救いがないのならば、救いになれば良い


 その神々しい肉体の動画が「救済者」「ガチムチ天満宮」等と呼ばれ敬われ、「志望校に受かりますように」「彼女ができますように」といった数多くのコメのついている、「木吉カズヤ」というキャラの動画があります。その動画の素材に使われていたダンサーが、薬物中毒だったとかそれが原因で死去したとかいう流言が流れていますが、その噂の真偽はとりあえず置いておく。
 彼にまつわるネットでの声、特にカズヤを慕うニコでの声を聴くところ、「マーサー教」の顛末を知る人は、それを思い出さずにはいられないでしょう。


 マーサー教とは何か。PKディックの『アンドロ(中略)るか?』に登場する宗教で、映画版(ブレラン)にはまったく存在せず、映画のスピンオフ続編や派生作品には中途半端に登場したりしなかったりして、放ったまま話を続けると余計にわかりづらいので、ひととおり説明することにする。
 作中のアンドロイドでない「人間」らの宗教というか共同慣習のようなもので、殉教聖者風のマーサー老人の苦行を共感ボックスで体感する。放射線で知能に障害があるとされ社会の底辺に追いやられた青年イジドア(こちらも続編や派生には半端に登場したりしなかったりする)をはじめとして、人間たちの支えになり続けている。


>「わしにどうしてあんたを救うことができよう? おのれを救うことさえできぬわしに?」
>微笑をうかべて、「まだわからんかね? 救済はどこにもないのじゃ
>「じゃ、これはなんのためなんだ?」リックは詰問した。「あんたはなんのためにいるんだ?」
>「あんたがたに示すためじゃよ」ウィルバー・マーサーは答えた。「あんたがたが孤独ではないことをな。
>わしは、いまもこれからも、つねにあんたがたといっしょにいる」
(強調は原文)


 終盤、アンドロイドらが放送により、人間が信仰しているマーサー教が偽りであることを暴露します。苦行の映像は酔っ払いの老人を低時給で雇って、書き割りのセットの前で撮ったものにすぎず、聖者など存在しなかったと。マーサー教も、人間たちの持つ共感も、人間ができてアンドロイドができない「感情移入」も、何の裏付けもない絵空事にすぎないと。

 直後、イジドアの共感というか夢というか白日夢に、マーサーその人が現れます。あの放送は本当なのかと問うイジドアに、酔っ払いも書き割りも、すべて真実だとマーサー自身が言う。しかし、何も以前と変わることはない。イジドアはそこにいて、マーサーはそこにいる。イジドアがマーサーの後を追い続けることはもうできないが、マーサーはイジドアの後ろから離れることはない。放送以後マーサーの姿を見失った主人公リック(デッカードという苗字は数えるほどしか出て来ません)は、自分がマーサーになって苦行を受けている白日夢を垣間見る。


 慕われていた件のダンサーの姿は、定かならぬ情報が出始めたがために、かえってぼやけて、おそらくはやがて消え去ろうとしています。しかし、何も以前と変わることはない。「木吉カズヤ」に救われた人はそこにいて、木吉カズヤはそこにいる。ダンサーの姿にそれを追い求めることはもうできないが、木吉カズヤがそこを離れることはない。カズヤから貰ったものがあるなら、自分の中にカズヤを見つけ、自分が救いになればいい