇場となり、バレエ団のファンだけではなく、ホールに通う地元民も観客席を占めるようになった。このことで、ダンサーの、未知の観客に訴える力が養われ、お返しに、観客の思いがけない反応がダンサーにもたらされる。観客とのエネルギー交換が、舞台をさらに活気付けているように思われる。