ハヤテのごとく! 「スナップショット」

富豪刑事が時計館???
ああ、今日は本題以外書くのやめようと思ってたのに・・・orz


最近、

一人の人間が一生涯で書くことのできる文章量は、その人が生まれ落ちた瞬間にすでに決定されているのではないかと思うことがあります。

という文章を目にしました。
もしもそういうことがあるのなら、たぶん俺は書くことのできる文章量の大半をハヤテのごとく!という一作につぎ込んでいることになります。もしこの分量を才能ある人に分けてあげれば、俺自信が楽しめるよりよい作品がたくさん読めるはずだったのかもなとか思ったりもします。
でも、後悔はしていません。
むしろ文章を書きたくてしょうがないという衝動に突き動かされる自分がいるということにほんとに驚いています。


今日はそのハヤテのごとく!という漫画の七巻が発売されました。
2005/11/18の四巻発売以来、単行本が発売されるたびにある程度まとまった量の文章をアップロードしてきました。今回も二日に分けてアップロードする予定です。


そして、今回でそれは一区切りを迎えます。しばらくの間単行本発売後とのアップロードはしなくなると思います。もしかすると最後のまとまった文章になるかもしれません。
別にこの作品に飽きたからではありません。むしろ、ハヤテのごとく!がその真の姿を現すのは十年以上経ってからじゃないかとさえ思ってますので、まだまだこれからどんどん話は尽きなくなっていくと思います。


ではなぜ一区切りなのか。
ハヤテのごとく!は漫画ですから、そもそも単行本を買おうと思ったきっかけは

  • 面白そうだったから

です。
それが、実際読んでみて

  • もしかするとすごい漫画かもしれない

と感じ、さらに読み返して

  • これはやばい漫画だ

と思うに至りました。そして最終的に

  • 怖い

というところにたどりついたのです。


なにが怖いのか?どこが怖いのか?それがわからなくてこれだけ長い文を書き連ねていたようなものです。


そして、ようやく自分の中での解答を見つけました。
今回の文中で、作者畑健二郎さんに対して、かなり無礼なことを言うことになります。ここを読んでくれている皆様の中には不愉快だと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
それは事実では無い可能性が高いと思います。でも俺にとって、あるいは俺だけにとっては真実です。そのことを俺がこの作品から感じてなければ、ハヤテのごとく!に深くはまることは無かった、それはたぶん間違いないです。


事実ではなく真実を書く。そう考えると俺が書いている文章もフィクションに近いのかもしれないな、などと思いを巡らせています。


と、ちょっとシリアスに書いてはみたものの、実は今日アップロードする分もちゃんと書けていないのでサッカー見ながら書きます。


ではまた後ほど。

ハヤテのごとく! 7 (少年サンデーコミックス)

ハヤテのごとく! 7 (少年サンデーコミックス)


「スナップショット」

ほぼ全ての物語はスナップショットを積み重ねて構成されている。僕はそう思っている。
とある時代の、とある時間の、とある場所の、とある人物の行動を切り取って物語は成り立っている。切り取り元は現実に即したものであることもあるし、一から作者が創造した別世界の物であることもある。もちろん、フィクションである以上は、現実に即した物であっても、それは作者が創造した物であると見るのが正しいのであろう。


スナップショット。写真を想像する人がほとんどのその言葉だが、僕が身を置いている業界では、むしろ別の意味にとらえる人が多い。
スナップショットダンプである。
メモリのあるタイミングのあるアドレス範囲の内容を出力する。その内容によってシステムが抱えている問題を解決するのである。難しい話に聞こえるかもしれないがたいしたことではない。僕の時代、僕の経験したシステムでは、せいぜいレジスタ(CPU内部の記憶域)やPSW(次の命令のアドレスが格納されている一種のレジスタ)を見れば問題は解決できた。基本的にはスナップショットダンプの見方も似たような物で、マニュアル片手に見ればわかるレベルの話である。16進数の羅列を見てどこに異常があるか発見する、経験も、高度な技術もさほど必要とはされないが非常に地道な作業である。


物語でいうスナップショットは、写真よりスナップショットダンプに近い感覚であると思う。切り取った場所、時間から漏れた場所にもまた別の断片が存在する。そして通常はそこには自由にアクセスすることはできない。しかし、「神」である作者は、時空を超えて任意の順番で切り取ることができる。神の特権だ。




ハヤテのごとく!という物語は、少年、少女たちが過ごす時間を切り取りながら進んでいく。多くの物語同様、都合によって時間を前後して切り取ることもある。また、この作品では、毎回のように、特に最終ページでは必ずと言っていいほど切り取る場面を変えている。切り取られる登場人物も毎回異なっている。そして、作者、畑健二郎さんが「何でもありの世界」というように、特別な機械を用意せずに登場人物が時間旅行をすることもある。その都度スナップショットをとりながら進む「普通の物語」である。


物語という物は通常ある一つの決められたエンディングを目指している。そのエンディングのために必要なエピソードを切り出している。しかし、雑誌連載をしている漫画の場合は一概に一概にそうとは言い切れない。中には、当初は物語を目指していなかったにも関わらず途中から、あるいは連載を終わらせるために終了直前に急遽エンディングを用意するということもある。ハヤテのごとく!という作品も当初はそういうエンディングが決まっていない、いつまでも続けることができるしいつでもやめることができるという構成を取っていることを想定していた。しかし、単行本を読み、さらにはWebサンデーバックステージで、作者自身から想定しているエンディングがあることを明かされた。僕の第一印象は誤りだったと言うことが今はわかっている。




さて、話題を変えよう。


2006/04/07に、僕は、ハヤテのごとく!という物語は、ツリー型でもなく、データベース型でもなく、スプレッドシート表計算ソフト)型なのではないかと書いた。そのことについてもう一度説明をする。
この物語の構造を見ると、あるエピソードである人物の心の持ちようが変わると、それに伴って別のある人物との人間関係が微妙に変化し、そのことによりその別の人物の心の持ちようが変わっていく。連鎖するのだ。その「心の持ちよう」は複数ある。ラブコメ的な恋愛感情もあるし、人と人の信頼関係もあるし、単なる友情、あるいは敵対心、何となく気になるというレベルの物もある。それらが一つ一つのエピソードの中で微妙に変わり続けている。ハヤテのごとく!は一話、あるいは数話で一つのエピソードが完結するという体裁を取っている。そのエピソードの中心となる部分で「心の持ちよう」が変わる場合もあるし、ちょっとした一言、一つの描写で「心の持ちよう」が変わっていることを確認できる場合もある。変わるばかりではなく、「心の持ちよう」の初期設定を確認できることもある。さらには、前に描写された「心の持ちよう」がまだ変わっていないことをあえて描写していることもある。


さて、ここで一つ思いついたことがある。それは、スナップショットをとることによって、その微妙な心の持ちようも変わってしまうのではないかということだ。
量子論という学問があり、それが得体の知れない面白そうなものだったので入門書に手を出してみたことがある。それによると、どうやら光やらなんやらやたらと小さい量子(粒でもあり波でもあるというわけのわからないもの)は観測すると変化してしまうということになっているらしい。その話を思い出した。この作品は一話描くとその都度設定が変わってしまうのではないか。
この作品の作者、畑健二郎さんは雄弁である。単行本やWebサイトで、作品の設定について多くを語っている。普通はそのような設定を明かす過程を隠すことによって物語への興味をつないでいく。しかしハヤテのごとく!の場合、設定が毎週変わっていくので隠された、この物語が始まる前の設定を明かしても問題はないのではないだろうか。
さらに、こともあろうに、畑さんはこの作品のクライマックスシーンがどのようになるのかということまで明かしている。


設定を徐々に明かすことによって読者の興味をつなぐのではない、ラストシーンの予想をすることによって読者の興味をつなぐのではない、設定を変えていき、虚構の中の少年少女たちがどう変化していくのか、人間関係がどう変化していくのかを想像させることによって読者の興味をつないでいく物語、それがハヤテのごとく!である。




作者本人が使っている「フラグ」という言葉がある。'0'か'1'かを表現するものである。その値が'1'にならないとあるイベントが発生しない、そういう使われ方をする値だ。ハヤテのごとく!はフラグでコントロールされている部分もあるだろう。しかし、大半はもっと細かい、無限の自由度を持つかのように見える値、パラメータでコントロールされていると感じている。そして、その値が格納されるエリアが、一人一人の登場人物それぞれに大量に用意されている。先ほど書いた「心の持ちよう」もその中に含まれる。それだけではなく、たとえば財産、たとえば特殊能力、たとえば家族構成、そのあたりも全てパラメータである。さらに、身長、体重、そして日付もパラメータの一つである。


このような構成よって、ほぼ無限の組み合わせが生まれる。その中で作者が意図したエンディングが生まれる組み合わせはそれほど数多くないと思う。しかも、僕の予想では、その組み合わせの中には日付も含まれる。例えば来週掲載される話で全ての条件を満たしてもエンディングを見ることはできない。そして、その次の話ではまたパラメータの値が変わってしまう。


ある日付を迎えた時に、それぞれの登場人物が持つパラメータが、それぞれある特定の範囲内に収まっている。その条件がそろわないと「トゥルーエンド」を描くことはできない。作者にとっては物にするのが非常に難しい物語なのである。


そして読者もこの物語を理解するためには単行本を何度も読み返さなければならない。前後の話だけから全体の流れを読みとるだけでは、その話に登場しているキャラクターのことを見ているだけではとらえられないのである。関係がありそうな場所のスナップショットダンプを丹念に追って、初めて作者の意図がくみ取れる、ハヤテのごとく!とはそういう作品だと僕は感じている。



人気ブログランキング