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2018-03-21 畑健二郎 トニカクカワイイ 今後の展開を妄想する

畑健二郎 トニカクカワイイ 今後の展開を妄想する

| 09:31 | 畑健二郎 トニカクカワイイ 今後の展開を妄想する - tanabeebanatの日記 を含むブックマーク 畑健二郎 トニカクカワイイ 今後の展開を妄想する - tanabeebanatの日記 のブックマークコメント

今週のサンデーを読んでとある妄想が頭をもたげたので書き留めておきます。

完全に妄想です。冷静に考えればあり得ない展開です。



何度も書いてますがハヤテをきっかけにいろんな漫画や小説を読んでみました。その中には再読して今まで気がつかなかったことに気がついたという作品も多々ありました。

そこから発生した妄想なんですよね。


もしかして、この漫画このまま特に事件もなく淡々と進むんじゃないかなぁ……。


ありえないことはわかってるんですよ。この作品は漫画、それも週刊少年誌に連載している漫画です。たとえ名がある人が発表した作品であっても毎週毎週読者の興味をつなぎとめておかないと終了してしまう厳しい媒体です。わかる人だけわかればいいみたいなぬるいことでは発表する機会も得られない媒体です。

そんな場所でそういう作品が成立するとは思えないんですけど、どこか多くの読者の心に引っかかるところができてそれが解消されることもなく進んでいったらそれはそれで面白いだろうなぁという発想がふと浮かびました。


連載が始まって1ヶ月経ちますが、未だに新しいキャラクターは出てこない密室劇です。物語要素がある材料は冒頭部分だけであとは新しい日常に移行する過程での刺激を描いているだけです。

このままたいした事件が起こることもなく、部屋から出ることもあまりなく進行して、それでもおもしろい漫画になったらどうなるんだろう?


あり得ない展開だってことはわかってるんですが、可能性っていうものはいつだって0ではないということなので書き留めておきます。

2017-03-20 読書感想文 ヤマグチノボル著『ゼロの使い魔』

読書感想文 ヤマグチノボル著『ゼロの使い魔』

| 09:24 | 読書感想文 ヤマグチノボル著『ゼロの使い魔』 - tanabeebanatの日記 を含むブックマーク 読書感想文 ヤマグチノボル著『ゼロの使い魔』 - tanabeebanatの日記 のブックマークコメント

ライトノベルの読書感想文を書くのは本当に久しぶりだし読書感想文自体書くのが久しぶりです。

その、久しぶりというのを置いておいてもネットという公開の場所にこの作品の感想を書くに当たっては一言だけ断っておかなければならないことがあります。


この作品の感想をいわゆるネタバレを完全に回避して書くのは困難です。


本の感想を書くときには、事前にテキストファイルで何度か推敲をしてからアップロードする時はもちろん、今日みたいにWebのフォームでいきなり書き始めて書き終わったら直接更新する時でも、こういう構成にしてこういう結論にしてというのを考えてから書いています。いずれの場合も書いているうちに明後日の方向にいくのはよくあることですが、小説などフィクションの感想を書く場合は致命的なネタバレは避けるようにという意識を働かせています。もともとが推理小説が好きで、推理小説の感想をネタバレ入りで書くのは良くないという意識があるので自然とそうなっています。

どうしてもネタバレをする場合もぼやかして書くにはどうすればいいかみたいなことを趣味的に考えてみたりして、それを考えるのもまた一つの楽しみだったりします。

だから、今日の感想文でも最終的には致命的なネタバレはせずに書くことができるかもしれませんが、現時点でネタバレを回避して書くのは非常に難しいかなと思っています。

なので、未読の人がこの感想文を目にしても読まない方がよいです。今日私が書くのはレビューではなく感想です。この本を読むかどうか決める参考になるような情報は一切含まれていません。



さて、本題に入りましょう。


ゼロの使い魔』が完結しました。

物語は終わりました。

ご存じのように著者がお亡くなりになるという不測の事態を乗り越えて物語は完結しました。


ラスト2巻。生と死の境界を越えるという未だ人知が及ばない領域が存在するということを認めないとしたら、なんかすごいことが起こっていました。

再現性がすごい。

文体はもちろんプロットやキャラ設定まで、後世事情を知らない人が読んだら同じ人が最後まで書いたと思うのは無理がない状況になっていました。もちろん作者と生前濃い時間を過ごしていたであろう編集担当者の手厚いサポートはあったとは思いますが、ここまで再現性が高いものを書けるというのは相当の力を持つ人なんだろうなという想像をしています。もしかすると複数人の時間がかかる共同作業によって初めて成り立ったのかもしれません。

文体模写は何となくできそうな気はするけれど読んでいて自然に受け入れられるようなプロットの模写は非常に難しいのではないかと想像しています。

この作者だとこういう流れになるよねぇみたいなのを自然と想像しながら読んでしまいますが、そこから大きく外れないし、外れる場合もこの作者ならしょうがないという方向性に外れていきます。

実際に書いた人の名前を明かさないという方針があったにせよ、それだけにものすごいプレッシャーがあったのではないかと想像しています。ヤマグチノボルになりきって物語を完結させる。この難しい作業をやりきったことに対する賛辞を惜しむことはできません。作者の死という事態に陥って完結を見なかったり、別の作家の手により簡潔をしても物足りなかったりしたことを何度か経験をしているだけに、物語の本筋とは外れますが、まずそこははっきりさせておかなければいけないかなと思います。




ライトノベルと総称される一群の小説を読み始めてから数作を読んできています。ラノベファンというほどは数はこなしていないですし、小説全体を範囲としても熱心な読書家というほどではありません。

そういう状態ではありますが、もし仮にライトノベルというジャンルを全く知らない人に「おすすめのライトノベルってどれ?」と聞かれたとします。

それほど読んでいるわけではなくても「ライトノベル」とひとくくりにできるようなものではないことは知っているし、その中でその人の趣味嗜好が完全にわかっているわけではないのでお勧めするのはおこがましいとは思います。それでも、どうしても何かを紹介してほしいと言われたら、私はこの『ゼロの使い魔』をお勧めします。


これぞ知らない人がイメージするライトノベルなんじゃないかなと。

ファンタジー世界、戦闘、かわいい女の子たち、三角関係、変態。それらすべてが詰まっています。もちろんすべてのライトノベルが『ゼロの使い魔』みたいな話だと誤解されると困りますがとっかかりとしては最高の作品です。

私がライトノベルというジャンルに手を出した初期にアニメが話題になってたので読み始めたという経緯があるために余計にそう思えます。アニメを見たときに「王道!」と思い、原作を読んで「王道!」と思いましたからね。こういうファンタジーものに抵抗がない人なら物語の大筋は抵抗なく受け入れられるのではないでしょうか?もちろん些細な部分で受け入れがたい部分がある人がいてもおかしくないですが。特にこの作品の場合は最後まで癖はあります。それも含めお勧めなんですよね。

そしてもう一つ、おすすめできる理由は下敷きとしている古典があるということです。『ゼロの使い魔』を入り口にして『三銃士』を読んだ人もそれなりにいるんじゃないかと思います。別にライトノベルというジャンルに限った話ではありませんが、作家の強い思い入れを感じられる作品っていうのは個人的に読んでいて心地いいです。「ああ、この人これが好きなんだな」「他の人にもこれを読んでもらいたいんだな」「もしかしてそれを読んでもらいたいがためにこの作品を世に出したっていう面もあるのかもしれないな」ってほっこりした気持ちになれます。そういう感覚を味わえることも『ゼロの使い魔』をお勧めしたいと思う理由の一つです。

そして最重要な要素。それがこの作品が、完結しているということ。それが大きい。最後の1行まで読むことができます。途中までしか著されていない作品をお勧めするのはどうも好きじゃないです。よっぽどのことがないと難しい。最後まで行くと自分が思っているのとずれることもあるだろうし尻切れトンボに終わる可能性だってあるし。読者としての気分が盛り上がるのは読んでいる途中ですが、きれいに完結している方が他の人には断然お勧めしやすいです。



異世界に吹っ飛ばされた主人公がその世界の女の子と恋に落ち、世界の命運を握り仲間とともに命をかけて戦うという王道中の王道と言った感のある物語。そこに元の世界に戻るか戻らないかという選択が絡んできて少年少女は選択を迫られその選択が正しいかどうかはわからないけれど自分の道を選んだところで物語が終わる。そのあらすじだけ話すとライトノベルとかそういうのは関係なく良質も冒険ファンタジー小説としか言いようがないです。

最初に書いたけれどここまで書き進んでも未だにネタバレを回避する方法を模索していてこれで感想を終わらせるのも一つの方法かなとも思うんですがやっぱり少し書き足りないからあがいてみますか。

結局、最後は主人公とヒロインはそれぞれわがままを通すという選択をし、そのわがままは自分の命をかけて愛する人を守るというわがままなんですけれどね、しかし、それをサポートする周囲の力によってみんな幸せなハッピーエンドを迎えると思いきや、最後の最後に主人公とヒロインはやっぱりわがままで周りには関係なく自分たちの道を進んでしまうというのがなるほどヤマグチノボル氏ならこの結末を選ぶなということでものすごく納得感があります。余韻が残りこの後の物語を予感させる終わり方もすばらしかったし、編集の都合もあったと思いますが、この終わり方なら後書き無しというのがそれはそれで一つの効果になっていてすばらしいと思いました。


えっと、ネタバレは回避できてるかな。いや、回避できてないな。どうぼやかして書いてもこの作品の場合結末の感想を書こうとすると回避することは難しいのかなと思いました。



こういう作品は時代を超えて生み出されると思います。『ゼロの使い魔』がこの時代に描かれた冒険ファンタジーとしては代表的な作品の一つになるんじゃないかなと今は思っています。

最後まで読まさせてくれてありがとうございました。

2015-11-15 読書感想文 松永猛裕著『火薬のはなし』

読書感想文 松永猛裕著『火薬のはなし』

| 13:28 | 読書感想文 松永猛裕著『火薬のはなし』 - tanabeebanatの日記 を含むブックマーク 読書感想文 松永猛裕著『火薬のはなし』 - tanabeebanatの日記 のブックマークコメント

火薬のはなし (ブルーバックス)

火薬のはなし (ブルーバックス)

帯のあおり文句は「同じ重さのTNT火薬とチョコチップクッキー、エネルギーが多いのはどっち?」です。どういう質問の答えは想定するのとは違うのが正解というのは常道です。



明確なコンセプトに基づいて著された非常に興味深い本です。そのコンセプトとは「軍事分野に言及せずに火薬、爆薬について解説する」というものです。産業用の発破、ロケット、そして花火、さらには医療。軍事分野以外にも火薬が活躍するところはたくさんあります。

火薬、爆薬は軍事需要がその発展の後押しになってきたことが容易に想像されます。しかしながら、少なくともこの本で言及されている分野では、火薬爆薬というのはすでに完成の域に達した技術であり新しいブレークスルーは生まれづらいということをこの本で知ることができました。

通常触れることがある火薬には燃えたときに独特の臭いがあります。その臭いは実は火薬の中でも黒色火薬特有のものであり、その黒色火薬は8世紀に発明されてから現代に至るまで大きな改良を施されておらず、かつ今なおそれに変わる火薬は存在しないというにわかには信じがたいことが書いてあります。

たとえば花火の発射。コストを考えなければTNTとか他の火薬爆薬でもいいのではないかと素人は考えます。しかしそうではなく黒色火薬ではないと花火が打ち上がらなかったり筒が爆発したりしてものにならないということです。

また、爆発物の代名詞として誰もが知っているダイナマイト。ダイナマイトはノーベル賞との絡みもあって知名度が最も高い爆薬だと思います。そのダイナマイトは今はもうすでに存在していない。ダイナマイトを名乗る爆薬であってもその主要な成分はニトログリセリンではないという衝撃の事実もこの本で知ることができました。


そしてなによりも衝撃的だったのは強力な火薬/爆薬=よい火薬/爆薬ではないという考え方です。どんなに強力であっても扱いやすくないと用をなさないという考えてみれば当たり前の事実です。通常は爆発せずに爆発してほしいときにしっかり爆発するという性能が重要であると。中には結晶化するときにその結晶同士がふれあうだけで爆発する物質もあるというのは怖い話です。また私も子供の頃にやった理科の化学実験で意図せずにできてしまう爆発物もあるというのもまた怖い話です。そういう物質ができないように工夫をする、その工夫をするだけの知識を持つというのが非常に重要なことだなと思い知らされます。

現在産業用に使用されている爆発物の主流は、性能はそこそこだが破壊力は十分、かつ比較的扱いやすいという特徴を持っているとのことですが、その物質に爆発性があるということが知られたのは不幸にして肥料の原料が爆発するという事故が起こったからだというのがなんとも皮肉な話でもあります。


読んでみて損はない一冊だと私は思います。

本が好き!運営担当本が好き!運営担当 2017/01/28 16:21 突然のコメント、失礼いたします。はじめまして。
書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」を運営しております、和氣と申します。

貴ブログを拝読し、ぜひ本が好き!にもレビューをご投稿いただきたく、コメントさせていただきました。

本が好き!:http://www.honzuki.jp/

こちらのサイトでは、選ばれたレビューアの方が本をもらえるようになる「献本サービス」を行っています。レビューをご投稿の上ご連絡いただけましたら、通常は審査を通過した方のみ申し込み可能な献本に、すぐご応募いただけるようにいたします。

1.会員登録 
 こちらのフォームよりご登録ください。
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2.書評投稿
 書籍を検索し【書評を書く】ボタンよりご投稿ください。
3.ご報告
 貴ブログ名をご記載の上、こちらのフォームよりご報告ください。
 http://www.honzuki.jp/about/inquiries/user/add.html

名前の通り「本好き」の方がたくさん集まって、活発にレビューを投稿して交流をされているサイトですので、よろしければぜひ一度ご訪問いただけましたら幸いです。

よろしくお願いいたします。

2015-07-19 「文学」とはいったい何者か?

「文学」とはいったい何者か?

| 10:10 | 「文学」とはいったい何者か? - tanabeebanatの日記 を含むブックマーク 「文学」とはいったい何者か? - tanabeebanatの日記 のブックマークコメント

夏休みが始まりました。

最近全く更新をしていないこのサイトですが、夏休みに入るといきなり来訪者が増えてまるで人気サイトのようになってしまいます。ネットにコンテンツを上げることに飽きて更新しなくてもそこそこ人が来ることを狙っていたのでまさに思うつぼではあるのですが「読書感想文」という鉱脈は当初想像していた以上に広く深くやる気になればまだまだ掘り出せるものはたくさんあるのではないかとも思っています。検索誤爆というものすごい偶然から読書感想文というコンテンツを書くことにしたのですが、書き始めたときに感じた、読む人にとって本当に必要なコンテンツはネット上を探しても存在しないのではないかという疑問は未だに解消していません。自分が書いたものはまだまだ不十分だしほかに追随者が大量に現れている形跡もありませんしね。


需要に対応するコンテンツもそういう状況ですが、子供のうちから抱いている「読書感想文」に対する疑問も未だに解決していません。読書感想文はなぜ書く必要があるのか?その疑問は未だに解決していません。

読書感想文がらみのコンテンツを見ると、ほとんどが上から目線でこうやればいいああやればいいと書いてあったりしますので、自分自身が読書感想文を書くのが苦手でそういうのに従ってもどうにもならないってことを知っているというアドバンテージを最大限に生かしているつもりではありますがそもそも読書感想文なんて書く必要があるのかという疑念からは一生解放されないでしょう。


まっ、書く必要があるかないかなんていうそもそも論を語ること自体が読書感想文を書けなくてうんうんうなっている人にとっては意味がないってことは同じくうなっていた私にはよくわかるので、やっかいな課題をさくっと片付ける方法を考えて提示する方がよっぽど役に立つんじゃないかと思っていろいろ書いてきたんですけれどね。


それはそれとして読書感想文にはもう一つの疑問があります。読書感想文を書く対象として選択されるのはどういうコンテンツなのか?漫画じゃだめなのか?学習参考書ではだめなのか?時刻表じゃだめなのか?地図じゃだめなのか?感想を書くのだから別にその対象は何でもよいのではないか?

その疑問について暇つぶし的に答えを用意してみます。



「読書感想文の課題になりうるのは文学のみである」



何の解決にもなりませんね。思った通りです。解決にならない以前に大きな問題があります。

そもそも「文学」ってなんなんでしょうか?



さて、では「文学」というのを定義してみましょうか?

恥ずかしながら大学で文学部に通っていました。そのときの区分けが参考になるかもしれません。

文学部史学地理学科地理学専攻……

だめです。地理が文学ってことに賛同が得られる自信がありませんし自分も文学部に入ろうと思って入ったわけじゃなくて地理学がやりたくて入った学校だったし。

では、ノーベル賞を頂点とする文学賞の説明を思い浮かべてみましょうか?XX問題に真っ正面から取り組みとか時代を切り取りとか心情を細やかに描きとか、そういうのはいわゆる文学作品だけではなくて今の日本では漫画の方がよっぽどしっくりくる説明文だと思っちゃいます。

そういう分類ではたぶんうまくいかない。


そこでこう考えました。



文学とは、ある言語を主として文字とその文字が持つ意味だけで表現された芸術である。



どうでしょうか?これなら絵が入る漫画は対象外になるしいわゆるライトノベルも挿絵と文章が不可分であると考えれば対象外になる。図表が多用される学習参考書はもちろん、地図、時刻表も対象外になります。事件が起こった屋敷や土地の図や人間関係相関図が入る一部の推理小説などは対象外となってしまいますけれどそれはあきらめます。

しかし、そう考えるとですね、文学っていうのはそもそも作者が記述した言語でしか本来の持ち味は味わえないのではないかと思うのですよ。

翻訳物は文学ではない。そういうことになります。

実際、名作といわれる小説を読んでみると、ほかの言語に翻訳したら絶対伝わらないようなすごさを感じることが多いんです。

すごい翻訳者はそのすごさを伝える努力をしているはずですが、それはあくまでも翻訳者の努力であって作者自身の作り上げた芸術とは違うものではないかと思うのです。


世間的には文学ってのを語るときに「物語」を説明しているように思えます。物語なら言語に関係はないし漫画でも映画でも文字だけでなくてもそれぞれの特性に合わせて作られたすばらしいコンテンツがたくさんあります。

文学と物語を分けて考えないからややこしいことになっているんじゃないかと思うのですよ。

物語がいかにすばらしくても文字だけで表現されていなければ文学ではない、逆に文学として評価される作品が物語としてすごいということではない。

そう考えるといろいろな疑問が解決します。身辺雑記のような小説ともいえないような小説がなぜ高い評価を得るのかとかね。



まぁ、こんな現実逃避なことを考えても読書感想文は書けませんね。面白いと思えない本の感想を書くのは本当に大変だと思います。苦手な人は評価なんて気にしないで適当にさらっと書いちゃってください。

2015-05-16 筒井康隆はなぜ「異色作」が売れるのか

筒井康隆はなぜ「異色作」が売れるのか

| 13:52 | 筒井康隆はなぜ「異色作」が売れるのか - tanabeebanatの日記 を含むブックマーク 筒井康隆はなぜ「異色作」が売れるのか - tanabeebanatの日記 のブックマークコメント

「旅のラゴス」が売れてるらしいです。

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

なぜ今さらという感でいっぱいです。

確かこの本が出版された時のキャッチコピーは

「物語を破壊し続けた筒井康隆が構築した強靱な物語世界」

「筒井流超能力」

とかいうものでした。


それにしてもなんで筒井康隆作品は「異色作」が売れるのでしょうか?



ってなタイトルと書き出して始まる記事は大概もっともらしいことを語って最後に何となく納得するような結論で〆るのが様式美ですが、これを書いている今、全く結論らしいものは思いついていません。書きながら考えていますけれどそもそもこのネタって前に書いたような気がしてきました。もしそうだとしても前に書いたのと違う流れになるかもしれないのでどうせ暇だし書いてみます。


筒井康隆の小説で一番有名で読んだことがある人が多い作品は「時をかける少女」であることに異論を持つ人は少ないでしょう。読んだ人はおそらく文庫で100ページ程度の作品であることに驚き、同じ作者の他の作品に手を伸ばしたときには落胆してしまう人も多いのではないかと想像しています。

「時をかける少女」は他の筒井作品とあまりにも違いすぎます。目に見える形での毒やグロさがありませんし仕掛けもありません。読み込める人にはもしかするとあの美しく見える物語の中にもそういう筒井康隆らしさが読み取れるのかもしれませんが、私には何度読んでも「他の作品とはあまりにも違いすぎる」としか思えない小説です。

それに対して「旅のラゴス」からはそれらの筒井風とでも言うような設定が散見されて、筒井康隆に慣れた人が読んでも、慣れない人が読んでも楽しめる作品になっているのかと思います。

筒井康隆の小説には「合う」「合わない」がはっきり分かれる作品が多く、そもそも作者に「合う」「合わない」というのもはっきり分かれるのでしょう。

「旅のラゴス」という小説は「時をかける少女」ほどではありませんが、筒井康隆に合わない読者も楽しめる作品であり、筒井康隆という小説家の評価が変質し、読むべき作家の一人になりつつあって、とりあえず読んでみようという人にはお勧めできる作品という意味を持ち始めたということなのかもしれません。

筒井康隆作品の特徴を比較的安全に楽しめ、もしその特徴が自分にとって合うものであったら他の作品にも手を伸ばすきっかけになり、逆に合わないものだったら本能的に他の作品は目にしないようになるリトマス試験紙のような作品が「旅のラゴス」なのかなと思います。


そうだ!わかった!

「旅のラゴス」が売れる理由、それはこの小説が「筒井康隆入門書」だからなんだ!

「時をかける少女」は他の作品と比較するとあまりにも異質過ぎるけれど「旅のラゴス」は他の作品を読んだ人からは筒井康隆らしさを十分感じることができる作品でありながら、筒井康隆作品の特徴を知らない人、本来なら筒井康隆作品が合わない人が読んでもそれなりに楽しめる小説だからなんですね。


という感じで理由なんて適当にひねり出すことができるからこの手の記事はあんまり信用しない方がいいと自分で書いてみると思えてくるわけです。




















「48億の妄想」がこんな風に話題になることは絶対ないんだろうな。処女長編のあれに強烈に影響を受けてしまった人間としては読んでほしい小説なんだけどなぁ。今のご時世だと各方面への配慮で再版されるかも怪しい。

2014-12-27 アガサ・クリスティ著「カーテン」

アガサ・クリスティ著「カーテン」

| 14:42 | アガサ・クリスティ著「カーテン」 - tanabeebanatの日記 を含むブックマーク アガサ・クリスティ著「カーテン」 - tanabeebanatの日記 のブックマークコメント

超有名作品なのに読んだことはありませんでした。

有名作品なのでもちろんオチは知っています。

しかし、実際に読んでみたら思っていたのとはずいぶんと違う推理小説でした。



未だに夢は捨てきれず誰も思いついたことがないような推理小説を書いてみたいと思っていますが「この手があるのか」と思うばかりでアイディアは思い浮かびません。

この作品を読んだときも「この手があったか」と思いました。それはもちろん有名なあの結末のことではありません。それだったら「この手があったか」とは思いません。

「誰が犯人なのか」ではなく「誰が被害者になるのか」という興味をそそる趣向になっているんですよね、これ。


ポワロの脳内では「犯人」はわかりきっている(ように読者は感じる)けれど、それを明かしてしまっては何にもならないし、早い段階でそれを明かしても登場人物も読者も納得しない。「事件」を積み重ねて行ってようやく納得しなるほどこういう「犯罪」もあるのかもしれないなと思わせます。

同じような設定を使っている日本の推理小説を読んだことがありますが、もちろんそれはそれで全く違う味付けをしてあるので読んだ順序は逆でしたがカーテンも非常に新鮮に思えました。



しかし、この作品、名探偵ポワロの最後を飾るにふさわしく何とも言えない読後感に包まれます。たぐいまれな頭脳を誇る探偵が老いた後に自分の価値観と自分の良心との板挟みにあうという非常に人間くさい一面を見せるところとか、それでもなお用意周到に罠を張り巡らせる周到さとか、うん、うまくいえないですねやっぱり、不思議な読後感です。


感想にはなってないんですが、読んでよかったと思わせる一冊でした。

2014-02-23 読書感想文 三島由紀夫著「潮騒」

読書感想文 三島由紀夫著「潮騒」

| 13:08 | 読書感想文 三島由紀夫著「潮騒」 - tanabeebanatの日記 を含むブックマーク 読書感想文 三島由紀夫著「潮騒」 - tanabeebanatの日記 のブックマークコメント

昨年大ヒットしたドラマに出てきた歌を聴いて、「これって三島由紀夫の『潮騒』がモチーフなんだろうな」と思ったのですが、なんでそう思ったのかが謎でした。この小説は、おそらく子供の頃に読んだ、あるいは読まされていて、あらすじはなんとなく知っているのですが読んだ記憶がまったくありませんでした。

三島由紀夫作品はまったく読んだ記憶が無くて、読んだはずなんですが記憶がまったく無くて、なのになぜか国語の教師が「口の悪い人は三島由紀夫の小説を『レトリックだけ』と評する」みたいな話をしていたのが印象に残っていました。それがその先生の感想なのか多くの人がそう言っているのかなんてことは当時疑問にも思わず、そういう先入観だけがある状態でおそらくたぶんの再読を果たしました。


読み進めるうちに「なるほどなぁ」と思いました。確かにこの作品はレトリックばっかりだわと。もちろんそういう先入観を持って読んだからそう思っただけだと思うのですが、そういう感想を持ちました。そしてあらすじだけ知っている物語は非常にオーソドックスで、偶然出会った若い二人が恋に落ち立ちはだかる障害を乗り越えて結ばれるという、正直言って退屈でした。他の作品を読んでいないからわからないけれど三島由紀夫は合わないのかもしれない、そうでなくてもこの『潮騒』という作品は合わないな、需要がありそうだから読書感想文をネットにアップしようと思っていたけれどさてどうしたものやら……。そう思って読み進めました。


合わないと思った作品の感想を書くという作業は楽しみではなく、苦行以外のなにものでもありません。どこかに提出する義務があるものならしかたなく書きますがここにアップロードする感想文は義務ではなく趣味、娯楽であるべきなのでこの小説の感想は書くのをやめようと思いました。




最後の一文を読むまではね。




物語の結末には個人的に強い思い入れがあります。

それは推理小説が好きでたくさん読んでいるからだろうなと思っています。驚愕の結末、極端に言うとある作品のコピーになっていた「一行で世界が変わる」という作品に憧れ、そういう小説を自分でも書いてみたいと思っていたけれど残念なことに物語を生み出す才能が無く、それでもあきらめきれずに今のところ一度だけしか訪れていないチャンスに食いついて、勢いでそういう小説を書いてしまいました。

物語がどうとか文学的な表現がどうとかそんなことはどうでもよくてというかそこまでは気が回らず回せずに、どうせやるなら徹底的にと改行改ページにまでこだわって、「最後のページをめくった瞬間に世界が変わる」という試みをしてみました。それを実現するためだけにフォーマットに制約をつけたり文字数から形容詞を選んだり無駄な改行を入れたりして書いてみました。

商業ベースに乗せるつもりは無いので自己満足の世界です。自分ではなんとかやりきった感はあるのですが、もっとすごいものをいつかは書いてみたいし、もしかするとそういうチャンスがこの先またあるかもしれないという淡い期待も抱いています。

そういう欲求が強い人間が読むとこの小説は多くの人とはまったく違う顔を見せてくれました。


前にも書きましたが、『潮騒』の筋立ては「偶然出会った若い二人が恋に落ち立ちはだかる障害を乗り越えて結ばれる」という、もしかすると神話の時代から連綿と続くなんのひねりも無いものです。ところが、最後の一文でその世界が壊れるのを感じたのです。三島由紀夫ってただものではないななどという文豪に対する失礼な感想を持ちました。

理解ある周囲の人々に恵まれて古い因習のしがらみから逃れ結ばれる二人。最後の一文が無ければただ単にめでたしめでたしで終わる小説です。それが、あの一文で壊れます。しがらみにからめとられずに恋を成就させた二人は、自分たちの未来への障害となっていた古い因習の世界に取り込まれることを予感させるのです。地域の「進歩的」な考え方をもつ人たちに支えられて、その地域のコミュニティに二人そろって属することができるけれど、その代償として、自分たちの前に立ちはだかっていた壁に取り込まれる、そういう一種の悲劇的な結末であると感じました。だから逆に、オーソドックスな物語を好む人にとっては、最後の一文は邪魔であり評価を落とす材料にしかならないのではなかろうかとも思います。最後の一文さえ無ければ……、と思う読者がいることは驚くに値しません。だからこそ逆にその最後の一文は心に刺さったのです。


解説を読むと、三島由紀夫という文豪の背景からこの作品の存在意義、さらには元ネタ的なものまで言及されていますが、そこには「最後の一文」についての説明はありません。そしてこの感想文でも説明はしません。しかし、この「最後の一文」に衝撃を受けた人がいるということはどうしても伝えたくて、書くのをあきらめようかと思った『潮騒』の読書感想文をここにアップロードしました。


念のため当たり前のことを書きますが、この感想は個人的なものです。そして、昭和の終わりから二十一世紀にかけて東京とその周辺でほとんどの生活を送っている人間の持った感想です。だから的外れである可能性はある、むしろその可能性の方が高いと思っています。真に受けないでください。そう思っただけ、そういう感想を持っただけです。他の人とは違っていて当たり前です。

アヤアヤ 2014/09/09 22:39 潮騒の感想で検索をしていてたどり着きました。
あの一文で、まあ慎ましく仲良く暮らしていくんだろうなぁ、というエンディングから、一気に、この二人がいつまでも仲良く暮らせていけるのかと、人と人との感覚のズレやその後の二人の行方を考えさせられる小説になったなぁと思います。
私も同じように、特にどんでん返しもない有りがちな恋愛小説だなと感じていて、でも最後の一文にすごく惹かれた口なので、同じ気持ちを持った方が居て嬉しいです。(Amazonでは恋愛が綺麗みたいな感想しか無かったので…)

tanabeebanattanabeebanat 2014/09/14 14:47 アヤさん
私はたぶん子供の頃読まされていて、そのときはなんの印象も残っていなかったんですが、何十年か経って改めて読んでみるとめでたしめでたしの結末とは思えないラストに驚きました。
同じような感想を持たれている方がいらっしゃって私もうれしいです。
長く読まれている作品は読んだ人みんなが同じ感想を持つのではなくて、読む人、読む時の心持ちによって時には全く正反対の感想を持てるのかもしれないという思いを新たにしました。
コメントありがとうございました。

ななしななし 2016/03/15 23:27 恋から愛への昇華だと私は読みました。それは直前に新治が初江のもとを離れて一人になり、自分の力で道を切り拓くというプロットからもわかることだと思います。ベタベタなカップルから、静かに互いを想い合う夫婦のような関係へと、(新治だけだけど)成長させたのが最後の流れであり、件の一文はその成長を全く簡潔に示す役割として働いています。一般的な作品ならベタベタなカップルの成立までで終わらせるところを、成長の一歩、愛の兆しをあのように表現してから幕を降ろすところには、やはり三島由紀夫らしい聡明さが現れているなあと、深く感激させていただきました。
あなたの感想を批判するわけではありませんが、作中の古い因習は時折あらわれ彼らの恋路を阻んだにしても、物語の主題は「ダフニスとクロエ」と同じように二人の恋の成就なのであって、因習はあくまで幾つかある障害の一つくらいの扱いだったと思います。増してそれがクライマックスの一文で示唆されるような重要性を持っているとは到底読むことができないと思います。あなたがどのような判断を以ってその感想を書いたのか非常に気になります。是非教えていただきたいです。

ななしななし 2016/03/15 23:27 恋から愛への昇華だと私は読みました。それは直前に新治が初江のもとを離れて一人になり、自分の力で道を切り拓くというプロットからもわかることだと思います。ベタベタなカップルから、静かに互いを想い合う夫婦のような関係へと、(新治だけだけど)成長させたのが最後の流れであり、件の一文はその成長を全く簡潔に示す役割として働いています。一般的な作品ならベタベタなカップルの成立までで終わらせるところを、成長の一歩、愛の兆しをあのように表現してから幕を降ろすところには、やはり三島由紀夫らしい聡明さが現れているなあと、深く感激させていただきました。
あなたの感想を批判するわけではありませんが、作中の古い因習は時折あらわれ彼らの恋路を阻んだにしても、物語の主題は「ダフニスとクロエ」と同じように二人の恋の成就なのであって、因習はあくまで幾つかある障害の一つくらいの扱いだったと思います。増してそれがクライマックスの一文で示唆されるような重要性を持っているとは到底読むことができないと思います。あなたがどのような判断を以ってその感想を書いたのか非常に気になります。是非教えていただきたいです。

tanabeebanattanabeebanat 2016/03/18 22:14 ななし様
どのような判断と言われても困ってしまいますがそういう感想を持ったというただ1点です。
純愛物語を書きたいだけだとしたらあの1文は蛇足以外のなにものでも無いと私は思いました。愛に化ける過程を描いているとしたらもっといらない1文に思えてきます。そして、あの1文があるからこそ、そうとは意識しなくても読者の心の中に何とも言えない引っかかりができ、そのことによって潮騒という作品は今に至るまで読み継がれる作品になっているのではないかなというのが私の感想です。
本の感想は読んだ人によって違うのは当たり前だと思っています。別の記事で繰り返し書いていますが、みんながみんな同じ感想を持つような作品は残念ながらそれほど長くは読み継がれないように思えてなりません。
子供の頃に読まされた本をいい年になって読み返すと、当時は全く気づかなかった作品の多面性に驚かされることが多いです。
コメントありがとうございました。

2014-02-02 読書感想文 天藤 真 著「大誘拐」

読書感想文 天藤 真 著「大誘拐」

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かなり久しぶりのような気がする小説の読書感想文です。2つネタはあるのですがまずは自分が好きなジャンル、推理小説的な作品から書くことにします。


名作といううわさを聞いていましたが実際に読んでみたら名作でした。

大誘拐 (角川文庫)

大誘拐 (角川文庫)



推理小説的と書きましたがこの小説は推理小説というより犯罪小説。ルパン的な犯罪者が主役の小説です。いかにうまく相手を出し抜き目論見を達成するかという興味はもちろんのこと、それ以上にいかにかかわった人全員が損をすることなく結末を迎えるかというところに主眼が置かれているところがとても面白いです。不利益を被ったと言えるのは警察官と国だけであり、それ以外の人は100億円という莫大な身代金をまんまと略取されたにもかかわらず、長い目で見ればむしろ利益を得たという結末には驚かされました。

推理小説的な作品というのは物語としては非常に難しいのかなと感じています。ある程度現実に即していないとリアリティがなく入り込めないが、あまりにもリアリティを求めると物語としては面白くないものになってしまう、そのさじ加減が非常に難しいのかなと感じています。

そういう意味でこの作品は、ある程度リアリティを切り捨てても面白い作品、いわばファンタジーを描いていると感じます。

ありえないくらいの大金持ちでありえないくらいの人格者がありえないくらいの能力を持ち、偶然訪れた「チャンス」を最大限に生かして、思い残すことなく余生をおれるように種まきをする。正直、身代金受け渡しのトリックや潜伏先の選択の現実味には疑問を抱きますが、それはもうこの物語を成立させるためのやむを得ない舞台装置として納得します。

そして、この作品の登場人物には本当の意味での悪い人がいない。

誘拐を企てた三人はむろん犯罪者ではあるのだけれど、そのうち二人は金銭的な欲求に惑わされず自分にとっての幸せをしっかりみすえて欲張らない。残った一人もまんまと手に入れた現実離れした大金をいたずらに浪費するのではなく、まずはその使い方を勉強するところからはじめるという手堅さを持っている。憎むべき犯人、という人物像からは遠く離れています。行儀のよい犯罪者なんですよね

その三人をコントロールする人質と、人質に恩義を感じていて敬意を持って接する周囲の人たちからも悪意はまったく感じられません。驚くべきは端役で出てくるアメリカの軍人ですらステレオタイプと言ってもいいくらいのいいやつです。

いい人ばかりの小説というのは面白みにかけることもあるけれど、この小説ではそれはもう作品の色として確立しているように思えます。


推理小説では無いと言っても謎解きものではあるので作品に関する直接の感想はこのくらいにしましょう。もうずいぶんネタばらしをしてしまいましたが細かいところは読んでみてのお楽しみということにしたいです。

最後に少し違う視点での感想を書いてみます。


この作品の舞台は和歌山県です。この作品の舞台として選ばれるべくして選ばれた、というかここしかないというところが和歌山県ではないかなと思ったんです。

海に囲まれた半島性と他県とは急峻な山道で接しているという地理的条件が無いとこの物語は成立しえない、たとえば同じ半島でも千葉県を舞台にしたらこの作品は描けないのではないかと思いました。


面白かったです。

2013-11-04 読書感想文 太田幸夫著「北の保線」当たり前のことは難しいこと

読書感想文 太田幸夫著「北の保線」当たり前のことは難しいこと

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北の保線―線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む (交通新聞社新書)

北の保線―線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む (交通新聞社新書)


鉄道は大好きですが保線には詳しく無いですし、地味な分野だからあまり興味はありません。それだけに好奇心が刺激されてとても楽しくこの本を読むことができました。



鉄道の車両や配線、そして速度は誰の目にも留まるいわば派手な分野ですが、それを支える保線というのは失礼ながら地味な分野です。最寄り駅に保線基地があり、時々保線用の機械が止まっていて、それがマルタイというものだということは知っていますが、その機械が導入されるまでは当然人力で保守をしていたわけでして、ものすごく大変な仕事だということは想像に難くありません。

線路の狂いを修正し道床の砂利をつき固め補充し、必要ならばレールを交換する。機械を使って省力化しているとはいえやっていることは今でも変わらない。

風情は無いけれど、ジョイント音が聞こえないロングレールに交換したり、コンクリートで固めたスラブ軌道を導入する路線が多いのは、その手間を省き、その結果として安全で安定した運行を維持できるから仕方が無いのでしょうね。


この本で紹介されているのは北海道の鉄道路線です。北海道では日本のほかの地域とは股違う苦労があるとのこと。道床が凍って線路が押し上げられ、その対応をしなければいけないんですね。持ち上がったところを下げるのではなく、下げたいのだけれど現実問題できるはずもなく、その周りの枕木にあて木をして線路の狂いを許容範囲に収めるという技があるとは知りませんでした。おそろしく地道ですよね。

道床が溶けたら当然また狂う、当然それもまた修正しなければいけない。

本州と同じような保線作業も当然やるけれど、それができるのは雪が無く凍らない夏の間だけ。

大変な仕事です……


利用者にとっては2本のレールの上を列車が走るのは当たり前のことです。しかし、その当たり前のことが当たり前にできるためには、多くの人の汗が流されて、知恵が振り絞られているのもまた当たり前のことなんです。



蛇足ですが……

この本は北海道の線路にまつわる一連の問題が発覚する前に出版されています。当たり前のことが当たり前になされないとどういうことになるのか、何もしなければどうなってしまうのか、保線という地味な仕事の大切さは図らずも多くの人の知るところとなってしまいました。

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