NBAバレエ団「Grace & Speed 2024」

標記公演を見た(4月19日 大田区民ホール アプリコ)。バレエ団所属振付家による2作品に、PDD、グラン・パを組み合わせた充実のプログラムである。振付家の安西健塁、岩田雅女は、これまで古典全幕での新振付に力を発揮してきた。安西はキャラクター色濃厚なソロや群舞、岩田は情感豊かなPDDを得意とする。今回バレエ団公演で初めて自作を披露する。

幕開けは安西振付の『交響的舞曲』。ラフマニノフの同名曲第3楽章に振り付けられた。久保綋一芸術監督からは「古典を」と言われたとのこと。シンフォニックバレエが想定されたと思われるが、物語寄りのアプローチだった。ある作曲家(刑部星矢)が人生を回顧する。これまで作曲した音楽のミューズ達(精霊風)が踊るなか、一人の女性(渡辺栞菜)が立ち現れる。Symphony No.1 と名付けられたその人と、作曲家はPDDを踊る。最後は全員で作曲家を囲んで幕となる。

安西が同曲と向き合うなかで感じ取った作曲家の人生だが、山本開斗、ネレア・バロンドのゲストカップルが存在感を示したため、主人公の影がやや薄れた印象を受ける。刑部の雄大なロマンティシズムが、完全に花開いたとは言い難かった。また、ミューズ役として主役級の男女6組を駆使し、音楽と動きの一致した躍動感あふれる振付を展開させたが、初演とあって、ラフマニノフそのものを聴かせるには至らなかった。安西は特異なキャラクターを持つダンサーで、唯一無二の個性を発揮してきた。今後はそうした資質を生かした作品も見たい気がする。

第2部は『ダイアナとアクティオン』PDDと、『ライモンダ』よりグラン・パ・クラシック・オングルワ。勅使河原綾乃のダイアナは、女神というよりも妖精の可愛らしさが前面に出る。回転技の切れは相変わらず。アクティオンの栁島皇瑤は真っすぐに振付を遂行。踊りの熱量に狩人の生気が迸った。8組の男女アンサンブルを従えるライモンダには山田佳歩、ジャン・ド・ブリエンヌは宮内浩之。山田のきらめく体、動きの切れ、ピンポイントの音楽性が、気品あふれるライモンダを造形する。対する宮内は、上体を大きくそらせるダイナミックな振付を端正に踊り、ベテランらしい安定感を示した。新井悠汰、伊藤龍平、刑部星矢、孝多佑月による4人ヴァリエーションは、トゥール・アン・レール5番着地を徹底。全体に細やかな指導を窺わせる仕上がりだった。

第3部は山本とバロンドによる『ロミオとジュリエット』のバルコニーPDD(振付:フリードマン)から。ダイナミックな山本と可憐なバロンドによる息の合った恋の踊り。カーテンコールのマナーも情熱的だった。

最後は岩田振付『Schritte』。昨秋のジュニアカンパニー公演で初演された時は、女性のみの群舞作品だったが、今回はバレエ団の男女ダンサーに新たに振り付けられた。ミニマル打音曲やクラシック曲など、場面ごとに音楽が変わるが、振付は極めて音楽的。連続する動きで音楽全てを使い切るタフな振付である。さらにダンサーの個性を捉え、それに合わせたシークエンスを編み出すなど、師匠の故矢上恵子を思い出させた。

岩田の得意とするPDDは、コンテンポラリーダンスでも同じ。「魂から繋がり、肉体で語りかける」(プログラム)の言葉通り、勅使河原と伊藤のPDDは、コンテ語彙による愛の形だった。勅使河原の愛らしさ、伊藤のノーブルで熱いパートナリング。しみじみと深みがあり、胸を打った。女性2人の手つなぎデュオ、男性陣のユーモラスな戦いも楽しい。内村和真のマッチョな個性とブレイキン、新井の人間跳び箱など。コーダは全員が両手を大きく振りながら踊りまくる(ビントレーの『ペンギン・カフェ』を想起)。祝祭的な幕切れだった。岩田コンテ版『R&J』が目に浮かぶ。

ノエ・スーリエ『The Waves』+さいたまダンス・ラボラトリ公開リハーサル 2024

標記公演と公開リハーサルを見た(3月29日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール、3月27日 同大稽古場)。ノエ・スーリエは87年パリ生まれ。カナダ・ナショナル・バレエ・スクール、パリ国立高等音楽・舞踊学校、ベルギーの P.A.R.T.S. で学ぶ。劇場公演に留まらず、書籍、美術館でのパフォーマンスなど、多岐にわたる活動を行い、ムーヴメントの探求を続ける。現在アンジェ国立現代舞踊センターのディレクター(プログラム)。

公演、公開リハ共に、アンサンブル・イクトゥスのパーカッショニスト、トム・ドゥ・コック、ゲリット・ヌレンスが生演奏を行なった。シンバル、太鼓、金属製のおりん、楽器ではない物を、スティック、ブラシ、弦楽器の弓で、叩いたり、擦ったりする。公演ではガムランのような激しい撥さばきや、休憩(無音)も。

公演は6人のカンパニー・ダンサー、リハは17人のラボラトリ参加者が踊ったが、音楽は全く異なっていた。ダンスのシークエンス、ダンサーの呼吸を見ながら、即興的に合わせる印象。スーリエのディレクションは当然ありながら、生み出される音楽はインプロに近い。ダンスも、振付は示唆されるものの、ダンサーの呼吸が重視され、やはりインプロに近い。

公開リハの場合は、ムーヴメントが生み出される過程を、順を追って見せたため、最終章では達成の盛り上がりをダンサーたちは示したが、公演では、ムーヴメント生成の過程を波風立てることなく見せて、終わりなく終わった。PPトークでスーリエは「未然」という言葉を使っている。動き自体も寸止め、作品自体も終わらないという感触だった。ディレクションはあるが、動き、音楽はその場で生成される、言わばジャズのセッションのような公演。この劇場でこれほど作品化を志向しない公演があっただろうか。

表題はヴァージニア・ウルフの『波』から。その一節をステファニー・アムラオが3回語る(字幕付き)。「ミセス・コンスタブル」の件では2度繰り返した。1度は語りのみ、2度目は手話風の動きを付けながら。男女6人のモノローグからなる『波』の構造も、作品に反映されているようだ。

振付は、よける、打つ、投げる、蹴るなどの動作から派生するムーヴメントに、逆立ちを組み合わせている。膝下蹴り、バスケや砲丸投げのような動きも。ナン・ピアソンとアムラオのデュオは、プロレスの寝技風だった。ソロは語り手のアムラオを含めて3人。ピアソンのソロでは蹲踞風動き、ナンガリンヌ・ゴミスのソロでは、太極拳風引きが見えた。踊りの質は6人ともあまり変わらないが、船矢祐美子の硬質な体、ゴミスの強靭な下半身が目立っている。

奏者、演者ともに裸足。互いの気配を読み取りながら、瞬時に動き奏でるパフォーマンスを、観客もあるがままの姿勢で見る親密な公演だった。

2、3月の公演感想メモ(旧 Twitter)2024

* KAAT 長塚圭史三浦半島の人魚姫』『箱根山美女と野獣。神奈川県を巡るファンタジー唐十郎的な)2作。長塚の想像力と創造力が躍動する。東京都から越境して見たが、神奈川の地名が出るたびに、なぜか嬉しくなった(もちろん地元民は大喜び)。ご当地物に留まらず、物語の原初と現在が混淆、戯曲家としての成熟を窺わせる。

役者は粒ぞろい。端正で飄逸な菅原永二、ヴァイオリンと歌も巧い片岡正二郎、味わい深い個性派の長塚、そして初演劇のダンサー二人、発話・動き共に切れのある愛くるしい四戸由香、振付も担当する妖艶・少し不気味な柿崎麻莉子、ピアノ・パーカッション・歌は優雅なトウヤマタケオ(音楽:阿部海太郎)。客席の大笑いと呼応し、6人のパワーが炸裂する。

四戸の太宰弁に合わせたクネクネ人魚舞い、人魚柿崎と四戸の出会いのデュオなど、柿崎振付の妖しさが生きた。男装コスプレ野獣では、柿崎の厚底ブーツ決め決め踊りも。演劇とダンス、俳優とダンサーの幸福な結婚。(2/8 KAAT 神奈川芸術劇場 中スタジオ)2/9 初出

 

現代舞踊協会「一日舞踊大学講座」。伊藤郁女の喋りと踊りに脳が動いた。島地保武の言葉「若いダンサー達のエネルギーは、なんだか漢方みたいです」と同様、体がポカポカして、ぐっすり眠れた。伊藤は戦略的作品ではなく、クレージーな作品を作るべき。彩の国で山崎広太を使った時のように。(3/2 スタジオF)3/2 初出

 

*埼玉県舞踊協会「バレエ・モダンダンス フェスティバル」、12人の振付家がスタジオの生徒に振り付ける。トリを務めた窪内絹子が、『おいしいおいしいあんころ餅のうた』で、師匠譲りの創作エネルギーを爆発させた。考え抜かれた構成、細やかなムーヴメント創出の素晴らしさ。森荘太の衣裳も可愛い。茶色いベレー帽とジャンパースカートの「あづき」達が生き生きと動き、白い衣裳の「さとう」達と混ざり合って「あんこ」になる。和菓子職人(3→2人)も活躍。最後は白長の餅達があんこを包んで大福に。窪内のあふれんばかりの愛情が子ども達に注がれ、胸が熱くなった。

他のベテラン勢も個性発揮。すゞきさよこの音楽的フォーメーション、井上美代子のエレガントなスタイル、中村友美・上田仁美の涼やかな東洋的ポーズ、細川初枝・麻実子の和物など。カンフーモダンもあり、多彩なプログラムだった。(3/3 埼玉会館大ホール)3/5 初出

 

NHKバレエの饗宴」最後の振り返り映像は、新国が米沢のグラン・フェッテ、PDD3組は組んだ所だったが、東京シティは、福田建太と岡博美がゴロゴロ転がる場面。余程強烈な絵柄だったのだろう。福田はニジンスキーに匹敵する無意識の大きさがある。本来は主役を踊るべきダンサー。(3/24 NHK Eテレ)3/25初出

 

昨年の感想メモだが、

*森立子編著・訳 ノヴェール『舞踊とバレエについての手紙』解説読了(本体は途中)。とても朧げだった 18世紀バレエ界が鮮明になった。多くの参考文献を咀嚼し、それを分かりやすく生き生きと解説されている。ノヴェールが開いたウィーンのバレエ学校には、ブルノンヴィル父が在籍したそう。ノヴェールの生い立ち、ダンサー、メートル・ド・バレエ時代の逸話が面白い。

初舞台はイエズス会の学校公演(学年末の授与式)で 14歳。振付は24歳位から。初期代表作に『中国の祭り』がある。シェイクスピア役者でドルリー・レイン劇場支配人のデイヴィッド・ギャリックとの親交が『手紙』の構想・執筆へと繋がっていく。『中国の祭り』は同劇場でも上演された。どんな作品だったのか。

森氏は『手紙』を理論書のみならず実践書でもあると語る。「ダンサーの体の構造について」(第 1 1の手紙)を読むのが楽しみ。解説が面白かったので、先にツイートしてしまった。2023年5/1初出

スターダンサーズ・バレエ団「ALL BINTLEY」2024

標記公演を見た(3月17日 新国立劇場 中劇場)。元新国立劇場バレエ団芸術監督で、長年バーミンガム・ロイヤル・バレエ団を率いてきたデヴィッド・ビントレーによるトリプル・ビル。演目は『Flowers of the Forest』(85年 BRB /17年)、『The Dance House』(95年 SFB /24年)、世界初演の『雪女』である。ビントレーは新国立において、振付家と作曲家を巧みに組み合わせ、数々の名トリプル・ビルを上演してきた。以下がその上演記録である。

2010年

火の鳥』(フォーキン/ストラヴィンスキー

『シンフォニー・イン・C』(バランシン/ビゼー

ペンギン・カフェ』(ビントレー/サイモン・ジェフス)

2013年

『コンチェルト・バロッコ』(バランシン/バッハ)

『テイク・ファイヴ』(ビントレー/デイヴ・ブルーベック、ポール・デズモンド)

『イン・ジ・アッパールーム』(サープ/グラス)

2013年

『シンフォニー・イン・C』(バランシン/ビゼー

『E=mc²』(ビントレー/マシュー・ハインドソン)

ペンギン・カフェ』(ビントレー/サイモン・ジェフス)

2013年

火の鳥』(フォーキン/ストラヴィンスキー

『アポロ』(バランシン/ストラヴィンスキー

『結婚』(ニジンスカ/ストラヴィンスキー

2014年

『暗やみから解き放たれて』(ジェシカ・ラング/オーラヴル・アルナルズ他)世界初演

『大フーガ』(ハンス・ファン・マーネン/ベートーヴェン

『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』(バランシン/ストラヴィンスキー

バランシン、バレエ・リュス、自作、コンテンポラリー・ダンスの緻密な組み合わせ。作曲家はストラヴィンスキーが多い。舞踊面での多彩さ、音楽的充実を体感できる、ダンサーにとっても、観客にとってもタフなトリプル・ビル群だった(ダンサーがよくころんでいたことを思い出す)。今回は当然全て自作。マルコム・アーノルドベンジャミン・ブリテンショスタコーヴィチストラヴィンスキーという、20世紀作曲家のトリプル・ビルである(振付指導は練達のデニス・ボナー)。

世界初演の『雪女』は、ビントレーの念願だったストラヴィンスキーの『妖精の接吻』に振り付けられた。『妖精の接吻』は1928年、ニジンスカの振付で、イダ・ルビンシュタイン・バレエがパリ・オペラ座で初演した。アンデルセンの『氷姫』を題材に、チャイコフスキーピアノ曲、歌曲を多数引用したチャイコフスキー・オマージュとなっている。ビントレーは小泉八雲の『怪談』にある『雪女』を読み、『氷姫』と似ていることに感銘を受け、ついに『妖精の接吻』に振り付けるに至ったという(プログラム)。

あらすじは『雪女』とほぼ同じだが、『氷姫』に沿った作曲のため、両者を抱き合わせた作品世界である。1場は吹雪の中、木樵の茂作と見習いの巳之吉が、山小屋に辿り着く。茂作は雪女に殺されるが、巳之吉はその若さを哀れまれ、死を免れる。雪女は誰かに喋ったら殺すと言い置いて去る。2場梅の花が咲く春。巳之吉とお雪が出会い結婚、息子太郎が生まれる。村人たちの素朴な踊り。3場は提灯がともる祭りの場。村人たちは長い衣裳を身に付けて踊る。クライマックスは巳之吉とお雪の格調高いPDD。祭りが終わり、家に戻ったお雪は糸紡ぎをする。そのシルエットを見て、巳之吉はあの吹雪の夜を思い出し、お雪に物語る。すると障子越しのシルエットがみるみるうちに雪女となり、緑の眼が一面に広がる。4場は再び吹雪の中、お雪は息子を連れて去っていく。崩れ落ちる巳之吉。後には玩具の鯉のぼりが残されていた。

ビントレーの優れた音楽性、物語喚起力が横溢する熟練の新作だった。ストラヴィンスキー寄りの振付、チャイコフスキー寄りの振付が自在に行き来し、音楽と登場人物の心情がピタリと一致する。巳之吉の思い出し語りで流れる「ただ憧れを知る者のみが」は、その象徴だった。お雪、巳之吉に加え、祈祷師、茂作、巳之吉母(少し若い)、息子と友達への演出が素晴しい。特に子供の扱いは、『パゴダの王子』を思い出させた。『眠れる森の美女』交響的間奏曲風の音楽で、祈祷師が二人の結婚を祝福する場面。祈祷師を残して一同袖に入り、ぐるりと回って再び登場すると、今度は息子誕生の祝福場面となる。シンプルな演出だが、時の経過が鮮やかに示された。

盟友ディック・バードの美術も、ビントレー演出と同じく無駄がなく端的で美しい。『ラ・バヤデール』のような二つ折りの坂を奥に配置、バックには大きくなだらかな山、裾野には水田が広がり、紅白の梅が枝を伸ばす。雪景色、満月夜、祭りの提灯、障子など、細やかな日本の美が視覚化された。衣装も梅を基調とするお雪を始め、人物に沿った仕上がりだった。

雪女/お雪の渡辺恭子は、浮世離れした雰囲気が役に合っている。黒い乱れ髪の怖ろしさ、いつまでも美しいままでいる不思議。雪女の凍るような透明感と、お雪の凛とした佇まいに、これまでにない意志の強さを感じさせた。巳之吉の池田武志も、暖かい愛情と真面目さが役に合っている。村人たちを率いるリーダーシップも。チャイコフスキーの切々としたメロディーで思い出し語りする場面、胸に広がる感情の揺れ動きが素晴しかった。茂作の大野大輔、祈祷師の鴻巣明史は適役。アンサンブルも雪、村人ともにエネルギッシュな踊りでビントレーの情熱に応えた。同団の雪は、ライト版および鈴木稔版『くるみ割り人形』で男性ダンサーも踊ることになっており、今回も踏襲されている。

幕開けの『Flowers of the Forest』は、スコットランドの光と影を映し出す。アーノルド曲でのケルト風牧歌的踊り、ブリテン曲での陰鬱な葬送行進曲。両者とも跳躍・回転の多い振付だが、前者では喜びの発露として、後者では兵士の霊が森の中を飛び交う様を表している。最後は両者が入り混じり、重層的なスコットランド像を立ち上げる。

前者リードの秋山和沙はしっかりした踊り、同じく石川龍之介は華やかな踊り、後者リードの塩谷綾菜は慎ましやかな踊り、林田翔平は伸びやかな踊りでアンサンブルを率いた。佐野朋太郎の鮮やかな回転技も印象深い。美しいピアノは小池ちとせ、山内佑太による。

日本初演の『The Dance House』は、中世の「死の舞踏」をモチーフにショスタコーヴィチのピアノ協奏曲1番に振り付けられた。創作中、ビントレーは友人がエイズで亡くなったことを知る。「死の舞踏」は友人へのレクイエムと重ねられた。美術家ロバート・ハインデルとの共同作業、トニー・クシュナー作『エンジェルス・イン・アメリカ』の絶望的に悲しいブラックユーモアからも、強い影響を受けたという(プログラム)。

1楽章では女性ダンサーがレッスンをしていると、死神と思しき男性が入ってくる。胸に死神の面二つ、青の上下に赤いソックスを身に付け、コミカルでトリッキーな動きを見せる。異分子の彼は女性ダンサーを捕まえる。2楽章はサティの『ジムノペディ』に似た不思議なワルツ。長身男女のPDDはビッグリフトが多く、女性の片足を引き寄せてサポートするなど、複雑なパートナリングが駆使される。ここにも死神は潜んでいる。3楽章アレグロ。カラフルなミニスカートと半ズボンの男女が、ユニゾンで軽快に踊る。素早い足技が多い。終幕は主役5人が死神に合わせて踊り、死神の勝利となる。

死神は仲田直樹。『緑のテーブル』戦争利得者の軽妙な踊りが記憶に新しいが、今回も共同体から外れた異分子ぶりを明るさと共に発揮。他では得難い妙な味わいがある。無心で練習する秋山を巧妙に捕捉した。ダイナミックな長身PDDは、美しく伸びやかなラインの東真帆と盤石サポートの久野直哉、アレグロカップルはよく動く冨岡玲美と飛永嘉尉、共にテクニシャンである。ピアノは小池、トランペットは島田俊雄が担当した。

カンパニー全員の体と頭を使い切らせるタフなトリプル・ビル。ビントレーはマクミランよりも、全員に踊る場を与えるアシュトンのやり方を好むと語っている。これ程までにスターダンサーズ・バレエ団の全員が使い切られたことがあっただろうか。

指揮は田中良和、管弦楽東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団世界初演を含むビントレーの音楽的トリプル・ビルを、大きく支えている。

 

 

 

 

日本バレエ協会『パキータ』全幕 2024

標記公演を見た(3月10日昼夜 東京文化会館 大ホール)。都民芸術フェスティバル参加公演。『パキータ』全幕は個々のバレエ団で取り上げることが少なく、協会だからこそ上演可能な演目と言える。バレエを構成する3つの要素、クラシック・ダンス、キャラクター・ダンス、マイムが全て揃い、ロマンティック・バレエクラシック・バレエの好さを一度に味わうことができる。マイムの多さゆえ、バレエファンのみならず、芝居好きの観客にも好まれる作品と言えるだろう。

『パキータ』は1846年、パリ・オペラ座で初演された。振付はジョゼフ・マジリエ、音楽はエドゥアール・デルデヴェス、主役パキータにはカルロッタ・グリジ、リュシアンにはリュシアン・プティパ(マイム役)が配された。翌年ピエール・フレデリクとマリウス・プティパサンクトペテルブルクマリインスキー劇場で上演、1881年に同プティパが改訂を施し、レオン・ミンクスの作編曲で、1幕にパ・ド・トロワ、3幕に子供マズルカ、グラン・パ・クラシックを追加振付した。その後、グラン・パ・クラシックのヴァリエーションを増やし、パ・ド・トロワを加える形で、単独上演が行われるようになった。全幕復元・改訂版の歴史については、斎藤慶子氏による詳しい解説がプログラムに掲載されている。

今回の上演はアンナ=マリー・ホームズによる改訂振付で、世界初演となる。演出補にリアン=マリー・ホームズ・ムンロー、作編曲にケヴィン・ガリエ、ケリー・ガリエ、照明は沢田祐二、衣裳は村田沙織、バレエ・ミストレスに佐藤真左美、角山明日香という布陣。原典版と同じく2幕3場の構成。プロローグを立て、盗賊に両親(フランス人貴族)を殺された赤子のパキータが、ロマの手に渡る経緯を描く以外は、ほぼ台本通りである(平林正司『十九世紀 フランス・バレエの台本』慶応義塾大学出版会, 2000)ガリエによる作編曲は、イタリアで発見されたマイクロフィルムの2つの音源が原典。それを音楽ソフトに転写し、20世紀初期の演奏法を加味したオーケストレーションを施したという(プログラム)。

演出構成とマイムを担当した演出補のムンローは、ボストン・バレエスクール出身。大学で音楽を専攻し、演劇の修士号を取得している。まさにバレエの演出に適した経歴の持ち主である。プレトークで本人が見せた創作マイムの実演(リュシアン、イニゴ、ロペス、メダリオン、赤子、イニゴの家)は、分かりやすく、観客のマイムシーン理解を手助けした。演出面の大きな特徴は、1幕パ・ド・トロワを、ロマの首領イニゴとパキータ友人4人の踊るパ・ド・サンクとし、2幕グラン・パのヴァリエーションも同じパキータ友人が踊る設定にしたこと。プロローグにおいて、子供時代の友人4人と赤子のパキータとの対面を描き、友人4人に固有名を与えた点と併せ、パキータを育てたロマ共同体への視線を強く感じさせる演出と言える。

舞台はナポレオン・フランス軍統治下のスペイン。1幕はロマの娘パキータとフランス軍将校リュシアンの出会いを中心に、パ・ド・サンク(本来はトロワ)、パ・ド・マタドール、パ・ド・ボヘミエンヌ(パキータと友人4人)、ロマの男達の踊り、ロマの女達のショールダンスが繰り広げられる。続く2幕1場は、イニゴの家でのマイム場面と少しの踊り。イニゴと町長ドン・ロペスがリュシアン殺害を企てるも、パキータの機転で二人は逃れ、舞踏会(2場)へと向かう。コントルダンス(幕前)、ガヴォットが踊られる中、リュシアンとパキータが登場。リュシアン殺害を企てたドン・ロペスは逮捕される。さらにパキータの持つメダリオン(パキータの父)と、広間の肖像画(リュシアンの叔父)が同一人物と分かり、パキータとリュシアンの結婚の祝宴となる。子供マズルカが始まり、グラン・パ・クラシック(6つの Va)、最後は壮麗なアポテオーズとなる。

アンナ=マリー・ホームズ振付のスペイン舞踊、ロマの踊りの楽しさ。2幕1場ではパキータとリュシアンがブルノンヴィル風や、『ドン・キホーテ』風のステップを踏む。前半のバットリー多めの軽やかな踊り、後半グラン・パの厳密な古典舞踊、その両方をバレリーナに要求する芸術的難度の高い振付である。母アンナ=マリーの闊達な振付を、娘リアン=マリーが現代に通じる演出と音楽的マイムで繋ぎ、演劇性、音楽性ともに優れた『パキータ』全幕の仕上がりとなった。

アレクセイ・ラトマンスキーとダグ・フリントンによるプティパ全幕復元版(2014)、ユーリー・ブルラーカによるグラン・パの復元版(2008)も、参考資料になったことだろう(前者については部分映像以外未見)。今回パキータ Va には、いわゆる「ニシアの Va」(ドリゴ曲)が選択された。また1幕パ・ド・サンク(本来はトロワ)には、プーニ曲の女性 Va が独自に加えられている。1幕パ・ド・マタドールはパ・ド・マントと呼ばれ、女性群舞の半分は男装だったが(プティパ版も)、その伝統を適切に踏襲、子供群舞も加わる見せ場となっている。パキータと友人の踊るパ・ド・ボヘミエンヌは、パ・ド・セットのところを、パ・ド・サンクに変更して、友人4人とパキータのより深い関係を想像させた。

主役は3組。パキータ初日は上野水香、リュシアンは厚地康雄、イニゴは清水健太、二日目マチネはそれぞれ、吉田早織、浅田良和、二山治雄、ソワレは米沢唯、中家正博、高橋真之、その二日目昼夜を見た。

マチネのパキータ 吉田は、伸びやかなラインに華やかな佇まい。グラン・パ Va は少し苦労したようだが、明確な技術と瑞々しい演技で全幕をまとめ上げた。対するリュシアンの浅田はフランス風伊達男、鮮やかな踊りと献身的サポートで吉田を支えている。イニゴの二山はフランス派の美しい踊り。トロワ Vaでは、2番で踏み切るトゥール・アン・レールを左右で回り、それを2回繰り返す超美技を披露した。演技もすでに『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』(NBAバレエ団)のコーラスで実証済み。今回も2幕の酔っ払い踊りなど、マイムシーンのツボを外さなかった。パ・ド・サンクでのパートナーとの呼吸も良好、序盤にムーンウォークを見せたような気もするが、なぜ?

ソワレのパキータ 米沢は円熟の極み、プリマの舞台である。1幕のグリジを思わせる軽やかさ。目にも止まらぬ足技に小鹿のような踊りで、仲間の皆を引き連れる。2幕のマイムは手練の技。笑いの間を巧みに取りつつ、迫真の演技で芝居を盛り上げた。グラン・パではゴージャスなプリマ、光り輝く体となる。踊りの洗練、的確な役解釈、盤石の技術、さらにその場に全てを捧げる献身が揃い、来し方行く末が凝集するようなバレリーナとしての結節点を示した。

リュシアンの中家は正統派ダンスール・ノーブル。ワガノワ仕込みの行儀の良さ、立ち姿の美しさ、全てを引き受ける懐の深いサポートで、米沢を大きく支える。端正な踊り、明快なマイムに気品が漂い、悠然とドラマを進めた。『エスメラルダ』で組んだ時も思ったが、所属団体でも見たい組み合わせである。イニゴの高橋は真面目に悪役を遂行。正統的踊りと力強い演技で、舞台に厚みを加えている。

ドン・ロペスには、コミカルな味付けのマシモアクリ、悪役の魅力全開の保坂アントン慶、デルヴィリ将軍には鷹揚な小原孝司、不思議な味わいの中村一哉、将軍の副官には控えめな関口武、渋みのある柴田英悟、将軍の母では深沢祥子(未見)、岩根日向子、テーラー麻衣が、しっとりとした貴婦人を演じている。

パキータの友人はマチネが若手、ソワレはベテランの巧者が揃った。中でもマチネのオーム・ソフィアが、技術、エレガンス、古典の香りでずば抜けている。未来のパキータである。グラン・パ・クラシックのアンサンブルは、マチネは明るく元気、ソワレはよく揃っていた。1幕ロマ男性群舞は勢いがあり、女性群舞は情念が深い(ショールダンス)。注目のパ・ド・マタドールは、可愛らしさはあるものの、トラヴェスティの魅力を伝えるには至らず。もう少し少年(若者)らしい身のこなし、体の鋭いラインが欲しいところ。直近では、バレエシャンブルウエスト『ドン・キホーテ』における街の少年役(女性)が理想的だった。

指揮は井田勝大、管弦楽はジャパン・バレエ・オーケストラ、コンサート・マスターは小林壱成。井田はロマンティック・バレエ『ドナウの娘』(振付:P・ラコット)日本初演の際、指揮者アシスタントとして楽譜の修正を含め大きな役割を果たしている。今回もロマンティック・バレエの牧歌的な味わい、古典バレエの格調の高さを練達のオーケストラから引き出して、世界初演に大きく貢献した。

 

新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』2024

標記公演を見た(2月23, 24昼, 25日 新国立劇場 オペラパレス)。ピーター・ダレル振付の『ホフマン物語』は、1972年スコティッシュ・バレエで初演された。75年にSBに入団し、プリンシパルとして活躍した大原永子は、新国立劇場芸術監督2年目の2015年に本作を導入。18年の再演を経て、今回が6年振り3度目の上演である。吉田都現監督は今季プログラムを「歴代監督へのオマージュ」とし、大原前監督に現役時代の当たり役であった本作を捧げている。

オッフェンバックの同名オペラを原作とする『ホフマン物語』は、オペラ劇場での上演にふさわしく、英国系レパートリーを擁するバレエ団にとって、ダレルの振付家としての位置取りを知る貴重な作品である。アシュトン群舞の影響や、クランコとの劇場トリックの共有(はミラーダンス、はボディダブル)、また同い年のマクミランとは、強烈な相互関係があるように見える。公演直前にパリ・オペラ座バレエ団の『マノン』(74年)を見る機会があったが、『ホフマン物語』からの影響を強く感じさせた(3人の友人→3人の紳士、スパランザーニの空中前転 → 乞食リーダーの同じく、ジュリエッタの男性陣リフト → マノンの同じく)。ジュリエッタのリフトはイーグリングの『くるみ割り人形』におけるアラビアへ、さらにスパランザーニの子分2人、ダーパテュートのミニョン2人は、ビントレーの『シルヴィア』におけるジルベルトとジョルジュ、ゴグとマゴクに生まれ変わっている。

その上で今回は、ケン・バークと共にステージングを担当した大原前監督に、ダンサーと観客が感謝の気持ちを表明できたことが重要だった。2022年2月、コロナ禍で『マノン』が途中で打ち切りとなり、劇場は封鎖。一時英国に戻った前監督は、ロックダウンで再来日が叶わず、そのまま監督の任を終えた。その後『ジゼル』新制作観劇に来日するも、正式の挨拶はなく、今回初めてカーテンコールで団員と共に舞台に上がり、初日ホフマンの福岡雄大から感謝の花束が贈られることとなった。本人が監督だったら起こり得ない光景だが、功績を讃える場は劇場の歴史を紡ぐ上で重要である。観客は歴史の一場面に立ち会い、前監督への感謝の気持ちに胸を熱くする機会を得ることができた。

主役ホフマンは3キャスト。初日の福岡雄大は熱血ストイックな気質をそのまま投影する。2幕ロシアンPDDの力強さ、3幕修道者の引き裂かれるような苦悩に本領があった。老け役には馴染まない若々しさがある。二日目の井澤駿はロマンティックなタイプ。1幕の華やかさ、2幕の情熱、3幕のダイナミズムをゆったりと演じ分けている。最終日の奥村康祐は、1、3幕の無垢な味わいに個性が見える。4人の女性を受け止め生かす柔らかさがあり、5つのパートを柔軟な体で流れるように結び付けた。

リンドルフ/スパランザーニ/ドクターミラクル/ダーパテュートは2キャスト。初日の渡邊峻郁は持ち味を生かした色悪風の造形。1幕のコメディは納まりが悪いが、3幕の妖しい色気は際立っている。ドラキュラ伯も出来そうだ。二日目・最終日の中家正博は悪魔そのものだった。1幕のコミカルな演技と、動きの突き抜けた鮮やかさ、2幕のゾッとさせる冷やかさ、3幕の重厚な肉体、さらにエピローグの光線を放つ指差し。はまり役である。

オリンピアの池田理沙子は、少し硬さが見られたが、可愛らしい人形ぶり、奥田花純はホフマンの目(眼鏡装着)に見えるオリンピアを、人間味、情味のある踊りで演じている。アントニアの小野絢子は抒情的で嫋やかな演技。PDDではプリマの貫禄、古典の粋を見せつけた。同じく米沢唯は情感豊か、PDDの踊りには艶があり、スラブ風ソロは残像深く、後々まで音楽が耳に残った。ジュリエッタの柴山は久しぶりに本領発揮。体の美しさを生かした優美な踊りで、アタックも強く、地力が見える。木村優里はやや迷いがあるか。別日配役ラ・ステラの演技にも言えるが、主役は ‟与えること” が仕事である。もう少し自立した演技が必要だろう。

最終日の米沢ジュリエッタは円熟の極み。優れた技術、考え抜かれた演技、踊りの艶が打ち揃い、素晴らしい造形へと導いた。かつて本島美和が高級娼婦と観音様を合わせたような、今思えば和風のジュリエッタを見せたが、米沢は娼婦と聖女の洋風。体の質を ‟気” によってではなく、長年の鍛錬によって変えている。リフトする男性陣も貴重品を扱うような手つきだった。

ホフマン友人は、①速水渉悟、森本亮介、木下嘉人、②石山蓮、小野寺雄、山田悠貴。速水の圧倒的な踊り、森本は少し硬さが見られたが端正な踊り、木下の役の踊り、石山の覇気あふれる踊り、小野寺のずっしりとした踊り、山田の華やかな踊りと、見応えがあり、今後の配役に期待を抱かせる。スパランザーニ召使いは、ベテランの福田圭吾を始め、宇賀大将、小野寺、菊岡優舞が、熱くコミカルな演技と踊りで1幕を献身的に支えた。

ラ・ステラは木村と渡辺与布、共に華やかで適役。渡辺は名前通り、プリマ(ドンナ)のパワーとエネルギーを出待ちの人々に与えている。お付きの今村美由紀は巧みな造形。お金を貰って主人を裏切る後ろめたさを、ミリ単位で表わしている。益田裕子は個性を生かし、ややクールなお付きだった。アントニア父は中家と小柴富久修。懐深く、厚みのある中家に対し、小柴は暖かく優しい父親像を描き出す。体全体から人の好さが滲み出た。カフェの主人はベテランの内藤博が、少し控えめに務めている。

幻影たちは、①飯野萌子、直塚美穂、廣川みくり、②中島春菜、金城帆香、花形悠月、男性陣は、渡邊拓朗、太田寛仁、仲村啓。全員が初役で個性を発揮、幻影性は後退し、元気のよさが前面に出た。特に直塚。渡邊は大きさ、太田は穏やかさ、仲村はノーブルな晴れやかさで、女性陣をサポートしている。幻影アンサンブルはよく揃い、トップ森本晃介の美しいエポールマン、誠実なサポートが目についた。

初日は舞台全体に硬さが見られたが、徐々に暖かな血が流れ始め、最終日は小野、米沢の2大プリマが実力を遺憾なく発揮する充実の舞台となった。1幕のコメディ・アンサンブル、2幕の抒情的アンサンブル、3幕の官能的アンサンブルも、日を追うごとに生き生きと息づき、大原前監督の熱血指導を明らかにしている(監督時代はもっと厳しかったと思われるが)。

指揮はポール・マーフィ、管弦楽は東京交響楽団。こちらも徐々に熱が加わり、オッフェンバック音楽による劇場の楽しさを伝えている。

パリ・オペラ座バレエ団『白鳥の湖』『マノン』2024【追記】

標記公演を見た(2月10, 11, 17, 18日全昼)。前回の来日は 2020年2‐3月、コロナ禍が始まっていたが、万全の体制を整えて公演は決行された。オレリー・デュポン前芸術監督のもと、伝統の『ジゼル』(1841年/1987年/91年)、クランコ振付『オネーギン』(65・67年/09年)が上演されている。4年ぶりの今回は、22年に電撃辞任したデュポン監督に代わり、ジョゼ・マルティネス監督の指揮下で公演が行われた。演目はヌレエフ振付『白鳥の湖』(84年)、マクミラン振付『マノン』(74年/90年)。現監督がエトワールに指名したオニール八菜、マルク・モロー、ギョーム・ディオップも来日し、その采配ぶりを明らかにしている。

ヌレエフ振付のオペラ座白鳥の湖は、本人先行版よりもオーソドックス。振付に脚技などの装飾は多いが、いわゆる『白鳥』らしさを留めている。特徴はヴォルフガングとロットバルトを同一人物が踊り、王子とのデュオが3回繰り返されること。1幕の教育係と生徒風デュオから、王子の憂鬱ソロを経た後のシンメトリー・デュオ、さらに最終幕も同形デュオで締め括られる。最初のデュオに続く「乾杯の踊り」は男性陣のみ。しかも手を繋いで踊られ、ヴォルフガングを頂点とするホモ・ソーシャル(セクシャルというよりも)な世界を可視化する。王子は『ラ・シルフィード』のジェイムズの如く、椅子に座って物思いにふけり、夢に救いを求める若者である。今回の上演は18年前の来日時よりも、ヌレエフらしい濃厚な雰囲気が薄れ、フランス派の伝統が前面に出たという印象だった。

主役4キャストのうち2組を見た。オデット/オディール、ジークフリート王子、ヴォルフガング/ロットバルトは、1組目がヴァランティーヌ・コラサント、ディオップ、アントニオ・コンフォルティ、2組目がパク・セウン(アマンディーヌ・アルビッソンの代役)、ジェレミー=ルー・ケール、ジャック・ガストフである。

コラサントはオペラ座伝統の造形。脚の力感が素晴しい。ヌレエフ愛好のロン・ド・ジャンブ・アン・レールは左右等しく、グラン・フェッテは大きく美しい。やや前傾したバランスも盤石。小さいポアントで、ルルヴェは滑らか、素足に近い踊り方である。いわゆる「表現」ではなく、佇まいで見せる慎ましやかな演技。19世紀と地続きの、伝統芸能に近い味わいがある。王子のディオップはまだ若く、サポート慣れしていないようだが、アラベスクの伸びやかさ、初々しさが、操られる王子に合っていた。昨夏の「オペラ座ガラ―ヌレエフに捧ぐ」で、明るく溌溂としたブルノンヴィルを見せたコンフォルティは、色気と艶のある魅力的なヴォルフガング。ロットバルトのヴァリエーションも、トゥール・アン・レールは不調ながら、力強く美しい踊りだった。

アルビッソンの代役を務めたパクは、13年に入団しているが、フレンチ・スタイルではなかった。ポール・ド・ブラを意識し、ラインを美しく見せる。技術もあり、繊細な演じ分けを行なって、通常では美しい白鳥・黒鳥と言えるだろう。パ・ド・トロワを踊ったカン・ホヒョンも同じ踊り方。トロワのもう一人、ムセーニュ・クララが自然なフレンチ・スタイルであるのに対し、ややこれ見よがしの踊りを見せる。英国ロイヤル・バレエ団と同じく、多様性重視の結果だろうか。因みに、山本小春、桑原沙希はアンサンブルに馴染んでいた(パティントン・エリザベス・正子は識別できず)。王子のケールは卒なく、ガストフは小柄ながら、コンフォルティよりもダークな色合いが濃厚だった。ヴァリエーションも切れ味鋭い。

白鳥たちはヌレエフの振付を黙々と踊る。2幕の風がそよぐような腕揺らし、4幕の前傾して足を床にこする動き。全員が心を一つにして、愛らしいアンサンブルを作り上げる。ドガの踊り子そのものだった。

ヴェロ・ペーンの指揮が、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団から総力を引き出している。素晴らしい『白鳥』だった。

マクミランの最高傑作『マノン』は、英国ロイヤル・バレエ団、アメリカン・バレエ・シアター新国立劇場バレエ団、【追記】小林紀子バレエ・シアターで見ている。そのどれとも異なるオペラ座の『マノン』だった。ジョージアディスのぼろ布を背景にしながら、淡彩の絵画のような味わい。マクミランの複雑な振付も易々とこなし、自然なマイムで淡々とドラマが進む。クランコの『オネーギン』の際は、フランス寄りが物足りなかったが、今回はフランスの小説を原作とし、フランスの音楽を使用しているせいか、一つの確立されたアプローチに思われた。さらにピエール・デュムソー指揮の素晴しさ。マーティン・イエーツの少し線の細いメロディアスな編曲を、立体的、ドラマティックに解釈、マスネ音楽本来の姿を露わにさせる。弦の弱音の美しさ、打楽器の切れ、金管の咆哮に、豊潤な19世紀フランス音楽の香気が漂う。音楽の様々な断片が耳について離れなかった。

主役3キャストのうち2組を見た。マノン、デ・グリューは、1組目がミリアム・ウルド=ブラーム、マチュー・ガニオ、2組目がリュドミラ・パリエロ、マルク・モローである。

ウルド=ブラームのマノンは、コラサントの白鳥と同じく、近代的自我、表現とは無縁。演技、振付ニュアンスをことさら強調せず、フレンチ・スタイルで鍛えられた体のままそこにいるという印象。外見の幼さも加わり(今年定年だが)、アモラルな少女が、自らの意志なく、悩みなく、快楽の流れに乗って、男達のアイコンとなるその姿が、18世紀フランスから抜け出てきたように見えた。対するガニオは純粋な神学生そのもの。情熱も涼やか、腕輪のPDDで天を指す清らかさ、清潔なアラベスクのラインが、ウルド=ブラームの幼いマノンに合っている。

パリエロは成熟したマノン。演技も踊りも慎ましさを纏っているが、自分の意志があり、自ら選択して生きていることが分かる。シルヴィー・ギエムのマノンにインスパイアされたのか、沼地の造形はその美脚と共に、ギエムの鮮烈さを思い出させた。対するモローは情熱的なデ・グリュー。品格ある佇まいに育ちの良さを滲ませ、パリエロのマノンにあふれんばかりの愛情を注ぎ込む。いかさま賭博では原作通り、袖口にカードを忍ばせて、マクミラン振付にフランスの時代色を加味した。若き日にローラン・イレールとギエムの『マノン』を見て、初めてバレエで泣いたと語るが(『ふらんす』2004. 2)、深みのある独自のデ・グリュー像だった。パリエロへの献身は、壮絶な沼地に続いて最後まで。カーテンコールで誤って前へ出そうになったパリエロを引き留め、強く抱きしめた。