梅雨しきり

 梅雨がしとしと降っています。あのとき植えた稲の苗が、真直ぐ立っていてくれるかなあ、と心配します。
 というのは、戦争中、勤労奉仕に出かけた農家でのお手伝いに、馴れない手つきで田植えした結果をそれとなく思うからなのです。
 青年会とか婦人会、そして町内に割り当てがあって、田植えに駆り出されました。朝、みんな広場に集まり、人数を調べてからそれぞれ農家に勇んで行くのです。係の方々が手拍子で送ってくれました。
 最初からどこの家に行くとはきまっていません。意外に知人だったりすることもあります。その家で出征したお子さんが、自分と同じくらいの年齢だとわかると、ちょっと緊張してしまいます。
 一把になった苗をビクに入れてもらい一本一本、指に添えながら植えてゆくのです。馴れないし、不器用ですとなかなかうまく定着しないで、倒れそうにもなるのでした。
 梅雨の晴れ間というものでしょうか、畦道に腰かけて握り飯をいただき、さわやかな空を仰ぐのです。気持ちのよい風がサワサワとわたって来ます。
 そのあくる日、梅雨が本降りになったりすると、つい自分の植えた苗のことが思い出されるのです。
  ズクなしに重石をかける雨が降る   (田舎樽)
 ズクなしとは方言で、根性がない、甲斐性がない、といった意味でしょう。長い雨にいよいよ腰をおちつかせて、立ち上がろうとはしない尻の重い怠け者が目に浮かんできます。
 この句は文化年間、今から百六、七十年ほど前に松本で出版された川柳句集『田舎樽』のなかにあります。
 序文は膝栗毛作者で知られた十返舎一九、松本地方には馴染みの深い人です。文化十一年七月晦日、かねて親しい仲の高美屋甚左衛門(本町で出版書籍を営む)を訪ねて松本に逗留していました。その折り波田の若沢寺に参詣する傍ら、庄屋の百瀬太左衛門宅に寄りました。
  もみぢする秋の錦のはたむらに賞づるや御代の城山の月
と揮毫し、現在庭園にその歌碑が建っています。
  ズクなしによけい見らるる梅の花   (田舎樽)
 何もせずただぼんやりと眺めてばかりいるものですから、梅の咲く様子がよくわかるのです。
  ズクなしの世とはなりけり山ざくら   (田舎樽)
 ぶらりっと鑑賞に出かけてゆく風景。