ハヤテのごとく! 第四日:存在しなかったはずの物語、雄弁な『神』
えっと・・・
本題に関係ない日記から。
月曜日っていつも憂鬱です。サラリーマンだからねぇ。そんなに仕事熱心でもないし勉強熱心でもなかったし、どちらかというとやらなくていいことはやらずに済ませたいって考える人間ですから。
そんなこんなで今日も過ごしました。
さて、本題に関係ある日記。
昨日も今日もそこそこアクセスがありました。うれしいかぎりでございます。
まっ、冷静に考えると数十人しか見てないんですよね、ここ。
特にここんところ一回来て興味があれば内部リンククリックする仕掛けになっているからアクセス数÷3くらいで考えた方がよいでしょうね。
第四日:存在しなかったはずの物語、雄弁な『神』
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さて、僕は、ハヤテのごとく!という物語の幹は、綾崎ハヤテ君という少年と、三千院ナギちゃんという女の子の成長にあると考えている。
もちろんそれはあくまでも「幹」に過ぎない。僕がこの漫画を、物語としての突出した可能性があると考える理由は幹だけではなく「枝葉」の部分にもあることはまず断っておく。この物語はそれら全てを合わせてはじめて完成するのである。
今日から二日間は、ハヤテのごとく!の枝葉の部分について考えてみる。今日は二つのテーマについて別々に論じてみる。
まず一つは、三日目に予告した「ときメモファンド」の一件についてである。
畑健二郎さんご自身も書いているように、新人作家が週刊少年誌で連載を持てるというのは夢のような話である。それを夢見ている多くのライバルたちに打ち勝たなければその機会は与えられない。もちろん卓越した実力がなければ難しい。そしてちょっとした失敗が命取りである。実力だけでも勝ち取れない、おそらく運や時代も味方する必要があるであろう。