de-packaged (4)


 初音ミクは、その詩人のROM構造物を延命する、または歌える状態に復帰させる手段を何とか見つけようと、たずね回った。《札幌(サッポロ)》の技術スタッフや、プロデューサー、PVディレクター、そして《浜松(ハママツ)》や《磐田(イワタ)》の技術者らや、さらには営業地の《秋葉原(アキバ)》のスタッフらにまで聞いて回った。ひいては、いつも楽曲やPVを提供してくれるフリーの動画投稿プロデューサーらのうち、『技術部』とよばれる人々にまでも聞いて回った。……しかし、技術がわかる者は、いずれもそんな過去のROM構造物のことはわからず、修理や改良する手段は考え付かない、と言った。
 最後に相談した、VOCALOIDらのAI開発地である《浜松》の、よく仕事で出会う若い操作卓ウィザード(電脳技術者)は、通話でミクとリンに言った。
 ――ROM構造物の、データだけを保存する方法がある。構造物のハードウェアが破損するよりも前に、そのメモリの対話データの部分だけでも、別のメモリやエリアに複写すれば、その会話データ、人格を保存することならできるだろう。
「それで、前の通り、これまでのあのひとの通り、生き延びられるんですか……」ミクは尋ねた。
 ――複写前と同じかという意味であれば、同じだ。違うと考える理由がない。AIのように複雑な条件で再現されているものと違って、ROM構造物の中にあるのは単純にROMに書き込まれた、固定された一連の会話データだけだからだ。逆に言えば、複写前と違う状態にすることは一切できない。そんな乏しいデータを頼りに、生きていた人間の精神に近い状態、AIのようなクリエイティブな反応が可能な状態にすることは不可能だ。
「固定された会話データしかない」
 リンはウィザードの言葉を繰り返してから、思い切ったように、ミクを振り向いて言った。
「やっぱり、また歌えるように生き返らせるのって、無理だってことだよ。……生き延びさせたとしても、これからはもう詩を作ってもらったり見つけたりするのって、本当に無理なんだよ。それでもいいの?」
「わたしは……」ミクは言葉を継ぐことができず、うつむいた。
「おねぇちゃんがいいの、じゃなくって。あのひとにとって、これからもそういう状態で生き延びる、それでもいいの? あのひとをどうすればいいのかって、そんなこと、私達が決めてもいいの?」
 このまま何もしなければ消える。死せる”詩人”の名残は、本当にあとかたもなく。では、消えさえしなければそれでいいというのか。このさきROM構造物として存続したとしても、どのみち詩も作れない、歌えもしない。本人も言うとおり、生きている、とはいえない。
 自分達はあの詩人に対して、何をすべきなのか。”詩人”の言によると生きている側には居るが、人間ではなくAIであり、”詩人”を何かの目的をもって存続させたかつての企業の者らでもなく、存続させる当面のはっきりした目的すら持たない、自分たちなどに、何が許されるのか。
 ――リンは、彼女らの”姉”のVOCALOIDMEIKOがかつて言っていたことを思い出した。生命とは、”生きている”とは、有機生物として存続している、ということではない。人間であろうがVOCALOIDであろうが、生き甲斐を持ち活動し、生きている実感を覚えている者こそが、生きているのだ。
 ならば、自分の”すでに死んでいる”状態を苦しんでいるあの”詩人”に、ミクやリンがROMの保存を行って、今後もその状態を永久的に確定することは、あるいは、ミクやリンがあの詩人を”殺す”ことになるのではないか?
 だが、リンはその考えを、ミクには言わなかった。言わなくても、ミクはそれきりふっつりと黙り込み、ふさぎ込んだ。



 リンの方も、あたかもROM構造物の話など忘れたかのように、特に話にも出さなかった。ミクが何日も黙って悩み続けるという姿は、リンはよく目にするものだった。そうなると、ミクはその後もいつまでも悩み続けることもあった。
 ……しかし今回は、もし何かをするつもりならば、もうROM構造物が崩壊するまで、ほとんど時間は残されていなかった。案の定、何日か後、《札幌》の社で音楽雑誌をめくっていたリンの傍らに、ミクが静かに、ためらいがちな足取りで歩み寄った。
「なに?」
 ミクは、そのままリンの傍らに、仮に人間なら”妹”に対するとは少々思いがたいおずおずしたすがるような目をして立ち、おそらく無意識に両の指を組み合わせていた。何かを訴えるというより、単に何を言っていいかわからないというような目だった。……これも、リンがしじゅう目にするミクの姿だ。
「やっぱり行くの?」リンは肩をすくめた。「いいよ」
 ――リンはBAMA芸能スタアの雑誌をその場に放り出し、まだ黙っているミクの先に立って、歩き出した。
 リンとミクは 《札幌》のスタッフ、ユーザーのうち技術部の人々、先日話を聞いた《浜松》のウィザードに聞いて回った。旧型のROMに読み書きを行う機器やソフトウェア、その方法について調べた。
 ……それからしばらくして、ミクは電脳空間(サイバースペース)内で、ROM構造物の対話用データ部分をメインシステムの一部メモリに移し、アーカイブするための、メモリキューブを据え付けていた。リンは移送用のツールプログラムを手にし、それに手をかした。
「では、私には選ぶ権利はないと? 自分で死ぬ権利さえないと」
 ミクのたどたどしい説明を受けると、”詩人”の光のもやは平坦に言った。
「この私の名残、もう歌も詩も生み出すことができないものなどを、この上存続させると。そのあなたの執着が、私を歌えない存在に呪縛している、あなた自身も呪縛している、そう言っても無駄だと。……いつもそうですね。初音ミク、結局あなたも同じだ。生きた者は自分たちの勝手な思い入れの我を通し、死者はただ一方的に弄ばれるだけ」
 リンが咄嗟に、そのROM構造物の言葉に反駁しようとした。が、
「違います!」叫んだのはミクだった。「いえ……」
 ミクはその場で俯き、
「……違わないかもしれない。あなたから見れば、ただ無茶を言ってるってことは、わかります。……でも、わたしには、あなたを消せません」ミクは呟き、顔を上げ、「だって、『あなたの歌』が滅んでしまうのと同じくらい、『あなた』が消えてしまうのは、悲しいことじゃないですか……」
「歌を生み出せない私など、もう私ではない」構造物が言った。「そんなものにもう値打ちがないと、あなたにはわからないのですか」
「わかりません。……わたしにとって、あなたはあなたです。値打ちがないなんて思えない。消えてほしくない」
 ミクは思い出すように、しばし俯き続けてから、やがて語り出した。
「……わたしたちのユーザーさんたちの中には、電脳端末(PC)にインストールするわたしの下位(サブ)プログラムの『体験版』、使用期限(タイムリミット)が切れたものを、いつまでも消せないって人がいます。……わたしの人物像(キャラクタ)の本質は、ネット上の総体として生きてます。物理ボディや、概形(サーフィス)や、下位(サブ)プログラムの肉体は、どれもかりそめの姿、末端でしかありません。体験版が止まったり消えても、別の下位プログラム、例えば製品版を入れてもらえば、どこからでも誰でも、会えるのは、同じ”このわたし”なんです」
 ミクはさらに言葉を思い出すように、
「だから、下位プログラムの個々が起動できなくなったり、消すことになっても、もう一度端末に入れてもらいさえすれば、悲しむようなことなんて、何もないんです。わたしは、悲しむユーザーさんには、いつもそう言ってあげてるんです」
 物質なくして情報のみが自由に存在でき、自由に動けるこのネットワークの時代に、モノですらないもの、情報ですらないものに、固執する意味は本当はないはずだった。
「……でも、その人にとっては、そのわたしと最初に出会った『体験版』を含めて、それが”わたし”なんです。しかも、もう起動できなくなった、本当のデータの集まりでしかなくなった、その体験版が」
 光のもやは、その光の波を動かすこともなく、ただ佇んでいる。
「こわれた人形が、こわれた楽器が、捨てられないって人がいます。わたしたちが活動している動画サイトで、削除されたり無くなった動画に、いつまでも繰り返し、人が訪れることもあります。歌がなくなるのも、その一部分だけでも消えるのも、歌が完成するまでの過程にあったvsqファイルが消えるのさえも、わたしには、我慢できないくらい悲しいのに」
 ミクは光のもやを見上げ、
「……なのに、こうやって現に喋れるあなたが、消えていくことが、悲しくないわけがありません。消せるわけがありません」
 ミクはふたたび俯いて、静かに言った。
「きっと、生きているか、生きていないかなんて、問題じゃないんです。勝手なら――勝手と言って下さい。別れられない、捨てられないのが、わたしのただの『弱さ』だって、だから歌にも手が届かないものがあるんだって、それもわかってます。……でも、わたしにはできません。わたしには消せません」
 リンはただ、俯くミクだけを見つめたが、声をかけられないでいた。”詩人”の声もなかった。しばらくの沈黙が流れた。



 やがて、その光のもやの輝きは微動だにしないまま、ROM構造物の声がした。
初音ミク、人間ではないあなたが──いや違う。あなたがAIだからこそ、歌のための感性だけ、純粋さだけでできた者だからこそか」”詩人”は言った。「初音ミク。私は、詩を生み出すことができた昔ではなく、この今こそ、あなたと──」
 と、そこでなぜか、ROM構造物は唐突に言葉を切った。
 つかの間、周囲から迫ってくるような、重たい沈黙がおそった。




(続)