南大萱の郷土料理

先週末の11/24に、瀬田学舎のお隣のびわこ文化公園の源内峠遺跡周辺でこども鉄サミットが行われました。このイベントでは、源内峠復元委員会が中心になって古代の鍛冶屋体験や古代米の試食などが行われました。また、かつて源内峠付近の森林を所有・利用していた、南大萱地域の郷土料理も販売されました。私は、南大萱の郷土料理の作り方に興味があったので、調理をされた瀬田北・瀬田東学区の自治会の方にお願いして、調理に参加させていただきました。今回作ったのは、しじみ汁・いとこ煮・ほらがい・いも団子です。

しじみ汁は、みなさん御存じのしじみのおみそ汁です。
いとこ煮は、サツマイモと小麦粉のお団子が入ったぜんざいです。
ほらがいは、あんこが入った小麦粉のお団子です。
いも団子は、さつまいもが入った小麦粉のお団子です。

ばたばたしていて写真を撮るのを忘れました。
これらを販売する時に、南大萱の農家の衣装を着ました。

里山ORCでは、南大萱と瀬田丘陵を挟んだ場所にある田上の民具の展覧会を開催しましたが、そのとき拝見した田上の前かけと比較すると、田上の前掛けのリボンはカラフルなものであるのに対し、南大萱のリボンは真白であることがわかります。小さな山を少し超えただけで、こんなにも衣装が変わることには驚きです。

この南大萱の前掛けに関して、南大萱在住の奥村さんからおもしろいお話をおうかがいしました。

昭和三十年代に、石山の鳥居川(瀬田方面から唐橋を渡り、その道が石山駅方面に右に曲がる交差点の周辺です)にサツマイモを売りに行かれたそうです。草津に野路という場所がありますが、野路のあたりはおいしいサツマイモができることで有名だったので、野路のサツマイモと言って売っておいでと言われ、そのとおりに野路のサツマイモと言って売ろうとしたところ、買いに来られた方から、野路のサツマイモと言っているけれども、あんたは野路の人ではないだろう、前掛けが大萱の前掛けだ、と、ばれてしまったそうです。

日本女の歯を染めたもの 4. お歯黒

かねつけ

 日本においてお歯黒の風習が始まった時期については、資料も少なく確定するのが難しい。最も古い記述は、魏志倭人伝に書かれた、邪馬台国の近くにある黒歯国という国名である。また、いくつかの古墳から歯を黒く染めた人骨が発見されていることから、A.D. 4・5世紀頃にはすでに広まっていたと思われる。東大阪市の石切大藪古墳では、発見された10体のうち、男女を含む6体の歯牙が、その方法は不明であるものの黒染されていたことが報告されている。江戸時代後期の書、関秘録には、「鉄奬、白粉を塗る事は、聖徳太子より始るなり」とあるので、もしもこの記述が本当ならば、お歯黒はA.D.7世紀頃始まった風習なのだろう。
 平安時代になると、お歯黒はすでになじんだ風習として様々な文献に頻出する。清少納言も彼女の枕草子第31段、こころゆくものの中で、「白く清げなる檀紙に、いとほそう書くべくはあらぬ筆して文書きたる。川船のくだりざま。歯黒のよくつきたる。・・・」と述べている。また、堤中納言物語に出てくる虫愛ずる姫君は、親や侍女に文句を言われても、眉毛を整えずお歯黒をせず、毛虫を眺めて過ごしていた。
 平安時代は、既婚の女子、あるいは成人した女子がその証として歯を黒く染める風習であったが、平安後期になると、貴族階級の男子もおしゃれの一環としてお歯黒をするようになり、次第に武家の男子にも広まった。戦国の世には、お歯黒をする男子は公家と今川義元など一部の武家に限られるようになり、男子のお歯黒の風習は身分の高さを示すようになった。そのため、討ち取った首の白歯にお歯黒を施し、官位ある武将の首を討ち取ったかのように見せたこともあったようである。
江戸時代になるとお歯黒は女子と公家のみの風習となり、多くの俳句・川柳に読み込まれ、浮世絵に描かれ(例えば、喜多川歌麿の婦人相學拾躰)、人間関係を作り(初めてのお歯黒をつける” 鉄漿親”、仮親の一種)、地名になった(吉原のおはぐろどぶ)。
 日本以外で歯の色を染める風習を持つ民族を語ることは、日本人がどこから来たのか、という問題に繋がるかもしれない。歯を染める色には、赤と黒があり、赤色染歯は、イスラム圏とアフリカに住む一部の民族が行った。黒色染歯は、日本を含む太平洋・インド洋沿岸の各地に住む人々の間で広く行われた。興味深いことに、大陸民の漢族・蒙古族満州族・韓族等は歯を染める風習を持たない。黒色染歯の方法の多くは、植物+αであり、αとして土や鉄器が用いられた。これは、植物に含まれるタンニンと、土などに含まれる鉄との反応を利用した、Iron gall inkと同じ染色法を意味するのだろう。このように、お歯黒は日本固有の風習ではないものの、その染剤として虫こぶのタンニンを利用したのは日本のみである。

日本女の歯を染めたもの 3. ヌルデミミフシ

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 インクタマバチの虫こぶと同等あるいはそれ以上の高濃度でタンニン酸を含有するヌルデミミフシとは、どのような虫こぶなのだろうか?この虫こぶを理解するためにまず、寄主植物・虫こぶ形成者の生態について説明しよう。

3-1. ヌルデ
 ヌルデ(Rhus javanica)は、日本各地に生育するウルシ科ウルシ属の落葉広葉樹である。開けた明るい土地を好むパイオニア植物のため、林縁や川岸、道の脇などでよく見かける。大きいものだと樹高10mほどにまで成長する。ヤマウルシと似ているため見間違えることも多いが、複葉に葉翼があるため見分けることは容易である。ウルシ属ではあるけれども、触ってかぶれることはほとんどない。
 近畿地方では、春4月の始めごろから展葉する。葉は、長径が50cmを越えることもある、葉軸に葉翼を伴った複葉である。雌雄別株で、8月から9月にかけてのちょうど今頃に、円錐状の花穂に白色の小さな花をつける。花にはハナムグリなどの昆虫が多く訪花する。果実の成熟期は10月から11月で、小さな黄色い実がなる。成熟した果実の表面には、白いワックス状の物質を分泌される。これは、リンゴ酸カルシウムで、ヌルデにとっての役割は不明だが、ヌルデの実は多くの鳥に食べられるため、ヌルデの種子散布の戦略に関わるものなのかもしれない。
 ヌルデの漢名は塩膚木・塩麩子(えんふし)という。これは、ヌルデの実の表面に分泌されるリンゴ酸カルシウムは、ナトリウムを含まないものの塩辛い味がするため、塩が不足することが多い山中で塩の代用とされたことに由来する。霊力のある木、魔除けの木として扱われることも多く、護摩木や正月行事に用いられることもある。有名な話として、蘇我氏物部氏の戦いに蘇我方として参加した厩戸皇子、後の聖徳太子が、ヌルデの材で四天王像を彫り頭に飾り、勝利を祈願したエピソードが知られている。

3-2. ヌルデシロアブラムシ
 虫えい形成者のヌルデシロアブラムシ(Schlechtendalia chinensis)には、寄主植物のヌルデのような有名な話はないけれども、この虫の生態は実に驚きに満ちたものである。
 このアブラムシの一年を通しての生活を説明するとき、どの時期から説明するのが一番面白いだろうか、理解しやすいだろうかといつも頭を悩ます。そのくらい、全ての時期にわたってこの虫の生活は独特で、こんな変な虫がいることが不思議に思えて仕方がない。考えたあげく結局いつも、この虫が虫こぶを作りはじめるところから生活史の説明をすることになる。なんと言ってもこの虫の最大の特徴はヌルデミミフシを形成するところにあるからである。
 ゴールデンウィークの頃に、ヌルデの新葉、それも5cm程度に成長したものを見ると、0.5mmほどの小さな黒い点が見つかることがある。もしもルーペを持ち合わせているのならば、あるいは顕微鏡を使える環境にあるのなら持って帰って、拡大して見てほしい。その小さな黒点は、三対の足をもった小さな小さな虫であることがわかるだろう。この虫こそが、ヌルデシロアブラムシの幹母一齢幼虫で、虫こぶ形成の起点となるいきものである。黒色しているのは、背面が黒革化しているからで、ヌルデシロアブラムシの全ステージのなかで黒色をしているのはこの幹母一齢幼虫のみである。幹母は、定着に適した葉・適した場所を探し、良い場所が見つかると固着する。適した葉・適した場所とは、その時点で長さが3~10cmほどに成長した葉の、葉翼の裏である。大きな立派な葉が沢山出ている時期にも関わらず、幹母が選ぶのは展葉した直後の葉である。大きくなりすぎた葉も、展葉していない葉も選ばない。ほとんどの幹母は展葉したての葉の葉翼の裏に腰を下ろすが、うっかりした幹母は葉翼の表や小葉に定着してしまう場合もあるようである。
 定着した幹母を観察し続けると、2・3日で幹母の周りの葉が白色化し盛り上がってくるのがわかるだろう。この盛り上がりはやがてドーム状に幹母を覆い尽くし、初期の虫こぶとなる。一度定着した幹母を無理矢理引きはがし、展葉直後の葉に付けても、虫こぶが形成されることはほとんどない。昨年、葉あたりの虫こぶ密度を人工的に調節するために、100個体以上の幹母を採集し、人工的にヌルデの葉に接種した。ところが、この幹母の中で無事に定着し虫えいを形成したものは20個体に満たなかったので、この実験は失敗してしまったのだけれども、この虫えい形成率の低さは、幹母の持つ虫こぶ形成の開始能力の限界を示すと思われる。つまりおそらく、幹母は、虫こぶ形成を誘導する物質を一定量しか持っておらず、その物質をひとたびヌルデの葉に注入すると再生産することが出来ないのだろう。小さな小さな0.5mmの幹母が、その後10cmもの大きさに成長する虫こぶを作りはじめるチャンスは一回きりなのである。
 虫こぶの形成に成功した幹母一齢幼虫は、そのなかで吸汁し(アブラムシは植物の師管液―光合成産物を植物体内に運搬するーを餌とする)、脱皮を繰り返し、成虫になる。成虫になると単為生殖を開始し、個体が増えるにつれ虫こぶも肥大化する。虫こぶ内部での繁殖は全て単為生殖なので、中の個体は幹母と全く遺伝型を持ったクローンである。一匹の幹母から始まった虫えい内部の生活は、最終的には数千匹の大所帯になるのだけれども、その数千個体が全て同じ遺伝子の組み合わせを持つのである。
 2・3mmの厚さをもつヌルデミミフシの内部は空洞で、アブラムシたちはその壁に取り付いて吸汁し繁殖する。虫こぶは完全な閉鎖系であるため、居住空間を汚さないように、アブラムシは排泄物を白い蝋の形で排出する。また、アブラムシの脱皮殻や死体も白い色をしているため、虫こぶ内部には白い綿のようなほわほわした物体が入っている。この閉鎖空間の中で、アブラムシは産仔と脱皮成長のサイクルを3・4回繰り返し、つまり3・4世代を経て、10月半ば以降に、虫こぶ内部での最終世代を送り出す。虫こぶ内部のアブラムシは翅を持たないが、最終世代の成虫だけは透き通った灰色の翅を持つ。10月後半から11月にかけて、最大直径が10cmほどに成長したヌルデミミフシの数カ所が裂開し、そして、千匹を越える有翅虫がその裂け目から外の世界に飛び立っていく。
 飛び立った有翅虫は、冬を越すためのある特別な生物を目指す。特別な生物とは、湿った場所の岩の上に生える中間宿主であるオオバチョウチンゴケ(Mnium microphyllum?, Mnium vesicatum?, Plagiomnium vesicatum?)で、このコケに移住した有翅虫は産仔し、その幼虫はコケの上で一冬を過ごす。コケの上で成熟した有翅のアブラムシ成虫は、4月の半ば頃にヌルデの幹に移動し、ヌルデの幹の上で有性世代の雄と雌を産む。雄と雌は有性生殖し、有性雌は一個体の雌を産み落とす。この雌幼虫が、新葉に移動し虫こぶ形成を開始する幹母一齢幼虫なのである。
 この驚くべきヌルデシロアブラムシの生活環は、1930年代に朝鮮総督府林業試験場の高木五六氏によって明らかにされた。当時、化学工業の発達に伴い染色助剤・皮なめし剤・医薬としての五倍子タンニン酸の需要が高まり、ヌルデミミフシの安定供給が必要とされていた。ヌルデミミフシを安定的に生産するためには、その虫こぶ形成者であるヌルデシロアブラムシの生活環を知る必要があったがほとんど不明であったため、林業試験場長の命令で高木氏が研究を始めたようである。その結果は、1937年朝鮮総督府林業試験場発行の林業試験場報告第26号に「鹽膚木五倍子の人口増殖の研究」という300ページ弱の大論文として報告されている。当時、アブラムシが越冬する場所、中間宿主については全くわかっておらず、オオバチョウチンゴケで越冬する!ことを明らかにしたことが、高木氏の最大の発見と言えるだろう。このアブラムシがコケで越冬することにふれるたびに、ヌルデミミフシから飛び立った有翅虫を追い林内をさまよう高木氏の姿を想像せずにはいられない。高度を下げてコケに落ち着いたアブラムシを認め、そのコケの中に多くの有翅虫を見つけた高木氏の喜びはどれほどのものだったのだろうか!

3-3. 五倍子
 先に述べたように、ヌルデミミフシを乾燥させたものは、五倍子と呼ばれ、古くから漢方薬や皮なめし剤などとして利用されてきた。中国の本草拾遺(713-741)において百蟲倉として記され、973年に出された開寶本草で五倍子または文蛤として記述されているが、当時は植物の一部として認識されていたようである。1678年に発行された李時珍の本草綱目でようやく、五倍子の生成に虫が関わることが説明されている。日本では、江戸時代の貝原益軒大和本草(1708)、小野蘭山の花彙(1765)等で図付きで記述されている。
 漢方薬としての五倍子の効能は多岐にわたり、下痢止め、痔の治療、止血、解毒、目の充血、歯槽膿漏、やけど、さかさまつげの治療にまで用いられた。これらの効能は、五倍子がその乾重の70%もの濃度で含むタンニン酸の機能によるものである。タンニン酸は、タンパク質と結合し収斂作用を持つので、この反応を利用して病を癒すために用いられたのである。現在でも、漢方薬として使用されるほか、タンニン酸アルブミンなどの西洋医薬の原材料として使われている。また、臨床実験にまでは至っていないものの、黄色ブドウ球菌、連鎖球菌、腸チフス菌、炭疽菌など多様な菌に対する抗菌作用や、インフルエンザA型PR6株ウイルスやHIVウイルスに対する抑制効果が認められている。
 さて、ここまで読まれた方は、ヌルデミミフシ、五倍子が東洋の人々の役に立ってきたことを理解しつつも、西洋でのインクタマバエほどの活用がなされなかったことに歯痒さを覚えているのではないだろうか?東洋ではたしかに、ヌルデミミフシのタンニン酸はインクを作るために用いられなかった。これは、西洋では羊皮紙が使われていたのに対し、東洋で用いられた紙の原料は楮などの植物であり、炭を原料とした墨との相性が良く、書かれた文字や線が長年にわたって色あせることがなかったため、Iron gall inkを発明する必要がなかったためだろう。インクの材料としては用いられなかったものの、Iron gall inkと全く同じ化学反応を利用して、ヌルデミミフシは日本固有の文化の一端を担っていた。インクタマバチの虫こぶは紙を黒く染めたが、ヌルデシロアブラムシの虫こぶは日本女性の歯を黒く染めたーお歯黒の材料として使われたのである。

日本女の歯を染めたもの 2. 人の役に立つ虫こぶ

 虫こぶとはいわば、虫と植物の奇跡的な出会いの結果であり、その形は異様独特で、私たちの興味を起こさせるその存在のみで十分に重要なのだけれども、それはさておき、虫こぶの中には人間活動に組み込まれ欠かせない役割を果たしてきたものが実際にある。

2-1, マタタビミフクレフシ
 マタタビミフクレフシは、ハエの一種であるマタタビミタマバエによってマタタビに形成される虫こぶである。このハエの生活史の多くは不明で、産卵するマタタビの部位についてもわかっていない。マタタビミフクレフシの虫こぶ形成者としてアブラムシを挙げるものもあるけれども、これは間違いです。
 マタタビいえば、多くの人は猫にマタタビという諺を連想することでしょう。マタタビの枝や実を与えると、猫の中には興奮してそこらをかけずり回ったり、よだれを垂らして酩酊するものがいる。このマタタビの猫度倍増効果が最も高いのは、マタタビの虫えい部分であるマタタビミフクレフシであると言われており、実際、マタタビミフクレフシを乾燥させたものは商品化されホームセンターのペットコーナーで買うことができる。
 そもそも、マタタビという植物名の語源は、「また旅に出よう」、と思わせるほどの健康増進効果をもつから、だと言われている。マタタビの実をアルコールに漬けたまたたび酒は、いわゆる強壮剤として重宝されてきた。特に、マタタビミフクレフシは、木天蓼という漢方名を与えられ、マタタビの実などの他の箇所よりも大きな効果をもたらすものとして、猫を喜ばせる猫賄賂としてだけでなく、人を治す漢方医療でも利用されてきたものなのである。

2-2, インクタマバチの虫こぶ
 中近東に生育するカシの一種、Quercus lusitanicaの若芽に、タマバチの仲間であるインクタマバチ(Cynips gallae-tinctoriae)によって形成される虫こぶは、ルネサンス期以降の西欧文明を築き上げたともいえる有名な虫こぶである。この虫こぶと鉄を原料にして作られたいわゆるIron gall inkは、12世紀から19世紀にかけてヨーロッパで標準的に使用され、バッハが楽譜を書くために、ゴッホレンブラントが素描するために、米国憲法の原稿や多くの文学作品を記すために用いられた。
 12世紀以前には、炭を原料としたインクが用いられてきたが、ヨーロッパで使われていた羊皮紙に炭を原料としたインクで書かれた文字は、羊皮紙に含まれる油分のせいで消えやすいものだった。Iron gall inkは、インクタマバチの虫こぶに含まれるタンニン酸と鉄(主に硫酸鉄)の水溶液を混合し、タンニン酸の鉄錯体を形成させることによって作られる。褐色のタンニン酸の鉄錯体は紙にしみ込み酸化することで、青黒色に発色する。タンニン酸は鉄だけでなくタンパク質とも結合するので、タンパク質を含む羊皮紙に長くその色を残すのには適していたのだろう。
 インクを作るためのタンニン酸を採るために、インクタマバチの虫こぶ以外の植物―クリやマツなどの木の皮―も用いられた。しかし、これらの植物を原材料にしたインクの色は緑がかっており美しい青黒色の発色は得られなかった。理由として考えられるのは、インクタマバチの虫こぶが含むタンニン酸含量の高さである。タンニン酸は、被子植物の葉や幹などに含まれるフェノール性物質の一種であり、その含量は多いものでも植物体の乾燥重量の約30%以下である。ところが、インクタマバチの虫こぶには、乾燥重量の50~70%ものタンニン酸が含まれる。つまり、異常な高濃度のタンニン酸を含むインクタマバチの虫こぶによって、人々は良質のインクを獲得し、その結果西欧文明が発達したと言えるだろう。
 日本にはQuercus lusitanicaもインクタマバチも生育しないので当然その虫こぶを見ることはできないが、インクタマバチの虫こぶと同等あるいはそれ以上の高濃度でタンニン酸を含有する虫こぶがある。ヌルデミミフシである。
 ヌルデ(Rhus javanica)の葉にヌルデシロアブラムシ(Schlechtendalia chinensis)によって形成されるヌルデミミフシは、最大直径が10cmほどにもなるその大きな形と、タンニン酸の含量の高さによって非常に有名な虫えいである。現在、日本薬局方でタンニン酸は「五倍子または没食子から得たタンニンである」と規定されている。五倍子はヌルデミミフシ、没食子は先に述べたインクタマバチの虫こぶを乾燥させたもののことである。このように、今地球上で使われているタンニン酸のほとんどは、この二つの虫こぶに由来している。

日本女の歯を染めたもの 1. 虫こぶ

 ある種の虫、ハチ・ハエ・アブラムシ・ダニなど、が植物に取り付き、取り付いた部分を食べたり卵を産んだりした結果、虫が出すなんらかの物質によって植物の部位が異常に発達して、特殊な構造になったものを「虫えい・虫こぶ・ゴール」と言います。

 虫こぶは珍しいものでもなんでもなくて、一度虫こぶを見る目を獲得すれば、その辺りのありふれた植物に作られたものをいくらでも見つけることができる。一見、植物の実のように見えるかもしれないけれども、中を割ってみると小さな虫が住んでいたりするので、虫こぶを採って中を割りながら散策するのは楽しいものです。虫こぶを作る虫にとっては迷惑なことだけれども。

 この虫こぶの中で虫たちが何をしているかというと、お菓子の家に住むヘンゼルとグレーテルのように、中に住み、異常成長した植物部位を食べているわけです。虫こぶに住む虫とヘンゼルとグレーテルと違う点は、ヘンゼルとグレーテルは魔女が作ったお菓子の家に勝手に住んでいただけで、しかもそのお菓子のお家を食べたら魔女にひどく怒られて、住みはじめた後は結局食べられなかったわけだけれども、虫こぶに住む虫は、彼らの存在によって出来たお菓子のお家の中に住んで、叱る魔女もいないのでお菓子のお家をもりもり食べて生きているところです。さらに、虫の中には、お菓子のお家を食べるだけでなく、中で子供を作ったり冬を越したりするものもいます。

 物には名前があるものですが、虫こぶにもそれぞれ名前があります。その名前のつけ方には、一定の規則があり、基本的には寄主植物の名前から始まり、形成される部位、形状と続き、最後は「フシ」で終わる。フシとは、漢字では附子と書き表し、虫こぶを意味する。
 例えば、ナラメリンゴフシという虫こぶは、ナラメリンゴタマバチというハチの仲間によって、楢、特にコナラの芽に形成される、林檎に似た形をした虫こぶなのです。ただし、非常に印象的な形をした虫こぶでは、この命名規則に従わない場合があります。例えば、私の好きなエゴノネコアシは、エゴノネコアシアブラムシによってエゴノキの芽に作られる虫こぶで、猫の足にも小さなバナナにも似た強烈な形をしているので、フシもつかない特殊な名前が付けられている。
 虫こぶの話には、一種類の虫こぶだけについて語る時でも、三つの名前、虫こぶの名前・虫こぶを形成する虫の名前・寄主植物の名前、が出てくるので、それぞれ混同しないようにする必要があります。前述したように、虫こぶの名前の最後には大抵「フシ」がつき、虫の名前はその虫が属するグループ、ハチとかハエとかアブラムシとか、で終わり、植物の名前は植物の名前なので、名前から虫こぶの話の中での役割を判断するのはそれほど難しくありません。