ハートガクポル 第2話(前)


「ルカが相手の活劇、撃剣、殺陣となれば」神威がくぽはその天井の高い大きなフロアの中、PV収録のセットを眺めて、重々しく言った。「万事優しう、いや、”なまぬるく”運ばねばならぬな……!」
「いや、なまぬるくって何だヨ!」鏡音リンが傍らに追いついて、鋭く叫んだ。
「リンにわかるよう言うなれば、優しう、とすべきところなのであるが」がくぽは仰々しく、おのれの語を註解した。「そもそもが、武芸の本義は、いかなる流儀においても、硬直せず、円相に、柔軟に遣うことにあるのだ。故に、その本義が上に、さらに加えてルカに対する心のありようを示すため、柔らかくや優しくに加えて”なまぬるく”との言にこめてみた」
「いやアクションをなまぬるくやってどーすんだヨ」リンは、舞台装置セットの中にすでに居る、《札幌(サッポロ)》のディレクターをぐいと指差して言った。ディレクターはすでに慌しく動き、いつも通りの活気で、他のスタッフらに指示している。「ほら、㍗さんがあれだけテンション高いんだからさ。やれる限り、思い切り迫力出してやったげないと、まずいよ」
「しかし……優しくせねば、武の柔軟にさらに柔軟を重ねなければ。ルカは、機嫌を損ねるのではないか」がくぽは深刻に言った。「そして、撮影中事故に見せかけて、本気で例の九連撃突進技を叩き込んでくる等……」
「……いやその心配はもっともではあるけどさ……いつもがくぽの受けてる仕打ちからは」リンはうめいてから、「けど、ルカだったらとりあえず、アクションの激しさを控えなきゃって心配はないよ。がくぽとお互い、それは知ってるでしょ。”なまぬるく”やったりしたら、足をひっぱるとか言って、逆に怒り出すよ」
 ボーカル・アンドロイド神威がくぽは、サムライの外見にたがわず、その身体能力はきわめて高い。無論、本来はPVの演技やパフォーマンスのためでもあるが、『美振』という刀剣の容(かた)をとる楽器、身体によって奏でる得物を携え、その音楽能力そのものとも不可分のものとして武の技を磨き完成度を常に高めている。一方で、ルカはといえば、BAMA(註:北米東岸)で音楽修行をしていた頃から、音だけでなく、ありとあらゆる技能の修練を積み重ねており、アクション演技に必要以上の体術も武芸もそつがない。
「がくぽなら大丈夫だよ」リンはまだ深刻な表情を続けているがくぽに念を押した。「がくぽがルカに対して、どんなに無理矢理やろうとしたって、無意識のうちに”寸止め”で止まっちゃうから」



 がくぽが去った後、リンは改めて収録のセットを見た。ディレクターの指示のもと、舞台装置はもうほとんど組み上がっている。何ともなしにそれが完成していくのを眺めていると、──次は、巡音ルカがこちらに歩み寄ってきた。手には収録で使う小道具、といってもこれまでもルカの手にあるのは見慣れた、やたらと禍々しい形状の長剣(グラットンソード)を提げている。
「リンは、この手のアクションやスタントの収録をしたことがありますか。がくぽと一緒に」ルカはいつもの平坦で冷静な口調でリンに尋ねた。
「うーん、アクションとかいうのはないなあ」リンは首の後ろで両掌を組み、セットを眺め続けて答えた。
「がくぽが、どれだけの慣れがあるのかが問題です。収録する内容はともかく、アクションであること自体に、事故の心配など」
「慣れっても、ルカとがくぽでしょ?」リンはそのまま首を回し、ルカとその手の剣を見た。先のようながくぽはともかく、ルカの側がその心配をするというのは意外だった。
「他社所属のVOCALOIDですし、はじめての組み合わせですし、不慮の事故というものがあります。どの程度気を配り、フォローすべきかと」
「……でもさ、なんとなくだけど、心配ないんじゃないかって思うなあ」リンはしばらく考えてから、ルカに向かって言いながら、指を立てた。未知のものごとを皆に説明するときの、MEIKOのような口調になってしまっている。「……なぜっていうとね、男声VOCALOIDの、体質ってやつがあるのよ。がくぽは知らないけど、レンと私のときとか、KAITO兄さんとおねぇちゃん(註:ミク)のときとかそうだったんだけどね。デュオとかPVとかのアクシデントで、倒れこむとか、落っこちることがあるとね。必ず、”自分の方が下になる”って体質があんのよ、あの連中は」
 理由はわからない。リンの勘では、どうも《浜松(ハママツ)》で開発された男声VOCALOID全員の基礎設計情報に記録されているのではないか、と思うことがある。
「だから、がくぽも多分。事故になんないようにとか、最小限になるようにフォローすんのはいいと思うけどさ。……こっちが不安になることとかって、多分要らないよ」
 ……そのルカも去った後、リンはしばらく立ち尽くしていた。──が、何か急にふと気づいたように、硬直し、続いて、スタジオの隅にある椅子にどさりと掛けた。
「がくぽがルカに寸止めとか……」リンは背もたれにだらりと寄りかかり、顔を覆うように片掌を当てた。「ルカにはがくぽは下になるとか……何言ってんだ……平気で何言ってんだ……」
 リンはその姿勢のまま、自分の言ったことと、連想した自分にしばらく呆れていた。



「相変わらず、相談ごとを引き受けてるねえ」目を上げると、GUMIがルカの後姿を見ながらリンの傍らに歩み寄ってきたところだった。「相手の歳が上か下かに関わらず」
「いや別に自分から引き受けてるわけじゃ。てか、特に相談でもないし」リンは、隣の椅子に掛けたGUMIにうんざりして言った。
 確かに、PV収録の直前に、本来こんなことをがくぽやルカと話しているのは、本来あそこにいるディレクターなどであるべきで、リンなどではない、と思える。
 無論リン自身も、仕事のことは、自分よりも先輩であるMEIKO初音ミクに相談することが多い。しかし、どういうわけかリンよりもデビューが後のVOCALOIDたちは、設定年齢上は上の面々も含めて、しじゅうリンに相談しに来た。──早い話、《札幌》や《大阪》や《上野》に所属するVOCALOIDたちにとって、リンとそれよりも以前の”先輩”である他の面々、MEIKOKAITOやミクを見回した場合、まともに相談相手になるのは、常識の面から言って結局リンしかいないためだった。
「少しは仕事の心配をなくそう、とか思って話すけど、どうせ何を相談したって、いつも起こってるみたいな厄介ごとに毎回なるし」リンはずるずると脱力したように椅子の上で腰を滑らせて言った。
 なぜかそこで、GUMIがしばらく考え込んだ。頭脳を回転させるときの、額に両手のひとさし指を当てる例の仕草である。
「でもさ、兄上がリンに質問してるのはいつものこととして、ルカまでなの? ……ルカっていつも、仕事の中身についてまで聞いたりするの? 私が見たことないだけかもしれないけどさ」
「……そういえば」リンも考え込んだ。
 ルカはこの業界の予備知識、例えば収録の設備や顧客やユーザー、ついでに上に挙げた兄や姉の奇特な習慣などについてはよく聞いてくるが、仕事のやり方そのものについて、少なくともリンに聞いてきたことはない。ルカは何でも自力で調査し、自分のやり方で仕事にあたる。
「いやルカが兄上のことを色々知りたいってならわかるよ、それは前から」GUMIは人差し指を立て、「けど、普通に考えたら、兄上のことを聞きたかったら、リンじゃなくて同じ《大阪》所属の私に聞くよね」
 それから、GUMIはその人差し指を水平に落とし、リンを指差して言った。
「もしかすると。事故の心配、兄上について知りたいっていう質問に見せかけておいて、ホントはルカは、兄上がリンと、つまり、以前の共演者とどんなことをしたのか、どんな関係になったのか、探ってただけかも」
「いやナンだよそれ……」リンはうめいた。「がくぽの共演者ったって、なんで私までなんだ……なんで私がそんなこと探られるんだ……」
 リンは息をつき、
「だいたい、VOCALOID同士に収録中に何があったって、それって仕事中の話、PVとか曲の役の中の話でしょ。VOCALOIDは昔っから全員、デュオ曲とかMMDとかで、お互い恋愛役だの何だの何でもありで、全部劇中設定だし」
「いや、リン、らしくないよ」GUMIはリンをじっと見つめて言った。「冴えてない。なんか今回、冴えてないよ」
「何?」リンはGUMIの突然のその様子に、怪訝げに言った。
「だって、さっきのルカの話。収録中にアクシデントが起こったときに、相手役と何をするかっていうの」GUMIは再び人差し指を立てて言った。「それは役の中の問題じゃなくて、役者本人の話でしょ? そのときの振る舞いには、役者と相手方のお互いの関係ってやつが出るよね」
 リンは無言で、自分の膝の上に肘を当てて頬杖をついた。
 ──さきほど他ならぬリン自身が言ったこと、男声VOCALOIDがつねに女声を守るように動いたり、きっとがくぽならルカの安全を守ろうとするだろう、というのは、確かに、役の中についてでなく、”役者本人の行動”、がくぽのルカに対する心情と振る舞いを言ったものである。
 ……しかし、仮にルカががくぽのそんなことを気にしたところでだ。リンが何を気にする必要がある。たとえルカが詮索したのが、がくぽとリンの共演、がくぽとリンの間のそれらの心情や振る舞いについてだった、としてもだ。



(続)