Hatena::ブログ(Diary)

舞台の謎

2018-07-11

小林紀子バレエ・シアター「シアトリカル・ダブルビル」 2018

標記公演を見た(6月30日 新国立劇場中劇場)。英国バレエの導入を活動の柱とする小林紀子バレエ・シアターが、「シアトリカル・ダブルビル」と銘打ち、ニネット・ド・ヴァロワの『チェックメイト』とフレデリックアシュトンの『二羽の鳩』(全二幕)を上演した。前者は、戦争の影を背後に忍ばせた表現主義モダニズム作品、後者は『白鳥の湖』を援用した19世紀フランスバレエへのオマージュである。英国ロイヤル・バレエを築いたド・ヴァロワと、ロイヤル・スタイルを確立したアシュトンの、二人三脚を象徴するプログラムと言える。

チェックメイト』はアーサー・ブリスの台本・音楽、E・マクナイト・カウファーの美術で、パリ万博英国フェアの一環としてサドラーズ・ウエルズ・バレエにより初演された(37年 パリ・シャンゼリゼ劇場)。ブリスの音楽はストラヴィンスキーの原始的響きと英国民謡ペーソスを撚り合わせた力感あふれる作品。カウファーの直線を多用したモダンな背景と共に、20世紀初頭の時代色を感じさせる。ド・ヴァロワはチェスに通じていなかったとのことだが、歩の可愛らしく清潔な歩行、騎士の直線的力強さ(両手はグーのまま動かす)、僧正の重厚さ、ダンベルを持った城将の力自慢など、駒の性格が動きに反映されている。シンメトリー隊形が多く、捻りのない正面重視のクキクキした振付もチェスを意識してのことだろう。黒側は非情で強く、赤側は優しく穏やかに描かれる。黒の女王の人を人とも思わぬ怖ろしさと、赤の王の衰え、赤の女王の優しさ、赤の騎士の弱さとの対照が、当時の世界情勢の写し絵となっている。冒頭は「愛」と「死」がチェスをする情景で、ゲームは入れ子、赤の王が殺され(チェックメイト)、「死」が勝つという結末である。初演時にはアシュトンとアラン・カーターがチェスプレーヤーに配されている。アシュトンが「愛」だったのだろうか。

グラマラスな黒の女王初日は、若手の澁可奈子(二日目は萱嶋みゆき)。淑やかな性格なのか、容赦のない腹からの強さ、ゴージャスな存在感をまだ見せるには至っていないが、伸びやかで美しい体の持ち主で、抜擢に懸命に応えている。赤の第一騎士は、昨年マクミラン版『春の祭典』で入魂の踊りを見せた望月一真。今回も一直線の情熱、真っ直ぐな踊りで黒の女王に立ち向かった。赤の王は2回目の澤田展生、弱々しくひたすら怯える王を好演、廣田有紀の美しい妃に支えられている。真野琴絵、濱口千歩率いる赤の歩の可愛らしさ、清潔な足捌きは、同団の私塾らしい雰囲気を伝える。

『二羽の鳩』(61年)は、アシュトンアンドレメサジェの楽譜をロイヤルオペラ・ハウスで見つけたことに端を発する。前年の『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』に続き、ランチベリー編曲による19世紀フランスバレエへのオマージュと言える。ルイ・メラントの原典版(86年)は、18世紀のエーゲ海沿岸が舞台。貞淑なグルリに恋人のペピオが退屈を覚え、ジプシーの一団と旅に出る。アシュトン版との違いは、グルリがペピオの後を追い、ジプシーの頭領に頼んでジプシー女に変装する点。情熱的な踊りでペピオを夢中にさせる。カード賭博で一切を失い、嵐の中をさまよい、子どもたちに投げ輪で捕えられたペピオは、すごすごとグルリの元へ。頭を垂れて入り口に立つ彼を、グルリが抱きしめる。グルリ役ロジータ・マウリ(ハンセン振付『夢』ではダイタ役)の貞淑と奔放の両面が見どころで、ジプシー女のピツィカート・ソロではアンコールが起きたという(Cyril W. Beaumont: Complete Book of Ballets,1941,pp.508-12)。なおペピオはトラヴェスティで、マリー・サンラヴィーユが演じた。

アシュトン版はパリのアトリエが舞台。ボヘミアン画家の若者とその恋人がささいな喧嘩を繰り返す。そこに訪れたジプシーたちと共に、若者はアトリエを飛び出し、後は原典版と同じ。振付は、少女や友人たちの鳩まね、若者、ジプシー女、その恋人による黒鳥を思わせるトロワ、白鳥のような和解のアダージョなど、寓話に寄り添っている。一幕の少女とジプシー女による踊り合いは凄まじく、アシュトンらしい火花の散るような足技の応酬に見応えがあった。

少女の島添亮子は若者への悪戯に、無邪気なコケットリーよりも、しっとりした和風の恥じらいを滲ませる。和解のアダージョは素晴らしく、音楽が体から流れ出るような繊細な音楽性を披露した。若者のアントニーノ・ステラミラノ・スカラ座バレエ)はマイムが雄弁、心得た芝居と規範に則った踊りで、物語を生き生きと牽引した。ジプシー女の萱嶋みゆきははまり役。若者を翻弄する濃厚な演技、火のような情熱が迸る踊りを掌中に収めている。冨川直樹の男らしい演技、上月佑馬の鮮やかな踊り、村山亮の美しい踊りも印象深い。

ポール・ストバートの指揮は、劇場の匂いあり。特にブリスの音楽では舞台との濃密な一体感を感じさせた。演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団

2018-07-05

アキコ・カンダ ダンスカンパニー『哀が散る』 2018

標記公演を見た(6月27日昼 東京芸術劇場シアターウエスト)。プログラムは『灰色の輝くとき』(カンパニー初演70年)と『哀が散る』(93年)のダブル・ビル。前者は、アキコがアメリカから帰国後に指導を始めた宝塚歌劇団で上演された。レパートリーの中では「振付の教科書」と言われる(フライヤー参照)。後者は、母を亡くしたアキコの苦しみと嘆き、そこからの再生を描いた作品で、今回は没後7年になるアキコへのレクイエムとして再演された。振付:アキコ・カンダ、構成・振付:市川紅美。

幕開けの『灰色の輝くとき』は、カラフルなロングドレスを身に纏った7人が、シャルル・アズナブールのシャンソンに乗って踊る。ステップを細かく刻む粋な総踊り(振付:市川)を前後に置き、アキコ振付の個性豊かな8つのソロ(コロス付あり)が繰り広げられる。グレアムのボキャブラリーとフォルムに、バレエのパ、時にフラメンコの身振りが加わる振付。グレアムの正面性と、呼吸を伴ったスパイラルの動きが心地よい。両掌を手前に向け、外に捻りながら上に伸ばす独特のフォルムからは、上方へと渦巻くエネルギーが見えた。座位のアラベスクスプリットボレロ風の足踏みなど、地面と密着した動きに加え、重野美和子のソロでは、アラベスクから回転してアチチュードといった難度の高いバランス技も見せて、「振付の教科書」という異名を納得させる。アズナブールの多彩なシャンソンに対し、アキコは不即不離。分析するのではなく、音楽の中に入り込んで一体化するという印象だった。

続く『哀が散る』では、ショスタコーヴィッチの「ロマンス」バーバーの「アダージョ」、ビゼーの「アダージェット」、マスネの「タイス瞑想曲」を使用。作曲家も異なり、それぞれ歴史が纏わりつく名曲ながら、母の死、慟哭、磔刑キリストを思わせる受難、再生にぴたりと当てはまる。アキコの全身を駆使した鋭い音楽性ゆえの選曲と言える。母の死は、死神のような市川が黒バラを逆さに持って現れ、コロス5人の持つ赤バラが瞬時に黒バラに変わることで示される(市川は『灰色』においても濃厚なフラメンコ振りを見せる、アキコのfairに対してdarkな役回りだったのだろうか)。

アキコのパートには重野が配された。濃い紫のオールタイツ。美しく分節された体と明晰なスパイラルで、アキコの嘆きを踊る。個人的なソロを他者(弟子)が踊れるのは、技法が明確だからこそ。振付への渾身の気迫を感じさせる踊りだった。「タイス」では重野も皆と同じグレーのワンピースを着て、生きる喜びを分かち合う。最後は月光の中、7人が緩やかに結び付いて、しみじみとした余情を醸し出した。カーテンコールでは、重野と、重野をサポートした市川の虚脱した表情が印象的だった。アキコを生きたのだろう。出演は他に粕谷理恵、田口恵理子、米田香、田口裕理子、岩崎由美の少数精鋭。

2018-06-23

新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』 2018

標記公演を見た(6月9日,16日昼夜,17日 新国立劇場オペラパレス)。ウエイン・イーグリング版『眠れる森の美女』は2014年、大原永子芸術監督就任シーズン開幕公演として初演された。翌15年には『NHKバレエの饗宴』で第三幕のみを上演、今回は17年に続く3度目の全幕上演である。イーグリング版は英国の伝統を受け継ぎ、、マイムの尊重、原典版に沿った儀式性の高いプロローグ、一幕ワルツの新たな振付、二幕目覚めのパ・ド・ドゥの採用、三幕宝石の男女配役を特徴とする。特に音楽的で優美なマイムを堪能できるのは大きな美点。また二幕終盤、リラの精とカラボスがせめぎ合う振付の音楽性が素晴らしい。

独自の演出・振付としては、気品の精を加え、リラを中心としたシンメトリー隊形を築いた点、目覚めのパ・ド・ドゥを接触の多いモダンな振付にした点等が挙げられる。一幕ワルツ、三幕ディヴェルティスマンの振付は、高度な技術、音楽性、明快な物語性が揃い、新鮮だった(パノラマにおける森の精たちは余分に思えるが、大好きなカノンを多用し、イーグリング印を刻んでいる)。

主役は4組。初日のオーロラ姫は米沢唯。技術の高さは言うまでもなく、周囲と呼応する自然体の演技で晴れやかな舞台を作り上げた。自身本来のアプローチである。目覚めのパ・ド・ドゥは昨年とは異なり、礼節をわきまえた踊りだった。デジレ王子の井澤駿は風格あり。二幕憂鬱のソロは感情がこもり、振付難度を感じさせない。リラの精に懇願するレヴェランスは前回同様、音楽と同期して、肚からのパトスが噴出した。

二日目と三日目夜はバレエ団のゴールデンコンビ、小野絢子と福岡雄大。小野は一周まわって元に戻った印象、音楽的で生き生きとしている。精緻な踊りはそのままに、自然な感情の発露を見ることができた。福岡は装飾的なマイム、古風なノーブルスタイルを身に付けている。二幕ソロは優雅、三幕ソロはクラシカルで強度が高い。王子の王道を歩んでいる。これまで二人はバレエを極める求道者のような厳しさを纏っていたが、今回はより自由に、より若々しくなった。伝統と結びついたロール・モデルを見つけたのかもしれない。

三日目昼のオーロラ姫は池田理沙子。安定した回転技、ポーズの長さに加え、思い切りのよい踊り、真っ直ぐな舞台態度が美点である。まだ詰めるべき点は残されているが、清々しい後味だった。王子の奥村康祐はロマンティックな森の場面で持ち味を発揮、リラや妖精たちに囲まれて自然だった。三幕ソロも丁寧な踊りでクラシカルな味わいを醸し出す。池田とのパートナーシップも今後の熟成が予感された(フロリナ王女と青い鳥も同じく)。

最終日は木村優里と渡邊峻郁。木村は一幕がより自然になり、二幕幻影の伸びやかなソロは、前回に引き続き素晴らしかった。木村の持ち味である半ば眠っているような無意識の大きさが垣間見える。目覚めのパ・ド・ドゥでは、渡邊を凌駕するエネルギーを発散。三幕ソロではやや迷いを感じさせたが、アダージョは風格があった。王子の渡邊は、登場場面では少し現代的でリアルな演技。憂鬱がよく似合う優男で、伯爵夫人、リラの精、オーロラに支えられている(ように見える)。代わって三幕ソロでは、持ち味の高いジャンプと美しい回転技で、凛々しい王子像を造形した。

リラの精は、ダイナミックな木村、明快な踊りで力強く統率する細田千晶、雄弁なマイムで柔らかな空間を作る寺田亜沙子(出演順)。カラボスは、舞台を美しく俯瞰、最小限の身振りで周囲を動かすベテランの本島美和、強いパトスと濃厚な踊りで寺田リラに挑む渡辺与布、共に適役だった。初演時配役の王と王妃 貝川鐵夫と楠元郁子は、長年連れ添った滋味あふれる夫婦像を描き出す。カタラビュートの菅野英男はあっさりとロシア風、中家正博はロックスターのような儀典長を、コミカルな演技も怠りなく、音楽性豊かに演じている(王にも配役)。さらに4人の王子の浜崎恵二朗が冷静な演技で、一幕に落ち着きを与えた。伯爵夫人は共に適役のカラボス組、ガリソンの内藤博が軽妙な演技で場を和ませている。

6人の妖精は新人抜擢あり。ただし全体に初演、再演時よりも踊りの強度が弱まっている。古典性と個性を兼ね備えていたのは五月女遥、柴山紗帆、奥田花純、役を超えてはいるが寺井七海だった。ディヴェルティスマンの宝石では廣田奈々が抜擢され、それによく応えている。柴山のフロリナ、原健太=原田舞子の猫カップルには円熟味が。親指トムの福田圭吾はトムに成りきり、音楽をよく聴かせた。一方、弟の福田紘也ははまり役の狼に配役されず残念。初演以来の赤ずきん 五月女、広瀬碧、初役の狼 清水裕三郎、中島駿野が振付の味をよく伝えている。

先の『白鳥の湖』で牧時代を彷彿とさせたアンサンブルは、オーロラ友人たちの息の合った細やかな踊り以外は元に戻り、生き生きと踊ることを優先させている。

今回は長年副指揮者を務めた冨田実里の本公演デビューだった。13年日本バレエ協会関東支部神奈川ブロック公演でバレエ指揮者デビュー、イーグリング版『眠り』で来日したギャヴィン・サザーランドに見いだされ、15年ENBの客演指揮者となる。国内では井上バレエ団、NBAバレエ団でも指揮(詳しくはウェブマガジン『DANCING×DANCING』カバーストーリーvol.31を参照)。バレエ経験者でもある冨田の指揮は明快で骨太だった。隅々までエネルギーが詰まっている。昼夜公演も難なく乗り切り、最終日まで東京フィルを奮い立たせた。カーテンコールは初日以外、男性主役がエスコート。新鮮な感動があった。

2018-06-14

牧阿佐美バレヱ団『ライモンダ』 2018

標記公演を見た(6月10日 文京シビックホール)。牧阿佐美バレヱ団は79年にウェストモーランド版『ライモンダ』を初演、再演を重ねた後、08年に総監督の三谷恭三が改訂を施した。今回は10年ぶりの上演となる。歴史舞踊の導入に加え、一幕グランド・ワルツの鮮やかなフォーメイション、二幕パ・ダクションの流れるようなリフト・フォルムに、ウェストモーランドの才能を見ることができる。物語上、白い貴婦人を省略し、夢の場にアブデラクマンが登場しないため、主人公の心理的起伏や葛藤が希薄に見える面もある。音楽性重視のモダンな解釈とも言えるが、物語性を補って余りあったのが、デヴィッド・ガーフォースの指揮だった。一音一音にドラマがあり、音楽で演出していると言っても過言ではない。華やかさ、深み、艶の揃ったバレエ指揮の粋。指揮者としての円熟の極みに立ち合える喜びがあった。

主役のライモンダは初日が青山季可、二日目が日高有梨、ジャン・ド・ブリエンヌは清瀧千晴、ラグワスレン・オトゴンニャム、アブデラクマンは菊地研、塚田渉。その二日目を見た。

日高のライモンダは、常に夢の中にいるような神秘性を重んじるアプローチ。リアリズムとは距離を置き、古典様式の体現にさらに輪をかけた、言わばアイコンのような存在を目指す。初演時以来のライモンダ像がよく伝わってくる。長い手足から繰り出される丁寧な踊り、ゆっくりと伸びるライン、すっきりとした佇まいが、心地の良い晴れやかな舞台を作り上げた。対するオトゴンニャムは、美しいラインと透明なロマンティシズムを漂わせるダンスール・ノーブル。回転技が安定しない場面もあったが、日高を凛々しく支えるジャン・ド・ブリエンヌだった。アブデラクマンの塚田は、ゆったりとした包容力を見せる。決闘場面でさえも、滔々と流れる大河のごとき敵役だった。

バレエ団は様式性、音楽性共に統一感のある仕上がり。グラン・パ・クラシックの美しさ、ワルツの音楽性が素晴しい。ライモンダ友人 太田朱音、阿部裕恵の優れた音楽性、トゥルバドール 山本達史、濱田雄冴のノーブルな踊りを始め、夢の場第1ヴァリエーションの中川郁が、閃きのある生きた踊りで舞台に薫風をもたらした。また久保茉莉恵、中川、高橋万由梨の明るく晴れ晴れとしたパ・ド・トロワ、中島哲也、坂爪智来他が見せた美しいパ・ド・カトルも印象深い。颯爽とした田切眞純美のドリ伯爵夫人、あまり見せ場はなかったが風格ある保坂アントン慶のアンドリュー2世王が脇を締めた。

東京オーケストラMIRAIが、ガーフォースの指揮に躍動する。グラズノフのあるべき姿を与えられ、奏者にとっても「経験」となるような音楽空間だった。

2018-06-10

能藤玲子@「モダンダンス 5月の祭典」 2018

現代舞踊協会主催「モダンダンス 5月の祭典」で能藤玲子作品を見た(5月22日 めぐろパーシモンホール)。能藤は1931年網走市生まれ。藤間流杵屋之冨、石井漠門下古谷睦子に師事した後、51年から59年まで邦正美に師事。同年札幌市に「能藤玲子創作舞踊研究所」を設立した。師の邦はルドルフ・フォン・ラバン、マリー・ヴィグマンに学び、「身体育成法」を中心とした舞踊理論を確立。教員をしていた能藤は、北海道学芸大学で開かれた教育舞踊研究会で邦を知ることとなった(能藤玲子作品集『限られることの』掲載、長谷川六「能藤玲子の舞踊世界」参照)。

今回の『白い道』は、昨年「現代舞踊協会支部創立六十周年」記念公演で発表された作品。能藤自身が核となり、7人のダンサーが群舞を構成する。音楽はリチャード・ロビンス「ダーリントン・ホール」とあるが、記憶に残らず。目前の光景に驚き続けたからである。能藤はシモテ中央、ダンサーたちはカミテで円陣を組む。途中隊形の変化はあったが、この位置関係が決定的だった。

能藤はただ歩く、四股のような中腰から伸びながら両手を広げる、縮みながら腹を抱える、最後は両手を上げながら威嚇するように中腰になる。これだけの動きで空間を創出し、ダンサーたちを魔術師のごとく操る。円陣を組んだダンサー達は、能藤の分身のように中腰で辺りを睥睨する。また苦悶しつつ砂漠の「枯草玉」のように転がる。最後は座ったまま右脚を上げて同方向に回転する。感情や物語は明示的に語られないが、動きのみで、神話ギリシア悲劇を思わせる根源的な世界を現出させた。

能藤の動きは、映画がコマから成るように、一つ一つの強いフォルムの連続から構成される。一見スタティックに見えるが、実際は地面と直結した破格のエネルギーが体中に蠢めいている。パトスとロゴスが融合した虚構度の高い身体。邦の育成法に基づくものか、あるいは日舞技法が入った能藤独自のものだろうか。

能藤を見ながら、前月に見た西川扇藏の西行を思い出した。歩くだけで西行、振り返るだけで西行。その仙人のような軽みは、大地から湧き出た地母神のような能藤と対極にあるが、一つの技法を極めた者のみが辿り着く突き抜けた境地という点で、共通していた。