新国立劇場バレエ団2010年公演評

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●『白鳥の湖


新国立劇場バレエ団新年の幕開けは『白鳥の湖』。セルゲーエフ版を基に芸術監督の牧阿佐美が改訂を施したもので、今回新たに四幕のアダージョが削除された。オデットと王子が互いの感情を確かめ合うダンサーにとっては為所の場面。スピーディな展開を狙ったものと思われるが、残念ながら今回はそうした効果よりもドラマの稀薄さを印象づける結果に終わっている。


予定のキャストは4組。ただし初日を含め3回踊るはずのザハロワが当日故障、急遽代役として、すでに配役されていた厚木三杏が初日と二回目を、配役外の川村真樹が三回目を踊ることになった。両者ともスター性十分のベテランと中堅だが、今回が2回目の『白鳥』主演である。無事に踊りきったとは言え、近年の配役の混迷ぶりを露呈する形になった。


当初の回を含め3回踊った厚木は初日、持ち前の責任感と思い切りのよさで劇場の急場を凌いだ。パートナーにはそのままウヴァーロフが残されたので、互いの呼吸を測りながらの苦しい舞台である。2回目には自らの豊かな音楽性と演劇性を生かし、伝統的解釈に則った役作りを見せることができた。本来配役の公演では、代役の疲れを感じさせつつも持てる力を出し切って、グラン・フェッテの鋭さ、終幕のパトスで、無垢な王子貝川鐵夫を激情の渦に巻き込んだ。二幕の詩情、三幕の肉体の華やかさという美点を生かした川村共々、バレエ団への貢献は大きい。


初役は中堅のさいとう美帆(未見、パートナーはトレウバエフ)と若手の小野絢子。小野は優れた音楽性と緻密な解釈力、確かな技術を持った次代を担う逸材だが、さすがに『白鳥』の壁は厚かったようだ。音楽性は音感に留まり、解釈も身体化されていない。年末『くるみ割り人形』での初日の金平糖の精、最終日のクララ役から日が浅いということもあるかも知れない。次回、小野らしい白鳥を期待する。


パートナーの山本隆之は完成された王子造形を見せた。小野の一直線の芝居を見守るしかなかったが、本来は劇的なパートナーシップを築けるダンサーである。


ロートバルトの芳賀望は意志と献身性、貝川はノーブルな佇まいで個性を発揮。また西川貴子が正統的なマイムで威厳と気品に満ちた王妃を演じている。パ・ド・トロワでは川村、寺島ひろみ、トレウバエフのゴージャス組が舞台に厚みを、堀口純、寺田亜沙子、福岡雄大の清新組が爽やかな風をもたらした。


バレエ団若手では、道化役八幡顕光の踊りの切れ、同じく福田圭吾の愛情深さ、ナポリ伊東真央の全身からこぼれる微笑み、ルースカヤ井倉真未の舞台を支配する大きさが、ベテランでは、ハンガリー西山裕子の優美、同じく長田佳世と古川和則の骨太な踊りが印象深い。白鳥群舞は前回公演よりも精度が上がっている。


熱血アレクセイ・バクランの指揮に東京交響楽団はよく応えたが、オーボエの音詰まりはこの演目の場合やや致命的に思われる。(1月17、19、20、21、22日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2806(H22.2.21号)初出

●『アンナ・カレーニナ


新国立劇場バレエ団恒例の中劇場公演はロシア人振付家ボリス・エイフマンによる『アンナ・カレーニナ』(05年)。アクロバティックなアダージョアスレティックな群舞、シンボリックな感情表現は、ソビエト・バレエが行き着いた究極のスタイルである。古典以外は英仏米作品を踊ってきた新国立劇場バレエ団にとって、挑戦とも言える作品導入である。


エイフマン版『アンナ・カレーニナ』(音楽チャイコフスキー)はトルストイの原作からアンナの部分を抜き出し、登場人物をアンナ、夫のカレーニン、愛人のヴロンスキーに限定(キティは冒頭の舞踏会にのみ登場)。主役三人の心理を表す象徴的なソロ、デュエットと、社交界、軍人、社会の良識、鉄道員といった外界を表す群舞が交互に組み合わされる。このため観客は通常の物語バレエのようにドラマの流れを辿るのではなく、三人のその時々の強烈な感情(パトス)を味わう仕組みになっている。


配役はボリス・エイフマン・バレエ劇場からのゲスト組と新国立劇場組のダブルキャスト。エイフマン組は当然ながら、アスレティックな動きとパの大きさを重視するエイフマン・スタイルの体現者である。アンナのニーナ・ズミエヴェッツはアクロバティックなリフトを難なくこなし、鮮烈な脚のフォルムを観客の目に焼き付ける。言わば動く肉体の彫刻である。グラン・ジュテしてそのままヴロンスキー役のガビィシェフに片腕を取られ振り回される場面、ベッドの手すりに乗ってアラベスクし、そのまま後ろ向きに倒れる場面では、危険と隣り合わせの振付を淡々と遂行して、無意識の崇高さを漂わせた。


エイフマンの分身とも言うべきカレーニンは若手のセルゲイ・ヴォロブーエフ。まだ十全とは言えないが、エイフマン独特の重厚な男性ソロを骨太に踊ってみせた。またアンナのアンダーも兼ねた堀口純が、キティの娘らしい外見と感受性豊かな内面を、わずかの登場で描き出すことに成功している。


一方新国立組のアンナとカレーニンはベテランの厚木三杏と山本隆之、ヴロンスキーには貝川鐵夫が配された。厚木のアンナは緻密な解釈と思い切りのよさが組み合わさった集大成とも言うべき出来栄え。エイフマンの振付意図を手兵ダンサーよりも的確に伝える。そのクリエイティヴィティ、感情を喚起する優れた音楽性、ドレス姿の気品、リフト時のラインの繊細さと強度は、アーティストの域に達している。


対する山本も少し若々しい感情表現だったが、カレーニンの内面の奥底にまで入り込んだ渾身の演技を見せた。パートナーとしての信頼度はバレエ団随一。一幕「フィレンツェの思い出」を使った和解のパ・ド・ドゥからは、二人の痛切な会話が聞こえてきた。貝川のヴロンスキーは初日は少し緊張気味。二回目でようやく素直な感情と優れた音楽性という長所を発揮した。終盤夢の中で子供に戻ったアンナを抱っこするデュエットが瑞々しい。困難なリフトにも果敢に立ち向かった。


ソリストを多く含む群舞はよく健闘している。中でも躍動感あふれる軍人群舞、蒸気機関車と化した鉄道群舞が素晴らしい。江本拓、福岡雄大、福田圭吾の鮮やかな踊り、トレウバエフの献身的動き、さらに舞踏会での西山裕子の精緻な踊りが印象的だった。演奏はテープ使用。(3月21、22、26、27日昼 新国立劇場中劇場)  *『音楽舞踊新聞』No.2812(H22.5.1号)初出

●『カルミナ・ブラーナ


新国立劇場バレエ団が次期芸術監督デヴィット・ビントレーの『カルミナ・ブラーナ』を5年ぶりに上演、同時上演『ガラントゥリーズ』と併せ、来季バレエ団陣営を予告する公演を行なった。


バレエ団初演の『ガラントゥリーズ』(86年)は、振付家ビントレーの繊細で生き生きとした音楽性、明朗な精神、ユーモアといった才能が余すところなく発揮されている。音楽は初期モーツァルトを使用。題名通り、男性ダンサーは一人を除いてサポート役に徹し、その優雅で慎ましい献身性は、英国に移植された帝政ロシア・スタイルを偲ばせる。
パートナリングは現代的な複雑さを帯びているが、全て音楽から導き出されており、技巧の誇示は皆無。トロワでの左右タンブリング・リフトや、アダージョでの流れるような回り込みサポートが素晴らしい。エポールマンをよく意識した清潔なスタイルと明晰な技術をダンサーに要求する、古典バレエの粋を集めたシンフォニック・バレエである。


3キャストのうち、初日組の精緻なアンサンブルが素晴らしい。メヌエットでは、若手の小野絢子が芳賀望と福岡雄大に交互にサポートされ、優れた音楽性と確かな技術を発揮、ビントレー振付の申し子であることを証明した。またアダージョの川村真樹が、山本隆之の十全たるサポートを受けて、花開くデヴロッペ、垂直に屹立するアチチュードなど、クラシック正統派の輝きを放つ。湯川麻美子の風格、長田佳世の活きのよさ、八幡顕光の音楽性など、ソリストの個性がよく生かされた、優れた座組だった。


一方、ビントレー版『カルミナ・ブラーナ』(95年、音楽カール・オルフ)は60年代の英国ポップ・カルチャーを背景にしたモダンバレエ。冒頭の有名な「おお、運命よ」では、目隠しをした黒いスリップドレスとハイヒール姿のフォルトゥナ(運命の女神)が鮮烈な天秤ソロを踊る。神学生三人が音楽の三部構成に従ってダンスホール、ナイトクラブ、売春宿と人生を謳歌するが、最後にはしっぺ返しがくるため、振付家自身によれば「道徳的な作品」である。


振付はクールでスタイリッシュなフォルトゥナ・ソロと、神学生の群舞が充実している。他は歌詞を反映したマイムが多く含まれ、動き自体は音楽的ながら、振付の強度がやや低い。また曲数の多い第一部は、演出が煩雑で少し説明的に感じられた。だが、堕落を描いて明るく、ダンサー達が禁じ手の動きを嬉々として演じる姿は、見ていて楽しい。歌手や合唱との共演も、この作品の大きな魅力である。


主役は全て3キャスト。来季より姉妹バレエ団的存在になるバーミンガム・ロイヤル・バレエから、ヴィクトリア・マールがフォルトゥナ役で、ロバート・パーカーが神学生3役で客演。マールは前回のヒメネス程の強さはないが、癖のない踊りで、パーカーは美しい体型と素直な踊りでアンサンブルに溶け込んだ。


ビントレーの信頼厚いベテラン湯川は、二回目とあって完全に役を掌握、爽やかな色気と繊細かつシャープな動きで迫力あるフォルトゥナを造形する。神学生3の芳賀とのパ・ド・ドゥでは、臼木あいの濃密なソプラノをバックに、互いの感情が渾然一体となる熱い愛の形を描き出した。相手の芳賀も未消化の部分を残しながら、パートナーに誠実に対する優れたデュエット感覚を示した。


小野は少し早すぎるフォルトゥナだったが、成熟した肉体美を誇る神学生3山本とのパ・ド・ドゥでは、才能の確実な開花を予感させるみずみずしさを見せる。山本、古川和則、福岡という重厚な三神学生を従えて踊る、フィナーレでの真っ直ぐなソロは、まさに来季の予告だった。


小野と組んだ山本は、圧倒的な存在感、密度の高い踊り、虚構を楽しむ余裕にこれまでの道程を感じさせる。福岡の詩情あふれるオルフェウス風神学生1、古川の正統的な骨太神学生2、同じく福田圭吾のその場を生き抜くドラマ性と八幡の音楽性、さらに川村の美しいローストスワン、さいとう美帆の気紛れブロンド娘が印象的だった。


演奏はポール・マーフィ指揮東京フィル。バレエ団と同じ立場にある新国立劇場合唱団が、ピットから強力に舞台を支えている。(5月1、2昼夜、5日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2816(H22.6.21号)初出

●『椿姫』


新国立劇場バレエ団シーズン終幕は、99年以降11年の長きにわたってバレエ団を率いてきた牧阿佐美芸術監督の最終公演でもあった。演目は07年初演の自作『椿姫』全二幕である。


牧監督の功績は、日本のバレエ団にふさわしいアンサンブルを作り上げたこと、バランシン、アシュトン、マクミラン、プティ等、世界レヴェルの現代バレエを導入したこと、また『くるみ割り人形』を始めとする古典の再演出と、石井潤の『カルメン』、自身の『椿姫』、ビントレーの『アラジン』という再演に耐える創作バレエをプロデュースしたこと、対外的には米ロ二回の海外公演を実現したことが挙げられる。


ただ、主役ダンサーの起用については、これまで劇場を本拠とするプロのバレエ団が日本に存在しなかったこともあり、試行錯誤が繰り返された。開場以来唯一のプリマ候補だった酒井はなを登録に移行させたことは、バレエ団のその後の混迷ぶりを考えると残念と言わざるをえない。一方で次代を担う逸材、小野絢子を早くから主役起用し、次期芸術監督に繋いだ点は評価できる。最終日、カーテンコールに続いて牧監督の辞任の挨拶が行なわれた。バレエ団全員を背に、晴れ晴れとした表情が印象的だった。


再演の『椿姫』は練り上げられた仕上がり。前回物足りなかったパ・ド・ドゥも充実、ディヴェルティスマンはさらに磨きがかかった(アラブは省略)。唯一作舞法の異なるマルグリットとアルマン父のパ・ド・ドゥは、まだ動きの収まりが悪く突出して見える。一方終幕の様式的なパ・ド・トロワはナルシシズムが排除され、自然なクライマックスを迎えた。エルマノ・フローリオ選曲のベルリオーズはやはり作品の根幹である。オペラ劇場にふさわしい奥行きと深さを備え、示導動機を取り入れた緻密な編曲がドラマを易々と推進させた。


四人のマルグリット・ゴーティエは全員二回目。それぞれのアプローチが作品に貢献している。初日のザハロワは初演時よりも合理的なパフォーマンスに終始し、終幕トロワでようやく凄みが出た。それまで鈍く見えたラインが一気に引き締まり、リフト時の繊細な動きは宗教性さえ帯びている。ロシア派らしい崇高な叙情性が支配したザハロワ色濃厚な終幕だった。


二日目の酒井は完全に役を掌握している。肉体の磨き抜かれた輝き、繊細なライン、心の底から湧き出る偽りのない演技がすばらしい。牧独特の振付ニュアンスを完璧にこなしたのも酒井ただ一人だった。蓄積を生かした円熟の舞台である。


一方、昨年九月ボリショイ劇場で主役を踊った堀口純は本拠地初お目見えとなった。少し控えめだが細やかで丁寧な役作り。ラインよりも感情表出が前面に出る日本バレエ伝統のアプローチである。牧監督によるボリショイ抜擢が理解された。音楽が最も聞こえたのもこの日。フローリオは自分の作品を心置きなく指揮することができた。


本島美和のマルグリットは堀口とは対照的に押し出しの良さが特徴。華やかさが観客の視線を惹きつけるが、なぜか踊りに香りがなく感情が喚起されない。役作りを十全に身体化させる術をまだ見つけていないようだ。


アルマン役はザハロワにマトヴィエンコ、酒井と堀口に山本隆之、本島にテューズリー。マトヴィエンコは狂気すれすれの激情を見せる。一本調子だが献身的なアルマンだった。一方ベテランの山本は完璧な役作り。酒井にはよきパートナーとして、堀口には若々しい情熱的な恋人として存在する。堀口と出会う場面、頬を愛撫される場面の初々しさは、ボリショイ公演に至る濃密なプロセスを想像させた。


テューズリーは端正なロイヤルスタイル。恋人にしてはややクールで、他日配役された伯爵の一分の隙もない演技に美点が生きた。マルグリットの扇を拾う場面も説得的。また全日アルマン父を演じた森田健太郎は強烈な存在感を発したが、老け役としては受けの演技が必要だろう。


全体を通してドゥミ・モンドの華やかさを最も表現し得たのは、プリュダンスの厚木三杏とガストンの逸見智彦。主役でも良い程だった。ソリストが勢揃いするディヴェルティスマンではメヌエットの川村真樹、チャルダッシュの西山裕子、長田佳世、タランテラの小野絢子、またペザント福岡雄大が主役級の踊りを見せている。東京フィルは非常に充実していた。(6月29、30日、7月2、4日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2820(H22.8.11-21号)初出

●『ペンギン・カフェ


新国立劇場バレエ団が、新芸術監督デヴィッド・ビントレーを迎えて初めてのシーズンを開幕した。プログラムはバレエ・リュスの古典、フォーキンの『火の鳥』(10年、54年)、バランシンの代表作『シンフォニー・イン・C』(47年、48年)、自身の『ペンギン・カフェ』(88年)。どれも激しい舞踊シーンを含むタフなトリプル・ビルである。


幕開きの『火の鳥』は上演100周年記念(バレエ団初演)。オリジナルに近いとされるグリゴリエフ=チェルニチェワ版に基づく。ストラヴィンスキーの色彩豊かな音楽、ロシア民話の素朴な味わい、濃厚なキャラクターダンス、ニジンスカやバランシンに共有される面白い人体フォルムなど様々な魅力を含むが、現状では歴史的意味合いの方が強い。今後は演奏のレベルアップによる補強が必要だろう。


タイトルロールは小野絢子、エリーシャ・ウィリス(バーミンガム・ロイヤル・バレエ)、川村真樹。小野は溌剌とした若鳥。音楽をすぐさま羽ばたきに変え、魔王の手下たちをユーモラスに踊らせる。ウィリスは伸びやかでダイナミックな成鳥、川村はゴージャスに羽ばたき手下を圧する、輝きに満ちた妖鳥だった。円熟味の点で川村が最も適役と言えるだろう。


イワン王子はそれぞれ、スターの存在感あふれる山本隆之、純朴なイアン・マッケイ(BRB)、物語を生き抜いた福岡雄大。王女ツァレヴナはたおやかな寺田亜沙子と風格のある湯川麻美子、魔王カスチェイは鮮烈なマイム役者トレウバエフ、妖しげな冨川祐樹、重厚な古川和則が務めた。


続くビゼー交響曲一番に振り付けられた『シンフォニー・イン・C』はバレエ団3度目。振付指導が変わり、初演時の破格のエネルギーは見られなかったが、すっきりした仕上がりである。ダンスクラシックの語彙のみによる振付は、ダンサーに純粋なパと音楽に忠実な楽器であることを要求する。


今回は第1、第2楽章の女性プリンシパル、長田佳世(1)、小野(2)、米沢唯(1)、川村(2)がそれに合致した。とりわけ初日の長田が優れたバランシンスタイルを体現している。躍動感あふれる音楽性、完全に意識化されたクラシックの肉体、盤石の技術。立ち姿のみで膨大な情報量を発信する。また火の鳥と同じく初日配役された小野は、初々しい蕾の魅力を発散させた。プリマがやるべき事を十分に理解しており、後は肉体の成熟を待つばかりである。男性では長田と組んだ福岡が踊りの切れと美しさで他を圧倒した。西山裕子、大和雅美を始めとするコリフェは充実、コール・ド・バレエの熟成はこれからである。


最終演目『ペンギン・カフェ』は、民族音楽の要素を多く含むサイモン・ジェフスの曲を創作の端緒とする。振付も多彩だった。ボールルームダンスやモリスダンスなど、種々の踊りを動物たちが賑やかに踊る。終盤は一転してカフェの入口が「ノアの箱船」の入口となり、動物と人間が二人一組で入っていく。夕闇迫る中、ペンギンが遠ざかる箱船を背に一人佇んで幕となる。


動物は全て絶滅危惧種であり、このペンギン種が既に滅んでいる事実を知らなくとも、生と死についての深い洞察が作品に隠されていることは明白である。シマウマが射殺される時の崇高な痙攣、消え入るように立ち去るネズミの小さな魂。動物たちの楽しげに踊る姿は、束の間の生、種のはかなさと表裏である。原題にある Still Life の二重の意味、「人生は続く」と「静かな生(静物画)」が、振付家の詩的で繊細な演出を通して静かに伝わってくる。


ダブルキャスト全員が献身的な演技を見せるなか、シマウマ 古川の高密度のフォルム、ノミ 西山の的確で音楽的な動き、ネズミ 福田圭吾のペーソスと役への同化が素晴らしかった。またペンギン さいとう美帆の細やかなフットワーク、ヒツジ 湯川とパートナー トレウバエフの洒脱な踊り、モンキー 福岡の華やかさ、熱帯雨林家族の貝川鐵夫、本島美和の無意識の哀しみも印象深い。


入口は入り易く、出るときは思索家となる優れた作品。恐らく子供の目と頭は深い理解を示すだろう。ポール・マーフィ指揮、東京フィル。(10月27、28、30日、11月3日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2835(H23.2.21号)初出

●『シンデレラ』


新国立劇場バレエ団が年末恒例のアシュトン版『シンデレラ』を上演した。デヴィッド・ビントレー芸術監督、大原永子監督補の新体制になって二度目の公演、初めての全幕物である。


新体制による変化はまず運営面において顕著だった。ポスト・トーク、リハーサル見学、プルミエ・レセプションの導入、筋書きの当日配布、カーテンコールの改善など、観客とのコミュニケーションをより深める方策が採られている。カーテンコールを一回ごとに幕を降ろすやり方に変えただけで、ダンサーと観客の間に親密な空間が生まれた。社会における劇場の意味や、消費される文化ではなく育まれる文化の重要性を、新体制が認識している証左である。


二年ぶりの『シンデレラ』は4キャストが組まれた。期待されたパントマイム部分のブラッシュアップはまだ個人の技量に任されているようだが、主役、アンサンブルの踊り方にははっきりと変化が見られた。主役にはパの明晰さとスピード感、アンサンブルには伸びやかで大きな踊りが要求されている。従来の舞踊スタイル重視から、クリアな技術への転換があり、プロのバレエ団として新たな一歩を踏み出した印象を得た。それを象徴したのが長田佳世と小野絢子の初役二人である。


長田は、一人加わったことでバレエ団の体系が変わる程の強い才能である。長田の正確で躍動感あふれる踊りは、アシュトンのプティパ・オマージュをプティパそのものに戻す作用があった。炉端での全身全霊を傾けた演技はモスクワ派のリアリズムを想起させる。二幕アダージョでの見せ方には更なる工夫が望まれるが、本格派ドラマティック・バレリーナの誕生を期待させるに充分な舞台だった。カーテンコールでの心のこもったレヴェランスも素晴らしい。


一方、若手の小野はアシュトンの音楽的アクセントを隈なく実現する。明朗な精神と闊達な踊り、子ども達に夢を与える舞台人としての自覚に基づいた、優れたパフォーマンスだった。それぞれの王子は共にノーブルな佇まいの福岡雄大と山本隆之。福岡は端正な踊り、山本は場を支配する華やかな存在感と手厚いサポートに魅力を発揮した。


初日を飾ったさいとう美帆は重圧のせいか少し緊張気味だったが、持ち役にさらに磨きをかけている。踊りが大きくなり、何よりも感情が出せるようになった。王子のトレウバエフは最終日配役の義理の姉に精彩がある。


中堅の寺島まゆみと貝川鐵夫はリリシズムあふれる舞台作り。寺島の初々しいシンデレラと貝川のゆったりと鷹揚な王子が、親しみやすいお伽の世界を作り上げた。


義理の姉たちでは、初役のトレウバエフが明確なマイムと舞台への献身的情熱で一幕を支配、ベテラン堀登の溌剌とした可愛い妹に愛される姉だった。また気の好い妹 高木裕次が進境を見せている。仙女3キャストでは、復活の湯川麻美子が完成された役作りと円熟のヴァリエーションで舞台を大きく包み込んだ。


難しい道化役3キャストはそれぞれが貢献。八幡顕光は踊りの切れ、福田圭吾はその場に寄り添う自然な演技、バリノフは気合いのこもったマイムで客席を沸かせた。ナポレオンとウェリントンは八幡=小笠原一真組の妙なおかしみが印象的。四季の精では西山裕子の音楽的な春の精、新加入米沢唯の優雅で切れのある秋の精が目立った。


王子の友人たちは回を重ねて整ったが、アンサンブルは初日から仕上がりがよかった。突撃隊長 大和雅美率いる星の精たちの肉体のきらめき、大柄マズルカの伸びやかな踊りが素晴らしい。ガーフォース指揮、東京フィルの奏でる濃密なプロコフィエフも公演の大きな魅力だった。(11月27、28日、12月4、5日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2833(H23.2.1号)初出

新国立劇場バレエ団2011年公演評

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●『ラ・バヤデール』


新国立劇場バレエ団新春公演は二年半ぶり4回目の牧阿佐美版『ラ・バヤデール』。聖なる森の梢が上下する、ダイナミックな場面転換が見せ場の一つである。牧版の特徴は結婚式と寺院崩壊の場(ランチベリー曲)を加え、物語に一貫性を持たせた点にある。演出はコンパクトでスピーディ。結婚式直前にソロルが苦悩する幻影場面は、簡潔で効果的だった。ただし結婚式列席者の省略には物足りなさが残る。終幕はニキヤとソロルの魂が結ばれず、ソロルは断罪される。他の牧作品同様、女性の無謬性、不可侵性が印象づけられた。


バレエ団にとっては一年ぶりの古典バレエ。芸術監督が変わったこともあり、アンサンブルは伸び伸びと個が際立って見える。このため影の王国では、以前の息詰まるような様式美の代りに、32名(元は48名)の人間が数珠繋ぎでアラベスクし、ユニゾンでパの組み立てを行う振付そのものの破格が、浮き彫りになった。一方、マイム場面については前回よりも迫力が減じた。老け役がまだ育っていないこと、マイム教育の不備が原因だが、名脇役イリインの不在も大きい。


ニキヤ、ガムザッティのそれぞれ4キャストは全員初役。その中で圧倒的な完成度を誇ったのが、長田佳世のガムザッティだった。本来はニキヤの柄だろうが、マイムの気品、音楽性、パトスのこもった雄弁なポール・ド・ブラ、抑制されたライン、磨き上げられた繊細な踊り、万全の技術と、全て揃っている。有名なヴァリエーションはイデアそのもの。舞台への献身性を併せ持つ、まさにプリマの器である。


他のガムザッティはベテランの厚木三杏、中堅の本島美和、堀口純と適役である。ただ残念ながら厚木と堀口は本調子とは言えず、本島はよく健闘したものの、マイムの音楽性とポール・ド・ブラに難があった。


主役のニキヤはベテランの域に入りつつある川村真樹に一日の長があった。美しく、詩情と気品にあふれるニキヤである。演技はあっさりめだが、踊りは美しいラインに強度が加わり、申し分ない。三幕ヴェールの踊り、ディアゴナルの切れ味、スピードが素晴らしかった。


ザハロワの代役という重責を担った小林ひかる(英国ロイヤルバレエ)は、技術も安定、プロダンサーとして舞台を作ることの意味をよく理解している。詩情や情感を見せるには至らなかったが、立派に代役を務めた。反対に技術やスタミナの点で少し綻びはあったものの、日本人に馴染み深い情感を醸し出したのが寺田亜沙子。美しい容姿に大人っぽさが加わり、終始しっとりした情緒を舞台に漂わせた。


最年少の小野絢子は懸命な踊りが共感を呼んだが、ニキヤとしてはまだ少し幼く、二、三幕では踊りに強度を乗せるには至らなかった。終幕のグラン・ジュテでようやく本来の優れた音楽性を確認することができた。


ソロルはそれぞれ、芳賀望、マトヴィエンコ、山本隆之、福岡雄大。芳賀はサポートの向上が望まれるが、りりしい踊り、福岡は少し線が細いが端正な踊りが魅力、マトヴィエンコは力強い造形で初役の小林を支えた。


牧版ソロルの極めつけはやはりベテランの山本。役にはまり込んだ演技が寺田ニキヤとの間に濃密なドラマを立ち上げる。ガムザッティの長田を加えた大阪出身トリオが最終日に初めて、物語のあるべき姿を描き出した。


マグダヴェヤの吉本泰久、八幡顕光、黄金の神像の福田圭吾が献身的な踊りで場を盛り上げる。また湯川麻美子の円熟のつぼの踊り、パ・ダクションの西山裕子、寺田まゆみ、伊藤真央の明るく爽やかな踊りが、舞台を華やかに彩った。


重厚な東京交響楽団を率いる熱血アレクセイ・バクラン。長田の踊りで一気に火が点いたのが印象的だった。東響はカーテンコールにおいても、観客の拍手を背中ではなく、正面から受け止めて欲しい。(1月15、16、22、23日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No2836(H23.3.1号)初出

●『ビントレーのアラジン』


東日本大震災による中劇場公演中止から一ヶ月と十日、新国立劇場バレエ団が『ビントレーのアラジン』を上演した。老若男女を心から楽しませるレパートリーで公演が再開されたことは、バレエ団、観客の双方にとって幸運だったと言える。


劇場では恒例の筋書きと共に、ビントレー芸術監督のメッセージも配布された。自身も大地震をリハーサル中に体験、最悪の事態を免れた東京においてさえ、喪失と悲しみの感覚に打ちのめされたこと、被災者への深い思い、復興期における芸術家の役割について語り、この公演で観客に元気を取り戻して欲しいと呼びかけている。英語ではThe National Ballet of Japan に改称されたバレエ団の監督にふさわしい、愛情と洞察に満ちた一文だった。


二年半振りの再演は、初演時に感じられた二、三幕の弱さが解消され、引き締まった仕上がりを見せている。公演に合わせて来日した作曲家カール・デイヴィスの音楽がやはり魅力的。『ロミオとジュリエット』や『ばらの騎士』といった劇場音楽の豊かな遺産を援用し、ライトモチーフを駆使して強力に物語と踊りの世界へ観客を導く。情熱的なルビー、華麗なダイアモンドワルツ、我々には馴染み深い5音音階の行進曲やドラゴンダンスなど耳について離れない。

ビントレー振付の緻密かつ自然な音楽解釈、多彩な語彙はもはや驚きではなかった。アンドレ・プロコフスキーと比肩されるドラマに即した詩的(音楽的)演出こそ、「生の肯定」とも言うべき根本的な明朗さと共に、振付家の個性を主張している。ワイヤー宙乗りや背景の引き抜き、人形の代役など、劇場らしいローテク演出もすばらしい。日本の『アラジン』受容を考慮して、アラジン親子をアラビアの中国移民として描いたことも、異文化の融合という思わぬ副産物をもたらした。


主役のアラジンとプリンセスにはゲスト無しの3キャストが組まれた。その内ビントレー振付の核心を示したのが、3公演踊った八幡顕光=小野絢子組である(他組は2公演)。


小野は存在自体が周囲を祝福する、まさにプリンセスだった。気品と優しさ、そして明るいユーモア、何よりも全身が音楽と化した伸びやかなアダージョがすばらしい。その清らかな佇まいには、舞台と客席を爽やかに浄化する力があった。一方の八幡は、音のツボを押さえた小気味よい踊りとエネルギッシュな演技で、やんちゃなアラジンを造形。小柄ながら小野のラインを美しく見せる献身的サポートも披露した。


この組と対照的だったのが福岡雄大=さいとう美帆組。福岡の端正で美しい踊りと情熱的な演技、さいとうの清楚なお姫様ぶりが、しっとりと情緒あふれる恋物語を描き出した。プリンセスの投げ返したリンゴをアラジンがガブリと囓る場面では、みずみずしい初恋の詩情が、チェスと狩りの誘いの場面では、新婚の慎ましやかな愛情が溢れ出す。バランスの取れた組み合わせだった。


初日を飾った山本隆之=本島美和組はドラマティックな要素を期待された配役だろう。山本は少し上品なアラジン。舞台を支配する華やかな存在感、細やかな演技、優れたパートナリングに個性を発揮した。一方の本島は初演時よりもアダージョの踊りが滑らかになったが、やはり浴場とハーレムでのキャラクター色濃厚な踊りに精彩があり、山本との間にドラマを築くには至らなかった。


ソリストはほぼダブルキャスト。若手登用もあり、適材適所が楽しめた。ジーンには力強い吉本泰久と軽快な福田圭吾、マグリブ人は正統派トレウバエフと妖しい冨川祐樹、アラジンの母にはコミカル遠藤睦子とあっさり楠元郁子、サルタン役ガリムーリンは究極のはまり役だった。


宝石のディヴェルティスマンはまさに珠玉の舞踊集。ルビー長田佳世が完璧なクラシックスタイルで他を圧する。精妙な腕使いと鮮烈な足捌きに陶然となった。またダイアモンド西山裕子の音楽的肉体のきらめき、エメラルド古川和則の気の漲った踊り、同じく寺田亜沙子の繊細な踊り、サファイア井倉真未の豪華な踊り、ライオンダンス福田=菅野英男の献身的祝祭性も印象的だった。


バレエ団の美脚を揃えた砂漠の風アンサンブルや、ソリストを多く含むジーンの手下アンサンブルがすばらしい。ポール・マーフィー指揮、東京フィルも思い切りのよい華麗な演奏で公演再開を祝した。ただしカーテンコールの原則が崩れ、ダンサーが拍手を貰いに行く姿を目にしたのは残念。(5月2、3、4、8日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2843(H23.6.11号)初出

●『ロメオとジュリエット』


新国立劇場バレエ団今季最終演目は、7年ぶり三度目のマクミラン版『ロメオとジュリエット』(65年、バレエ団初演01年)。芸術監督が変わり、舞台装置・衣裳だけでなく演出もバーミンガム・ロイヤル・バレエ担当となった(振付指導 デズモンド・ケリー)。


前回との最大の違いは、個々の動きのアクセントが明確になり、演技がすみずみまで浸透した点である。ビントレー作品と共通する全員参加の舞台作りと言える。主役をフォーカスするマクミラン色は後退したが、硬直と脱力を繰り返すジュリエットの生々しい肉体や、男性ダンサーのシンメトリーな肉体など、振付の特徴が再確認された。


今回はゲストを含め4キャストが組まれた。最大の焦点は新旧プリマの競演である。初日を飾った小野絢子は優れた音楽性、確かな技術、バランスの取れた身体の持ち主。古典ではまだ力を発揮できていないが、ビントレー作品では特徴である明朗な精神と繊細な音楽性を見事に体現、振付家のミューズとなっている。ジュリエットにおいても徒に感情に走らず、振付のニュアンスをよく把握、地を生かした自然な役作りで臨んでいる。真っ直ぐな演技と踊りが気持ちよい。時にコミカルに見えるのは個性。まだ彫り込むべき部分が残されているが、魅力のあるみずみずしいジュリエットだった。


一方最終日を踊った酒井はなは、同版三度目のベテラン。これまではその途方もないパトスの力で型を逸脱する場合もあったが、今回は両者が拮抗した円熟の舞台である。その解釈の緻密さには、振付を分解し再構築した感触が残る。同時に解釈を実行推進するパトスの強さは、周囲と観客を引きつけ異世界へと連れ出す力を持つ。硬直と脱力の激しさ、最後は本当に「死んだ」。カーテンコールは無表情で蒼白の死の顔、何回が繰り返す内に徐々にほぐれ、いつもの笑顔に戻った。酒井の実存に深く根差した舞台である。定位置に戻ったプリマに、観客の熱い拍手が鳴りやまなかった。


バレエ団からもう一人の配役は来季プリンシパルに昇格する本島美和。本来の柄はキャピュレット夫人のため、一幕の無邪気な少女らしさ、清らかさには無理があったが、三幕の苦悩の演技では、本島の可能性の一端を見ることができた。他の昇格組(小野、川村真樹、湯川麻美子、トレウバエフ)と比べるとまだ実力発揮とは言い難い。観客のためにも更なる精進、研鑽を期待する。


ゲストは英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルのリャーン・ベンジャミン。長年踊り込んだ役だけに、マクミラン版の良さを生かすお手本のような演技。初登場ながら周囲に溶け込み、落ち着いた舞台を作り上げた。


ロメオはそれぞれマトヴィエンコ、山本隆之、福岡雄大、セザール・モラレス(BRBプリンシパル)。マトヴィエンコはマクミランのニュアンスに乏しいが、エネルギッシュなソロと献身的サポート、山本は圧倒的なドラマの立ち上げと、対話のような細やかなサポート、福岡はやんちゃな激しさと華やかな色気、モラレスは少しおとなしめながらノーブルなスタイルで作品に奉仕した。


脇役ではBRBから移籍した厚地康雄(パリス、ベンヴォーリオ)が存在感を示した。振付スタイルの把握、音楽性、サポートの充実、演技の安定感がすばらしい。また湯川のキャピュレット夫人は母としての大きさがあり、二幕では血が迸るような嘆きで場をさらった。


遠藤睦子の愛情深いコミカルな乳母、トレウバエフのニヒルなティボルト、八幡顕光の音楽的なマキューシオが印象的。森田健太郎の迫力ある大公と、川村の美しいロザライン、千歳美香子の洒脱なモンタギュー夫人が舞台に厚みを加えた。


熱気あふれる男女アンサンブルが、大井剛史指揮、東京フィルの重厚な音楽と共に、公演の成功に大きく貢献している。(6月25、26、29日、7月2、3日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2848(H23.8.1号)初出

●『パゴダの王子』


新国立劇場バレエ団が世界に誇れるレパートリーを作り上げた。現芸術監督デヴィッド・ビントレー振付による『パゴダの王子』全三幕である。


本作の意義は重層的だった。まずベンジャミン・ブリテン唯一の全幕バレエ曲(57年)を現代に蘇らせた点、日本の身体(能、杖術)や美術(版画、切り絵)を引用し、その国の文化に根差したバレエを作った点、さらに離散した家族が苦難を乗り越え、最後に再会を果たすプロットを用意して、震災で傷ついた国民を鼓舞した点である。才能豊かな円熟期にある振付家が、我々の劇場のために精魂込めて創った作品に接すること自体、一種の僥倖である。


『眠れる森の美女』を下敷きにし、ガムランを内包するブリテンの曲は魅力があった。神秘的、植物的なメロディは、東洋の宮廷を舞台とする兄妹の物語に合っている。


ビントレー版のプロットは先行のクランコ、マクミラン版に倣い、『眠り』『美女と野獣』『リア王』の要素を含むが、独自に姉のエピーヌを継母に設定し直し、王子(継子)をサラマンダーに変える場面を登場させた。妹のさくら姫(ローズから変更)が試練を乗り越えて兄を救うプロセスは、アンデルセンの『野の白鳥』のエコーを含んで説得力がある。


繊細な音楽性と明確な演劇性を基盤とするビントレーの演出は、作り手の手が見えないほど詩的だった。特に子役の扱い(甕棺、昔語り)と、衰えた皇帝と道化の場面が素晴らしい。振付も役どころを的確に表現。宮廷アンサンブルがすり足で歩行し、体を鮮やかに切り替えた時、袴姿でトゥール・アン・レールやグラン・バットマンをした時には、言い知れぬ感動を覚えた。


レイ・スミスの繊細な美術は振付家の美意識と一致している。白い紙細工のような動物や棘(エピーヌ)の点在する黒地の額縁が、物語を見守る。切り絵の富士山と青い月(最後は日の丸に)がバックに配され、同じく切り絵の波、炎、稲妻が観客を版画の世界へと誘う。宮廷の装束や盛り上がったチュチュも美しく、国芳に想を得たかわいい妖怪やパゴダ人の被り物は、いかにも英国風だった。


照明は日英コラボレーションの一環として沢田祐二が担当。沢田らしい絶妙な色調は二幕で生かされ、漆の黒も実現されている。ただ宮廷場面では少し主張が強く、特に一幕は暗めの照明のため、残念ながら演出の全てを見ることができなかった。またスポットライトでの踊りは、ダンサーの作る空間を確認できない難がある。


主要キャストは三組。さくら姫には、小野絢子、長田佳世、米沢唯、王子には福岡雄大、芳賀望、菅野英男、共に期待に違わぬ出来栄えである。


第一キャストの小野は美しいラインと優れた音楽性で振付の規範を提示。勇気とユーモアを兼ね備えた、絵に描いたような姫である。王子の福岡も凛々しい若武者姿が光り輝いている。覇気のある華やかな踊りが素晴らしく、パートナーとして磨きが掛かれば盤石の主役である。


第二キャストの長田はいわゆる姫タイプではないが、役にはまり込み、二幕ソロでは深い音楽解釈を示した。一挙手一投足に誠実さが滲み出る、心温まる舞台だった。王子の芳賀は以前のような踊りの切れには欠けるものの、無意識の押し出しと鋭い音感が魅力。


第三キャストの米沢は、すでにベテランのような舞台だった。踊りは自在、振付の全てに解釈が行き届き、さらにそれを上回るクリエイティヴィティを見せる。舞台で自由になれるのは二代目ゆえだろうか。王子の菅野は優れたパートナー。妹を見守る愛情深い兄だった。


美しい継母エピーヌには、湯川麻美子、川村真樹、本島美和という迫力あるキャスティング。湯川の明確な演技と舞台を背負う責任感、川村のダイナミックな踊りと能面のような怖ろしさ、本島の華やかな存在感が適役を物語った。


ダンサー冥利に尽きるのは皇帝の堀登(他日トレウバエフ)と道化の吉本泰久だろう。衰えた老皇帝を道化が抱っこする三幕デュオは、リア王原型の究極の愛の形である。堀の気品に満ちた枯れた演技、吉本の裏表のない献身性が素晴らしい。吉本は観客の優れた水先案内人でもあった。


さくら姫に求婚する四人の王には12人の精鋭が投入され、場を大いに盛り上げたが、中でも西の福岡、南の厚地康雄が抜きん出た踊りを見せた。新加入の奥村康祐、ソロデビューの小口邦明も実力発揮、厚地は他日、怖ろしく優雅な宮廷官吏を演じている。


宮廷、異界両アンサンブルの美しいスタイルと的確な演技、ポール・マーフィ指揮、東京フィルの熱演が、舞台の成功に大きく寄与している。


本公演を最後に、開場以来バレエ団に貢献してきた西山裕子が退団した。流れるような自然な音楽性、明晰なマイムと演技はバレエ団随一。春の精は世界一のアシュトン解釈だろう。ジゼル、シンデレラ、マーシャ、ガムザッティ、ドゥエンデ、チャルダッシュ、ノミ、そして盟友 遠藤睦子と組んだキトリの友人を、我々は二度と見ることはできない。(10月30日、11月1、3、5、6日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2860(H24.1.1-11号)初出

●『くるみ割り人形


新国立劇場バレエ団が恒例の12月公演として、牧阿佐美版『くるみ割り人形』(09年)を再演した。牧版の特徴は物語の外枠に現代の東京を設定した点。クリスマス気分の若者たちがビル街を行き交うなか、主人公のクララはブルーマンを従えた興行師風ドロッセルマイヤーによって、1910年代ドイツのクリスマスパーティにワープさせられる。


振付・演出は英国系を枠組に同団先行版であるワイノーネン版の振付を適時残し、牧が新たに振り付けたものである。今回の再演は初演時の熱気を呼び戻すには至らなかったが、安定したレパートリーであることを証明した。オラフ・ツォンベックの子供時代の記憶を投影した豪華でエレガントな衣裳と装置、立田雄士の美術と呼応する魔術的照明が、舞台に大きく貢献している。


金平糖の精は4キャスト。先の『パゴダの王子』に続いて主役を勤めた米沢唯が、プリンシパル3人の再演組を向こうに、極めて完成度の高い踊りを見せた。役作り、空間を支配する気の漲り、高度で自在な技術に加え、様式(形式)への意識が高い。アダージョではチャイコフスキーの音楽が内包する悲劇性を、深部まで表現し得ている。


一方、初日の小野絢子は初演時と比べて格段の成長ぶり。美しいライン、音のツボを押さえた明晰な踊り、清潔で暖かみのある存在感は、他にない個性である。小野と米沢という対照的資質が、バレエ団の二枚看板としてどのように成長していくのか期待したい。


ベテランの川村真樹はゆったりとした造型。演技はやや控え目、正統派ラインが繰り出す踊りのダイナミズムが美点である。気品あふれる輝く金平糖の精だった。同じく本島美和は華やかな存在感に成熟した美しさが加わっている。今後は腕使いの洗練と、踊りの密度を上げることが期待される。


王子はそれぞれ厚地康雄、山本隆之、芳賀望、福岡雄大。主役デビューの厚地は美しいラインをもつ英国仕込みのダンスールノーブル。演技にも優れ、他日配役のねずみの王様でも、王子同様、立ち姿でドラマを喚起する。身長差のある米沢には献身的なサポートぶり、雪の女王寺田亜沙子とのパ・ド・ドゥでは、爽やかな情感を醸し出した。


これまで多くの舞台を担ってきたベテランの山本は、さすがに安定感のある舞台。小野を大らかに見守る年上紳士のような王子だった。一方川村を支えた芳賀は、王子の典型とは言えないが、不定形の生々しさで独特の個性を発揮。本島の王子福岡はノーブルを意識し過ぎたか、持ち味を生かすには至らず。今後は福岡らしい覇気ある王子像を期待する。


一幕を牽引するクララには再演組のさいとう美帆、井倉真未と、初役組の加藤朋子、五月女遥。その中で五月女が一、二幕を通して溌剌と元気なクララを演じ、舞台度胸の良さを示した。雪の女王には舞台を大きく包む湯川麻美子、大人っぽい美しさを誇る寺田亜沙子、華やかな堀口純の3人、またドロッセルマイヤーの冨川祐樹は一貫した役作り、森田健太郎は迫力ある存在感で適役を証明した。


被り物が多く一層の献身性が求められる作品だが、それを身をもって示したのがベテランの吉本泰久。トロルの踊りに初めてあるべき姿を与えている。またフリッツ八幡顕光の過不足のない演技、ハレーキン江本拓とコロンビーヌ高橋有里の貫禄の踊り、エジプト厚木三杏、貝川鐵夫のスリリングなリフトが印象深い。


雪、花のアンサンブルはかつての超人的統一感を失っているが、バレエ団の現在の方向性を考えればやむを得ない流れかもしれない。大井剛史指揮、東京フィルは交響的な音作り。舞曲にもう少し艶っぽさが望まれるものの、オペラ劇場にふさわしい重厚な迫力があった。(12月17、18、21、23日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2864(H24.3.1号)初出