新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』

標記公演評をアップする。

新国立劇場バレエ団のクリスマス公演は、牧阿佐美版『くるみ割り人形』。09年初演、三度目の上演である。牧版の大きな特徴は、オラフ・ツォンベックの洗練された美しい美術・衣裳と、幕開け、終幕の舞台を東京の高層ビル街とした点にある。これはツォンベックが、ヨーロッパの物語を日本の人たちに身近に感じて貰おうと考えた設定とのこと(初演プログラム)。ブレイクダンスの若者や楽しげなカップルが行き交うなか、興行師風紳士とブルーマンによって、少女クララは二十世紀初頭のドイツへとワープする。東京所在の劇場にふさわしい導入部と言える。演出は英国系。ワイノーネンの振付を群舞に取り入れ、ディヴェルティスマンを牧が緻密に構成・振付、金平糖のパ・ド・ドゥはダニロワ直伝という伝統的な版を採用している。初日は舞台が立ち上がらなかったが、ダンサー達の演技により徐々に盛り上がりを見せるに至った。


主役は4キャスト。金平糖の精にはバレエ団の中軸となった小野絢子と米沢唯、ベテランの長田佳世と本島美和。小野は前回よりも踊りに厚みが出て、燦めきが増している。音楽性やラインの美しさは言うまでもなく、クララを見守る態度には、緻密な役作りを窺わせる。責任感が強く、常に完璧を目指しているが、さらに望むとすれば、本当の自分を観客に差し出すこと(バランシン)、供物として存在することだろうか。一方、米沢は前回のまさに供物としてのアプローチを封印した。天国と地獄を表現し得る感情の深さを持ち、意識の集中によって身体を変えられるがゆえに、振付を自分に引きつける傾向がある。表現の幅を広げるためにも、今回のように様式性に添うことは重要なプロセスと言えるだろう。


長田はいつも通り誠実だった。一つ一つのパを正確に、音楽を全身で感じて、今捧げられるものは全て捧げる、ダンス・クラシックへの信仰告白のような舞台。完璧に意識化された脚の、夢のような軌跡が、古典バレエの醍醐味を伝える。アダージョでは唯一、チャイコフスキーの悲劇性を浮かび上がらせた。昨季から踊りと自己が一致してきた本島は、まさにその通りの踊り。フォルムの美しさという点では、初日配役のアラビアの方が優っており、適役にも思われるが、輝かしさ、包容力で本島らしい金平糖の精を作り上げている。


王子にはそれぞれ菅野英男、福岡雄大、マイレン・トレウバエフ、奥村康祐。菅野、トレウバエフは、磨き抜かれたクラシックの美しさと万全のサポートを誇り、福岡と奥村はやや現代風の味付けだった(ただし牧振付の超絶リフトは菅野と福岡のみが実施)。小野と米沢が襷がけで雪の女王に配され、それぞれ福岡、菅野との阿吽の呼吸を見せるという粋な趣向もあった。


クララは五月女遥、井倉真未、加藤朋子、さいとう美帆が異なる造型を見せたが、自然な少女らしさでは加藤が際立っている。雪の女王は上記以外に、伸びやかで透明感のある寺田亜沙子と、美しく力強い堀口純という配役。物語の要ドロッセルマイヤーは、魔術的な山本隆之と、妖しげな冨川祐樹が勤めた。


雪、花のアンサンブルの美しさは健在。キャラクターダンスではトロルとトレパックで、切れ味鋭い八幡顕光、情熱にあふれる福田圭吾が献身的な踊りを披露し、若手の模範となった。バレエ研修所出身者を含めた若手男性ダンサーの活躍が目立つ一方、輪島拓也のシュタルバウム、古川和則のスペイン、貝川鐵夫のアラビアなど、個性派古参ダンサーも存在感を示している。


指揮の井田勝大は躍動感あふれる本来の個性をなぜか抑えて、全体をまとめる方向にあった。演奏は東京フィル。優れた歌声を聴かせた東京少年少女合唱隊に是非スポットライトを。(12月17、18、20、21日 新国立劇場オペラパレス) 『音楽舞踊新聞』No.2917(H26.1.21号)初出